国民教育のススメ ~教育正常化の風~

「愛国心こそが教育再生のキーワード」 現職公立中学校教諭が、左傾化し続ける教育現場の危機感から、教育正常化を通して日本再生を考えるブログ。保守ブログ相互リンク募集中!

vol.121 「海の日」の意義を教えよ! ~ご皇室と被災地東北の深い絆~

明治天皇の東北御巡幸

 

明治元年(1867年)に始まった戊辰の役は、薩長土肥ら新政府軍の圧倒的勝利に終わり、奥羽列藩同盟として闘い壊滅した東北地方の人々は、それ以来、大変厳しい生活を強いられました。

 

しかし、そんな厳しい生活を強いられながらも、
東北の人々は皇室を慕い続け、戊辰の役で荒れた東北地方の発展の契機にしたいからと、「明治天皇の行幸」を新政府に請願します。

 

明治天皇は、この要請を快諾。

辛酸を舐める東北の人々を慰撫して、激励するために、明治9年(1876年)、東京を出立されて東北地方へと御巡幸なされました。

福島、宮城、岩手、そして青森を経て、北海道の函館までの長い行程の折々で、明治天皇は東北の人々を激励し、特に産業の発展や教育の振興に心を砕かれ、訪問の先々では、功労者や学生らに褒賞(金)を賜りました。

 

戊辰の役の後10年も経たずして、東北の人々の請願を快諾し、御巡幸を決意された明治天皇の御心には、

「心ならずも朝敵となり、辛酸を舐めた東北地方の人々とも、君主として深い絆でつながり、この国を一つにまとめたい」という強い御意志があったのでしょう。

 

62日に東京を出立された明治天皇は、東北地方を1カ月半ほど御巡幸なさって、720日に「明治丸」(現在も東京海洋大学キャンパスに展示)で、無事に横浜港へ帰港されたのです。

 


「海の日」


この明治天皇が横浜港へ帰港された
720日は、戦前から「海の記念日」と呼ばれて、大切にされてきました。

そして、平成7年(
1995年)の法改正によって、「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」ことを趣旨として、7月20日を「海の日」として祝日にしました。

現在は、ハッピーマンデー法によって第3月曜日が「海の日」となり、今年は(7月)18日、昨年は19日、来年は16日と、年ごとに日が変わってしまい、その由来が分かりづらくなってしまっています。

 


しかし、7
20日は、
『明治維新という未曾有の大改革を経て、新生国家「日本」が誕生し、内戦を経ながらも、明治天皇(皇室)をリーダーにして国家が一つになっていく、貴重な歴史の息吹を感じられる』
大切な日です。

 

そして、くしくも明治天皇による御巡幸の地は、先日の大震災の犠牲の地、「東北地方」です。

東北地方と明治天皇との深い絆は、現在もなお、今上天皇陛下と東北の人々との深い絆へと繋がり、今上天皇、皇后両陛下のたび重なる被災地訪問となって結実しているのですから、明治から現在にも渡る大切な記念日なのです。

 

ですから、この720日に由来する「海の日」の意義を、しっかりと次世代につないでいきましょう。
家庭でも、学校でも、しっかりと教えたいものです。



それは、東日本大震災からの復興の為にも、とても大切です。




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vol.120 日本女性の優秀さ ~なでしこジャパンW-cup決勝進出~

「お金よりも名誉」

 

ワールドカップ決勝出場で日本中を沸かせた「なでしこジャパン」の女子選手たち。

東日本大震災から、一日も早い復興を目指す我が国にとっては、国民を勇気づける明るいニュースです。

 

彼女たちの活躍は、世界中を驚かせ、その強さに世界中から興味が寄せられています。

中でも、小柄な選手たちの精神面の強さには、海外メディアも驚いている様子です。

決勝の対戦相手の米国の新聞(USA today)では、日本の選手たちは、東日本大震災で被災した母国のファンに朗報をもたらしたい一心でプレーしていると分析し、「サッカーの勝利のような小さなことでも、人々に勇気と希望を与えられる」という佐々木監督の談話を紹介しています。

 

また、中国のニュースサイトでも「日本民族としての強い責任感や使命感から、失敗はできなかった」と分析、被災者に対する選手の思いが決勝進出に結び付いたとたたえました。

 

そんな中で行われた佐々木代表監督の記者会見で、

外国人記者から「日本が準々決勝で下したドイツは、優勝したら一人あたり6万ユーロの報奨金がもらえることになっていた。日本はどうなっているのか?」との質問が…。

 

