国民教育のススメ ~教育正常化の風~

「愛国心こそが教育再生のキーワード」 現職公立中学校教諭が、左傾化し続ける教育現場の危機感から、教育正常化を通して日本再生を考えるブログ。保守ブログ相互リンク募集中!

歴史教育論

vol.151 和歌に宿る日本人の公平性を、子どもたちに教えよう!

和歌は我が国固有の文化であり、1000年をゆうに超える歴史を宿しています。


その中でもっとも古い文献はご存じのとおり「万葉集」であり、短歌・長歌合わせて
4,500首が収められた世界最古の詩集です。


しかし、万葉集の稀有さは、その古さばかりにあるのではありません。


万葉集に収められた歌い手を見てみると、上皇や皇族、貴族はもちろんですが、防人(軍人)や農民、歌い手が分からないものまで大変多様で身分の別はありません。

また、男女ともに素晴らしい歌が収められており、その別もありません。

そして、歌は畿内(大和地方)に限らず、東国、九州など日本各地から集められており、地域の別もないのです。


これこそが、信じがたい奇跡です。

なぜなら、撰者は大伴家持など朝廷において重要な位置を占める貴族です。


国家的事業として宮廷文化を誇るためならば、宮廷にかかわる高貴な人物の歌だけを集めればよいのです。
むしろ、そうすることが、世界の宮廷文化では自然でしょう。

なにも庶民の歌などに耳を貸す必要はないのです。



このことについて、上智大学名誉教授の渡部昇一先生は

「一つの国民が国家的なことに参加できるという制度は、近代の選挙の拡大で現れたと考えるのが普通である。選挙に一般庶民が参加できるようになったのは新しいことであるし、女性が参加できるようになったのはさらに新しい。しかしわが国においては、千数百年前から、和歌の前には万人平等という思想があった」とその著書『日本史から見た日本人 古代編』で述べられています。


わたしたちは、このような古代日本人の公平性をもっと誇るべきです。

そして、その血が現代の私たちに流れていることを知るべきです。


しかし、現代の公教育では万葉集の存在を教えても、こういった視点を生徒たちに与えることはありません。

中学校の歴史の教科書には、

「から衣 すそに取り付き 泣く子らを 置きてぞ来ぬや 母なしにして (防人の歌)」という、遠方(九州)の任務に出向く防人の歌が載せられています。


この歌は親心の深さを歌った素晴らしいものですが、勅撰とも言われる国家的事業の和歌集に、名もなき防人の歌を撰んだ和歌文化の公平さが生徒たちに語られることはありません。

遠方に任務として防人を送るのは、皇室を中心とした貴族社会です。

取りようによっては、この歌は社会の不条理さを非難する意味さえも込められています。


このように、宮廷社会への非難さえ公平に後の世に残そうとした日本人の清らかさを、子どもたちにしっかりと教えなければなりません。

この文化の公平性こそが、世界に誇れる我が国の伝統なのです。



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vol.139 「大東亜共栄圏」に託した理想の見直しこそが、真の日本人を育てる

戦後教育は、GHQの支配下で,戦前という「歴史」を全否定することで成り立ってきました。

それは、サンフランシスコ講和条約を締結し独立国家となっても変わらず、現在も続いています。

 

今から15年以上も前のことですが、当時教師になり立ての私もそんな教育の片棒を担いでいました。

かつて自分が教わったように、日本軍によるアジア侵略を信じ、軍部の独走でアジア諸国に多大なる犠牲を強いたのだと、歴史的真実に迫ることなく教えました。

 

それが、学校で行われる「平和教育」の実態でしたし、先輩教師から教わったことでした。

そうやって、ひたすらに先の大戦は日本軍が悪かったと「日本(軍)悪玉史観」や「自虐史観」で近現代史を塗り固め、教育とは名ばかりの洗脳をしていたのです。

その教育のどこにも、日本人が西洋列強と渡り合うために掲げた「大東亜共栄圏」や「八紘一宇」といった理想を語る場面はありませんでした。

 

今思えば、そこに我が国の近現代史への学問的な真摯さなどはなく、あったのは反日思想という「偏向イデオロギー」に染まった「赤い学問」だったのです。

 

 

時代が変わっても戦後教育の本質はいまだ変わっていません。

だからこそ、今、「現代史への学問的な真摯さ」を思うと、次の言葉を子どもたちに聞かせたいと思うのです。

 

「第2次世界大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。その国々とは、日本が掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の目前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去200年の間に考えられていたような、不敗の半神ではないことを明らかに示した点にある。」(英紙【オブザーバー】1965年)アーノルド・J・トインビー(歴史学者)

 

そして、アジアの多くの国々は、日本の現代史に尊敬と畏敬の念を持っていることを、しっかりと教えなければなりません。
それが、真の日本人を育てるためには絶対的に必要なことなのです。




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vol.104 風評被害を防げ! 先人に学べ政府・マスコミ各位

福島県を襲う風評被害

甚大な被害の爪痕を残す東日本大震災後の復興を妨げる「風評被害」が出ています。

きっかけは、福島第一原発事故による放射性物質です。

 

福島県いわき市などでは、支援物資搬入のドライバーがいわき市内まで入ってくれず、命をつなぐ生活物資さえも枯渇していると聞きます。

 

放射性物質、風評被害 タクシー「福島まで」拒否 旅館「泊めても大丈夫か」

2011321日(月)08:00

 福島県では風評被害が広がっており、乗車拒否や宿泊拒否も起きている。

 神奈川県在住の主婦(50)は「福島県に向かおうとしたら、タクシー会社2社に乗車を拒否された」という。

 主婦は福島市にいる被災した両親を迎えに行こうと、栃木県内のタクシー会社に予約の電話を入れたが、電話した2社とも「放射性物質が危険だから行くなと上司に言われている」と断られたという。

 乗車拒否したとされるタクシー会社は「19日まで、50キロ圏内に向かうことを控えていたのは事実。会社で総合的に判断したもので、悪意や作為ではない」としている。

 また、厚生労働省には避難している被災者から「福島県から来たというだけで宿泊を拒否された」などの匿名の苦情が2件あり、岩手県の旅館からも県を通じて「福島からの避難者を泊めても大丈夫か」などと相談があったという。

 旅館業法では、宿泊者が伝染病にかかっているなど、正当な理由がなく宿泊拒否するのを禁止しており、厚生労働省は19日、福島県からの避難者の宿泊を拒否しないよう各都道府県などを通じ、宿泊施設を指導するよう通達を出した。

 

災害後の風評による悲惨な事件と言えば、大正12年(1923年)10万人を超える犠牲者を出した関東大震災後に起きた、朝鮮人殺害事件がありました。

当時はラジオ放送すら始まっておらず、正確な情報が届かない混乱の中で、「朝鮮人が暴動を起こした」という風評から、凄惨な事件が関東各地で起こりました。

唯一の情報収入源であった新聞などのマスメディアが、この風聞を垂れ流したことも事件拡大の要因になりました。

この事件は、風評を聞いた民衆が、大きな不安に駆られて、自衛的に起こってしまった悲劇です。

安易に風評を広めることは、社会の混乱へとつながるということを、歴史の事実が教えています。

 

 

先人に習い「命を懸けて」説明せよ!

福島第一原発事故の風評によって、直接的に命を奪いあうような悲劇が起きている訳ではありませんが、被災した地域の復興には、大きな足かせとなっているのは事実のようです。

 

この混乱を鎮めるには、福島が安全であることを、政府、マスコミが一体となって国民に納得させる必要があります。

しかし、安全な首相官邸内から、軽薄な言葉で記者会見を開いて伝えたところで、国民は納得いかないでしょう。

まずは、菅総理ら閣僚が官邸から出て、現地入りし、福島で職務を遂行して、身を挺して安全をアピールすることが必要です。

大手テレビ局のキャスターらが、福島から生中継することも、安全をアピールするよい手法になるはずです。

 

vol78.朝鮮人った警察署長(関東大震災)で紹介した神奈川県鶴見の警察署長だった大川常吉警部は、関東大震災の折、朝鮮人を襲う民衆の前で、朝鮮人が毒を入れたという風評のある井戸の水を一升瓶で飲み干して、民衆を納得させ、朝鮮人を守ったといいます。

 

彼のような、命をかけた崇高なる行為があって始めて、国民は納得できるのです。

政府、メディア各位には、身を挺した行動を起こし、福島を救ってもらいたいと思います。

 

そして、かつての日本には、崇高な使命感の元、命を懸けて職務を全うした立派な先人達がいたことを、私たち日本人は忘れてはなりません。

そして、その精神の崇高さを、子どもたちに受け継いでいかなければなりません。

 

頑張れ東北! 頑張れ日本! そして日本人!



