国民教育のススメ ~教育正常化の風~

「愛国心こそが教育再生のキーワード」 現職公立中学校教諭が、左傾化し続ける教育現場の危機感から、教育正常化を通して日本再生を考えるブログ。保守ブログ相互リンク募集中!

道徳教育論

vol.154 「坂本竜馬に学ぶ本当の勇気」(中学生用道徳資料)

大津で起きた中学2年生の自殺事件。
地域は違えど同じ教育者としてなぜ防げなかったのかと、心から悔やまれます。

生徒たちは、現実に攻撃的な言葉をつかいます。
そして、表面的な指導だけでは改善していかない現実があります。

その内面に届く言葉を…との思いから、
以前に紹介した「坂本竜馬から学ぶ道徳心」を中学生用資料に書き直して、生徒たちに読み聞かせました。


道徳資料(中学生用)

「うっとうしい!」

「黙れ!」
「死ね!」

教室で、相手を攻撃するそんな罵声が飛び交っています。

些細なことで始まったいさかいの中で使われるこれらの言葉には、相手への尊敬や感謝などまったくありませんし、相手を気づかう優しさの微塵も含まれていません。

 

中学校にもなれば、これらの攻撃的な言葉をなぜ発してしまうのか…少し冷静になって考えてみなくてはなりません。

自分に自信がないので少しでも他人に自分をよく(強く)見せようとすることを「虚勢を張る」と言いますが、先ほどの攻撃的な言葉の裏側には、それを吐く人の人間的な弱さ、未熟さ、幼さが隠れています。


「ゆく春も 心やすげに見ゆるかな 

花なき里の 夕暮れの空」


この和歌は、みなさんもよく知っている我が国の英雄・坂本竜馬が、同志の桂小五郎(長州藩士)に揮毫を求められたときに書き贈ったものです

坂本竜馬は、新しい日本をつくるために薩長同盟を成しとげ、海援隊を組織して討幕運動に参加するなど旺盛な行動力と強い志を持った傑物ですが、
この歌からは竜馬の「国を憂える気概」や「人並外れた行動力」ばかりか、武士としての「勇ましさ」(竜馬は、剣術も免許皆伝の達人でした)さえ見えてきません。

竜馬の「自然を肌で感じとる優しさ」や「春の終わりへの悲哀さ」が詠み込まれているだけです。


では、なぜ竜馬は自分を誇示するような「勇ましい」和歌を小五郎に贈らなかったのでしょう?

 

新渡戸稲造は、著書「武士道」の中で、

「武士に和歌を詠むことが奨励されたのは、より優しい感情を表面にあらわし、その半面に勇ましさや情けとしての仁を内面に蓄えるためのものであった」と記しています。
そして、和歌に何気ない日常の様(季節の移り変わりや、自然の美しさなど)を詠み込む心は、武士にとって「平常心を保つ」訓練であり、
「平静さに裏打ちされた勇気」を練磨する道であったと書いています。

 

竜馬も、国事に奔走する激しさや不安に打ち勝つ勇気を内面に蓄えるために、平素から優しさや悲哀を歌に詠んでいたのでしょう。
だからこそ、命を賭けて国事に奔走できたのです。

 

このことは、

「本物の勇ましさ(勇気)とは、内面に優しさを持ってこそ形作られ」、「優しさを表面に表すことが真の勇気(強さ)をつくる鍛錬になる」

ということを私たちに教えてくれます。

やみくもに人や物を攻撃するのではなく、人や自然に優しく接することが、本当に勇気ある(強い)人間になることなのです。




教育正常化を応援してくださる方は
応援クリックをお願いします。

�����祉�������㏍�井�� ��炊音�����㏍�� 篆�絎����

vol.147 「我が国を愛する態度を育てる」 道徳の目標に込める安倍内閣・教育基本法改正への思い

学校では、年度末に来年度の「教育計画」を作成します。来年度はちょうど「新学習指導要領」が中学校で完全実施される年ですので、本校でも作業を急いでいるところです。

 

そんな中、わたしは、本校の道徳教育をゼロベースで見直し、来年度の道徳教育の計画を作成しています。

その作業の中で、本校の道徳教育の目標を次の4点としました。

 

①人間尊重の精神と生命や自然に対する畏敬の念を育てる

②自己の将来をしっかりと考えて社会形成に意欲的に参加するとともに、公共の精神を尊び、法やきまりを遵守する姿勢を育てる

③他国を尊重し、国際社会の平和と発展や環境の保全に貢献し、未来を拓く主体性のある日本人を育成する

④伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土 
を愛する態度を育てる

 

これらの目標は、学習指導要領に則って作成します。

みていただければ分かるように、学習指導要領にきちんと則って目標を立てれば、道徳教育とは、
「公共の精神を尊ぶ心」
「我が国や郷土を愛する心」
「主体性ある日本人」
「伝統と文化の尊重」
など、まさに『誇り高き日本人』を育てる教育そのものです。

 

そして、この目標を、より具体的にして「学年の重点目標」を作成します。

例えば、
私の創った中学校3年生の重点目標の一つは、

「地域社会の一員であること,日本人であることの自覚をもって郷土や国を愛し,郷土と国家の発展に努めるとともに,世界の平和と人類の幸福に貢献する態度を育てる」
です。

 

 

来年度から実施される新学習指導要領は、平成18年に「戦後レジームからの脱却」を掲げた安倍内閣によって改正された教育基本法の精神を具現化したものです。

日教組は、戦後長年にわたって道徳教育を徹底して排除し、教育基本法の改正のときも、「改正」を「改悪」と呼び換えて、強硬に反対しました。
その理由は、私の作成した目標を見て頂ければ一目瞭然でしょう。

そこには、彼らが推進する「反日教育」の一かけらもありません。
この道徳教育が本当に進められれば、彼らの進めてきた「反日教育」は、学校現場から駆逐されるのです。
 

 

我が国の公教育を立て直すし、教育基本法の精神を全うするには、教育の実践者である教師が着実な実践を重ねて、「教育の根幹」を正していく他はありません。


しかし、日教組らは、法の精神をあえて歪曲し、実践を捻じ曲げることで抵抗を続けます。

簡単に言えば、学校に目標ができたとしても、道徳の授業をしなければよいのです。

そうすれば、新教育基本法の精神はまったく絵空事になって、骨抜きになってしまいます。

それが、日教組ら反日勢力の手口です。

 

それを阻止して、授業の実践をつみあげることができるのも、実践者である教員一人ひとりです。



どうか、日本全国の学校で、道徳教育がその目的を果たせるように、地道な取り組みがなされんことを願います。




教育正常化を応援してくださる方は
応援クリックをお願いします。
 

�����祉�������㏍�井�� ��炊音�����㏍�� 篆�絎����

vol.146 「13歳からの道徳教科書」(育鵬社)で、日本の道徳教育が変わる!

211日の建国記念の日。

この国民の祝日に、育鵬社(扶桑社の教科書事業を継承する)から一冊の本が発売されました。

13歳からの道徳教科書」(道徳教育をすすめる有識者の会・編)がそれです。



形骸化する道徳教育 

戦後教育の中で、もっとも重要であるにも関わらず、日教組に徹底して反対され、骨抜きにされて形骸化してきたのが道徳教育です。

学習指導要領では、年間35時間(週1時間)分の道徳の授業をすることになっていますが、実際の教育現場では完全実施せずに、その一部や全てを席替えや班活動、話し合いなどの学級活動や、人権教育などに費やしているところが多くあります。

長年、道徳教育反対闘争を繰り広げてきた日教組や、全教(全日本教職員組合)など左翼組合が強い地域ではなおさらです。

 

授業時数さえ順守されないのにはいくつかの理由がありますが、一番大きな理由は、道徳が教科でないことにあります。

教科ではないということは、生徒の評価もせず、他の教科(国語や数学)のように専門的に指導する教師がいないということです。

もちろん、国の検定を受けた教科書さえないのです。

ですから、意図的にやらない勢力がいるだけでなく、他にやらなければならないことがあればやらなくてもよい…といった誤った認識に現場が陥りやすいのです。



日本人の矜持を育てる「道徳教育」 

そんな中で、今回発売された「13歳からの道徳教科書」は、あえて「教科書」という語句を使っています。

そこには、道徳教育の重要さを認識しない学校現場や組合への強い警鐘が含まれています。

 

出版元の育鵬社のHPには、この「13歳からの道徳教科書」を学校現場ですぐに活用できるように指導案が掲載http://www.ikuhosha.co.jp/public/065522_shidou.htmlされています。


この指導案は、中学校現場の教師や大学関係者などが立案しており、
私も数編分の指導案を作成して掲載させていただいています。

 

その指導案を作成するときに、わたしが最も重要視したのは、授業を通して「徳目」を学ばせるだけでなく、日本人としての「矜持」を育てることです。


自虐史観が横行する教育現場の中で、日本の子どもたちは「元気」を失っています。

 そして、身近に生き方の手本を示してくれる大人がおらず、どう生きていいのか、将来の展望や夢が持てずに悩み、苦しんでいます。

 

その中学生たちに、我が国の先人たちの素晴らしい生き方から「徳目」を学ばせながら、日本人としての誇りを育み、いかなる困難にも立ち向かう覚悟を持った強い日本人に育てたいと願い、指導案を立案しました。

今後、書店にも並ぶかと思いますので、ぜひご一読ください。

 

教科書の内容については、今後紹介します。



美しい日本人の心を育てる教育を
応援してくださるかたはクリックお願いします。
�����祉�������㏍�井�� ��炊音�����㏍�� 篆�絎����

vol.144 天使の声(南三陸町)道徳教材化にあがる非難の声に反論する。

拙ブログvol.111 震災から学ぶ道徳授業「責任をまっとうする」でも、道徳教材として紹介した遠藤未希さん(南三陸町で防災庁舎から避難を呼びかけ続け、命を落とした同町職員)の話が、埼玉県によって道徳用教材として作成され、埼玉県内の小中学校1230校で4月から授業で使用されることになりました。

 

東日本大震災で見せた日本人の道徳性の高さは、世界から賞賛されましたが、

その中でも、最後の最後まで自分の責任をまっとうした遠藤未希さんの姿は、日本だけでなく、世界の人々にも大きな感銘を与えました。

この話を一人でも多くの日本の子どもたちに知ってほしいと願っている私としては、とても嬉しいことです。

 

しかし、道徳教材にすることには反対の声も挙がっています。

例えば、あるコミュニティーサイトでも、

「人の死を好き勝手に美談にするな。子どもに歪んだ自己犠牲を教え込むのは戦前教育と同じ。」

「こういうものを子供に押し付けるべきではない。授業をする先生によっては他人を守るためなら死ぬことは正義だと生徒に伝わってしまうかもしれない。」

「ご本人も死にたくはなかったし自分が死ぬとは思ってもなかったはず。犠牲になられた方たちに優劣をつけるようで気に入らない。他にも職務を全うしようと亡くなられた人も大勢おられよう。日本人はすぐこうやって美化して反省することをしないから原発事故なんて起こす。」

といった意見も多くあるのです。

 

これらの意見については、道徳教材化して授業実践をした一人として、きちんと整理して反論しておきます。

 

まず、私が子どもたちに伝えようとしているのは、彼女の強い責任感とその行動です。

そして、勇気ある遠藤さんの声で、多くの命が救われたという事実です。

決して遠藤さんの死そのものを美化しているわけではありませんが、命を懸けてまでも全うした責任が多くの人の命を救ったという、その行動の崇高さは誰もが認める厳然たる事実です。