佐々木監督は、苦笑しながら

「われわれはお金より、こういう大会でピッチに立てる名誉を大事にする。」

ときっぱりと答えたそうです。

 

なんと爽やかな答えでしょう。

さぞや外国人記者たちは、驚いたことでしょう。

スポーツでも、何でも経済活動と結びつけてしまう「西洋文化」に引き換え、

「武士は喰わねど高楊枝」と言われるように、

経済性よりも、「名誉」や「誇り」を大切にする精神性を持ち続けてきた日本文化。

そんな我が国を代表する彼女らの、高き誇りは、日本国民のお手本です。

 

我が国を支えてきた女性たち

 

我が国は、皇祖神(天照大神)が女性神であり、アジア地域初の女性君主(女性天皇)がご在位された時代が幾世もあったように、古より、歴史的にも女性が重要な位置を占めてきました。

 

そして、また、この大震災という国難にあい、国内が混乱している有事のときに、日本女性が世界の頂点を極めようと活躍し、世界中から称賛され、そして日本国民に勇気を与え続けています。

 

我が国の悠久の歴史を振り返ったときに、このなでしこジャパンのように、陰となり日向となって我が国を支えてきた優秀な女性たちの活躍があったからこそ、我が国の今日の発展があるといえるでしょう。


 

わたしたちは、世界の大舞台で、日の丸を背負って正々堂々と世界の強豪国と闘い、勝ち進んでいる彼女たちを誇りに思うと同時に、日本女性の優秀さを誇りに思い、尊敬しなければと思います。

 

2日後に迫った決勝戦ですが、勝敗もさることながら、彼女たちらしい、素晴らしい試合を見せてほしいと願います。





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vol.119 復興へ、教育しなければならないこと… 「天命に生きよ!」

 「命(ぬち)どぅ宝」は絶対的価値観ではない


先日(
6月23日)は、沖縄戦の戦死者を追悼する「沖縄県の慰霊の日」でした。
私も、心よりご英霊の方々を追悼し、黙祷を捧げました。

ところで、「命(ぬち)どぅ宝」とは、「命こそが宝、命こそが尊い」といった沖縄の方言です。

公教育では、「平和教育」のスローガンのひとつとして、よく遣われます。

「命どぅ宝」という言葉が示す通り、沖縄戦の悲惨さを思うと、命が大切であることは議論を待ちませんし、命は大切にしなければなりません。

しかし、日教組ら組合勢力が推進する「平和教育」とは、我が国の伝統・文化や歴史を否定し、国旗・国歌さえも拒否する『反日教育』の中心的役割を担ってきた教育であることは、以前から指摘している通りです。
その彼らの手による「平和教育」でつかわれる「命(ぬち)どぅ宝」という言葉は、子どもたちに「命こそ(だけ)が宝」だと教え込み、日本人の(伝統的な)道徳的価値を貶めるための道具です。


彼らは、「命の大切さ」を「命を長らえる」こととすり替えて、戦争の悲惨さだけを誇張して、子どもたちを反日思想で洗脳し続けます。
国民の「命を長らえさせなかった」戦前の日本は、絶対悪だというのです。

しかし、本来は「命を大切にする」のと、「命を長らえる」ことは、根源的な大きな違いがあります。
もし、「命を長らえること」だけが大切(宝)だとすれば、自らの命を長らえるには、他人の命さえ奪ってよいことになってしまいます。

結局は、「命どぅ宝」と言う言葉は、日教組ら反日主義者らの手によって、「どんなことをしてでも、自分の命さえ守れば(長らえば)よい」という、身勝手な生命至上主義のスローガンに堕してしまっています。


そして、彼らの推進する「平和教育」では、我が国を「侵略国家」として自虐史観で断罪するばかりか、
「他人の命や財産、そして共同体(国家)そのものを守る為に、自らの命の犠牲を省みない」という、崇高で普遍的な価値観があることを教えません。

ですから、靖国に祀られる英霊も、「国家に騙され、命を落とした哀れな兵隊たち=無駄死に」という一方的な構図にされてしまうのです。

 

「天命を知る」


先日の東日本大震災の際、命を投げ打って多くの人の命を救った人々の姿や、震災後の日本人の冷静で、互いを思いやる姿は、世界を驚愕させました。


そんな姿を見るにつけ、日本人には、戦前から受け継いでいる「命の長さだけにとらわれない」崇高な価値観を、DNAの中に含有していることを痛感します。

自らの命が危機にさらされても、人の命を救ったり、十分な救援物資がなくても、人の命や財産を奪ってはならないという、公徳心や規範意識の高さが、日本人の心の底には眠っています。

