2020年12月12日

すべてのワンダラー達、発信せよ

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あなたの体験、苦しみを、あなた自身がブログやあなたに合った表現で発信することをこのブログはお願いしています。

同じできごとでも、その解釈、説明のしかたは、ひとりひとり違っています。
何が正しいとか間違っているということはありません。でも、自分の今の心に一番ぴったりくる解釈・説明というものはあります。

だから、あなた自身の解釈・表現が苦しんでいる誰かの手助けになります。

ひとりひとりの問題は異なります。答えは、ひとりひとり異なります。答えにたどりつく道は無数にあります。
でも、あなたの問題に似ている人は必ずいます。あなたの考えで勇気づけられるひとは必ずいます。

あなたの存在そのもの、あなたのメッセージが、誰かの問題を解く鍵になります。
そして、この世の中に存在するメッセージが多ければ多いほど、あなたやわたしの問題を解く鍵の数は増えていきます。

すべてのさまよい人たち、発信しましょう。鍵を次の人に渡すために。

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2012年12月04日

深度合成機能

多くの世界観を持つ
多くの世界観を移動する

多くの世界観を持つ
ことの最後の目的は
世界観から抜け出て
世界観を消滅させることでしたね

けれども
多くの世界観を持つ
多くの世界観を移動する
ことは
こんな役にもたちますよ



     研究室でデジタルマイクロスコープの説明を聞きました。

     顕微鏡でも虫眼鏡(拡大鏡)でもそうなのですが
     奥行きのある物にピントを合わせようとすると
     ある一部分しか、はっきり見えず
     他はぼやけてしまいます

     デジタルマイクロスコープは
     深度合成機能というものがついていて
     ピントの合う距離を変えながら撮影した画像を
     何枚も合成して
     奥行き全部がはっきりとわかる写真を作ります。



ある世界観で、
何かを見るとき
何かを考えて判断するとき

その世界観にあった部分だけしか
はっきりとは見えません
はっきりとは理解できません

世界観から外れている部分は
その価値観から外れている部分は
今興味のないところは
ぼやけています


多くの世界観を
移動しながら
何かを観察するということは

デジタルマイクロスコープの
深度合成機能のように
多くの異なる部分にピントを合わせ
それらをひとつにすることで
全体をはっきりと
見える形にする方法です

限られた一部分だけを
見ていたレベルから
全体が見えるレベルへ
移行するとき

  快感です!


そして
自分が世界の優しさに
つつまれていることに
気づくかも知れませんね

 静かに
   深く 
    力強く
     いだかれている









*本ブログの文章は引用文以外の著作権を完全放棄しています。ご自身のアイデア、文章として、そのままでも加工しても、ご自由にお使いください。気づきを起こす人が増えれば、数はやがては質へと変化することでしょう。できれば、変化した世の中を今世で見たいものですね。 *

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2012年11月30日

あれから、ずっとあの娘を抱いてきた

幕末から明治にかけて、原 担山(はら たんざん)という禅僧がおりました。

担山が友人の僧と修行の旅をしていたときのこと

橋も船もない大きな河にさしかかりました。
二人は衣を脱いで裸で河を渡ろうとします。

ところが
ふと見ると
若い娘が河を渡れないで
困って立ちすくんでいます。

修行僧は、女性に触れるのは
戒律に反するので
厳しく禁じられています。

友人の僧は、目もくれず
どんどん河を渡っていきます。

ところが、なんと
担山は、その若い娘を背負って
河を渡ります。

2人の僧は
旅を続けます。

しばらくして
友人の僧が
怒って
「君は出家の身でありながら、女と接したことを恥ずかしいと思わないのか」
と激しくなじります。

すると担山は


「君は、あれからずっと娘を抱いてきたのか
 私は河を渡ったとき、すっかり降ろしてきた」

と答えたといいます。



この話には
「試されるできごと」
が起きたとき
どういう態度をとれば良いのか
というヒントがうまくまとめられています


狭い世界観、損得原理から見ると
女性と関わりを持つことは
破門になってもおかしくないこと
これまでの人生の努力を棒に振る行為です

これまでのすべて
これからのすべて
を失うかもしれません

狭い世界観の中では
友人の僧の行動は
最も正しいことです
彼の属するグループの中で賞賛されるでしょう


大きな世界観から見ると
すべてのことに差はありません
女性、男性
関係ありません

今、困っている人を助ける
という一点のみが
僧として重要です





今、最も大事な一点のみを
後先を考えず
そこに自分というものをなくして
今この瞬間に行う
ことが
本質です

そして
行為の後には
そのことは、もう手放して
思い返しもしない



すべてに対して
自由であり

もっとも素直に
大きな世界観に従う

運命の流れに従う

運命が要求してくることに
たんたんと答える




そこに
「わたし」
があれば

「わたし」は
「わたしの世界」に
囚われてしまいます


そこに
「わたし」
がなければ

「わたし」は
最も自由に行動できるのですね






*本ブログの文章は引用文以外の著作権を完全放棄しています。ご自身のアイデア、文章として、そのままでも加工しても、ご自由にお使いください。気づきを起こす人が増えれば、数はやがては質へと変化することでしょう。できれば、変化した世の中を今世で見たいものですね。 *

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2012年11月27日

試される

感情に引きずられることが
少なくなり

できごとを

素直に
あるがままに

見ることが
できるようになってきて

世界が輝いて
見えるように
なったとき



世界に対する
自分の態度を

試されるような
できごとが
起こるかも知れません



どうしても
自分を守りたくなるような
うそをつきたくなるような
弁解したくなるような
同情をひきたくなるような
誰かにわかってもらいたくなるような

怖い
逃げ出したい

深刻な
頭が真っ白になる
考えられない
パニックになるような
できごと


どういう態度で
このできごとに
向き合うのか

今までと同じように
自分、自我、マインドを
守るのか



そこに
自分というものが
「ない」
と信じられるのか

失っても、よい
失うものは
「ない」
と信じられるのか



自分とできごとの
関係性ではなく

選択しようとしている
世界観全体の中で

何がもっとも
真実なのか
バランスがとれているのか

大義にそった
運命の流れにそった
  選択
  行動
がとれるのか

経済的、社会的、道徳的価値観ではなく
「愛」に基づく価値観
で行動できるのか

あたかも
試されるような
できごとが
起こるかも知れません






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2012年11月21日

旧世界の記憶

夢のはなしをしましょう


世界観を移動するようになると
ささいな記憶が
つながらないことに
気がつくことが
多くなるかも知れません


自分では、確かに…..の記憶があるのに
みんなは、そんなことは知らない

確かに…..を…..にしまったのに
そこに見当たらない

確かに約束したはずなのに
そんな事実がないと言われる

日記にしるしたはずの
記憶が鮮明な
できごとが
記録されていない

誰かの人格が変化した

そんな不連続に気づいたとしても

そのことは
追求せずに
気にしないことです

そんなものです



新しい世界での
事実に自分を合わせましょう

そうしたところで
問題はありません

人間の記憶は
もともと、あいまいですから

旧世界の記憶と
新世界の事実の
食い違いに
寛容になりましょう

旧世界の記憶は
旧世界へ残して

先へ

素晴らしい
新世界へ進みましょう


新世界では

記憶に

依存せずに
引きずられずに



毎日

すべてのできごとに
初めて出会うように

すべての人に
初めて出会うように

   接すると

素直な気持ちで
世界を体験できます



眠りにつくときに

すべてのことに
今日でお別れするかのように

別れは、寂しく、せつないけれど

なつかしく
いとおしく
思うと

素直な気持ちで
世界を体験できます




目覚めれば
そこは新世界

見慣れているはずの
風景も
すべてが新しく
本当に知っているものが
何もない

そして
なじんでも
すぐに
別れなくてはならない
運命



世界観を移動し始めると
記憶は
あてにはなりません

(その記憶は、どの世界観の記憶でしょう)

