国民教育のススメ ~教育正常化の風~

「愛国心こそが教育再生のキーワード」 現職公立中学校教諭が、左傾化し続ける教育現場の危機感から、教育正常化を通して日本再生を考えるブログ。保守ブログ相互リンク募集中!

2010年05月

vol.55 教育は率先垂範にあり!「インドネシアに残る日本の教育」

教育とは率先垂範なり

インドネシアの解放者
昭和17年(1942年)3月、日本軍はインドネシアを350年に渡り植民地化していたオランダ軍をわずか9日間で降伏へと追い込み、インドネシア全土から追い出します。
その様子を見たインドネシアの人々は、同じアジアの黄色民族が、自分たちを長年虐げ、絶対に逆らえないと思っていた白人を追い出したことに驚愕します。
それは、まさに「この白い人の支配は長く続くが、空から黄色い人びとがやってきて白い人を駆逐する」とのインドネシアの伝承が現実になった瞬間でした。

その後、日本軍はインドネシアに軍政を敷くと、オランダ統治時代の政治犯を社会復帰させて地元行政機関で重用したり、愚民化政策で教育不毛の地であったこの国に学校を造って教育を充実させたりと、インドネシアの近代化施策を矢継ぎ早に実施しました。

photo179296そして、後の独立運動の核とするために、軍事教練を実施して義勇軍として育てるため、青年訓練所にインドネシア青年を募集し、「インドネシア祖国義勇軍(PETA)」を組織します。
すると、独立の希望と、国軍整備の志に燃えた若者が、多数志願してきました。
そのうち、全土各所から特に優秀な青年を集めた青年道場では、第一期生として47名を将校候補として訓練しました。


炎天下の教育
その青年道場で、ある日、午前中の野外訓練中に厳しさが足りなかったと指摘された中隊のインドネシア青年が、訓練終了後、銃を構えて炎天下に直立不動の姿勢で立たされるという罰を与えられました。
それは、午前中の厳しい訓練の後で、赤道直下の炎天下に立ち続けるという軍事訓練の一環とは言え過酷な罰です。

その青年が指示通りに銃を構えて立つと、その横に同じ姿勢で立ち始めた日本人将校がいました。
この青年道場の教官で、中隊長を務める土屋競中尉でした。
年齢は、まだ20歳代半ばで、訓練を受けている青年たちとさほど変わらない歳でした。
結局、2人は、午後の訓練が始まるまでの間、一緒に罰を受けました。
教官自らが、訓練生とともに罰を受けるその姿に、日本人の教育感が顕れていました。

その光景を見た他の訓練生は、
「私たちはそれをずっと見ていましたが、すばらしいことだと思いました。これまでインドネシアでこのような教育をする人はいませんでした。この指導は、インドネシアの若者全員に知れ渡り、全員感動しました。」と当時を回想しています。

この部隊には、後のスカルノ大統領もおり、戦後20数年が経ち来日したときには尊敬する土屋中尉との再会を熱望し、実現されました。
 
sor0147-039_m率先垂範の教育
このような教育を施したのは、決して土屋中尉が特別だったからではありません。
この道場の現場責任者の柳川宗成中尉も、「教官が自らやって見せる」という信念のもと、自営農場では、褌(ふんどし)姿で肥桶を担いだと言います。
このように、日本人の教育とは率先垂範の精神が伝統でした。
ですから、海外で外国人の指導に当たっても、当然この伝統が守られたのでしょう。

それにしても、訓練生と同じ罰を受ける教官がいたと言うこの事実は、同じ教育現場に立つ身として、日本人として心に留めておきたい話です。

戦後日本の教育は、この率先垂範の精神を欠いてきました。
そして、日教組による教員の労働者化が進められ、子どもたちを放りだして、違法なストライキなどの権利闘争と反日活動が繰り返され、教育者の姿が歪められてきました。
教育者自らが歪むのですから、教えを請う子どもたちが歪んでいくのは当然です。


世界に最も良い影響を与えている日本
平成18年(2006年)に米メリーランド大学と英BBCの共同調査で、「世界に最も良い影響を与えている国は日本」という結果が出ました。
その中でも、日本肯定派が一番多かったのはインドネシア。
「日本が好影響を与えている」とする回答が85%にも上りました。

戦後教育は、戦前の日本の姿を全否定して成立しています。
しかし、これらの事実を見るだけでも、それがいかに偏向した教育であるか分かります。
大戦後、インドネシアの独立戦争に従軍した2000名もの日本将兵の姿や、その行為を未だに国の英雄として崇めるインドネシア国民の思いを子どもたちに教える必要があります。

そして、私たち教職に就くものは、土屋競中尉の如く、「率先垂範」の伝統を守って、子どもたちの心を育て、今後も世界に貢献できる日本国民を育てる教育を推進することが求められているのです。

vol.54 義人村上 ~日本人は此処にあり~ (道徳資料)