そして、先人から受け継いできた大切な命だからこそ、その命で「何事か成し遂げる」。

それは、国家のためであれ、地域のためであれ、家族のためであれ、何がしか他人や公共のために自分の命を使うことです。

それを、かつての日本人は、天から与えられた「天命」と呼び、「天命を知り」、「天命に生きる」ことを、人生最上の目標としました。


自殺者が年間
3万人を越えて続出する我が国の現状は、この「天命」を知り、天命に生きることを忘れた結果です。
「命を長らえることだけが大切」だという考えこそが、「命を自分だけのもの」と勘違いさせ、自ら命を絶つという悲しい結果を生んでいます。

 


今、我が国は、東日本大震災からの復興に向けて、国民一人ひとりが立ち上がらなければなりません。

だからこそ、
命のとらえ方を、「命どぅ宝」などという一面的で、軽々しいもので終わらせず、
「命は自分だけのものではないこと。」

「命を長らえることだけが大切なのではなくて、どう命を遣うのかが大切であること。」
「(ときには)自らの命を越えて、守らなければならないものがあること。」


そして、

「誰にでも、天から与えられた成すべきこと(天命)が必ずあり、天命を知り、天命に生きることが、人生の最上の目標であること。」
「それが、命を大切にするという本当の意味であること。」を、
大人たちが考えて行動しなければなりませんし、後ろ姿で子どもたちに教えることが大切です。


身はたとえ 誰かのために捨るつとも 我はひとえに 天命に生きる




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vol.118 日本復興のとき ~先人に学べ~① 福沢諭吉「ひびのおしえ」

今、我が国は、未曾有の大震災から力強く復興しなければなりません。
そんなときだからこそ、日本人の「心の復興」が大切です。

そして、これからの復興を支えていく若い世代に、日本人の心をしっかりと宿らせること、それが、復興への原動力となります。
とくに、多くの子どもたちが学ぶ公教育で、子どもたちに伝統的日本人の心を宿させなければなりません。
そのためには、先人の教えを学ばせなければなりません。

しかし、今の学校で、「先人の教えを学ばせる」ことは、決定的に不足しています。
戦後教育では、過度に戦前教育を否定してきたために、戦前までは大切にされてきた日本人の美徳や公徳といった価値観を次世代につなぐ作業がなされてきませんでした。
日教組らによって黙殺され、現代の教師が見落としてる、先人たちの教えには、私たち日本人の心の在りようが説かれている、素晴らしいものがたくさんあります。
そして、その教えは、普遍的なものですから、「心の復興」が必要な現代でも十分活かすことができるものばかりです。

そんな教えを、シリーズで紹介していきたいと思います。

第1回は、福沢諭吉です。新聞記事から紹介します。


福沢諭吉の「ひびのおしえ」は、我が子への戒めとして書かれたものです。
福沢先生と言えば、慶応義塾大学創始者として、「開明的で、西洋の文明や学問を重んじた教育者」のイメージが強くあります。
また、「日本婦人論 日本男子論」を書き、開化的な家庭の在り方を広く求めたように、開化的で、自由主義的な思想が有名です。

しかし、本人は幕末期の武家に生まれ、武家の教育を受けていました。
ですから、決して開明的なだけでなく、その人間的根底には、日本の武士としての価値観をしっかりと湛えていた人物でした。

ですから、自分の子どもたちに対しては、
「人を殺してはならない。」
「虫けらを、無益に殺してはならない。」
「物をぬすんではならない。」
「嘘をついてはならない。」
と、実に端的に人としての道理を書き綴って教えています。

西洋学問を究め、日本の近代化を思想面から支え、教育をリードしてきた福沢先生が、我が子へ教えたかったことが、「よく学べ」といった教育的観点でなく、実に当たり前の「人の道理」であったことは、とても興味深いことです。


家族同士でさえも殺し合い、政治家が平気で嘘をついて、国民を騙すこの現代に、大人がしっかりと子どもたちに教えなければならないのは、実は、こういった「人の道理」なのではないでしょうか?

