国語専科教室 工藤順一 『遠いまなざし』

子どもの教育には「遠いまなざし」が必要です。 少なくとも父は私をそのようにして育ててくれた。 ときどき、たとえば、夕焼け空が広がっているとき、 もうこの世にはいない父の遠いまなざしを 空いっばいに感じるときがある。 国語専科教室 工藤順一

2012年12月

2012年をふりかえって

ほとんど国難とも言える震災復興の遅れ、デフレ、そして政治の迷走を吹き飛ばすようにして、師走の衆議院選挙が行われました。この国の未来が少しでもよい方向に動きだすことを祈るばかりです。

振り返えると、いろいろありました。今年は、昨年、開いた芦屋教室が10月で一年を迎え、軌道に乗りました。関西には、希望があります。なぜなら、私どものような教室は関西には、他に一つもないことを確信したからです。来年は、私も「読書サロン」に参加したいと思っています。

東京では、「哲学教室」と「古典講座」が、中高生以上を対象にして教養講座として開かれました。これは、今後、中高生以上(ハイレベル以上)の通常授業に組み込まれて行きます。つまり、来年度からは中高生以上のプログラムを大幅に教養の方向へ転換する予定でいます。

現在、来春、合同出版社から七冊同時刊行予定の、詩・短歌・俳句を含んだ「様々な文章の書き方」(タイトル未定)の準備をしております。塾の教務内容は、ますます充実していきます。

今年は、ツベタナ・クリステワ教授をお迎えして、講演を開くことが出来ました。来年は、三月末に
人気作家の岡田淳さんをお迎えして生徒と読書交流をする企画が進行中です。

この教室への深いご信頼を感謝いたしております。

みなさま、どうかよいお年をお迎えください。





来年は、みなさんにとってよい年になることを願っています。

誤読の楽しさ

「ほととぎすそのかみやまの旅枕ほのかたらいひし時ぞわすれぬ」
                  
有名な式子内親王のこの短歌が、大好きだったのですが、ずっと長い間、誤読をしていたことに、最近、気づいて唖然としました。

「そのかみ」を「その昔」と私は解釈していたのでしたが、実は「その神山」だったのです。そして、「語らった」のは「ほととぎす」と、だったのです。

私は、次のように解釈していました。もちろん、式子内親王は神に仕える人であったので恋愛など本当はできない立場の女性であったのは知っていました。

「ほととぎすが鳴いている。そういえば、昔、旅の途中の山の中でも、ほととぎすが鳴いていました、そのとき、ひそかにあなたと語らいあったときのことを決して忘れません。」

まことに暗愚で勝手な解釈でしたが、いまも、私は、この解釈を楽しんでいます。「ほのかたらひし」というところの情景が、どうしてもそのように浮かんでしまうのです。

こちらの方が楽しいと思いませんか。

12月16日教養講座

順番としては、第二部で行われた哲学教室からはじめた方がよかったと思いました。というのは、哲学教室では、第11章で、ネスのディープ・エコロジーが紹介され、それまでの西洋哲学の自己否定とも思われる、環境に対する哲学が語られていたからです。ディープ・エコロジーから古代日本人のアニミズムまでは、ほんの少しです。

今回の古典講座は「うた」=和歌がテーマでした。

中学生たちに「いま好きなうたはあるか」と尋ねてみました。もちろん、素直な応えはでてきません。そこで、私が二十代に好きだった二種類の全く異なった種類の「うた」の実物を紹介しました。これが、いつも私の語るインターフェイスということです。

はじめに、ブライアン・フェリーのlet's stick together というものです。
http://www.youtube.com/watch?v=Z9EbR0ckb40

このうたと同時代の昭和の歌謡曲、黛じゅんの「うた」をPCで聞かせてみました。そして、そのため息のでるような違いを実際に味わってもらいました。

もちろん、圧倒的にはじめの外国の歌がかっこいい。

ここからが授業のスタートです。
確実にいまでも、日本の中学生がしっかりと知って歌っている「うた=短歌」がひとつあります。サッカーの試合の前などで必ずでるあれです。

それは「君が代」です。古今集にある「詠み人しらず」の元歌を紹介しました。予想したように、中2の生徒は「さざれ石」の意味をしりませんでした。おそらく何十回も歌っているだろうに。

◎「我が君は、千代にましませ、さざれ石の巌となりて」

日本人として知っておかなければならない「うた」がいくつか、私はあると思います。その一つがこれです。この時代に、いわゆる芸術家などは、存在しているわけもなく基本は、詠み人しらず=無名の民衆の歌です。当時の「君」は古代では天皇であっかもしれませんが、国民の象徴になった現代であるなら、私とともに生きる具体的な君でもいいでしょうね。

