国民教育のススメ ~教育正常化の風~

「愛国心こそが教育再生のキーワード」 現職公立中学校教諭が、左傾化し続ける教育現場の危機感から、教育正常化を通して日本再生を考えるブログ。保守ブログ相互リンク募集中!

2010年07月

vol.73 国を愛するということ

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国を愛するということ

身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留めおかまし 大和魂

この歌は、幕末に活躍し、安政の大獄で絶命した吉田松陰先生の辞世の句と言われています。
有名な歌ですから、皆さんご存じのことでしょう。
先生は、若い時には、外国船に乗り込んで密航を企てるなど、熱い愛国の志を携えた激情家の一面を持ちながら、後には松下村塾という私塾で、維新の立役者を多く輩出した、立派な「教育者」でした。

親思ふ 心にまさる 親心 今日のおとづれ 何と聞くらむ
p_yoshida
この歌は、先ほどの歌と一緒に、処刑の前に詠まれたもので、長州に残された萩にいる両親へ贈られました。
この歌で分かるように、先生は、強い愛国の志のもとで激動の人生を歩みながらも、両親を慕い、想う親孝行な人物でもありました。

この二首の歌は、一見すると「国を愛する心」と「親を想う心」という、別次元の歌のようです。
しかし、先生にとっては、国を愛することと、親を愛することは、同義語だったように思うのです。
ですから、処刑前の辞世として、この二首を詠んだのです。

子どもは、親を選ぶことはできませんから、どんな親であれ、その存在を受け入れるしかありませんし、人は、親への愛情を生まれながらにして持っています。
自然と身についている親への想いが、その親から注がれる深い愛情によって、より確かなものになっていきます。

それは、まさに、私たちが生まれる国を選ぶことができないことと同じです。
私たちが、日本人に生まれたことは、両親の子どもとして生まれたように偶然の出来事です。
ですから、どんな国であれ、生まれた国を受け入れ、愛するしかありません。それが、愛国心の源です。

国を愛するということは、親を愛するということと同質です。
そして、自分だけでなく、愛する両親や家族、友人、恋人、それらすべての人々を育み、愛情を注いでくれたのが、この国の歴史や文化や伝統であることに気付いたとき、本当にこの国を愛することができるのです。


国を愛することは、危険ではない

現代では、親孝行という言葉すら死語になろうとしています。
生まれながらにして、持ち備えていた親への愛情は、自分の脚で歩けるようになり、自分で食事ができるようになると、薄れていき、成長とともに忘れてしまいがちです。
大人へと階段を上る過程では、自立に向けて親離れが必要ですから、ある意味では当然のことです。

だからこそ、教育の力で、親への感謝の念や、尊敬の念を抱かせることが必要だったのです。
かつての日本人は、「孝」を第一の徳目として、教育の中心にしていました。
教育勅語にいう「親ニ孝シ」と言うことです。

しかし、現代の日本人は、親を愛し、孝行を尽くすことができなくなっています。
それは、戦後の教育で、「親孝行」という徳目をしっかりと教えてこなかったからです。
そして、親を大切にできなくなったのと、並行して、国を愛することもできなくなりつつあります。
その結果が、国内の政治的混乱や社会情勢の不安定さ、対外的な国益の損失に繋がっています。

今こそ、坂本龍馬のように「この国を洗濯する」には、教育を根本から見直すことが必要です。

自国を愛することを、「危険だ」などと言っていてはダメです。
親や家族を愛することを、「危険だ」などとは言わないように、親を想う気持ちと同質である「国を愛する思い」を教えることをためらう必要などありません。

そして、愛国心を教えることが、グローバルスタンダードであることも、知っておくべきです。






vol.72 またも発覚!? 教職員組合の選挙活動

またも!? 教職員組合が特定政党候補者を支援!

先日行われた、参議院選挙のある選挙区において、同地の日教組地方組織である教職員組合が、特定候補者へ選挙協力(選挙活動)をしていた疑いが持たれています。

ある日教組OBの特定候補の演説会へ参加するように、各分会へ動員人数の割り当てをして、組合員に「動員」をかけたのです。
分会とは、組合の最末端組織で、学校ごとに組織されていて、分会長が校内の組合教職員をまとめて、組合活動に参加させるしくみです。

ですから、市内の公立小中学校へ参加動員をかけたのです。

 