昨日と今日は
不連続

本当の意味での
持続は
もうどこにも存在しません

あるのは
「今」
だけ

それは
頭で理解していたはずだけれど

「今」だけ

の意味が
ひしひしと
静かに
体に染みこんでくる


頭で理解していた
「今」は
必ず帰るところがありました

「今」に浸っていても
過去から未来へ連続する場所へ
帰ることができる
偽りの安心感がありました


頭ではなく
体で感じている
「今」



次の瞬間
この見慣れた風景
親しい人たちは
どこへ行ってしまうのか


引越で
多くのものと
別れたときのように
みんな夢のように、幻のように
事実とは違う
不確かな記憶になってしまう



あるのは
「今」
だけ

それは
頭で理解していたはずだけれど

実際に感じれば
いとおしく、せつない


「今を生きる」
ことを体験するのは
こんなにもせつない

悲しいことなどないのに
ふいに
涙がこぼれる

見慣れた風景が
音が
限りなくいとおしい




だからこそ
「今」は
貴重で、なにものにも変えられない
輝く
時なのですね






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2012年11月17日

どんな世界にいるの?(六道)

世界観のおはなしです


仏教では
人がおちいりやすい
世界観を
6つに分けて示しています


同じ事が繰り返され
自分の意志では何もできなくて
あきらめて従うしかなく
自由のない世界 (地獄道)

何をしても
満たされない世界 (餓鬼道)

食べたい、セックスしたい、眠りたいという
生物の本能に振り回される世界 (畜生道)

支配したい
コントロールしたい
自分が主人公になりたい
という強い衝動が抑えられない世界 (修羅道)

情報をゆがんで解釈してしまうために
本当のことが分からず
不信感と
苦しみが絶えない世界 (人間道)

満たされることで、苦しみが増す世界 (天道)



わたしたちは
そのときどき
これらの世界観に影響されて
この世を眺めています

一つの世界観に
とらわれていることもありますし

いくつかの世界観を
巡ることもあります

でも、これらの世界観は
どれも
自分が創り出した
幻です

これらの幻の世界観から
解放されて
あるものをあるがままに
素直な観察ができるといいですね

   「無」とコンタクトすることと
      素直に観察することとは
         深い関係がありますよ



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2012年11月16日

どんな世界にいるの?

世界観のおはなしです

複数の世界観を体験するため
こんな遊びをしてみます


話しをしていて
 いらいらする人、うんざりする人、苦手な人などが

 どのような世界観に基づいて
 そういう発言や反応、
 行動をしているのか
 想像してみます

 彼や彼女の言葉や反応は
 彼や彼女の世界観では
 全く正常で当然です    

彼や彼女の攻撃は
何を守るためでしょう
何を怖がっているのでしょう


いらつく
大嫌いな
自分とは異なる考えや
異なる反応の人が現れたら

新しい世界観を体験する
チャンスです

もちろん
素敵な人と出会ったら

同じように
彼や彼女が
どんな世界を観ているのか

想像して
話しをして
感じて
まねをしてみると
楽しいですね


世界観そのものは
道徳、常識、価値観
正邪、善悪、美醜等を
超越した

ただ、そうある
というものです

ですから

自分の価値観で判断することなく
ただ、そうある
ものとして見ます

もちろん
嫌悪するような世界観に
自分がいる必要は全くありませんし
そのような世界観に
取り込まれないようにします



わたしの
 世界観の数が増してゆくと

  最後には
   世界観は
        <消滅!!>
     します

  無数の宇宙が集まると
 無になるのと
似ていて
  おもしろいですね





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2012年11月15日

本当の味ってなんだろう?(観察に影響するもの)

観察についての
たとえばなしです



ここに食べ頃の
彩りも鮮やかでみずみずしい
フルーツがあります

どのように
このフルーツを食べましょう?


唐辛子をかけて(東南アジアでは実際にあるそうですね)
マヨネーズをかけて(フルーツサラダのように)
砂糖漬けで(お菓子ですね)
煮て(ジャム)
すりつぶして(ムースとかジュースとか)

感情は
調味料や調理法のようなものです

そして
感情の起伏、振れ幅は
調味料の量です

わたしは激辛が好きだ!
と言って、唐辛子を山盛りかけてしまっては
フルーツを食べているのか唐辛子を食べているのか分かりません

あまりに刺激が激しければ
フルーツの味は、消えてしまって
ほとんど分からないでしょう
(フルーツの情報は、ほとんど消えてしまいます)


でも
調味料との
バランスが取れていれば

フルーツそのものの味と違っていたとしても
素材の味と調和して
おいしく食べられますね
(フルーツの情報は、変化していますが残っています。
場合によっては、もっとより良い情報に加工されます。)

過激な感情は
感覚からの信号を
分からなくしてしまいますが

適切な感情は
感覚からの信号を
いっそうきわだたせる働きをします

観察して得られた情報には
そのものだけではなく
異なったものも含まれますが
それはそれで
いろいろなことを
気づくきっかけになります



フルーツ本来の味も楽しんでみたくなったら
調味料なしで食べてみたいですね

感情を減らして(なくして)
感覚からの信号をそのまま楽しむのは

フルーツを生で味わうのと
似ています

味をつけないでも
とっても、おいしいですね



フルーツを味わい楽しむには
環境も大事です


下水の臭いの強い
薄暗く、ごみが山積みになった
ほこりっぽい、
湿度が高く、蒸し暑い部屋で
新聞紙に盛られた
フルーツを
食べるのと

レストランで
きれいな風景が見えて
静かに音楽が流れ
美しい食器に
彩りよく盛られた
フルーツを
食べるのでは

フルーツが
全く同じであったとしても
異なる味がするでしょう


フルーツを食べるときの
環境は
観察するときに
わたしがいる世界観です

どの世界観で
観察するかによって
得られる情報は異なります

より正確な
元気になる情報を得るには
自分のいる世界観が
なんなのかということを
知ると良いですね

限られた世界にだけ
閉じ込められていると

世の中は
ドブの臭いがして
薄暗いのが
当然だ
何を食べても
おいしくないや
どれを食べても同じだから
もう食べない

という感じがしてきますね




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2012年11月14日

「死」を身近に感じるとき

ベルさん

「死」を身近に感じるとき
そのことに怖さがなければ
問題ありませんよ


次の瞬間に
死んでいるかもしれない
という可能性があることは
全く正しいことです

このことは
みんな、頭では理解していても
体感している、実感している人は
健康な人であれば
なおさら
少ないでしょう

事故にあった人は
誰も自分の命が
この瞬間で終わるとは
思っていなかったでしょう

日常は
永遠に続くように
思えますが
とても
もろくてはかないのです


次の瞬間
「死」と出会うかも知れない

次の瞬間
見慣れた日常の風景は
消えてしまうかも知れない

そういう可能性があることは
避けることのできない事実です


けれども
私たちは
このことを
見ないようにしています
触れないようにしています
感じないようにしています
タブーにしています

フィルターをかけて
見えないように布で覆い隠して
あたかも存在しないかのように
自分をだましています


「死」を身近に感じるのは

いままで
存在しないかのように隠していた
一番大事で基本の存在が
素直に見えるようになってきた
というだけのことです

もともと存在していたものが
そのまま
感じられるようになった
ということで
何ら問題ありませんし
死ぬ可能性が
高くなったわけでも
低くなったわけでもありません

事実を事実として
感情を交えずに
たんたんと受け入れることができる

頭だけで理解していた知識が
体でいつも感じられるようになるのは
とても良いことです

中世のヨーロッパでは
どくろを描いた絵画を見ることで
「死」を忘れないように努力しました

アップルコンピューターの
故ジョブズ氏は
毎朝鏡の中の自分に向かい
「もし今日が自分の人生最後の日だったら、今日やろうとしていることをやりたいと思うだろうか」
と問いかけたと聞きます

