国民教育のススメ ~教育正常化の風~

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教師から見た世の中のこと

vol.157 今こそ、皇室教育を公教育に!~山本議員の私書手渡し問題から考える~

山本太郎参議員の行動は「政治利用」「不敬行為」?

 

 秋の園遊会で山本太郎参議院議員が、参加者と懇談中の陛下に対して、私書を手渡した件が大きく報道され、「政治利用にあたる」「不敬行為だ」などの指摘がなされています。その行動は、軽率極まりなく、全く肯定できるものではありません。

ましてや、国会議員という公の立場にあるものが取った行動ですから、「政治利用」との指摘も的を得ていますが、私たちは慎重にこの問題の本質を見極めて、二度と同じことを起こさないだけでなく、我が国の根幹ともいえるご皇室をお護りすることを考えねばなりません。

 

陛下のご存在

 ここで最も大切なことは、陛下のご存在を、私たちが正しく理解しているかということです。現行憲法では第1条で、天皇の存在を「国民統合の象徴」として規定していますが、これは現行憲法以前の悠久の歴史の中で形作られてきた我が国の在りようです。

陛下は、いかなるときも国民と我が国の安寧を祈られる存在ですし、そのことは皇室の歴史そのものです。

ですから、福島原発事故の被災者に対しても、山本議員以上に御心をくだかれ、我がことのように御心を痛められていらっしゃることでしょう。被災当初から、被災地へ何度も足を運ばれ、被災者を元気づけられてきた陛下の行動が、そのことを物語っています。

 

 陛下にとっては、反原発も、脱原発も、原発推進もありません。それは、あくまで為政者や国民が決めることです。その国民の議論がいかような結論になろうとも、陛下は、ただただ日本国の発展と、国民の幸せを祈られる存在なのです。

 然るに、今回の山本議員の行動は、まだ国民的議論が熟さず、方向性さえ見定められない問題を、惨状を伝えるためとは言え、そのような立場にある陛下に直接訴えようとしたのですから、非難されて然るべきです。

 その背景には、山本議員の、陛下や皇室理解の未熟さ、あるいは意図的な皇室軽視の姿勢があると指摘せざるを得ません。

 

皇室への理解

 しかし、今回の件を山本議員個人の左翼思想による不敬問題とだけとらえると、この問題の本質は見えません。(そもそも左翼思想では、「天皇制打倒」(天皇制という表現そのものが左翼思想です)なのですから、彼の直訴行為はその趣旨にも反します。)

山本議員の公人としての責任は、もちろん問わねばなりませんが、彼も、そして彼を国会へ送った人々も、彼の行動を容認する人々も、戦後教育の産物であることを考えると、皇室への不理解を拡散してきた戦後教育界の責任も問われて然るべきでしょう。

 

 戦後教育の中では、皇室や陛下のご存在に触れることはタブー視されてきたのは、以前から指摘しているとおりです。戦前の教育全てを否定し、個人の自由や権利を過重に重視してきた戦後教育では、当たり前の結果とも言えるでしょう。

 それは、皇室や陛下のご存在が、公のものであるからです。公のもの(存在)をできる限り否定することで、個人の自由や権利を浮き立たせてきたのが戦後教育です。そこに、日教組らによって左翼的なイデオロギーが注入されてきたのです。これでは、皇室について教育することなどできるはずはありません。

 

 しかし、個人の自由や権利を保障するのは国家そのものですし、その象徴が天皇陛下のご存在であることを深くとらえれば、個人の自由や権利と皇室とは相反するものではありません。ましてや、先述したように国民の幸せを祈られる陛下のご存在を正しく理解することは、子どもたちのアイデンティティーの確立や、日本人としての誇りを育む上で、とても大切な教育です。

 先日お会いした八木秀次高崎経済大教授(日本教育再生機構理事長)も、「教育再生を期するにあたって、これからは天皇教育が大切である。」旨を指摘されていました。

 

このまま皇室を無視して公教育を進めていては、日本人のアイデンティティーが育たないばかりか、皇室への理解が更に薄まることで、国家の背骨が腐り、国の在りようさえも変わってしまいます。それは我が国の歴史が断絶するだけではなく、国家そのものの断絶となり、世界最古の歴史を誇る日本国が消えてなくなることを意味します。

 

今回の山本議員の行動は、我が国の皇室継続の危うさ(国民の皇室への不理解)が身近にあることを私たちに教えてくれました。

今後、民間の方々とも連携をして、公教育に皇室教育を根付かせることが急務です。




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vol.156 「はだしのゲン」問題の本質とは…

松江市教育委員会の「はだしのゲン」閉架問題が、世間を騒がせています。

その判断には賛否両論あるようですが、主にマスコミは「表現の自由」を盾に否定的に報道しています。
中には、戦前の検閲制度を引き合いに出し、民主主義の根幹を揺るがす野蛮行為だと強い口調で非難している向きもあるようです。

しかし、このような「表現の自由」を盾に民主主義の根幹であると危機感を煽る報道には、教育現場にあるものとして釈然としません。
この「はだしのゲン」の閉架問題は、本当に「表現の自由」の問題でしょうか?


学校は、子どもたちの人格形成の場です。
そして、子どもたちは様々な価値観や情報に触れて成長していきます。

しかし、世の中のすべてのものが、子どもの健全育成に有益であるわけではありません。
表現の自由が保障された世間には、子どもの心身の発達に害を及ぼしかねない情報や価値観が散在しています。

その害を及ぼしかねない情報や価値観を子どもたちから遮断したり、(触れさせるにしても)発達段階に応じた適切な時期に、適切な方法で触れさせるように導くのは大人の責任です。

ですから、今回の閉架問題を議論するとすれば
「子どもの成長にとって有益なのか、それとも有害なのか」という一点です。
決して「表現の自由」などという無責任な議論であってはなりません。


その一点で「はだしのゲン」を見るときに大切な観点は以下の通りです。

〇 間違った事実や誇張された描写がないか
〇 極度に凄惨な状況描写がないか

これらの問題が多くあるのであれば、子どもの成長を害しかねません。
子どもたちは真実を見極める判断が不十分です。与えられた図書から読み取る内容は、すべて事実として受け止めてしまう傾向があります。
それでは、真実を見極めることができないばかりか、間違った事実を刷り込まれてしまう可能性があります。


そして、もう一点大切な視点は
〇 偏ったイデオロギーが全編を通して描写されていないか
という点です。

学校が公教育の場であり、中立的な教育で子どもを育てる義務があることを考えれば、これも大切な視点です。


再度言いますが、決して「はだしのゲン」という作品を否定しているわけではありません。
どの描写も、どの表現も、作者にとっては必要なものです。
そのことは、(我が国では)表現の自由で保障されています。

ただ、それが子どもの成長にどのような影響を及ぼすのかということを熟議しない限り、今回の問題はその本質が見えてきません。


子どもの健やかな成長のために
大人が責任ある選択と、決定をなすことを
政治的対立から躊躇する社会であってはなりません。



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vol.131 学校で『氏名』を使うと人種差別? 日本の文化を守り、子供たちを守れ!神戸市

神戸市では、一部の団体から「『氏名』という表記は、氏をもたない韓国朝鮮人への差別になる」という指摘を受けて、法令・条例等に反しない限り、「名前」を使う配慮をしているようです。

そして、それは行政として最小単位である「(市立)学校」においても、進められていると言います。
とても信じがたいことですが…。

「氏」とは現在の苗字とは違い、ヤマト王朝に仕えた古代の豪族らが名乗った尾張、蘇我などや、朝廷から賜った源平藤橘や豊臣などをさし、同族の系統を表すものです。
そして、自ら勝手に名乗った苗字とは違い、皇室との深い関係のなかでつくられてきたものです。

明治以前は、公式な場では苗字ではなく、氏に姓(かばね)を加えて「源朝臣家康」(徳川家康)、「越智宿禰博文」(伊藤博文)などと使っていましたが、明治以降は、徐々に「氏」「姓」「苗字」は同義となり、区別されなくなって現在に至っています。
ですから、多くの日本人が「あなたの氏は何ですか?」と尋ねられても正確に答えられません。

しかし、説明したように「氏」は古代に遡る我が国の歴史に裏付けされた立派な日本の文化です。
その文化は日本人だからこそ受け継げるものですから、外国人が「氏」を持たないからといって放棄すべきものではありません。
ましてや、それを使用したからといって外国人を差別することになるはずはありません。

他国の文化を否定することのほうが、差別でしょう。

そんな単純なことが、神戸市という公機関で分からないのでしょうか?
そして、それを学校現場に押し付けているとしたら…。

またも、犠牲になるのは子どもたちです。
日本の伝統や文化をないがしろにする学校であっていいはずはありません。

日本人は日本人。
韓国朝鮮人は韓国朝鮮人。
それぞれが、それぞれの文化をもった違う民族です。
その民族の違いを否定してはなりませんし、相手の文化を否定してはなりません。
そう教えるのが教育です。