 

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vol.103 「福島原発志願作業員」の崇高さから学べ! 今こそ英霊の顕彰をするとき

踏みにじられる崇高な特攻隊の英霊たち

戦後教育では、先の戦時中の特攻隊の姿について、ほとんど教えられることはありません。

仮に教えるとしても、作戦・戦略としての非道さや愚劣さばかりがクローズアップされ、「国の犠牲にされた」「強制的に行かされたのだ」と志願者の自己犠牲の先にある崇高なる精神を否定し、英霊の御心を踏みにじっています。

 

愛する国の為、国民の為、郷土や家族の為に「護国の鬼」「護国の御楯」になろうと、強い使命感を帯びて、死を恐れずに飛び立っていった若者には、今もなお日本人として、感謝と崇敬の念を禁じ得ません。

それにも関らず、その尊い犠牲を「無駄死に」「犬死に」と中傷するが如くの戦後教育は、断じて許せません。

 

私は道徳の授業で、「命の尊さ」や「郷土愛」「家族愛」を教えたくて、特攻隊員の遺書を教材にしたことがありますが、特攻隊員の気高き使命感を理解させるには、国家の存亡をかけた当時の逼迫した状況を理解させることが難しかったことを思い出します。

 

 

福島第一原発自己に見る「使命感」

東日本大震災は、終戦以来の国難です。

中でも、福島原発事故は、我が国の存亡に関りかねない緊迫感を国民に与えています。

そんな中、国民の生命や財産を守る為に、東電の社員ばかりか、自衛隊や警視庁、東京消防庁職員などが、命の危険を顧みず現場で懸命な復旧作業に当たっています。

そんな今だからこそ、現場で頑張る人々へエールを送るとともに、自己犠牲の先にある「使命感」の尊さ、気高さを、子どもたちに教えることが大切だと思うのです。

 

「使命感持って行く」=電力会社社員、福島へ―定年前に自ら志願

時事通信 316()456分配信

 福島第1原発の事故で、情報提供の遅れなど東京電力の対応に批判が集まる一方、最悪の事態を避けるため、危険を顧みず作業に当たる同社や協力会社の社員もいる。地方の電力会社に勤務する島根県の男性(59)は、定年を半年後に控えながら、志願して応援のため福島へ向かった。
 会社員の娘(27)によると、男性は約40年にわたり原発の運転に従事し、9月に定年退職する予定だった。事故発生を受け、会社が募集した約20人の応援派遣に応じた。
 男性は13日、「今の対応で原発の未来が変わる。使命感を持って行きたい」と家族に告げ、志願したことを明かした。話を聞いた娘は、家ではあまり話さず、頼りなく感じることもある父を誇りに思い、涙が出そうになったという。
 東京電力側の受け入れ体制が整った15日朝、男性は自宅をたった。特別なことにしたくないと考えた娘は見送りはせず、普段通りに出勤した。「最初は行ってほしくなかったが、もし何かあっても、自分で決めたことなら悔いはないと思った」と話し、無事の帰宅を祈る。
 男性の妻(58)は「彼は18歳の時からずっと原発の運転をしてきた。一番安全なものをやっているという自信があったんだと思う」と話す。出発を見送り、「現地の人に安心を与えるために、頑張ってきて」と声を掛けたという。 

 

誇りに思う家族

この記事のような人々が、この国やこの国の復興を支えています。

そして、志願した父親を誇りに思う娘や家族がいるのです。

 

この勇気ある決断をした男性や家族の思いを、「国の犠牲にされた」「無理やり行かされた」と非難することができるでしょうか?

同じ日本人として、彼の行為を賞賛し、尊敬の念で受け入れることが、何もできない私たちにできる唯一の事でしょう。

 

そして、その行為の崇高さを、次の世代に確実につないでいかなければならないのです。

志ある教師は、堕落した左翼思想と決別して、「原発事故の志願作業員」や「特攻隊の英霊」の気高き精神性と強い使命感、そして、その決断を誇りに思う家族の深い愛情の再評価を、教育現場でなす時だと思うのです。



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vol.91 歴史教育と神話 ~建国記念日に思う~

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靖国神社 006歴史教育と「日本の神話」

昨年の2月に、次のような記事をvol.21 歴史教育と「日本の神話」と題してUPしました。

 

先日の211日が、なぜ「建国記念の日」なのか
その意味を知らない日本人が年々増えています。
「大日本帝国憲法の発布された日」(そのことは事実ですが)だとか、「戦後の日本が新たなスタートを切った日」だと言う人までいます。
まして、生徒たちはほとんどが知りません。大人が知らないのですし、学校で教えることもないのですから当然でしょう。

「建国記念の日」は、古事記にまで遡る雄大な日本の歴史の産物です。
今年は、皇紀2670年ですが、この2670年前、東征(九州方面から東へと攻めのぼった)を経て、大和の橿原で天照大神の子孫である神武天皇が、初代天皇に即位された日を現代の太陽暦に換算して、我が国(日本)の建国の日としてお祝する大切な日なのです。

 この雄大な歴史を今の日本人の多くは知りません。もし、知っていたとしても「大和朝廷が2670年も前に存在した証拠などない。」「神武天皇が存在した証はない。」と、古事記は神話が書かれているので非科学的であると言う人たちが多くいます。

しかし、そうでしょうか?
むしろ、神武天皇が実在されたかどうかなど大した問題ではないのです。大した問題ではないなどと言うと叱られるかも知れませんが、それが歴史的事実かどうかではなく、そういう物語(神話)を戴いて、日本という国が現在まで綿々と続いていることが大切なのです。
ですから、そういう意味では神武天皇は実在でなくても存在されており、それが事実でなくても、日本人の歴史の真実なのです。


 このように、わたしたち日本人には、日本誕生の歴史(神話)があります。しかし、戦後の学校の歴史の時間で子どもたちには教えられることはありません。理由はいろいろあるようですが、「事実ではないから。」「立証できないから。」といった理由が大半でしょう。その代わりに、猿→原人→現代人(縄文人・弥生人)といった進化論が教科書のトップを飾ります。これでは、猿→日本人と教えているようなものです。
 進化論は、学問ですから教える必要があるでしょう。しかし、教えるなら理科で教えればいいのであり、歴史の時間には必要ありません。それよりは、雄大な日本神話を、わたしたち日本人の真実として教えるほうが、どれほど子どもたちにとって楽しい歴史になることでしょう。

 
 戦後の日本人が、どうして自らの神話を手放したのか?それは、もう説明しなくても多くの人は知っているでしょう。決して、自ら葬った訳ではないこともご存じの通りです。

 現代の子どもたちは、自らのアイデンティティーの確立に苦しんでいます。青年期に躁うつ病にかかったり、どこかで自殺者が出るとそれを後追いする子どもたちの現実を見ても分かることです。
 「日本人の誇り」を大人から教えられず、むしろ教育で「誇り」を奪われているのですから、当然のことでしょう。
 今こそ、子どもたちに「日本人の誇り」を持たせる教育が必要です。そのためには、日本人の悠久の歴史である「神話」を教えてやりたいものです。

 

益々進む日本の弱体化

この記事から1年間経過して、日本はどうなったでしょうか?

