生徒に言語の根源的な「事物や概念を存在せしめる」という作用を解説するのはなかなか難しい。いや、難しくはない。丸山圭三郎が平易に解説しているから、それをなぞっていけばいい。しかし、それでは教師の腕を見せることにはならない。教師の腕の見せ所は生徒に対して発問を繰り返して、文章を読解していき、主題に迫ることである。また、生徒に発問して、それを真剣に考えさせて、最後にまるでパズルを解くように疑問を氷解させていくことである。これらはいつもできるとは限らないが、時々できることがある。その時は教師冥利に尽きるというものだ。

 授業前の教材研究では授業の手順を考える。私は比較的細かいところまで考えるタイプの教員であると思う。教材研究をする中で、核になる発問をいくつか考える。この「言語と記号」の第2段の場合、核になった発問は、<①一般の記号と言語記号との本質的な違いは何か②『「存在が名称に先立つ」という結論を軽々に下すわけにはいかない』とあるが、なぜか。③「分節」「差異化」とはどのようなことか、ここでの「分節」「差異化」とはどういうことを言っているか。>というようになる。この間に小さな発問を行っていき、これらの発問に近づいていく。そして、発問を効果的に生徒が認識できるようにしていく。

 と書くと、非常に立派な授業をいつも行っているように見えるかもしれないが、実際には段取りを間違えたり、余分な話で盛り上がったり、〈今日も遠足の時の話題で3HRは盛り上がった〉となかなか人様にお見せできるような授業ではないというのが本当のところである。