2009年03月25日

感情は正義ではない

某裁判において「死刑」判決が出たようです。
マスコミはあらたな過激報道できるネタをみつけて大喜びなのかもしれません。
遺族の方々はマスコミが言ってくれて嬉しい「死刑を望む」でいるのですから、なおさらでしょうか。
残酷な事件の記者会見などに見られるマスコミ関係者の言動が頭によぎります。
「過激な発言を言えよ!」
「殺した奴を殺したい、ぐらい言えよ!」
「死刑を望むと言え!」
というオーラありまくりの記者会見はいつも嫌悪感を覚えます。
その煽りにのって「死刑にしろ!」と叫ぶグロテスク丸出しな方々にも。
私は以前、「死刑制度肯定派」でしたが、その理由は
「死刑制度があった方が犯罪が減る」
と思っていたからです。
これが間違いであると知り、いろんな事を調べ、考えた結果
「死刑の廃止。もしくは完全に間違いをおかさない保障が100%出来るまで、完全な死刑執行の停止を望む」派になりました。
「死刑制度」があってもなくても、犯罪率が変わらないのなら「死刑」に意味が見出せないからです。他に『「死刑制度」がなくてはならない』理由が見い出せませんでした。
無実の人が死刑になるような事は、あってはならない、と思いました。
人間は絶対に間違いをおかします。警察と司法だけ間違いをおかさない、なんて事がある訳がありません。
「間違えないようにすればいい」
という人がいますが、それは不可能でしょう。
「事故をしない人にだけ、運転免許を発行すればいい」
と言っているのと同じです。
きちんとした試験と実技訓練があっても事故が起きます。医師免許も同じ。
「人間は間違いをおかす生き物」だからです。
もし「死刑制度」を望むのなら理由がある筈です。
「犯罪率が減るから」「犯罪への抑止力となるから」「命を命で償うのは当然だ」「遺族の気持ちを考えれば死刑は当然だ」などなど。
「犯罪率が減るから」「犯罪への抑止力となるから」
に対しては、「死刑制度」が犯罪率の現象にも、抑止力にも作用していない事を、国連が調査して発表しています(1988年に国連の為に行なわれ、2002年に改訂された、死刑と殺人発生率の関係についての最新の調査結果報告書)において
『死刑と殺人発生率の関係についての最新の調査結果報告書の出した結論は「死刑のもたらす脅威やその適用が、より軽いと思われる終身刑のもたらす脅威やその適用よりもわずかでも殺人に対する抑止力が大きいという仮説を受け入れるのは妥当ではない』という結論をだした。
「命を命で償うのは当然だ」
というなら「命で償う覚悟が有るなら、命を奪ってもいい」事になってしまう。
また「死刑署名」に信じられない数の署名が集まっているようです。
が、もし、死刑が執行されて、のちにその人が無実だった事分かった時は、その署名が人を殺した事になります。
署名している人は「自分の署名が無実の人の命を奪った場合、自分の命で償う覚悟」があって署名しているのでしょうか?とてもそうとは思えません。
署名している人の多くは
「私だけじゃない」
と言いそうです。または
「皆が死刑にしろって言ってたから、死刑にしていいと思った」
なんだと思います。
「皆がいじめてたから、こいつはいじめていいと思った」
とレベルは同じだと思います。
「皆で殺せば怖くない」
精神で署名しているように思います。
遺族やそれに繋がる方が署名するのは分かります。家族を奪われた悲しみと怒りは想像を絶するでしょう(ここで簡単に「気持ちが分かる」なんて言いたくない)
ここで「死刑制度」肯定派の人の決まり文句が出てきます。
「遺族の気持ちを考えれば死刑は当然だ」
私は「肯定派」だった時から、この考えは駄目だ、と思っていました。
だから「死刑制度肯定派」の人で喜々としてこの台詞を言う人に
「ちょっとやめてよ〜「肯定派」のレベルが下がるから〜」
と思っていました。
「遺族の気持ち」というは「感情」の事。
裁判において大切なのは「事実、正義、公平」だと思います。
感情は正義ではないのです。
「情け(情状酌量)」は裁判において必要でしょうが、「感情」をいれては駄目なのです。
「遺族の気持ち」が一番だというのなら「正当防衛」や「過失」で人を殺してしまった人にさえ、過剰な刑罰を与えてしまう事になります。