中国による尖閣諸島問題やメドベージェフ大統領の国後島訪問など外患が増すばかりか、元閣僚が国会式典で秋篠宮殿下ご夫妻へ「早く座れ!」と発言する不敬的態度をとったり、終戦記念日に閣僚の参拝が皆無になるなど、国内では、相も変わらず「国体」の崩壊と国史の軽視へと時計が進み、日本人の活力そのものが萎んでいます。

これでは、日本経済の先行きが不安になるのは当然です。

 

教育界でも、いっこうに自虐史観からの脱却ができません。

先日、お話した皇學館大学松浦光修教授のお話では、「調べてみると、今度の教科書検定で小学校の教科書は、以前よりひどくなっている。教育基本法が変わっても、自虐史観のオンパレードだ。」そうです。

そして、教科書によっては、「○○をする天皇」などという表記がまかり通り、「○○なさる」「天皇陛下」と、尊敬語や尊称すら使用していないものまであると言うのです。

 

このように、むしろ事態は、日本弱体化へと益々進んでいると言えそうです。

だからこそ、次世代に向けて、日本人の魂を宿した日本人を育てなければなりません。

そうしないと、益々国の活力は失われ、国民の精神が病んでしまいます。

国民の精神が病んでしまった国家は、廃れ滅びていく運命にあると言えるでしょう。

 

その為には、日本人が日本の神話を取り戻し、2000年を超える歴史をつないできた国史を見直すことから始め、子どもたちに伝える作業を惜しんではなりません。

しかし、残念ながら、まだまだ左傾化した学校教育では、できない教育です。

ですから、まずは家庭で、子どもたちに「日本の神話」の素晴らしさと、その意味を教えなければなりません。

vol.87 老舗企業から学ぶ「信頼感」

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ファーストフードも「老舗」の日本

大都会から片田舎の隅々まで、いたるところにある牛丼の「吉野家」が、昨年創業111年を記念してキャンペーンをしていました。

現代のファーストフードとも言える牛丼の「吉野家」が、111年も続いている老舗企業であることに驚きつつ、美味しさの理由が分かったような気がしました。

考えてみると私たちの周囲には、「創業○○年」とその歴史を冠する老舗がとても多くあることに気がつきます。

思いつくものを少し挙げただけでも、天正年間(1573~92年)創業のヒガシマル醤油(兵庫県)や、延宝元年(1673年)創業の三越百貨店(東京都)、宝永4年(1707年)創業の赤福(三重県)など、ご当地銘菓となるとその多くが老舗企業であるように、私たちの身近に老舗企業は今も生きています。

 

日本は「老舗」天国

現代も大阪に残る建設業「金剛組」は、聖徳太子の御代、敏達天皇6年(567年)、我が国初の官寺である四天王寺を建てる為に百済から渡来した工匠たちが創業しました。

「金剛組」は、四天王寺専属の宮大工集団となって、大阪冬の陣など幾多の戦火によって焼失した寺を生まれ変わらせ続け、幾多の厳しい時代を乗り越えて老舗企業として現在まで続いています。

もちろん、その古さは他の追随を許さず世界最古で、1400年以上もの間、伝統建築である寺社を建て続け、守り抜いてきた奇跡の老舗企業と言えるでしょう。

 

日本には創業以来200年を超える企業が3000社も残っています。

創業200年というと、同じアジアでも中国ではわずかに9社、インドは3社残るばかりで、韓国には全くありません。

我が国は、100年以上続く企業だと15000社もあると言われており、まさに「老舗」天国です。

日本は、皇室とともに神話の時代から2000年以上も続く世界地図上の最古の国家ですから、世界最古の企業があることも、老舗が多く残ることも決して不思議ではありません。

中国の自称「4000年の歴史」は、支配王朝が民族ごと入れ替わり、前王朝を徹底して破壊してきた断裂した歴史ですから、いくら表面上の歴史が長くても老舗企業が少ないことは当然です。

こんな所にも、私たち日本人が世界に誇れる歴史が隠れているのです。

 

不義にして富ま

ある老舗酒造業の家訓に「不義にして富まず」とあるように、これら老舗に共通するのは、「三方よし」という考え方です。

三方とは、「お客様」「企業」「社会(世間)」のことです。

商売は、企業だけが得をしていたのでは、ゆくゆく客が離れてしまい、一時的には儲けてもやがて潰れてしまいます。

ですから、ご先祖から受け継いできた技術で、世のためになるものを造って売ることで、何か世の中の役に立ちたい…その志こそが、日本の老舗を次世代へとつないできたと言えます。

もちろん、この「三方よし」という考え方は、世間への根強い「信頼感」が流れていればこそです。

中国のように、騙し合い、奪い合うような侵略の歴史が繰り返されてきた社会では、醸成されることがないものです。

老舗企業は、世間を信頼しているからこそ、「誠を尽くして商売をしていれば、世間は受け入れてくれる。」と正業に励み、その歴史を現在まで紡いできたのです。

 

現在の私たちは、日本の社会(世間)の根底に流れる「信頼感」を意識することはほとんどありません。

しかし、私たちは、我が国が悠久の歴史の中で紡いできた国民相互の「信頼感」こそ、大切にしなければなりません。

それは、世界に誇れる文化だからです。

老舗企業は、そのことを私たち国民に教えてくれています。

学校でも、「生徒同士」「教師と生徒」「教師と保護者」そして、「教師同士」の「信頼感」もがどんどん失われようとしています。

だからこそ、子どもたちに老舗企業が続いてきた意義や素晴らしさを教えたいものです。

vol.78 朝鮮人を守った警察署長(関東大震災)

朝鮮人を守った警察署長

今日は、防災の日です。
1923年(大正12年)の9月1日に起きた関東大震災の日を記憶に残し犠牲者を慰霊するためと、国民が災害に備えることを目的として政府(内閣)が制定しています。

この関東大震災では10万人以上の犠牲者がでましたが、
「朝鮮人が暴動を起こした」 「井戸へ毒物を投げ込んだ」
などの噂が流れ、2000人とも、6000人とも言われる朝鮮人が殺されたと言われています。

朝鮮人が暴動を起こしたということがデマであったかについては、最近の研究では諸説(実際に朝鮮人が暴動を起こし、もともとは自衛的な行動だったという説など)がありますが、被災民のパニック状態もあり、暴動とは無関係の朝鮮人が殺されたことは間違いなかったようです。

そんな中、神奈川県鶴見の警察署長だった大川常吉は、暴走する日本人から逃れて、警察に駆け込んだ朝鮮人(300人ほど)を警察署で保護して、命をかけて守ったと言われています。

「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」という民衆に対して、
大川署長は、民衆の前に歩み出でて、
「毒を入れたという井戸水を持ってこい。その井戸水を飲んでみせよう」
と言って一升ビンの水を飲み干したのです。

大川署長の気概と豪胆な行動を見て、民衆は納得して解散しました。 


隠れたもう一つの真実

この話には、実はもうひとつの真実があると言われています。

実際は、4合ビンに入れられた井戸水を飲み干して見せ、「朝鮮人が井戸に毒を入れたというのはデマである」と、自警団を追い返したのは、朝鮮人49人を保護した川崎警察署長・太田淸太郎警部である(「神奈川県下の大震火災と警察」神奈川県警察部高等課長西坂勝人著)(毎日新聞湘南版06.09.09朝刊)

大川、太田署長いずれの話が真実であるか、私には見当がつきませんが、いずれにせよ、複数の日本の警官が、パニック状態の被災地において、冷静な判断で朝鮮人を救ったこの事実は、私たちの記憶に留めておきたいものです。


自虐史観の中の「関東大震災」

現在の中学校の歴史教科書には、関東大震災時のこの事件が、「デマに踊らされた浅はかな日本人による朝鮮人虐殺事件」として記されています。
これらは、日韓併合から後の大戦へと続く暗黒の歴史の一つとして、自虐的に子どもたちへ教えられています。

しかし、当時はまだラジオ放送すら始まっていない時代です。
正しい情報が庶民に届くはずもなく、まずは、そんな時代背景をきちんと教えることが必要です。
そして、正しい情報が欠けた被災地が容易くパニック状態に陥ること、その場合の治安維持が如何に困難であるかということを、この事件の教訓として教えるべきでしょう。
それが、こういった事件の再発を防止し、犠牲となった尊い命への供養にもなるのです。

そして、そういったパニック状態の中でも冷静な判断で、公正に職務を全うした立派な日本人警察官がいたことも、きちんと後世に伝えていかなければなりません。

子どもたちには、歴史の事実は事実として教えつつも、我が国や日本人であることに誇りを持てる歴史(物語)を教えなければなりません。

そのことが、子どもたちの健全な育ちや、健全なる社会の構築に絶対的に必要な要素であることは、自虐史観で育った現代の大人たちが起こす様々な事件や我が国の政治の愚劣さを見ていても、容易に分かることです。




