国民教育のススメ ~教育正常化の風~

「愛国心こそが教育再生のキーワード」 現職公立中学校教諭が、左傾化し続ける教育現場の危機感から、教育正常化を通して日本再生を考えるブログ。保守ブログ相互リンク募集中!

2010年04月

vol.44 日韓併合をどう教えるか ~昭和の日に思う~

kis0106-044_m  今日は、「昭和の日」国民の祝日です。
昭和天皇の御生誕日であり、その御偉業に思いを馳せるにはとても感慨深い日です。

ところで、先日「日韓歴史共同研究委員会」による日韓両国の歴史のすり合わせが不調に終わったことを書きました。
無論、歴史のすり合わせに国益はありませんから、それでよいのですが、我が国の子どもたちに両国の歴史をどう教えていくのかについては、まだまだ課題があります。

特に、両国間には「韓国併合」という歴史が横たわっています。本年は、日韓併合条約締結100年に当たる年ですが、昨今の若者はその事実すら知らないようです。
ここにも、日本人の国史離れが進でいる姿があり、「自らの歴史を喪失した民族は滅亡する」という言葉が重くのしかかります。


近年、日韓両国の歴史学者から、韓国併合を単純に「日本による植民地化」として定義することに疑問が投げかけられるようになりましたが、教育界では主流ではありません。
人権教育とリンクさせて、「創氏改名」を朝鮮人民の氏名を奪った単なる愚策のように教えるなど、戦前日本の軍国主義の代名詞の如く、日韓併合を扱う教育がなされてきたことも事実です。
このままでは、日本の子どもたちにとっては祖先を卑下することになってしまいます。
日韓両国の未来的な建設的協力関係にとっても、決して良いはずはありません。


昭和59年(1984)年に韓国の全斗煥大統領が、歴代大統領として初来日したときの宮中晩餐会で、昭和天皇は次のように発言をなされました。
「今世紀の一時期において、両国の間に不幸な過去が存在したことは、まことに遺憾です。このようなことは、二度とあってはいけません。」
このお言葉が、日本国民の象徴であられる昭和天皇の歴史認識でしたし、当時の国民はそのお言葉に胸を撫で下ろしました。
 
昭和天皇のご認識の様に、韓国併合とは、韓国のみならず、日本にとっても不幸な出来事だったのです。
詳細な歴史的事実は割愛しますが、日本が韓国を併合せざるを得なかったのは、国防上致し方なかったからです。東アジアの政情安定やロシアのアジア進出を食い止めるためには韓国の近代化がどうしても必要でした。また、日清戦争後の大韓帝国の日和見外交も問題でしたし、日韓併合に反対する伊藤博文が暗殺されたこともそのきっかけになりました。
我が国が独立を守り、東アジアが西洋列強国による植民地化から脱するためには不可避な選択だったのです。
 
ですが、いくら大義があっても、道義的には韓国人民の自存自立(独立)を妨げたことは苦渋の判断でした。
事実、併合後の朝鮮への支出は、日本にとって大きな負担になりました。
ですから、日韓併合は日韓両国にとって不幸な出来事だったのですし、二度とあってはならないのです。 


学校教育では、せめて昭和天皇のお言葉を教えて、「両国にとって不幸な歴史であった」ことを指導すべきです。
そして、日韓両国民が同胞(同じ日本人)として力を合わせ、白人至上主義やアジアの植民地開放に立ち向かった歴史があることを、両国の子どもたちに肯定的に教えることが、日韓の未来的協力関係の構築には必要です。

vol.43 児童虐待の犯人を暴く

kid0068-009_m 子どもへの虐待事件が後を絶ちません。
今日も札幌で20歳の父親が生後4か月の二男の頭を揺らして暴行したとして逮捕されたとの新聞報道がありました。
虐待で親が逮捕された…という記事を読まない日が何日あるのでしょうか。

 平成12年5月に「児童虐待の防止に関する法律」(児童虐待防止法)が施行され、児童相談所や警察、学校など、関係機関を挙げてその防止に努めていますが、効果があがらず、次々に犠牲になる子どもたちの話を聞くにつれ、この国はどうなってしまうのかと不安になります。

