国民教育のススメ ~教育正常化の風~

「愛国心こそが教育再生のキーワード」 現職公立中学校教諭が、左傾化し続ける教育現場の危機感から、教育正常化を通して日本再生を考えるブログ。保守ブログ相互リンク募集中!

2010年02月

vol.14 教えることを恐れてはならない

ブログネタ
教育問題 に参加中!
 先日、ある教育協議会に委員として参加しましたが、その時に学校の実践発表がありました。内容は割愛しますが、その指導案(教師が作る授業のレシピのようなもの)の中に気になる表現を見つけました。

 指導案には、どの教員がこの授業を教えるのか書く項目があります。それはそれで必要なのですが、その項目に「指導者」ではなく、「支援者」と書かれていたのです。

 これは、何を意味するのかお分かりでしょうか?
一般的に見ると「指導」と「支援」に大差は無いように見えますが、この思想が日本の教育を蝕み、教育の混乱を生んできた元凶のひとつです。

 この表現には、「教師は、生徒を指導するのではなく、支援するものである」という過度の子どもへの人権思想が隠されています。支援とは、通常、相手を分別のつく立場として認めて、最小限の手助けをすることを意味します。企業支援、子育て支援などの言葉をイメージすれば分かると思います。

 この思想の恐ろしいところは、子どもを無条件に分別ある大人のごとく扱っているところです。教育の原点は、読んで字のごとく「相手の未熟な部分」を「教え育む」ことですから、子どもを無条件に一人前の大人扱いしてしまっては教育という概念すら崩壊してしまいます。
 にもかかわらず、敢えて「支援」という言葉を意図的に選んで使用している人たちは、「子どもはありのままでいい。それが個性だ」という幻想に憑依されているとしか言いようがありません。教育者であり、教師と呼ばれる自らの存在の自己矛盾に気づかないのでしょうか?

 子どもは、教え育む対象です。支援しているだけでは正しく育っていくはずはありません。「教師が教えすぎる」という批判をよく耳にしますが、それは教え方が不適切なだけで、適切な教えに教えすぎると言うことはありません。
 また、「子ども自身が考えることが大切だ」と主張する人たちもいますが、子ども自身が考えることも、教師の教えの中で正確にできるのであって、勝手な考えを膨らませても正しい答えは見つかりません。

 戦後教育、特に近年の教育は、教えることに憶病になっています。教えることが、あたかも子どもの個性や学ぶ意欲を削ぐかのような論調が闊歩しています。
 しかし、そもそも教育とは強制であり、矯正ですらあります。大人が守ってきた価値観や蓄積してきた知識を、(無理にでも)子どもに身につけさせることが教育であることを忘れてはなりません。

 教師が教えることに憶病になっていては、学校は成り立ちません。そればかりか、そんな学校は必要ないと言わなければなりません。教師は、「支援者」ではなく、「指導者」です。
 「支援」などと子どもに迎合した耳触りのよい言葉で、この混乱した教育界を是正することなどあり得ませんし、子どもの将来に渡る真の幸せを保証することなどできないのです。

vol.13 保守思想が学力をつける

ブログネタ
教育問題 に参加中!
文科省が実施する全国学力テストでは、見落とされがちですが「学習や生活の状況に関する調査用紙(アンケート)」が同時に行われます。これは画期的な取り組みで、分析することで日本全国の子どもたちのさまざまな状況を把握することができるようになりました。

中でも、学力の高い子どもと、そうでない子どもの「考え方」に違いがあることが分かってきました。
具体的には、「人の気持ちが分かる人間になりたいと思う」「いじめは、どんな理由があってもいけないことだと思う」と答えている子どもたちは、そうでない子どもたちに比べると正答率が高い(学力が高い)ということが分かってきたのです。

 これは、現場の教師であれば、薄々気付いていたことでした。一概には言えないにしても、学力が定着していない子どもたちは、身勝手で、我が儘で、自己中心的です。それがデータによって、学力と「考え方」「心の有り様」には相関があることが明確になり、その教師の抱くイメージが間違っていないことが分かってきました。子どもの「心の教育」をなおざりにしていたのでは、学力が定着しないことが分かってきたのです。

では、どうやって心を育てればいいのでしょう。そのキーワードは保守思想です。保守思想と言うと堅苦しく聞こえますが、決してそうではありません。簡単に言えば、日本の伝統・文化を大切にすることなのです。