 

vol.63 異国に眠る英霊の遺骨 ~大切なものを見失う日本~

英霊の顕彰ができない日本

前volで「英霊の顕彰は国家の責務」ということを書きました。
それは、先の大戦の英霊の顕彰すらできていない、今の日本の在り方に疑問があるからです。

厚生労働省によれば、平成21年(2009年)3月現在、先の大戦において海外で戦死した旧日本軍軍人・軍属・民間人約240万人のうち、日本に送還された遺体は約半数のわずか約125万柱だけとなっています。
海没したとされる約30万柱を含めて、残り115万現在もなお海外に残されたままです。


この現状を知っている国民は、決して多くありません。
国会やマスコミで取り上げられることも稀ですし、もちろん、学校でも、教えることはほとんどありません。
先人の功績に思いを馳せ、その亡骸を丁重に葬ることは、人間として当たり前のことですが、戦争美化につながると、その遺骨収集の不備な現状についてさえも、教えることが避けられてきたのです。
学校現場では、兵隊が死してもなお、日本軍が悪であったとのレッテルを貼ったままにしておきたいのです。


私たちに繋がる命

亡骸よりも、魂の存在を大切にする感覚が日本人には染み着いていますが、遠く南方や北方で故郷を夢見て命を終えていかれた英霊の思いを考えると、この現状には納得できない気持ちになります。

その御霊(みたま)は、遺骨の放置に縛られることなく、九段の地に帰りついています。
しかし、遺骨に宿った英霊たちの想いは、心身ともに故郷の地へ帰ることを望んでいるに違いありません。
アルピニストの野口さんは、自分が異国のヒマラヤで命を落としそうになった経験から、英霊の帰郷の念に気がつき、今は遺骨収集活動に没頭されているそうです。

私たちに野口さんの真似はできなくても、我が国の独立を保ち、東亜の解放と独立に命を捧げた英霊の方々の遺骨に関心を持ち続けることが大切です。
英霊の方々の尊い命の犠牲は、現代の日本を形作り、そして確実に私たちに繋がっています。

参議院選挙が近づいていますが、どの政党からも、どの候補者からも、遺骨収集について語られることはありません。
本当に大事なものを見失って、目の前の生活のことばかりが争点になる選挙には失望してしまいます。
税金の使い道を云々(うんぬん)言うならば、現在の私たちの繁栄に繋がる英霊の遺骨収集に、もっと税金を使うことがあっていいはずです。
この国の国柄を守り、先人の偉業を正当に評価して、先人の慰霊を真っ当にできる、そんな真の保守思想が広がることを願っています。

vol.55 教育は率先垂範にあり!「インドネシアに残る日本の教育」

教育とは率先垂範なり

インドネシアの解放者
昭和17年(1942年)3月、日本軍はインドネシアを350年に渡り植民地化していたオランダ軍をわずか9日間で降伏へと追い込み、インドネシア全土から追い出します。
その様子を見たインドネシアの人々は、同じアジアの黄色民族が、自分たちを長年虐げ、絶対に逆らえないと思っていた白人を追い出したことに驚愕します。
それは、まさに「この白い人の支配は長く続くが、空から黄色い人びとがやってきて白い人を駆逐する」とのインドネシアの伝承が現実になった瞬間でした。

その後、日本軍はインドネシアに軍政を敷くと、オランダ統治時代の政治犯を社会復帰させて地元行政機関で重用したり、愚民化政策で教育不毛の地であったこの国に学校を造って教育を充実させたりと、インドネシアの近代化施策を矢継ぎ早に実施しました。

photo179296そして、後の独立運動の核とするために、軍事教練を実施して義勇軍として育てるため、青年訓練所にインドネシア青年を募集し、「インドネシア祖国義勇軍(PETA)」を組織します。
すると、独立の希望と、国軍整備の志に燃えた若者が、多数志願してきました。
そのうち、全土各所から特に優秀な青年を集めた青年道場では、第一期生として47名を将校候補として訓練しました。


炎天下の教育
その青年道場で、ある日、午前中の野外訓練中に厳しさが足りなかったと指摘された中隊のインドネシア青年が、訓練終了後、銃を構えて炎天下に直立不動の姿勢で立たされるという罰を与えられました。
それは、午前中の厳しい訓練の後で、赤道直下の炎天下に立ち続けるという軍事訓練の一環とは言え過酷な罰です。

その青年が指示通りに銃を構えて立つと、その横に同じ姿勢で立ち始めた日本人将校がいました。
この青年道場の教官で、中隊長を務める土屋競中尉でした。
年齢は、まだ20歳代半ばで、訓練を受けている青年たちとさほど変わらない歳でした。
結局、2人は、午後の訓練が始まるまでの間、一緒に罰を受けました。
教官自らが、訓練生とともに罰を受けるその姿に、日本人の教育感が顕れていました。

その光景を見た他の訓練生は、
「私たちはそれをずっと見ていましたが、すばらしいことだと思いました。これまでインドネシアでこのような教育をする人はいませんでした。この指導は、インドネシアの若者全員に知れ渡り、全員感動しました。」と当時を回想しています。

この部隊には、後のスカルノ大統領もおり、戦後20数年が経ち来日したときには尊敬する土屋中尉との再会を熱望し、実現されました。
 
sor0147-039_m率先垂範の教育
このような教育を施したのは、決して土屋中尉が特別だったからではありません。
この道場の現場責任者の柳川宗成中尉も、「教官が自らやって見せる」という信念のもと、自営農場では、褌(ふんどし)姿で肥桶を担いだと言います。
このように、日本人の教育とは率先垂範の精神が伝統でした。
ですから、海外で外国人の指導に当たっても、当然この伝統が守られたのでしょう。

それにしても、訓練生と同じ罰を受ける教官がいたと言うこの事実は、同じ教育現場に立つ身として、日本人として心に留めておきたい話です。

戦後日本の教育は、この率先垂範の精神を欠いてきました。
そして、日教組による教員の労働者化が進められ、子どもたちを放りだして、違法なストライキなどの権利闘争と反日活動が繰り返され、教育者の姿が歪められてきました。
教育者自らが歪むのですから、教えを請う子どもたちが歪んでいくのは当然です。


世界に最も良い影響を与えている日本
平成18年(2006年)に米メリーランド大学と英BBCの共同調査で、「世界に最も良い影響を与えている国は日本」という結果が出ました。
その中でも、日本肯定派が一番多かったのはインドネシア。
「日本が好影響を与えている」とする回答が85%にも上りました。

戦後教育は、戦前の日本の姿を全否定して成立しています。
しかし、これらの事実を見るだけでも、それがいかに偏向した教育であるか分かります。
大戦後、インドネシアの独立戦争に従軍した2000名もの日本将兵の姿や、その行為を未だに国の英雄として崇めるインドネシア国民の思いを子どもたちに教える必要があります。

そして、私たち教職に就くものは、土屋競中尉の如く、「率先垂範」の伝統を守って、子どもたちの心を育て、今後も世界に貢献できる日本国民を育てる教育を推進することが求められているのです。

vol.54 義人村上 ~日本人は此処にあり~ (道徳資料)

義人村上  ~日本人は此処にあり!~


昭和9年(1934年)8月30日夜、満州ではハルビン発新京行きの汽車が急ブレーキをかけて脱線、横転する事故が起きました。
その原因は、匪賊の待ち伏せ襲撃でした。
匪賊とは、集団で掠奪・暴行などを行う民間武装集団のことです。
この当時の満州は、まだ建国2年足らずで、周辺地域まで治安が行き届いていませんでした。

匪賊たちは、車内に侵入して金品を奪った後、10名(9名とも)もの人を拉致します。
その中には、4名の朝鮮人や2名の米国人も含まれていました。
匪賊にとっては、身代金(命の代わりにお金を要求すること)を要求する目的でもあったのでしょうが、日本軍の追撃をかわすための人質でもありました。

匪賊の読み通り、日本軍はすぐに救援部隊を派遣します。
しかし、地の利に長けた匪賊は、巧妙に救援部隊の追撃をかわしました。
彼らは、人質に銃を突きつけて、声を出すことを禁じ物音を立てさせないようにして、接近してくる救援部隊をかわし、逃亡を続けるのです。

やがて匪賊は、ジャンク船(中国の木造帆舟)に人質を乗せて移動させ、人質を集めて監禁します。
SongJunk
もちろん、銃で脅され声を出すことを禁じられている人質は物音ひとつ立てることができません。
人質たちは、いつ殺されるとも分からない状況でも、気丈に振舞いながら、生きる望みを救援部隊に託していたのです。