義人村上  ~日本人は此処にあり!~


昭和9年(1934年)8月30日夜、満州ではハルビン発新京行きの汽車が急ブレーキをかけて脱線、横転する事故が起きました。
その原因は、匪賊の待ち伏せ襲撃でした。
匪賊とは、集団で掠奪・暴行などを行う民間武装集団のことです。
この当時の満州は、まだ建国2年足らずで、周辺地域まで治安が行き届いていませんでした。

匪賊たちは、車内に侵入して金品を奪った後、10名(9名とも)もの人を拉致します。
その中には、4名の朝鮮人や2名の米国人も含まれていました。
匪賊にとっては、身代金(命の代わりにお金を要求すること)を要求する目的でもあったのでしょうが、日本軍の追撃をかわすための人質でもありました。

匪賊の読み通り、日本軍はすぐに救援部隊を派遣します。
しかし、地の利に長けた匪賊は、巧妙に救援部隊の追撃をかわしました。
彼らは、人質に銃を突きつけて、声を出すことを禁じ物音を立てさせないようにして、接近してくる救援部隊をかわし、逃亡を続けるのです。

やがて匪賊は、ジャンク船(中国の木造帆舟)に人質を乗せて移動させ、人質を集めて監禁します。
SongJunk
もちろん、銃で脅され声を出すことを禁じられている人質は物音ひとつ立てることができません。
人質たちは、いつ殺されるとも分からない状況でも、気丈に振舞いながら、生きる望みを救援部隊に託していたのです。

やがて、そこに日本軍の救援部隊が船艇でやってきます。
「日本人はいないか?」
と隊員が問いかけますが、もちろん応えることはできません。
声をだしたくても、応えることができない人質たちは、静かに無念の涙を流すしかありませんでした。

そんな中、人質になっていた吉林公署ハルビン駐在員、村上久米太郎(愛媛県今治市吉海町津島出身)は、
銃を突きつける匪賊を蹴倒して人質の輪の中から踊り出で、渾身の力を込めて大きな声を挙げたのです。
それは、自分の身の安全を顧みない勇気あるこういでした。

「日本人は此処にいるぞ!」

驚いた匪賊は、もちろん久米太郎を銃撃します。
しかし、まさかこの状況で大声を出す日本人がいるとは夢にも思わなかった彼らは、自分たちの銃の音にも狼狽して、日本軍の来襲を恐れて川に飛び込んで飛散してしまいます。
こうして、たった一人の大きな勇気が、10人もの人質を救ったのです。

このとき久米太郎は、頬を銃で打ち貫かれ、左腕にも大怪我を負いましたが、かろうじて一命を取りとめることができました。
当時の日本人は、彼のその勇気に絶大な称賛を贈ったのです。

この事件の後に、著名な文筆家である徳富蘇峰は、
彼の勇気ある行為を、日本男児の本色であると褒め称えた上で、
「希くば、我等日本人は世界の何処に在るも、将(は)た、如何なる場合に処しても、日本人此処に在りとの自覚心を心墜するなからんと望む」
と書き記しました。




この文章は、私が中学生の道徳の授業用に文章にしたものです。
今まで、このような歴史の一場面は、学校で教わることはほとんどありませんでした。
日教組を中心として、日本人のアイデンティティーの確立を意図的に阻害してきた戦後教育では、少しでも戦前の歴史(戦史)を美化することや日本人そのものの美化に繋がる歴史教育は、タブー視されてきました。
戦後は、戦前日本の悪玉史観、自虐史観を刷り込んできたのですから当然と言えば当然でしょう。

しかし、少し歴史の真実を掘り返すと、そこには、在りし日の日本人の気高き行為や、義を貫く生き方が数多く埋没しています。
近年は、随分とそういった情報が世間に流れ始めましたが、学校教育では一部の地域を除けば、未だにほとんど黙殺されたままです。

こういった日本人の視点に立った歴史(国史)の再発掘とそれを教材とした教育が、有為な日本人を育てるには不可欠です。
そして、それを教えるのは、社会科(歴史)だけではありません。
寧ろ、社会科(歴史)教育では、大まかな国史の流れを追うことが大切ですから、こういった歴史的逸話で「勇気」や「正義」、「日本人(日本男児)の心意気」を教えるのはむしろ「道徳」の授業です。

ガラス窓を割ったかどうか…先生に言うなどと下等(言い過ぎですが)な教材では、生徒の心を揺さぶり、本物の勇気を学ばせることはできません。
稚拙な文章ですが、学校の道徳の授業や学級での説話だけでなく、家庭で子どもたちに「勇気」や「正義」を教えるきっかけにしていただければ幸いです。


(添付資料)
義人村上
-日本人は此処に在り-   (昭和9年)流行歌
1.
何処へ曳かるる人質ぞ
首や双手は縄からげ
二日二夕夜も休みなく
明けりゃジャンクの船の底