 では、なぜ日本の伝統・文化を教育すれば、子どもの心が育つのでしょうか?それは、大きく分けて三つの理由からです。
 一つ目は、日本の伝統・文化の崇高さを考えれば分かります。例えば、文化の一つに武士道があります。この武士道は、一言で言えば「己を磨き、相手を敬う」精神の現れです。道徳をこれほど見事に昇華させた文化は世界にありません。それを受け継ぐ作業は、子どもの心を確実に豊かにします。

 二つ目は、生徒の中に眠っているDNAを呼び覚ますからです。日本人の道徳が廃れたといっても、大きく廃れたのは戦後60年間余りです。生徒の中には、2000年以上受け継がれてきた日本民族のDNAがあります。まして、世界で最も礼節正しく、清廉であると言われた日本民族のDNAです。伝統・文化を学ぶことでそのDNAを呼び覚ませば、2000年を越える歴史が子どもたちの荒廃した心を救ってくれるはずです。

 三つ目は、安定した心には、アイデンティティーの確立が必要だからです。人は、自分に自信がないと(自尊心と言います)、何事も頑張れません。それは大人も同じことです。
その自尊感情を育てるには、まず日本人の誇りを教えることが先決です。なぜなら、自分の生まれた国を誇りに思う気持ちは、自分の家族や自分自身を誇りに思う心と繋がっており、その根っこが日本人としての誇りだからです。子どもたちは、崇高な日本の伝統・文化に触れることで、自然に日本という国の素晴らしさに気が付き、その一員に生まれたことに喜びを感じ、心が安定して学ぶ意欲が沸いてくるでしょう。

端折って非常に簡潔に書きましたから、分かりずらいこともあるでしょうが、結論を言うと、学力をつけるためには、日本人らしく育てることが大切です。それを補うのが保守思想ですから、保守思想が子どもたちを救い、学力をつける唯一の思想であるわけです。

vol.12 歴史教育と「日本の神話」

ブログネタ
憂国 に参加中!

 先日の2月11日が、なぜ「建国記念の日」なのか
その意味を知らない日本人が年々増えています。
「大日本帝国憲法の発布された日」(そのことは事実ですが)だとか、「戦後の日本が新たなスタートを切った日」だと言う人までいます。
まして、生徒たちはほとんどが知りません。大人が知らないのですし、学校で教えることもないのですから当然でしょう。

「建国記念の日」は、古事記にまで遡る雄大な日本の歴史の産物です。
今年は、皇紀2670年ですが、この2670年前、東征(九州方面から東へと攻めのぼった)を経て、大和の橿原で神武天皇が初代天皇に即位された日を現代の太陽暦に換算して、我が国(日本)の建国の日としてお祝する大切な日なのです。

 この雄大な歴史を今の日本人の多くは知りません。もし、知っていたとしても「大和朝廷が2670年も前に存在した証拠などない。」「神武天皇が存在した証はない。」と、古事記は神話が書かれているので非科学的であると言う人たちが多くいます。

しかし、そうでしょうか?
むしろ、神武天皇が実在されたかどうかなど大した問題ではないのです。大した問題ではないなどと言うと叱られるかも知れませんが、それが歴史的事実がどうかではなく、そういう物語(神話)を戴いて、日本という国が現在まで綿々と続いていることが大切なのです。
ですから、そういう意味では神武天皇は実在でなくても存在されており、それが事実でなくても、日本人の歴史の真実なのです。


 このように、わたしたち日本人には、日本誕生の歴史(神話)があります。しかし、戦後の学校の歴史の時間で子どもたちには教えられることはありません。理由はいろいろあるようですが、「事実ではないから。」「立証できないから。」といった理由が大半でしょう。その代わりに、猿→原人→現代人(縄文人・弥生人)といった進化論が教科書のトップを飾ります。これでは、猿→日本人と教えているようなものです。
 進化論は、学問ですから教える必要あるでしょう。しかし、教えるなら理科で教えればいいのであり、歴史の時間には必要ありません。それよりは、雄大な日本神話を、わたしたち日本人の真実として教えるほうが、どれほど子どもたちにとって楽しい歴史になることでしょう。