 

次に、「彼女は死を覚悟して放送していたのではない」という指摘についてです。

そう指摘する人々は、彼女が死に至ったのは、防災対策の不備のせいで逃げ遅れたからであって他者のために命を捧げようとしたのではない、と言いたいのです。

そこには、「そんな崇高な人間などいるはずがない…。」という、自己中心的な偏った人間観が垣間見えます。

故人の思いですから想像するしかありませんが、彼女も自らが命を落とすとは想像していなかったのかも知れませんし、愛する人や家族の為にも生きたかったことでしょう。

しかし、同僚や上司が避難を促しても、津波の到来ギリギリまで放送をし続けた…その尊い行動の奥底には、死をも超越した強い責任感と使命感があったことは間違いありません。

その尊い行動が私たちに感動を与えるのです。

彼女が、死を覚悟していたか否か…そんな議論は、彼女の崇高な行動の前では無意味です。

 

最後に、この震災で、遠藤さんのように強い責任感と使命感から命を落とされた方々がたくさんいらっしゃいます。

もちろん、その方々の犠牲ばかりか、全ての犠牲に優劣はありません。

だからといって、「遠藤さんのことばかりを道徳教材にしてしまっては、犠牲に優劣がつき、不平等だ」ということにはなりません。

むしろ、その逆です。

遠藤さんだけでなく、命に代えて責任を全うされた方々の勇気ある行動がたくさんあったことを、日本の子どもたちに伝えていかなければならないのが、残された私たちの責務ですし、犠牲になられた方々のことを、家庭で、地域で、我が国全体で語り継いでいかなくてはなりません。

 

 

戦後教育は、長い間、道徳教育を否定してきました。

「命は地球よりも重い」のだと呪文のように唱え、それ以外の価値観を否定してきたのです。

 

しかし、命の重さに優劣はありませんが、「生き方」には優劣があります。

そして、ときには命を超える価値観があることもひとつの事実です。

自分が人間としてどう生きるべきか、(そしてどう死ぬべきか)という問いから、私たちは逃れることはできません。

しかし、この問いは一生をかけても導き出せないのも事実です。

だからこそ、その基礎・基本を学ぶ道徳教育が必要ですし、遠藤さんの生きざまは、子どもたちに多くの感動と、世界から賞賛された日本人としての生き方の指針を示してくれるのです。


今こそ、雑音に耳を奪われず、子どもたちに日本人としての生き方をしっかりと教えなければなりません。 

 

遠藤さんを始め、犠牲になられた方々のご冥福を、改めて、心からお祈り申し上げます。



教育正常化を応援してくださる方は
応援クリックをお願いします。
�����祉�������㏍�井�� ��炊音�����㏍�� 篆�絎����

vol.112 皇室抜きの愛国心教育などない!

震災直後の両陛下

 

平成23311日に起きた東日本大震災は、東京でも震度5の揺れを観測しました。

丸の内の中心にある皇居でも、相当の揺れを感じました。

このとき、両陛下は皇居の清掃活動に従事していた奉仕団へ労いの言葉をかけた後に奉仕団の皆さんとお別れをされた直後だったそうです。

 

両陛下は、揺れがおさまると直ちに、奉仕団のみなさんを心配されて、侍従に命じてその安否を確認されました。

奉仕団は、大きな混乱には陥らずに済みましたが、その後東京都内の交通網は大混乱になり、帰宅できない帰宅難民が都内に溢れました。

 

そんな状況をお知りになった両陛下は、「これでは、遠くから来た奉仕団の人々は帰ることができない。」「なんとか皇居内に人々を泊められるように検討」するよう指示され、実際に奉仕団の人々は、窓明館という休憩所に数十名が宿泊しました。

 

これだけでも大変異例のことでしたが、そればかりか、翌朝の7時過ぎには、皇后陛下がこの休憩所に泊まった人々をお見舞いされたのです。

 

震災直後に、ご自分のことよりも奉仕団の安否をご心配される両陛下のお姿に日本人として目頭が熱くなる思いです。

 

その後、東京電力福島原発事故による計画停電の際には、天皇陛下自らが支持されて、皇居でも自主的に停電なされたと言います。

被災地の厳しい環境にある国民と、辛苦を共になさろうとするお姿は、まさに国民の父母の如くです。

 

宮内庁は24日、天皇、皇后両陛下が福島第一原子力発電所事故に伴う東京電力の計画停電に合わせ、皇居・御所で15日以降毎日、自主節電を続けていることを明らかにした。

 羽毛田信吾長官らによると、御所では計画停電の第1グループに合わせて自主的に電源を切っている。17、18、22、23日は1日2回実施。東電が停電を見送った場合も実施しているという。

 羽毛田長官によると、天皇陛下からは「大勢の被災者、苦しんでいる人たちがおり、電源すらない人もいる。私の体調を気遣ってくれるのはありがたいが、寒いのは厚着をすればいいだろう」「いつこういう事態があるかわからないし、こういうことはやってみないとわからないから、学ぶ機会ではないか」という趣旨の発言があったという。(asahi.com

皇室への敬愛の念を育てる

このような両陛下のお姿は、皇室が国民を「大御宝」と呼び、とても大切にされてきた伝統を体現されたものです。

このような両陛下のお姿や、皇室が永年に渡って国民を想い労り、辛苦を共にされてきた素晴らしい歴史を、私たち日本人は誇りに思わなければなりません。

そして、子どもたちに伝えていかなければなりません。

 

しかし、学校現場では未だ皇室について触れるのは、タブー視されたままです。

学習指導要領でも、「天皇への理解と敬愛の念を深める」ことが明記されているのにです。

ですから、戦後教育を受けてきた親たちも皇室については無知なままですから、いよいよ子どもたちは皇室について無知で、何も知りません。

知らされていないのです。

せっかく日本人として生まれてきたのに、とても残念なことです。

 

皇室は、我が国の国体そのものであり、建国の神話に遡って我が国が我が国である由縁そのものです。

そう考えたときに、皇室を抜きにした「我が国や郷土を愛する心」などありはしません。

皇室のことを教えずして、真の日本人を育てることはできないのです。

今こそ、天皇皇后両陛下のお姿から、皇室を敬愛する念を深める教育を学校教育でもなすときです。



応援クリックお願いします。

�����祉�������㏍�井�� ��炊音�����㏍�� 篆�絎����

vol.111 震災から学ぶ日本人の道徳授業「責任をまっとうする」

東日本大震災で、世界から称賛された日本人の道徳心。

その真実を、次世代につないでいきながら、子どもたちの中に日本人の美徳を育んでいく授業をするために、資料づくりをしています。

子どもたちの魂を揺さぶり、「日本人であることに誇りを持てる」資料をつくるのは困難ですが、日教組により公教育が左傾化して壊れた子どもたちの心は、公教育で立て直すしかないと志を立てて地道に取り組んでいます。

 

今回は、「責任感」を育てることを目的にした資料を紹介します。

 


責任をまっとうする(中学生道徳資料)


日本を襲った大地震

平成23年(2011年)3月11日午後2時46分。

この日、東北など各地で起きた「1000年に一度」と言われる大地震と、その後発生した大津波は、決して忘れられない深く悲しい記憶として、私たち日本人の胸の奥に刻みつけられました。

地震と津波による犠牲者は、現在もまだ増え続けており、死者だけでも1万4千人余り。行方不明者を加えると、3万人になろうとしています。

しかし、今回の震災の犠牲者は、まだまだ多くなっていたかも知れません。

自分の命をかけて、最後まで犠牲者を救おうと責任をまっとうした人たちに、救われた多くの命があることを、私たちは忘れてはなりません。

 

天使の声(命に代えて、まっとうした責任)

今回の津波で、1万7000人の人口の内、8000人もの行方不明者が出た宮城県南三陸町では、大きな揺れの後に来る津波の襲来を予測して、高台への避難をひたすら呼び掛け続けた、ひとりの若い女性がいました。

町役場の防災放送の担当職員だった遠藤未希さん(24)です。彼女は、昨年7月に結婚したばかりで、この秋に披露宴を挙げることを楽しみにしていた町役場の職員でした。

「6メートルの津波が来ます。高台へ避難してください」。

防災庁舎の2階の部屋から流される、冷静で落ち着いた彼女の声は、大地震の大混乱の中でも人々が慌てないように、一語一語はっきり分かるように、丁寧に何度も何度も繰り返し呼び掛けられました。

やがて、予想をはるかに超えた大津波が南三陸町を襲い、未希さんが放送を続けていた防災庁舎も大津波に飲み込まれ、庁舎に残っていた職員と一緒に3階屋上部分まで押し流してしまいました。後に、未希さんの母親は、「(大津波に襲われて)放送が途中で切れた」と避難した知人から聞かされました。最後の方は声が震えていたといいます。

彼女は、襲い来る津波の恐怖と闘いながら、最後の最後まで町民の命を救うために力を尽くしたのです。

無残にも、大津波に飲み込まれてしまった未希さんは、他の20人の職員らとともに、そのまま行方不明になってしまいましたが、その後、捜索隊の懸命な捜索の結果、震災後2カ月近く立って、沖合の海で遺体となって発見されました。

彼女の必死の呼びかけを聞いて高台へ逃げて助かった町民たちは、

「防災無線がなかったら、逃げていなかった」

「あの声ははっきり覚えている。あれがなかったら、もっとたくさんの人が亡くなっていた」

「自分の命と引きかえに町民を助けた。天使の声だと思っています」

と、町民のために最後まで責任を全うした彼女の声を、「天使の声」と呼んで、彼女の責任感の強さとその勇気ある行動に心から感謝しました。

このようにして、彼女は自分の命と引き換えに、多くの町民の命を救いました。それは、彼女の責任感の強さと、町民を思いやる優しさが成し遂げた奇跡です。だからこそ、未希さんの「天使の声」は、今もなお復興を目指す町民の心深くに留まり、生きる勇気を与えているのです。

最期まで果たすのが「本当の責任」

 明治43年(1910年)4月15日、瀬戸内海の岩国沖の海中で、故障を起こして、どのように手を尽くしても浮上できなくなった潜水艇がありました。この潜水艇は、初の国産で性能も悪く、「ドン亀」とさえ言われた操縦困難なものでした。

 その艦長を務めていたのは、佐久間勉(海軍大尉)です。彼は、どうすることもできなくなった潜水艇の中で、艦長としての強い責任感から、潜望鏡から薄くもれてくるかすかな光を頼りにして、手帳に遺言を書きつけます。

艦内の酸素が急速になくなって息苦しくなり、鼓膜が避けんばかりに気圧が高まって、意識が朦朧としてく中で遺書を書くことは、簡単なことではありませんでしたが、渾身の力を込めて39ページもの遺書を残しました。

 遺書には、潜水艇の事故の原因や沈んでからの艇内の様子などと一緒に、この事故によって潜水艇の将来が絶たれることがないように願うことが書きつけられていました。また、乗組員全員が持ち場を離れずに最後まで職務をまっとうしたこと、その部下の遺族がこの後に困らないようにしてほしいことも記されていました。