2.
救援隊の呼ぶ声に
慌てふためく匪賊共
口に銃口つきつけて
撃つぞ叫ぶな声立つな

3.
それ 皇軍の短艇が行く
呼べば撃たれん叫ばずは
天に口無し すはや今
歯を噛みならす一刹那

4.
丈夫 村上久米太郎
匪賊蹴破り躍りいで
満腔義烈の声こめて
「日本人はここにゐる!」

5.
叫ぶやいなや弾丸は
顎を貫き犠牲に
君を倒せどその声に
内外人は救はれぬ

6.
君傷つきぬされど今
義烈輝く日本の
精神ならで誰が呼ぶ
この一ト声を誰が呼ぶ


vol.53 昭憲皇太后と女子教育

磨かずば 玉も鏡も なにかせむ 学びの道も かくこそありけれ
(玉も鏡も磨かないと役にはたちません。人を磨くための学びの道というのもそれと同じです。)

明治8年(1875年)、東京女子師範学校(現お茶の水女子大学)の開校式に行啓された昭憲皇后が贈られた御歌です。
この御歌は、現在も同校の校歌として現在も歌い継がれていますが、戦前には尋常小学校の唱歌として全国の子どもたちにも歌われました。
学びについて、端的で的確な比喩が加えられ、私たちにも分かり易く、教育者として心に留めておきたい歌です。

昭憲皇太后は、明治天皇の皇后で、五摂家の一つである一条家から皇室へ嫁がれました。
明治時代には、国民からだけでなく、世界中から尊敬される女性でした。

この昭憲皇太后は、我が国の女子教育の発展に大変ご熱心でした。
東京女子師範学校創立の際には、設立費用として御内庫金から5000円を下賜されていますし、その後も第1回卒業証書授与式や授業参観などへ行啓され、その際には学生への学用品や反物、御菓子ばかりかt当学校へ下賜金を下されました。
後に、その下賜金は恩賜奨学金として、教育環境整備に充てられました。その行啓回数は、11回にも及んだと言います。

明治18年(1885年)には、皇太后の(皇室や公家の)女子にも独自の教育を施すとの方針で、宮内省所管の華族女学校(現学習院女子中・高等部)が設立されました。

この際には

「水は器に従いてその様々になりぬなり 人も交わる友により良きに悪しきにうつるなり  己に勝る良き友を選びもとめてもろともに 心の駒に鞭打ちて学びの道に進めかし」
という御詩を贈られました。

これらの御歌(詩)は、明治天皇の「教育勅語」とは比べようがありませんが、女子教育発展のために皇太后がつくられた「(女子)教育令旨」とでも言うべきものでした。

昭憲皇太后は大正3(1914)年4 月11 日に崩御されますが、その遺品が教育機関としては学習院女子部と東京女子高等師範学校(後に改名)にのみ下賜されます。
明治天皇の崩御に当たって、東京女子高等師範学校では特に哀悼の儀式は実施されませんでしたが、昭憲皇太后崩御の際には、一周年に当たる大正4 年に御一周年祭儀式が挙行されるなど、皇太后の女子教育への思いは確実に人々に浸透していったのです。

このように、昭憲皇太后は我が国の女子教育の発展に多大なる貢献をなされました。
それは、明治という新しい時代を迎えた皇太后が、女子教育によって我が国発展の礎と成すという決意の表れでもありました。
子どもを育てる女性だからこそ、
「この国の未来を造るのは女性の役目である」
「だから、女性が無学であってはならない」
きっと昭憲皇太后はそうお考えだったのでしょう。

現在を振り返るに、昭憲皇太后の目指された女子教育の環境は、十分に満たされ男子と幾分も変わらなくなりました。
一昔前までは、「女性が学歴をつけてどうするのか」といった価値観もありましたが、今ではそんな価値観は過去の遺物です。


しかし、このような昭憲皇太后から受け継がれた皇室からの物心に渡る援助や支援があってこその今日の女子教育であることを、私たちは忘れてはなりません。
学びには、謙虚さがあってこそ、己が磨かれます。
現在の女子教育を考えるに、まずは昭憲皇太后のこの御心に触れることから始めてはどうでしょうか

vol.52 「弟橘姫」に見る日本人の女子教育論

弟橘姫(おとたちばなひめ)は、神話(古事記)の中で活躍する日本武尊(やまとたけるのみこと)の妻です。

takeru_kasai1日本武尊が、大和朝廷に服従しない者たちを統一する東征のおり、敵に騙されて火攻めにあって焼き殺されそうになりました。
【絵:
火防縁起(吉原北宰筆)】

そのとき、彼は剣で草を薙ぎ払い、逆に迎え火を放って、敵を焼き滅ぼします。
そんな中、彼は迫りくる猛炎から、わが身を顧みずに妻の弟橘姫をかばい、そして守り抜きました。

「さねさし 相模の小野に燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも」
(相模の野で火攻めにされたとき、その日の中で、あなたは私を気遣って私の無事を何度も問い重ね心配してくださいましたね)
そのときの情景を弟橘姫はこう歌に詠んでいます。