「人の道理」のないものに知識を与えることは、福沢先生が求められた「学問の独立」に反し、「学問の敗北」につながってしまいます。

私たち教師は、そのことをしっかり認識しなければなりません。
そして、我が国の早期復興の為には、子どもだけでなく、保護者へも「人の道理」を説いて、この国の教育を救いわなければならないのです。


いにしえの 心に宿る 親心 今の子らには 何と聞こえん




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vol.117 日教組が、全面ストを起こす日が来る!それが国民の選択ですか?


すこし古い記事ですが、日教組の体質を実によく表した事件です。
彼らは、採択された教科書を使用しないで授業をしようとしたのですが、一事が万事この調子です。

 まずは、反対闘争を起こしてみる。
負けた場合は、法廷闘争へ。
そして、今度は、現場での「骨抜き作戦」へと移ります。

今回は、教科書採択で、自分たちの歴史観と合致する歴史教科書が採択されなかった為、組合員で協力して、この教科書を使わないようにしようと画策したものです。

彼らは、こうやって現場を牛耳って、自分たちの思想(イデオロギー)を守ろうとします。
例え、それが非合法であっても意に介しないどころか、それを正当化さえして、「闘争」するのです。



 彼らは、学校現場では、職員会をとても大切にします。
それは、職員会が「学校の最高議決機関」だと信じているからです。
学校教育法では、職員会は、学校長の「諮問機関」と定められているにも関らずです。

ここでも、法律を無視して、組合員の数の多さや、大声で、職員会を牛耳り、自分たちの思想を貫き、管理職に楯ついて、学校現場を混乱させます。

 このように、法律で定められたことを平気で無視して、教育現場で身勝手に振舞うのですから、彼らが巣食う地域や学校では、立法府がどのような法律をつくっても、行政がどんなに教育改革の旗を振っても、学校現場はそう簡単には変わることはありません。
そして、その犠牲になっているのは、子どもたちなのです。



今、国会で現政権は、「協約締結権」を付与する公務員制度改革をしようとしています。
これは、公務員の労働組合に「労使交渉権」を与えようとするものです。
後日詳しく書きますが、「スト権」のない労使交渉などありませんから、いずれは「スト権」が付与されかねない危険な制度改革です。

これは、自らを「労働者」と規定する、日教組らが永年に渡って、政府に求めてきたもの(権利)です。
この国難にむかって国民が一つにならなければならないときに、復興の最前線に立つべき公務員に、さほどの世間的な注目も受けず、驚きの権利が与えられようとしています。

こんな制度改革をすれば、いずれ、学校で全面ストが起き、生徒たちが犠牲になるという悲劇が起きてしまいます。

断じて、教育公務員に「協約締結権」を与えてはなりません。




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vol.116 国旗国歌条例に反対する教師の本性を見抜かなければ、大阪の教育再生はない。

高校生が条例に反対…この違和感は何だ

「国旗・国歌」の大切さや意義を分かって条例に賛成する生徒と、反対する生徒の意見を、きちんと両論併記する産経ニュースの中立さには敬意を表したいと思いますが、教育者としては、もう少しこの記事を掘り下げてみたいと思います。
この反対意見は、「公務員の職務命令義務違反」でしかない問題を、「思想・信条の自由」という次元の異なる議論を加えることですり替えていますが、そのことに気づいていない程度の高2生の稚拙な意見です。
しかし、なぜそういった意見を持つ高校生がいるのかを考えなければ、実は、この条例化の本質は見えてきません。

高校生程度であっても、IT化、情報化と言われる現代では、さまざまな情報を享受していますから、この高2生も、自分が得た情報で誤った判断をしている可能性はあります。
しかし、その発言中にある「無理やり条例化して立たせるやり方」といった文言は、(左翼)教職組合員の言説と全く同じです。

そもそも大阪府議会は、地方議会として、民主主義の原則に則って可決したのですから、「無理やり」条例化したのではありません。
府議会が可決した条例を否定することは、地方議会の存在そのものを否定することになりかねないのですが、そんな過激な思想を、勉学に励む普通の高2生が持つことは、現場の目から見ると、考えづらいことなのです。