自分の死が迫りくる中で、潜水艇の将来を案じて、部下の家族のことまで気遣う佐久間艦長の大きな優しさと、上官としての責任感の強さには、心を深く打たれます。

佐久間艦長の旧制中学時代の恩師である成田鋼太郎先生は、彼のことを「温厚にして沈勇(落ち着いていて勇気がある)。小心(細かな気配りができる)にして大胆、純忠(いちずに主君につくす)にして不惑(ものの考えに迷いがない)。」と評しているように、彼は、ただ勇猛なだけではなく、責任感が強く人間味溢れる温かい人柄だったからこそ、このような遺書を残すことができたのでしょう。

海外で賞賛された乗組員たち

潜水艇は、事故が起きてから2日後にやっと引き上げられました。遺体を回収するためにハッチを開いて艇内に入る際には、集まった乗組員たちの遺族たちは遠くへ遠ざけられました。それは、これ以前に英国で起きた潜水艇の事故の際、乗組員たちが助かりたい一心からハッチに向って折り重なって死んでいたことから、そんな姿を遺族に見せたくないという心配りからでした。

しかし、艇内に入った人たちは驚きました。乗組員の誰ひとりとして、ハッチの前にはおらず、それぞれの持ち場についたまま、最期の最期まで職務をまっとうしていたことが分かるような立派な姿で命を落としていたのです。

死を目前にしても、冷静であり続け、自分の持ち場を離れずに、責任を果たした彼らの姿は、国内のみならず、海外でも大きな賞賛を受けました。

英国の新聞は、「この事件でわかることは、日本人は体力上勇敢であるばかりか、道徳上、精神上にもまた勇敢であることを証明している。今にも昔にもこのようなことは世界に例がない」と最大の賛辞を贈ったのです。

事故後100年が経った今でも、佐久間艦長の命日に出身地の福井県で行わる慰霊祭では、英国大使館から大使館付き武官が参列して、彼の勇気と遺徳をしのんでスピーチが行われています。彼の偉業は時代を越えて世界中の人々に感動を与えているのです。

 このように、本当の責任感というのは、その人の生き方そのものに深くかかわっています。そして、自分の責任を最後までまっとうする姿は、世界中の多くの人々に感動を与え、人間の歴史の中でずっと生き続けていくのです。

参考資料 道徳の教科書(渡邉 毅著)、産経新聞、共同通信ほか


応援クリックお願いします

�����祉�������㏍�井�� ��炊音�����㏍�� 篆�絎����

vol.106 今こそ復興のために  「国を愛するということ」(中学生用道徳資料) 

戦後最大で、未曾有の大災害となった東日本大震災。

今、その復興の難しさという厳しい現実と、国民一人一人がどう向き合うか問われています。

そして、その問いの根底には、「国を愛する」ということをどう考え、祖国の困難といかに向き合うか…国民一人一人に大きな課題が突きつけられているのです。

 

戦後長い間、教育現場では「祖国を愛する」ということに強い嫌悪感を抱いてきました。

国旗・国歌に反対し、皇室について教えず、自虐史観で国史を染め上げて、子どもたちから日本人としての矜持を奪い続けてきました。


しかし、多くの日本人は、尖閣諸島問題や東日本大震災を経験したことで、「祖国を愛する」ということを真剣に考え始めています。

学校現場も、どうやって子どもたちに健全な愛国心を育んでいくのか…真剣に考えるときです。

そこで、拙ブログVol.73国を愛するということを、中学生への「指導教材(道徳編)」にするために加筆しました。

 

 

国を愛するということ(中学生用道徳資料)

 

身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留めおかまし 大和魂

 

親思ふ 心にまさる 親心 今日のおとづれ 何と聞くらむp_yoshida


この歌は、江戸時代末期に活躍し、明治維新の礎となって安政の大獄で絶命した吉田松陰先生の辞世の句(死を前にして詠む歌)です。

 

松陰先生は、幼いころから叔父の厳しい指導を受け、11歳にして当時の長州藩主毛利敬親公に進講(講義をすること)するまでになり、19歳には藩士が通う藩校の先生になるなど、幼いころからとても優秀な学者でした。

 

この頃の日本は、強力な軍事力を背景にアメリカなどの西洋列強国から開国を求められ、侵略の危機もあって国中が大変混乱していました。

そんな中で、25歳になった松陰先生は、「西洋列強国の侵略から日本を守るには、諸外国から最新技術など多くを学ぶべきだ」と思い立ち、アメリカ軍艦に乗り込んで海外密航を企てますが結局は失敗してしまいます。

海外に渡航した日本人などほとんどいない時代でしたし、幕府によって海外渡航が固く禁止されていた時代でしたから、まさに自分の命を懸けて日本を諸外国の侵略から守ろうとしたのです。

 

松陰先生は、この企てが幕府に露見して捕えられ、生まれ故郷の萩(山口県)に帰されて投獄されましたが、その後には「松下村塾」という私塾を開いて郷土の若者の教育に腐心しました。

その私塾からは、幕末の風雲児と言われた高杉晋作や維新三英傑のひとり桂小五郎(木戸孝充)、日本初の総理大臣伊藤博文など、維新の立役者や明治新政府の中心人物となった優秀な人材が多く輩出されました。

 

それからわずか2年ほどの後に、幕府によって危険人物と目された松陰先生は再び江戸に呼び戻されて、伝馬町の獄舎において処刑されてしまいます。

30歳の若さでした。

 

松陰先生は、処刑されることが決まっても獄舎で書物を書き続け、家族への別れの書である「永訣の書」と、教え子たちの精神的支柱となった「留魂録」を残しました。


それぞれの書の冒頭に書かれた和歌が、先ほどの2首です。

この歌からも分かるように松陰先生は、命を懸けて国を守る固い志を抱いて激動の人生を歩みながらも、最後まで両親を気遣い、大切に想う親孝行な優しい人物でもありました。


国を愛する心には、親を愛する心も含まれる


この二首の歌は、一見すると「国を愛する心」と「親を想う心」という、別次元のもののようです。

しかし、紀元前1世紀頃にローマ帝国で活躍した文学者であり、思想家でもあったキケロは、「あらゆる人間愛の中でも、最も重要で最も大きな喜びを与えてくれるのは、祖国に対する愛である。父母への愛の大切さは言うもまたないくらいに当然であり、息子や娘たち、親族兄弟、そして友人たちへの愛も、親愛の情を恵んでくれることで、人間にとって大切な愛であることは誰でも知っている。だが、これらすべての愛ですらも、祖国への愛にふくみこまれるものなのだ。」(キケロ著「義務について」より)と言っています。

 

きっと松陰先生にとっては、世界でただひとつで、かけがえのない祖国「日本」を命を懸けて愛し守るとは、自分を慈しみ育ててくれた両親を心から愛するように当然のことだったのでしょう。

そして、キケロが言うように、自分自身はもちろんのこと、両親や兄弟、友人など自分につながる大切な人たちすべてを育んできた祖国を愛するという心には、親を慕う心や友人を大切に思う心も含まれているのです。

 

国の為に何ができるかを問え


今年(平成23年)の311日に、東北地方を中心に起きた東日本大震災は、死者・行方不明者を含めて2万人を越える大災害になりました。

肉親を失い、財産や思い出までも失った人々の悲しみはどれ程でしょう。

しかし、私たちの祖国は、これから国民が一丸となって早期復興へと立ち向かわなければなりません。

 

35代アメリカ大統領のジョン・F・ケネディは、就任のときの挨拶で、国民に向けて「国が諸君のために何ができるかを問うのではなく、諸君が国の為に何ができるかを問え」と演説をしました。

今ほど、私たちが祖国のために何ができるか問われているときはありません。

この災害から我が国を救い、復興を早めるのは、ケネディ大統領が言ったように、国が何かしてくれるのを待つのではなく、まずは国民一人一人が国のために何ができるのか考えて、自分勝手な行動をせずに国や人のためにできることから行動することです。

 

そして、吉田松陰先生のように祖国を愛し、自分に与えられた仕事や役割に懸命に向き合うことが必要なのです。

 

参考文献

塩野七生著「ローマ人の物語」




クリック応援お願いします。

�����祉�������㏍�井�� ��炊音�����㏍�� 篆�絎����

vol.102 日本人の矜持を育てる  「日本人の心の復興の為に」なすべき教育とは

東日本大震災に見る「日本人の矜持」

 

戦後教育では、自虐史観が闊歩してきた結果、日本の子どもたちは、国を愛せず、日本人としての誇りが持てなくなっています。

特に、日教組や全教など教職員組合色が強い地域では、反日思想が学校に入り込み、自虐史観を補強して、子どもたちの心を破壊してきました。

 

心ある教師たちは、その危機的状況を打破して、子どもたちに「正しい歴史」と「日本人としての誇り」を取り戻そうと、さまざまな取り組みをしています。

 

そんな中でも、道徳の授業は、その核になる時間です。

道徳的価値を教えることは、日本の伝統的価値観を教えることと重複する部分が多くありますから、教材次第で「正しい歴史認識」や「日本人の誇り」を取り戻す機会になります。

 

今回の甚大な被害をもたらした東日本大震災の報道にも、日本人の誇りを感じとれるものが多くありました。

これらの記事を、一つひとつ丁寧に掘り起こして、事実を確認し、道徳教材を作成します。

 

その為には、膨大な時間がかかりますが、これらの記事から、日本人が長い歴史の中で紡いできた気高く、崇高な精神性を子どもたちに肌で感じ取らせ、日本人としての矜持を育てる事が大切です。

そのような意図に合致する記事を拾ってみました。


中国人研修生20人の安全優先 宮城の男性に北京紙「感動報道」

2011.3.17 20:13  産経ニュース 【北京=矢板明夫】東日本大震災で、自社の中国人研修生らを助けるため逃げ遅れ、行方不明となっている宮城県女川町の日本人男性の行動が中国国内で大きな感動を呼んでいる。

 女川町入りした中国国営新華社通信記者の記事によると、地震が発生した11日午後、同町の水産会社「佐藤水産」で研修する大連出身の中国人女性研修生20人が会社の寮の近くでうろたえていたところ、同社専務の佐藤充さんが「津波が来るぞ」と叫びながら走ってきて、全員を高台にある神社に避難させ、立ち去った。佐藤さんの安否は17日現在も不明という。

 佐藤さんの妻は石巻市で、長女と長男は東京で無事が確認されている。

 17日付の北京紙「新京報」は「感動」とのカットを付けてこの新華社電を大きく掲載した。インターネットには、「災害時に会社に来ている外国の若者のことを優先する日本人の優しさと責任感に涙した」など多くのコメントが寄せられた。

 

中国、日本人の冷静さを絶賛 「マナー世界一」の声も

2011.3.12 19:07 (産経ニュース)chn11031219080002-n1

地震の影響で列車が運休し、JR新橋駅の構内で階段に座り込む通勤客ら=11日午後6時39分

 地震多発国で東日本大震災への関心が高い中国では12日、非常事態にもかかわらず日本人は「冷静で礼儀正しい」と絶賛する声がインターネットの書き込みなどに相次いでいる。短文投稿サイト「ツイッター」の中国版「微博」では、ビルの中で足止めされた通勤客が階段で、通行の妨げにならないよう両脇に座り、中央に通路を確保している写真が11日夜、投稿された。

 「(こうしたマナーの良さは)教育の結果。(日中の順位が逆転した)国内総生産(GDP)の規模だけで得られるものではない」との説明が付いた。

 この「つぶやき」は7万回以上も転載。「中国は50年後でも実現できない」「とても感動的」「われわれも学ぶべきだ」との反響の声があふれた。大震災を1面で報じた12日付の中国紙、環球時報も「日本人の冷静さに世界が感心」との見出しで報じた。(共同)