 
 戦後の日本人が、どうして自らの神話を手放したのか?それは、もう説明しなくても多くの人は知っているでしょう。決して、自ら葬った訳ではないこともご存じの通りです。

 
 現代の子どもたちは、自らのアイデンティティーの確立に苦しんでいます。青年期に躁うつ病にかかったり、どこかで自殺者が出るとそれを後追いする子どもたちの現実を見ても分かることです。
 「日本人の誇り」を大人から教えられず、むしろ教育で「誇り」を奪われているのですから、当然のことでしょう。
 今こそ、子どもたちに「日本人の誇り」を持たせる教育が必要です。そのためには、日本人の悠久の歴史である「神話」を教えてやりたいものです。

vol.11 坂本竜馬から学ぶ日本人としての道徳教育

ブログネタ
憂国 に参加中!

sakamotoryoma道徳教育に必要なキーワードは、「教育勅語」に代表される日本の伝統・文化に裏付けられた徳目の指導であることを前の記事で書きました。

今回は、わたしの授業の一例を紹介します。


 「ゆく春も 心やすげに見ゆるかな 花なき里の 夕暮れの空」


この和歌は、坂本竜馬が、桂小五郎に揮毫を求められたときに書き贈ったものだと言われています。
 幕末激動期に竜馬が詠んだ和歌ですが、この歌からは、現代に流通しているイメージである彼の「自由奔放な様」や「国家を憂える気概」ばかりか、武人としての「勇ましさ」さえも見えてきません。竜馬の「自然を見つめる優しさ」や「春の終わりへの悲哀さ」が詠み込まれているだけです。



 新渡戸稲造は、著書「武士道」の中で、
「武士に和歌を詠むことが奨励されたのは、より優しい感情を表面にあらわし、その半面に勇ましさや情けとしての仁を内面に蓄えるためのものであった」旨のことを記しています。そして、和歌に日常を詠み込む心は、武士にとって「平常心を保つ」訓練であり、「平静さに裏打ちされた勇気」を練磨する道であったと書いています。

 竜馬も、国事に奔走する激しさを内面に蓄えるために、平素から優しさや悲哀を歌に詠んでいたと考えられます。だからこそ、命を賭けて国事に奔走できたのです。

このことは、

「勇ましさ(勇気)とは、内面に優しさを持ってこそ形作られる」

という、日本武士の精神性の高さをあらわすエピソードです。何事もない和歌を通して、竜馬がいきいきと日本人としての生き様を見せてくれるのです。生徒たちは、この竜馬の和歌をつかった授業で、日本人が古より大切にしてきた文化や精神性の高さを感じ取ります。そして、自己の生き方を深く考えるきっかけにするのです。竜馬が現代に蘇り、生徒たちの心の師となり、
子どもたちの目は光り輝きます。


 日教組は、長年「道徳教育」に反対してきました。
しかし、彼らが反対してきた戦後教育の道徳授業とは、「勇気は内面に優しさを持ってこそ形作られるものである」ということすら、教えることができないほどの低レベルのものがほとんどです。だからこそ、今の日本人の道徳性の低さを表す事件が頻発しているのでしょう。

 これからの道徳教育に必要なことは、この実践のように日本人としての叡智や精神性の高さに迫るような教材を見つけ出し、授業で現代に蘇らせる作業(教材研究)です。
子どもたちを、日本人としての誇りを持って生きていけるように育てることが、道徳教育の根幹なのです。

vol.10 教員の目から見た夫婦別姓反対!

ブログネタ
憂国 に参加中!
 与党から「夫婦別姓法案」が提出されようとしています。教員は、政治的発言を控えるべきであると思いますが、この問題については看過できません。学校現場にいる教員として、この法案に感じている「危険性」について書いてみます。

 平成19年の人口動態統計によると、離婚件数は、1年間で約25万5000件。そのうち未成年者のいる割合は57%。約24万5000人以上の子どもが親の離婚に巻き込まれている現状があります。学校でも、母子家庭、父子家庭の比率は上昇し続けているのが現実です。

 そんな中、今回の法案が通れば、益々、離婚家庭が増加するのではないかと危惧しています。選択制で同姓も認められるようですが、別姓を選択した場合、離婚によって姓が変わることがなくなり、離婚へのハードルが低くなります。
 また、現実的に別姓夫婦が定着してくれば、同姓を名乗らなくても夫婦なのですから、そもそも結婚する必要もありません。となれば、シングルマザーが増加し、婚外子が増える可能性も高くなります。

