その判断には賛否両論あるようですが、主にマスコミは「表現の自由」を盾に否定的に報道しています。
中には、戦前の検閲制度を引き合いに出し、民主主義の根幹を揺るがす野蛮行為だと強い口調で非難している向きもあるようです。
しかし、このような「表現の自由」を盾に民主主義の根幹であると危機感を煽る報道には、教育現場にあるものとして釈然としません。
この「はだしのゲン」の閉架問題は、本当に「表現の自由」の問題でしょうか?
学校は、子どもたちの人格形成の場です。
そして、子どもたちは様々な価値観や情報に触れて成長していきます。
しかし、世の中のすべてのものが、子どもの健全育成に有益であるわけではありません。
表現の自由が保障された世間には、子どもの心身の発達に害を及ぼしかねない情報や価値観が散在しています。
その害を及ぼしかねない情報や価値観を子どもたちから遮断したり、(触れさせるにしても)発達段階に応じた適切な時期に、適切な方法で触れさせるように導くのは大人の責任です。
ですから、今回の閉架問題を議論するとすれば
「子どもの成長にとって有益なのか、それとも有害なのか」という一点です。
決して「表現の自由」などという無責任な議論であってはなりません。
その一点で「はだしのゲン」を見るときに大切な観点は以下の通りです。
〇 間違った事実や誇張された描写がないか
〇 極度に凄惨な状況描写がないか
これらの問題が多くあるのであれば、子どもの成長を害しかねません。
子どもたちは真実を見極める判断が不十分です。与えられた図書から読み取る内容は、すべて事実として受け止めてしまう傾向があります。
それでは、真実を見極めることができないばかりか、間違った事実を刷り込まれてしまう可能性があります。
そして、もう一点大切な視点は
〇 偏ったイデオロギーが全編を通して描写されていないか
という点です。
学校が公教育の場であり、中立的な教育で子どもを育てる義務があることを考えれば、これも大切な視点です。
再度言いますが、決して「はだしのゲン」という作品を否定しているわけではありません。
どの描写も、どの表現も、作者にとっては必要なものです。
そのことは、(我が国では)表現の自由で保障されています。
ただ、それが子どもの成長にどのような影響を及ぼすのかということを熟議しない限り、今回の問題はその本質が見えてきません。
子どもの健やかな成長のために
大人が責任ある選択と、決定をなすことを
政治的対立から躊躇する社会であってはなりません。