 

英紙1面で「がんばれ日本」 きっかけは芸人ブログ20113161651分(朝日新聞)

TKY201103160177「がんばれ、日本」の紙面を手にするジョン・マリン編集長=ロンドン、橋本写す

 【ロンドン=橋本聡】がんばれ、日本。がんばれ、東北。大震災に見舞われた日本へのエールを英紙インディペンデント・オン・サンデー(13日付)が1面全面を使って掲載した。きっかけは宮城県でロケ中に被災した仙台市出身のお笑い芸人「サンドウィッチマン」の伊達みきおさん(36)のブログだった。

 同紙のジョン・マリン編集長(47)によると、掲載前日朝の編集会議で、デスクの一人が「ぼくの妻は日本人。感動的なブログを読んだと言っている」と、伊達さんのブログのことを話した。

 マリンさんは興味をもち、英訳させた。「私も共感しました。震災の悲惨さを伝えるのも大切だが、人々を勇気づけるメッセージの発信も新聞の役割では」。ブログをヒントに、エールと日の丸をあしらった図案を作らせた。

 でも、1面は新聞の顔だ。津波にえぐられた町や福島第一原発の爆発の写真を使うべきだとの意見も出て、編集部は激論になった。マリンさんは迷ったが、締め切り間際、「新聞の支えは読者と心を通わせることだ」と決断した。

 伊達さんは11日、宮城県気仙沼市の魚市場でロケ中に相方の富澤たけしさん(36)とともに被災、山に避難して津波から逃れた。翌日、岩手県一関市でブログを書いた。マリンさんらの目に留まったのは、こんなくだりだ。

 《全てのお店は閉まっています、信号もありません。でもね、ちゃんとお互い助け合って順番を譲ってあげたりしています、だから変な事故とか争いがありません。みんなスゴイです!

 戦後、俺たちのじいちゃんやばぁちゃんは日本を復活させた。世界には奇跡と言われた日本の復興。必ず復興します! 日本をナメるな! 東北をナメるな!》

 

日本人の心の復興を目指して!


今回の震災の被災者や犠牲になられた方々の生きざまや、世界から称賛される日本人の姿を愚直に後世に伝え、日本人としての矜持を育むことは、生き残った我々日本人の責務ですし、教師の本来の務めだと信じています。


地震や津波の恐ろしさを後世に残すことも大切ですが、そこで思考が停止してしまってはいけません。
 

日本の復興には、日本人の心の復興が不可欠です。

今日までの戦後65年間は、経済的復興ばかりを優先し、心の復興を蔑ろ(ないがしろ)にしてきました。

 

しかし、この甚大な被害の中でも、日本人の心の奥底には、日本人としてのDNAが宿っていましたし、それが世界から称賛さています。

真の日本の復興の為には、日本人の心の復興から始めることが必要です。

そのために教師として、子どもたちの心に、まずは日本人としての矜持を育てたいと思うのです。

 

頑張れ東北! 頑張れ日本! そして 日本人!



応援お願いします
にほんブログ村 政治ブログ 保守へ

にほんブログ村


vol.85  敵兵を救助せよ! (道徳資料) ~武士道精神をいかに教えるか~

敵兵を救助せよ!


1942
年(昭和17年)3月、スラバヤ沖海戦で交戦中の日本軍に撃沈された英国軍艦の乗組員たちは、撃沈された船舶の重油にまみれ、のどの渇きと飢えに耐え、襲い来る「サメ」の恐怖と闘いながら、味方船が救助してくれることを期待して、太平洋の大海原で首から上だけを水面に浮かべて漂っていました。

漂流してすでに丸一日が過ぎようとしており、精神的にも体力的にも限界が近づいていました。

 

しかし、彼らの期待を裏切って、彼らを発見したのは味方船ではなく、敵船である日本艦船でした。

この翌年、1943年(昭和18年)に行われたビスマルク海海戦の折に、米軍やオーストラリア軍は日本軍漂流者を捕虜と見なさず、救助しないばかりか機銃掃射で無抵抗の命を奪ったように、交戦中の敵軍艦船に救助などは期待できず、彼らは死を覚悟しました。

英国兵士たちは、日本軍に機銃掃射されることを予想して、頭部をかばうように海に浮かぶ重油の中にさえ顔を埋めたのです。

 

更に、この海域は、前日には潜水艦からの攻撃によって日本軍の輸送船が撃沈されており、日本軍艦船にとってもいつ攻撃を受けるか分からない危険な海域でした。

通常は、交戦中の危険海域では漂流者を救助することはありません。したとしても、短時間だけ、そして体力の残っている兵士だけの救助です。

なぜなら、救助のためには停船しなければなりませんが、海上で停船すると攻撃の標的になり易くなってしまうからです。そうすれば、自船が撃沈される可能性さえあるのです。

ましてや味方兵の救助ではなく、敵兵の救助です。英国の漂流者たちが日本艦艇による救助をあきらめたことも、仕方ありませんでした。

 

その漂流者を発見したのは日本海軍の駆逐艦「雷(いかづち)」でした。

駆逐艦は比較的小さい艦艇ですから、乗組員は200名ほどです。

海原を漂っている漂流者の数は、ざっとその倍以上の数でしたが、漂流者を発見した工藤俊作艦長は、危険海域であることを顧みず、即座に「戦いが終われば敵も味方もない。全員を救助せよ!」という命令を下しました。

 

雷は、機関停止して救助にあたります。

これは、戦争中の通常の救助活動ではありえないことでした。

いくら「救助活動中」の国際信号旗を掲げているとは言え、いつ敵からの攻撃を受けるか分かりません。停船した上に、機関を停止してしまうと、敵の攻撃から身をかわしたり、反撃することは全くできないのです。

それに、当初は敵からの攻撃を防ぐために警戒要員を配置して救助していましたが、救助者数が多く、敵兵が弱っていたため、工藤艦長から乗組員全員へ救助が命じられました。

まさに、艦命をかけた決死の救出作戦でした。

 

20090726_463950雷の乗組員たちは、自分たちの倍以上の数にのぼる敵兵を、艦上から縄ばしごや竹ざおを下して、それにつかまらせると甲板へ引き上げました。

しかし、中には負傷して体力が弱ってしまい自力でつかまることすらできず、海底へ沈んでいく者もありました。その様子を見た乗組員たちは、危険を顧みず海原へ飛び込んで、沈みゆく敵兵を抱え込み、その身体に綱を巻き付けて引き上げました。

そして、乗組員たちは引き上げた兵士たちにこびり付いた重油を丁寧に拭き取り、服や靴を支給し、水と食事を与えました。

それは、敵味方を越えた海の男たちの救助活動でした。

 

全員の救助が終わると、工藤艦長は、甲板に引き上げた敵兵の中から21人の士官を集めました。

そして、端正な挙手の敬礼をして彼らに敬意を表すると、流暢な英語で「諸官は勇敢に戦われた。いまや諸官は日本海軍の名誉あるゲストである」とスピーチをしました。

英軍兵士たちは、危険を顧みずに敵兵を助けた工藤艦長の英断に感謝し、その後の日本海軍兵士の紳士的な振る舞いに対して、「これは夢ではないか」と何度も手をつねるほど喜んで、涙を流しました。

こうして、工藤艦長と雷の乗組員たちは漂流者422名全員の敵兵の命を救ったのです。

 

時を越えた感謝の念

この救出劇は、長年日本でも忘れ去られていました。

戦争中で、慌ただしいときの出来事ですから、それもまた仕方ありませんでした。

しかし、ひとりの外国人の行動が、この事実を歴史の彼方から目覚めさせたのです。

 

救助された兵士の中に、サムエル・フォール海軍中尉(当時)がいました。

工藤艦長に命を救われた彼は、終戦後、英国外交官として活躍しましたが、救助されたことへの感謝の念をずっと持ち続け、恩人である工藤艦長の消息を探し続けていました。

工藤艦長は、終戦後は軍人を退役して公職にも就かず、この救出劇を妻にさえ話さずに、日本の片隅でひっそりと暮らしていましたが、フォールさんがやっと工藤艦長の消息を突き止めた時には、工藤艦長はすでに亡くなっていました。

終戦から、すでに58年が過ぎていた2003年(平成15年)のことでした。

その後、89歳になったフォールさんは2008年(平成20年)に不自由な身体を押して来日し、埼玉県川口市内の工藤艦長の墓前で感謝の気持ちを伝えました。

その時の記者会見で、「ジャワ海で24時間も漂流していた私たちを小さな駆逐艦で救助し、丁重にもてなしてくれた恩はこれまで忘れたことがない。工藤艦長の墓前で最大の謝意をささげることができ、感動でいっぱいだ。今も工藤艦長が雷でスピーチしている姿を思い浮かべることができる。勇敢な武士道の精神を体現している人だった」と述べました。

このフォールさんの行動は、当時のマスメディアにも取り上げられ、工藤艦長の偉業を多くの日本人に知らせることになり、日本人の心にも大きな感動を呼んだのです。

 

海の武士道

「海の武士道」として有名になった逸話を、私が授業用にいろいろな参考資料から中学生にも分かり易く文章にまとめた道徳資料です。

この資料から生徒に学ばせたいのは、工藤艦長の人道的行動の源泉がどこにあるのかということです。

 

当時の国際戦時法では、交戦海域での海難救助活動は、義務付けられていませんでした。交戦中の救助活動は、自らの命を落としかねないのですから、見過ごしたとしても罪にはならなかったのです。

まして、米軍は、日本軍の漂流者には容赦なく機銃掃射をして殺戮しています。

救助した敵兵に、艦内で蜂起されでもしたらと考えれば救助しないのは致し方ないのかも知れませんが、抵抗する術のない漂流者を殺戮する非道ささえも敵軍は持っていたのです。

 

しかし、工藤艦長は「全員を救助せよ!」と命令しています。

その彼の英断の裏側にあったのは、何でしょうか?