その後、日本武尊一行が、関東で渡海するため船に乗りましたが、急な嵐に遭遇してしまい今にも船が沈もうとします。
すると、弟橘姫は、海の神の怒りを鎮め、重大な使命をおびた我が君を守るために、その身を海に投じて、日本武尊の命を救います。
彼女はまさに命を懸けて、夫の命と夫が仕える大和朝廷の威信を守ったのです。

その時に詠んだ歌が先ほどの歌です。
そこには、夫の深い愛情を思って、自らもその愛に殉じようとする彼女の純真さが表現されています。

今の時代、妻が愛する夫を救う為に、わが身を顧みず命を絶つなどという行為は、称賛されることではないかも知れません。
しかし、このような自らの命すら顧みない彼女の高尚で尊い行為は、1800年の時を経て生きる現代の私たちの心さえも打つのです。

青山学院大学名誉教授の渡部昇一先生にお会いしたとき、
先生は、この「弟橘姫の神話を是非子どもたちに教えたい」と言われていました。
そこには、命を懸けて夫を守り、そして結果として国家をも守る日本女性の崇高な精神性が織り込まれているからです。

以前にも書きましたが、戦後の歴史教育では、「古事記」「日本書紀」に書かれた日本神話は教えられることはありません。
「神話は事実(日教組の言う科学的真理)ではない」ということでしょうが、日本人としてのアイデンティティーの構築の阻止を狙ったGHQや日教組などの左翼勢力により、意図的に排除されてきたのです。


wmn0024-022_m戦後、意図的に歪められた我が国の教育は、女子教育も決して例外ではありません。
フェミニズムを崇高な思想のように歓迎し、ありもしない社会的抑圧から女性を解放するとして、「未成年子女者の性交渉すら自己決定権である」などという行き過ぎた個性尊重や性の解放を目指した結果、フリーセックスという概念や女子生徒による援助交際を生み、世界で最も心麗しいと言われた我が国の女性の心の在り方を大きく崩してしまいました。


民族の発展は、表面的な男性の活躍より、その妻となり、母となる女性の心の有り様で決まると歴史は教えています。
そういう意味では、女性によってこそ国は成り立っていると言えますし、次第によっては女性によって国家が滅びるとさえ言えるでしょう。
日本人は、皇祖神である天照大神が女性であるように、その事実をよく知っていたでしょうし、日本には元来女性を大切に守り慈しんできた風土があります。

その日本の女性の心が崩れていくことは、何としても食い止めなくてはなりません。
そのためには、現在の「人格の形成」という全人的で中性的な目標ではなく、「(伝統的)日本女性を育てる」といった明確な目標に立った女子教育の再考が必要だと思うのです。

vol.51 「子育て」から見る徳之島(米軍移転)問題

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pla0041-033_m普天間基地移転問題が混迷したまま、首相が決めた5月末の期限が刻々とせまり、虚しく日が過ぎています。

そんな情勢の中、沖縄の市議らが徳之島を訪問して直接交渉を試みましたが、徳之島では面会拒否など、交渉のテーブルにすら着いてもらえなかった様子がTVで報道されていました。

生活を脅かす米軍基地は、面会拒否されようとも訪問するほど、それだけ沖縄の住民にとって切実な問題なのです。
それなのに、新たな問題を提起したことは評価されても、それを期限が迫るまで無作為に放置してきたとしか言えない首相の無責任さに心を痛めます。

ところで、海兵隊の訓練一部移転の候補地と言われている徳之島の3つの町は、本年1月に発表された出生率で、全国ベスト3を独占しました。
トップの伊仙町の出生率は実に2.4。
天城町・徳之島町も2.1を超え、深刻な少子化問題が進む日本全体の合計特殊出生率1.31の2倍に迫るこの数値が示すように、まさに徳之島は「子宝の島」です。
そういう意味では、徳之島は日本の宝です。

決して経済的に恵まれていないはずの徳之島が、高い出生率を誇るには様々な要因があるのでしょうが、その一番の要因は、地域による「子育て力」だと聞きます。
子どもが生まれると、地域を挙げて子育てを手伝うのだそうです。


地域の子育て力の低下が叫ばれて、随分と時が立ちました。
しかし、未だ子育てをする親の孤立化が進み、児童虐待などの悲惨な事件が後を絶ちません。
個性尊重を重視した戦後教育は、利己主義を増長させて、確実に我が国のコミュニティーを破壊しています。
そして、それは「無関心」という恐ろしい形で、子育ての現場をも確実に侵食しています。

kid0072-022_mそうと知ってか、知らずか、政府は、子育てのコミュニティーが日本で最も色濃く残されており、在りし日の日本の子育てを守ってきた徳之島を移転先にと考えているようです。
出生率の高い徳之島は、ある意味で日本の子どもたちの楽園です。
そして、伝統的な日本の子育てのモデルとなる大切な地域です。

大人たちに、子どもの楽園を守ることの大切さに気付いてほしいと思います。
もちろん安全保障は我が国の重要問題ですし、沖縄の負担軽減も大切ですが、わたしたちが保守すべきは、地域ぐるみの日本の在りし日の子育ての姿です。