学校に韓国朝鮮人の子どもがいたとしても、
その違いや相手国の文化を否定してしまっては、真の友好関係など築けるはずはありませんし、国際人など育つはずはありません。

どうか大人のつまらないエゴや事なかれ主義で、子どもたちを犠牲にすることがないよう、大人たちの正しく毅然とした対応を期待します。



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vol.128 ソウル日本大使館前に慰安婦記念碑が!  日本の子どもを守れ!日本政府

韓国閣僚の関与が判明

ソウルの在韓日本大使館前の路上に「慰安婦」記念碑を建てようとする団体「韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会(挺対協)」の申請が許可されました。

当初は、外交問題化する懸念から韓国政府内では慎重な意見もあったようですが、国内の反日感情の高まりが後押しとなって今回の許可になったようです。
また、審査過程で韓国の保健福祉相が設置を推奨する文書を認可する区側に提出して団体を後押しするなど、審査が政治的な色合いが強いものだったことも判明しました。


歴史捏造の最大の被害者は子どもたち

歴史検証が進む中、日本軍が強制連行したという「従軍慰安婦」の存在は完全に否定され、日本の歴史教科書への記載もなくなりつつあります。

韓国には韓国なりの歴史認識があるとしても、歴史事実を捏造して他国を誹謗する行為は世界の常識からも認められませんし、百歩譲って内政不干渉を遵守してきた我が国が口をはさむ必要がないとしても、在韓日本大使館前となると話は別です。

外交上最も大切にされるべき「礼節」を欠き、我が国を挑発するがごとき行為を韓国政府が許可することはあってはなりません。
我が国としても、きちんと懸念を表明して抗議の意思を示すことが、未来への真の友好関係には必要です。

間違った事実がこのような形で既成化されることは、未来への禍根を残します。
そして、その嘘によって最も被害を被るのは、これから歴史を学ぶ子どもたちです。
そのことを大人がしっかりと考えて、抗議すべきは抗議することが大切です。
日本国民を代表する日本政府には、毅然とした態度で子どもたちを守って欲しいと願います。

学校現場にあるものとして、隣国韓国を正当に評価して友好関係を推進しなければならない立場にあるからこそ、今回の韓国側の軽挙に強い懸念を表明します。


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vol.123 皇室を「王家」と呼ぶNHK ~皇室を貶める歴史歪曲を平気でするNHKはいらない~

皇室を「王家」と呼ぶNHK

 

平成24年(2013年)のNHK大河ドラマは「平清盛」に決定したようですが、その公式HP http://www9.nhk.or.jp/kiyomori/ の記述は目を疑います。

 

まず、主演の松山ケンイチが演ずる平清盛の紹介文では、平氏と対立する(?)皇室を「王家」と表記し、文末は「王家との長い闘いが始まる。」と結んでいます。

 

また、後白河天皇(松田翔太)の紹介では、

「王になるはずのない男が、この国最強の王になった。」


鳥羽上皇(三上博史)の項では、

「この王の死をもって、全ての秩序が失われた」


と、天皇や上皇を「王」と表記しているのです。


また、その「闘い」「最強」「秩序(の崩壊)」などの表記からは、平清盛を(現代の)国民に見立て、その前に立ちはだかる「(悪役)王家」像をつくり出そうとしている意図がうかがえます。

我が国の歴史を真摯に見つめると、権力闘争があろうとも、国民と皇室がともに支え合って国をまとめてきた「君民共治」の伝統は明らかです。

しかし、このHPには、その伝統を否定しようとする意図が満ち満ちているのです。
 

 

NHKは、「日王」と呼ぶ韓国マスコミと同列か?

 

我が国の「天皇」を「日王」「王」と呼ぶのは、韓国や北朝鮮マスコミの専売特許です。

 

アジアでの「王」とは、中国皇帝の「冊封体制」に組み込まれた周辺諸国の統治者という意味で、その地位は中国皇帝の臣下です。
すなわち、「王」であると言うことは、支那王朝を宗主国として戴く国家体制(国体)であることを表します。

 

歴史的に支那王朝に朝貢し、属国に甘んじてきた朝鮮の李氏王朝の呼称は間違いなく「朝鮮王」です。

しかし、我が国は、7世紀ごろには「天皇」という称号を対外的にも使用し、支那の「冊封体制」から独立しました。

有名な「日出處天子致書日沒處天子無恙」という当時の国書や、日本独自の元号(大化)の使用がそれを表しています。



韓国や北鮮は、かつての宗主国支那の皇帝と同格を意味する「天皇」という呼称を日本が遣うことを嫌い、彼らは我が国の歴史を貶める蔑称として「日王」と呼びます。

 

 ちなみに、日本で「日本国王」と言えば、時代が下がって室町幕府の三代将軍足利義満が名乗ったことで有名です。

あくまで武家政権の長が、対外貿易の権益独占のために使用した呼称でしかないのですが、あくまで「天皇」の臣下である征夷大将軍が「日本国王」なのですから、「天皇」が「王」であるはずがありません。


それを、素人でも分かるような時代考証を抜きにして、皇室を「王家」、天皇や上皇を「王」と表現する
NHKには、公共放送としての資格などありません。
そればかりか、中国や韓国に媚びへつらい、我が国の歴史を冒涜し、我が皇室を蔑視する意図があるとしか言いようがありません。

 
 

それも、国民から受信料を徴収していながら、そのお金で国体を辱めているのです。
ましてや国民的関心が高く、生きた教材として家庭で子どもたちが歴史を学ぶことができる「大河ドラマ」でそれをしようと言うのですから、その悪質さは測り知れません。

 

健全な日本国民は、我が国の国体を辱めるNHKの悪質さを見逃してはなりません。
宮内庁や政府には、NHKの悪質さを見逃さず、表現を訂正させる「厳しい指導」を求めなければなりません。

それだけでなく、スペシャル番組 japanデビューで「反日台湾」像を捏造するなど、同じようなことを繰り返すNHKそのものの「解体」を、真剣な国民的議論にするべきです。






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vol.120 日本女性の優秀さ ~なでしこジャパンW-cup決勝進出~

「お金よりも名誉」

 

ワールドカップ決勝出場で日本中を沸かせた「なでしこジャパン」の女子選手たち。

東日本大震災から、一日も早い復興を目指す我が国にとっては、国民を勇気づける明るいニュースです。

 

彼女たちの活躍は、世界中を驚かせ、その強さに世界中から興味が寄せられています。

中でも、小柄な選手たちの精神面の強さには、海外メディアも驚いている様子です。

決勝の対戦相手の米国の新聞(USA today)では、日本の選手たちは、東日本大震災で被災した母国のファンに朗報をもたらしたい一心でプレーしていると分析し、「サッカーの勝利のような小さなことでも、人々に勇気と希望を与えられる」という佐々木監督の談話を紹介しています。

 

また、中国のニュースサイトでも「日本民族としての強い責任感や使命感から、失敗はできなかった」と分析、被災者に対する選手の思いが決勝進出に結び付いたとたたえました。

 

そんな中で行われた佐々木代表監督の記者会見で、

外国人記者から「日本が準々決勝で下したドイツは、優勝したら一人あたり6万ユーロの報奨金がもらえることになっていた。日本はどうなっているのか?」との質問が…。

 

佐々木監督は、苦笑しながら

「われわれはお金より、こういう大会でピッチに立てる名誉を大事にする。」

ときっぱりと答えたそうです。

 

なんと爽やかな答えでしょう。

さぞや外国人記者たちは、驚いたことでしょう。

スポーツでも、何でも経済活動と結びつけてしまう「西洋文化」に引き換え、

「武士は喰わねど高楊枝」と言われるように、

経済性よりも、「名誉」や「誇り」を大切にする精神性を持ち続けてきた日本文化。

そんな我が国を代表する彼女らの、高き誇りは、日本国民のお手本です。

 

我が国を支えてきた女性たち

 

我が国は、皇祖神(天照大神)が女性神であり、アジア地域初の女性君主(女性天皇)がご在位された時代が幾世もあったように、古より、歴史的にも女性が重要な位置を占めてきました。

 

そして、また、この大震災という国難にあい、国内が混乱している有事のときに、日本女性が世界の頂点を極めようと活躍し、世界中から称賛され、そして日本国民に勇気を与え続けています。

 

我が国の悠久の歴史を振り返ったときに、このなでしこジャパンのように、陰となり日向となって我が国を支えてきた優秀な女性たちの活躍があったからこそ、我が国の今日の発展があるといえるでしょう。


 

わたしたちは、世界の大舞台で、日の丸を背負って正々堂々と世界の強豪国と闘い、勝ち進んでいる彼女たちを誇りに思うと同時に、日本女性の優秀さを誇りに思い、尊敬しなければと思います。

 

2日後に迫った決勝戦ですが、勝敗もさることながら、彼女たちらしい、素晴らしい試合を見せてほしいと願います。





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vol.105 復興に必要な教育とは!? 「自衛隊員の崇高な使命感を教えよ」

「気を落とさずに頑張ってもらいたい」と自衛隊員

東日本大震災の被災地で、行方不明者の捜索を続ける自衛隊員らは、捜索の傍ら、壊れた家屋や流木の中から、被災民の写真などの思い出の品を、コツコツと集めています。

 

集められた写真の中には、子どもの成長の記録や、結婚式の様子など、被災民の幸せだった頃の思い出がたくさん詰まっていますが、今回の津波によって、家ごと濁流に飲み込まれてしまったものです。

 

「被災民を元気づけたい」と彼らが集めた品々は、わずか2日間の収集でトラック2台分にもなりました。

中には、写真だけでなく、トロフィーや賞状など、思い出に残っていそうなものを丁寧に拾い集める隊員もいます。

 

自宅から数キロも離れた場所で、数十年前の思い出の写真を隊員に見つけてもらった被災民は、「生きてきた証を見つけてもらった」と隊員たちに感謝し、「気を落とさずに頑張ってもらいたい。」という隊員たちの力強い言葉に、勇気を与えられています。

 (3月22日 NHK総合 ニュースを筆者要約)

 

自衛隊員の活躍と「暴力装置!?