やがて、そこに日本軍の救援部隊が船艇でやってきます。
「日本人はいないか?」
と隊員が問いかけますが、もちろん応えることはできません。
声をだしたくても、応えることができない人質たちは、静かに無念の涙を流すしかありませんでした。

そんな中、人質になっていた吉林公署ハルビン駐在員、村上久米太郎(愛媛県今治市吉海町津島出身)は、
銃を突きつける匪賊を蹴倒して人質の輪の中から踊り出で、渾身の力を込めて大きな声を挙げたのです。
それは、自分の身の安全を顧みない勇気あるこういでした。

「日本人は此処にいるぞ!」

驚いた匪賊は、もちろん久米太郎を銃撃します。
しかし、まさかこの状況で大声を出す日本人がいるとは夢にも思わなかった彼らは、自分たちの銃の音にも狼狽して、日本軍の来襲を恐れて川に飛び込んで飛散してしまいます。
こうして、たった一人の大きな勇気が、10人もの人質を救ったのです。

このとき久米太郎は、頬を銃で打ち貫かれ、左腕にも大怪我を負いましたが、かろうじて一命を取りとめることができました。
当時の日本人は、彼のその勇気に絶大な称賛を贈ったのです。

この事件の後に、著名な文筆家である徳富蘇峰は、
彼の勇気ある行為を、日本男児の本色であると褒め称えた上で、
「希くば、我等日本人は世界の何処に在るも、将(は)た、如何なる場合に処しても、日本人此処に在りとの自覚心を心墜するなからんと望む」
と書き記しました。




この文章は、私が中学生の道徳の授業用に文章にしたものです。
今まで、このような歴史の一場面は、学校で教わることはほとんどありませんでした。
日教組を中心として、日本人のアイデンティティーの確立を意図的に阻害してきた戦後教育では、少しでも戦前の歴史(戦史)を美化することや日本人そのものの美化に繋がる歴史教育は、タブー視されてきました。
戦後は、戦前日本の悪玉史観、自虐史観を刷り込んできたのですから当然と言えば当然でしょう。

しかし、少し歴史の真実を掘り返すと、そこには、在りし日の日本人の気高き行為や、義を貫く生き方が数多く埋没しています。
近年は、随分とそういった情報が世間に流れ始めましたが、学校教育では一部の地域を除けば、未だにほとんど黙殺されたままです。

こういった日本人の視点に立った歴史(国史)の再発掘とそれを教材とした教育が、有為な日本人を育てるには不可欠です。
そして、それを教えるのは、社会科(歴史)だけではありません。
寧ろ、社会科(歴史)教育では、大まかな国史の流れを追うことが大切ですから、こういった歴史的逸話で「勇気」や「正義」、「日本人(日本男児)の心意気」を教えるのはむしろ「道徳」の授業です。

ガラス窓を割ったかどうか…先生に言うなどと下等(言い過ぎですが)な教材では、生徒の心を揺さぶり、本物の勇気を学ばせることはできません。
稚拙な文章ですが、学校の道徳の授業や学級での説話だけでなく、家庭で子どもたちに「勇気」や「正義」を教えるきっかけにしていただければ幸いです。


(添付資料)
義人村上
-日本人は此処に在り-   (昭和9年)流行歌
1.
何処へ曳かるる人質ぞ
首や双手は縄からげ
二日二夕夜も休みなく
明けりゃジャンクの船の底

2.
救援隊の呼ぶ声に
慌てふためく匪賊共
口に銃口つきつけて
撃つぞ叫ぶな声立つな

3.
それ 皇軍の短艇が行く
呼べば撃たれん叫ばずは
天に口無し すはや今
歯を噛みならす一刹那

4.
丈夫 村上久米太郎
匪賊蹴破り躍りいで
満腔義烈の声こめて
「日本人はここにゐる!」

5.
叫ぶやいなや弾丸は
顎を貫き犠牲に
君を倒せどその声に
内外人は救はれぬ

6.
君傷つきぬされど今
義烈輝く日本の
精神ならで誰が呼ぶ
この一ト声を誰が呼ぶ


vol.52 「弟橘姫」に見る日本人の女子教育論

弟橘姫(おとたちばなひめ)は、神話(古事記)の中で活躍する日本武尊(やまとたけるのみこと)の妻です。

takeru_kasai1日本武尊が、大和朝廷に服従しない者たちを統一する東征のおり、敵に騙されて火攻めにあって焼き殺されそうになりました。
【絵:
火防縁起(吉原北宰筆)】

そのとき、彼は剣で草を薙ぎ払い、逆に迎え火を放って、敵を焼き滅ぼします。
そんな中、彼は迫りくる猛炎から、わが身を顧みずに妻の弟橘姫をかばい、そして守り抜きました。

「さねさし 相模の小野に燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも」
(相模の野で火攻めにされたとき、その日の中で、あなたは私を気遣って私の無事を何度も問い重ね心配してくださいましたね)
そのときの情景を弟橘姫はこう歌に詠んでいます。

その後、日本武尊一行が、関東で渡海するため船に乗りましたが、急な嵐に遭遇してしまい今にも船が沈もうとします。
すると、弟橘姫は、海の神の怒りを鎮め、重大な使命をおびた我が君を守るために、その身を海に投じて、日本武尊の命を救います。
彼女はまさに命を懸けて、夫の命と夫が仕える大和朝廷の威信を守ったのです。

その時に詠んだ歌が先ほどの歌です。
そこには、夫の深い愛情を思って、自らもその愛に殉じようとする彼女の純真さが表現されています。

今の時代、妻が愛する夫を救う為に、わが身を顧みず命を絶つなどという行為は、称賛されることではないかも知れません。
しかし、このような自らの命すら顧みない彼女の高尚で尊い行為は、1800年の時を経て生きる現代の私たちの心さえも打つのです。

青山学院大学名誉教授の渡部昇一先生にお会いしたとき、
先生は、この「弟橘姫の神話を是非子どもたちに教えたい」と言われていました。
そこには、命を懸けて夫を守り、そして結果として国家をも守る日本女性の崇高な精神性が織り込まれているからです。

以前にも書きましたが、戦後の歴史教育では、「古事記」「日本書紀」に書かれた日本神話は教えられることはありません。
「神話は事実(日教組の言う科学的真理)ではない」ということでしょうが、日本人としてのアイデンティティーの構築の阻止を狙ったGHQや日教組などの左翼勢力により、意図的に排除されてきたのです。


wmn0024-022_m戦後、意図的に歪められた我が国の教育は、女子教育も決して例外ではありません。
フェミニズムを崇高な思想のように歓迎し、ありもしない社会的抑圧から女性を解放するとして、「未成年子女者の性交渉すら自己決定権である」などという行き過ぎた個性尊重や性の解放を目指した結果、フリーセックスという概念や女子生徒による援助交際を生み、世界で最も心麗しいと言われた我が国の女性の心の在り方を大きく崩してしまいました。


民族の発展は、表面的な男性の活躍より、その妻となり、母となる女性の心の有り様で決まると歴史は教えています。
そういう意味では、女性によってこそ国は成り立っていると言えますし、次第によっては女性によって国家が滅びるとさえ言えるでしょう。
日本人は、皇祖神である天照大神が女性であるように、その事実をよく知っていたでしょうし、日本には元来女性を大切に守り慈しんできた風土があります。

その日本の女性の心が崩れていくことは、何としても食い止めなくてはなりません。
そのためには、現在の「人格の形成」という全人的で中性的な目標ではなく、「(伝統的)日本女性を育てる」といった明確な目標に立った女子教育の再考が必要だと思うのです。

vol.44 日韓併合をどう教えるか ~昭和の日に思う~

kis0106-044_m  今日は、「昭和の日」国民の祝日です。
昭和天皇の御生誕日であり、その御偉業に思いを馳せるにはとても感慨深い日です。

ところで、先日「日韓歴史共同研究委員会」による日韓両国の歴史のすり合わせが不調に終わったことを書きました。
無論、歴史のすり合わせに国益はありませんから、それでよいのですが、我が国の子どもたちに両国の歴史をどう教えていくのかについては、まだまだ課題があります。

特に、両国間には「韓国併合」という歴史が横たわっています。本年は、日韓併合条約締結100年に当たる年ですが、昨今の若者はその事実すら知らないようです。
ここにも、日本人の国史離れが進でいる姿があり、「自らの歴史を喪失した民族は滅亡する」という言葉が重くのしかかります。