公務員である公立学校教員は、選挙活動を禁止されていますし、教育公務員特例法や公職選挙法によって、その違反行為は明確に規定されています。

今回の行為が、これらの法律に接触するかどうかは、司法の判断ですから、コメントすることは控えますが、教職員組合が特定の候補者(政党)を支持し、教育現場(学校)に演説会への動員をかけるという行為は、教師としての倫理に反する行為と言えます。

 

今回の参院選に向けての演説会と言えば、7月初旬でしょうか。
この時期は、中学校であれば、授業と並行して、期末テストの作成、実施、採点、そして成績処理、通知表の作成、学期末面談…など、目が回るほど忙しい時期ですし、県中学総体も間近で、教師は、土日もなく部活動指導に当たっています。

仮に時間があったとしても、生徒指導や不登校生徒への家庭訪問など、やらなければならないことは山積しているのです。

教師としては、夏休みを控えて、睡眠時間を削って、職務に邁進している時期です。

 

教師として感想を言うなら、そんな多忙を極める時期に、選挙演説会への動員など冗談ではありません。

その貴重な時間を割くということは、目の前の子どもの成長に目を瞑る行為になりかねません。
そうならば、教師であることの否定にすらなってしまいます。

 


レッドカード教職員よ、即刻退場せよ!

国民からも再三に渡って非難されているにもかかわらず、彼らは、意図的に特定候補者を支持し、選挙活動をしています。

教育者として、公平中立な立場を尊重せず、自らの既得権益を守るため、政府や政党への影響力を強めつために選挙活動をするのです。

過去には、教職員が投票を促す電話作戦に参加したり、特定候補のポスターを職員室に掲示したり、選挙資金として組合員がカンパしたり、といった違法な選挙活動が横行しました。

今回は、まだ明確な違法行為が指摘されている訳ではありませんが、
このように違法行為を繰り返す教職員に、生徒の前に立つ教育者としての資格はありません。

遵法精神がない教員が、生徒に「ルールを守れ」とは言えないのです。


国民は、そんな教職員組合の姿勢に、憤慨し、公教育への信頼を損ねているのです。

国民の示すレッドカードに従って、候補者ともども、即刻退場するべきです。

 

vol.71 教師よ、国民の負託に応えよ!

モンスターペアレンツ

無理難題や理不尽な苦情を次々と保育所や幼稚園、学校に突きつける「モンスターペアレント」と呼ばれる保護者たちがいます。
私も何度もそういう人の対応をしてきましたが、個人情報も含まれるため、事例として、富山市がまとめた「保育所クレーム対応事例集」(平成20年3月)から、常軌を逸したクレームのひとつを紹介します。

子供と親の分、保育所で朝食を用意して欲しい

「仕事で忙しい親が多く、特に朝は出勤や保育所へ登所する子供の準備で忙しいので、子供の朝食と大人の朝食を用意して欲しい。食べた人が実費を支払えばいいのではないだろうか。ぜひ検討して欲しい」
「また、保育所で汚した衣類は保育所で洗濯して元通りにして返して欲しい。保育料も税金も払っているのだから当然ではないだろうかと投書箱に意見として入っていた」

これは、ほんの一部です。
親の保護責任のひとつの柱は、食事を摂らせることです。
食事を摂らないと生命の存続ができない訳ですから、当然のことですが、ただ食事を与えればよいと言う訳ではありません。
栄養バランスなど、栄養的配慮も当然大切ですが、何よりも母親の愛情いっぱいの手料理が、子どもがスクスクと育つためには不可欠です。
それが、家族の絆の根源である食事さえも、提供される「サービス」にしてしまう身勝手な親がいるのです。

モンスターペアレンツが生まれる背景

このようなモンスターペアレンツを作り出してしまうのは、「何でもお金で解決できる」(拝金主義)や「自分のことばかり主張する」(個人至上主義)など社会の歪みです。
しかし、残念ながら、その一端を担っているのが、不当な要求に対して毅然とした態度で対応できない我々教師でもあります。
モンスターペアレンツともめないためには、ある程度要求を受け入れ、相手が指摘している問題を改善する必要があります。
しかし、そのことばかりに目を奪われていると、相手の要求の本質を見失い、不当な要求とそうでない要求の分別すらできなくなってしまい、結果的に不当要求に対して毅然とした態度を示すことができなくなるのです。

このように、毅然とした対応ができない一つの理由は、教師さえも教育を単なるサービスとして捉えているからです。
広い意味で言えば、もちろん我々は子どもたちに、教育というサービスを提供しています。
しかし、間違えてならないのは、「教育」とは、目の前の子どもたちや保護者だけに提供するサービスでは無く、国民全体に提供されるサービスでなけばならないということです。
私たち教育公務員は、保護者からだけでなく、国民からの負託を受け、子どもの教育をしているのです。
ですから、仮に顧客満足度を測るとすれば、子どもたちや保護者の満足度だけではなく、国民の満足度を測る必要があります。


教師が子どもの将来を、そして日本を愛せ!