 子どもたちのことを考えると心が痛みます。やはり健全に子どもが育っていくには、両親が揃っていることが大切です。それも、家族が同姓で、一体感を持って生活していることに大きな意味があります。そういった両親の愛情や家族の一体感を感じて、子どもの精神は安定しますし、心も健全に成長するのです。まして、それは長年日本人が守ってきた家族の在り方でもあります。

 決して、母子家庭、父子家庭の子どもたちだけが問題が多いとは思いませんが、寂しい思いをしているのは事実ですし、何らかの問題に発展するきっかけや原因になってしまうことがあるのも、また事実です。

 将来の日本や世界を背負って立つ子どもたちが、両親の豊かな愛情に包まれながら、すくすくと育っていけるためにも、どうか、軽々な議論で決めてしまうようなことが無いことを、政府・与党に期待しています。

vol.9 道徳教育と教育勅語

ブログネタ
憂国 に参加中!
 学校で行われている道徳教育について決定的に欠如していることがあります。それは、生徒の心を揺さぶる教材の不足と徳目の曖昧さです。

 中学校では、例えば「裏庭でのできごと」(裏庭の窓ガラスを割ってしまったことを言い出すかどうか?で悩む主人公の姿を描いた文章)など、生徒の実体験に即したものや、近い将来経験するであろうことを扱った題材が多くつかわれます。
しかし、これらの教材は、場面場面での行動を考えることはできても、その生徒の生き方や生き様に迫ることができません。

 では、どのような教材が生徒の心を揺さぶることができるのでしょうか?
それは、「人間共通の道徳(徳目)」などという綺麗ごとではありません。
永い伝統の中で培われてきた日本人のDNAとして流れている、日本人としての道徳(徳目)を教えることができる教材です。

では、それは具体的に何でしょう?


爾臣民父母ニ孝ニ
兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ
修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開
キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無
窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス
又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン


あなた方臣民よ、父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は調和よく協力しあい、友人は互いに信じ合い、慎み深く行動し、皆に博愛の手を広げ、学問を学び手に職を付け、知能を啓発し徳と才能を磨き上げ、世のため人のため進んで尽くし、いつも憲法を重んじ法律に従い、もし非常事態となったなら、公のため勇敢に仕え、このようにして天下に比類なき皇国の繁栄に尽くしていくべきです。これらは、ただあなた方が我が忠実で良き臣民であるというだけのことではなく、あなた方の祖先の遺した良き伝統を反映していくものでもあります。



これは、「教育勅語」に書かれている文章です。その答えは、この中に全てあります。日本人が守るべき徳目が網羅されています。
しかし、戦後教育のスタートは、まずこの「教育勅語」を国会が否定することから始まりました。

そういう意味では、現在の道徳教育は、日本の伝統・文化を継承しておらず、そのスタートから間違っているのですから、生徒たちの道徳心や規範意識が高まるはずはないのです。目を覆うばかりの日本人の道徳心の衰退は、当然のことなのです。

「教育勅語」を称賛すると右翼だと揶揄する人々がいます。復古主義で、時代錯誤だという彼らは、おそらく本文を読んだこともない人たちでしょう。
徳目として間違っている内容があるならば、指摘してほしいものです。
皆さんも心を正し、自分のDNAに正直に音読してみてください。きっと美しい日本人の心が素直に反応します。心は正直です。
「良いものは良いのです。」

そこに日本人の道徳心の原点があるのです。
「教育勅語」を取り戻し、生徒たちに素直に教えることが道徳教育の出発点です。

vol.8 靖国神社を考える

 

yasukuni

 先日、東京で会議に参加したのですが、会議が予定より早めに終わり、飛行機まで少し時間が空きました。 会議内容が張っていて時間が取れない… と半ばあきらめていましたが、「靖国神社」へ参拝に行くことができました。
 
 靖国神社は、幕末以降に国のために殉じた英霊を御まつりしています。数年前には、小泉元首相が参拝するしないで世間を賑わせたので、記憶している人も多いことでしょう。
 本来、我が国のために命を捧げた英霊に対して、時の首相が参拝して、平和を祈ることが物議を醸すこと自体がおかしいのです。ましてや、近隣諸国からとやかく言われる筋合いはないはずです。
 それを、あたかも平和を脅かし、外交的混乱をきたすかのような報道はマスコミがつくり出した虚偽報道としか言いようがありません。記者諸氏は、偏ったイデオロギーを排して、純粋な日本人として参拝されたことがあるのでしょうか。この神聖さを感じ得ないようでは、もはや日本人ですらないと言えます。