近年、日韓両国の歴史学者から、韓国併合を単純に「日本による植民地化」として定義することに疑問が投げかけられるようになりましたが、教育界では主流ではありません。
人権教育とリンクさせて、「創氏改名」を朝鮮人民の氏名を奪った単なる愚策のように教えるなど、戦前日本の軍国主義の代名詞の如く、日韓併合を扱う教育がなされてきたことも事実です。
このままでは、日本の子どもたちにとっては祖先を卑下することになってしまいます。
日韓両国の未来的な建設的協力関係にとっても、決して良いはずはありません。


昭和59年(1984)年に韓国の全斗煥大統領が、歴代大統領として初来日したときの宮中晩餐会で、昭和天皇は次のように発言をなされました。
「今世紀の一時期において、両国の間に不幸な過去が存在したことは、まことに遺憾です。このようなことは、二度とあってはいけません。」
このお言葉が、日本国民の象徴であられる昭和天皇の歴史認識でしたし、当時の国民はそのお言葉に胸を撫で下ろしました。
 
昭和天皇のご認識の様に、韓国併合とは、韓国のみならず、日本にとっても不幸な出来事だったのです。
詳細な歴史的事実は割愛しますが、日本が韓国を併合せざるを得なかったのは、国防上致し方なかったからです。東アジアの政情安定やロシアのアジア進出を食い止めるためには韓国の近代化がどうしても必要でした。また、日清戦争後の大韓帝国の日和見外交も問題でしたし、日韓併合に反対する伊藤博文が暗殺されたこともそのきっかけになりました。
我が国が独立を守り、東アジアが西洋列強国による植民地化から脱するためには不可避な選択だったのです。
 
ですが、いくら大義があっても、道義的には韓国人民の自存自立(独立)を妨げたことは苦渋の判断でした。
事実、併合後の朝鮮への支出は、日本にとって大きな負担になりました。
ですから、日韓併合は日韓両国にとって不幸な出来事だったのですし、二度とあってはならないのです。 


学校教育では、せめて昭和天皇のお言葉を教えて、「両国にとって不幸な歴史であった」ことを指導すべきです。
そして、日韓両国民が同胞(同じ日本人)として力を合わせ、白人至上主義やアジアの植民地開放に立ち向かった歴史があることを、両国の子どもたちに肯定的に教えることが、日韓の未来的協力関係の構築には必要です。

vol33.歴史のすり合わせに国益はない!

soccer 先日、日韓両国の有識者による「日韓歴史共同研究委員会」が第2期研究の報告書を公表しました。

 そもそも、この「日韓歴史共同研究委員会」は、平成12年の教科書検定で「新しい歴史教科書をつくる会」の中学歴史教科書が合格したことに韓国が反発し、日韓関係が悪化したのを受けて、事態を打開するために同年10月の小泉純一郎首相と金大中(キム・デジュン)大統領(当時)の首脳会談で決まり、始まったものです。

 しかし、このような委員会を開くことが本当に、未来の日韓関係の発展の為に寄与するのでしょうか。疑問が残ります。

 今回の報告書で韓国側は、従軍慰安婦問題について中学校教科書での言及が大幅に減り、強制性を示した記述がなくなるなど「縮小の一途をたどっている」と言います。
 
 そもそも、韓国側は「従軍慰安婦」と「女子挺身隊」とを意図的に混同しているとしか思えません。
「従軍慰安婦」などという、当時無かった造語まで登場させて日本を非難しますが、強制制がなかったことはほぼ事実ですし、まして中学校で『戦場の性』について教えるべきなのか、中学校教師として大いに疑問です。

 韓国側は、その理由については、「政治・社会的状況の保守化」だと言うのですが、一向に保守化しない日本に不安を感じているわたしにすれば、その反応もステレオタイプにしか聞こえません。 
 保守とは、伝統・文化や我が国の誇りを保守することです。韓国では相手の間違いを正すことが保守化というのでしょうか?

 日本の子どもたちを「日本の歴史」で教育するのは、当たり前のことです。
 もちろん、間違った内容や偏った思想でできあがった教科書ではダメですが、それならば左翼的イデオロギーが散りばめられている今の教科書ほうが、よほど問題です。 

 他国の歴史に我が国の歴史をすり合わせる必要はありません。事実の誤認だけは指摘するべきですが、それぞれに、それぞれの言い分があって良いのです。
 ですから、韓国に遠慮して「日本の歴史」を教えられないようではダメです。私たち日本人の歴史を、次世代に正しく伝えるためにも譲る必要はありません。

vol.28 学校で元号(平成)使用を推進しましょう!

 官庁や役所からの公文書は全て元号(昭和や平成など)で表記されています。今年であればもちろん「平成22年(平成21年度)」です。

 これは、1979年に制定された「元号法」が法的根拠です。
しかし、元号法は使用を強制するものではなく、使用しないことに罰則が科されるものでもありません。
 この元号法制定されたころの日本人は、87.5%が元号を使用すると答えたようですし、戦後に皇室典範の改正にともなって失った法的根拠を付随したようなものです。

 しかし、時代が進むにつれて、元号に対する日本人の思い入れは弱くなっています。
 日本で西暦(キリスト歴)を使用する必要はありませんが、その便利さや世界的な通用度合いなどの理由から西暦が多用される傾向が益々強くなっています。(新聞では国内有力紙トップを切って、朝日新聞が昭和51年から日付欄に西暦を使用)
 例えば、歴史を学ぶには、確かに西暦が分かりやすいでしょう。
「貞観○○年」「寛文○○年」と言われても、日本通史の専門家でない限り何時代のことかすら分からりません。
 

 ですが、日本の元号は、わたしたちにとって利便性を越えて、誇りにすべき文化です。
 かつて、中国の冊封体制に組み込まれていた周辺地域は中国王朝の元号を使用していたように、東亜において独自の元号を持つということは中国と対等な関係を示すもので、日本にとっては独立の象徴です。
 
 かつての朝鮮半島は、長い歴史のほとんどで中国の元号を使用しています。そのことを考えれば、我が国が長い歴史の中で、独自の元号を使ってきたことがいかに奇跡的なことであったか分かります。先人が智慧を絞って独立を貫いてきた偉大な遺産の象徴なのです。

 また、現在も漢字の元号を使用しているのは世界の中で我が国だけです。元号制度の前提である君主制を現在まで維持している我が国は、東亜では稀有な存在です。(元号の本家とも言える中国は、中華人民共和国の建国とともに西暦を使用しています)

 
 この我が国にとって、民族の独立を象徴し、官公庁が公文書で使用する「元号」が、学校(日教組支配の強い地域では特に)では使われません。

 このように、学校で敢えて元号を使用しない背景は、利便性の理由だけではありません。
 ほとんどの教師や子どもたちは、西暦と元号の違いなど意識しておらず、便利な方を遣っているという感覚でしょうが、
日本の伝統文化を軽んじ、日本人のアイデンティティーの確立を阻害して、日本解体を願う左翼的イデオロギーを公立学校に意図的に混入して、敢えて元号だけは使用しない輩がいます。
そんな輩が今はいなくても、それが学校の文化として引き継がれていると言ってもいいでしょう。


 学校では元号を使用しましょう。利便性を言うならば、平成22年(2010年)と併記しましょう。
 日本独自で、大化元年(710)年から1300年以上に渡り連綿と続く、生きた歴史教材であり、我が国の独立の象徴である「元号」の意味合いを正しく子どもたちに教えましょう。

 一般的には大したことでは無いかもしれません。しかし、何事においても利便性や経済性が重視される時代だからこそ、子どもたちの心豊かな成長のためにはぜひ教えたいことですし、これからも大切に残しておきたい日本文化の一つです。


 

 

vol.23 核密約に見る日本の姿

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 世の中では、米国との核密約が暴かれ騒がれています。
核三原則(持たず、つくらず、持ち込ませず)の是非は別として、安全保障に関わる重大事項で国民を騙し続けてきた日本の姿に、現在の日本の凋落がつながって見えてなりません。

