国民教育のススメ ~教育正常化の風~

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学力問題

vol.82 「学び」を忘れた日本人 ~学力向上の鍵は日本の文化にある~

学びを忘れた日本人


今から
10年程前、「分数ができない大学生」(岡部恒治・戸瀬信之・西村和雄編 東洋経済新報社 平成116月)という本が出版されて、学力低下が大学生にまで及んでいる現状が話題になりました。


その原因は多様ですが、分数は小学生で習い始めることを考えると公教育の質の低下が関係していることは明白です。
その公教育で、子どもへの「教え」を「支援」へとすり替え、ミスリードしてきたのが日教組の「ゆとり教育」です。

「教育の主体は子どもであり、その学びの主体である子どもを教えるのではなく、支援する」のが教育であるという思想です。
ですから、基礎基本の徹底の為の繰り返し教育を「教え込み、詰め込み主義」「偏差値偏向教育」と非難してきました。
そして、「子ども自身が自ら学ぶ」ことに過度な重点が置かれ、教科指導の内容軽減(例 円周率を3とする など)を進めて、大人による「技能や価値観の押しつけ」が極端に避けられてきたのです。

教育の主体が子どもであることに異存はありませんが、しかし、そこには決定的に日本人にとっての「学び」とは何か?、本当の「学び」は何か?という視点が欠落しています。

そのような風潮の中で、日本人は「学び」を忘れてしまったと言えるでしょう。

「学びの忘却」こそが、学力低下の主因なのです。 

 

伝統に息づく日本人の「学び」


かつての日本文化は、悠久の歴史のなか紡いできた「学び」の姿を明確に持っていました。

「守・破・離」という言葉があります。

これは、茶道の大成者「千利休」が茶道の心得を説いた言葉です。(提唱者については諸説あるようです)
「守」とは、基礎基本の法を徹底的に型として身につけることです。頭ではなく、身体がその動きを完全に覚えるまで、徹底して法を繰り返して身につけるのです。
「破」とは、繰り返すことで自然とできるようになった師匠から受け継いだ技を磨き、それに工夫改善を加えることです。ときには、他流の教えを学んだりもします。
そして、「離」とは、師匠の型を離れ、独自の世界観を新たにつくりだすまで、技や心を昇華させることです。
ここへ至って始めて、「学び」は完結し、文化の伝承から、新たな文化の創造へと大きく発展するのです。

この「守破離」の考え方は、武道の多くにもつながっています。
捉え方は少し違っても、現代につながる剣道連盟居合道などでも重要視されている「教え」です。

 

これは、まさしく日本人の「学び」の基本形です。

基礎基本が身に着くまでは、徹底した繰り返しが重要で、身体が覚えるまで繰り返すことが、次の段階への大切なステップになるのです。
この基礎基本ができずに、自己流で学んだのでは、やがて行き詰まり、破や離の境地へ到達することはできませんし、大成することがないのです。
そのことを日本人は経験則として知っていましたし、その「教え」そのものを文化としてつないできたのです。

 

「支援」は教育のネグレクト

小学生や中学生は、まさにこの「守」の段階です。
基礎基本を徹底しなければならないときに、「教え」を避けて「支援」に堕してしまい、繰り返しや詰め込みを否定することは、むしろ子どもの可能性を狭めてしまい、子どもの将来の成長へ禍根を残すことになります。

「守」の段階は、自由が認められない人にとって辛い時期と見ることもできるでしょう。
しかし、この時期を経ないと本当の学問の「自由」は手に入れられないのです。
まさに、大学生になっても分数ができないという状態は、学問の「不自由」を強いているのであって、「教育のネグレクト(養育放棄状態)」と言わざるをえません。

極端に言えば、子どもへの虐待行為なのです。

基礎基本を徹底するべき「守」の段階では、その子どもの将来の成長のために、繰り返して詰め込んで、しっかりと「教え込む」ことが一番の課題です。
その段階で、「自ら学ぶ」ことを過度に求めて、「守」のない者に「破」を越えて「離」を求めるごとき教育は、この国の教育を根っこから腐らせることになりかねません。