今回の東日本大震災での自衛隊の活躍は、もうすでに国民周知のことですから詳しくは書きませんが、自らの危険を顧みずに救出や捜索にあたる彼らの姿に感動を覚えた方も多くいるでしょう。

その上に、被災民の心のケアに心を配り、「勇気を与えたい」との思いから、被災民の思い出の品を収集する彼らの崇高な行動は、私たち日本人の誇りです。

 

過日、政府の人間が、自衛隊のことを「暴力装置」と表現して、国民から非難と反感を買いましたが、今回の彼らの活躍を見てもなお同じことが言えるのでしょうか?

 

被災した幼い子どもを高々と抱き上げ、自らは腰まで水につかりながら、幼子に笑顔を向けるその姿は、「暴力装置」という言葉からは、あまりにもかけ離れています。

 

 

学校でも貶められる自衛隊

前任校に勤務していた5年ほど前、職場体験学習の受け入れを「自衛隊地方連絡部」にお願いしていたところ、上から(あえて表現は曖昧にさせてください)体験場所から外すよう指導されたことがありました。

理由は、「憲法改正が取り沙汰されて、国民の意見がまとまっていない微妙な時期なので、中学生が職場として体験することは好ましくない。」というものでした。

 

私のクラスには、「国を守る仕事を体験してみたい」という純粋な思いで、自衛隊の体験活動を希望していた生徒もいましたが、他の職場に振り替えざるを得ませんでした。

 

 

学校には、敢えて指導をしない(触れない)対象(タブー)がいくつもありますが、自衛隊もタブーのひとつと言えるでしょう。

そして、できれば将来選んでほしくない職業…といった暗黙の了解があります。


自衛隊は、専守防衛と言えども軍隊そのものですから、偏向した「平和教育」ばかり真剣にやり、国防など考えたことのない教師の空論的理想から言えば、「二度と戦場に教え子を送らない」という日教組のスローガン通り、現実的に遺棄したい産物なのかも知れません。

 

しかし、国防あってこその領土保全であり、主権国家なのですから、自衛隊の存在を子どもたちに暗に伏せたまま、放置していてはいけません。

大人の身勝手な都合で、国際社会の現実や国家的自立(独立)の大切さを教えないようでは、健全な青少年の成長に著しく悪影響を与えますし、健全な国民を育てることができません。

 

今こそ、自衛隊の存在意義や、国民の為に懸命に活躍する姿を子どもたちにしっかりと教えなければなりません。

そして、日本国が主権国家として存在するには絶対に必要な組織であること、日本の国柄(国体)や国民の生命や財産を守る(戦闘行為であれ、災害派遣であれ)為に存在すること、世界的平和にも貢献していることを教えましょう。

そして隊員たちには、「日本国と日本国民を守る」という崇高な使命感が宿っているからこそ、勇気ある任務が遂行できることを、しっかりと理解させたいものです。


頑張れ東北! 頑張れ日本! そして 頑張れ日本人!



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vol.89 東京漫画条例に反対する?それは本当の大人か?

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子どもの登場人物による露骨な性行為が描かれた漫画などの販売・レンタルを規制する東京都青少年健全育成条例改正案が13日、都議会総務委員会で可決され、本会議でも可決・成立する見通しになった。今年3月、都議会に初めて提案されたがいったん否決され、修正を経ての可決。出版社側は「表現の自由の侵害」などと反発、都は「単なる販売規制で、内容も明確にした」としている。(中略) 改正案は、露骨な性描写の漫画が一般書棚で区別なく売られている現状から作られた。だが今年3月、都議会に提出されると、有名漫画家や出版社などが相次ぎ反対。都議会第1党の民主党も、18歳未満の登場人物の定義となる「非実在青少年」などの文言について「表現があいまい」などと反対し、同6月に都議会で否決された。(平成221214日読売新聞)


東京都青少年健全育成条例が昨年都議会で可決されました。当時、「表現の自由の侵害」だと漫画家や出版会社らが執拗に反対し、連日マスコミが過熱報道を繰り返しました。


この条例が出版物を取り締まり、今までのような性描写がある漫画が描けなくなるような報道がされていましたが、それは違います。ただ、指定した書籍を一般書棚から成人書棚へと移動させるというだけの措置です。
にもかからず、出版業界が「表現の自由」を楯に執拗に反対したのは、明らかに過剰反応だと言えます。他に、「いかがわしいものを子どもから完全に遠さけることはできない。」などと、反対の理由にもならない文言を並べ立てた議員もいました。


これら、無責任に反対する人々の周辺には年頃の子どもはいないのでしょうか?


思春期の真っただ中にいる子どもたちと日常を過ごしている教師としては、もちろん条例には賛成です。
思春期の子どもたちは、性交や暴力的行為にとても強い興味を持っています。そして、純粋であるが故に、TVや漫画から過度の感化を受けてしまい、過激な行動になってしまうことは決して珍しいことではありません。


まして、現代の子どもたちは、TVゲームで育っている世代ですから、多くの専門家が指摘しているように、バーチャルと現実との狭間が曖昧になっています。ある調査ではっきりしたように「死んでも生き返る」と真剣に信じている世代です。


そんな世代の子どもたちに、刺激の強い「成人漫画」を読ませる危険性をもっと真剣に考えなければなりません。規制しても完全に遠ざけられないのは当たり前ですが、せめて条例の範ちゅうだけでも規制してやるのが大人の責務です。


本来は、「親がダメ」だと規制すれば済むことですが、今の家庭にそんな指導力は期待できません。ですから、せめて世間が「ダメだ」と強く主張することが大切なのです。


それを、「表現の自由を奪う」「作家が委縮する」などと妄言を吐く出版界は、子どもの健全育成よりも、子どもを食い物にして、自分たちの既得権益を守ろうとするだけのエゴスティックな業界だと断罪せざるを得ません。


大人が背伸びをしてでも大人らしく振舞う以外に、子どもを真っ当に育てる術はありません。子どもを食い物にすることが「表現の自由」ならば、そんなものは自ら放棄したほうがいいでしょうし、たかが成人書棚に書籍が異動されるくらいで委縮するほどの作家ならば、大した作品など残せないでしょうから、作家活動を止めるべきです。


作品の一場面として性表現や暴力表現を表現する必要があるなら、それを凌駕するだけの芸術性や物語性で読者を納得させれば済むのです。

出版業界も、どの棚で売られるか…より、社会の一員として、どう子どもを育てるのかを考えられる大人であるべきです。

日本から、良質の大人が消え去ろうとしているのではないか…。
こんな大人をつくってきたのも「戦後教育」だとすれば、教育の立て直しは急務です。

vol.83 教育力再生のカギ 「家庭崩壊と子ども手当」

6日に1

「6日に1人」の割合と聞いて何を想像するでしょうか。

なんと全国で児童虐待によって亡くなった子どもたちの数です。

平成12年(2000年)に児童虐待防止法が施行されて10年になりましたが、虐待は増加の一途を辿っており、児童相談所を中心とした関係機関挙げての懸命の取り組みにも関らず、残念ながら改善の糸口が見えてきません。

 

最近の虐待の中で際立っているのが「ペット虐待」と言われるものです。子どもをまるでペットのように扱い、「しつけ」と称して虐待するのです。ストレス解消の手段とするかのように虐待を繰り返してしまうのですが、子どもに対して罪悪感を持たないという特徴があると言われています。

虐待の原因として、様々な要因が挙げられていますが、貧困と孤独という問題が大きな影響を及ぼしていると考えられています。子供を虐待している家庭の多くは、近所付き合いもなく孤立していることが多く、虐待は見過ごされてしまっているのです。

 

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警視庁によると、昨年の65歳以上の万引き摘発件数は全国で約27千人、20年前の7倍になっています。

警視庁は昨年、背景を探るため、約1千人の万引き容疑者に意識調査をしたところ、高齢者の動機として「孤独」「生き甲斐の無さ」が上位を占めました。

息子と同居し、年金などで月収24万円の収入があるにも関わらず、400円の飴玉を万引きした80歳の男性は、「生き甲斐が無い。近所に相談にのってくれる人もいなかった」と警察官に話をしたそうです。

 