「死」を身近に感じるために
多くの人はたいへんな努力をしています
これは
くもりなく
「死」に向かい合うことが
大変に難しいからです

「近いうちに死ぬかもしれない」という
実感は貴重なものです
なくさないように
自分の宝物としてください


そしていつも
行動の判断基準
自分が見ている世界観
の基準を
「近いうちに死ぬかもしれない」
という実感から
判断してください
   ドライで抽象的な知識としてではなく
   もっと、なまなましいリアルな体験として
     「死」の反対の「生」を
      きわだたせるものとして


「近いうちに死ぬかもしれない」
という実感は
いつかはやろうと思っていた
とても大事なことを
今やる勇気、きっかけを

そして
こだわり、わだかまり、執着から離れる
手放す勇気を
与えてくれます

「死」の前では
あなたがこだわっている
すべての障害が無意味です
なくすものは、何もないのですから

    大好きな人に、大好きと
    見返りを求めずに
    結果を気にせずに
    何のこだわりもなく
    無邪気に
    素直に言えるのは
    なんて素敵なことでしょう

       これより他に大事な事って何かある?
       これより他にすべきことって何かある?



**


ところで

「近いうちに死ぬかもしれない」
ということを
実感しても
すべての人が
愛にあふれ
ゆるしを行う
わけではありません

これは
その人のいる
世界観に左右されます

「近いうちに死ぬかもしれない」
ということを
実感して
他の人をひどい目にあわせてやろう
苦しめてやろう
と思う人もいるわけです


「近いうちに死ぬかもしれない」
という実感は
行動を起こすトリガー
きっかけにはなりますが
何を行うかは
その人の世界観によります


ただ、その世界観から
離れるきっかけを求めていた人は
「近いうちに死ぬかもしれない」
ということを
実感することで
今いる世界観を手放し
別の世界を見ることになるでしょう



P.S.
ベルさん
今のうちに体をきたえておきましょう
受け取る情報量が増すと
体への負荷も大きくなりますよ

負荷が大きくなりすぎると
魂の闇夜に突入しますが
これはきついです






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2012年11月13日

「虚無」と「無」について

ベルさん
もう少し「無」について
おはなししましょう


「無」と混同されがちなものに
「虚無」があります



瞑想の時に
「無」になりましょう
といわれて、そのような感覚を得た後は
気分爽快になりますね


「虚無」感におちいったときの感覚は
絶望
閉塞感
孤独
わたしには何もない

といった感じ


「無」は何もない状態と説明されます
「虚無」も何もない感じです

同じような言葉ですが
感じ方は全く違いますね


「無」に近づけば
直感がさえわたり
どんどんアイデアが湧いてきます
進む道が指し示されます
あなたをサポートしてくれる人たちが待っています
自分が成長していく未来が感じられます

「虚無」に近づけば
何も考えることができなくなります
動きたくないです
誰にも会いたくないです
このまま消えてしまいたいです


「無」は

わたしの
この宇宙の
影響を全く受けることのない
時間を超越した
存在を超越したもので

「無」を求める人すべてに対して
平等に開かれた何かです

確かに存在していると感じられるのに
存在を確認することはできません



「虚無」は

「無」というものに対して
わたしたちが抱いているイメージをもとに
わたしたちが創り出した
幻の牢獄です

わたし以外をすべて拒否する
遮蔽体(シールドルーム)です

過去と未来からの幻の攻撃から
わたしを守るために
今を否定するよろいです

「虚無」は伝染し
回りの人へも
取り付き、活力を奪い、食い殺します

疑いもなく存在するのに
実体は、わたしが創り出した幻です



困ったことに
「虚無」は
自分こそが
「無」だと
いつも主張するのです
自分だけを信じろと強制するのです
そして、「無」へ近づくことを禁止します

反対に
「無」は
いっさい
主張することがありません
気がつけば隣にたたずんでいます



「虚無」も
全宇宙の情報を持つ「無」の
ごくごく一部ではあるので
「虚無」の主張も
全くの間違いではありませんが
    それゆえ、わたしたちは
    「虚無」を「無」だと
     思い込んでいるのですが

「虚無」とつきあっても
わたしたちの自由を極端に制限しますから

「無」そのものへ
近づくことを難しくしますよ

だからよけいに
「虚無」から離れられないのですが




嫉妬深い相手と
縁を切るのは
難しいですね





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2012年11月12日

「無」について

かつて
ものごとが今より良く見えていなかったころ
わたしは、「無」との出会いを恐怖しました

**

ベルさん

「無」について
夢物語を語りましょう


わたしたちの
この宇宙に存在するすべてのもの
物質も、時間も、空間も
霊的なものも

「無」から生まれた

といいます

  「無」からビッグバンで宇宙が誕生したと
   聞いたことないですか?

いえ

この宇宙だけでなく
他の多くの宇宙も
「無」から生まれました

宇宙論では
宇宙は
わたしたちが存在する
この宇宙だけではなく

「無」から生まれた
無数の別の宇宙が同時に存在していると
説きます

   多元宇宙とかマルチバースといいます


そこでは、わたしたちの
宇宙とは全く別の
法則
時間
空間が
存在しているのかも知れません

そのような
無数の宇宙を産み出した源が
「無」です

そこには
無限の宇宙の情報が
すべて存在しているのでしょう



わたしたちの
限られた
この世界(わたしたちの宇宙)から

「無」を
理解したり
観察したり
しようとしても

わたしたちの
この世界(わたしたちの宇宙)の
法則
観察手段
表現方法
思考
感覚
などに束縛されていては

すべての
異なる法則に支配される無数の宇宙を
産み出した
「真の無」の情報に
近づくことさえできません



紙に針穴を開けて
そこから巨大な象を観察しようと近づいても
どこまでも続く
灰色の壁(象の皮膚)が見えるだけで
それが何かは分かりません

紙を捨ててこそ
巨象が見えてきます



わたしたちの
この世界の
法則
観察手段
表現方法
思考
感覚
など
すべてから解放されて自由にならないと

「真の無」の情報に近づけません


つまり
すべてを産み出す
すべてが存在する
「真の無」に近づくには

この世のすべての束縛から
解放され
自由にならないと

「真の無」に近づけません

ですから
「無」は
何もなく(この世の束縛のすべてがなく)
かつ
すべてがある(すべての無限数の宇宙の情報と出会う)
ときに
わたしとひとつになることができるのです



