国語専科教室 工藤順一 『遠いまなざし』

子どもの教育には「遠いまなざし」が必要です。 少なくとも父は私をそのようにして育ててくれた。 ときどき、たとえば、夕焼け空が広がっているとき、 もうこの世にはいない父の遠いまなざしを 空いっばいに感じるときがある。 国語専科教室 工藤順一

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小学校高学年でおすすめの本を紹介しておきました。

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雪の女王

芦屋教室の小学生の間(女の子)では、いま、ディズニーの映画「アナと雪の女王」が流行しています。というか、これは全国的な現象でたいていの小学生が映画を見ています。一時期の宮崎アニメのような。

ipad でyou tubeを開き、松たか子さんの歌うlet it goをかけるとたいていの子どもが口ずさます。

では、それはどんなお話なのと聞き返すと、たいていの子どもが応えにつまります。

これを機会にアンデルセンの『雪の女王』を、私も大人になってからはじめて読み返してみました。このお話はずっと私の胸に突き刺さっていました。そして、はじめてさまざまな意味が分るようになりました。

では、それはどんなお話か。この教室で使用している物語の構造を当てはめて要約すると次のようになります。

はじめ(初期設定)
ーーある時、悪魔の作ったものごとを歪めて邪悪に映しだしてしまう鏡が壊れ、世界中に散らばってしまいました。あるところで、少年カイと少女ゲルダが仲良く暮らしていたのですが、悪魔の鏡がカイの心臓と目に刺さってしまい、カイは雪の女王にさらわれてしまいます。

なか(出来事)
ーーゲルダはカイを探しもとめる旅にでます。いろいろな動物や人々に助けられ、ゲルダの流す涙がカイの心臓と目に刺さった鏡のかけらを溶かし、ゲルダは雪の女王の下にいるカイを助け出します。

おわり(反応)
ーーカイとゲルダはふたたび手を携えて元の道をたどり故郷にたどりつきます。いつの間にか二人は大人になっていました。そして、二人は子どもの心のまま、大人になっていたのでした。


すべてのものを歪めて映す悪魔の鏡はいまもありそうです。それに対して
ゲルダの温かい涙や、子どものままの心もいまもありそうなお話です。

ディズニーのアニメはあまり好きではありませんが、アンデルセンはやはりすごい作家だと思い直しました。

松たか子さんの歌もとてもいいですね。

芦屋教室の「夏期体験教室」

「夏期体験教室」

体験教室とは、通常の国語塾のあり方とはまったく異なるこの教室の授業を夏休み期間に体験していただく教室です。(多くの通室生が、塾だと思わずに通っているような教室です。)

それは、読解問題を演習するだけの授業ではなく、具体的に、そして楽しく「読み・書き・考える」工夫や方策がふんだんに盛り込まれた授業です。

入室をお考えの方は、4日間つづく体験授業と考えてください。あるいは、入室なされない方も、自宅で国語をどう学習していけばよいのかがよく分るような構成になっています。

Aコース 7月29 ・ 30 ・ 31・ 8月1日の計4日間 
Bコース 8月26・ 27 ・ 28 ・ 29 日の計4日間

受講料 
プライマリー・クラス  19400円+1000円(教材費)=20400 円(税込)
スタンダード・クラス  24800 円+1000円(教材費)=25800円(税込)

○プライマリー・クラス(1〜3年生対象)
11時〜12時

内容————
読み聞かせによる物語体験
詩の朗読と暗唱
『子ども哲学』による対話の授業
『作文王・プライマリー』学研の履修

○スタンダード・クラス
13時〜14時半
黙読ができる3年生以上対象 

内容————
———3・4年生
「コボちゃん作文」ができるようになることを目標にする
『作文王・スタンダード』学研の履修
自分のお気に入りの本を一冊見つけるのを目標にする。

———5・6年生以上
「ロダン作文」ができるようになることを目標にする。
ただし、コボちゃんが書けない場合にはコボちゃんから。
自分のお気に入りの本を一冊見つけるのを目標にする

———中学生以上
『作文王・トップレベル』学研を使用して
パラグラフ・ライティングの基本と三角ロジックを学ぶ。
自分のお気に入りの本を一冊見つけるのを目標にする。

○○○お申し込み方法—————————————————————————————————————

夏の体験教室へのお申し込みは、メールのみで受け付けております。
追ってお電話を差し上げます。

題名を『夏の体験教室申込』として、本文に以下の内容をご記載下さい。

【宛先:ashiya@mail.kokusen.net】

【ご希望の教室】

芦屋教室

【生徒名(ふりがな)】
                      
【学年】
                       
【保護者名】
                      
【メールアドレス】
           @          
【電話番号1】
                      
【電話番号2(任意、携帯電話など)】
                      
【ご希望のターム】(選択)