孔子曰く「50にして天命 を知る。60にして耳順(耳にしたがう)、70にして心の欲するところに従って矩( のり)をこえず」と言います。

その年代の高齢者が、家族と同居していても、「孤独」や「生き甲斐の無さ」に苦しみ、万引き行為におよんでいるのです。

その行為そのものは決して肯定できませんが、その背景には家庭や地域の共同体の破壊が進んでいる現状が見え、個人の責任だけではありません。

 

「社会で育てる=子ども手当」ではない

戦後教育と経済発展の中で、かつてあった多くの共同体が破壊されてきました。

その共同体破壊の風潮には、左翼イデオロギーが充満してきたことはすでに書いてきた通りです。

その病魔は着々と家庭や地域に忍び寄り、現在は「互いに干渉し合わない」ことが、「無関心」となって、すでに大人の心まで壊してしまっているのです。

仕事をリタイアして社会との関係が途切れてしまい、誰の役にも立てないと生き甲斐を無くしてしまっている高齢者は、その被害者だとさえ言えるでしょう。

 

しかし、それは子どもの世界も同じです。

問題を抱える子どもたちが、いかに「孤独」であるか…。家庭が崩壊し、大人からの愛情に飢えた子どもたちにとって、高齢者までが「孤独」に苦しんでいるこの国は、とても住みづらい国になってしまいました。

 

「社会で育てる」という理念のもので、「子ども手当」が支給されるようになりました。

しかし、あくまでも子供を養育する者に対しての支給ですから、教育を家庭に丸投げしていることに変わりはありませんし、その理念は素晴らしくとも、「社会で育てる=お金の負担」ではないでしょう。

今、その家庭が対外的に「孤立」し、家族内では「孤独」の中で苦しみ、教育力を発揮できなくなっているのですから、家庭に教育を丸投げしていたのでは、健全な子どもは育ちません。

 

「社会で育てる」のならば、各々の家庭に多額の税金を投入するのではなく、子供たちの命や家庭を守る地域コミュニティー再構築のためにお金を使うという発想こそが必要だと思うのです。

そして、そこには「次世代を育てる」という高齢者の最高の生き甲斐があることも見落としてはなりません。

vol.80 絵本も読めない子どもたち

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絵本も読めない子どもたち

幼児1人にかける教育費が月平均1000円未満の世帯は2005年の11.7%から23.3%に倍増するなど、支出が減っていることが、ベネッセ次世代育成研究所の調査でわかった。

習い事や絵本、おもちゃ購入などにかかる月平均教育費は、「1万円以上」の世帯が前回の31.1%から17.6%に減る一方、「1000円未満」の世帯は倍増。英会話教室などの習い事や、通信教育を控える家庭が増えていた。

 6月から子ども手当の支給が始まったが、来年度以降も当初計画の半分の月額1万3000円。子育て世帯にとって厳しい時代は当面続きそうだ。(98  読売新聞より抜粋)

この調査では、就学前の幼児にかけている月平均の教育費が驚くことに1000円以下の家庭が急増しています。

1000円と言えば、おおよそ絵本一冊の値段です。

とても習い事などできる金額ではありません。

幼児期に高額なお金を払って習い事や塾などに通わせることには、あまり賛成できませんが、子どもたちが読みたい絵本すら十分に読めていないのでは…と危惧します。

 

これは本年3月の調査のようですから、6月から支給されるようになった子ども手当によって、少しでも家庭の教育費が改善していればと願います。

 

しかし、この不景気が長引けば、親が何にでも自由に遣える手当制度では、家庭で本当に子どもたちの教育にお金が遣われるのか疑問が残ります。

教育関連商品(教育的なおもちゃを含んで)や習い事などにだけ遣えるチケット制を導入するなどの工夫が期待されます。

 

 

先進国最低基準の教育投資

 

ところで、経済協力開発機構(OECD)は先日、2007年(平成19年)の加盟各国の国内総生産(GDP)に占める公財政教育支出の割合を公表しました。

日本は06年と変わらず3.3%で、データのある28か国中で最下位でした。

 

このデータは、前政権当時のものですから、現政権のもとで進められた子ども手当や高校無償化、小中学校教職員定数の増加などの公的資金の投入によって、現在は少しながらも改善していることが予想されますが、依然として低水準にあることは間違いありません。

 

このまま教育分野に十分な公的資金が投資されずに教育環境が悪化し、家庭でも子どもへの教育費が削られていくとすれば、日本の子どもたちの教育水準は、今後益々世界水準から遅れを取ってしまうのではないかと危惧します。

 

教育費とは、未来投資型の支出です。

すぐに何かしらの成果が返ってくるものではありません。

ですから、景気悪化が懸念される現在、景気対策を最優先せざるを得ないことは理解できます。

しかし、景気は浮き沈みがあるものですし、良い時も悪い時もあってしかりですが、教育に浮き沈みがあってはなりません。

教育は、国家百年の大計です。

天然資源に恵まれていない我が国の唯一の資源は、優秀な文化を紡ぎ、経済発展を成し遂げてきた日本人そのものです。

優秀な日本人の育成のために、国家としての戦略を持ち、先行投資することも必要でしょう。

 

ただし、将来成果を挙げるには、国民総意の先行投資でなくてはなりません。

国民に理解されない組合活動や、反日的な教育内容など、教育界にこそ国民の合意形成を妨げる実情があることを指摘しておきます。

vol.77 よさこい祭りから見た 「地元企業と学校の関り方」

第57回よさこい祭り

地元高知で行われた「第57回よさこい祭り」に、学校として参加してきました。

yosakoi今年で連続9回目の参加ですが、県内中学校で参加しているのは、本校だけ、唯一です。
夏の祭りへの参加に向けて、1学期から放課後や総合の時間を活用して、踊りの練習から、地方車(音響を鳴らすトラック)の装飾パネルの作成、衣装作成、鳴子(踊りで手に持って鳴らす道具)の作成…と
3年生を中心にして学校を挙げて準備をしてきました。
そして、夏休み返上で、前日まで踊りを練習して、完成度を高めてきたのです。

踊っている生徒たち、地方車に乗って「あおり」(歌を歌ったり、口上を述べたりすること)を担当する生徒たち、カメラやビデオに記録を残す生徒たち…本当に素晴らしい笑顔でした。


地元企業や地域の寄付から

参加するにあたっては、実は莫大な資金が必要になります。
せっかく、全国へ発信できる地元のお祭りなのに、学校単位でなかなか参加できない一つの遠因です。

踊り子の生徒を運搬するバス、地方車(トラック)、音響機器の借り上げだけでも、相当な金額がかかります。
それに、踊りのプロによる振付指導や曲の作成、地方車の装飾、衣装など…とても、公立学校の経費で賄える訳はありません。

ですから、地元企業や地域の皆さんから寄付を募って資金調達をします。
生徒たちが、実際に地元企業へ出かけ、寄付(広告料)をお願いして回ります。
(地方車に広告を掲載します)

それでも、もちろん潤沢な費用が得られる訳ではありません。
ですから、踊りに使用する曲も、衣装も、昨年度までのものを少しアレンジして使い廻します。
そうやって、工夫しながら資金を捻出したり、支出を減らしたりして、何とか9回連続参加を続けてきました。

このように、地元企業や地域の皆さんから実際に寄付をいただき、学校の対外活動などに使わせていただくのです。
そして、中学校が地域活性化の一翼を担っていくのです。


寄付金による企業の減税控除を

地元貢献を社是とする企業は多くあります。
ですが、これらの地域の学校への寄付行為は、現行法では減税控除の対象になりません。
企業の地元貢献への機会が、現行法によって阻害されているとすら言えます。

地域企業が、地域の学校へ金銭的援助をして、地域の子どもの育ちに貢献することは、地域活性化においても、地元に根差す企業運営にとっても、とても意味のあることです。
そして、企業を含む地域の活性化は、我が国全体の活性化にもつながります。

もちろん、地元企業には、多くの保護者も勤めている訳ですから、地域全体で、地域の子どもたちの教育・成長に関わるという観点からも、地元企業と地域の学校とのかかわりはとても大切です。
そのためにも、法整備が進むことを期待しています。






vol.76 「おせっかい」で丁度いい ~児童虐待を考える~

尊い犠牲の果てに
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大阪市西区のマンションで2人の幼児が母親に置き去りにされて死亡した虐待事件は発覚から1週間が過ぎた。悲劇を防げなかったことへの後悔や反省から、現場のマンション住人に、事件の遠因となった希薄な人間関係を問い直す動きが出始めた。「失われた小さな命を無駄にしたくない」。若者たちは互いに交流を呼びかけ、定期的に会合を開くことも考えている。(産経新聞)

7月30日に幼児二人の遺体がマンションで発見され母親が逮捕された事件で、マンションの住人たちが互いの人間関係の希薄さがこの事件の遠因になったと、新たに人間関係を作る活動を始めまたようです。

住人らは、ほとんどが20~30歳代の一人暮らしの若者だそうですが、子どもたちの尊い犠牲を無駄にしてはならないと立ち上がったのです。
もう二度と起きてはならない事件ですが、その事件から地域や住人の「人間関係の希薄さ」に気付き、住人の交流を深めようと立ち上がった若者たちの行動に頭が下がる思いがします。