子どもを洗脳し、利用する左翼教職員組合
日教組や全教(全日本教職員組合)ら、「国旗・国歌」に反対する組合勢力は、活動の一端を生徒や生徒会に担わせてきたと言っても、過言ではありません。
生徒たちを扇動し、生徒会を操って、学校長に対して「卒業式での国旗・国歌反対」などという要望書をつくらせて学校長と敵対させるなどして、生徒たちに反対闘争の一翼を担わせてきたのです。
 そして、組合が行う「教育研究集会」に、生徒代表を参加させて、「平和」や「生徒参加」などと耳触りのよい文言を並べ立て、左翼的な思想を押し付けて、実践発表をさせたり、意見交流をさせたりしてきました。
記憶に新しいところでは、平成19年(2007年)沖縄で起こった教科書検定闘争のときに、高校生を壇上に上げて積極的に政治的発言をさせるなど、自分たちの政治闘争に子どもたちを利用するのは、彼らの常とう手段です。
これらのことを考えると、今回の高2生の反対意見の中に、教職員組合と同じ言説が混在するのは、組合の洗脳下にあることを証明しているとさえ言えるのです。


学校は、政治闘争の場所ではない!
今回の条例は、保護者や生徒の不起立を問題にしている訳ではなく、教育公務員である教員が起立することを、規程として盛り込んだ条例です。
にも関らず、子どもたちをも巻き込み、洗脳して、自分たちの政治闘争に利用する左翼教職員組合の非情さとデタラメさは、同じ教育に携わる者として決して許すことはできません。

今回の大阪府の条例化は、「国旗・国歌」だけの問題ではありません。
教育を隠れ蓑にして、許されない政治活動をして、生徒をも利用する教職員組合を抑え込む大阪府政の強い決意が見えてきます。
そのことが、教育再生の本丸であることを、橋下知事はご存じなのでしょう。

最高裁で合法とされた職務命令さえも受容できないのであれば、教育現場から退場することです。
教育者として、ルールを守れないようでは、そもそも教員失格であることを自覚すべきですし、そのルールそのものを変えたいのであれば、尚のこと教育現場から退場し、教師を辞して、政治の世界で闘争すればよいのです。
学校は、政治闘争の場所ではない!

子どもを、政治闘争の道具に使ってはならない!

たったそれだけのことさえ守らない彼らを、決して許してはなりません。





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vol.115 教育正常化の芽を発芽させよ!(代表挨拶から)

教育正常化団体

わたしは、日教組らによって歪められた教育を正そうと、「教育正常化」を目指す教職員団体の地方代表を務めています。

昨日は、年に一度の総会が行われ、同じ目的を持った教員たちが集いました。

そのときの挨拶を紹介します。

 

≪これは、国民のみなさんに、こういった活動をしている教職員団体があることを知っていただくために公開するものです。≫

 

代表挨拶

本日は、第49回定期総会を開催しましたところ、多くのご来賓の皆さまにご参列いただき、誠にありがとうございます。

 

さて、311日午後246分に、東北地方を中心に起きた東日本大震災は、大津波を伴って、関東から東北地方の沿岸部を襲い、2万人を越える人命を奪いました。

避難者は最大時で40万人を越え、福島原発の事故も相まって、未だに慣れない土地で避難生活を余儀なくされている人々や、無念にも命を落とされた方々のことを思いますと、同じ日本人として、心が引き裂かれる思いです。

 

しかしながら、この大震災の影にも、われわれ日本人としての矜持を示す出来事がいくつもありました。

例えば、「震災直後に止まった電車の駅で、整然と1列に並んで座り、電車の再開を待つ」姿や、避難所で「空腹と寒さに耐えながらも、救援物資に、我慢強く列をつないでいる」日本人の姿は、世界中の国々から高く評価され、称賛されました。

 

また、津波が襲い来る最後の最期まで、現場に留まり避難放送をし続けて命を落とした役場の若い女性職員や、家族に別れを告げて、消防車に乗り込み、住民へ避難を呼びかけ続け、消防車と共に命を落とした消防団員、中国から受け入れていた研修生を高台に避難させて後に、会社に戻って命を落とした会社役員など、自己犠牲を惜しまず、人の為に最期の最期まで命をかけた日本人たちがこの現代にも多くいたことを、私たちは誇りに思うと同時に、決して忘れてはなりません。

 

今後、我が国は、どれ程の年月がかかろうとも、国民が一丸となって、復興に向けて前を向いて歩んでいかなければなりません。

その復興へ向けての、長い年月の一翼を支えていくのは、今、私たちの目の前にいる子どもたちです。

 

震災の4日後に行われた卒業式の日、3年生の担任をしていた私は、クラスの子どもたちに「我が国の本当の復興を支えていくのは、君たち若い世代です。だから、まずは、この国を愛してほしい。そして、この国を支える人材に育ってほしい。その為に、高校へ行ったら、自分だけのためでなく、この国や、人の為に、しっかりと勉学に励んでほしい。」と話しました。