 まともな子育てができない親たちが増えている背景にはいったい何があるのでしょうか?
 まずは、親になるための教育を受けていないことです。
学校では、「子どもをつくる(つくらない)方法」(性教育)を教えても、子どもを育てる方法は教えません。家庭科でわずかに保育について学びますが、親としての子育てを教えるわけではありません。
 まして、戦後教育では、個性尊重ばかりが重視され、我儘が助長される教育がなされてきましたから、本来の親が持つ、子どもへの「自己犠牲」の精神が宿ることはありません。
 
 そして、学校教育では、「父親が外で働き、母親が子どもを守り、育てる」という、かつての家庭制度が否定されて、共働きを推奨するようにジェンダーフリーや男女同権など、外来思想が闊歩しています。
 教師たちは、子どもたちの自己実現のために学力をつけ、進学を勧めますが、将来結婚して幸せな家庭を創造し、子育てをすることを自己実現の目標として与えません。
それは、女子であっても、男子と同等若しくはそれ以上の学歴と社会進出こそが、自己実現の唯一の方法であるかのように教えてきたからです。そして、家庭や夫、子どもは、女性の自己実現を妨げる障壁であるかのように教え、かつての日本の家庭の在り方は女性を家庭に縛りつけるだけの愚かな因習で打破すべきであるというような教育が、進歩的だとされてきたのです。

 かつての少女の夢には、「素敵なお嫁さん」「優しいお母さん」があったはずです。しかし、今そんなことをいう女子生徒に出会うことは困難です。

 確かに、女性の社会進出が目覚ましい現代において、女子に社会進出の夢を持たせることは大切です。もちろん、男女の性差に人間としての違いはありません。
 しかし、男女の性差には、子育てにおいても決定的な役割の違いがあります。父親が家事に参加するかしないかというような浅はかな違いではなく、授乳して子どもを慈しみ、受け入れ、抱きしめられるのは母親の特権ですし、子どもはその深い愛情に包まれてこそ、自立に向けて成長していけるのです。
 昨今、「~な子どもの育て方」など、子育てHOW TO本をよく見かけます。しかし、子どもはHOW TOで育つわけではありません。親の考え方、大げさに言えば思想、何を本当の幸せを感じるか…という考え方が大切ですし、子育てへの喜びが不安定では、良い子は育ちません。

 家庭教育ではもちろんですが、学校教育でも、女性教育は実はとても大切にしなければなりません。
幕末に来日した外国人が、日本の子どもたちの姿を見て、「貧しいが、これほど幸せな顔を見せる子どもは世界中にいない」といった、日本の姿を取り戻すためにも、
社会が子育ての大切さを再認識し、子どもたちに、子育ては実はとても楽しくて、社会貢献の中で最も価値があり、自己実現の有効な方法であることを教えていくことが必要です。蛇足ですが、それを支える父親の存在を教えることも見落とせませんが…。

 最後に指摘しておくと、戦後このような教育を推進してきたのは、左翼思想に冒された日教組です。そういう意味でいうと、児童虐待の真の犯人は、日教組だということもできるのです。

vol.42 日教組をなぜ教師と呼べないか?

日教組には『教師の倫理綱領』といういまだに廃棄されていない文書があります。
謂わば日教組の憲法とも言うべきものです。

教師の倫理綱領

1952年6月16日
日本教職員組合

1.教師は日本社会の課題にこたえて青少年とともに生きる

2.教師は教育の機会均等のためにたたかう

3.教師は平和を守る

4.教師は科学的真理に立って行動する

5.教師は教育の自由の侵害を許さない

6.教師は正しい政治をもとめる

7.教師は親たちとともに社会の頽廃とたたかい、新しい文化をつくる

8.教師は労働者である

9.教師は生活権を守る

10.教師は団結する

 これを読んで違和感を覚えない人はいないでしょう。
中でも、4.科学的真理、5.教育の自由、6.正しい政治、8.労働者、10.団結 など明らかに首を傾げる文言が並びます。

高崎経済大学八木秀次教授は、
『日教組の基本文書である「教師の倫理綱領」には、「四 教師は科学的真理に立って行動する」とあるが、「科学的真理」とは自然科学の真理という意味ではない。マルクス・レーニン主義のことで、科学的社会主義のことだ。また「六 教師は正しい政治を求める」というように、政治的中立が完全に否定されている。さらに、「十 教師は団結する」。つまり、労働者と「団結」することが教師の最高の倫理だといっている。』と述べています。