 参道を抜けて、参拝のために本殿へと進みでると、凛とした雰囲気と英霊の鼓動が聞こえるかのような緊張感が自分が日本人であることを再確認させてくれます。
 この国のために捧げた命の犠牲があってこそ、今の日本があるのですが、参拝をしていつも思うのは「こんな国をつくるために英霊たちは命を捧げたのか。」ということです。

 学校では、靖国問題は謂わばタブー視されています。
戦後教育では、宗教教育ができない仕組みにされてしまい、一宗教法人にされてしまった靖国神社を教材にできません。そして、政治的思惑を持ってマスコミが騒ぎ、左翼的思想で戦前戦中の日本だけを悪者扱いにするので、「我が国のために命を捧げた英霊に敬意を払い、今の平和な日本に感謝する」という、日本人として当たり前の教育すらできないのです。

 我が国は、どうして死者に鞭を打つような国になり下がってしまったかと嘆くとともに、子どもたちの道徳心や規範意識の低下に歯止めを掛けることすらできない不甲斐なさに、英霊に申し訳なく心が震えます。

 「英霊よ。この国をお守りください。胸を張って、あなたがたのことを子どもたちに正しく教えることができる日本になるよう努力します。」

vol.7 偏向教師は、子どもたちの為に教育界から退場せよ。

日教組に所属する北海道教職員組合(北教組)による、小林千代美衆議院議員への1600万円に上る違法献金が報道されています。

 そもそも、教職員は組合を組織することすら認められていません。認められているのは、「教職員団体」であって、勤務条件などは交渉権を有していますが争議権(スト権)も付与されてはいません。ましてや、政治活動を行うことは法律によって固く禁止されています。

 しかし、北教組は政治活動をもっぱらとして、勤務時間内にも選挙運動をしていたというのだからデタラメです。そして、違法献金の原資が「主任手当」拠出運動の積立金ではないかという疑惑が浮上してきました。

 学校には、管理職(学校長、教頭)以外に、学校運営と教育諸般の連絡等を円滑に行うために、教務主任、生徒指導主事、学年主任などの主任手当(出勤日一日につき200円程度)が支給されている教員がいます。
 日教組は、この主任手当に対して長年に渡り「教職員に上下関係ができ、和を崩す」といった理由で反対してきました。しかし、それが「横並び主義」であるのと同時に「無責任主義」であることは、社会の普通の組織と比べれば明瞭です。

 高知県でもかつて同様の反対活動がありました。わたしが初めて主任手当が支給される立場になったときは、組合員以外にも協力を願って「手当拠出」→組合(または学校ごとの分会)が管理するという仕組みでした。高知県では、それらの拠出金を生徒へ還元しようと、分会ごとにビデオや本を購入(もちろん左翼思想を補助するようなものでしたが)していたので、まだ北教組よりは良心的なものでした。

 北教組ではこれらを長年プールしていたようで、その額が数十億円と言われています。そのプール金から違法献金をした可能性を指摘されているのです。
 違法献金はもちろん許されることではありませんが、その原資が主任手当拠出金からだとすると、明らかに児童生徒及び国民への背任行為であり、その手当を拠出した組合員は教職員失格です。
 何故なら、主任手当も児童生徒育成のために国会決議を経て投入された税金であり、支給された各主任がその職責を果たすことでしか合法性が担保できないからです。

 公立学校の教職員は、教育の政治的中立を守るべき立場であり、そこに政治活動や政治的イデオロギーを持ち込んではなりません。
 しかし、それを平然と無視して、政治活動に邁進し、イデオロギーを教育現場に持ち込む「偏向教師」は、早速に教壇から去り、教育界から退場してもらう他にありません。

vol.6 子どもたちに見せたい誇りある歴史の虹

昨日は「渡部昇一先生の講演会」の運営でした。約200名の方々にお集まりいただき感謝です。また、運営者の役得と言いますか、渡部先生のお世話をさせていただき、直接お話しをしたり、一緒に食事をとらせていただいたりと大変貴重な体験をさせていただきました。ありがとうございました。

 ところで、渡部先生のご講演で印象に残ったお話がありました。それは、子どもたちに歴史を教えることの大切さです。ただ歴史の事実を並べても意味がないということでした。大事なのは、歴史を物語として教えることなのです。

