2019年01月06日

にしなりの靴産業

 ねこは、靴は歩きやすさ第一。外回りしていたときは、パンプスなども履いていましたDSC_1421が、いまは内勤なので常にスニーカーです。
 近世の大坂、現浪速区にある渡辺村は皮革の流通拠点として大いに栄えていました。近代になって、多くの人びとが職を求めて大阪にやってくると、急増した人口のために渡辺村の南に広がる田畑が市街地化していきます。この大阪の近代都市化の過程で、皮革産業は南側にあった西成の地場産業になっていったのです。
 ねこの親戚も、実は何人か北朝鮮に行っています。当時、このあたりで靴職人をしていたのですが、季節工みたいな感じで、常に仕事があったわけではなく、なかなか生活が安定しなかったのです。そのおじさんは、政治的な考えとかはなかったのですが、北朝鮮に行けば日本よりは生活は安定すると考えて、帰還運動が始まってすぐの1960年に帰国しました。
 その後は、親戚とも手紙のやりとりがあったり、窮状を知って金品を送ったりはしていたのですが、最近は音信不通になりました。
 西成の製靴業は昭和30 年代には広く近畿一円に商圏を誇るほどのピーク期を迎えました。在日コリアンが経営している工場も結構あります。しかし、現在は、外国製品の進出や合成皮革の登場で縮小。さらに、機械化や職人の高齢化、後継者不足も影響し、総務省統計局による直近の調査では、西成区内の革製履物製造業が69社、革製履物用材料・同附属品製造業が21社と、約10年前の2分の1ほどに減少しました(出典:「平成26年経済センサス‐基礎調査結果」(総務省統計局))。

 それでも今も西成は、靴や鞄など革製品を作る職人が数多く住む職人の街。企画やデザインで評価され、業績を上げて頑張っている会社もねこの近所に何件かあります。



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コメント一覧

1. Posted by 承服亭すまん   2019年01月06日 17:29
またお古いお話しを少しばかり。1974年、初めて大国町交差点に降り立った。ドドーンと「靴のトミヤマ」が目に入ってきて隣も靴屋さんだったと思う。交差点を南へ進んで行くと皮革屋さんが数軒あったとおもう。なぜ靴屋さんや皮革屋さんが多いのかはのちのち知るようになる。西成と、この時代がワイの知的好奇心を刺激してくれた。この時の空気と匂いと光景はワイだけのものやが、ポロポロと記憶のかけらが剥がれていく淋しさよ。
2. Posted by ねこむすめ   2019年01月06日 19:24
承服亭さま、今年はにしなりモノにも力を入れようと考えています。
デリケートなことなので、年末から肉の話、靴の話と、婉曲的に分かるヒトにしか分からないような書き方をしていたのですが、承服亭さまには意図がちゃんと伝わっていましたね。
ありましたねぇ、「靴のトミヤマ」。ねこも初めて行ったときは、あんまし靴が安いからびっくりしました。それに、あのあたりはほんまに靴屋さんが多かったのですが、いまやすっかり景色が変わってますねぇ。といっても、開発されたとかではないんですけれど。
記憶は少なくなっていても、本当に必要な記憶はきっと、残りますよ。

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ねこむすめ

にゃんこと昔の日本映画が大好きな道楽者です。
にしなり在住。

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