そこには、フォール氏が述べたように、その源泉には日本帝国海軍が大切にした「武士道」精神が脈々と流れていたはずです。決して、工藤艦長が海軍の中の特別な人道主義者だった訳ではないでしょう。

帝国海軍は、「雌雄決した後は敵にあらず」という精神性を持っていました。

ですから、戦闘後の敵の漂流兵士の救助活動は、邪魔をせず見守っていたと言います。

ましてや、病院船を攻撃することなどありませんでした。

 

未だ先の大戦を、日本側を一方的な「悪」として評価する「東京裁判史観」が闊歩しています。
しかし、歴史の一片を丁寧に探し照らすことで、その歴史観がいかに一方的なものであるか明瞭になります。

そんな偏った歴史観ではなく、このようなフェアな精神、敗者への労り、そして自分の危険を顧みない勇気…そういった日本人が大切にしてきた精神性を、授業を通して子どもたちに伝えなければならないのです。

Vol.81 本当の責任とは?~子どもに教えるべき日本人の責任のとり方~

日本人の責任の取り方


徳川家康に仕えた武将の一人に天野康景がいました。

天野は、その戦功によって3万石の領地を与えられ、大名に取り立てられ、駿河の国の一部を治めていました。

慶長12年(1607年)のこと、その居室へ盗賊が入り、新居造営の為に領内から集めていた竹が盗み出されるという事件が起こります。

番兵を務めていた足軽の3人がそれに気づき、盗賊を追いかけて、その内1人を打ち取ります。他の2人は逃げたのですが、調べてみると、その盗賊たちは近隣の天領(幕府の直轄地)の住人だったのです。

 

当時の天領の住人と言えば、幕府へ年貢を納める大切な公民です。その公民に、譜代とは言え大名の家臣が危害を加えることは許されません。

やはり、天領の代官から「速やかに番兵を処刑し、公民を殺害した罪の償いをせよ」との横やりが入りました。

康景は、「盗賊を切り捨てるのは、世の習い。当方に落ち度はありませぬ」とその要求をはねつけます。

しかし、代官は面子をつぶされたことに立腹して幕府に訴え出ました。

 

幕府に呼び出された康景に、幕府はこう申し渡します。

「幕府の裁定に従わないことは、公儀の信頼を損なうことになる。籤(くじ)でも引いて一人を決め、番兵のうち一人を処刑せよ。」

公民の数と番兵の数合わせのような、無茶苦茶な裁定でした。

 

康景は、苦慮します。

「公儀の信頼を損ねることを、幕臣から大名に取り立ててもらった自分ができるはずはない。」と一度は、幕府の裁定を受け入れます。

しかし、足軽の番兵一人と言えども、大切な家臣の命を奪うことに変わりはありません。

まして、当家に過失があるとはどうしても思えず、それに反することは義に欠けると思いなおします。

 

結局、康景は3万石の俸禄を幕府に返して、流浪の身となることに決め、幕府の面子と家臣の命、そして義を貫き通すという、自己犠牲の上の責任を果たしたのでした。

 

 

現代の日本人は本当の責任を取っているか

近年、自分の責任を全うできない日本人が増えています。

他人を陥れ、責任を転嫁してでも、自己保身に終始している様子がTVでも流れてきます。

ましてや、国や行政のトップたらんリーダーたちの無責任さは、子どもたちにどう映っているのでしょうか。

 

かつての日本人は、何事にも自ら責任をとる「潔さ」を持っていました。

それが、人として生きていく上で、とても大切な価値観であったのです。

しかし、いつの頃からか、責任をとらないことは、「生き恥を晒す」のだという観念さえも消え去ろうとしています。

 

時代が変わり、責任の取り方も大きく変わってきました。

ですから、「生き恥を晒し」ながらも、全うすることで果たせる責任もあるでしょう。

部下や社会の為ならば、そういう責任の取り方もあって結構です。

しかし、それが自己保身のためであってはなりません。

まして、部下や他人に責任を転嫁していたのでは、責任を放棄しているとしか言いようがありません。
なぜなら、康景が部下の命を救ったように、「潔さ」「自己犠牲」「義」の精神で責任を全うしてきたのが日本人の美徳であったからです。

 

子どもたちの「道徳心の低下」が言われて久しくなります。

堂々と子どもたちに「道徳」を教え、子どもたちの道徳心を育んでいくには、私たち大人が自己の「より良い生き方」を見つめなおし、日本人として大人らしく振舞うほか道はありません。

vol.75 日本人は、「親ニ孝シ」の精神を取り戻せ!

親の生死に興味がない家族

全国で高齢者の所在不明が相次いでいる問題で、新たに札幌市、堺市などで100歳以上の高齢者10人の所在が確認できていないことが5日午後、分かった。当初、18人の行方が分からないとしていた大阪府東大阪市で、同日の調査の結果不明者が13人となったことから、時事通信のまとめでは、全国の所在不明は18都道府県で66人となった。(時事通信)

他社の集計では、もっと多いとの結果も出ているようです。
都内最高齢とされる113歳の女性の所在が不明になったことを受け、各地で高齢者の所在不明が相次ぎ明らかになりました。

行政の落ち度として指摘されていますが、個人情報保護法などの制約もあり、今まで実態把握がなおざりになっていたのでしょう。
書類が最も重要視される行政には、おのずと限界があり、致し方ないように思います。

しかし、家族はそうではないでしょう。
家族が、不明のまま放置しているとすれば、家族の情の希薄さも「事ここに至れり」という感がします。

愛知の106歳が不明の件では、登録された住所は更地になっている上、親族も所在を把握していなかった(産経新聞)東京の105歳が不明になった件では、 家族は、『数年前に出て行ったきりどこにいるか分からない』」(朝日新聞)と言い、神奈川の104歳が不明 の件では、家族は『もともと家を出てはふらっと帰って来る人で、生死も分からない』」(毎日新聞)など、親の命すら軽々しく考える家族の情の希薄さを感じるのです。

行政の責任というよりは、家族の責任が第一義です。
親の所在や存命かどうかにすら、責任を持たない日本人が増えているのでは…と日本社会の情の希薄さに恐ろしい思いすらします。


親ニ孝シ

今までに何度も書いてきましたが、明治天皇が示された「教育勅語」には、人の徳として、第一に「親ニ孝シ」と、親孝行が挙げられています。

かつての日本人には、「親孝行」が最も大切な徳目として教えられていたのです。
やがて自分が親になることを考えると、次世代につないでいく上でも、大変大切な徳目でした。

しかし、先の大戦後、「教育勅語」は国会決議で否定され、日本人は悠久の時を経て形作られてきた日本人としての徳目を失うことになりました。
そして、この国から「親孝行」という言葉さえも消え去ろうとしているのです。

100歳以上の高齢者の子どもたちを、70~80歳程とすると、ちょうど初期の戦後教育を受けてきた世代です。戦前の教科書は、黒く塗りつぶされ、全然の価値観を全否定してスタートした戦後教育の洗礼を受けているのです。
だからそうなのかどうかは、証明できませんが、その世代から美しき日本の姿は断絶しているとしか、思えないのです。

もちろん、私たちも戦後教育を受けて育ってきました。
しかし、戦後60年を有して、やっと私を含む日本人がその欺瞞に気付き始めたのです。

そして、どうやら日本人の道徳心や公共心の衰退には、「教育勅語の否定」が関与しているようであると気付きだしたのです。

この事件をそのまま行政のせいにして終わらせてはなりません。
まして、「特別の事例だ」「普通の家族に起こることではない」と、他人事にしてしまってはいけないのです。

この事件は、戦後の日本人の有り様を私たちに突きつけているのです。
日本人は、もう一度「教育勅語」の精神を取り戻し、子どもたち次の世代に受け継いでいく必要があるのではないでしょうか?
大いに国民で議論する必要があるようです。





vol.56 「親孝行」こそが、日本再生の道標!

ブログネタ
こどもの教育 に参加中!
教育勅語と親孝行

1890(明治23)年10月に山縣有朋内閣の時代に明治天皇が発布した「教育勅語」は、国民の徳目の第一として、「爾臣民父母ニ孝ニ」と親孝行を挙げています。
その言葉通り、かつての日本人は親を敬い、大切にすることが子の本分でした。

kid0026-009_m現代を振り返ってみてどうでしょう。
親が子を虐待して殺してしまいばかりか、子が親に手をかけてしまう暗黒の時代です。
「親孝行」という言葉さえも、死語になりつつあります。

本当は、親が子を慈しむ心が本能であるように、子が親を想う心も本能です。
その本能が崩れているのは、唯一本能を制御できる教育が歪められているからです。
個人の権利ばかり振りかざし、伝統的な家族や親の在り方を否定する左翼思想が教育界から排除されない限り、この暗黒の時代に終わりはきません。

戦後教育は、この教育勅語を国会で否定することから始まりました。
その結果が、今のこの日本です。
凄惨な事件が相次ぎ、日本人の道徳心や公共心、規範意識の低下が叫ばれる昨今、この教育勅語の復権を願うのは、あながち的外れではありません。


靖国の英霊の親孝行

ここで、かつての日本人の親への想いを見てみましょう。
先頃の大戦において、我が国を守るために散華された英霊の方々の遺書(家族への手紙)にも、親への想いは切々と語られ、今の私たちの心に響いてきます。

「父、母上様
今まで長い長い間、お世話になりました。父母の恩は、山よりも高く、海よりも深いことわざの如く、遠く遠く懐かしい故郷を離れ、戦ひの中にあつても、父母のことは寸時も忘れたことは御座居ませんでした。(抜粋)」
(陸軍伍長 鈴木三郎 フィリピン・ルソン島にて戦死 27歳)


「お母さん、やさしいお母さん、今日までのいろいろなお心遣ひまことに有りがたう御座居ました。お体をおいとひあつて長生きをして下さい。私は先に参りますが、ただ一つ残念なことは孝養の一端も果たし得ずしてお別れする事が何より残念でなりません。どうかお許しください。(抜粋)」
(海軍二等兵曹 太田 暁 クエゼリン島にて戦死 19歳)


「私は朝、飛行服に着替へて学生舎を出ると、胸のこのお守り袋を手で触りながら、明け切らぬ東の空へ向ひ、「母上お早うございます。立派にお役にたちますやう、今日もお守り下さい」と口の中でつぶやく。(中略)いつ頃から、かういふ習慣になつたのか知らないが、何を忘れてもこれだけは忘れたことがない。女々しいとも思ひ、滑稽だとも思ふ。しかし、この習慣を止めようとも思わない。私は母の愛と祈りを片時も忘れたことがない。私と母とはいくら離れてゐても、このお互ひの愛と祈りでぴつたりと繋がってゐるのである。(抜粋)」
(神風特別攻撃隊 第二・七生隊 海軍大尉 千原 達郎 沖縄方面にて戦死 24歳)

「俺は今度休暇があつたならば、孝行の仕終わりとして、母上を善光寺にお連れしよう。世の楽しみも味ははずに御年を召したわが母上、俺が今後永生きをしたならば、必ず孝養致します。(抜粋)」
(陸軍准尉 鈴木清二 中支にて戦死 25歳)


「親孝行」こそが日本再生の道標

wmn0007-009_sこの国の為に命を捧げた英霊たちは、こんな私たちの歪んだ社会をどう視るのでしょうか。
この歪みを直さない限り、英霊の心に報いることはできません。

自分の親を大切に思う心は、他者を大切に思う心の源です。
自分の親さえ大切に思えない人間が、他者を思いやることができないのは自明の事実ですし、多くの偉人が、親を想う心が人並み以上に富んでいたという歴史的事実は、私たちに「親孝行」の大切さを教えてくれます。
教育勅語でも、最初に「爾臣民父母ニ孝ニ」と親孝行を挙げられているのは当然です。

そのことを考えたとき、日本人として育てるべき道徳心の根幹は、「親孝行」の心です。
「親孝行」というと、古臭い気もしますし、そんな当たり前のことを教える必要などないという人もいるでしょう。
しかし、公教育では、家族の崩壊を意図する左翼思想が混在し、「親孝行」を軽視しているのも事実です。
ですから、敢えて親の有難さや、親孝行することの意義をきちんと
教えることが必要です。

それこそが、この日本の教育再生のキーワードですし、日本再生の道標となるのです。





vol.54 義人村上 ~日本人は此処にあり~ (道徳資料)

義人村上  ~日本人は此処にあり!~


昭和9年(1934年)8月30日夜、満州ではハルビン発新京行きの汽車が急ブレーキをかけて脱線、横転する事故が起きました。
その原因は、匪賊の待ち伏せ襲撃でした。
匪賊とは、集団で掠奪・暴行などを行う民間武装集団のことです。
この当時の満州は、まだ建国2年足らずで、周辺地域まで治安が行き届いていませんでした。

匪賊たちは、車内に侵入して金品を奪った後、10名(9名とも)もの人を拉致します。
その中には、4名の朝鮮人や2名の米国人も含まれていました。
匪賊にとっては、身代金(命の代わりにお金を要求すること)を要求する目的でもあったのでしょうが、日本軍の追撃をかわすための人質でもありました。