 北海道教職員組合が民主党議員への不法献金で摘発されましたが、その根底には、この倫理綱領の精神が隠されているのです。

 そして、教師にとって魔の綱領は、「八 教師は労働者である。」です。
この綱領のもと、地方公務員法で禁止されているストライキさえ、自分たちの都合で強行してきました。
確かに国外では、公務員や教師にスト権が保障されている国もありますが、それは、それぞれの国の事情からでしょうから、我が国において斟酌する必要はありません。ましてや、ストライキによって一番の被害を被るのは子どもたちです。自分たちの労働条件闘争のために、子どもを犠牲にするその姿勢には、教育者としての理念など微塵もありません。

 わたしたち教師は、教育専門職であり、師道を極めるべく奉職しています。広義の意味では労働者の一部でしょうが、自らが労働者を名乗っていては、自らの専門職としての誇りを失うことになってしまいます。
 私たち教師には、労働時間とプライベートの時間の差などありません。仮に、勤務時間を過ぎていようとも、子どもに何かあればもちろんですが、何かなくともいつでも勤務状態といっても過言ではありません。残業手当もありませんし、家庭に仕事を持ち帰ることも、日常茶飯事です。

 しかし、そうと分かっていて奉職したのです。それが嫌なら、他職業を選択すればよいだけです。
一時期、日教組は「水曜日はNO残業デイ」などと、教師の残業軽減を言っていましたが、残業が辛いなら、他業種へ移ればいいのです。
 子どもたちは、生きています。日々、失敗し、挫折を繰り返しながらも、確実に成長しています。その姿に寄り添い、励まし、そして教えるために私たち教師がいるのです。その子どもを犠牲にして、自分たちの権利闘争や政治活動に明け暮れるなど、教師ではありません。

 日教組が、この倫理綱領を破棄しない限り、彼らは教師ではありません。

 

vol.41 皇室を敬愛する心や態度を育てる教育

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皇室を敬愛する心や態度を教えることは、学校ではタブーになっています。

日本国憲法第一条で、
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。 」と規定されているのですから、
学校で皇室や天皇を敬愛する心や態度を育てることは、何らタブー視されることはありませんから、むしろ学校による「自主規制」です。

 では、なぜ「自主規制」しているのでしょうか?

 その理由の一点目は、戦後教育の代名詞とも言える「平等主義」「平等教育」です。
この「平等」という物差しで皇室を測ると、わたしたちにとって国民統合の象徴であり尊き特別なご存在が、国民と比して「不平等」な特権的立場という恐ろしいことになってしまうのです。
 むしろ、職業選択の自由もなく、婚姻すら国民や政府に干渉され、日常も気ままな行動もできずに、皇室典範という特別な法律によって縛られている皇族の方々の方が、国民にある自由や権利を与えられていない御自身の立場に「不平等」を感じていらっしゃると思うのですが、「平等」とはいかに浅薄な思想でしょう。
もちろん、この思想には、GHQや革命政権樹立を目指して皇室撤廃を望む左翼思想が混入していることは、明明白白です。


 b32022e6a448f42aもう一点は、戦前教育の全否定の上に戦後教育が生まれたという矛盾からです。
 戦前は、学校も「国体」を重んじて、御真影や教育勅語が大切にされて、皇室中心の諸行事が行われるなど、教育の柱の一つに皇室への敬愛な態度が国民の規範として重要視されていました。
 これらは、世界が混迷する時代背景の中、我が国が西洋列強と伍する近代国家として短期間に生まれるために皇室や天皇の権威が必要だったからです。
誤解を恐れずに言うと、国民(政府)が天皇の権威を、国民融合の旗頭として、富国強兵に当たるために利用させていただいたとさえ言えるのです。


 しかし、戦後教育は当時の教育を全否定して存在しています。
GHQの指導のもと戦後教育がスタートしたので、当然と言えば当然です。ましてや、皇室中心の「国体」を認めませんから、
「天皇を現人神(あらひとがみ)と教えた国家体制的な教育が、数々の戦争を起こして国民の命を奪った」という幼稚な考えから抜け出せていません。
「教え子を再び戦場に送るな」というGHQに与えられたとしか思えない美辞麗句を並べて、戦前教育を否定して左翼思想に染まっていった日教組が、戦後教育界を牛耳ったことも、学校が皇室を軽視する原因になりました。