今やっと、「ゆとり教育」の是正が始まろうとしています。

来年度からは小学校で、再来年度からは中学校で、「脱ゆとり教育」と言われている新学習指導要領が始まります。
私たち教師は、教育者として「学び」の姿を見つめなおす必要があるのです。

vol.39生徒の学習意欲の低さを問う

<調査>「授業中に居眠り」、日本の高校生が45%で最多、中国はわずか4.7%―中国紙#Record China# - livedoor ニュース

 新学期が始まり、連日バタバタと時間が過ぎています。なかなかブログが更新できませんが、今日は久しぶりの更新です。

 さて、日本・韓国・中国・米国での高校生の意識調査結果が公表されました。
その中で、やはりと言うべきか日本の子どもたちの学習意欲の低さが明白になりました。

 「授業中に居眠りをしている」と答えた日本の生徒は45%もいたそうです。
それに引き換え、中国の高校生はわずか4.7%だとか。この差はいったいどこにあるのか、教育者の一人として深慮せざるを得ません。

 今までにも書いてきましたが、日本の生徒の学力低下の原因は、学習意欲の低さです。
学ぶことに目的を持てず、「みんなが行っているから」「高校くらいは出ておかないと、仕事も無いし…」といった安易な気持ちで高校進学している姿が目に浮かびます。
 実際に中学生の進路指導をしていても、「高校くらいは出ておけと親が言うので…」といった生徒がいるのも事実です。そして、経済状況が好転しないばかりか、益々悪化する地方にあっては、「高校くらいは出ておかないと、仕事がない」というのも厳然たる事実ですし、高校・大学を出ても就職氷河期である事実は、子どもたちの夢を奪っています。

 ところで、いつのころから、わたしたち日本人は「大志」を抱かなくなったのでしょう。
経済状況が好転しないならば、日本経済を背負ってたつ気概を持って勉学に励まないのはなぜでしょう。
 あの混乱した幕末期に「この国をもう一度洗濯し申し候」と大志を立てて活躍した坂本龍馬の如く、
明治期に活躍した「坂の上の雲」の秋山兄弟の如く、
かつてはこの国を変革し、支える気概を持って生き、世界に類をみない勤勉さで懸命に勉学に励んでいた日本人がたくさんいたはずです。そして、それは決して英雄豪傑の類だけではなく、庶民の中にもそういった日本人は溢れていたはずです。
 
 それが、いつの間にか現状に不服を言い、不満を募らせるばかりで、
政府や役人など他人のせいにして、結局は現状に安穏と胡坐をかいて座っているだけの日本人がいかに多くなったことか。「○○手当」に期待して、国に生活を守ってもらうことしか考えず、国の将来を考えない日本人がいかに増加したか。

 これでは、子どもたちに夢を語ることができません。
夢を語られることなく、夢を持てない子どもたちに、「大志」を抱くことはできず、「志」を立てられない子どもたちに学習意欲が高まるはずはないのです。

 大言壮語でもいい、嘘になってもいいのです。大人が子どもに夢を語ることが大切です。
「わたしは、この国をどう背負っていくのか、どうしていきたいのか」大人が語るのです。
そして、「君にもこの国を背負っていける人材になってほしい」と熱く語るのです。
その為には、一人ひとりの大人が国からの保障ばかりに依存することなく、経済的にだけでなく、精神的に自立することが必要なのです。

 自分がうまくいなかいことを、社会や他人のせいばかりにして、自立できない大人たちが、生徒の学習意欲を削いでいると言っても過言ではないのです。
 大人が大人らしくありましょう。少し苦しくても、一人ひとりが胸を張ってこの国を守る気概を持って生きるしか、この国を、そしてこの国の子どもたちを救う術はありません。



vol.30 保守思想が学力をつける②

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 保守思想が学力をつけることについては、以前書きました。
今日の「学力低下問題」は、実は「学習意欲の低下」がもたらしています。

 中学校現場にいると、高校進学をあきらめてしまい「勉強なんてする必要ない」と開き直って、授業に参加せずに校内を徘徊する生徒に出会います。近年では、小学校でも同様の行為を繰り返す子どもたちもいるようです。

 かつては、世界で最も勤勉で勉強熱心だと言われた日本人が、いつのころからこうなってしまったのかは、明白です。
 少なくとも、先の大戦で敗北を喫するまでは、日本の子どもたちは実によく勉強していましたし、大学にはアジア各地から留学生が殺到し、特に日露戦争勝利後は「有色人種の希望の国家」として、多くの有色人種の若者が日本の大学で学ぶことを希望して留学していました。