匪賊の読み通り、日本軍はすぐに救援部隊を派遣します。
しかし、地の利に長けた匪賊は、巧妙に救援部隊の追撃をかわしました。
彼らは、人質に銃を突きつけて、声を出すことを禁じ物音を立てさせないようにして、接近してくる救援部隊をかわし、逃亡を続けるのです。

やがて匪賊は、ジャンク船(中国の木造帆舟)に人質を乗せて移動させ、人質を集めて監禁します。
SongJunk
もちろん、銃で脅され声を出すことを禁じられている人質は物音ひとつ立てることができません。
人質たちは、いつ殺されるとも分からない状況でも、気丈に振舞いながら、生きる望みを救援部隊に託していたのです。

やがて、そこに日本軍の救援部隊が船艇でやってきます。
「日本人はいないか?」
と隊員が問いかけますが、もちろん応えることはできません。
声をだしたくても、応えることができない人質たちは、静かに無念の涙を流すしかありませんでした。

そんな中、人質になっていた吉林公署ハルビン駐在員、村上久米太郎(愛媛県今治市吉海町津島出身)は、
銃を突きつける匪賊を蹴倒して人質の輪の中から踊り出で、渾身の力を込めて大きな声を挙げたのです。
それは、自分の身の安全を顧みない勇気あるこういでした。

「日本人は此処にいるぞ!」

驚いた匪賊は、もちろん久米太郎を銃撃します。
しかし、まさかこの状況で大声を出す日本人がいるとは夢にも思わなかった彼らは、自分たちの銃の音にも狼狽して、日本軍の来襲を恐れて川に飛び込んで飛散してしまいます。
こうして、たった一人の大きな勇気が、10人もの人質を救ったのです。

このとき久米太郎は、頬を銃で打ち貫かれ、左腕にも大怪我を負いましたが、かろうじて一命を取りとめることができました。
当時の日本人は、彼のその勇気に絶大な称賛を贈ったのです。

この事件の後に、著名な文筆家である徳富蘇峰は、
彼の勇気ある行為を、日本男児の本色であると褒め称えた上で、
「希くば、我等日本人は世界の何処に在るも、将(は)た、如何なる場合に処しても、日本人此処に在りとの自覚心を心墜するなからんと望む」
と書き記しました。




この文章は、私が中学生の道徳の授業用に文章にしたものです。
今まで、このような歴史の一場面は、学校で教わることはほとんどありませんでした。
日教組を中心として、日本人のアイデンティティーの確立を意図的に阻害してきた戦後教育では、少しでも戦前の歴史(戦史)を美化することや日本人そのものの美化に繋がる歴史教育は、タブー視されてきました。
戦後は、戦前日本の悪玉史観、自虐史観を刷り込んできたのですから当然と言えば当然でしょう。

しかし、少し歴史の真実を掘り返すと、そこには、在りし日の日本人の気高き行為や、義を貫く生き方が数多く埋没しています。
近年は、随分とそういった情報が世間に流れ始めましたが、学校教育では一部の地域を除けば、未だにほとんど黙殺されたままです。

こういった日本人の視点に立った歴史(国史)の再発掘とそれを教材とした教育が、有為な日本人を育てるには不可欠です。
そして、それを教えるのは、社会科(歴史)だけではありません。
寧ろ、社会科(歴史)教育では、大まかな国史の流れを追うことが大切ですから、こういった歴史的逸話で「勇気」や「正義」、「日本人(日本男児)の心意気」を教えるのはむしろ「道徳」の授業です。

ガラス窓を割ったかどうか…先生に言うなどと下等(言い過ぎですが)な教材では、生徒の心を揺さぶり、本物の勇気を学ばせることはできません。
稚拙な文章ですが、学校の道徳の授業や学級での説話だけでなく、家庭で子どもたちに「勇気」や「正義」を教えるきっかけにしていただければ幸いです。


(添付資料)
義人村上
-日本人は此処に在り-   (昭和9年)流行歌
1.
何処へ曳かるる人質ぞ
首や双手は縄からげ
二日二夕夜も休みなく
明けりゃジャンクの船の底

2.
救援隊の呼ぶ声に
慌てふためく匪賊共
口に銃口つきつけて
撃つぞ叫ぶな声立つな

3.
それ 皇軍の短艇が行く
呼べば撃たれん叫ばずは
天に口無し すはや今
歯を噛みならす一刹那

4.
丈夫 村上久米太郎
匪賊蹴破り躍りいで
満腔義烈の声こめて
「日本人はここにゐる!」

5.
叫ぶやいなや弾丸は
顎を貫き犠牲に
君を倒せどその声に
内外人は救はれぬ

6.
君傷つきぬされど今
義烈輝く日本の
精神ならで誰が呼ぶ
この一ト声を誰が呼ぶ


vol.50 日本人の心「靖国神社」をどう教えるか

ブログネタ
中国・韓国・北朝鮮外交問題 に参加中!

osn0020-039_m中国・韓国との外交を考えたときに、「靖国神社問題」を避けて通ることはできません。

数年前に靖国神社へ参拝したときのこと、私には運命的な出会いがありました。今思うと、尊き英霊のお導きによって、出会わされたと思います。

皇學館大學非常勤講師で、三重県公立中学校教諭に渡邊 毅(わたなべ つよし)という先生がいらっしゃいます。もちろんお会いしたことはありませんし、靖国神社へ参拝していなければ、今もって存じ上げることはなかったかも知れません。

靖国神社へ参拝後、神社脇にある展示館「遊就館」の売店へ足を運んだとき、書籍コーナーで一冊の本を手に取りました。
「道徳の教科書・実践編」  渡邊 毅 PHP
表紙には西郷隆盛の挿絵と一緒に 「善く生きる」ことの大切さをどう教えるか と書かれていました。

三重県は、伊勢神宮のお膝元であり、皇室との関係も深いのですが、日教組の中核団体である三重県教職員組合(三重教組)の組織率が日本一(98%超)で、日教組の牙城とも呼ばれる地域です。
学校長だけでなく、教育委員会や、各地域の教育長までもが、三重教組の出身者で占められており、組合の役員をしないと管理職に登用されないと言われるほど、教育界が日教組に牛耳られています。
もちろん、日教組の核として道徳教育を否定してきた地域でもあります。

その三重県の公立中学校の教諭である渡邊先生の本には、道徳教育を通して我が国を再建するという明確な先生の意思のもとに、先生の中学校での授業実践が詰め込まれています。周囲からの迫害や邪魔もあったのではないかと、勝手に想像してしまいます。

先生は、その著書で
「大人は道徳を教え示すことをためらうな」
「(教師が自分自身によって示せなくても)生き方の手本は歴史の中に豊富にある」
と、我が国の歴史に残る偉人・賢人の逸話や古今東西の賢人の箴言を紹介され、子どもたちに「善く生きる」ことを学ぶ為の方途を具体的に明示されているのです。

中でも、同書の資料版とでもいう「道徳の教科書」PHP文庫には、
『70究極の愛』と題して、フィリピン人画伯ダニエル・H・ディゾン氏の
「涙がとまらなかった。こんな勇気や忠誠心をそれまで聞いたことがなかった。同じアジア人として誇りに思います」
との神風特攻隊への感想を紹介した後、特攻隊の林 市造海軍少尉(昭和20年4月12日沖縄にて戦死。23歳)の母宛の遺書が紹介されています。
そして、隊員らの「究極の自己犠牲」という尊い犠牲の上に日本の威厳が世界に示され、今日の日本が築かれたことを子どもたちに教え、気高く勇気ある行為を後世に語り継ぐ大切さを示しています。

私も微力ながら、この本と渡邊先生との出会いをきっかけに、先生を見習って「より善く生きる」道徳授業の実践に取り組んでいます。


osn0002-003_mこのように、靖国神社に祀られる英霊は、私たち日本人の誇りです。
いくら左翼勢力や他国がその価値を貶めようとも、私たち日本人のDNAは、彼らの偉業の崇高さに共鳴します。

相手の思惑に乗って靖国神社を外交問題化し、中国や韓国からの非難を恐れる必要はありません。

それよりも、その偉業とその精神の尊さをを子どもたちに正しく教え伝えることが大切です。


vol.36 「命(ぬち)どぅ宝」という欺瞞

 「命(ぬち)どぅ宝」という言葉を聞いたことがあるでしょう。沖縄の方言です。「命こそが宝、命こそ尊いもの」といった意味合いです。

 もちろん命は大切ですし、尊い命を大切にしなければなりません。年間3万人以上が自殺している日本では、命の尊さが軽視されているのかも知れません。
 
 しかし、「命(ぬち)どぅ宝」という言葉には、「命こそが大切」だとのメッセージが込められているように感じてなりません。「命が大切」なのと「命こそ(だけ)が大切」なのとには大きな差があります。
 「命こそが大切」だとすれば、命を守るためには何でもできることになっていまいます。極端な例を言えば、命を守るためならば、人の物を奪ってもよいのです。

 先日のチリ大地震の後や、ハリケーン(カトリーヌ)に見舞われた米国での暴動を見るにつけ、阪神淡路大地震後や中越大地震後の日本人の冷静で、互いを思いやる姿に日本の共同性の高さや民度の高さを感じます。

 日本人は、命以上の価値をDNAの中に含有しているのでしょう。ですから、自らの命が危機にさらされても、人の物を奪ってはならない道徳心や規範意識は日本人の心の底に刷り込まれているのです。

 命が大切だからこそ、その命を使って何事か成し遂げる。それは、国家のためであれ、地域の為であれ、家族の為であれ、何がしか他人の為に命を使うことです。それを、かつての日本人は「天命」と呼びました。今の自殺者が続出する日本の現状は、「天命」を知ることを忘れた結果です。
「命だけが大切」だという考えこそが、日本人のDNAを壊してしまい、「命を自分だけのもの」と勘違いして、自ら命を絶つような結果を生んでいるように思うのです。

 「命は自分だけのものではない。」
 「(ときには)命を越える価値がある。」ことを学ぶ教材は、日本人の歴史を少し紐解けばいくらでもあります。

 平成11年(1999年)11月22日午後、自衛隊の練習機が入間川河川敷に墜落しました。近隣は、学校や住宅が密集する地域です。練習機を操縦していたパイロット2名は墜落して死亡しましたが、墜落直前まで脱出装置を使わず、故障していうことを聞かない機体を河川敷まで操縦して周辺地域の被害を最小限に食い止めたため、脱出装置のパラシュートは開ききっていませんでした。その後の調べで、彼らは「ベイルアウト(緊急脱出)」を2度叫んでいました。1度目でベイルアウトしていれば、助かった可能性の高い命だったのです。

 しかし、マスコミや左翼勢力は、この雄姿を伝えるどころか、その命を掛けた行動の結果切れた高圧電線で80万世帯が停電したことをこぞって報道し、自衛隊の起こした事故を批判的に伝えたただけでした。