何度も言いますが、私たち教師は、国民からの負託を受けて、目の前の子どもたちを指導しています。
ですから、指導の正当性の判断(不当要求か否かの判断)には、国民の目線が必要です。
ということは、教師には、国民の声に耳を貸す姿勢と、その国民が期待する国家の発展への相当な見識(正しい国家観や歴史観)が必要です。

日教組のように、自分たちの(左傾化した)主義主張ばかりを国民に押し付け、堂々と政治活動に関与して、国民の信託を裏切るばかりか、国民を欺くような行為をしていたのでは、教師に正しい国家観など毛頭育つはずはありませんし、国民からの信頼を損なうばかりです。

教師が、一部の要求者だけの声でなく、公正に国民の声に耳を傾ける真摯な態度を持ち、この国を愛し、この国の将来を担う子供らを愛して、子どもの幸せと国家の発展の為に指導に当たれば、国民は教師や学校を信頼します。
そうなれば、モンスターペアレンツから教師や学校を守ってくれるのは、国民であり世論になるのです。

学校と国民が乖離しているのは、日本にとって、とても不幸なことです。
その歪みが、モンスターペアレンツを次々と生みだしています。

教育とは、国民の手にあることを、教師は忘れてはなりません。
そして、国家の発展に寄与する志と、日本を愛する心を大切にしなければなりません。





vol. 68 琴光貴解雇と日本人の美徳

ヒステリックな反応

連日、相撲協会の賭博事件について報道が繰り返されています。
琴光貴、大嶽親方の解雇だけに留まらず、その他の関係親方、力士の謹慎処分、警視庁による強制捜査、NHKによる名古屋場所の中継中止決定など…。

それにつけても、世間のヒステリックな反応には、疑問が残ります。
世間は、こんなに厳しい処分を相撲協会や力士たちに求めていたのでしょうか?

力士であれ、そうでなかれ、野球賭博という犯罪に手を染めたことは許されることではありません。
まして、その資金が暴力団関係者に渡っているとすれば、真実は究明されるべきですし、二度と同じ過ちが起きないように、角界に厳しい反省を求める気持ちは、分かります。
相撲を愛すればこその、厳しさもあると思います。
しかし、私は、このヒステリックさにこの国の落日の日を感じずにはいられないのです。


窮鳥懐に入らずんば、猟師もこれを打たず

かつての日本人には、おおらかな「寛容さ」がありました。
時代劇でも、「罪を憎んで、人を憎まず」というセリフが流行ったように、誰に対しても寛容さがありましたし(許せる範囲と言うものはあるでしょうが…)、他者を思いやる優しさがあったはずです。

武士道においては、仁は、「武士の情け」として重要視され、自己には厳しくあっても、他人に対しては寛容さと慈愛を大切にしました。
「窮鳥懐に入らずんば、猟師もこれを打たず」の精神です。
武士道の基本を形作った四書五経の中で、孔子は、「愛、寛容、他者への同情、憐憫の情」を至高の徳としています。

日露戦争で、乃木将軍が敗軍の将ステッセルに、帯剣を許して会見をしたことは、世界の人々を驚愕させましたし、その後も敗軍の将として祖国ロシアでつらい生活を送った彼を、物心ともに支援した乃木将軍の偉大なる寛容さは、世界に誇るべき日本人の美徳だったのです。
現代の敗軍の将と言える琴光貴らに、これだけの寛容さを示せる日本人はどれ程いるのでしょうか?

それが、今回の報道では、マスコミや低俗な日本文化を解さないコメンテーターが、バッサバッサと相撲協会や力士らを断罪して、切り捨て、それに踊らされるように国民が一緒になって彼らを糾弾しているように見えます。
そこに、日本人としての美徳などありはしません。


私たちが乃木将軍たらん

そもそも、マスコミに他者を糾弾する資格などないでしょう?
自浄能力がないと相撲協会を糾弾しますが、マスコミ各社にこそ、そんな力などありません。
話題性にだけ便乗して、他者を辱めて、視聴率を稼ぎたいだけの商売勘定のみが見え隠れしています。

琴光貴、大嶽親方は、賭博に手を染めましたが、生まれてこの方一度も、賭博行為をしたことがない日本人がどれ程いるのでしょうか?(法律では、1円でも現金を賭けると賭博罪になります)
誰もが、自分のことを棚にあげて、非難していないでしょうか?