Aターム Bターム

【お子様の学習状況】
【自由記入】
【教室をお知りになったきっかけ・ご質問などあれば】

芦屋だより 2

芦屋の生活はのんびりしています。おまけに、新聞もテレビもない生活をしていますから、頭がすっきりと働くようです。芦屋駅の商業施設のラポルテには、ジュンク堂という極めて品ぞろいの豊富な書店もあり、これは東京にいるよりも快適かもしれません。ただ、食事だけは何とも面倒で苦手です。

オスカー・ブルニエの「こども哲学」を使い、プライマリーやスタンダードの生徒に対して、哲学対話をしてみました。

「はだかの王様」の原理、つまり、「このような発言をして、おろかものだと思われたくない」という思考が子どもは働きませんから、子どもは哲学に向いています。また、「こう応えてはいけない」などという先入観を子どもたちは持たないからという理由もあります。じっくりと答えのない問いを考える。たとえば、日常生活の中で、哲学的な問いは、ふっと浮かびあがってくるものです。それを、みんなで共有していくのは悪くありません。

普段、まったく無口のおとなしい男の子が積極的に発言したことに驚きました。

哲学対話は、ゆっくりと考える思考力とコミュニケーション力をつけるのにとても向いています。

まど・みちおの詩

まど・みちお

全国学力調査テストの小学生B問題に、今年の2月に他界したまど・みちおさんの詩が出ていたので、さっそくやってみた。

詩は言葉に音声を回復させると、前回、このブログでも書いたが、まさしくそのことが実現しているまどさんの詩であり、一見すると、よく考えられた良問にみえる。だが、実際にやってみると、ぎゃふん。

たとえば、1番の(1)空欄に適切なものを選択肢で入れる問題である。犬の「鳴き声」はワン、牛の「鳴き声」はモーモであることを、しかも、その「鳴き声」という言葉を応えさせる問題は、小学六年生の学力を測る問題として適切なのだろうか。馬鹿にしているような問題である。2番もしかり、二の問題も字さえ読めるなら、間違えようのない馬鹿問題。どうしてこれが応用なのだろうか。しかし、おそらく、このあたりの得点は低い。

三番の100字の記述式の問題は、「作文王のスタンダード」にもたくさんある比較作文の良問だと思う。ところが、ある新聞社の模範解答例を読み、絶句してしまった。

「二つの詩は、まど・みちおさんの植物や動物を愛する気持ちが伝わってくるという点で共通していると考えました。たんぽぽや動物たちの仲のよい様子を想像することができて、心が温まり、やさしい気持ちになりました。」

まず、この解答例には「ちがう点」が書かれていない。詩1と詩2には明らかに違う点がある。詩1は動物たちからの呼びかけ、詩の2はたんぽぽの側からの呼びかけと反対なのである。


書く条件として
○詩の内容や表現の仕方などについて、共通点やちがう点を取り上げて書くこと。とあり、共通点のみ書いてもよいのだが、通常、比較作文とは、何が同じで何が違うのか両者を書くものではないだろうか。

また、その内容である。何だか胸くそが悪くなってしまうような優等生の模範解答。「動植物を愛する。心が温まりやさしい気持ちになる。」ほんとうにそうなのだろうか。だとすれば何と表面的な詩の捉え方だろうか。これらの二つのまど・みちおの詩の面白さは、そんなところにはない。これでは、まどさんが浮かばれないだろう。

この詩の面白さは、
人間の言葉とは少し違うが、それぞれの動物たちの、そして、一面に咲いているたんぽぽの様子の独自のあり方が反映された呼び方で、お互いに声をかけあっているような自然の様子が描かれているところなのである。

この模範解答を書いたのは、新聞社の人間なのか、制作者なのか分らないが、その人間の学力が、かなり疑わしいと思うのは私だけだろうか。



新刊の紹介 その1

『詩はこうつくるー子ども詩人になろう』合同出版刊

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言葉に音声を取り戻す

小学三年・四年生は、本格的に黙読の世界へと渡る時期ですが、その時期に子どもの読む姿を観察すると、声帯は動かずに、唇のみが動いていたりします。

黙読という今日の習慣は、そのように言葉から音声を奪ってしまい、現代における詩の衰退はそこからはじまりました。

詩は、音声を失った言葉に、本来の音声を取り戻して「表現する」試みでもあります。

この本では、日本語で書かれた詩の最高峰でもある「いろはうた」からはじめて、音声的な表現の回復をめざします。ぜひ、生徒とともに声に出して元気に歌ってほしいものを紹介し同時に作詩を試みます。

その後、文字のビジュアルなあり方に着目し、比喩表現の本質的な解明をしていきます。

この本では、詩を詩たらしめている本質を解き明かすことで、詩を作ることに誘っています。

芦屋だより 1

毎日、芦屋教室にて、プライマリーから授業をしています。先日はいしい・ももこ翻訳版の『ビロードうさぎ』の物語体験をしたのですが、日頃の鍛錬が足りないために、私は息があがってしまいました。

このお話は、シンとした懐かしい雰囲気を持っています。そして、本物のうさぎとビロードうさぎの接触の場面はとても微妙です。最後の「ぼうや」との再会の場面はいつ読んでも不思議な感動をもたらします。