「大切な命をどう使うのか。」
「自分の命を越える価値が世の中にはあること。」を
立派な日本人に育てるために、子どもたちに教えたいものです。

pla0054-060_s



本文と写真は関係なく、イメージ写真です。

vol.35 桜に見る日本人の真心

高知では桜が散ろうとしています。

 「あれを見よ 深山の桜咲きにけり
                   真心つくせ 人知らずとも」

(松原泰道:元龍源寺住職 その著書は100冊を超える 平成21年101歳で他界)sak0107-037_s

 「深い山に人知れず桜の花が咲いているように、誰が見ていなくても何事にも真心を尽くして生きていこう…」
という作者の思いが溢れている、わたしの大好きな和歌のひとつです。
 泰道先生は、仏教を通して人の生き様を広く世に問われた宗教家ですが、多くの方に愛されたそのお人柄が現れた素晴らしい和歌ですし、庶事煩悩に煩わされる心に勇気を与えていただける和歌です。

 ところで、「真心」や「誠心」といった心を表す言葉を日本人はたくさん持っていますが、最近はほとんど死語に近いと言っていいでしょう。
 学校や家庭で「真心を尽くしなさい」「誠心を尽くしなさい」と教えられている子どもたちが果たしてどれくらいいるのでしょうか。

 かつての日本人は、卑怯なことを極端に嫌い、潔癖とも言える自分への厳しさを持っていました。人を騙すことは、鬼畜生にも劣る行為だったはずです。
 それが、いつのころからか「儲かればいい」「損をしたくない」など、損得が価値観の中心になってしまいました。残念ながら、学校現場で子どもたちを説諭しても、「それは君にとって得にならないだろう」「君が損をするんじゃないか」という損得勘定で指導をするのが子どもにも分かり易く、手っ取り早いのが実情です。

 しかし、損得勘定には「得」は含まれていても、「徳」は含まれていませんから、人の生き方としては決してレベルが高いとは言えません。「損」をしても自分に正直であることや、自分が「被害」を被っても相手に尽くすことなど、わたしたち日本人が長年紡いできた道徳的価値を子どもたちに伝えることができていないことは、本当に残念です。

 「真心」「誠心」…とても良い言葉ですし、日本人の心意気を表す大切な言葉です。学校や家庭で、「真心」や「誠心」という言葉を使って子どもを育てましょう。きっと子どもたちの心に眠る日本人のDNAに響く言葉ですし、真の日本人を育てるために必要な言葉です。
sak0108-037_s

vol.24 保守思想が規範意識を高める

ブログネタ
子供のしつけと教育 店長日記 に参加中!
 保守思想は、本当に教育を救うのでしょうか。

 子どもたちの凶悪な事件や問題が次々と報道されています。その原因はさまざまですが、子どもたちの「規範意識」の低さが指摘されています。

 そこで、わたしたち日本人が悠久の歴史の中で育んできた文化を守り伝えることが、子どものの規範意識を高めることになる一例を紹介します。

SH380088

 
 中学校には、
休み時間に上履きのまま学校中を闊歩する生徒たちが結構います。全国どこでも同じでしょう。以前の私のクラスの生徒も同じでした。

 グランドも、中庭も、体育館も・・・どこでも同じ履物で、集団で自由に歩き回るのです。それも堂々と悪気のない様子です。

  
その都度、「なぜ、履物を履き替えないのか」と何度も厳しく指導しますが、そのうち、私の姿を見ると走って逃げるようになります。しかし、見えていないところでは相変わらずです。  
 その場さえ良ければ…という生徒の心には、通常の指導だけではなかなか踏み込めません。


 そんな子どもたちに、
授業の中で日本の伝統や文化に触れさせながら、彼らの心を耕していきます。もちろん、心を耕すには長い時間が必要ですが、日本人としての誇りを持たせる工夫をこらした道徳の授業です。

 その授業の一場面で、「日本人には、先人から受け継いだ上下の履物を履き替える文化がある」ことを教えます。
 履きものを履き替えるのは、「日本人が合理性や利便性よりも、清潔であることを重んじ、場を清めることを大切にするという文化を継承してきた」結果であり、
そして、「世界から称賛される崇高な精神性から育まれてきた習慣であること」を教えるのです。日本がいかに綺麗な(清潔な)国であるかを、考えさせる挿話などはいくらでもありますから、それも添えて教えます。

 子どもは、そういったことを学ぶうちに、自分も日本の文化の担い手であることを知って行きますし、それを誇りと考えるようになります。履物を履きかえるという行動が、ルール(規則)を越えて、誇りある文化の伝承であると考えるようになれば、履き替えを面倒だと思うことはなくなるでしょう。

 以後、私のクラスでは靴の履き替えを指導する必要はなくなりました。

   
 このように、生徒のだらしない行動の中には、我が国の伝統・文化や習慣を軽んじ、経済性や合理性のみを追求してきた戦後日本人の「現代病」が蔓延しています。それを正すのは、簡単なことではありませんが、それを正せるのは、個性尊重や平等主義などイデオロギーが散りばめられた左翼思想ではありまん。日本の伝統文化を受け継ぐ保守思想なのです。



保守思想こそが、今の教育を根本から正せる思想です。

vol.22 「皇室」をいかに教えるか(2)

ブログネタ
教育問題 に参加中!
20080410_420430
 
 今上天皇が田植えや稲刈りをされているご様子をご覧になったことがあるでしょうか。ニュースなどで報道されることもありますからご存じのことでしょう。

 皇居内には水田があり、天皇みずからが米作りを行われます。
この米は11月23日に行われる新嘗祭(勤労感謝の日)で神前に供えられます。
 新嘗祭は古くから我が国の重要行事で、祭祀を司る最高責任者である天皇が、国民を代表して農作物の恵みに感謝する式典です。日本書紀に、天照大神(あまてらすおおみかみ)が自ら神田を営み、新嘗の祭りを行ったとあるように古代から大切にされてきた宮中祭祀です。
 
 このような今上天皇の有りのままのお姿や祭祀王としての歴史的意義を子どもたちに教えることが大切です。以前にも書いたように、子どもたちは、ありのままの今上天皇のお姿から、「米を自らお育てになり、国民のために五穀豊穣を祈ってくださる広く深い祈り」に心から感動して、皇室を敬愛する態度を醸成することでしょう。 

 しかし、今上天皇の田仕事をされるお姿からは、もっと多くのことを学ばせることができます。
 神話の中の神々さえも、仕事(労働)をすると考える日本人は古来から仕事・労働の尊さを理解し、徳とする文化を紡いできたと言えます。
 ご高齢にも関わらず、田に立たれる今上天皇は、そのお姿で勤労の尊さをわたしたちに教えてくださいます。

「日本人の底力の一つは労働を美徳となすところなのです。」

 しかしながら、最近では、勤労は対価(お金)を得るためだけの手段となっている大人が少なからずいますし、子どもたちと言えばほとんどがそう思っています。ですから、中学生くらいになると、将来は「金持ち」になりたいとお金が全ての如く、臆面もなく言うのです。

 ですから、仕事が対価と釣り合わないと思えばすぐに止めてしまったり、不平不満を言うことになります。
 そもそも対価とは自分へのご褒美としていただくものなのに、当然の報酬として考えてしまっているのです。
 子どもたちは、家庭の手伝いや学校での役割などにすら「いくらくれる?」と対価を求めます。自分の成長のためにしている学習でさえも、「成績があがったら、いくらくれる?」と対価を望む姿は珍しくありません。

 このままでは、健全な勤労感など育つはずはありません。ニートやフリーターなども、もともとはこの健全な勤労感が欠落していることから起こる問題ですが、これらの問題を解決には、日本の神話や今上天皇のお姿などから、日本人の勤労感(勤労を尊ぶ伝統)を伝えることが必要です。
 そして、日本人としてのアイデンティティーを育て、日本の伝統文化の核(コア)である皇室を敬愛する心や態度を育てることが、より勤労感を豊かにすることにもつながるはずです。

 こうして考えると、皇室をいかに教えるかというテーマすら成り立たないのかも知れません。皇室をいかに教えるかというよりも、皇室を教えることで、皇室から何を学ばせるのかというテーマの方が、教育では本当のような気さえします。

vol.19 外国人を感動させた日本人の道徳心

 今の日本(人)の良いところを書きましょう。(数字は回答した人数)

・和食がおいしい (2)  ・いろんな技術が発展している (3)
・小さいものをつくることができる ・携帯の技術がすごい (2)  
・発光ダイオードの発明 ・子どもはみんな教育を受けられる 
・日本独自の文化がある (2) ・伝統の踊りや方言がある  
・着物などの伝統の服がある  ・平和主義(戦争がない) (3) 
・和があるところ ・周りへの気配り 
・有名な城や建物がたくさんある 
・古い町並み ・緑が豊かなところ (3) 
・省エネ、エコが盛んで世界を引っ張る。 (2)・ まじめなところ。 
・経済の発展  ・四季がある ・優秀な技術者
・高度な医療技術 (2)(ベトちゃん、ドクちゃんの治療を日本がした) 
・自動車(トヨタ) (2) ・ 礼儀に厳しい ・漫画が外国で売れている
・無回答 (4)   

 わたしの中学校3年生道徳授業の導入で書かせた記述式質問の回答です。生徒の肯定的日本像を探ってみるのが目的です。
 
 生徒は広範囲に日本の良いところを探していますが、当初は「分からない~」「見つからん~」との反応が多く、
「世界と比べて何が優れていると思いますか」と
もう一度尋ねると書けた生徒が多くいました。中学生らしく、日常生活やテレビなどの情報から答えることができましたが、普段は考えたことがないようで、かなり苦慮している様子でした。


 その生徒たちに、「外国人を感動させた日本人の心」という授業をしました。郷土や我が国を愛する心を育てるための授業です。
 詳細は割愛しますが、ゴローニン(18世紀ロシアの捕虜として函館に幽閉される。その捕虜を当時の日本人たちは手厚く遇します。彼が、当時の日本民族の聡明さや勤勉さを紹介した「日本幽囚記」の一部を紹介する)のわずか50分の授業で、生徒が最後に書いた感想文の一例を紹介します。

(授業後の生徒の感想例)
・ かつての日本人がそんなにも心優しかったことに驚いた。今の日本は豊かになったけど、何か大切なものを忘れてしまっていると思った。

・ 今の豊かな日本があるのも、かつての日本人から受け継いだ遺産があるからだという先生の話は、おもしろかった。豊かなのが当たり前だと思っていたけど、これからは感謝せないかんと思った。

・ 弱いものを助ける心を日本人が昔から持っていたことに感動した。自分たちは、弱いものを助ける気持ちを持っているのか考えさせられた。みんなが、弱いものを助ける心をもっていれば、いじめなんてないはずなのに、やはり日本人は変わってしまったのだろうかと思った。

 いかがでしょうか。かつての日本人の姿を文書で伝え、わたしが補足する話を5分程度しただけの彼らの感想です。

 彼らの中に、いかに瑞々しい感性と日本人のDNAが宿っているか分かる気がします。このように「日本」を感じる心は、生徒の中に確実に眠っています。  
わたしは、いじめの話など一言も触れませんでしたが、「感動」が、深い「思考」を呼び覚ましているかのようです。 
 

 その心を掘り起こすのはわたしたち、大人です。




vol.16 いじめをなくす教育論

ブログネタ
憂国 に参加中!