すべてを捨てて
「無」に出会ったら
もう
もとの世界に戻ることは
できません

もとの世界に戻るコンパスも地図も
「無」に出会うときに
捨ててしまって
手元にないのですから

どこの宇宙に
戻るかは
決められないのです

それゆえ
「無」に出会った人は
「無」について語ることはできません

わたしたちが
「無」について語るとき
それは比喩としてか
「無」のようなものか
「無」へ向かう方向や態度か
「無」から漏れてくる、
   私たちが理解できる限定された情報

について
語っているのでしょう

「無」は何もない
ということではなく
自由度がありすぎて
観察できないということです

人という形のままで
あるいは
この宇宙そのものになったとしても
「真の無」に出会うことは
至難のわざです

  たったひとつの宇宙の知恵で、無数の宇宙を知ることはできません
  知ることができないものは、存在しないのと同じです
  存在しないということは、何もないということですね
  つまり「無」です

でも
私たちは「無」から産まれた
「無」の一部であるがゆえに
「無」の存在を感じる能力を持っています

どんなときにも
「無」とつながっていることを感じ取ることができます

「無」は
宇宙を産み出したことから分かるように
すべての情報を持つものです

ですから

目に映るすべてのものは
自然も、人工物も
わたしも、あなたも
「無」の表現(情報)ですし

すべてのできごと
苦しいことも、悲しいことも、うれしいことも
憎しみも、愛も
「無」の表現です

直感も人生の流れも
「無」の表現です

「無」は、常にそこにあるものです



「無」は
あなたであり
愛であり
この世界そのものです

そして、すべてを越えたもの
存在自体を越えたものです






*本ブログの文章は引用文以外の著作権を完全放棄しています。ご自身のアイデア、文章として、そのままでも加工しても、ご自由にお使いください。気づきを起こす人が増えれば、数はやがては質へと変化することでしょう。できれば、変化した世の中を今世で見たいものですね。 *

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2012年11月11日

感情を手放すことと「無」について

ベルさん
いつも、きっかけを与えてくれて
ありがとうございます

ベルさんのコメントについて

<本気で、感情に執着しているようです。
何もないくらいなら、
苦しみだって、うんざりするくらいワンパターンでも、
お経のように眠くなる観察業だって、
マシな気がします。

ポンと手放すことが難しいのは、
まさに手放したくないからですね。

無ほど一番苦しそうな状況はないのではないでしょうか。>


ベルさん

激しい感情を手放しても
何もなくなる
わけではありませんよ

激しい感情は
ノイズのようなものです

ラジオでザラザラ耳障りなノイズが入ることがありますが
このノイズがいつも聞こえていると
それが自然だと錯覚して気にならなくなります

でも
ある日、ノイズが消えたら
本当は、こんなに美しい音楽だったのか
と驚くと思います

感情は、人にとって大事なものです
捨てる必要はありません
でも、感情の振れ幅を少なくする体験を
一度してみるのもおもしろいですよ

変な話ですが
手放しても、消え去るわけではありません

手放せば、
もっと純粋な、本来あるべき形で
手に入れることができるようですよ

感情の
ノイズが少なくなれば
今よりも直感が得られやすくなります

そうすれば、もっと見ている、体験している
世界が広がります

今いる世界と別れるわけではなく
今いる世界を含んで
新しい世界が広がります

だから寂しくないでしょ

別れではなく
本来の姿に近い姿に
再開するのですよ

 もう何回も経験しているでしょ?
(あれ、この人ってそんな人だったっけ という体験してませんか?)

ところで

感情を手放すことは
無になることとは、
直接関係しません

無になることへの
準備というよりは

直感を得やすくしたり
複数の世界観を楽に移動する
ための環境作りです



「無」とは何かというと
なかなか難しいですが
本当の意味での「無」は
経験不可能です

といいますか本当の「無」を経験した人が
その経験を語ることはできません
(無と一体化したら、この世には戻ってこられませんから)