彼らは、若いゆえに、事件の本質を見抜く目とあきらめない行動力があったのです。



「児童相談所の落ち度のせい」だけではない

以前にも、幼児虐待については記事を書きました。
幼児虐待事件が起きるたびに、繰り返し報道されることは、児童相談所の不手際や対応の遅さです。

児童虐待防止法が施行されて、児童相談所の役割が高まっていることは事実ですが、あまりにも多くの相談をひとりのケースワーカーが担当しなければならず悲鳴を挙げている現場を、私も教育行政に関わる身として現実に知っています。
児童相談所では、職員の専門性を高める研修や、実働的な動きができるような組織改編をするなど、努力を繰り返してますが、まだまだ社会で起きる喫緊の事態に対応しきれていません。

もちろん、国や地方自治体は、法律の不備改正や児童相談所の機能充実に努力を惜しんではなりませんが、幼児虐待事件が起きるたびに、国民が児童相談所や行政のせいだけにしていたのでは、解決しません。
それは、前vol.で書いたように、高齢者不明問題を行政の怠慢だけのせいにしても解決しないことと同じです。


「おせっかい」で丁度いい

今回のマンションの住人の若者たちは、他者や行政だけのせいにすることなく、自分たちが虐待事件を防ぐために行動を起こしているのです。

今の日本の社会に必要なのは、「おせっかい」です。
ちょっと「おせっかい」な位で、人間関係はちょうどなのです。

「ほっといてほしい」「プライバシーの侵害だ」と毛嫌いする人もいるでしょうが、かつての日本の社会は、『向こう三軒両隣』といって、近所とは家族同様のつきあいをしてきました。

戦後教育の中で、個性尊重や自己の権利やプライバシーなどが大声で叫ばれ、「他者の尊重」との美名のもと、人間関係を希薄化する思想ばかりが闊歩してきました。
家庭でも子供部屋が当たり前になり、子どもが携帯電話を所持して、親が子供の行動を把握できない時代になってしまいました。
「子どもの権利条約」なる偏向思想まで教育現場に取り入れられ、教育現場は混乱するばかりです。


もうそろそろ、そんな流れに別れを告げて、互いに関り合い認め合いながらも、「おせっかい」なくらいが丁度いいことを子どもに教えていかなければなりません。

それが、将来的に家族の絆や地域の絆へとつながり、豊かな日本社会を形作っていくのです。





vol.72 またも発覚!? 教職員組合の選挙活動

またも!? 教職員組合が特定政党候補者を支援!

先日行われた、参議院選挙のある選挙区において、同地の日教組地方組織である教職員組合が、特定候補者へ選挙協力(選挙活動)をしていた疑いが持たれています。

ある日教組OBの特定候補の演説会へ参加するように、各分会へ動員人数の割り当てをして、組合員に「動員」をかけたのです。
分会とは、組合の最末端組織で、学校ごとに組織されていて、分会長が校内の組合教職員をまとめて、組合活動に参加させるしくみです。

ですから、市内の公立小中学校へ参加動員をかけたのです。

 

公務員である公立学校教員は、選挙活動を禁止されていますし、教育公務員特例法や公職選挙法によって、その違反行為は明確に規定されています。

今回の行為が、これらの法律に接触するかどうかは、司法の判断ですから、コメントすることは控えますが、教職員組合が特定の候補者(政党)を支持し、教育現場(学校)に演説会への動員をかけるという行為は、教師としての倫理に反する行為と言えます。

 

今回の参院選に向けての演説会と言えば、7月初旬でしょうか。
この時期は、中学校であれば、授業と並行して、期末テストの作成、実施、採点、そして成績処理、通知表の作成、学期末面談…など、目が回るほど忙しい時期ですし、県中学総体も間近で、教師は、土日もなく部活動指導に当たっています。

仮に時間があったとしても、生徒指導や不登校生徒への家庭訪問など、やらなければならないことは山積しているのです。

教師としては、夏休みを控えて、睡眠時間を削って、職務に邁進している時期です。

 

教師として感想を言うなら、そんな多忙を極める時期に、選挙演説会への動員など冗談ではありません。

その貴重な時間を割くということは、目の前の子どもの成長に目を瞑る行為になりかねません。
そうならば、教師であることの否定にすらなってしまいます。

 


レッドカード教職員よ、即刻退場せよ!

国民からも再三に渡って非難されているにもかかわらず、彼らは、意図的に特定候補者を支持し、選挙活動をしています。

教育者として、公平中立な立場を尊重せず、自らの既得権益を守るため、政府や政党への影響力を強めつために選挙活動をするのです。

過去には、教職員が投票を促す電話作戦に参加したり、特定候補のポスターを職員室に掲示したり、選挙資金として組合員がカンパしたり、といった違法な選挙活動が横行しました。

今回は、まだ明確な違法行為が指摘されている訳ではありませんが、
このように違法行為を繰り返す教職員に、生徒の前に立つ教育者としての資格はありません。

遵法精神がない教員が、生徒に「ルールを守れ」とは言えないのです。


国民は、そんな教職員組合の姿勢に、憤慨し、公教育への信頼を損ねているのです。

国民の示すレッドカードに従って、候補者ともども、即刻退場するべきです。

 

vol. 68 琴光貴解雇と日本人の美徳

ヒステリックな反応

連日、相撲協会の賭博事件について報道が繰り返されています。
琴光貴、大嶽親方の解雇だけに留まらず、その他の関係親方、力士の謹慎処分、警視庁による強制捜査、NHKによる名古屋場所の中継中止決定など…。

それにつけても、世間のヒステリックな反応には、疑問が残ります。
世間は、こんなに厳しい処分を相撲協会や力士たちに求めていたのでしょうか?

力士であれ、そうでなかれ、野球賭博という犯罪に手を染めたことは許されることではありません。
まして、その資金が暴力団関係者に渡っているとすれば、真実は究明されるべきですし、二度と同じ過ちが起きないように、角界に厳しい反省を求める気持ちは、分かります。
相撲を愛すればこその、厳しさもあると思います。
しかし、私は、このヒステリックさにこの国の落日の日を感じずにはいられないのです。


窮鳥懐に入らずんば、猟師もこれを打たず

かつての日本人には、おおらかな「寛容さ」がありました。
時代劇でも、「罪を憎んで、人を憎まず」というセリフが流行ったように、誰に対しても寛容さがありましたし(許せる範囲と言うものはあるでしょうが…)、他者を思いやる優しさがあったはずです。

武士道においては、仁は、「武士の情け」として重要視され、自己には厳しくあっても、他人に対しては寛容さと慈愛を大切にしました。
「窮鳥懐に入らずんば、猟師もこれを打たず」の精神です。
武士道の基本を形作った四書五経の中で、孔子は、「愛、寛容、他者への同情、憐憫の情」を至高の徳としています。

日露戦争で、乃木将軍が敗軍の将ステッセルに、帯剣を許して会見をしたことは、世界の人々を驚愕させましたし、その後も敗軍の将として祖国ロシアでつらい生活を送った彼を、物心ともに支援した乃木将軍の偉大なる寛容さは、世界に誇るべき日本人の美徳だったのです。
現代の敗軍の将と言える琴光貴らに、これだけの寛容さを示せる日本人はどれ程いるのでしょうか?

それが、今回の報道では、マスコミや低俗な日本文化を解さないコメンテーターが、バッサバッサと相撲協会や力士らを断罪して、切り捨て、それに踊らされるように国民が一緒になって彼らを糾弾しているように見えます。
そこに、日本人としての美徳などありはしません。


私たちが乃木将軍たらん

そもそも、マスコミに他者を糾弾する資格などないでしょう?
自浄能力がないと相撲協会を糾弾しますが、マスコミ各社にこそ、そんな力などありません。
話題性にだけ便乗して、他者を辱めて、視聴率を稼ぎたいだけの商売勘定のみが見え隠れしています。

琴光貴、大嶽親方は、賭博に手を染めましたが、生まれてこの方一度も、賭博行為をしたことがない日本人がどれ程いるのでしょうか?(法律では、1円でも現金を賭けると賭博罪になります)
誰もが、自分のことを棚にあげて、非難していないでしょうか?