しんどい時には、谷川俊太郎の『ことばあそびうた』です。この詩を私は暗記してしまっているので、子どもたちと合唱して楽しみます。そして、それをノートに書かせて、読ませてみます。

今日は、アンデルセンの『はだかの王様』岩波書店を読み、とても新鮮な思いをもちました。覚えているはず、知っているはずの物語が、実は、そうでもない。このお話を読んでいて、私は吉本隆明の『共同幻想論』を思い出してしまいました。

いまもなお、私たちは、自分が「馬鹿だと思われたくない」「やくわりにふさわしくないと思われたくない」ために、ほんとうのことから遠ざけられてこの王様のような空気感に支配されているのではないでしょうか。たとえば学問です。あるいは勉強です。すればするほど、ほんとうのことから遠ざかっていくような勉強で、ほとんどの学生は、何もできなくなってしまったはだかの学生ですね。

作文は、『春が来た』というタイトルで春の「しるし」を上げさせました。すると、次のようなものができました。

春がきた

桜が咲いている。
はちがぶんぶん飛んできた
あたたかくなって半袖をきている
光がまぶしくなった
春がきて、僕は二年生になる


進級おめでとう。

作文から文章へー合同出版社刊

文章にはさまざまな種類があります。この合同出版社からのシリーズでは、小中高生を対象に、それらの文章のひとつずつに焦点をあて、特徴を説明し、同じように「書く」ことに誘います。とりあげている文章の種類は、「俳句・短歌・詩・説明文・物語・意見文・読書感想文」の7種類です。今回は、はじめの四册が先行して出版されました。

国語教育では文章を書く学習を一般的に「作文」と呼びます。ところが、この言葉は実社会でときに蔑称として使われています。辞書には、次のような意味すら載っています。「体裁を整えただけで、本来記述されていなければならない事柄が書かれていない文章」(新明解国語辞典・第六版)あるいは、どこか、心ここにあらずの文章という響きが「作文」という言葉にはあります。また、作文練習というと、子どもたちには、嫌いな教科の筆頭にあげられるのが実情です。この状態はあまりよいものとは思えません。それを何とか変えたいと私たちは、長い間、試行錯誤してきました。

このシリーズ本で私たちが、提案するのは、ごく初期の一文を書いたり、二文にしたりする練習の段階を除き、国語教育から「作文」という言葉を追放してしまおう、そして、それぞれの文章の種類に応じた文章作品の作者すなわち「作家になろう」というものです。そして、従来の作文教育を一歩前進させたいと考えます。「作文」というジャンルの文章など、実はどこにも存在していません。

それでは、「作文」と「文章」とはどこが異なっているでしょうか。後者にあって前者にはないものがあります。それは、「自己・自分」という主体の契機です。

きれいに体裁の整った「作文」を書くために「自分」など必要はありません。そのような「作文」は、自分がそう思わなくても書けます。しかし、「文章」は、あくまでも、「この自分が」どう思うか・考えるかを書くものです。それは「自分」なしにはありえないことです。たとえ、どんなにへたなものであれ、自分の入った「文章」の方が、体裁だけが整ったうまい「作文」よりは格段にましなものです。ぜひ、このシリーズ7種類の文章作品の作者になってください。それが最高の文章修行というものです。

以上は、同シリーズのまえがきより。
















芦屋教室の責任者の交代

いままで、芦屋教室の責任者であった柴田が急病のために突然、出勤できなくなり、芦屋教室のみなさまには、一時的に大変ご迷惑をおかけいたしました。

急遽、主宰である工藤順一が、柴田の代わりに責任者をつとめております。なお、工藤は、芦屋に住まいを用意しました。当分の間、芦屋教室で、授業とともに責任者をつとめさせていただきます。みなさま、どうぞよろしくお願い申し上げます。

東京都知事選


今回の東京知事選はとても面白かった。通常では見えない、いろいろなものが見えてきました。

この教室が昨年来、ある種の問題意識を持ってやっている「歴史講座」の内容からも推し量ることができると思いますが、私は、雪の積もった道を踏みしめて「田母神俊雄」に投票してきました。残念ながら、当選はしませんでしたが、投票の理由はきわめて簡単で、3つあります。

1、 首都圏直下地震への不安から。

2、グローバルな世界の中で、まず、私たちは「日本人」でなければなりません。「グローバル人」なんてどこにも存在していません。英語を学ぶまえに、日本語をしっかりとさせなければならないことと同じです。

3、日本の近現代史は、もう一度、たどり直されなければなりません。

○旧来の左翼的な言説からいうと、「保守」しかも、「極右」というように分類される候補ですが、従来的な「左翼・右翼」というイデオロギーはもはや死語です。組織票だけで当選できるなんてほとんどファシズムに近いし、現在、この国の民主主義もそれゆえに死んでしまっています。戦後レジームのリセットどころか、私はこの国は、明治維新からリセットしなければならないと考えています。

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