 このような現状を、狭山ヶ丘高等学校の小川義男校長先生は、
小、中、高等学校における教育においても、皇室の尊さ、そのご存在の重さを伝える教育はほとんど為されていない。かえって、皇族を国民と同じレベルに位置づけて親近感を抱かせようとする傾向が強まりつつある。中には天皇を民主主義とは対極にあるもののごとくに位置づけ、皇室に反感を抱かせようとする教育さえ行われている。卒業式、入学式等に際し、国旗、国歌に異常な反感、抵抗を示す傾向は、その典型的な例である。」
と痛烈に非難されています。

 非難を顧みずに述べると、戦後教育は「皇室や天皇を絶対君主制や封建制度の象徴であるかのような、また差別問題の根底に横たわる非合理な制度であるかのような偏った印象を、子どもたちに植え付けてきた」と言えます。そして、「開かれた皇室」という美名のもと、皇族のプライバシーを暴いたり、親近感のみを強調して、その荘厳さや尊さを伝えてこなかった左翼マスコミがその流れを補ってきたのです。

 以前にも書きましたが、3年前に改正された教育基本法には、
「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。」が明記されました。
 先人の叡智の結晶として、2600年に渡る長い年月をかけて連綿とつないできた我が国の皇室こそ、我々が擁護し、次世代につないでいくべき「伝統と文化」の根幹です。
ですから、教育基本法には直接的な表現はありませんが、皇室擁護の精神が脈々と流れていると思います。
 
 今こそ、文部科学省も教育基本法の精神に則って、道徳だけでなく教科全般の広範な分野で「皇室を敬愛する心や姿勢を育むこと」を学習指導要領に明記して、教科書などに反映するべく努力を惜しまないでほしいと思います。
 そして、世界最古で、国民との融合王朝である我が国の皇室を次世代につなぐためには、戦後60年以上放置されてきた「皇室制度の課題」が「国民の課題」であることを、子どもたちにも教え、長い年月がかかっても確実に課題を解決し、世界に誇る皇室を守る態度を持つ国民を育てていく必要があります。

皇室の伝統を守る国会議員の会(超党派)が指摘した戦後の「皇室制度の課題」
?皇位継承問題をはじめとする皇室典範の改正にあたって、皇室のご意向を反映させることが制度上できないこと。
?現行皇室典範の規定のままではいずれ廃絶せざるを得ない宮家があるにもかかわらず、伝統に則ってその存続・拡充のための方策が検討されてこなかったこと。
?天皇のご公務をお助けしている皇族方のご公務やご教育に関する法律的根拠がないこと。
?皇室に対して、その経済に関する制約がある一方で、一般国民と同様の住民税や相続税を支払う義務が課せられていること。
?皇位継承儀礼や皇室祭祀など、皇室の伝統にかかわる祭儀に関して根拠法がない状態が放置されていること。
?皇室尊厳を守ることに関して疎かであったこと。
 

vol.40  教育正常化への道

 新年度が始まりました。
教育正常化を目指す教職員団体の代表を本年度も務めることになりました。

 教育正常化とは、教育界から日教組を代表とする左翼思想を排除して、政治的中立を守り、公教育を真の国民教育へと導いていく大切な活動です。
 戦後、教職員自らが歪めてしまった教育を、教職員自らが正すことを目指しています。
多くの教職員仲間が増えることで、教育正常化が一歩ずつ進んでいきます。その思いを持って、わたしも活動しています。
 
 新年度を迎えて、会員の教員向けの就任挨拶文を作成しました。


 本年度も引き続き代表を務めさせていただくことになりました。
 
 さて、昨年の政権交代の中で、教育基本法の改正でやっと軌道に乗りかけてきた教育正常化の流れが大きく後退しようとしています。

ご存じのように政権与党である民主党は支持基盤に日本教職員組合(日教組)を抱えており、その傘下組織の北海道教職員組合(北教組)が違法献金問題を起こしたように、日教組が豊富な資金を楯に政治に介入する構図が明白になってきました。

 そんな中、全国学力テストの悉皆調査が抽出調査に変わり、不適格教員の排除や教員の指導力向上のために始まった教員免許更新制度が凍結される見通しになるなど、まさに民主党は日教組の主張通りの教育施策を取ろうとしています。