 歴史のひとつひとつの事実は、あくまでも水滴です。いくら水滴を詳しく学んでも、水滴のことしか分かりません。しかし、水滴がたくさん集まり、光が当たるとそれは「虹」になります。子どもたちに教えなければならない(見せなければならない)のは、「日本人の虹」だということです。

 しかし、学校では、「日本軍は侵略戦争をして、アジアの人々に多大な迷惑をかけた。そして、国民は日本軍に騙されていた。それを解放したのは米国である。」という、米国の歴史観に立った歴史教育がなされています。今は、それを左翼思想に塗り固められた教職員組合が推進しています。この歴史観で歴史を見ると、明らかな大量虐殺であり国際法違反である原爆投下すら、「日本人が悪いことをしたので落とされた」ということになってしまいます。

 こうやって歴史を学ばされる子どもたちは、自分が日本人に生まれたことを呪い、自分の先祖を「人殺し」と罵るようになってしまいます。そうなれば、自己のアイデンティティーすら確立できずに、不安定な個として人格形成がなされます。これが、いかに子どもたちを不幸にするかを想像することは難しくありません。

 歴史の事実のひとつひとつを見れば確かに戦前戦中の日本に反省すべき点は探せるでしょう。しかし、それは、当時の国際状況の中で不幸にも起きたことであり、日本人が積極的になしたことではありません。大きな歴史の流れをみれば、世界で唯一日本人が有色人種を代表して、白人に立ち向かい闘ったのです。そのことに誇りこそ感じても、恥に思う必要はありません。

 大人たちが、「日本人の歴史」を胸を張って堂々と子どもたちに語ることが大切なのです。

vol.5 国旗国歌反対を教育現場に持ち込む左翼勢力

 平成11年に国旗・国歌法が制定されて以降、国内では正式に「日の丸・君が代」が国旗・国歌として定められました。それまでの、歴史ある慣習法として国旗・国歌を守ってきた美しい姿が失われたのは残念でしたが、時代の流れではいた仕方ない法制定でした。

 わたしが、初任教員として中学校現場でスタートした平成4年当時は、日教組が「日の丸・君が代反対闘争」を全国的に展開していたころでした。
職員会では、「卒業式の会場に日の丸を持ち込ませない」「君が代を斉唱させない」とする組合員と管理職が対立していました。実際に、わたしの勤務していた学校でも、夜の11時を過ぎるまで議論をしていました。

「日の丸の赤い色は、アジアの人たちの血の色だ。そんな旗は卒業式に相応しくない」
「君が代の君とは天皇を指す言葉で、天皇を擁護する歌である君が代は国歌に相応しくないから歌えない。」 
「日の丸と君が代のもとで、日本が多くのアジアの人々を虐殺し、迷惑をかけた歴史を考えると、それを子どもに押し付けるのは非常識だ。」

などと、組合員たちは断固として卒業式には持ち込ませずという姿勢を貫いていました。当時は、教員駆け出しで日教組と言う組織すら分かっていないわたしでさえ、彼らが吐く言葉に違和感と嫌悪感を覚えました。

「では、わたしたちや子どもたちは何人なのだろう?」
それが、わたしの正直な感想でした。学生時代、部活動に力を入れてきたわたしは、胸に日の丸をつけることを夢見ていました。
世界の舞台で、高々と掲げられる日の丸を見て美しいと思っていました。

 「なぜ、そんな思いすら否定するのだろう?」と疑問を持ち、初任教員ながら、職員会でその旨を申し出ました。そのことで、いじめられたりすることはありませんでしたが、意見は無視されて後味の悪い思いをしました。結局は、日の丸は式場に持ち込ませずに、式典とは無関係の校長室に掲げ、君が代は着席のままテープを流すという、折衷案にもならない方法で決着せざるを得ませんでした。


 人が、自分の生まれた国に誇りを持ち、その国の国旗や国歌を大切にするのは世界的な常識であり、マナーです。それを日本の場合にだけ否定する左翼思想には、この国を貶める明確な意思があります。今後歴史教育についても書いていきますが、歴史をも歪曲しています。
 
 そのような人間が、未来の「日本人」を育てるべき公立学校の教員に多くいることが、この日本の教育現場の厳しく悲しい現状です。
子どもたちは、こう言った左翼教員に洗脳されてしまうのです。これでは、まっとうな日本人が育つことはありません。

今年も、卒業式が近づいてきました。
日本全国で、日の丸のもとで教職員が模範となって国歌を歌い、子どもたちの旅立ちを祝える式典が粛々と取り行われることを切に願います。

vol.4 「ジェンダーフリー」教育の落とし穴

 ジェンダーフリーという言葉を聞いたことがあるでしょうか?