国家に保守すべき理念が無ければ、沖縄の負担軽減策が、しいては我が国の子育て力の低下へとつながり、我が国の落日の姿への加速装置になってしまうのではないかと危惧します。

番外編 やまと新聞社との出会い

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靖国神社 009昨日、久しぶりに靖国神社へ参拝してきました。
日本の恒久的安寧を祈るためと、英霊の心を少しでも傍で感じて、自分の教育への思いを強くするためです。

本当は、例大祭等に参拝したいと思っていますが、地方在住の身ではそれも、なかなかかないません。ですから、東京での会議に参加するときには必ず詣でることにしています。

ところで、参拝には何度も訪れていますが、時間的制約もあり、なかなか展示館の遊就館へと足を運ぶことができません。
しかし、昨日は会議が早く終わったので、数年ぶりに遊就館の展示見学ができました。

そこで、また新しい出会いに心を奪われました。
展示を見終わって、ゲートから退館しようとしていたところ、そのロビーにひと塊りに積まれた新聞がありました。「ご自由にお取りください」との添え書きと一緒にです。

「やまと新聞」
それは、新聞と呼ぶには余りにも薄く、TV欄もなければ、メジャー紙にある広告もほとんどない、実に質素な新聞でした。

しかし、目を通して見ると、そこには歴史の縦糸にしっかりと編みこまれた「憂国」の魂と、この国を心から愛する活字が、活き活きと踊っているのです。

靖国神社 011今までマスコミと言えば、「反日」「偏向」メディアしか知らず、その報道内容に身がよじれる思いをしていましたが、
「こんなマスメディアがあったのか…」と、その記事にくぎ付けになりました。
「明治19年創刊 国会両院記者会 幹事社 やまと新聞社」と書かれているその新聞には、今の日本人に知ってほしいことが詰め込まれていました。

http://www.yamatopress.com やまとウェブニュース

靖国神社へ詣でると、毎回、何がしかの素晴らしい出会いに遭遇しています。
自分としては偶然で片づけることができず、やはり、英霊のお導きかと勝手に思っています。

今回は、教育論にならず申し訳ありません。
この出会いを皆さんにしっていただきたくて、番外編として報告しました。

vol.50 日本人の心「靖国神社」をどう教えるか

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中国・韓国・北朝鮮外交問題 に参加中!

osn0020-039_m中国・韓国との外交を考えたときに、「靖国神社問題」を避けて通ることはできません。

数年前に靖国神社へ参拝したときのこと、私には運命的な出会いがありました。今思うと、尊き英霊のお導きによって、出会わされたと思います。

皇學館大學非常勤講師で、三重県公立中学校教諭に渡邊 毅(わたなべ つよし)という先生がいらっしゃいます。もちろんお会いしたことはありませんし、靖国神社へ参拝していなければ、今もって存じ上げることはなかったかも知れません。

靖国神社へ参拝後、神社脇にある展示館「遊就館」の売店へ足を運んだとき、書籍コーナーで一冊の本を手に取りました。
「道徳の教科書・実践編」  渡邊 毅 PHP
表紙には西郷隆盛の挿絵と一緒に 「善く生きる」ことの大切さをどう教えるか と書かれていました。

三重県は、伊勢神宮のお膝元であり、皇室との関係も深いのですが、日教組の中核団体である三重県教職員組合(三重教組)の組織率が日本一(98%超)で、日教組の牙城とも呼ばれる地域です。
学校長だけでなく、教育委員会や、各地域の教育長までもが、三重教組の出身者で占められており、組合の役員をしないと管理職に登用されないと言われるほど、教育界が日教組に牛耳られています。
もちろん、日教組の核として道徳教育を否定してきた地域でもあります。

その三重県の公立中学校の教諭である渡邊先生の本には、道徳教育を通して我が国を再建するという明確な先生の意思のもとに、先生の中学校での授業実践が詰め込まれています。周囲からの迫害や邪魔もあったのではないかと、勝手に想像してしまいます。

先生は、その著書で
「大人は道徳を教え示すことをためらうな」
「(教師が自分自身によって示せなくても)生き方の手本は歴史の中に豊富にある」
と、我が国の歴史に残る偉人・賢人の逸話や古今東西の賢人の箴言を紹介され、子どもたちに「善く生きる」ことを学ぶ為の方途を具体的に明示されているのです。

中でも、同書の資料版とでもいう「道徳の教科書」PHP文庫には、
『70究極の愛』と題して、フィリピン人画伯ダニエル・H・ディゾン氏の
「涙がとまらなかった。こんな勇気や忠誠心をそれまで聞いたことがなかった。同じアジア人として誇りに思います」
との神風特攻隊への感想を紹介した後、特攻隊の林 市造海軍少尉(昭和20年4月12日沖縄にて戦死。23歳)の母宛の遺書が紹介されています。
そして、隊員らの「究極の自己犠牲」という尊い犠牲の上に日本の威厳が世界に示され、今日の日本が築かれたことを子どもたちに教え、気高く勇気ある行為を後世に語り継ぐ大切さを示しています。