 昨夏の民主党政権誕生は国民の選択でしたが、教育問題は選挙の争点にすらならず、国民は民主党内に巣くう日教組の存在を知らないままに、この政権交代を実現させてしまいました。そのことを考えると、国民は政権交代こそ期待しましたが、偏向教育を繰り返す日教組に我が国の教育を託す選択をした訳ではありません。



 今まさに、政治的中立を守りつつ「中正普遍」「是々非々」の理念を旗頭に良識ある教職員が集う私たち「高知県教職員団体連合会」や全国組織の「全日本教職員連盟」が、国民の真の声に耳を傾けつつ、偏向教育を正し、教育正常化の流れを止めないことが国民から求められています。


 私も、この時代の要請を受けて、微力ではありますが代表として本県の教育正常化のために「粉骨砕身」努力して参りたいと思います。
 
 会員の皆さんの教育正常化へのご尽力を切に願いしまして、就任の挨拶とさせていただきます。

                                                 平成22年4月 

 
 教員自らが、教育を真剣に考えることが必要です。
以前から紹介しているように、学校現場には

◎国旗、国歌の否定
◎「はじめましょう」「終わりましょう」の挨拶
◎教壇の撤去
◎年号に元号を使用しない(公文書は元号、または元号併記が原則です)
◎男女混合名簿(ジェンダーフリーの思想)
◎道徳教育の形骸化(道徳の授業をしないで、学級活動などに振り替える)
◎「平和教育」と銘打った自虐的歴史観の刷り込み

など、現在は日教組支配が薄い地域でも巧妙に多くの反日思想や左翼的思想が混入されています。
まして、日教組や全日本教職員組合(全教:共産党系)支配の強い地域では尚更です。

そして
◎ストライキ
◎政治活動(選挙応援や献金など)
◎勤務時間内の組合活動
◎教育委員会や学校長との交渉権の乱用
など、違法行為を繰り返している教職員がいることもまた事実です。

 学校へ、このような反日的思想や左翼的思想を意図的に混入し、組合と称して違法行為を繰り返す輩がどのような教育活動を創造しても、真の日本人は育ちませんし、日本の将来に豊かな希望を持つことはできません。
 
 だからこそ、そのことに多くの教員が気付く必要があります。
わたしたちは、多くの教員を覚醒して日教組や全教から教職員を解放し、教育を正常化するために活動しています。

 そして、わたしたちの応援者は、我が国を憂い、子どもたちの真の幸せを願う善良な国民のみなさんです。応援をお願いします。

vol.39生徒の学習意欲の低さを問う

<調査>「授業中に居眠り」、日本の高校生が45%で最多、中国はわずか4.7%―中国紙#Record China# - livedoor ニュース

 新学期が始まり、連日バタバタと時間が過ぎています。なかなかブログが更新できませんが、今日は久しぶりの更新です。

 さて、日本・韓国・中国・米国での高校生の意識調査結果が公表されました。
その中で、やはりと言うべきか日本の子どもたちの学習意欲の低さが明白になりました。

 「授業中に居眠りをしている」と答えた日本の生徒は45%もいたそうです。
それに引き換え、中国の高校生はわずか4.7%だとか。この差はいったいどこにあるのか、教育者の一人として深慮せざるを得ません。

 今までにも書いてきましたが、日本の生徒の学力低下の原因は、学習意欲の低さです。
学ぶことに目的を持てず、「みんなが行っているから」「高校くらいは出ておかないと、仕事も無いし…」といった安易な気持ちで高校進学している姿が目に浮かびます。
 実際に中学生の進路指導をしていても、「高校くらいは出ておけと親が言うので…」といった生徒がいるのも事実です。そして、経済状況が好転しないばかりか、益々悪化する地方にあっては、「高校くらいは出ておかないと、仕事がない」というのも厳然たる事実ですし、高校・大学を出ても就職氷河期である事実は、子どもたちの夢を奪っています。

 ところで、いつのころから、わたしたち日本人は「大志」を抱かなくなったのでしょう。
経済状況が好転しないならば、日本経済を背負ってたつ気概を持って勉学に励まないのはなぜでしょう。
 あの混乱した幕末期に「この国をもう一度洗濯し申し候」と大志を立てて活躍した坂本龍馬の如く、
明治期に活躍した「坂の上の雲」の秋山兄弟の如く、
かつてはこの国を変革し、支える気概を持って生き、世界に類をみない勤勉さで懸命に勉学に励んでいた日本人がたくさんいたはずです。そして、それは決して英雄豪傑の類だけではなく、庶民の中にもそういった日本人は溢れていたはずです。
 