いまひとつは、スサノオの尊が詠んだとされ、古事記にも、古今集の仮名序にも「三十文字あまり一文字」と紹介され、短歌のはじめとされている

◎「八雲たつ出雲八重垣妻ごめに八重垣作るその八重垣を」
もちろん、これもスサノオなど実在したかどうかもわからないわけですから、
基本的に農民の詠み人知らずの歌です。それはおそらく、「文学」ですらありませんでした。結婚をし、大事な妻とともに暮らす幾重にも垣をめぐらす新居を作ったのです。

最後に、雄略天皇の求愛の歌「こもよ みこもち・・」でした。これに、リービ英雄さんのふきだしそうになってしまう英訳をつけてみました。
『英語でよむ万葉集』リービ英雄 岩波新書

Girl with your basket,
with your pretty basket,
with your shovel,
with your pretty shovel,

なんて、まるで赤ずきんちゃんのようですね。思わず「ふざけるんじゃない」と叫びたくなるし、「英語なんて習うんじゃなかった、忘れてしまいたい」と衝動的に思える瞬間です。

「こもよ,みこもち,ふくしもよ,みぶくしもち,このをかに,なつますこ,いへ
きかな,のらさね,そらみつ,やまとのくには,おしなべて,われこそをれ,しきなべて,われこそませ,われこそば,のらめ,いへをもなをも」

「籠もよ み籠持ち 堀串もよ み堀串持ち この岡に 菜摘ます子家聞かな 告らさね そらみつ大和の国は おしなべて 我れこそ居れしきなべて 我れこそ座せ 我れこそば 告らめ 家をも名をも」

最低限の意味はとれても、このあまりの違いは、先のブライアン・フェリーの歌と黛じゅんの歌謡曲の違いと重なります。そして、もちろん、前者にあっては歌謡曲の方が劣勢です。圧倒的にブライアン・フェリーがかっこいい。そして、平成の時代になると歌謡曲自体が表舞台からは消えていきます。

ところが、この万葉集とその英訳になると、その優劣が見事に逆転するのです。リービ英雄さんには申し訳ないけれども「ふざけんじゃない」と言いたくなってしまうのです。(もちろん彼は翻訳者として最善を尽くしています。これは彼のせいではありません。)

「こもよ みこもち、ふくしもよ、みふくしもち・・・」と続くこのおおどかでアルカイックな音とリズム=テンポと、それによって浮かび上がるおぼろげな男女のイメージは何と魅惑的なことでしょうか。そして、その魅惑が英語には全く翻訳されていないことが分かってしまうのです。もちろんその時代に私は生きていません。でも、そのような理解ができる。これが母語というものの持つえもいわれぬ不思議さです。

かつて柳田国男は、和歌を民族の「共有財産だ」と言いました。
あるいは、日本人の集合的無意識という人もいました。

日本文化は、無形の世界遺産に登録できるものと私は考えています。そして、いまなお、それを求めて多くの外国人が訪日しています。

三つ目は、柿本人麻呂の「石見相聞歌」でしょう。

◎「ささのははみ山もさやにさやげども、我は妹思う別れきぬれば」
その前の長歌の最後の行に書かれる「靡けこの山」と、短歌との対比として教えました。
・・石見の国に残した妻との別離の悲しみの場面です。山道を歩みながら、残してきた妻の家が「いや遠に」「いや高に」遠ざかっていきます。自分と妻の間にたちはだかる山に対して、「靡け」と、山に対してまるで崩れてしまえと言っているかのように別離の悲しみを絶叫しているのです。うっそうと茂る背の低い笹が全山を覆い尽くし、それが風でざわざわと音を立てています。まるで山全体が悲しみで泣いているようです。


最後に、古事記にある大和タケルの遠征時に、オトタチバナ姫が荒れ狂う海に身投げをして嵐を沈めようとしたときの歌、

◎「さねさし相模の小野に燃ゆる火の火中にたちて問わし君わも」

を紹介し、時間となりました。天才数学者と言われた岡潔の大好きであったうたです。

この歌も、もちろん詠み人しらずの歌です。おそらくは適当に古事記にあてはめたのでしょう。おそらく、この時代の男女はみなそうやって生きたのです。

ここでのオトタチバナ姫のように「あなたのためならいつ死んでもよい」と思う女、そして男もまた、戦争などが起こると、国家などのためにではなく、愛する家族を守るために命を賭けて出征しました。それが古来、日本人の男女の関係であったと私は思っています。

戦後、三十年も立って、フィリピンのルバング島から小野田寛夫さんが52歳で帰りました。その姿をテレビで見た、ひとりの女性がいて、「この人のためならいつでも死ねる」と思ったそうです。その方は、小野田さんと結婚し、共にブラジルに行きました。

記紀万葉にあるほとんどの「うた」は近代的な芸術作品とはおよそかけはなれた、民衆のひりひりとした実生活とともにあり歌われた「うた」でした。いまでいうなら、演歌とか民謡とか歌謡曲に近いものだったと私は考えています。何かこう気の利いた「文学ですらない」ところがよいのです。




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