私も微力ながら、この本と渡邊先生との出会いをきっかけに、先生を見習って「より善く生きる」道徳授業の実践に取り組んでいます。


osn0002-003_mこのように、靖国神社に祀られる英霊は、私たち日本人の誇りです。
いくら左翼勢力や他国がその価値を貶めようとも、私たち日本人のDNAは、彼らの偉業の崇高さに共鳴します。

相手の思惑に乗って靖国神社を外交問題化し、中国や韓国からの非難を恐れる必要はありません。

それよりも、その偉業とその精神の尊さをを子どもたちに正しく教え伝えることが大切です。


vol.49 家庭教育論 ~父の教え~ 民俗学者 宮本常一博士 

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lsh0010-009_mかつての家庭は、「三つ子の魂百まで」などの教えを次世代に伝え、格段の愛情を注いで献身的に子どもを育てました。

それは、親がその親(祖父、祖母)から受け継いできた家庭教育そのものです。
学問的かどうかは別にしても、生きる術や世の中の大切な価値観など、学校教育では学べないことでしたし、子どもが生きていく上ではとても大切な教えでした。

大正14年、山口県周防大島の農家出身の宮本常一少年が、大阪の逓信講習所へ入学するために郷里を離れるときに、父善十郎氏が次のような10の教えを手紙に書いて少年に伝えました

(1)汽車へ乗ったら窓から外をよく見よ、田や畑に何が植えられているか、育ちがよいかわるいか、村の家が大きいか小さいか、瓦屋根か草葺きか、そういうこともよく見ることだ。駅へついたら人の乗りおりに注意せよ、そしてどういう服装をしているかに気をつけよ。また、駅の荷置場にどういう荷がおかれているかをよく見よ。そういうことでその土地が富んでいるか貧しいか、よく働くところかそうでないところかよくわかる。

(2)
村でも町でも新しくたずねていったところはかならず高いところへ上ってみよ、そして方向を知り、目立つものを見よ。峠の上で村を見おろすようなことがあったら、お宮の森やお寺や目につくものをまず見、家のあり方や田畑のあり方を見、周囲の山々を見ておけ、そして山の上で目をひいたものがあったら、そこへかならずいって見ることだ。高いところでよく見ておいたら道にまようようなことはほとんどない。

(3)
金があったら、その土地の名物や料理はたべておくのがよい。その土地の暮らしの高さがわかるものだ。

(4)
時間のゆとりがあったら、できるだけ歩いてみることだ。いろいろのことを教えられる。

(5)
金というものはもうけるのはそんなにむずかしくない。しかし使うのがむずかしい。それだけは忘れぬように。

(6)
私はおまえを思うように勉強させてやることができない。だからおまえには何も注文しない、すきなようにやってくれ。しかし身体は大切にせよ。三十歳まではおまえを勘当したつもりでいる。しかし三十すぎたら親のあることを思い出せ。

(7)
ただし病気になったり、自分で解決のつかないようなことがあったら、郷里へ戻ってこい、親はいつでも待っている。

(8)
これからさきは子が親に孝行する時代ではない。親が子に孝行する時代だ。そうしないと世の中はよくならない。

(9)
自分でよいと思ったことはやってみよ、それで失敗したからといって、親は責めはしない。

(10)
人の見のこしたものを見るようにせよ。その中にいつも大切なものがあるはずだ。あせることはない。自分の選んだ道をしっかり歩いていくことだ。

宮本少年は、逓信講習所卒業の後に大阪で師範学校へと進み、学校の先生を経て、柳田国男と肩を並べ日本を代表する程の民俗学者の一人になりました。

宮本常一(文学)博士の才能を見出し、世に出したのは、柳田国男や渋沢栄一の孫で財界人であり、民族学者としても顕著な功績を残した渋沢敬三らでしたが、その基礎を作ったのは少年期の父による薫陶、まさに家庭教育だったのです。
この教えには、父の宮本少年への愛情が溢れんばかりに込められています。

宮本博士の論文は、実際に足で集めた詳細なデータをもとに、生活者からの観察眼や庶民の観点で書かれており、民具に着目するなど、現在も高く評価されています。

それは、まさしく父の教えに忠実に生きてきた博士の生きざまが学問として結実したと言えます。

 

世に名を成す人物の多くの生き様には、親から受けた教育(薫陶)がしっかりと根付いています。

家庭での教育が、その子どもを一生涯に渡って幸せにするかどうか決めると言っても過言ではありません。

 

 

家庭教育とは、親がその親から受け継いだ教えが基本です。
そういう意味では、家庭の伝統を重んじた家庭教育は、保守思想そのものです。
mns0004-009_m


しかし、以前から書いているように、戦後の学校教育では我が国の伝統的教育は否定され、左翼的なイデオロギーに侵された教育こそが進歩的だと称賛された結果、戦前と戦後で家庭の伝統的な教育が分断されています。