 それが、いつの間にか現状に不服を言い、不満を募らせるばかりで、
政府や役人など他人のせいにして、結局は現状に安穏と胡坐をかいて座っているだけの日本人がいかに多くなったことか。「○○手当」に期待して、国に生活を守ってもらうことしか考えず、国の将来を考えない日本人がいかに増加したか。

 これでは、子どもたちに夢を語ることができません。
夢を語られることなく、夢を持てない子どもたちに、「大志」を抱くことはできず、「志」を立てられない子どもたちに学習意欲が高まるはずはないのです。

 大言壮語でもいい、嘘になってもいいのです。大人が子どもに夢を語ることが大切です。
「わたしは、この国をどう背負っていくのか、どうしていきたいのか」大人が語るのです。
そして、「君にもこの国を背負っていける人材になってほしい」と熱く語るのです。
その為には、一人ひとりの大人が国からの保障ばかりに依存することなく、経済的にだけでなく、精神的に自立することが必要なのです。

 自分がうまくいなかいことを、社会や他人のせいばかりにして、自立できない大人たちが、生徒の学習意欲を削いでいると言っても過言ではないのです。
 大人が大人らしくありましょう。少し苦しくても、一人ひとりが胸を張ってこの国を守る気概を持って生きるしか、この国を、そしてこの国の子どもたちを救う術はありません。



vol.38 「罰が当たる」ことを教えることの大切さ

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「罰があたる」という言葉を教育界では聞かなくなりました。
かつては、何か悪いことをすると「罰があたる」とよく言われたものです。

 戦後の教育界では、旧教育基本法が触れた「真理」の解釈が科学的真理の追究にばかり偏り、迷信や神話など非科学的なものは教育界から消えていくことになりました。
 
 そして、同法第9条の「国及び地方公共団体の設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。」との規定が過大に解釈されて、宗教的概念すらも学校から排除されることになりました。

 このことは、宗教というよりも既に日本の文化の根幹となっていた「神道」や「仏教」も宗教のひとつとして否定される結果になりました。そして、マルクス主義が学校現場を席捲し、宗教を否定する「唯物主義」が混入したり、「個人の心の自由を奪う」として道徳教育を否定した日教組が心を育てることを否定したことも、戦後日本の教育にとっては大変不幸なことでした。

 このような背景の中、子どもたちは、宗教的な涵養(しみ込むように養い育てること)を受けることなく個人主義で教育されたのです。ですから、何か悪いことをすると「罰があたる」という宗教的概念は教育界から抹殺されてしまいました。

 「天罰」や「仏罰」「神罰」など、人智を越える偉大な力によって「罰」を与えられると思うことは、人智を超える存在に生かされていると教えるにはとても大切なことです。それが、本当に生きるということであり、命を大切にすることなのです。

 DNA解明の世界的権威で筑波大学名誉教授の村上和雄先生は、この未知なる力を「サムシンググレート」(偉大なる何者か)と呼ばれています。遺伝子を解読して研究すればするほど、生命の仕組みはとても不思議で、生命の創造には偶然では片づけられない人智を超えた偉大なる何かを感じられるのだそうです。
 まさしく、科学的真理の追求の先には「サムシンググレート」が存在しているのです。

 かつての人間は国籍や人種を問わず、それを「天」や「神仏」として感じてきたのです。ですから、人道を外す行為は、どのような「神」や「仏」を信仰しようとも、罰を与えられると恐れることで自らを律してきたのです。日本人は、それらを「お天道様」とも呼んでいました。
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 ですが、戦後教育はそれら全てを「宗教」というひとくくりで否定し、個人が宗教から自立(決別)することを促してきました。
その結果、「自分さえ良ければいい」という利己主義が闊歩する現代の日本が造られてしまったのです。日本人の心は荒廃し、利己主義は大人の心さえも蝕み、学校では子どもたちの荒れとなって表出しています。