 しかし、戦後教育は、左翼的イデオロギーが混入してしまい、個性を過大に尊重し、個人の権利意識や自由を増幅させる結果をもたらしました。
その結果、「勉強するのもしないのも個人の自由」というトンデモない雰囲気が学校を包むようになってしまいました。
 ですから、「進学校を目指して、懸命に勉強する」のも、「高校進学をあきらめて、勉強を放棄する」のも、子どもの自由、個性と言う訳です。

 ですから、教師が子どもたちに「こんな成績では進学できないぞ」と指導しても、「高校に行かない」と言われれば、もうお手上げです。それは、「なんで勉強しなければならないのか」と問われた大人が「高校へ行くには必要でしょ」と答えるのと同じです。

 子どもは、勉学をするかどうか自分の意志で決められる訳ですから、親は子どもが機嫌を損ねて進学をあきらめてしまわないように、さも、腫れものに触るように大切にします。そのことが、かえって子どもを増長させてしまい、かえって学習する気持ちを萎えさせるのです。

 そもそも学習とは、自らの成長のためにするものですから、「なんで勉強しなければならないか」と問う子どもには、「立派な大人になるためです。」と答えればよいのです。

 それでも、「立派な大人になりたくない」と屁理屈をこねる子どもには、「それでは、人さまのお役にたてる人にはなれない」と言えば良いのです。

 かつての日本人は、決して自己実現のためだけに勉強していたのではありません。「貧しい家族を養うのため」に、「地域や社会の発展のため」に、「西洋列強に負けない国家づくりのため」にと、人さまのことを思い、有意な人材になるべく志を立てて熱心に勉強したのです。

 それが、いつの頃からか、自己実現だけが勉強の目的になってしまいました。「いい高校や大学に行くため」に、「いい会社に入るため」に、「金儲けのため」に勉強するのです。
 それでは、自己実現の目標が持てなくなった瞬間、または自己実現を達成したと感じた瞬間、学ぶ意味を失ってしまいます。だから、「高校へ行かない」と決めた瞬間、勉強は不必要なものになってしまうのです。

 今の子どもたちに教えなければならないのは、
「人さまのために勉強する」
ということです。
自分の為だけでなく、国家や地域のために有意な人材となることを目標にして、勉学に励む姿勢を持つことです。

 そのためには、この国を愛し、この国の伝統・文化を尊重する日本人としてのアイデンティティーを確立させる必要があります。
ですから、アイデンティティーを確立できる保守思想が「子どもの学力をつける」唯一の思想であり、個性や権利・自由を過大に尊重し、国史を否定して伝統的な国家を蹂躙するような左翼的イデオロギーは、子どもの学力を低下させるだけなのです。これらのイデオロギーは、断固学校から排除するべきです。

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  先人から引き継いだ日本の夜明けのために。




 




 

vol.13 保守思想が学力をつける

ブログネタ
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文科省が実施する全国学力テストでは、見落とされがちですが「学習や生活の状況に関する調査用紙(アンケート)」が同時に行われます。これは画期的な取り組みで、分析することで日本全国の子どもたちのさまざまな状況を把握することができるようになりました。

中でも、学力の高い子どもと、そうでない子どもの「考え方」に違いがあることが分かってきました。
具体的には、「人の気持ちが分かる人間になりたいと思う」「いじめは、どんな理由があってもいけないことだと思う」と答えている子どもたちは、そうでない子どもたちに比べると正答率が高い(学力が高い)ということが分かってきたのです。

 これは、現場の教師であれば、薄々気付いていたことでした。一概には言えないにしても、学力が定着していない子どもたちは、身勝手で、我が儘で、自己中心的です。それがデータによって、学力と「考え方」「心の有り様」には相関があることが明確になり、その教師の抱くイメージが間違っていないことが分かってきました。子どもの「心の教育」をなおざりにしていたのでは、学力が定着しないことが分かってきたのです。

では、どうやって心を育てればいいのでしょう。そのキーワードは保守思想です。保守思想と言うと堅苦しく聞こえますが、決してそうではありません。簡単に言えば、日本の伝統・文化を大切にすることなのです。

