2025年02月08日

天巻きの工場

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 昔の御幸森のコリアタウンの近くの写真。お気に入りの一枚です。
 女の子の横に高く積み上げられている靴型を採った後の革の山。ねこもかつては、この女の子の一人でした。

 ねこは事情があって子どもの頃はおばあちゃんに預けられて育っていました。おばあちゃんの仕事は、コリアタウンの近くにある工場での靴の中敷きづくりでした。インソールの周りを機械を使って革で巻き、靴の下地をつくる仕事で、天巻きと言われていました。当時の靴づくりの仕事は細かく分業され、それぞれ機械や手作りで作業をしていました。
 分業なので、とにかく単純作業。おばあちゃんは手作業で、ひたすら靴の中敷きを張り合わせていました。

 それでいて長時間労働なので、静かだと落ち着かない。だから、仕事のお供に常にラジオが流れていました。ラジオでもトークだと気が散るので、懐メロ番組ばかりでした。ねこが年齢の割に懐メロをよく知っているのは、この頃に横にいて聞いていたからなんですよね。三波春夫とかぴんからトリオとか、陽気な曲が流れていました。陽気な音楽じゃないと、地味な労働に耐えられないんでしょうね。

 仕事量が多いときは遅くまで働いていて、ねこはおばあちゃんの仕事が終わるまで一人で路地で時間を潰していました。いま思えばなかなか孤独な子ども時代でした。だからいまも一人でいても、そんなに寂しいとか思わないのかもしれません。

 テレビっ子でもありました。その頃は演芸番組が多かったのだけれど、関西のテレビもよしもとの芸人もそんなに出演されていなくて、いろんな会社の芸人さんが出ていました。時代的には漫才ブームが来る直前で、ねこのお気に入りの漫才師は先代のWヤングさんでした。子ども心に、中田軍治さんが男前だなぁと思っていました。シャレ尽くしのネタがほんまにおもしろくて、あまり笑わない子どもだったのですが、Wヤングの漫才を聞いているときだけが楽しみで、テレビの前で出演するの待ちに待っていました。だから、中田さんがお亡くなりになったニュースを聞いたとき、もうこれからはWヤングの漫才がもう聞けなくて、これでお腹から笑うってことがなくなるんだと寂しくなりました。

 その予想は当たり、いまに至るまでそこまで笑うということはあまりないです。むしろいま、よしもとの芸人がテレビに出ているのを見かけるとむかつくくらい。大阪にいて、機嫌の悪い日が続いています。
ラジオからよくかかっていたチャンチキおけさ。♪知らぬ同士が小皿叩いてチャンチキおけさ。

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kokusaiyuko at 12:04コメント(4)街歩き 

コメント一覧

1. Posted by いなちゃん   2025年02月09日 12:24
お久しぶり。
美少女ですネ、まさか・・・・。
演歌の四天王、春日、三橋共に早世、村田は壮絶な闘病人生を送っていたんだネェ。知らんかった。

数年ぶりに涙流して大笑い!
男女差や品格で、笑いの壺は違うでしょうが一見の価値有り?
https://www.youtube.com/watch?v=vECiHAOkRZM
笑いの天才はいるんだネェ。
それに引き換え
https://www.youtube.com/watch?v=_K9W0Zp73bo
錚々たる出演者でこの体たらく、1分間で3回笑うところか、3回立腹したワ。
2. Posted by chikuhou   2025年02月09日 23:54
懐かしさを感じる写真ですね  2本の日本映画を思い出しました
1960年代に日活で製作された「キューポラのある街」、吉永小百合さんで有名な作品ですが、埼玉県川口市の零細工場で厳しい生活を送る労働者の生活と在日の問題をも描いていました  私が80年に入学したとき、生協の書籍部でこの原作を手にして、自分が生まれた頃の高度成長期の一方で、厳しい生活を強いられていた人々の暮らしを知りました  もう一本は震災30年を経て、親や祖母の苦労を顧みる在日三世を主人公に神戸長田を舞台に描いた「港に灯がともる」です  震災のことすら人々の記憶から薄れているのだから、この写真の時代の頃の人々の生活も、忘れ去られてしまう日もいつかくるかもしれません
川口と長田、そして生野もそうでしょうが、前の世代から土地を離れず暮らしてきた人たちが少なくなりつつも、伝えていこうという人たちがいることは救いです  そういえば猪飼野という地名も聞かなくなりましたね
3. Posted by ねこむすめ   2025年02月10日 22:23
いなちゃんさま、お久しぶりです。心身の不調からなかなか脱することができず、また長いお休みになりました。再び、休むかもしれませんが、とりあえず2、3日に一度くらいの割合で更新できればと思っています。
写真は昔の猪飼野のもので、少女はねこではありません。ねこはもっとぽちゃっとしていた子どもでした。いまもぽちゃっとしてますが(汗)。三橋さんも亡くなったときはそう思わなかったのですが、今振り返ると早世ですね。もっと、円熟した年齢での唄を聞きたかったものです。

いなちゃんさまは、ほんまにいろんな動画をご存知ですね。罵倒村って知りませんでした。大日本コソ泥伝は、蒼々たる出演者なので、笑えなくても十分な気がしますね。これはやはり演出がよくないんでしょうね。喜劇役者って、テレビや舞台はともかく、映画になるとつまらなくなるのはどうしてなんでしょうね?
4. Posted by ねこむすめ   2025年02月10日 22:32
chikuhouさま、連投でのコメントありがとうございます。
ねこはこの写真より後で育っているのですが、同世代に比べたらまだ貧しかったですね。ねこは「キューポラのある街」より「にあんちゃん」の方が過酷な生活だと思いました。ねこはいまも厳しい生活を続けていますが、貧困の質が違ってきている気はします。
 長田は、仮設住宅と再開発が失敗して、結局は長田から人が離れてしまった、神戸独特の都市開発の失敗なんでしょうね。生野の場合は、いまはすっかり観光地化されていますし、生野で商売がうまくいって経済的に豊かになると阿倍野や上本町に人々が移ってしまうんですよね。いまにしなりに住んでいて、生野は住みにくいところでした。近くにスーパーや食堂もなく、生活的にも不便でしたし。何よりも理不尽なヒトが多かった気がします。自分さえよければ他人はどうでもいいようなふるまいのヒトとか。にしなりの方がまだ、個性的なヒトは多いけれど人情もあるかなと。ねこも生野では、ネガティブな思い出しかないので、あまり伝えたくはないけれど、まぁそんな過去もあったかなぁと。

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ねこむすめ

にゃんこと昔の日本映画が大好きな道楽者です。
にしなり在住。

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