 
 1980年代にかけての英国でも、「英国病」と称された暗黒の時代がありました。公立学校でも、荒れや学力低下が問題となり教育改革が喫緊の課題になりました。当時の英国の中学生は「名前も書けずに卒業している」と言われたのです。
 その時、保守党の鉄の(女)宰相と呼ばれたサッチャー首相(当時)が行った教育改革の原点は、国教である「キリスト教」に基づいた宗教教育による心の教育と労働党政権下で続けられていた自虐的な歴史教育の見直しでした。
 やはり、教育の荒れの背景には、子どもたちの「サムシンググレート」を受け入れず自己を律する術を持たない姿と自国に誇りがもてない姿があったのです。
 英国は、この改革を「1988年教育改革法」の成立によって見事に結実させ、その後急速な公立学校の立て直しと、子どもの学力向上を果たしました。

 このように「罰が当たる」という言葉には、日本人だけでなく、世界に共通する人間の叡智が隠されています。
 わが国でも、祖先が保守して大切にしてきた「罰が当たる」ということを教育の中で教え、宗教的涵養を図る必要があります。

 

vol37.「改悪」教育基本法と叫ぶ左翼勢力を駆逐せよ!

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教育基本法が改定されて早くも3年が過ぎました。
 
 当時の安倍内閣は、日本の教育改革を推し進めるため、多くの国民の支持を得て、GHQの監視下のもと制定されておよそ戦後60年も日本の教育を歪めてきた教育基本法を改正しました。

 改正において重要視された点は多くありましたが、いわゆる「愛国心」に基づく教育に法的根拠が付与されたことが最も重要なことでした。
 「愛国心」という言葉は遣われませんでしたが、
「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。」と表現され、第2条5項に明記されました。

 先日、小学校の教科書検定結果が公表されましたが、「我が国と郷土を愛する」態度が養えるような教材がどの教科書にも随所に散りばめられ、社会科では全ての教科書で竹島が日本の領土であることが明記されました。
 他にも、和歌や古典文学なども取り入れられ、我が国の伝統・文化を教科書の随所に取り入れる工夫がなされました。

 これは、大変な進歩です。教育基本法改正の成果が、徐々に教育現場に具現化しており、大変喜ばしいことです。

 しかし、教科書が変われば教育内容が全て良くなる訳ではありません。何故なら、教材は教師の手によっていかようにも、変色させることが可能だからです。
 具体的に言えば、教科書を使用せずに教育をすることもできますし、教科書を使っていても、自分で独自の副教材を用いて、教科書の内容を相対化してしまうことだってできるのです。ベテランになればなるほど、巧妙にそういった操作ができるといってもいいでしょう。

 日教組を始めとする左翼勢力は、現在の教育基本法を「改悪教育基本法」と呼びます。なぜ、そう呼ぶのかは、お分かりでしょう。「愛国心」を散りばめた教育基本法は、子どもに閉塞感を与え、個人の軽視につながり、結局は子どもの自立を阻害するのだそうです。
 何を言っているのやら・・・といったトンデモ説ですが、彼らは本気でそう思っている節があります。

 そのような勢力は、現行の教育基本法を現場で骨抜きにしようと企んでいます。ですから、教師の授業にもっと国民や健全な親が目を見張る必要があります。

 新学期が始まろうとしています。子どもがどんな教育を学校で受けているか、しっかりとアンテナを張って注視してください。
それが、彼らの活動を阻止する唯一の方法と言えるのです。

vol.36 「命(ぬち)どぅ宝」という欺瞞

 「命(ぬち)どぅ宝」という言葉を聞いたことがあるでしょう。沖縄の方言です。「命こそが宝、命こそ尊いもの」といった意味合いです。

 もちろん命は大切ですし、尊い命を大切にしなければなりません。年間3万人以上が自殺している日本では、命の尊さが軽視されているのかも知れません。
 
 しかし、「命(ぬち)どぅ宝」という言葉には、「命こそが大切」だとのメッセージが込められているように感じてなりません。「命が大切」なのと「命こそ(だけ)が大切」なのとには大きな差があります。
 「命こそが大切」だとすれば、命を守るためには何でもできることになっていまいます。極端な例を言えば、命を守るためならば、人の物を奪ってもよいのです。

 先日のチリ大地震の後や、ハリケーン(カトリーヌ)に見舞われた米国での暴動を見るにつけ、阪神淡路大地震後や中越大地震後の日本人の冷静で、互いを思いやる姿に日本の共同性の高さや民度の高さを感じます。