 「いじめ」が教育現場で問題視されるようになって、随分と長い年月が過ぎました。様々な悲劇を繰り返しながらも、現在も未だ解決にいたりません。最近では、「ネットいじめ」という新しい形態のいじめが問題になっています。

 そもそも、いじめはなぜ起こるのでしょうか。
それは、「優越感」やその逆に「劣等感」、ときには「嫉妬心」といった人間の心にある奥深い部分が関係しています。
「人より優位な立場に立ちたい」
「人に認められたい」
「ダメな人間に見られたくない」
そういった人間の本能に近い感情(心)が、いじめには深く関係しています。ですから、自分より立場の弱い人間や人と少し違った行動や容姿など、些細な違いに心を奪われて相手を攻撃していまう、人間の弱さが原因です。そして、それは大人の社会でもあることです。

 しかし、そう思うことそのものが問題なのではありません。ときには、そういった感情が、「向上心」や「よい競争心」となって成長の糧にすらなります。

 では、いじめになってしまうのはなぜでしょう。
それは、相手を言葉や態度、暴力などで攻撃することで、そういった自己欲求を満たそうとするからです。多くの場合は、攻撃する側が多数となり、少数の人間を攻撃する構図ができあがってしまいます。それに傍観者が加わり、いじめがエスカレートしてしまうのです。

 これらのいじめを防ぐには、まず、人にはそういった「優越感」「劣等感」「嫉妬心」などがあることを理解させる必要があります。そういった感情があるからこそ、人は成長できるのだと肯定的に受け入れさせることが必要です。

 そして、いじめに対して教えることはただ一つ。

「卑怯なことはするな。」

この一言だけです。

 日本人は、卑怯なことを最も軽蔑する道徳心を持ってきました。他人を顧みない卑怯な行為は、忌み嫌われる最低の行為だったのです。

 しかし、戦後教育は、子どもの個性を尊重するあまり、我が儘放題の子どもを育ててきました。
 そして、いつしか自分さえ良けれよければ…という自己中心的な考えが大人の社会でも蔓延るようになり、「卑怯」という言葉さえ耳にすることが少なくなりました。例え「卑怯であろうが、自分が得をすれば(損をしなければ)それでよい」という価値観が蔓延ってきたのです。


 今こそ、大人が「卑怯なことは許さない」と声を大にして子どもに教えるべきです。
 かつては、「家名を汚す」、「ご先祖様に顔向けができない」と、卑怯な行為が自分だけの恥辱では済まされないと、子どもたちに教えた時代がありました。それを取り戻せばよいのです。
 
 さすがに、家長制度の崩れた今の時代に「家名を汚す」と言っても子どもたちには伝わりにくいでしょう。ですが、「父や母の顔に泥を塗る」くらいのことは分かるでしょう。大人がそう言えばいいのです。

 戦後教育に毒された個人主義を脱して、かつての日本の親が教えたように子どもたちに教えることが必要です。それが、道理に適った教育ですし、いじめを無くす唯一の方法です。

vol.15 子どもたちに「皇室」をいかに教えるか(1)

ブログネタ
憂国 に参加中!

日本の伝統文化を子どもたちに教えていくときに、「皇室をどう教えるか?」という問題があります。

 我が国は、国民が万系一世の皇室を敬愛し、重んじることで2000年に渡る「国の歴史」を紡いできました。
 そのことを考えただけでも、日本の伝統文化とは皇室そのものであり、日本が日本たるべき唯一の理由であることが分かります。
 
 ですから、我が国の場合は、保守思想が保守すべきものは、皇室であって、皇室を保守しない保守思想などというものはあり得ません。以前はそれを「国体」と呼んでいました。
 それほどに、「皇室」と「国民」が長い年月をかけて築いてきた信頼関係があるのです。そして、この国民の至宝を次世代に確実につないでいくことが、現代を生きるわたしたちの使命です。

 しかしながら、戦後教育は、米国から侵入した「自由・平等・人権」などという、左翼思想に冒された薄っぺらな「人権教育」が幅を利かせてきました。
そして、「皇室」を結果の平等の光で照らして、「不平等」な社会制度であるかのごとき教育を続けてきました。
「天皇制が、差別の元凶である」などの【とんでも説】まで持ちだして、それを左翼学者が肉付けして子どもたちを洗脳し続けています。

 今までに何度も書いてきましたが、こういった教育を受けてきた子どもたちは、自らの日本人としてのアイデンティティーすら確立できずに、国際社会ばかりか、日本社会においても浮遊してしまいます。そしてついには、心を病んで生きる意味すら失ってしまいかねません。

では、どうやって「皇室」を教えていくのか、考えてみましょう。

歴史教育などで、安易に「皇室」の歴史を肯定すると、皇国史観の誹りを招いて、
「戦前回帰の教育である。」
「戦争を美化する教育だ。」
などと、内容もまともに精査しないで右翼のレッテルを張り付けられて、皇室について議論することすら封鎖されかねません。
そういった連中が、学校現場には大勢いることを忘れてはなりません。

 そこで、そういった難癖を受けずに、子どもたちに「皇室」を教えるには、今上天皇、皇后両陛下のありのままのお姿を教えることが大切です。例えば、全国の自然災害の被災者に行幸され、お見舞いされるお姿を子どもたちに伝えるのです。
 
 教える時間は、「道徳」です。
徳目としては、「思いやり」「相手の立場に立って行動する」など、いくらでもあります。ビデオなどで、実際に膝を交えて語られるお姿や、被災民との心温まるエピソードなどを映像から学ばせるのもいいでしょう。
 きっと、子どもたちは、両陛下の万民に分け隔てなく接される姿に感動し、その深い祈りに感謝するはずです。

 このように、皇室の歴史を語らずとも、心で感じることはできます。現代の子どもたちには、むしろ、こういった心の学びこそが必要です。

 「いじめはいけない」と教えることも大切ですが、このような深い愛情や祈りに触れて、日本人としての心を育むことが、本当にいじめを無くす(防ぐ)ことにつながるのです。いじめについては、後日に詳しく述べていきます。

 今から150年前、西洋列強の圧力で我が国が存亡の危機に面したとき、ときの日本人は幕府を倒す道を選び、「尊王」を掲げて国をまとめました。
 教育が混乱し、真の日本人が育たなくなった今、混沌とした時代を生きる我が国は、再び存亡の危機を迎えようとしています。だからこそ、わたしたち大人が、自信を持って「皇室」について、子どもたちに語る必要があるのです。




vol.11 坂本竜馬から学ぶ日本人としての道徳教育

ブログネタ
憂国 に参加中!

sakamotoryoma道徳教育に必要なキーワードは、「教育勅語」に代表される日本の伝統・文化に裏付けられた徳目の指導であることを前の記事で書きました。

今回は、わたしの授業の一例を紹介します。


 「ゆく春も 心やすげに見ゆるかな 花なき里の 夕暮れの空」


この和歌は、坂本竜馬が、桂小五郎に揮毫を求められたときに書き贈ったものだと言われています。
 幕末激動期に竜馬が詠んだ和歌ですが、この歌からは、現代に流通しているイメージである彼の「自由奔放な様」や「国家を憂える気概」ばかりか、武人としての「勇ましさ」さえも見えてきません。竜馬の「自然を見つめる優しさ」や「春の終わりへの悲哀さ」が詠み込まれているだけです。



 新渡戸稲造は、著書「武士道」の中で、
「武士に和歌を詠むことが奨励されたのは、より優しい感情を表面にあらわし、その半面に勇ましさや情けとしての仁を内面に蓄えるためのものであった」旨のことを記しています。そして、和歌に日常を詠み込む心は、武士にとって「平常心を保つ」訓練であり、「平静さに裏打ちされた勇気」を練磨する道であったと書いています。

 竜馬も、国事に奔走する激しさを内面に蓄えるために、平素から優しさや悲哀を歌に詠んでいたと考えられます。だからこそ、命を賭けて国事に奔走できたのです。

このことは、

「勇ましさ(勇気)とは、内面に優しさを持ってこそ形作られる」

という、日本武士の精神性の高さをあらわすエピソードです。何事もない和歌を通して、竜馬がいきいきと日本人としての生き様を見せてくれるのです。生徒たちは、この竜馬の和歌をつかった授業で、日本人が古より大切にしてきた文化や精神性の高さを感じ取ります。そして、自己の生き方を深く考えるきっかけにするのです。竜馬が現代に蘇り、生徒たちの心の師となり、
子どもたちの目は光り輝きます。


 日教組は、長年「道徳教育」に反対してきました。
しかし、彼らが反対してきた戦後教育の道徳授業とは、「勇気は内面に優しさを持ってこそ形作られるものである」ということすら、教えることができないほどの低レベルのものがほとんどです。だからこそ、今の日本人の道徳性の低さを表す事件が頻発しているのでしょう。

 これからの道徳教育に必要なことは、この実践のように日本人としての叡智や精神性の高さに迫るような教材を見つけ出し、授業で現代に蘇らせる作業(教材研究)です。
子どもたちを、日本人としての誇りを持って生きていけるように育てることが、道徳教育の根幹なのです。

vol.9 道徳教育と教育勅語

ブログネタ
憂国 に参加中!
 学校で行われている道徳教育について決定的に欠如していることがあります。それは、生徒の心を揺さぶる教材の不足と徳目の曖昧さです。

 中学校では、例えば「裏庭でのできごと」(裏庭の窓ガラスを割ってしまったことを言い出すかどうか?で悩む主人公の姿を描いた文章)など、生徒の実体験に即したものや、近い将来経験するであろうことを扱った題材が多くつかわれます。
しかし、これらの教材は、場面場面での行動を考えることはできても、その生徒の生き方や生き様に迫ることができません。

 では、どのような教材が生徒の心を揺さぶることができるのでしょうか?
それは、「人間共通の道徳(徳目)」などという綺麗ごとではありません。
永い伝統の中で培われてきた日本人のDNAとして流れている、日本人としての道徳(徳目)を教えることができる教材です。

では、それは具体的に何でしょう?


爾臣民父母ニ孝ニ
兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ
修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開
キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無
窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス
又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン


あなた方臣民よ、父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は調和よく協力しあい、友人は互いに信じ合い、慎み深く行動し、皆に博愛の手を広げ、学問を学び手に職を付け、知能を啓発し徳と才能を磨き上げ、世のため人のため進んで尽くし、いつも憲法を重んじ法律に従い、もし非常事態となったなら、公のため勇敢に仕え、このようにして天下に比類なき皇国の繁栄に尽くしていくべきです。これらは、ただあなた方が我が忠実で良き臣民であるというだけのことではなく、あなた方の祖先の遺した良き伝統を反映していくものでもあります。



これは、「教育勅語」に書かれている文章です。その答えは、この中に全てあります。日本人が守るべき徳目が網羅されています。
しかし、戦後教育のスタートは、まずこの「教育勅語」を国会が否定することから始まりました。

そういう意味では、現在の道徳教育は、日本の伝統・文化を継承しておらず、そのスタートから間違っているのですから、生徒たちの道徳心や規範意識が高まるはずはないのです。目を覆うばかりの日本人の道徳心の衰退は、当然のことなのです。

「教育勅語」を称賛すると右翼だと揶揄する人々がいます。復古主義で、時代錯誤だという彼らは、おそらく本文を読んだこともない人たちでしょう。
徳目として間違っている内容があるならば、指摘してほしいものです。
皆さんも心を正し、自分のDNAに正直に音読してみてください。きっと美しい日本人の心が素直に反応します。心は正直です。
「良いものは良いのです。」

そこに日本人の道徳心の原点があるのです。
「教育勅語」を取り戻し、生徒たちに素直に教えることが道徳教育の出発点です。
プロフィール

代表者

アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

応援お願いします
記事検索
最新コメント
「最新トラックバック」は提供を終了しました。
RSS
Twitterボタン
Twitterブログパーツ
意識調査1
意識調査2
意識調査3
お問い合わせ
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