もし、暴力団関係者に資金が流れていたことが問題ならば、琴光貴らも、暴力団にカモられた被害者であるとの見方もできるはずです。
本当に社会が憎むべきは、庶民の些細な賭博への欲求を、商品化、多額化して、違法な収入を挙げている組織です。

私は、マスコミに踊らされず、自分の頭で考えて、日本人の心を取り戻して、今回の事件を見てみたいと思うのです。
彼の解雇を作りだしたのは、国民の代弁者のふりをするマスコミです。
私は琴光貴の解雇など求めていませんし、彼にもう一度、幕下からでも「やり直す」機会を与える寛容さを日本人は持ち備えていることを、主張したいと思うのです。

反省した琴光貴が、快進撃で、久しぶりの日本人横綱になる姿など、本当に夢があるではありませんか。
その夢に、ドキドキしたいと思うのです。

寛容さを失った社会では、豊かな生活、豊かな心は育たないのですから。
今、琴光貴を救えるのは、乃木将軍たろうとする日本人としての気概と美徳を備えた国民の声だと思うのです。

vol.66 地方分権が、地域格差を生む!?  ~教育に地方分権は必要か~

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地域の格差 就学援助にも

文部科学省は、平成21 年度の就学援助に関する調査結果を公表しました。

就学援助制度とは、生活に困窮し健全な家庭環境の中で子供を養育することが困難な要保護者と、それに準じる準要保護者に対し、市町村が学用品費や通学費、給食費等を支援する制度のことです。

要保護者の援助には国が費用の2分の1を補助し、準要保護者には各市町村が地方交付税措置を受けて独自に取り組んでいます。

今回の文部科学省の実態調査は、平成21 年11 月に市区町村教育委員会と事務組合の1,818 教育委員会を対象に実施したものです。
平成21 年度における準要保護の基準の変更状況については、次のような結果が見られました。

● 準要保護の認定基準を緩和したのは、36 団体。
 そのうち、9 団体が援助額も増額した。
● 準要保護の認定基準を厳しくしたのは、26 団体。
 そのうち、5団体が援助額も減額とした。
(出典:「就学援助に関する調査結果について」文部科学省児童生徒課)


格差の被害者は、子どもたち

これを見ると、各市町村が独自に認定基準を緩和したり、逆に厳しくしたりしているのが分かります。
各地域の財政状況は、まちまちですから、いたしかたないというところでしょう。
しかし、これが何を意味するかと言うと、保護者の収入が同じでも、住んでいる地域によって援助がもらえたり、もらえなかったりしたり、もらえたとしてもその額に差があるということです。

義務教育は、国が国民に公平・公正に保障すべきですが、この状況を見ると、地域によって格差が生まれていることが予想されます。
地域によって格差が生まれると、どこの地域に生まれたかによって、子どもたち自身が直接弊害を被るのです。

家庭の収入によって、子どもの学力に格差が生じていることは以前から指摘されていますが、地域によっても、格差が生じているとしたらこれを看過することはできません。


地方分権は本当にこの国を良くするのか

目前に迫った参院選でも、地域主権、地方分権などがクローズアップされ、地方が国の制約を受けないことが、この日本を良くするかのように言われています。
しかし、この準要保護の一点を見ても、国の制約や関与が無くなるということは、地域格差を拡げるリスクがあることを、もっと真剣に議論するべきです。

地方分権の全てがダメだというのではありません。
何を地方に任せて、国は何に責任を持つのか、その議論を除いて、「地方分権」が金科玉条の如く扱われるのは、とても危険です。

少なくとも、この準要保護のように、子どもが犠牲になるような地域格差には、国としてきちんとした手当をするべきですし、教育には国が責任を持つべきです。

参院選が迫っています。
候補者には、地方への利益誘導ばかりではなく、国家や国民全体の幸福を意識して、地方分権を語ってほしいと願います。


vol.62 ソフトバンクCMは日本家庭の崩壊を狙っている!?

白戸家の人々

ab5db658fbff3fe2CM総合研究所発表のデータでは、
『昨年度にオンエアされた全1971社の中で、CM-Branding評価・No.1企業に輝いたのは、ソフトバンクモバイルとなった。』そうです。
ソフトバンクのCMと言えば、白い犬をお父さんにした「白戸家」シリーズが有名です。
白戸家は、父親が犬で、兄が黒人、母と妹、祖母が日本人という奇天烈な家族構成ですが、この家族構成が人気だと言います。


犬とは蔑視の代名詞

近年のペットブームで、「ペットも家族の一員である」と思う人が増加しているとは言え、犬と言えば、世界共通で蔑視の際の代名詞として使われます。
日本でも、「〇〇の犬」と言えば、命令には従順だが、自ら考えることのできない単細胞のことを表す言葉です。
イスラムの世界では、「犬よばわり」することは、何よりも最大の侮辱とされています。
昨年には、米国のコメディー映画の中で、エジプトの故サダト大統領(イスラエル和平の功績でノーベル平和賞を受賞)にちなんだ「アンワル・サダト」と名付けられた犬が登場することに、サダト大統領の娘ロカヤさんが「侮辱だ」と激怒して、エジプトで訴訟ざたにすらなりました。


パロディーは、その対象に権威があってこそ

日本では、犬を父親に模したCMが高感度が良いというのですから、驚きです。

このCMには、明らかに、男性を貶めて、かつ父親の権威を揺るがし、家庭崩壊を企む意図が見えているようです。
ちなみに、お父さんの職業は、中学校教師だそうですが、その学校の校長先生は、母親で、学校でも、家庭でも頭が上がらないのです。
この設定にも、フェミニズムに毒された黒い意図があると思えてなりません。

家庭の中の父親の存在がゆるぎない時代であれば、パロディーとして面白いという感覚は分かります。
しかし、戦後の家庭での父親の存在や威厳は、明らかに低下していますし、その影響で日本の家庭が崩壊している現状は、以前にも書きました。
その結果、子どもが育つ環境が、悪化しているのです。

パロディーで、父親を犬と表現して笑いが起こるほど、日本の父親の威厳は確固たるものではありません。
むしろ、このようなCMを見た子どもたちが、まだ僅かに残る父親への畏敬の念を失墜させる危険性があるのではないかと、教育者としては懸念するのです。

マスコミが画策する「家庭崩壊」

こうやって、意図するかどうかに関わらず、マスコミは、戦後の日本の家庭を壊してきました。
家庭の崩壊は、子どもの安住の地の崩壊を意味しますし、学びの場の崩壊に繋がってしまい、成長の場を阻害されることになります。
表現の自由が担保されている日本社会ですが、家庭や社会秩序に反するような表現を、何でも垂れ流してよいと言う訳ではありません。
まずは、こういった表現に
親として、大人として、「No!」の意思を明確に示しましょう。
大切なものを守るには、時として闘う意思も必要なのです。

vol.59 相撲と武士道 ~琴光貴の野球賭博問題~

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大相撲の大関琴光喜関(34)らが野球賭博をしていた問題で、日本相撲協会は15日午後、東京・両国国技館で臨時理事会を開き、琴光喜関の師匠、佐渡ケ嶽親方(元関脇琴ノ若)が出席、琴光喜関の謹慎を申し出て了承された。7月の名古屋場所は休場する。(時事通信)

琴光貴の野球賭博関与が発覚し、相次ぐ相撲協会がらみの不祥事に国民はあきれるばかりです。

そもそも日本相撲の歴史は神話の時代に遡るほど古く、「古事記」の中で、建御名方神(たけみなかたのかみ)と建御雷神(たけみかづちのかみ)が出雲の国をかけた力くらべをして、建御雷神が勝ったという記述が起源とされています。
その後、豊作を願う神事として発展した相撲は、たびたび天覧相撲などの形で、古より皇室との関係も深いものでした。
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戦国時代になると、武術のひとつとして武士に奨励され、力士が武士(もののふ)とされた由縁がここにあります。
江戸時代に入り、寺社への寄付を目的とした勧進相撲が盛んになり、庶民の娯楽としての相撲の原型が形作られましたが、有名力士は、大名お抱えとなって、藩士の資格や俸禄を与えられました。
幕末には、ペリー来航に際して、力士らは、攘夷への協力を番所に申し出たり、翌年のペリー再来日の際には、米国へ贈られた米200俵を江戸相撲の力士たちが軽々と運び、米軍人を驚嘆させたりもしました。
高杉晋作が率いた奇兵隊とともに闘い、国事に奔走した諸隊の中に「力士隊」がいたことは有名です。


このような歴史を見てみると、その流れをくむ現代の相撲協会所属の力士たちは、現代に生きる武士(もののふ)そのものです。
ですから、力士たちは、今も髷を結い、着物を着ていますし、弓取り式や土俵入りの太刀持ちなど、伝統的な文化を色濃く残しています。

12d56そして、十両に昇進すれば、関取と呼ばれ、大銀杏の髷が結え、紋つきの羽織袴が着れたり、白足袋や雪駄が履ける(それまでは、丁髷、着物、黒足袋、下駄など)など、待遇面でも実力次第の階級社会です。
困難に打ち勝つ強い精神を形作るには必要な、保守色の強い実力社会です。
その中で、若者たちは、明日の横綱を夢見て日夜稽古に精進するのです。

しかし、大学相撲出身者と外国人力士の増加などにより、宗教的思想と長い歴史で培われた伝統的な武道というよりも、一般スポーツ競技の一種としか捉えていない力士が多くなったことが指摘されています。

また、近年の相次ぐ不祥事からか、力士になりたいと思う少年が次第に減少し、平成19年(2007年)の名古屋場所では新弟子検査の受検者は0人になってしまいました。

そんな中での、大関琴光貴の野球賭博発覚でした。
大関一人を責めても仕方ありませんが、こういう体質が相撲協会の中に連綿とあったということでしょう。

今、相撲協会の在り方が問われていますが、もう一度「日本文化としての相撲」を見つめ返す時期がきているのではないでしょうか。
「勝てばいい」という勝利至上主義や、「儲かればいい」という拝金主義は外来のプロスポーツ思想です。
日本文化としての相撲道では、かつて新渡戸稲造が世界へ紹介して絶賛された、世界に誇る「武士道」を具現化することが必要です。