 日本人は、命以上の価値をDNAの中に含有しているのでしょう。ですから、自らの命が危機にさらされても、人の物を奪ってはならない道徳心や規範意識は日本人の心の底に刷り込まれているのです。

 命が大切だからこそ、その命を使って何事か成し遂げる。それは、国家のためであれ、地域の為であれ、家族の為であれ、何がしか他人の為に命を使うことです。それを、かつての日本人は「天命」と呼びました。今の自殺者が続出する日本の現状は、「天命」を知ることを忘れた結果です。
「命だけが大切」だという考えこそが、日本人のDNAを壊してしまい、「命を自分だけのもの」と勘違いして、自ら命を絶つような結果を生んでいるように思うのです。

 「命は自分だけのものではない。」
 「(ときには)命を越える価値がある。」ことを学ぶ教材は、日本人の歴史を少し紐解けばいくらでもあります。

 平成11年(1999年)11月22日午後、自衛隊の練習機が入間川河川敷に墜落しました。近隣は、学校や住宅が密集する地域です。練習機を操縦していたパイロット2名は墜落して死亡しましたが、墜落直前まで脱出装置を使わず、故障していうことを聞かない機体を河川敷まで操縦して周辺地域の被害を最小限に食い止めたため、脱出装置のパラシュートは開ききっていませんでした。その後の調べで、彼らは「ベイルアウト(緊急脱出)」を2度叫んでいました。1度目でベイルアウトしていれば、助かった可能性の高い命だったのです。

 しかし、マスコミや左翼勢力は、この雄姿を伝えるどころか、その命を掛けた行動の結果切れた高圧電線で80万世帯が停電したことをこぞって報道し、自衛隊の起こした事故を批判的に伝えたただけでした。

「大切な命をどう使うのか。」
「自分の命を越える価値が世の中にはあること。」を
立派な日本人に育てるために、子どもたちに教えたいものです。

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本文と写真は関係なく、イメージ写真です。

vol.35 桜に見る日本人の真心

高知では桜が散ろうとしています。

 「あれを見よ 深山の桜咲きにけり
                   真心つくせ 人知らずとも」

(松原泰道:元龍源寺住職 その著書は100冊を超える 平成21年101歳で他界)sak0107-037_s

 「深い山に人知れず桜の花が咲いているように、誰が見ていなくても何事にも真心を尽くして生きていこう…」
という作者の思いが溢れている、わたしの大好きな和歌のひとつです。
 泰道先生は、仏教を通して人の生き様を広く世に問われた宗教家ですが、多くの方に愛されたそのお人柄が現れた素晴らしい和歌ですし、庶事煩悩に煩わされる心に勇気を与えていただける和歌です。

 ところで、「真心」や「誠心」といった心を表す言葉を日本人はたくさん持っていますが、最近はほとんど死語に近いと言っていいでしょう。
 学校や家庭で「真心を尽くしなさい」「誠心を尽くしなさい」と教えられている子どもたちが果たしてどれくらいいるのでしょうか。

 かつての日本人は、卑怯なことを極端に嫌い、潔癖とも言える自分への厳しさを持っていました。人を騙すことは、鬼畜生にも劣る行為だったはずです。
 それが、いつのころからか「儲かればいい」「損をしたくない」など、損得が価値観の中心になってしまいました。残念ながら、学校現場で子どもたちを説諭しても、「それは君にとって得にならないだろう」「君が損をするんじゃないか」という損得勘定で指導をするのが子どもにも分かり易く、手っ取り早いのが実情です。

 しかし、損得勘定には「得」は含まれていても、「徳」は含まれていませんから、人の生き方としては決してレベルが高いとは言えません。「損」をしても自分に正直であることや、自分が「被害」を被っても相手に尽くすことなど、わたしたち日本人が長年紡いできた道徳的価値を子どもたちに伝えることができていないことは、本当に残念です。

 「真心」「誠心」…とても良い言葉ですし、日本人の心意気を表す大切な言葉です。学校や家庭で、「真心」や「誠心」という言葉を使って子どもを育てましょう。きっと子どもたちの心に眠る日本人のDNAに響く言葉ですし、真の日本人を育てるために必要な言葉です。
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