もし、暴力団関係者に資金が流れていたことが問題ならば、琴光貴らも、暴力団にカモられた被害者であるとの見方もできるはずです。
本当に社会が憎むべきは、庶民の些細な賭博への欲求を、商品化、多額化して、違法な収入を挙げている組織です。

私は、マスコミに踊らされず、自分の頭で考えて、日本人の心を取り戻して、今回の事件を見てみたいと思うのです。
彼の解雇を作りだしたのは、国民の代弁者のふりをするマスコミです。
私は琴光貴の解雇など求めていませんし、彼にもう一度、幕下からでも「やり直す」機会を与える寛容さを日本人は持ち備えていることを、主張したいと思うのです。

反省した琴光貴が、快進撃で、久しぶりの日本人横綱になる姿など、本当に夢があるではありませんか。
その夢に、ドキドキしたいと思うのです。

寛容さを失った社会では、豊かな生活、豊かな心は育たないのですから。
今、琴光貴を救えるのは、乃木将軍たろうとする日本人としての気概と美徳を備えた国民の声だと思うのです。

vol.67 「食育」は、「愛国心」を育む源!

コンビニおにぎりで昼食を済ます中学生

was0018-039_m私が勤務している地域の中学校では、給食ではなく、お弁当の学校が多くあります。
忙しい親はなかなか弁当がつくれなくて、コンビニのおにぎりや弁当を買ってくる子どもたちがいます。
「つくらなくていい」と、わざわざ手作り弁当を断って、コンビニで済まそうとする生徒さえいます。


『コンビニの買ってはいけない食品 買ってもいい食品』(渡辺 雄二 著 大和書房)によると、コンビニのおにぎりには、ご飯が製造機械に付着するのを防ぎ、また保湿や保存のために植物油(ナタネ油やコーン油など)が混ぜてあるそうです。

そして、どのおにぎりにも入っている「pH調整剤」は、酢酸やクエン酸などの酸がほとんどで、殺菌効果があり、保存性を高めることができるそうですが、口や胃の粘膜を刺激するものがあるそうです。
また、グリシンも保存性を高める働きがあり、味付けの目的でも使われますが、鶏やモルモットに大量にあたえると、中毒を起こして死亡することもあると言います。
このように多くの添加物が含まれる(危険な)食品で、お昼を済ます子どもたちがいるのです。


食の乱れが、心の乱れを生む

1975年にアメリカの小児科医ベンジャミン・ファインゴールド博士が、過度に活動的で過敏で、落ちつきがない、すぐ興奮する、反抗的ですぐいら立つ、衝動的で自制心がない、飽きっぽいなどの傾向をもつ子どもたちに共通の原因は、日常に糖分や着色・着香料などの食品添加物の多い加工食品をとりすぎているからだと指摘しました。

現代では、食品添加物の危険性は、かなり周知されてきましたが、ついついコンビニの便利さに負けてしまいます。
日本は、コンビニだけでなく、ジャンクフード店も盛況で、お金さえ払えば、いつでもどこでも、食べたい時に食べたい物を食べれる便利な時代に慣れてしまったからです。

しかし、便利になってしまったゆえに、母親の愛情いっぱいの手料理を味わう機会が減ってしまっては、子どもにとっては不幸です。
「便利」さの裏には、多くの危険が隠れていることに大人が気付くことが大切ですし、子どもたちにきちんと教えなければなりません。


「郷土を愛し、我が国を愛する心を育てる」教育の源

was0005-009_m食生活を正すキーワードは、「手作り」「伝統的な食文化」「地産地消」です。
長い年月、主食にしてきたお米と、味噌や醤油など伝統的調味料によって味付けされた、地元で採れる伝統野菜や魚介類などが、子どもたちの体にはもっとも適している食材です。
それらを愛情たっぷりの手料理で、満遍なく食することが、子どものたくましい体だけでなく、豊かな心を育てるのです。

そして、家庭で、日本の伝統的な食文化を継承し、子どもに郷土の産物に好感と誇りを持たせながら育てることが、郷土を愛し、この国を愛する心を育てる教育の源そのものです。