そのためには、日本武士がそうであったように、文武両道が本道ですし、高い道徳心と力士としての高い矜持(プライド)が求められます。
そのためには、力士への「日本の伝統・文化の教育」と「心の教育」が肝要です。
そして、その両者をつなげるのが「武士道教育」です。

そういう意味では、今日の学校教育が抱える問題と、相撲協会が抱える問題は、「力士」育成と「日本人」育成の違いはあっても、根幹は同じだと言えます。
学校や家庭で、「日本人として育てられた子ども」が、始めて「真の力士」と成りえるのかも知れません。

これからも、学校教育で、世界に誇れる「日本人」を育てながら、
世界に誇れる「力士」(武士:もののふ)であれと、相撲協会の若者たちも応援していきたいと思います。

vol.51 「子育て」から見る徳之島(米軍移転)問題

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米軍基地移転 に参加中!

pla0041-033_m普天間基地移転問題が混迷したまま、首相が決めた5月末の期限が刻々とせまり、虚しく日が過ぎています。

そんな情勢の中、沖縄の市議らが徳之島を訪問して直接交渉を試みましたが、徳之島では面会拒否など、交渉のテーブルにすら着いてもらえなかった様子がTVで報道されていました。

生活を脅かす米軍基地は、面会拒否されようとも訪問するほど、それだけ沖縄の住民にとって切実な問題なのです。
それなのに、新たな問題を提起したことは評価されても、それを期限が迫るまで無作為に放置してきたとしか言えない首相の無責任さに心を痛めます。

ところで、海兵隊の訓練一部移転の候補地と言われている徳之島の3つの町は、本年1月に発表された出生率で、全国ベスト3を独占しました。
トップの伊仙町の出生率は実に2.4。
天城町・徳之島町も2.1を超え、深刻な少子化問題が進む日本全体の合計特殊出生率1.31の2倍に迫るこの数値が示すように、まさに徳之島は「子宝の島」です。
そういう意味では、徳之島は日本の宝です。

決して経済的に恵まれていないはずの徳之島が、高い出生率を誇るには様々な要因があるのでしょうが、その一番の要因は、地域による「子育て力」だと聞きます。
子どもが生まれると、地域を挙げて子育てを手伝うのだそうです。


地域の子育て力の低下が叫ばれて、随分と時が立ちました。
しかし、未だ子育てをする親の孤立化が進み、児童虐待などの悲惨な事件が後を絶ちません。
個性尊重を重視した戦後教育は、利己主義を増長させて、確実に我が国のコミュニティーを破壊しています。
そして、それは「無関心」という恐ろしい形で、子育ての現場をも確実に侵食しています。

kid0072-022_mそうと知ってか、知らずか、政府は、子育てのコミュニティーが日本で最も色濃く残されており、在りし日の日本の子育てを守ってきた徳之島を移転先にと考えているようです。
出生率の高い徳之島は、ある意味で日本の子どもたちの楽園です。
そして、伝統的な日本の子育てのモデルとなる大切な地域です。

大人たちに、子どもの楽園を守ることの大切さに気付いてほしいと思います。
もちろん安全保障は我が国の重要問題ですし、沖縄の負担軽減も大切ですが、わたしたちが保守すべきは、地域ぐるみの日本の在りし日の子育ての姿です。

国家に保守すべき理念が無ければ、沖縄の負担軽減策が、しいては我が国の子育て力の低下へとつながり、我が国の落日の姿への加速装置になってしまうのではないかと危惧します。

vol.47 家族崩壊を食い止めろ!

kid0076-009_m日本中で家族を巡る様々な事件が起きています。
児童虐待など、親による子殺しがあるかと思えば、子どもによる親殺しやDVに、夫婦間での殺傷事件…と、連日報道されるその凄惨な事件に心を痛めます。

私の教員経験では、問題を抱える子どもたちは、多かれ少なかれ家族間での何らかのトラブルを抱えています。生徒の健全育成を願う教師にとって、家族関係の希薄さは切実な問題です。


家族精神医学者の小比木啓吾氏は、家族を次のように類型化しています。(『家族のない家庭の時代』ちくま文庫 )。
◎コンテナ家族 : 容量が大きく、社会のストレス、不満を持ち帰っても、それを受容し癒してくれるような家族。
◎ホテル家族 : みんながそれぞれにお客のつもりで、サービスされることだけを求め、他人のために汗を流そうとしない家族。

この類型で見ると、夫婦間や親子間で「してもらうのが当たりまえ」と考えているホテル家族が年々増えているように思います。
ですから、思い通りのサービスでないと相手を攻撃して、凄惨な事件が多発するのでしょう。


ところで、『フェミニズム事典』(明石書店)では、
「家族は、家父長制と女性に対する抑圧を存続させる主要な制度である」と定義しています。

フェミニズムとは結果の男女同権(平等)を是とする考え方で、西洋から日本に持ち込まれた思想ですが、「女性の家庭からの解放」という産物とともに、今日の家庭の崩壊を生む原因となりました。

終戦後、民法改正によって廃止された家父長制とは、法律で必然的に家族(一族)のリーダーを明確にするものでした。
この制度が廃止されたのは、もちろんGHQによる日本の家庭崩壊が目論まれてのことでした。

「リーダーが明確」であることは、円滑な家庭生活や家族の一体感を保つためには必要なことです。
しかし、戦後はそれが疎かにされて、家族それぞれが対等(平等)で、各々の考えで身勝手に生活している家族が増え続けています。
そして、夫婦ばかりか親子まで、家族全員が同権(結果的平等)で、親子間の区別さえつかない家族も増えています。

家庭訪問や学校での三者(教師、保護者、生徒)面談中でさえ、
親に対して、「お前!」や「〇〇〇!」と呼び捨てたり、悪態をつく生徒たちの様子を見ると、かつての美しい家族の在り方の崩壊を感じずにはいられません。

また、戦後の学校教育には、「資本主義が女性を抑圧している…」と資本主義からの解放を目指した「マルクス主義フェミニズム」が、「人権教育」の仮面を被ったまま日教組によって混入されました。
これらのことで、父親と母親の役割は曖昧になり、家族のリーダーが不在になったばかりか、「女性が家庭を守る」という伝統的家族観が否定され、経済的発展とは裏腹に日本の家族制度は崩壊し、家族関係が希薄化てきたのです。

kid0075-009_m家庭は、地域社会だけでなく、国家の礎となる最小単位の集合体組織です。その組織が破壊され、家族がバラバラで浮遊したままでは、我が国の発展も、子どもの健全育成もありはしません。

そして、家庭(親)は、子どもの教育の第一義の責任者です。
そのことを考えると、偏った思想を排除して、日本の家庭の在り方や家族との絆を問い直す作業は、子どもの健全育成とともに、日本の輝かしい未来的発展に向けて、避けて通れない作業です。

家庭の再生や家族の絆の再生こそが、真の教育の再生であり、日本再生の道なのです。



vol.45 少子化を解決する保守思想

kid0051-004_m今日は子どもの日です。
祝日法では「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」ことを趣旨としています。

ところで、15歳未満の子どもの数(平成21年4月1日現在)が、1694万人(昨年より19万人減少)との報道がありました。
昭和57年から29年連続で減少しているそうです。

少子化が社会問題となって久しいですが、一向に少子化問題が解決しないのはどうしてでしょうか。
私が勤務する中学校でも、ここ20年余りで学級数が半減しています。
政府も子供手当や保育所の増設など、様々な手を打っているようですが決定的な解決の糸口は見えてきません。

少子化問題の背景は、子育て問題です。
しかし、それは親の経済的不安や保育所などの保育施設の不足などとは、無関係な問題です。
施設不足などをハード面の問題点とすれば、むしろ少子化問題の核心はソフト面(国民の子育て意識)にあるように思えます。

vol.43 「幼児虐待の犯人を暴く」で書いたように、戦後教育では個性尊重ばかりが重視され、我儘が助長される教育がなされてきましたから、本来の親が持つ、子どもへの「自己犠牲」の精神が宿ることはありません。
自分の将来設計を考えたとき、子どもの数が増えるほどに、経済面や自分の時間が制限される面など、「自己犠牲」が伴うことを受け入れられません。
受け入れられないばかりか、子育てが自分の個性を奪うとさえ考えてしまいます。

学校教育では、「父親が外で働き、母親が子どもを育てる」という、かつての家族制度が否定され、共働きを推奨するようにジェンダーフリーや男女同権など外来思想が闊歩していますし、家庭や夫・子どもは、女性の自己実現を妨げる障壁で、女性を家庭に縛りつけるだけの伝統的家庭の在り方は打破すべきであるというようなフェミニズム的要素の強い教育が進歩的だとされてきました。
ですから、子育ての主役であるはずの母親の子育てへの喜びが高まりません。
これでは、いくらハード面を整備したところで出生率が改善するはずはないのです。