 当時の与党がどうとか、政府の姿勢がどうとか言うつもりはありませんし、この問題を、旧政権攻撃の道具にするような人たちには組みできません。

 苦渋の決断にはいたしかたない理由もあったでしょうし、その決断そのものを現在のわたしたちがとやかく言う必要はありません。 
 ただ、日本人として思うのは、最も重要な国家の安全保障においてさえ、米国の機嫌を取って、政府が国民を騙すという姑息な手法でしか我が国を守る術が無かったことに心を痛めるのです。

 しかし、そもそもその姑息さが、今日の日本の混迷の原因でしょうし、教育の混乱にもつながっている気がします。

 わたしたち日本人の歴史は、独立存続の闘いの歴史でもありました。聖徳太子が中華思想からの脱却を志したときから、我が国は世界で独り歩きを始めましたが、二度に渡る元寇や幕末からの列強諸国との軋轢、先の米国との戦争など、先人たちは智慧を絞り、勇気を振り絞って我が国の独立存続のために努力してきました。

 しかし、戦後は米国の保護国となり、サンフランシスコ条約で独立を果たしても、その実態は保護国のままの様ですし、安全保障のみならず精神的に米国に依存している現状では、真の独立国とは言えません。
 
 教育も、米国から真の独立を果たしているとは言えません。未だGHQ主導でつくられた日教組が日本の教育界で力を持っていることを考えても分かりますし、戦後に奪われた修身や教育勅語などは未だ持って再評価すらされず、藩校や寺子屋にまで遡るはずの日本の教育の歴史は断絶したままです。 
 近年、やっとGHQ主導でつくられた教育基本法が改正されて、僅かに好転したとも言えますが、「愛国心」という言葉さえ使えずにつくられた教育基本法は、まだまだ米国の呪縛から解き放たれたとは言えません。

 今、教育で大切なことは、真の日本人を育てることです。真の日本人とは、我が国の歴史を深く理解して、伝統文化を受け継ぐ日本人です。そして、その真髄は、先人から受け継いだ日本の独立(精神的にであれ)を未来永劫守りぬく覚悟と叡智を育てることです。その覚悟と叡智に満ちてこそ、国際人として世界をリードできる人材を育てることになるのです。
 
 

 

vol.19 外国人を感動させた日本人の道徳心

 今の日本(人)の良いところを書きましょう。(数字は回答した人数)

・和食がおいしい (2)  ・いろんな技術が発展している (3)
・小さいものをつくることができる ・携帯の技術がすごい (2)  
・発光ダイオードの発明 ・子どもはみんな教育を受けられる 
・日本独自の文化がある (2) ・伝統の踊りや方言がある  
・着物などの伝統の服がある  ・平和主義(戦争がない) (3) 
・和があるところ ・周りへの気配り 
・有名な城や建物がたくさんある 
・古い町並み ・緑が豊かなところ (3) 
・省エネ、エコが盛んで世界を引っ張る。 (2)・ まじめなところ。 
・経済の発展  ・四季がある ・優秀な技術者
・高度な医療技術 (2)(ベトちゃん、ドクちゃんの治療を日本がした) 
・自動車(トヨタ) (2) ・ 礼儀に厳しい ・漫画が外国で売れている
・無回答 (4)   

 わたしの中学校3年生道徳授業の導入で書かせた記述式質問の回答です。生徒の肯定的日本像を探ってみるのが目的です。
 
 生徒は広範囲に日本の良いところを探していますが、当初は「分からない~」「見つからん~」との反応が多く、
「世界と比べて何が優れていると思いますか」と
もう一度尋ねると書けた生徒が多くいました。中学生らしく、日常生活やテレビなどの情報から答えることができましたが、普段は考えたことがないようで、かなり苦慮している様子でした。


 その生徒たちに、「外国人を感動させた日本人の心」という授業をしました。郷土や我が国を愛する心を育てるための授業です。
 詳細は割愛しますが、ゴローニン(18世紀ロシアの捕虜として函館に幽閉される。その捕虜を当時の日本人たちは手厚く遇します。彼が、当時の日本民族の聡明さや勤勉さを紹介した「日本幽囚記」の一部を紹介する)のわずか50分の授業で、生徒が最後に書いた感想文の一例を紹介します。

(授業後の生徒の感想例)
・ かつての日本人がそんなにも心優しかったことに驚いた。今の日本は豊かになったけど、何か大切なものを忘れてしまっていると思った。

・ 今の豊かな日本があるのも、かつての日本人から受け継いだ遺産があるからだという先生の話は、おもしろかった。豊かなのが当たり前だと思っていたけど、これからは感謝せないかんと思った。

・ 弱いものを助ける心を日本人が昔から持っていたことに感動した。自分たちは、弱いものを助ける気持ちを持っているのか考えさせられた。みんなが、弱いものを助ける心をもっていれば、いじめなんてないはずなのに、やはり日本人は変わってしまったのだろうかと思った。

 いかがでしょうか。かつての日本人の姿を文書で伝え、わたしが補足する話を5分程度しただけの彼らの感想です。

 彼らの中に、いかに瑞々しい感性と日本人のDNAが宿っているか分かる気がします。このように「日本」を感じる心は、生徒の中に確実に眠っています。  
わたしは、いじめの話など一言も触れませんでしたが、「感動」が、深い「思考」を呼び覚ましているかのようです。 
 

 その心を掘り起こすのはわたしたち、大人です。




vol.17 日本人教育序論

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 子どもに、日本人である肯定感を持たせるにはどうすればよいでしょう。  どのような歴史的事実に焦点を当てることで、子どもに日本という国柄を肯定的に受け止めさせることができるでしょう。  これは大変大きな課題です。  その答えは様々でしょうが、わたしが教室でまず最初に教えるのは、古代から現在まで続く世界最古の歴史です。 初代神武天皇から125代今上天皇まで2670年(今年は皇紀2670年にあたります)続く皇室(王朝)を戴いてきた国家は、世界ひろしと言えども私たち日本国だけです。日本の皇室は、古代は別にしても、武力で民衆を抑圧して存在してきた訳ではありませんから、私たち日本人の意志として皇室を存続させてきたことは疑いありません。  仮に2670年という年数が正確で無いにしても、2000年もの長い年数に渡って続いてきた王朝は他にありません。そして、日本国の場合は、その皇室(王朝)の歴史がそのまま国の成り立ちからの歴史と完全に重なる唯一の国であり、その国が近代国家として今なお続いている世界最古の国家なのです。  子どもたちは、このような事実を知りません。教えられたことすらないので当然です。その子どもたちに、この話をすると彼らの目は見る見るうちに輝き始めます。何度も新しい子どもと出会い、同じ話をしてきましたが、この反応が変わることはありません。今まで「肯定的」に日本を見る目を与えられて来なかった子どもたちですが、「自分自身も2000年の歴史の一部になれること」に、驚きと、やがては喜びを感じるようになります。  このような事実を教えることは、決して憚られることではありません。むしろ、歴史的事実として正しいのですから、積極的に教えるべきです。しかし、戦後教育の中では、日本を肯定的に捉えることを敢えて避けてきました。「日本悪玉史観」が徹底されているからです。 しかし、仮に、日本が本当に世界の悪玉であるならば、世界最古の歴史を有する国家として現在も続いているはずはないでしょう。悪は滅びますが、戦争に勝った米国でさえ、日本を歴史の中から抹殺することはできませんでした。  ちなみに、世界第2位SH3800020001_Rの連続した歴史を持つ国家は英国ですそれでも、900年ほどと言いますから、いかに日本の歴史が雄大で尊いか分かるでしょう。このような事実を子どもに教えるだけでも、子どもたちは歴史の連続性を意識して、日本人としての誇りを持てるようになるはずです。 ※写真と本文は関係ありません。私の写したイメージ写真です。  

vol.12 歴史教育と「日本の神話」

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 先日の2月11日が、なぜ「建国記念の日」なのか
その意味を知らない日本人が年々増えています。
「大日本帝国憲法の発布された日」(そのことは事実ですが)だとか、「戦後の日本が新たなスタートを切った日」だと言う人までいます。
まして、生徒たちはほとんどが知りません。大人が知らないのですし、学校で教えることもないのですから当然でしょう。

「建国記念の日」は、古事記にまで遡る雄大な日本の歴史の産物です。
今年は、皇紀2670年ですが、この2670年前、東征(九州方面から東へと攻めのぼった)を経て、大和の橿原で神武天皇が初代天皇に即位された日を現代の太陽暦に換算して、我が国(日本)の建国の日としてお祝する大切な日なのです。