「子ども手当」も結構ですが、その手当で、親が昼食だけでなく、頻繁にコンビニ弁当を子どもに与えているとしたら…「子ども手当」が、「子育て阻害手当」になりかねません。
子ども手当も、財源以上に、その理念が問われています。
本当に、子どものため、子育ての支援になる…施策を期待したいものです。

vol.66 地方分権が、地域格差を生む!?  ~教育に地方分権は必要か~

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地域の格差 就学援助にも

文部科学省は、平成21 年度の就学援助に関する調査結果を公表しました。

就学援助制度とは、生活に困窮し健全な家庭環境の中で子供を養育することが困難な要保護者と、それに準じる準要保護者に対し、市町村が学用品費や通学費、給食費等を支援する制度のことです。

要保護者の援助には国が費用の2分の1を補助し、準要保護者には各市町村が地方交付税措置を受けて独自に取り組んでいます。

今回の文部科学省の実態調査は、平成21 年11 月に市区町村教育委員会と事務組合の1,818 教育委員会を対象に実施したものです。
平成21 年度における準要保護の基準の変更状況については、次のような結果が見られました。

● 準要保護の認定基準を緩和したのは、36 団体。
 そのうち、9 団体が援助額も増額した。
● 準要保護の認定基準を厳しくしたのは、26 団体。
 そのうち、5団体が援助額も減額とした。
(出典:「就学援助に関する調査結果について」文部科学省児童生徒課)


格差の被害者は、子どもたち

これを見ると、各市町村が独自に認定基準を緩和したり、逆に厳しくしたりしているのが分かります。
各地域の財政状況は、まちまちですから、いたしかたないというところでしょう。
しかし、これが何を意味するかと言うと、保護者の収入が同じでも、住んでいる地域によって援助がもらえたり、もらえなかったりしたり、もらえたとしてもその額に差があるということです。

義務教育は、国が国民に公平・公正に保障すべきですが、この状況を見ると、地域によって格差が生まれていることが予想されます。
地域によって格差が生まれると、どこの地域に生まれたかによって、子どもたち自身が直接弊害を被るのです。

家庭の収入によって、子どもの学力に格差が生じていることは以前から指摘されていますが、地域によっても、格差が生じているとしたらこれを看過することはできません。


地方分権は本当にこの国を良くするのか

目前に迫った参院選でも、地域主権、地方分権などがクローズアップされ、地方が国の制約を受けないことが、この日本を良くするかのように言われています。
しかし、この準要保護の一点を見ても、国の制約や関与が無くなるということは、地域格差を拡げるリスクがあることを、もっと真剣に議論するべきです。

地方分権の全てがダメだというのではありません。
何を地方に任せて、国は何に責任を持つのか、その議論を除いて、「地方分権」が金科玉条の如く扱われるのは、とても危険です。

少なくとも、この準要保護のように、子どもが犠牲になるような地域格差には、国としてきちんとした手当をするべきですし、教育には国が責任を持つべきです。

参院選が迫っています。
候補者には、地方への利益誘導ばかりではなく、国家や国民全体の幸福を意識して、地方分権を語ってほしいと願います。


vol.65 「日本の魂」と岡田監督が褒め称えた選手たち

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日本の魂

image昨日の、サッカー日本代表の帰国会見において、
「選手たちは、脈々とつながる日本の魂を持って闘ってくれた」と選手らを称賛した岡田監督。

脈々とつながる日本の魂とは?
その答えは、彼ら選手の活躍に隠されています。

ピッチの選手だけでなく、ベンチの選手たちも、肩を組んで大きな声で歌う国歌(君が代)。提案したのは、闘莉王選手だったそうです。
チームキャプテンをつとめたGK川口選手も、自身は出場機会がなかったものの、記者会見では「出てる選手はもちろん、出てない選手も100%の力を出して戦えた」と胸を張りました。
また、会見中には、DF今野選手、FW森本選手がそれぞれ余興を披露して、「こんなのは初めて」と仲の良さに目を細めました。

日本代表に集まった選手たちは、ヨーロッパや日本のチームで、それぞれがチームを代表する強烈な個性を持った猛者たちです。
その強烈な個性を、チームの為に押し殺し、チームが勝つためだけに力を合わせた結果が、今回の予選突破、16強進出でした。
その結果、押し殺したはずの個性が、これまで以上に光り輝く結果になりました。


