日本人の責任の取り方


徳川家康に仕えた武将の一人に天野康景がいました。

天野は、その戦功によって3万石の領地を与えられ、大名に取り立てられ、駿河の国の一部を治めていました。

慶長12年(1607年)のこと、その居室へ盗賊が入り、新居造営の為に領内から集めていた竹が盗み出されるという事件が起こります。

番兵を務めていた足軽の3人がそれに気づき、盗賊を追いかけて、その内1人を打ち取ります。他の2人は逃げたのですが、調べてみると、その盗賊たちは近隣の天領(幕府の直轄地)の住人だったのです。

 

当時の天領の住人と言えば、幕府へ年貢を納める大切な公民です。その公民に、譜代とは言え大名の家臣が危害を加えることは許されません。

やはり、天領の代官から「速やかに番兵を処刑し、公民を殺害した罪の償いをせよ」との横やりが入りました。

康景は、「盗賊を切り捨てるのは、世の習い。当方に落ち度はありませぬ」とその要求をはねつけます。

しかし、代官は面子をつぶされたことに立腹して幕府に訴え出ました。

 

幕府に呼び出された康景に、幕府はこう申し渡します。

「幕府の裁定に従わないことは、公儀の信頼を損なうことになる。籤(くじ)でも引いて一人を決め、番兵のうち一人を処刑せよ。」

公民の数と番兵の数合わせのような、無茶苦茶な裁定でした。

 

康景は、苦慮します。

「公儀の信頼を損ねることを、幕臣から大名に取り立ててもらった自分ができるはずはない。」と一度は、幕府の裁定を受け入れます。

しかし、足軽の番兵一人と言えども、大切な家臣の命を奪うことに変わりはありません。

まして、当家に過失があるとはどうしても思えず、それに反することは義に欠けると思いなおします。

 

結局、康景は3万石の俸禄を幕府に返して、流浪の身となることに決め、幕府の面子と家臣の命、そして義を貫き通すという、自己犠牲の上の責任を果たしたのでした。

 

 

現代の日本人は本当の責任を取っているか

近年、自分の責任を全うできない日本人が増えています。

他人を陥れ、責任を転嫁してでも、自己保身に終始している様子がTVでも流れてきます。

ましてや、国や行政のトップたらんリーダーたちの無責任さは、子どもたちにどう映っているのでしょうか。

 

かつての日本人は、何事にも自ら責任をとる「潔さ」を持っていました。

それが、人として生きていく上で、とても大切な価値観であったのです。

しかし、いつの頃からか、責任をとらないことは、「生き恥を晒す」のだという観念さえも消え去ろうとしています。

 

時代が変わり、責任の取り方も大きく変わってきました。

ですから、「生き恥を晒し」ながらも、全うすることで果たせる責任もあるでしょう。

部下や社会の為ならば、そういう責任の取り方もあって結構です。

しかし、それが自己保身のためであってはなりません。

まして、部下や他人に責任を転嫁していたのでは、責任を放棄しているとしか言いようがありません。
なぜなら、康景が部下の命を救ったように、「潔さ」「自己犠牲」「義」の精神で責任を全うしてきたのが日本人の美徳であったからです。

 

子どもたちの「道徳心の低下」が言われて久しくなります。

堂々と子どもたちに「道徳」を教え、子どもたちの道徳心を育んでいくには、私たち大人が自己の「より良い生き方」を見つめなおし、日本人として大人らしく振舞うほか道はありません。