 この雄大な歴史を今の日本人の多くは知りません。もし、知っていたとしても「大和朝廷が2670年も前に存在した証拠などない。」「神武天皇が存在した証はない。」と、古事記は神話が書かれているので非科学的であると言う人たちが多くいます。

しかし、そうでしょうか?
むしろ、神武天皇が実在されたかどうかなど大した問題ではないのです。大した問題ではないなどと言うと叱られるかも知れませんが、それが歴史的事実がどうかではなく、そういう物語(神話)を戴いて、日本という国が現在まで綿々と続いていることが大切なのです。
ですから、そういう意味では神武天皇は実在でなくても存在されており、それが事実でなくても、日本人の歴史の真実なのです。


 このように、わたしたち日本人には、日本誕生の歴史(神話)があります。しかし、戦後の学校の歴史の時間で子どもたちには教えられることはありません。理由はいろいろあるようですが、「事実ではないから。」「立証できないから。」といった理由が大半でしょう。その代わりに、猿→原人→現代人(縄文人・弥生人)といった進化論が教科書のトップを飾ります。これでは、猿→日本人と教えているようなものです。
 進化論は、学問ですから教える必要あるでしょう。しかし、教えるなら理科で教えればいいのであり、歴史の時間には必要ありません。それよりは、雄大な日本神話を、わたしたち日本人の真実として教えるほうが、どれほど子どもたちにとって楽しい歴史になることでしょう。

 
 戦後の日本人が、どうして自らの神話を手放したのか?それは、もう説明しなくても多くの人は知っているでしょう。決して、自ら葬った訳ではないこともご存じの通りです。

 
 現代の子どもたちは、自らのアイデンティティーの確立に苦しんでいます。青年期に躁うつ病にかかったり、どこかで自殺者が出るとそれを後追いする子どもたちの現実を見ても分かることです。
 「日本人の誇り」を大人から教えられず、むしろ教育で「誇り」を奪われているのですから、当然のことでしょう。
 今こそ、子どもたちに「日本人の誇り」を持たせる教育が必要です。そのためには、日本人の悠久の歴史である「神話」を教えてやりたいものです。

vol.8 靖国神社を考える

 

yasukuni

 先日、東京で会議に参加したのですが、会議が予定より早めに終わり、飛行機まで少し時間が空きました。 会議内容が張っていて時間が取れない… と半ばあきらめていましたが、「靖国神社」へ参拝に行くことができました。
 
 靖国神社は、幕末以降に国のために殉じた英霊を御まつりしています。数年前には、小泉元首相が参拝するしないで世間を賑わせたので、記憶している人も多いことでしょう。
 本来、我が国のために命を捧げた英霊に対して、時の首相が参拝して、平和を祈ることが物議を醸すこと自体がおかしいのです。ましてや、近隣諸国からとやかく言われる筋合いはないはずです。
 それを、あたかも平和を脅かし、外交的混乱をきたすかのような報道はマスコミがつくり出した虚偽報道としか言いようがありません。記者諸氏は、偏ったイデオロギーを排して、純粋な日本人として参拝されたことがあるのでしょうか。この神聖さを感じ得ないようでは、もはや日本人ですらないと言えます。

 参道を抜けて、参拝のために本殿へと進みでると、凛とした雰囲気と英霊の鼓動が聞こえるかのような緊張感が自分が日本人であることを再確認させてくれます。
 この国のために捧げた命の犠牲があってこそ、今の日本があるのですが、参拝をしていつも思うのは「こんな国をつくるために英霊たちは命を捧げたのか。」ということです。

 学校では、靖国問題は謂わばタブー視されています。
戦後教育では、宗教教育ができない仕組みにされてしまい、一宗教法人にされてしまった靖国神社を教材にできません。そして、政治的思惑を持ってマスコミが騒ぎ、左翼的思想で戦前戦中の日本だけを悪者扱いにするので、「我が国のために命を捧げた英霊に敬意を払い、今の平和な日本に感謝する」という、日本人として当たり前の教育すらできないのです。

 我が国は、どうして死者に鞭を打つような国になり下がってしまったかと嘆くとともに、子どもたちの道徳心や規範意識の低下に歯止めを掛けることすらできない不甲斐なさに、英霊に申し訳なく心が震えます。

 「英霊よ。この国をお守りください。胸を張って、あなたがたのことを子どもたちに正しく教えることができる日本になるよう努力します。」

vol.6 子どもたちに見せたい誇りある歴史の虹

昨日は「渡部昇一先生の講演会」の運営でした。約200名の方々にお集まりいただき感謝です。また、運営者の役得と言いますか、渡部先生のお世話をさせていただき、直接お話しをしたり、一緒に食事をとらせていただいたりと大変貴重な体験をさせていただきました。ありがとうございました。

 ところで、渡部先生のご講演で印象に残ったお話がありました。それは、子どもたちに歴史を教えることの大切さです。ただ歴史の事実を並べても意味がないということでした。大事なのは、歴史を物語として教えることなのです。

 歴史のひとつひとつの事実は、あくまでも水滴です。いくら水滴を詳しく学んでも、水滴のことしか分かりません。しかし、水滴がたくさん集まり、光が当たるとそれは「虹」になります。子どもたちに教えなければならない(見せなければならない)のは、「日本人の虹」だということです。

 しかし、学校では、「日本軍は侵略戦争をして、アジアの人々に多大な迷惑をかけた。そして、国民は日本軍に騙されていた。それを解放したのは米国である。」という、米国の歴史観に立った歴史教育がなされています。今は、それを左翼思想に塗り固められた教職員組合が推進しています。この歴史観で歴史を見ると、明らかな大量虐殺であり国際法違反である原爆投下すら、「日本人が悪いことをしたので落とされた」ということになってしまいます。

 こうやって歴史を学ばされる子どもたちは、自分が日本人に生まれたことを呪い、自分の先祖を「人殺し」と罵るようになってしまいます。そうなれば、自己のアイデンティティーすら確立できずに、不安定な個として人格形成がなされます。これが、いかに子どもたちを不幸にするかを想像することは難しくありません。

 歴史の事実のひとつひとつを見れば確かに戦前戦中の日本に反省すべき点は探せるでしょう。しかし、それは、当時の国際状況の中で不幸にも起きたことであり、日本人が積極的になしたことではありません。大きな歴史の流れをみれば、世界で唯一日本人が有色人種を代表して、白人に立ち向かい闘ったのです。そのことに誇りこそ感じても、恥に思う必要はありません。

 大人たちが、「日本人の歴史」を胸を張って堂々と子どもたちに語ることが大切なのです。

vol.2 渡部昇一先生 講演会

人気ブログランキングへ今週の土曜日(2月20日)に渡部昇一先生(青山学院大学名誉教授)の講演をお聞きします。この企画は、私たちの団体が渡部昇一先生をお招きして、国民(県民)と一緒に、これからの日本の教育について考える機会を持とうと企画したものです。

民主党政権が誕生し、益々混乱が予想される学校現場ではありますが、
このように今の日本を憂いている志を持った国民(県民)が集い、渡部先生のご教授を受けることは、教育の正常化のために不可欠な土壌づくりです。

 clip_image002今回は、昨夏の全日本教職員連盟の全国教育研究大会(香川・高松市)でお会いした育鵬社(フジサンケイグループ)のご厚意により、日本で最も著名な保守論壇の重鎮をお迎えすることができました。
 また、渡部先生のご厚意で破格の謝礼でお迎えすることができ、チケット代(入場整理料)も、1000円と低価格で抑えることができました。東京で渡部先生のお話を聞こうと思うと、こんな金額ではありえません。
 また、急な開催決定で、会場確保にも苦労しましたが、なんとか春野文化ホール「ピアステージ」をお借りすることができました。高知市内からは、少し交通に不便ですが、座席数456と立派なホールです。無理を言って、ホールをお貸しいただいた方々にもお世話になりました。
 多くの方々のお力添えでこのような機会を設けることができました。人の縁(えにし)とご厚意に心から感謝です。

会場は、高知市中心街から車で20分程度の距離ですので、四国内の方ならば午前中に自宅を出発すれば、開演時間13時50分に間に合います。まだ、チケットも残っていますので、どうぞ、興味のある方はこちらへアクセスしてください。  http://www18.ocn.ne.jp/~kokyoren
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