和をもって尊しとなす

20091112105344_00_400学校現場では、「個性尊重」の思想が闊歩し、我儘と個性の境目すら曖昧になってしまっています。
しかし、今回の日本代表の活躍は、我が儘を自省して、個性を殺すことがチームの為になり、結局は自身の個性をより輝かせることを教えてくれました。
選手たちが、「俺が、俺が…」の精神で自らの個性ばかりを尊重して、まとまらなければ、今回の結果はなかったはずです。

これこそが、「和をもって尊しとなす」との聖徳太子の古代から、私たち日本人が受け継いできた、「脈々とつながる日本の魂」そのものだと思います。

公(おおやけ)の意識が埋没して、自己中心主義が当たり前のようになってしまった日本社会に、脈々とつながる日本精神を思い出させてくれた代表選手たちに、心からの感謝を贈りたいと思います。







vol.64 日本人になったことを誇りに思う ~ ワールドカップ 闘莉王選手に学べ ~ 

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日本人になったことを誇りに思う

20100630-00000545-san-socc-thum-000
「僕がセットプレーで点を取っていたら勝っていた」と攻撃面での悔しさをのぞかせた闘莉王は「僕は日本人になったことを誇りに思う」と胸を張った。(6月30日 産経新聞 抜粋)

素晴らしい戦いを見せた日本代表。
守りの要として奮闘した田中マルクス闘莉王選手(名古屋グランパス)は、PKで敗れたパラグアイ戦の後のインタビューでこう答えています。

彼は、ブラジル、パルメイラ・ド・オエスチ出身の日系3世。
留学先である千葉の渋谷幕張高校を卒業後、平成13年(2001年)にサンフレッチェ広島に入団し、水戸ホーリーホック(期限付き)、浦和レッズ、名古屋グランパスとプロ球団を渡り歩きながら、平成15年(2003年)に帰化し、日本国籍を取得しました。

父方の祖父は広島県出身、父方の祖母は富山県出身で共にブラジルに渡った日系移民です。
その彼が、日本人として参加したワールドカップで活躍する姿は、私たち日本人に勇気を与えましたし、「僕は日本人になったことを誇りに思う」という言葉の重みや、ピッチで堂々と国歌(君が代)を歌う姿の素晴らしさに感動しました。

生まれた時から日本人である私たちは、ついつい日本人であることの素晴らしさを見失ってしまいます。
ですから、彼のような帰化した人たちの日本への思いを知ったり、学んだりすることは、日本人の誇りを取り戻す上では、とても大切な教育です。


自分の国を誇りに思うことを恥ずかしがっていちゃダメ

同じようにブラジルから日本に帰化して、かつて日本代表として闘ってきたラモス瑠偉氏は、
「日本代表の一員になって、選ばれた他の選手たちがなんだか軽い気持ちでプレーしているように見えたことも不満でした。愛国心もなくて、なんのために「日本代表」として闘っているのかなって。このままじゃダメだ。勝てるわけがないと思いましたね。」
「せっかく日本代表に選ばれてプレーするんだから、やっぱり誇りをもって、日の丸を背負って闘いたかった。国を背負うこと、自分の国を誇りに思うことを恥ずかしがっていちゃダメなんです。」と語っています。
帰化して日本人になったからこそ、国を背負うことを知らない日本人がもどかしかったのです。

CIMG0456_1このワールドカップでも、闘莉王選手はチーム随一の闘志を見せました。
もちろん、その内面には、「僕は日本人になったことを誇りに思う」という熱い気持ちがあったのです。
国を背負うこと、自分の国を誇りに思うことを恥ずかしがっていてはダメなんです。
彼らの姿に、私たちは学ばなければなりません。

そして、スポーツの日本代表という特別の立場でなくても、ひとりひとりが自分の国を誇りに思うことが、自分に力を与え、困難にも闘志を呼び起こし、世界の中で闘っていく原動力になること、そして、それが真の国際人として活躍することであることを、子どもたち若い世代にしっかりと教えなければなりません。


教師こそが、日本代表の思いを学べ!

それを教えるのは公立学校の教師であるものの責務です。
しかし、学校現場は、日教組などによる左翼思想に深く侵された教育界にあって、愛国心や日本人としての誇りを否定する風潮が蔓延しています。

だからこそ、教師一人ひとりが、このような現状に埋没することなく、個として、自分の国に誇りを持つ教師であらねばなりませんし、それを伝える術を持った「プロ」の教育者であらねばなりません。
公立学校の教師こそ、闘莉王選手やラモス氏から、日教組などの左翼勢力ときっぱりと縁を切る「勇気」と、「自分の国を想う熱い心」を学ばなければなりません。

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