古代インドの修行者達は
「無」になりたくて
激しい修行をしましたが
「無」に近づくには
何代も何代も生まれ変わって修行する必要がある
と言っています

ですから、わたしも、ベルさんも
どんなにがんばっても
「無」を
心配する必要はありませんよ

本当の「無」には近づけなくても
「無のようなもの」の雰囲気を感じたり
「無へ向かう方向」から漏れてくる情報を
感じることがあるかもしれません

これはこれで、
貴重で豊富な情報で
この世で人として生きて行くには
十分すぎるように思います






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2012年11月10日

強い感情をぽんと手放す習慣

強い感情
怒り、不安、焦燥感などを

何も考えずに
起きた瞬間に
ぽんと手放してしまう
習慣を身につけるには

こんな
準備と練習がありますよ


ひとつは
強い感情の起こるパターンを
感覚的に身につけること

これには、まずは
感情の観察が必要です

感情が起きた原因ではなく
感情そのものの観察

これを繰り返すと
強い感情が爆発するきざし
感情の発火点が
見えてきます

例えば、
心や体が緊張してくるようす

何か別の一見無関係な
かすかな感情の湧き上がりやゆらぎ

遠くの方に、ちらちら見え隠れする
誰かのせいにしたいという欲求や
逃げ出したいという思い

こういった
パターンが見えてくるかも知れません

このパターンが
感情の発火点です



もうひとつは
発火点に気づいたら
執着しないで感情を手放すことです

無理なく手放すには
このパターンの感情はもう飽きたという感覚
を身につけるのが良いでしょう

飽きたという感覚というのは

  再放送の、同じパターンの
  TVドラマは
  もう見飽きた

  またか


  そうぞうしいばかりの
  バラエティ番組は
  もう、うんざりだ

  こんな番組は気づいた瞬間に
  チャンネルを変えてしまうか
  TVを消してしまう

   これと同じ感覚ですよ


感情に飽きるには
その感情と
その感情によって引き起こされた
ごたごたを

うんざりして嫌になるまで
繰り返し観察し続けないといけないかもしれません



パターンに気がつき
うんざりしたら

その感情を
これ以上
観察する必要はありません
もう十分です


うんざりしながら
TVを見続ける必要はありませんね

そのパターンに遭遇したら
ぽんと
チャンネルをかえてしまって
そのうんざりする番組のことは
忘れてしまいましょう


まさか
落ち着くからとか
寂しいからとか
いう理由で

うんざりしながら
見もしない
TV番組をかけ続けては
いないでしょうね







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2012年11月09日

怒りをおさえる?、手放す? <平常心について>

怒りを覚えたとき
その怒りが大きくならないように
押さえ込もうとすることがあります

押さえ込もうとしている間
そこには怒りが存在しています

意識は怒りに向いています

筋肉にも力が入り
緊張します

思考も
怒りを抑え込むための
活動が大きな割合を占めます


怒りを覚えたとき
その瞬間に

ぽんと手放してしまう

ことができたら


もうその瞬間で終わりです
あとはいつもと変わりません



平常心を保つ
といいますが

この表現は
バランスを保つために
何か大きな努力をしているような
感じがします

細い綱の上を
おちないように
緊張しながら渡っているような



何らかの強い感情
怒り、不安、焦燥感など
が起きたとき

その瞬間に
無条件で手放してしまえば

バランスをとる必要もなく
もうその瞬間で終わりです

あとはいつもと変わりません

平常心です


強い感情が起きたら
何も考えずに
勝手に
ぽんと手放してしまう反応は
習慣化できますよ







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2012年11月08日

「バガバッドギーター」を読んで思ったこと

インドの古典の「バガバッドギーター」では
「結果にこだわらない、執着しない行為」
 の重要性を説いています


「結果にこだわらない、執着しない行為」は
人生の流れに、うまく乗るための
(予定されている人生を出現させるための)
効果的な方法・道具です

「結果にこだわらない、執着しない行為」を
始めるときには
恐怖心を克服して
バンジージャンプのように
空に飛び出す
感覚がともないます

恐怖を克服するためには
バンジージャンプの命綱のように
ゆるぎない信頼のあるなにかが
常に自分と共にあるという確信が必要です

「バガバッドギーター」では
クリシュナ神への帰依が説かれていますが

信仰心のないわたしたちの場合は
ワンネスへのつながり
宇宙とのつながり、一体感が
ゆるぎない信頼
命綱となります



「結果にこだわらない、執着しない行為」は
人生の流れに、うまく乗るための
効果的な方法・道具ですが

どのような人生の流れに乗るのかは
別の問題です




「バガバッドギーター」では
三つの性質
「サットヴァ」「ラジャス」「タマス」
について説明がされています


人間も含めた自然の性質を
大きく三つに分類してしまうのは
もともと乱暴な話しですが

ここでは
この考えをもとに
kokyonokazeが
人生の流れについて
更に乱暴に簡単な分類をします


流れという観点からは

流れにくい、抵抗がある、粘着している、動かない
方向性がわかりにくい、不活性な、無知な
「タマス」的流れ

激しい、劇的、思いつきでつっぱしる、暴走する
方向がでたらめ、つぎつぎに変わる、盲目的な
「ラジャス」的な流れ

安定、調和している、静か、抵抗のないスムーズな、
一定、無理がない、流れについて知識がある、
方向が定まっている、過去も未来も現在も同じ流れの上にある
「サットヴァ」的な流れ

が存在します

三つの流れは
その人が見ている世界観そのものです

「結果にこだわらない、執着しない行為」で

「タマス」的世界を見ている人が
人生の流れに、うまく乗ったとき

人生の問題は
更に拡大していきます

目隠しをした、やる気のない
土地勘のないタクシードライバーに
整備不良の車の運転をまかせたかのように
動いては止まり、動いては止まり
どこにもに着くことはできません
時間だけはたつのですが
おそらくほとんど同じ場所に着いたのかもしれません


「ラジャス」的世界を見ている人が
人生の流れに、うまく乗ったとき

人生の問題は
更に拡大していきます

興奮して怒り狂っているタクシードライバーが
クラクションを鳴らし続けながら
車を暴走させて、あちらこちらに衝突しながら
あなたの行って欲しい場所を無視して
思いつきでハンドルを切っているように
どこに着くかはわかりませんし
緊張と不安で、ぼろぼろに疲れ切り
無事ではいられないでしょう


「サットヴァ」的世界を見ている人が
人生の流れに、うまく乗ったとき

人生は味わい深い物語となるでしょう

静かにとうとうと流れる大河の上に乗った
小舟のように
ただ、小舟の上でくつろいで
運転、操作することもなく身を任せ
心地よい風を感じながら
移ろいゆく景色を眺めて楽しむ

人生の問題は
苦しみも、悲しみも、喜びも
風景、叙事詩に彩りと深みを加えるための
イベントにすぎません

まさしく天命を生きていると
感じるかも知れませんね



「結果にこだわらない、執着しない行為」は
人生の流れに、うまく乗るための
効果的な方法・道具です

人生の流れに乗るためのすぐれた道具ではあっても

どの世界観の人生の流れに乗るかを
決める道具ではありませんよ



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やさしく学ぶYOGA哲学- バガヴァッドギーター [改訂版](YOGA BOOKS)
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2012年11月01日

ごく私的メモ  <この気なんの気、気になる気>

わたしの内的なエネルギーとか「気」とか
なにかそういった、感じ取れるけれども
よくわからない、もやもやしたものは

だんだん
精神面からだけでは
制御困難になりましたので
そういった内的なエネルギーとか「気」とかの
入れ物あるいは通り道である
肉体をしっかりさせたほうがよいだろうということで
ヨガを始めたわけなのですが…

「気」について、いろいろと思う今日この頃です




誰かの「気」の大きさを感知する場合、
私の場合は、これまで
そのひとの「気」の絶対量ではなくて
外側に現れる「気」のゆらぎ、ふれはばの大きさを感知して
「気」の大小、強さを判断してしまうことが多かったようです

その人の持つ「気」が大きいのではなく
コントロールできていない「気」の量、漏れが大きいのです

これは
たとえそれが、「良い気」であったとしても
精神的不安定性の大小であるとか
他者への影響力を及ぼしたい(取り込みたい)という欲求の強さ
あるいは強い方向性を持った意志の強さなどと
同じような性質を持つものです

いわゆる「存在感」がある
という表現に近い雰囲気です


「気」のコントロールが上手にできていて、
調和して安定している人の「気」は
変化が少なく
外界への漏れがないため
めだたず
一見、その人の「存在感」のリアリティがむしろ稀薄です。

このようなひとの「気」は、
直感も含めた感覚を使って認識することは
難しいでしょう

このようなひとの「気」の大きさは、
わたし自身の「気」がその人の「気」に同調して
安定する方向へ向かう変化を観察することで
判断することができます

つまり、この場合

その人を見てもその人を見ることはできず
自分を見ることで、その人が見えます

この変化は、わたしの持っている「こだわり」に応じた時間的な遅れがあり
ゆっくりと持続します

あまりに変化がゆっくりしているので
何日か後のある日
「わたしは変わった」と
気づくようなこともあるかもしれません

精神面だけでなく
肩の痛みが軽減されたというような
肉体面での変化が見られることもあります

このようなひとの「気」は、
もはや人が持つ「気」というよりは
空間
たとえばパワースポットのような感覚に近いものがありますね
つまり、こちらとあちらをつなぐ
神社のゲート(門)みたいですね






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2012年10月30日

痛み

痛みがあることで
どこに緊張があるのかを知ることができます

痛みがあることで
そこに意識を向け続けることができます

苦痛の中に こそ
深い気づきがあるのは
そのためだったのですね


ストレッチのように
身体をねじったり、のばしたりすると
身体が固い人は特に
 どこかの筋に
 痛みを感じます

痛みは
普段あまり動かしていない
 緊張したまま固定されたところ
リラックスできていないところを
教えてくれます

痛みがあることで
意識がそこに向き
観察することができます


緊張した状態と
脱力した状態と
二つの両極端の状態

痛みを感じることで
  その場所の筋と神経が
   初めて
    緊張とは何か
    弛緩とは何か
      を
    体験し、記憶し
     両極端の中間
     リラックスできるところは
       どこにあるのかと
         探し始めます

痛みを感じたとき
緊張をゆるめた経験・感覚を
筋が覚えていれば
 からだはリラックスする方向へ向かい
  痛みは軽くなります


意識しないとき
痛みは単なる
リミットスイッチ
騒々しくていらいらする
鳴り続ける警報にすぎません

意識を向けることで
痛みの中で
 緊張の緩和を経験し
 気づきを見つけられるかもしれません

****

心の痛みも

無意識的な反応
繰り返される警報
そのことで増していく緊張
壊れることの怖さ

という閉じた状態から


意識を向けて観察することで

緊張している場所の発見

緊張の原因を感じ取る
原因をつなぎとめるこだわりの解放

リラックス

喜び
自信

へと
気づきが連鎖して

緊張している状態ではなく
開かれた状態へ

リラックスした状態が
 本当の私だという
  深い体験へと

心の痛みを
昇華させることが
できるかもしれませんね




苦痛の中に こそ
深い気づきがあるのは
そのためだったのですね


ですから
苦痛を
怖れることで
強く緊張して

実際以上の苦痛を

  本当の痛みに
  何倍もの幻の苦痛を付け加えた
  痛みを

もう体験しなくてもよいのですよ






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2012年10月25日

危険予知、それともめんどうくさいだけ?