彼らは、堂々と顔を挙げ、今までにない真剣な眼差しで、私の話を聞いてくれました。

そして、真正面から「国を愛すること」「国のために自分の将来を捧げること」を話しては、反発もあるのではないかとの、私の心配をよそに、保護者たちも、頷きながら私の言葉に耳を貸してくれたのです。

 

あの震災は、我が国に多くの犠牲を強いましたが、同時に、私たちに、「日本人であること」、そして「それが如何に素晴らしいか」ということを、改めて教えてくれました。

だからこそ、「祖国」への、国民の意識に変化がみられたのです。

そんな今だからこそ、その「国を愛することの大切さ」や「日本人であることの素晴らしさ」を、子どもたちに、しっかりと教えていかなければなりません。

 

私たちは、長年に渡って、「美しい日本人の心を育てる」ことを目指して、教育正常化の為に闘って参りました。

その半世紀に渡る長い闘いの中で、やっと先輩方が巻いてきた正常化の種が、今、芽を出そうとしています。

 

今からの私たちの務めは、実践です。

子どもを無視した不毛な議論を捨て去り、ただ、ひたすらに子どもたちの真の幸せを願いつつ、「美しい日本人の心」を育て、そして「我が国の伝統・文化を継承する」実践を積み重ねるのみです。

 

みなさん、どうか学校で、現場で、小さな実践から始めてください。

終りの学活の5分の訓話からで、いいのです。

子どもたちの内に眠る、日本人としてのDNAに火を灯してやってほしいのです。

 

長い年月をかけて、先輩方が巻いて下さった正常化の種を、しっかりと受け取って、現場で発芽させてください。

その芽が、やがて樹木となり、林となって、森となります。

 

たった一人の実践では、林にも、森にもなりませんが、

教育正常化の芽が発芽する現場が増えれば、ひとりひとりの実践は小さくとも、必ず森となります。

 

この高知の子どもたちを、しっかりとした「日本人」に育てること。

それが、東北の被災者を救い、尊い犠牲者の魂の供養になるのです。

 

私たちの組織が、みなさんの実践をつなぎ、林や森にしてくために、懸命に努力してまいりますことをご約束して、挨拶とさせていただきます。

平成23528



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vol.114 キャリア教育の前に、天皇陛下の御田植のお姿を教えよ

天皇陛下が田植え

20110524-00000067-jijp-000-view 天皇陛下は24日午後、皇居内にある水田で毎年恒例の田植えをされた。
 茶色の開襟シャツ姿の陛下は、長靴を履いて水田に入り、うるち米のニホンマサリともち米のマンゲツモチの苗計100株を1株ずつ丁寧に植えていた。
 植えられた苗は9月ごろに陛下が稲刈りをし、米は新嘗(にいなめ)祭などに使われる。(2011/05/24-18:29)時事ドットコム



今年
も、天皇陛下が皇居内の水田で、田植えをなされました。

記事にある新嘗祭は、日本書紀に、【天照大神(あまてらすおおみかみ)が自ら神田を営み、新嘗の祭りを行った】とあるように、古代から大切にされてきました。


現代でも、我が国の祭祀を司る最高責任者である天皇陛下が、国民を代表して農作物の恵みに感謝するという、とても重要な宮中祭祀です。


このように、国民にとっても大切な祭祀で使われる米を、毎年毎年お手植えになられ、刈り取られる今上天皇陛下のお姿に対して、国民の一人として、心からの尊敬と感謝の念を持たずにはいられません。


キャリア学習の前に

ところで、学校教育では、「ニート」や「フリーター」など若者の就業問題を受けて、平成15年(2003年) 文部科学大臣らが取りまとめた「若者自立・挑戦プラン」に基づいて、将来を担う若者たちに勤労観、職業観を育み、自立できる能力をつけることを目的として、キャリア教育が行われています。

しかし、最近の子どもたちは、「勤労は対価(報酬)を得るための手段」としか思っていませんから、中学生くらいになると、「将来は、働かなくてもいいくらいの金持ちになりたい」「少しでも楽して大金を稼ぎたい」と言い、健全な勤労観を育むことは容易ではありません。

日常生活の中でも、子どもたちは、家庭の手伝いや学校での役割分担などでさえ、「いくらくれる?」と対価を求め、自分の成長のための学習でさえも、「成績があがったら、いくらくれる?」と対価を望む姿は珍しくありません。