経済面を考えてもそうです。
かつての日本の家庭は非常に貧しいものでした。
しかし、貧しいながらも子だくさんで、世代を越えた大家族での生活は楽ではありませんでしたが、決して不幸ではありませんでした。
子育てに、経済的不安が付きまとうのは、今も昔も当然でしょう。
貧しかったからこそ親は子どもの為に必死になって働き、今の豊かな日本があることも事実ですから、経済的不安さえ解消すれば少子化に歯止めがかかるという考え方は浅はか過ぎます。

少子化問題の解決には、ソフト面へのアプローチが避けられません。
そのキーワードは、やはり「保守思想」です。
日本の家族が長年受け継いできた伝統的な家族の在り方や、子育て観、幸福感の見直しこそが必要です。

現在のフェミニズムに偏った女性観や家族観、結婚観は、左傾化した戦後教育の産物です。

そして、その産物の奥深いところには、「国家解体」「反日」の思想が脈々と流れています。
その思想から日本人女性が目覚め、子育てが女性の幸せであるということを再認識しない限り、少子化問題が解決することはありません。

戦後の学校教育は、少子化問題まで悪化させていることを忘れてはならないのです。
 

vol.23 核密約に見る日本の姿

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 世の中では、米国との核密約が暴かれ騒がれています。
核三原則(持たず、つくらず、持ち込ませず)の是非は別として、安全保障に関わる重大事項で国民を騙し続けてきた日本の姿に、現在の日本の凋落がつながって見えてなりません。

 当時の与党がどうとか、政府の姿勢がどうとか言うつもりはありませんし、この問題を、旧政権攻撃の道具にするような人たちには組みできません。

 苦渋の決断にはいたしかたない理由もあったでしょうし、その決断そのものを現在のわたしたちがとやかく言う必要はありません。 
 ただ、日本人として思うのは、最も重要な国家の安全保障においてさえ、米国の機嫌を取って、政府が国民を騙すという姑息な手法でしか我が国を守る術が無かったことに心を痛めるのです。

 しかし、そもそもその姑息さが、今日の日本の混迷の原因でしょうし、教育の混乱にもつながっている気がします。

 わたしたち日本人の歴史は、独立存続の闘いの歴史でもありました。聖徳太子が中華思想からの脱却を志したときから、我が国は世界で独り歩きを始めましたが、二度に渡る元寇や幕末からの列強諸国との軋轢、先の米国との戦争など、先人たちは智慧を絞り、勇気を振り絞って我が国の独立存続のために努力してきました。

 しかし、戦後は米国の保護国となり、サンフランシスコ条約で独立を果たしても、その実態は保護国のままの様ですし、安全保障のみならず精神的に米国に依存している現状では、真の独立国とは言えません。
 
 教育も、米国から真の独立を果たしているとは言えません。未だGHQ主導でつくられた日教組が日本の教育界で力を持っていることを考えても分かりますし、戦後に奪われた修身や教育勅語などは未だ持って再評価すらされず、藩校や寺子屋にまで遡るはずの日本の教育の歴史は断絶したままです。 
 近年、やっとGHQ主導でつくられた教育基本法が改正されて、僅かに好転したとも言えますが、「愛国心」という言葉さえ使えずにつくられた教育基本法は、まだまだ米国の呪縛から解き放たれたとは言えません。

 今、教育で大切なことは、真の日本人を育てることです。真の日本人とは、我が国の歴史を深く理解して、伝統文化を受け継ぐ日本人です。そして、その真髄は、先人から受け継いだ日本の独立(精神的にであれ)を未来永劫守りぬく覚悟と叡智を育てることです。その覚悟と叡智に満ちてこそ、国際人として世界をリードできる人材を育てることになるのです。
 
 

 

vol.20 学習院初等科に見る日本教育の凋落

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 愛子内親王さまが学校をお休みになっていることが話題になっています。そもそも、このようなプライベートなことを、いかに開かれた皇室であるとは言え、突然公表する宮内省に憤慨しているのはわたしだけでは無いでしょう。

 さて、このきっかけとなったのが、数名の男子児童による乱暴な行為であるらしいのですが、くれぐれも犯人(児童だけでなく家庭も含めて)探しにならないことを心から祈っています。

 この問題の犯人は、ここまで堕落してしまった日本の教育界です。
 「学習院大学 初等科」と言えば、江戸幕末期に遡る歴史を持ち、かつては公家子弟の教育に当たり、昨今は大正天皇、昭和天皇、今上天皇、皇太子殿下などが通われた現近代の皇室を支えてきた学び舎です。きっと学校としても、その自負と誇りもあることでしょう。

 そんな中、今回の男子児童たちは、授業中に学習と関係ない縄跳びを回したり、(小さな)物を投げたりしていたそうです。日本の教育の陰りを見るがごとし…とはこのことです。

「学習院よ。お前もか…」
これが、多くの学校関係者の正直な感想ではないでしょうか。

 現実的には、日本中の学校でこのようなことは日常茶飯事です。小学校入学当初の低学年が学級崩壊を起こしている事例はいくらでもあるでしょうし、わたしの勤める中学校では、もっと事態は深刻です。

 日本中の学校(公立を含め私立までも)がそうなってしまった背景は、過剰な「子ども中心主義」です。
 日本中の学校で、「個性尊重」などと美辞麗句を並びたて、
性善説(子どもは生まれながらにして善者であり、社会生活によって悪者に成るという考え方)に立ったような、「子どもは天使論」が闊歩しています。

 実際に子どもを育てた経験のある大人なら、
子どもは、「教育を施さないと人間性を失い、我が儘放題で、動物的に育ってしまう」ことくらい知っています。
 子どもが天使のはずはなく、教育が行き届かないと悪魔にすらなってしまうことは、多くの大人は直感的に分かります。

 なのに、教育界では、
「子どもの言うことを聞いてやり、ある程度自由を尊重することが、個性を伸ばして成長を促す」かのような、デタラメがまかり通るのです。

 以前にも書きましたが、教育とは「強制」であり、「矯正」でもあります。特に、人間としての基礎を培う義務教育では、「ダメなものはダメ」という常識を身につけさせなければなりませんし、その為には厳しい態度で毅然と指導することが不可欠です。
 
 茶道の世界では、弟子教育の真髄を「守破離(しゅはり)」と表現するとそうです。まずは、師匠の教えをしっかりと「守り」、基礎ができれば師匠の教えを「破り」、最後に師匠の教えから「離れる」ことで、茶道家として大成するのだそうです。その基本は、何よりも「守」です。

 このように、かつての日本人は教育の何たるかを、その歴史や文化の中で身につけていました。まずは、人間としての基礎をつくること、「守」が大切であることを十分に知っていたのです。
 しかし翻って現代の教育者は、それらを野蛮な教育であると断罪し、左翼思想に冒された「人権主義」を標榜し、子どもに迎合する道を選び歩んできました。

 それが、今日の教育の崩壊を招いたことは明白でしょう。

 今回の愛子内親王さまの問題は、特別な問題ではなく、その男児たちを十分に指導できなかった教師の問題ですし、その原因を作った教育界全体にあります。
 わたしも、教育者として猛省しなければなりません。

 もう一度、教育の原点に立ち返り、「ダメなものはダメである。」と厳しい姿勢で真っ当な指導をすることが、本当の優しさであり、教育であることを日本人が取り戻す必要があるのです。

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vol.10 教員の目から見た夫婦別姓反対!

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 与党から「夫婦別姓法案」が提出されようとしています。教員は、政治的発言を控えるべきであると思いますが、この問題については看過できません。学校現場にいる教員として、この法案に感じている「危険性」について書いてみます。

 平成19年の人口動態統計によると、離婚件数は、1年間で約25万5000件。そのうち未成年者のいる割合は57%。約24万5000人以上の子どもが親の離婚に巻き込まれている現状があります。学校でも、母子家庭、父子家庭の比率は上昇し続けているのが現実です。

 そんな中、今回の法案が通れば、益々、離婚家庭が増加するのではないかと危惧しています。選択制で同姓も認められるようですが、別姓を選択した場合、離婚によって姓が変わることがなくなり、離婚へのハードルが低くなります。
 また、現実的に別姓夫婦が定着してくれば、同姓を名乗らなくても夫婦なのですから、そもそも結婚する必要もありません。となれば、シングルマザーが増加し、婚外子が増える可能性も高くなります。

 子どもたちのことを考えると心が痛みます。やはり健全に子どもが育っていくには、両親が揃っていることが大切です。それも、家族が同姓で、一体感を持って生活していることに大きな意味があります。そういった両親の愛情や家族の一体感を感じて、子どもの精神は安定しますし、心も健全に成長するのです。まして、それは長年日本人が守ってきた家族の在り方でもあります。

 決して、母子家庭、父子家庭の子どもたちだけが問題が多いとは思いませんが、寂しい思いをしているのは事実ですし、何らかの問題に発展するきっかけや原因になってしまうことがあるのも、また事実です。

 将来の日本や世界を背負って立つ子どもたちが、両親の豊かな愛情に包まれながら、すくすくと育っていけるためにも、どうか、軽々な議論で決めてしまうようなことが無いことを、政府・与党に期待しています。

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