数年前、学校現場を席捲した言葉です。言葉の意味は、ジェンダー(性差)フリー(自由・無くす)です。この考え方の元、学校には男女混合名簿などが持ち込まれるようになりました。
 
 人権学習の中で、「○○○らしい」という言葉がやり玉に挙げられ、「男らしい」「女らしい」という表現が男女平等の人権意識を後退させる、と子どもたちは教えられました。小学校のランドセルの色さえも、男子が黒、女子が赤というのはおかしい、体育の着替えも男女別にするのはおかしい、トイレも男子が青(黒)女子が赤で表記されるのはおかしいなど、結果としての男女平等が必要であると教育されたのです。日本では伝統であった「男は社会で働き、女は家庭を守り子どもを育てる」ことが、封建的で、否文化的であるとされました。

 もちろんこのような考え方は普通に考えれば間違っています。男は男らしく、女は女らしくあるのが当然ですし、道徳的にもそう求められて当然です。男女平等は必要ですが、それは機会の平等が大切なのであって、結果の平等を求めるものではありません。

 家庭の中でも、父親と母親の役割は違います。共働きの家庭が増えてきましたが、家庭の在りようは昔と大きく変わってはいません。
家事をするかしないかという問題ではなく、家庭には父親には父親の、母親には母親の役割があります。しかし、ジェンダーフリーの考え方を家庭に持ち込むと、「父親らしさ」や「母親らしさ」さえも否定され、「子どもらしく」生きる価値さえ崩壊してしまいます。

 このような考え方を左翼思想者は意図的に教育現場に持ち込んできたと思われます。その大きな目的は、家庭の崩壊や日本の伝統文化の否定です。日本の伝統文化から家庭を切り離し、家庭崩壊が浸透すれば個人は家庭から離れて、浮遊します。そうしておいて、日本人としてのアイデンティティが育たず、日本が背骨から腐っていくことを望んでいるのです。

 現在では、これらの危険性が指摘され、ジェンダーフリーという言葉も教育現場から消えました。しかし、「人権」「平等」という耳触りのよい言葉を振りかざして、左翼思想を教育現場に持ち込もうとする勢力はいまだに存在します。わたしたち国民が気をつけていないと、日本の教育は崩壊しかねないのです。


 

vol.3 全国学力テスト悉皆調査廃止の裏側

 政権交代により、与党の事業仕分け作業で全国学力テストの悉皆(全員が参加)調査が抽出調査に変更されました。予算の無駄を省くこと、全国の子どもたちのの学力を調査するには抽出調査で十分であることなどがその理由です。与党の支持団体である日教組は、もともと全国学力テストに「序列・競争をあおる」として反対していたので、その趣旨に沿った結果となりました。
 
 しかし、学力テストを実施して、本当に序列化されるのは生徒ではなく、教員・学校です。学校の平均点が、市町村内や県内または全国の平均を大きく下回るということになれば、その教員や学校の指導力のレベルが大きく下回っているという評価になりかねません。ということは、教科指導に力を注いでいない教員や授業についてきていない生徒に手立てを立てていない学校は、その責任を問われるので、「学力テスト」などしてほしくない、ということになるのです。

 このように序列化されることを教育界が嫌う根底には、日教組が教員を労働者と規定し、違法なストを繰り返すなどして、勤務評定反対闘争などの権利闘争で作り上げてきた「横並び主義」とでもいうべき、「否競争主義」があります。そうやって、やらない教師や学校が目立たず安穏として存在していられる雰囲気を作り出してきたのです。

 学校現場では、この3年間学力テストによって、厳しい現実が突きつけれらてきました。特に私の勤務する高知や大阪など、全国平均を大きく下回った都道府県では、今までの教育の根幹が揺さぶられました。学力をつけてこなかったことが明白になったのです。そこでやっと、県や市町村のリーダーシップのもと、各学校で真摯に学力をつけるための方策が考えられ、実践され始めています。その努力を今後に活かし、生徒に確実な学力を保障する為には、学力テストの真の当事者である教員や学校が、毎年この試練に耐えて、創意工夫をしていくことが必要なのです。
 