ですから、仕事が対価(報酬)と釣り合わないと思えばすぐにやめてしまったり、不平不満ばかりを言うことになります。


そんな子どもたちには、キャリア教育の前に、まず「日本人としての勤労観」をしっかりと教えなければなりませんが、今日の天皇陛下のお姿は、まさしく、それを後ろ姿で教えてくださっています。

 

陛下のお姿から学ぶ「勤労観」

ご高齢にも関わらず、長靴を履いて田に立たれる天皇陛下のお姿は、勤労の尊さをわたしたちに教えてくださいますし、国家元首である天皇陛下御自らが勤労に従事するお姿は、我が国の「勤労観」をまさに体現してくださっています。

 

我が国の神話では、天照大神が自ら神田を営み、機織りをするように、神話の神々さえも生業(職業)を持っていました。

それほどに、我々日本人は勤労を尊び、「労働を美徳」となしてきた勤勉な民族です。

 

しかし、戦後教育で、神話や皇室を軽んじてきたがために、2000年紡いできた「日本人としての勤労観」が、次世代につなげなくなってきています。

このままでは、「労働を美徳」としてきた、私たちの文化が滅んでしまいます。

 

だからこそ、まずは、日本の伝統・文化の核(コア)である天皇陛下がなさる田植えの意義や意味をしっかりと教えることから、キャリア教育は始めなければなりません。

それが、子どもたちの健全な勤労観を育むためには絶対的に必要なのです。


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vol.113 「夫婦別姓って何?」と問う中学3年生。教科書に記載する必要があるのか?

教師から見た「夫婦別姓」

わたしは、以前から夫婦別姓については、教師の立場として反対です。

理由は、拙ブログ「vol.10」を参照していただければ分かりますが、

簡単に説明すると、子どもたちの生活環境がこれ以上劣悪にならないためと、家庭崩壊を食い止めるためです。

家庭教育が機能しなくなり、公教育すら「学級崩壊」や「学力低下」など、多くの問題を抱えている現状で、これ以上子どもたちの生活環境が悪化して、家庭が崩壊してしまえば、まさに国家百年の大計である教育そのものが、根幹から揺るぎかねません。


「夫婦別姓」賛成論者たちは、

「別姓になると家庭崩壊につながると言うのは、夫婦同姓が浸透しているために引き起こされる錯覚に過ぎない。」

「選択的夫婦別姓を導入している国で離婚が増加しているのは、別姓が原因では無く、経済的に独立している女性が多いため、夫婦間に愛情が無くなれば婚姻関係を続ける意味が無いからである。」

「別姓だと、必要以上の親戚付き合いや嫁としての責任を免れることができて、個人対個人としての関係を作っていくことができる。」


などと言っていますが、そもそも家庭とは、深い愛情によって形作られている運命共同体ですから、「経済的自立」や「個人対個人」といった(我が儘な)「個人重視」の考え方が浸透してはならない聖域のはずです。

 

子どもたちの健全育成のためには、家族という「共同体の一員としての責任を持った個人」を育てなければなりません。

ですから、やはり「夫婦別姓」は、子どもたちの教育環境の悪化にしかつながらないとしか思えないのです。

 

「先生、夫婦別姓って何ですか?」

定期テストの補充学習をしていたときです。

「先生。夫婦別姓とは何ですか?」

彼女は、中学3年生。「公民」(中学校社会科)の問題を解いていました。

「どうしたの?」と問うと

「テキスト(問題)に載っているので、意味を知りたくて…」

 

私は、愕然としました。

未だ、国民的議論が決着を見ず、国会でも結論が出ていない問題が、中学校3年生の学習テキストに載っているのです。

もちろん、テキストに載っているということは、教科書に載り、「重要語句」の一つとして取り扱われているのでしょう。

「夫婦別姓って何?」という、中学校3年生の素朴な疑問に、誰が政治的(思想的)意図を排して、公平・公正に教えることができるのでしょうか?

 

15歳の中学生の両親は同姓なのに、「別姓に変える」ことを、制度として確立していないにも関わらず、教える必要があるのでしょうか?

