「言語と記号」の第3段は話が壮大になる。「言語の果たす役割は分節、差異化による認識・存在を生み出す機能だけではなく、言語が世界を作るのだ」ということである。

 「言語→思考→道具一般→生産活動→世界を作る」このような図式である。確かにそうだ。言語がなければ思考することはできないし、思考なくしては現代の文明は生み出されなかった。丸山の言うことはもっともである。そういう面もあるだろう。しかし、あくまで、「そういう面もある」である。というのは、それだけではないだろうという気持ちもぬぐい去ることはできないからである。

丸山の言うことはおそらく真実である。言語は人類にとって極めて重要な役割を果たしている。それは確かなことだ。言語を操るのはヒトだけであり、言語をもとに作り出した文明は極めて多様に発展している。

しかし、人類のこのような進化は、果たして言語を操るからということだけで説明できるのか。それだけで説明できるほど単純ではない。そんなに単純だったなら今のような世界を作り出すことはできなかっただろうとも思う。

 もちろん、丸山の研究ではそのような単純なものではないだろう。私は丸山の研究のなんたるかを語る資格はない。丸山の著書を全て読んだわけでもないし、学術論文を読んだこともない。だから、こんなことを言う資格がないのは充分承知しているが、やはり、このような単純なことではなく、もっと、他の要素も多々あるのだろうと思う。

 この短い文章だけでは丸山の意図することを理解するのは難しいし、丸山の研究もそれほど単純なものではない。それは確かなことではあるが、さて、この丸山の思想を高校生に授業をする時にはどのようにしたらいいか。

高校生は言語について専門的に勉強するわけではないのだ。(もちろんそういう生徒が出てきて欲しいが。)だから、この文章を読んで理解するしかない。しかし、その背後には膨大な思考が潜んでいる。それを授業で教えることの大変さは筆舌に尽くしがたいものがある。この文章の背後に潜む丸山圭三郎という研究者の膨大な思考を読み取らせる術は今の私にはない。

しかし、そのような難しい仕事は面白い仕事でもある。やりがいがあるともいえる。いや、それほど難しい仕事でもない。少なくとも、人を扱う仕事よりも単純で易しい仕事のような気もするが、果たしてどうなのか。この問いは、教師の仕事の何が難しくて何が易しいか、その根源的なテーマであるのかもしれない。