多くの人に
なじみのあるメッセージ、直感は
「こちらの方向へ進むと危険だぞ」
という危険予知ですね


むしのしらせ

と言われるもので

何か嫌な感じが強くする

というふうに体感できますね


危険予知とまぎらわしい感覚があります

めんどうくさいので
やりたくない
気が進まない
放置したい

という感覚です


人生においては
何らかの「課題」というものが
あるようです

その「課題」を
クリアしないと
先に進めません


この「課題」に取り組まないで
何とか逃げて
やれやれ、うまいことをした
と思っていると

同じテーマで内容を変えた「課題」に
再び出会います

この「課題」は
クリアしない限り
何度も何度も起こり
だんだん、巻き込まれた場合の
困難と被害が増していきます

最初は、簡単な「お試し」のような程度だったのが
人生を大きく変えてしまうような
すべてをなくし、ゼロにリセットされるような
破壊的なものに成長していきます

この「課題」は

逃げずに直視し
自分自身をさらけだし
守らず
裏表無く、うそがなく
のたうちまわり
泥にまみれ
全身全霊で取り組み
手放す

ことでのみ
クリアできます

恐怖に打ち勝ち
断崖絶壁から
身を投げ出す

投げ出した後は
自分以外の存在に
すべてをまかせてしまう
そこには自分がなくなる

このときの感覚にとても近いのです


この感覚は
一度体験すれば
とてもわくわくするものになりますよ

苦しみ抜いて、涙を流しながら選択し
すべてを捨てた
もうこれで自分は終わった
と思ったら

その先に、もっと素晴らしい何かが
待っていた
安堵、恍惚感
守られていたという確信

ゼロになって
初めて分かる意味



自分自身を守るために
飾らない、うそをつかない
隠さない
まったく素直である
真実のみである
プライドは捨てる
損得から離れる
過去にとらわれない
自分に対してではなく、全体に対してベストな選択を行う

という態度がクリアするためのポイントですよ




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2012年10月24日

わくわくする? 嫌な感じがする?

多くの人に
なじみのあるメッセージ、直感は
「こちらの方向へ進むと危険だぞ」
というものですね

むしのしらせ

と言われるもので

何か嫌な感じが強くする

というふうに体感できますね


生物が本来もっている
直感能力は

この
危険を知らせる直感


えさや異性の存在を感知することで発達した
「わくわくするぞ」
という

誘惑を知らせる直感

の二つがあるようです


人の世は
楽しいことがあまりにも多くて
魅力的なことが日常的なので
誘惑を知らせる直感はまひして
感度が下がり

危険を知らせる直感のほうが
体感しやすくなっています


でも、この二つの直感は
一体のもので
いつも
「わくわくすることがありそう」な方向を
選んでいれば
危険に出会うこともありませんね


「わくわくすることがありそう」なことを
感じ取る能力を育てると楽しいですよ

こちらの方向へ進めば
「嫌な感じがする」という
危険を感じ取る直感が起きたら

その反対の方向に

「わくわくすることがありそう」な直感が
隠れていないか
感じてみましょう



メッセージ・直感は
期間限定で有効時間があります

危険なことが起きるのは
今この時であって
明日や1年後では、違っているかも知れません

わくわくすることが起きるのは
今この時であって
明日や1年後では、違っているかも知れません

また

メッセージ・直感が得られても
行動を起こさなければ

危険なことに出会ってしまう
わくわくすることに出会わない

でしょう


メッセージ・直感が得られたら
直感に従い
わくわくする方向へ
すぐに行動を起こす

そうすれば
何か新しい自分を
発見するかもしれませんね






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2012年10月23日

期間限定

メッセージの本質は、内容ではなく方向を示す働きです

地図やランドマークと同じように。


最初は目印になる
目立つ建物や店を
目指して進んでいきますが

その場所に行き着けば
その目印は、もう意味を無くし

次の目印、方向を示す目標に
意識を移さないと進んで行けません



メッセージも期間限定で
意味を持つものなのかもしれません


ある時期には、そのメッセージは
とても重要ですが
そこを通り過ぎれば
意味を無くします

いつまでも
そのメッセージにこだわり続けていては
次の場所にたどり着くことができません

そして
新しいメッセージを
得ることもできません





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2012年10月22日

異なるメッセージをどう使えばよいでしょうか?

自分自身に届いた
また
色々な人が発信している
種々の異なるメッセージをどのように解釈すれば
よいでしょうか

メッセージは
内容だけに注目するのではなく
方向性に気をつけるとよいですよ


経文の中に
「火宅の人」というお話があります



昔々、とてつもないお金持ちがおりました
ところが、ある日
大きなお屋敷で火事が起こり
あっというまに火は、怖ろしいほどの炎へと成長していきます

家の中では、お金持ちの子供達が
これほど大きな炎なのに
まったく気がつかない様子で
遊ぶことに夢中です

先に家の外に出ていたお金持ちは
大きな声で
火事だ! 火事だ!
早く家の外へ逃げなさい

と叫ぶのですが
子供達は
何が危ないことがあるのだろう
自分たちは大丈夫と
遊びをやめることをしません

そこで
お金持ちは

家の外に
おもちゃやプレゼントをいっぱい乗せた車が
到着したよ
早く家の外へ出てきて
好きなだけもらいなさい

と楽しそうに語ります

もっと楽しいものが
外にはいっぱいあると
思った子供達は
歓声をあげて、われ先に
いっせいに燃えさかる家から
安全な外へかけ出してきました

(お話はkokyonokazeが脚色しております)



二つのメッセージ

「火事だ!逃げろ」

「おもちゃやプレゼントが外にいっぱいある」

は、その内容だけを見ると
全くべつのものですね

けれども
方向性は、どちらも
「家の外へ出る」

ということを示しています。

ある出来事について
異なるメッセージが得られたら
共通する方向性がないか
無心に感じてみましょう


方向性は
先入観があると
間違うことがありますから
できるだけ
無心で観察するようにしましょう


「火事だ!逃げろ」
というメッセージを受けても
心の中に何か執着していることがあると
「逃げろ」という一番大事な部分が見えなくなって

「大事な洋服を取りに家の中へ戻らないと」
というように逆の方向を見てしまうかもしれませんよ



メッセージは
流れの方向を示しているのだということを
忘れないようにしましょうね

ですから
どちらのメッセージの内容が
正しいかとか真実かとか
競い合ったり、議論し合ったり、けんかしたり
するのは
楽しいけれども
ただそれだけなのですよ




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kokyonokaze at 23:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2012年10月21日