 わたしが安心したのは、高知県など複数の都道府県では、県単位で予算を組んで悉皆調査を続けることになりました。今後は、国語・数学の2教科だけでなく、理科・社会・外国語を含めた悉皆調査がなされることが日本の教育のレベルを上げていくには必要です。
 こう考えると、学力テストが悉皆から抽出になり、安心しているのは、日教組と教育に無責任な教員たちだとの予想は難しくありません。

vol.2 渡部昇一先生 講演会

人気ブログランキングへ今週の土曜日(2月20日)に渡部昇一先生(青山学院大学名誉教授)の講演をお聞きします。この企画は、私たちの団体が渡部昇一先生をお招きして、国民(県民)と一緒に、これからの日本の教育について考える機会を持とうと企画したものです。

民主党政権が誕生し、益々混乱が予想される学校現場ではありますが、
このように今の日本を憂いている志を持った国民(県民)が集い、渡部先生のご教授を受けることは、教育の正常化のために不可欠な土壌づくりです。

 clip_image002今回は、昨夏の全日本教職員連盟の全国教育研究大会(香川・高松市)でお会いした育鵬社(フジサンケイグループ)のご厚意により、日本で最も著名な保守論壇の重鎮をお迎えすることができました。
 また、渡部先生のご厚意で破格の謝礼でお迎えすることができ、チケット代(入場整理料)も、1000円と低価格で抑えることができました。東京で渡部先生のお話を聞こうと思うと、こんな金額ではありえません。
 また、急な開催決定で、会場確保にも苦労しましたが、なんとか春野文化ホール「ピアステージ」をお借りすることができました。高知市内からは、少し交通に不便ですが、座席数456と立派なホールです。無理を言って、ホールをお貸しいただいた方々にもお世話になりました。
 多くの方々のお力添えでこのような機会を設けることができました。人の縁(えにし)とご厚意に心から感謝です。

会場は、高知市中心街から車で20分程度の距離ですので、四国内の方ならば午前中に自宅を出発すれば、開演時間13時50分に間に合います。まだ、チケットも残っていますので、どうぞ、興味のある方はこちらへアクセスしてください。  http://www18.ocn.ne.jp/~kokyoren

vol.1 日本の教育を正常化する!

人気ブログランキングへ

わたしは、教職員団体の代表をしています。この組織は、「全日本教職員連盟」に加盟しており、日本の教育の「正常化」を目指している団体です。(注:組合ではありません。われわれ公務員は、現行法では組合活動をすることは禁じられています。教職員団体とは、組合活動をなすものではありません。)


なぜ、教育の「正常化」なのか?それを少しお話します。

戦後の教育は、日本教職員組合日教組)が長年にわたり教育界に君臨してきました。その結果、教師が労働者となり、子どもたちをそっちのけで、ストや権利闘争に明け暮れる暗黒の時代が長年続いてきました。

 そんな中、日教組反日思想に裏打ちされた不条理さに疑問を持った健全なる教職員たちが、是々非々(よいことはよい、悪いことは悪い)という信念のもと、労働者としてではなく教育専門職として、日本の教育を正常化させるために組織を作ってきました。それが、全日本教職員連盟であり、わたしが代表を務める高知県教職員団体連合会です。

 近年、教育基本法が改正され、日本の教育は正常化が進んでいます。しかし、まだまだ全国的な流れにはなっておらず、未だにほとんどの教職員が日教組に加入し、組合活動を学校現場に持ち込み、教育現場を混乱させている都道府県も残されています。

 教育は、「国家百年の大計」と言われます。戦後60年以上が経過しましたが、まさに戦後教育に蝕まれた我が国民は、道徳心を失い、伝統文化を軽んじ、精神的成長を遂げることなく、物質的豊かさにだけ目を奪われて、未来に夢を抱くことすらできなくなろうとしています。今こそ、我々善良なる教職員が、教育を我々日本人の未来のために、取り戻す必要があります。

 そのためには、多くの国民の皆さんの応援が必要です。

 今後、教育現場のことや教育界のこと、広義では社会のことなど、思うがままに綴っていき、多くの国民の皆さんに現在の教育へ関心を深めてもらうきっかけになればと、ブログを開設しました。どうか、ご声援をお願いします。

プロフィール

代表者

アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

応援お願いします
記事検索
最新コメント
「最新トラックバック」は提供を終了しました。
RSS
Twitterボタン
Twitterブログパーツ
意識調査1
意識調査2
意識調査3
お問い合わせ
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