現在の親は、ほとんどがすでに戦後教育を受けた祖父、祖母に育てられていますから、もう家庭には日本の伝統的教育が存在しないのかもしれません。

 

ですが、新たに学び、伝統的な教えを現代版として再生することは可能です。

教育とは、人類が得てきた真理や叡智を子どもたちに授けていくことですから、本来保守的なものですし、先人の経験や叡智から学ぶべきです。


そのことを忘れずに、世間に溢れる価値観に振り回されることなく、親が大いに学ぶことができれば、宮本先生の父上のように子どもの将来の指針となる教えを伝えられると思います

vol.48 公教育は偏っている!(95.4%の国民の声)

このブログには、「ブログランキング」の投票欄があります。
今日は、その投票結果について紹介します。(平成22年5月11日現在)

(※設問)公立の学校教育は左翼的イデオロギーに偏っている?  
国旗・国歌問題や道徳教育、我が国の伝統文化の否定、偏った権利教育や歴史教育など偏向教育が行われていると感じていませんか?

など、我が国の伝統・文化を否定するばかりか左翼思想に蹂躙された偏向教育の具体例を報告くださり、嘆かわしい現状を憂える意見をいただいています。

そして
かなり偏っている:
人民教育ではなく、日本国民教育を、請い願う。亡国の教職員の絶滅を切望する (男性/50代/福岡)
 
かなり偏っている:
国旗・国家に忠誠(尊敬の念)を持っている人を教師とするべきである。
(男性/50代/秋田)
かなり偏っている:
教育とは垂範! 教育は労働者には出来ない事! 教育する事の出来る者とはすなわち三省と勤勉の者のみ!
 (男性/40代/青森)   

と偏向教師の退場を願う思いと、我が国に貢献できる志ある教師への期待が熱くつづられています。

日教組の組織率は、年々低下して全国で30%を下回りましたが、都道府県ごとに「〇〇県教職員組合(〇〇県教組)」という名のもとで、以前高い組織率を維持している地域が存在しています。
また、平成4年には、日教組(社会党を支持)が全日本教職員組合(共産党を支持)と分離したので、一見は日教組の支配力が低下したように見える地域でも、更にひどい左翼イデオロギーに曝されている地域もあります。

このように日教組や全教(全国教職員組合)は、各地域によって組織に違いがありますから、それぞれの地域で偏向度にも大きな差が生まれます。
東京都の様に、石原都知事の強い信念のもと、違法行為を許さずに法的手段等を取って、近年急速に日教組(都教組)の影響力が排除されようとしている地域もあります。
愛媛県や栃木県等は、日教組の組織はなく、その影響力はほぼ皆無です。
ですから、まず自分の都道府県がどのような状況にあるか把握する必要があります。
退場すべき教師が多くいる地域では、現状に甘んじることなく国民が声を挙げることが大切なのです。


今回は、回答者数が少ないので、広く国民の意思を反映しているとは言えませんが、日本中の国民が公教育の現状を憂いていることは事実でしょう。
 
アンケートは、無制限で投票を受け付けてますので、どうか一言を添えて投票してください。
今後は、このアンケートの結果も踏まえて、様々な場面で教師としても発言をしていきたいと思っていますので、忌憚のないご意見や情報をお寄せください。

また、このアンケートを皆さんのブログに張り付けていただいて
多くの方に投票していただけるようになれば…と思います。

vol.47 家族崩壊を食い止めろ!

kid0076-009_m日本中で家族を巡る様々な事件が起きています。
児童虐待など、親による子殺しがあるかと思えば、子どもによる親殺しやDVに、夫婦間での殺傷事件…と、連日報道されるその凄惨な事件に心を痛めます。

私の教員経験では、問題を抱える子どもたちは、多かれ少なかれ家族間での何らかのトラブルを抱えています。生徒の健全育成を願う教師にとって、家族関係の希薄さは切実な問題です。


家族精神医学者の小比木啓吾氏は、家族を次のように類型化しています。(『家族のない家庭の時代』ちくま文庫 )。
◎コンテナ家族 : 容量が大きく、社会のストレス、不満を持ち帰っても、それを受容し癒してくれるような家族。
◎ホテル家族 : みんながそれぞれにお客のつもりで、サービスされることだけを求め、他人のために汗を流そうとしない家族。

この類型で見ると、夫婦間や親子間で「してもらうのが当たりまえ」と考えているホテル家族が年々増えているように思います。
ですから、思い通りのサービスでないと相手を攻撃して、凄惨な事件が多発するのでしょう。


ところで、『フェミニズム事典』(明石書店)では、
「家族は、家父長制と女性に対する抑圧を存続させる主要な制度である」と定義しています。

フェミニズムとは結果の男女同権(平等)を是とする考え方で、西洋から日本に持ち込まれた思想ですが、「女性の家庭からの解放」という産物とともに、今日の家庭の崩壊を生む原因となりました。

終戦後、民法改正によって廃止された家父長制とは、法律で必然的に家族(一族)のリーダーを明確にするものでした。
この制度が廃止されたのは、もちろんGHQによる日本の家庭崩壊が目論まれてのことでした。