日々

このブログのサブタイトルは
「すべてのワンダラー達、発信せよ」です

自分が体験したことを表現して発信しましょう

皆さんにお願いしておきながら

本人の発信がこのところ滞ってしまい
なんなのかなぁという思いです


このブログでは
できるだけ頭で考えたことではなくて
直感的に得られたことを
お伝えできたらと
いつも思っています


最近は
自分の内面を探索しましても

例えていうならば
静かな波のない湖面が
映し出されるだけで
しーんとして変化がありません

つまり
あまりお伝えするようなことが
出てこないのですね

特に最近は
自分の身体の変化を
身体の中を流れる何かを
見つめることに興味が移ってしまい
言葉でうまく表現できない
気づきと対面していることが多いのですよ


******


発信量、発信したいという欲求は
気づきが起こり始めた時期が
一番大きいように感じます

この時期は変化も大きいですね

そののちスランプのような時期を通り過ぎて
安定していきますが

発信したいという欲求も
徐々に低下して行きます


ほかの人のブログでも
「もう、言いつくしました」
とか
「何も言うことがなくなりました」
という表現を見ることがありますね


おそらく、気づきというのは
そのような性質を持っているものなのかもしれません


このため、

じゃあ、気づきが起こった人たちは
最後にはどうなったの?
という記録がほとんど残らない

後から来た人たちには
先に行った人たちが通った道がはっきりとしない

という
ことになりますね

あたかも
彼らは別の世界へ行ってしまい
消滅したかのように


*****

伝えたいという思いがあるうちに
あらゆる方法で
発信するというのは
きわめて大事なことです

かすかであいまいではあっても
発信の数が多ければ
方向性を示すことができ
道しるべとなることができます



* ******
* ******

つくつくほうし さま

コメントありがとうございます
自分への制限を少なくして
自由になり
自分のスペック(能力)を最大限に引き出すこと
がワンネスを体験することの意味合いだと思います

つまり
流れを感じ取り
流れとひとつになることができる
本来の自分を取り戻すということですね







*本ブログの文章は引用文以外の著作権を完全放棄しています。ご自身のアイデア、文章として、そのままでも加工しても、ご自由にお使いください。気づきを起こす人が増えれば、数はやがては質へと変化することでしょう。できれば、変化した世の中を今世で見たいものですね。 *

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2012年09月28日

リセット

小さなアパートに
住み始めて
一月たちました

新しい環境で
ゼロから始まる
というのは
楽しいものです

使い慣れた道具達も
新しい居場所を決めてやる過程で
新たな発見があったりします




同じことを繰り返す
ということは
パターン化されるということです

パターン化は静かな緊張を産み出し
かたさの原因となり
自由な動きをさまたげます


日々の行動のパターン化は
まだわかりよいのですが

毎日目にする風景

これは、通勤通学の道だけでなく

家具や
机の上の文房具の置きかた
毎日使う食器など
何気なく目にする背景

勉強する場所
テレビを見る場所、椅子の位置
座る場所、寝る方向、顔を向ける方向

なんであれ
同じことの繰り返しは

気がつかないうちに
静かな緊張を産み出し
かたさの原因となり
自由な思考の働きをさまたげ始めます


昔の人の知恵は
日常の繰り返しを崩すため
祭りや節句など
普段と異なる風景となる「はれ」の日を
カレンダーに取り入れました

また、
花を生ける

やがて枯れて長持ちしない
花を飾ることも
目にする部屋の風景を
固定させずに変化させる方法ですね


目にする物を減らすことで

つまり、いろいろなシンボル、想いと結びついている
雑多なものを片付けること
手放すことで
物の放つ無意識への刺激から
意識の自由を回復させることができます

一服する
英語でも have a break という表現があるようですが
同じ事が続いている流れを崩す、破る
緊張した意識の固定化を崩す
ということを取り入れるのは大事です

同じ風景を繰り返し見ていると
その風景を構成している
個個の物達が見えなくなってゆきます

日常に対する
無視、無関心
ネグレクト

自分が生きている時間に対して
気づかずに行っている
虐待

その気になれば
いつでもしっかりと見ることができるという幻想
問題の先送り
「今」を「未来」へ先送りして
「今」を体験しない生活



かつては
深い気づきを求めるため
日常の繰り返しを嫌い
変化の中に身を置くため
一人、旅をすることを選んだ人も
いたかもしれませんね




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2012年09月26日

引っ越し して思ったこと

住み慣れた家を手放して
引っ越ししました

引っ越しするということは
これまでの習慣から
決別することなのですね


いつも目にしていた風景

子供が小さかったときに
送り迎えした道、家並み、学校、塾
仕事帰りに買い物していた店
通い慣れた道
バス停、喫茶店、信号、病院、自動販売機、
毎年満開になる小学校のしだれ桜

目にするたび
子供達、家族と過ごした歴史を
思い出させてくれた風景

毎日の生活、生き方、時間の中に
しっかりと組み込まれていた風景

この風景をもう目にすることはありません
日常の風景の断絶
心が痛みます

そのとき
風景はたんなる風景ではなく
想いが刻み込まれたシンボルであることに
気がつきます


小さなアパートへ移るので
たくさんの荷物や家具を捨てました

もう使わない
子供達が小さかったときの品
キャンプの道具、ゲーム、洋服、本

不要な物であるのに
捨てるとき
これらが単なるモノではなく
想いが刻み込まれたシンボルであることに
気がつきます

もっとこうしてやればよかった
こうすればよかった
という
少し苦い思い出とともに

モノを手元に置いておくことで
もしかしたら
もう一度、もう少しうまく
あの時を
やり直せるのではないかという
期待があるかのように

もしかしたら
あのときの日常を
そのまま手元に置いておけるのではないかという
期待があるかのように

手放すときに
心が痛みます

これらの日常の風景やモノは
気がつかないうちに
わたしを縛り付けていたのだと

手放したときに
痛みとともに初めて気がつきました






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2012年08月01日

いつも笑顔で いられるわけないよ

「いつも笑顔でいましょう」

なんて
そんな残酷な
追いつめるようなことは
言えません

努力して
「いつも笑顔でいる」 ときの
「笑顔」は誰かに見せるもの

自分のためじゃない

自然にこぼれる のではない 「笑顔」
ふりをしている 「笑顔」
それは人に見せるための 装い

誰かからの評価を
期待しているの?

誰かからの攻撃を
防ごうとしているの?