「遺族の気持ち」を考えれば「正当防衛」や「過失」だろうがなんだろうが、家族を奪われた悲しみと怒りは同じでしょう。「仕方なかった」なんて割り切れません。
例えば、友人が万引きするところを、B君が見てしまったとしましょう。
しかし、万引きの容疑は皆に嫌われている不良のA君にかかってしまった。
皆が「あいつはいつも人に迷惑かけているから、あいつがやったに違いない」と証拠もないのにA君を犯人扱い。
A君が「盗みなんてしていない」
と言っても誰も信じません。
B君は犯人が友人だと知っている。しかし、友達を裏切るようで言えない。
B君の行動は感情的に理解出来ます。
けれど、「正義」という意味では間違っています。
無実の人が罰せられるのを黙って見ているのは正義ではありません。
A君が嫌われている不良だからあいつが犯人だ、という決め付けは「公平」ではありません。
「事実」はB君の友人が犯人なのです。
感情で考える、という事は裁判において大切な「事実、正義、公平」を歪めさせてしまいます。
「情け」というのは、B君が無実の罪をきせられているA君の気持ちを汲んでやる、という事です。
本当の事を言っても信じてもらえないのは、どれ程辛い事なのか。
A君の家族もどれほど辛い気持ちなのか
考える、という事です。
それを考えれば「事実」を話して「正義」を貫く勇気が沸いてくるのではないでしょうか?
それは黙っている事よりも、何倍も勇気がいる事です。
黙っている方が楽です。しかし、「正義」ではない。
「正義」を行う事が楽なら、いつでも、どんな時代でも、どんな時でも正義が貫かれてきた筈です。
「正義」を貫く事が容易でないから、この世は理不尽な事が多い。
楽だからこそ簡単に叫ぶのでしょう。
「死刑にしろ!」
と。
そして「死刑制度を肯定する理由」がなくなっても「死刑にしろ!」と叫び続ける人が多いのは何故か?
「死刑が好き」だから?
「死刑にしろ」は「殺せ」と同じ意味です。
「人を殺す」事が好きだから?「人が死ぬ」事が嬉しいから?
フランス革命の時に、ギロチン刑を見せ物として楽しんでいた人達と、さほど変わりはないように思います。
やっぱりグロテスクだと感じます。
※4/1追記:
「遺族の人の気持ちを考えれば死刑は当然だ」
の意見に賛成出来ない理由に
「では、被害者に悲しむ遺族がいなかった場合は、罪が軽くなるのか?」
というものもあります。
家族がいない人の命は、いる人の命より軽いのか?
そんな事がある訳がない、と私は思うのです。

トラックバックが一部、通りにくくなっているようです。申し訳ありません。(後日承認制なので分かりにくくてすみません)

●ttp://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-532.html
死刑FAQ「村野瀬玲奈〜」様のブログ

http://palestine-heiwa.org/choice/list.html
イスラエル支援企業の一覧

http://www.aseed.org/ecocho/
エコ貯金ナビ

http://mscience.jp/index2.htm
フェアトレード情報室

http://no-saiban-in.org/
裁判員制度はいらない!大運動

http://www.news-pj.net/index.html
「NPJ News for the People in Japan」

http://www1.jca.apc.org/vaww-net-japan/
『「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク』

http://stop-du.jp/
ストップ!劣化ウラン弾キャンペーン

http://www.magazine9.jp/
マガジン9

http://www.hanchian.org/
共謀罪を廃案に!

http://www.horae.dti.ne.jp/~snzk/index.html
消費税反対

http://www.geocities.jp/y_20_06/index.html
無期懲役刑に関する誤解の蔓延を防止するためのホームページ

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