「リーダーが明確」であることは、円滑な家庭生活や家族の一体感を保つためには必要なことです。
しかし、戦後はそれが疎かにされて、家族それぞれが対等(平等)で、各々の考えで身勝手に生活している家族が増え続けています。
そして、夫婦ばかりか親子まで、家族全員が同権(結果的平等)で、親子間の区別さえつかない家族も増えています。

家庭訪問や学校での三者(教師、保護者、生徒)面談中でさえ、
親に対して、「お前!」や「〇〇〇!」と呼び捨てたり、悪態をつく生徒たちの様子を見ると、かつての美しい家族の在り方の崩壊を感じずにはいられません。

また、戦後の学校教育には、「資本主義が女性を抑圧している…」と資本主義からの解放を目指した「マルクス主義フェミニズム」が、「人権教育」の仮面を被ったまま日教組によって混入されました。
これらのことで、父親と母親の役割は曖昧になり、家族のリーダーが不在になったばかりか、「女性が家庭を守る」という伝統的家族観が否定され、経済的発展とは裏腹に日本の家族制度は崩壊し、家族関係が希薄化てきたのです。

kid0075-009_m家庭は、地域社会だけでなく、国家の礎となる最小単位の集合体組織です。その組織が破壊され、家族がバラバラで浮遊したままでは、我が国の発展も、子どもの健全育成もありはしません。

そして、家庭(親)は、子どもの教育の第一義の責任者です。
そのことを考えると、偏った思想を排除して、日本の家庭の在り方や家族との絆を問い直す作業は、子どもの健全育成とともに、日本の輝かしい未来的発展に向けて、避けて通れない作業です。

家庭の再生や家族の絆の再生こそが、真の教育の再生であり、日本再生の道なのです。



vol.45 少子化を解決する保守思想

kid0051-004_m今日は子どもの日です。
祝日法では「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」ことを趣旨としています。

ところで、15歳未満の子どもの数(平成21年4月1日現在)が、1694万人(昨年より19万人減少)との報道がありました。
昭和57年から29年連続で減少しているそうです。

少子化が社会問題となって久しいですが、一向に少子化問題が解決しないのはどうしてでしょうか。
私が勤務する中学校でも、ここ20年余りで学級数が半減しています。
政府も子供手当や保育所の増設など、様々な手を打っているようですが決定的な解決の糸口は見えてきません。

少子化問題の背景は、子育て問題です。
しかし、それは親の経済的不安や保育所などの保育施設の不足などとは、無関係な問題です。
施設不足などをハード面の問題点とすれば、むしろ少子化問題の核心はソフト面(国民の子育て意識)にあるように思えます。

vol.43 「幼児虐待の犯人を暴く」で書いたように、戦後教育では個性尊重ばかりが重視され、我儘が助長される教育がなされてきましたから、本来の親が持つ、子どもへの「自己犠牲」の精神が宿ることはありません。
自分の将来設計を考えたとき、子どもの数が増えるほどに、経済面や自分の時間が制限される面など、「自己犠牲」が伴うことを受け入れられません。
受け入れられないばかりか、子育てが自分の個性を奪うとさえ考えてしまいます。

学校教育では、「父親が外で働き、母親が子どもを育てる」という、かつての家族制度が否定され、共働きを推奨するようにジェンダーフリーや男女同権など外来思想が闊歩していますし、家庭や夫・子どもは、女性の自己実現を妨げる障壁で、女性を家庭に縛りつけるだけの伝統的家庭の在り方は打破すべきであるというようなフェミニズム的要素の強い教育が進歩的だとされてきました。
ですから、子育ての主役であるはずの母親の子育てへの喜びが高まりません。
これでは、いくらハード面を整備したところで出生率が改善するはずはないのです。

経済面を考えてもそうです。
かつての日本の家庭は非常に貧しいものでした。
しかし、貧しいながらも子だくさんで、世代を越えた大家族での生活は楽ではありませんでしたが、決して不幸ではありませんでした。
子育てに、経済的不安が付きまとうのは、今も昔も当然でしょう。
貧しかったからこそ親は子どもの為に必死になって働き、今の豊かな日本があることも事実ですから、経済的不安さえ解消すれば少子化に歯止めがかかるという考え方は浅はか過ぎます。

少子化問題の解決には、ソフト面へのアプローチが避けられません。
そのキーワードは、やはり「保守思想」です。
日本の家族が長年受け継いできた伝統的な家族の在り方や、子育て観、幸福感の見直しこそが必要です。

現在のフェミニズムに偏った女性観や家族観、結婚観は、左傾化した戦後教育の産物です。

そして、その産物の奥深いところには、「国家解体」「反日」の思想が脈々と流れています。
その思想から日本人女性が目覚め、子育てが女性の幸せであるということを再認識しない限り、少子化問題が解決することはありません。

戦後の学校教育は、少子化問題まで悪化させていることを忘れてはならないのです。
 
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