甚だ疑問ですし、このような問題について、教科書に載せるべきではありません。

 

テキストに見える「政治的意図」

テキストには、男女共同参画社会の項の最後に

「男女別姓を求めている人たちがいます」と書かれていました。

 

テキストの流れから見ると、男女共同参画社会 → 男女の歴史的立場の変化(女性の社会進出)→ 夫婦別姓 とあたかも、男女共同参画社会を構築する為には、夫婦別姓が必要であるかのような記述です。

 

百歩譲って、中学3年生に夫婦別姓について教える必要があるとしても、「反対意見も多くあり、国民的議論は決着を見ていない」こと、そしてその理由を併記すべきです。

そうすれば、中学生として、中学生なりの答えの出しようもあるでしょう。

それが、教育ですし、学問的中立です。

 

彼らの常とう手段はいつも同じです。

社会的議論やその結論を待たず、教科書に載せて子どもたちを洗脳する。

左翼勢力や日教組による、偏向的な歴史教育の実態も、この[構図]と全く同じです。

 

私たち国民が、このような不正な手段を見逃してはなりません。
公教育が偏向しないためにも、子どもたちの教科書に興味をもってみてください。


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vol.112 皇室抜きの愛国心教育などない!

震災直後の両陛下

 

平成23311日に起きた東日本大震災は、東京でも震度5の揺れを観測しました。

丸の内の中心にある皇居でも、相当の揺れを感じました。

このとき、両陛下は皇居の清掃活動に従事していた奉仕団へ労いの言葉をかけた後に奉仕団の皆さんとお別れをされた直後だったそうです。

 

両陛下は、揺れがおさまると直ちに、奉仕団のみなさんを心配されて、侍従に命じてその安否を確認されました。

奉仕団は、大きな混乱には陥らずに済みましたが、その後東京都内の交通網は大混乱になり、帰宅できない帰宅難民が都内に溢れました。

 

そんな状況をお知りになった両陛下は、「これでは、遠くから来た奉仕団の人々は帰ることができない。」「なんとか皇居内に人々を泊められるように検討」するよう指示され、実際に奉仕団の人々は、窓明館という休憩所に数十名が宿泊しました。

 

これだけでも大変異例のことでしたが、そればかりか、翌朝の7時過ぎには、皇后陛下がこの休憩所に泊まった人々をお見舞いされたのです。

 

震災直後に、ご自分のことよりも奉仕団の安否をご心配される両陛下のお姿に日本人として目頭が熱くなる思いです。

 

その後、東京電力福島原発事故による計画停電の際には、天皇陛下自らが支持されて、皇居でも自主的に停電なされたと言います。

被災地の厳しい環境にある国民と、辛苦を共になさろうとするお姿は、まさに国民の父母の如くです。

 

宮内庁は24日、天皇、皇后両陛下が福島第一原子力発電所事故に伴う東京電力の計画停電に合わせ、皇居・御所で15日以降毎日、自主節電を続けていることを明らかにした。

 羽毛田信吾長官らによると、御所では計画停電の第1グループに合わせて自主的に電源を切っている。17、18、22、23日は1日2回実施。東電が停電を見送った場合も実施しているという。

 羽毛田長官によると、天皇陛下からは「大勢の被災者、苦しんでいる人たちがおり、電源すらない人もいる。私の体調を気遣ってくれるのはありがたいが、寒いのは厚着をすればいいだろう」「いつこういう事態があるかわからないし、こういうことはやってみないとわからないから、学ぶ機会ではないか」という趣旨の発言があったという。(asahi.com

皇室への敬愛の念を育てる

このような両陛下のお姿は、皇室が国民を「大御宝」と呼び、とても大切にされてきた伝統を体現されたものです。

このような両陛下のお姿や、皇室が永年に渡って国民を想い労り、辛苦を共にされてきた素晴らしい歴史を、私たち日本人は誇りに思わなければなりません。

そして、子どもたちに伝えていかなければなりません。

 

しかし、学校現場では未だ皇室について触れるのは、タブー視されたままです。

学習指導要領でも、「天皇への理解と敬愛の念を深める」ことが明記されているのにです。

ですから、戦後教育を受けてきた親たちも皇室については無知なままですから、いよいよ子どもたちは皇室について無知で、何も知りません。

知らされていないのです。

せっかく日本人として生まれてきたのに、とても残念なことです。

 

皇室は、我が国の国体そのものであり、建国の神話に遡って我が国が我が国である由縁そのものです。

そう考えたときに、皇室を抜きにした「我が国や郷土を愛する心」などありはしません。

皇室のことを教えずして、真の日本人を育てることはできないのです。

今こそ、天皇皇后両陛下のお姿から、皇室を敬愛する念を深める教育を学校教育でもなすときです。



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