 では、なぜ日本の伝統・文化を教育すれば、子どもの心が育つのでしょうか?それは、大きく分けて三つの理由からです。
 一つ目は、日本の伝統・文化の崇高さを考えれば分かります。例えば、文化の一つに武士道があります。この武士道は、一言で言えば「己を磨き、相手を敬う」精神の現れです。道徳をこれほど見事に昇華させた文化は世界にありません。それを受け継ぐ作業は、子どもの心を確実に豊かにします。

 二つ目は、生徒の中に眠っているDNAを呼び覚ますからです。日本人の道徳が廃れたといっても、大きく廃れたのは戦後60年間余りです。生徒の中には、2000年以上受け継がれてきた日本民族のDNAがあります。まして、世界で最も礼節正しく、清廉であると言われた日本民族のDNAです。伝統・文化を学ぶことでそのDNAを呼び覚ませば、2000年を越える歴史が子どもたちの荒廃した心を救ってくれるはずです。

 三つ目は、安定した心には、アイデンティティーの確立が必要だからです。人は、自分に自信がないと(自尊心と言います)、何事も頑張れません。それは大人も同じことです。
その自尊感情を育てるには、まず日本人の誇りを教えることが先決です。なぜなら、自分の生まれた国を誇りに思う気持ちは、自分の家族や自分自身を誇りに思う心と繋がっており、その根っこが日本人としての誇りだからです。子どもたちは、崇高な日本の伝統・文化に触れることで、自然に日本という国の素晴らしさに気が付き、その一員に生まれたことに喜びを感じ、心が安定して学ぶ意欲が沸いてくるでしょう。

端折って非常に簡潔に書きましたから、分かりずらいこともあるでしょうが、結論を言うと、学力をつけるためには、日本人らしく育てることが大切です。それを補うのが保守思想ですから、保守思想が子どもたちを救い、学力をつける唯一の思想であるわけです。

vol.3 全国学力テスト悉皆調査廃止の裏側

 政権交代により、与党の事業仕分け作業で全国学力テストの悉皆(全員が参加)調査が抽出調査に変更されました。予算の無駄を省くこと、全国の子どもたちのの学力を調査するには抽出調査で十分であることなどがその理由です。与党の支持団体である日教組は、もともと全国学力テストに「序列・競争をあおる」として反対していたので、その趣旨に沿った結果となりました。
 
 しかし、学力テストを実施して、本当に序列化されるのは生徒ではなく、教員・学校です。学校の平均点が、市町村内や県内または全国の平均を大きく下回るということになれば、その教員や学校の指導力のレベルが大きく下回っているという評価になりかねません。ということは、教科指導に力を注いでいない教員や授業についてきていない生徒に手立てを立てていない学校は、その責任を問われるので、「学力テスト」などしてほしくない、ということになるのです。

 このように序列化されることを教育界が嫌う根底には、日教組が教員を労働者と規定し、違法なストを繰り返すなどして、勤務評定反対闘争などの権利闘争で作り上げてきた「横並び主義」とでもいうべき、「否競争主義」があります。そうやって、やらない教師や学校が目立たず安穏として存在していられる雰囲気を作り出してきたのです。

 学校現場では、この3年間学力テストによって、厳しい現実が突きつけれらてきました。特に私の勤務する高知や大阪など、全国平均を大きく下回った都道府県では、今までの教育の根幹が揺さぶられました。学力をつけてこなかったことが明白になったのです。そこでやっと、県や市町村のリーダーシップのもと、各学校で真摯に学力をつけるための方策が考えられ、実践され始めています。その努力を今後に活かし、生徒に確実な学力を保障する為には、学力テストの真の当事者である教員や学校が、毎年この試練に耐えて、創意工夫をしていくことが必要なのです。
 
 わたしが安心したのは、高知県など複数の都道府県では、県単位で予算を組んで悉皆調査を続けることになりました。今後は、国語・数学の2教科だけでなく、理科・社会・外国語を含めた悉皆調査がなされることが日本の教育のレベルを上げていくには必要です。
 こう考えると、学力テストが悉皆から抽出になり、安心しているのは、日教組と教育に無責任な教員たちだとの予想は難しくありません。
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