自分ではない視点
他の誰かからの視点


*********


「ほほえみ」
という表情があります

「ほほえみ」のエネルギーは
「笑顔」のように
外へ向かうエネルギーではなく

自分の内へ内へと
向かっていくエネルギーです

「ほほえみ」は
自分の内側を見つめる表情

それは
すべてをあるがまま
悲しみも、苦しみも、喜びも
ただ見つめる

静かな
慈悲のこころ

他者の立ち入れない
わたしだけの領域

ただ流れるだけの
こころの空間に入り
深いリラックスが得られたとき

かすかな
ほほえみが
うかびます


どんなときも
自分を見つめて
自然なほほえみがうかぶように
なれるといいですね




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2012年07月25日

ピサロ

先日、兵庫県立美術館に「ピサロと印象派」展を見に行ってきました。

ピサロの言葉に

***********

人はどんなに些細なものでも美しい作品を作ることができる。
あまりに美しすぎるモチーフは大げさな誇張でかえって緊張させる。・・・

幸せな人とは他人には見えない控え目な美しさを見ることのできる人である。
どんなものでも美しいのだ。
問題はいかにそれを受けるかを知ることにかかっている

***********

とあります。



ピサロは、
「感傷」が自分の描く絵の中に入り込むことを
嫌っていました。


あるがままに観察し、あるがままに表現する。

そこに自分の感傷を入れたくない。



そのことで、かえって

絵を見る人

それぞれに
それぞれの

深い感情を引き起こす作用を
及ぼしているようです。


 あるがままに見る
   あるがままに感じる
     あるがままに表現する


          そのとき、

           世界が
        すべてのものが

       無数の色にきらめき
         輝き始めます



      なんて素晴らしいこの世界
       What a wonderful world




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2012年07月09日

だめになってしまいたい

心の中に
矛盾する
相反する
感情があります

愛したいのに愛せない
すなおになりたいのに反発してしまう
優しくしたいのにつらくしてしまう
大事にしたいのに壊してしまいたい

どちらかの感情を
消そうとすると

二つの反する感情は
ますます強く
反発し合い

自分自身を傷つけます

負の感情も
自分の一部分だということを
受け入れることができたら

自分が二つに裂けてしまうことを
防ぐことができるかもしれません


自分に
つごうが良い
どちらかだけを
選ぶことは
できません


完璧や理想を目指して
無理に選んでも

選んだ道を進み続けることは
できません



苦しみが増す中で
がまんできずに

自分自身を傷つけたり
破滅させるための道を
選択してしまうかもしれません



光だけになろうとせずに
自分の中の
暗闇も
見つめてあげましょう



でも
暗闇ってなんでしょう


負の感情は
そのような名前を与えるから
負となるのではないでしょうか


言葉を越えた
感覚の中で

ふたつの
相反する性質の感情は

アクセルとブレーキにしか過ぎないのですよ

近くなる、遠くなる
動く、止まる
集める、分かれる
緊張する、ゆるめる

そこには
方向があるだけで

正も負も
本当は存在しませんよ

アクセルだけ
ブレーキだけで
自分を
コントロールすることはできません


その感情にありふれた名前を付ける前に
その感情を解釈する前に

その感情が始まる向こう側
どこからそれがやってきたのか

さかのぼって
さかのぼって
もっと向こうに
感じられるもの

それは
ありふれた名前の感情とは

全く違う性質のものかもしれませんね






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kokyonokaze at 23:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2012年07月08日

それって本当ですか。 矛盾していませんか。

こんなに苦しいのに
本当にすべてのことに意味があるのでしょうか

こんなに悲しいのに
本当にわたしが決めて生まれてきた人生なのでしょうか

こんなにつらいのに
本当に今に生きないといけないのでしょうか

こんなに痛みを感じているのに
すべてを受け入れないといけないのでしょうか



すべてのことに意味があり
すべてのことはメッセージ

人生で起こることを
決めて生まれてきた

今に集中することで
幸せを感じることができる

すべてを受け入れることで
楽になれる


>本当ですか?<


すべてのことに意味はない

人生は自分の意志で変えられる

過去を知り、未来に夢を見る

わたしは拒否する自由を持つ


>本当ですか?<




これらの
視点は
矛盾していますが
共存しています

ミルフィーユのように
この宇宙は多層構造になっており

あらゆることが
矛盾することも
同時に起きています

過去も未来も
今も
同時に存在しています


ありのままを見る
微細な変化を観察するためには

マインドの暴走を止めることが
必要です

あなたが慣れ親しんでいない
強力な視点で
世界を新しく創造することは
マインドの暴走を止める役に立ちます

けれども

これらの異なる
矛盾する視点は
マインドの暴走を止めるための

方便ではありません


ありのままを見る
微細な変化を観察することが
できるようになると

確かに
これらの異なる
矛盾することが

すべて真実だ

同時に起きている

ということが
実感できます


けれども今は

どういう方法をつかっても

自分の内面深くに入るための
ドアをまず開けることが大事です

あなたが開けやすいドアを
探しましょう

すべてのドアは
ただひとつの部屋に通じています




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kokyonokaze at 23:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2012年07月05日

ほかの人とは、ちょっと違う わたし

衝撃的な
一瞬ですべてが変わるような
神秘体験、至高体験を
すると

とてもうれしくなって
「ほかの人とは、ちょっと違う わたし」
という
思いがわいてくるのを
避けがたいかも知れませんね


この思いがありますと
ありのままに見る
すなおな観察ということが

少し難しくなりますから

この思いが
自分のどこかに生まれていないか
いつも注意して
謙虚にしないといけません


すなおな観察が難しくなると
観察するという習慣が
だんだん少なくなって

内面の微小な変化の観察をすることなしに
直感のメッセージだけにたよってしまうかも
知れません

メッセージの生まれ故郷が
どこなのか
自分の内面からだけなのか
自分の内面を越えたところからなのか

内面の微妙な変化の
すなおな観察なしには
確かめられません

自分の内面からだけのメッセージに
とらわれると
自分の枠を超えて
そこから先へ進む自由度が
少なくなりますよ


衝撃的な
一瞬ですべてが変わるような
神秘体験、至高体験を
することができたので
もう満足
今の自分でOK

と立ち止まってしまうのは

まだ
自分のすべての可能性を
楽しんでいないのに
もったいないなぁと思います





けれども

「ほかの人とは、ちょっと違う わたし」
という
思いは

自分を高めていく
はげみにもなりますし

場合によっては
自分の身を捨てて
誰かを助ける
動機にもなりますので

この思いを
嫌ったり
全く消すということではなく

思いの持つ性質を理解して
バランス良く
使うとよいですね




思いを持つことが問題なのではありません

思いにとらわれることが問題なのです

思いは道具として、楽しむために使えば良いのです





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kokyonokaze at 23:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2012年07月04日

気づいたことに気づいていないの?

神秘体験、至高体験を
してみたい
 というあこがれがないですか

神秘体験、至高体験の
経験が
深い気づきの
起きた証拠だと
 思っていませんか



けれども
内面で起こる
衝撃的で
一瞬ですべてが変わるような
神秘体験、至高体験は

気づきが深いから起こるわけではありません



内面で起こる
衝撃的で
一瞬ですべてが変わるような
神秘体験、至高体験は

それまで十分に使っていなかった
感覚器や
脳の処理機能が
急激に働いたことで
生じる
ノイズのようなものです


今の
感覚器や
脳の処理能力を
越えた情報を

一度に受け入れて
急激に高まった緊張を

マインドが
急激にに緩和しようとすることで
強い快感が生じるのでしょう




普段運動していなくて
固くなった筋肉を
限度を超えて伸ばし
いきなり緩めると
筋を痛めます

痛みがとれるまで
日常生活を
送りにくくなるかも知れませんし

痛みを覚えた筋肉は
これ以上のストレッチを
怖がって
ゆるめることを嫌がるかも知れません




少しずつ
無理なく
気づきを深めていった人は

残念ですが

衝撃的で
一瞬ですべてが変わるような
神秘体験、至高体験を
することは難しそうですし

変化がゆっくりなので
気づいたことにも
気づいていないかも知れません

けれども


すこしずつ
無理なく
バランスを取りながら
気づきを深めていった人は

立ち止まることなく
気づきを深めていくことが
できそうですね





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