国民教育のススメ ~教育正常化の風~

「愛国心こそが教育再生のキーワード」 現職公立中学校教諭が、左傾化し続ける教育現場の危機感から、教育正常化を通して日本再生を考えるブログ。保守ブログ相互リンク募集中!

国旗・国歌論

vol.149 学校で骨抜きにされる国旗・国歌 「教師として、その現実をレポートする」

教育現場で骨抜きにされる国旗・国歌

本校でも卒業式が行われました。
生徒とともに国旗が飾られた会場で国歌を歌い、静寂の中にも厳かな式典が挙行できました。
巣立ちゆく、教え子らの未来に幸多からんことを心から願います。


ところで、友人の勤務する中学校で職員に配付された【卒業式(国旗・国歌)についての授業への注意点】という資料があります。

〇 自国の国旗や国歌についてはもちろんのこと、他国の国旗・国歌も含め、敬意を表す姿勢で臨むことが大切であることを理解させる。

以上のような目的が記されたのちに、3項目の「指導するさいに注意点として」という付記があります。

(1)近隣諸国の中には日本に占領支配を受けたことで、日の丸や君が代は日本の侵略の象徴であったととらえ、不快感をもつ人がいること(歴史的事実の認識)
(2)日の丸、君が代は、宗教上の理由や思想、信条、そのほかの様々な理由によって国旗や国歌への敬意が払えないという人たちがいること 
(3)「思想、信条の自由」は憲法上保障されており、国民が生活する上においてすべての基本になっており、何人もこれをおかすことはできないこと
以上を理解させる、という内容です。(句読点、誤字脱字など、読みづらい表現は訂正しました)

これらの「注意点」なる項目がいかに偏った思想に基づいているか、皆さんはお分かりでしょう。
項目ごとにその偏向思想を整理すると、
(1) 特定の近隣諸国にだけ配慮した誤った歴史認識、自虐史観
(2) 国旗・国歌へ敬意を払わないことへの肯定的態度
(3) 学校や公式の場での国旗・国歌強要反対の思想
(共通) 日の丸・君が代と呼び、国旗・国歌として認められていないかのように思わせる
といったところでしょう。

このような偏った思想が、「指導するさいの注意点」として公立中学校の教職員に配付されているのです。

仮に、この注意点に忠実に指導したとすれば、
「自国の国旗や国歌についてはもちろんのこと、他国の国旗・国歌も含め、敬意を表す姿勢で臨むことが大切であることを理解させる。」という、目的が果たせないことは教育のプロでなくとも安易に分ります。

その結果は、「日の丸・君が代は国旗・国歌としてはふさわしくなく、近隣諸国に不快感を与えるばかりか、それを強要することは、憲法で保障された権利を侵すことになる。だから、生徒のみんなも敬意を表す必要はない」という、法律を無視した偏向教育がなされることでしょう。
特に、(2)、(3)と2項目に渡って教えようとしているのは、「(教師であっても)国旗・国歌に敬意を払わない自由があり、それは憲法上保障されている」という誤った認識です。
大阪や東京の同志を救おうとでもいうのでしょうか?
すでに最高裁で判例が出ているにもかかわらず、未だその法の趣旨にのっとらず子どもたちを洗脳しようとする意図が見えています。

そして、この資料が何より悪質なのは、文頭にきれいごとのように目的を掲げておいて、【注意点】として、それを骨抜きにする手段を挙げていることです。
このような悪質な教育を、国民から負託を受ける公教育がしてよいはずはありません。
しかし、これが公教育の現実でもあり、そうやって法を踏みにじった教育を平気で行おうとする勢力が存在するのです。

わたしたちは、断固としてそういった勢力と闘わなければなりません。


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vol.148 早大入試で「教育に国旗・国歌の強制ふさわしくない」との問題文。その主張を検証する

私立の名門、早稲田大学法学部が先月実施した入学試験の問題に、
「学校行事での国歌斉唱時の起立強制はふさわしくない」
「日の丸・君が代が戦前の日本の軍国主義下でのシンボルと考える人々にとっては、君が代に敬意を払えという命令は自己の思想に反すると感じられる」
「教育には強制はふさわしくないのではなかろうか」
「学校の式典で日の丸を掲揚し君が代を斉唱することは、それを通じて国家への敬愛の念を抱かせようとするものであり、教育には似つかわしくない」
などと記述する偏向した出題文があったようです。(MSNニュースより)


すでに最高裁では、国歌斉唱時の起立を求める職務命令は合憲であり、戒告までの処分も妥当であると判断しています。
それにもかかわらず、(いくら私立大学とは言え)このような偏向した出題文には大いなる怒りと疑問が残ります。
入学選考の段階から、思想的に洗脳しようとしていると言われてもいたしかたない行為ですし、国民から非難されて当然です。


ところで、早稲田大学の問題文の主張に正当性はあるのでしょうか?
本当に教育に強制はふさわしくないのでしょうか?


そもそも、家庭や学校で行われる教育とは、ある一定の強制を含む行為です。
例えば、教室で『席に着く』、『姿勢を正す』、『問題を解く』といった行為そのものは、子どもたちの意思に反することばかりだと言っても過言ではありません。

それを生徒に負担に感じさせないように工夫したり、
最終的に(強制ではなく)自分の意思で行動できるように育てることが『教育』ですが、入口においては強制性があってこそ教育が成り立つのです。

ですから、教育から『強制』性をすべて取り除くことなどできませんし、基礎・基本を作り上げる時期においては、『強制』の比率が相対的に高くなります。

愛国心(我が国を愛する心)においても同様のことが言えるでしょう。
まずは、型としてのマナーをしっかりと身に着けさせることが、真の愛国心を育むことになります。
普段の教育では、あらゆる「強制」「押し付け」をしているにもかかわらず、このときだけ「強制はふさわしくない」というのは詭弁以外の何物でもありません。

将来的に、自分自身と国家との距離を決めるのはもちろん生徒自身です。
しかし、まずは、日本人として国旗・国歌を大切にするマナー、祖国を愛する心を型として身に着けさせることが必要です。
そのためには、その指導者たる教員が身をもって手本となる必要があります。


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vol.142 日の丸・君が代は、戦争遂行の道具だったのではなく、アジアの希望だったのです。

かつて教育現場を混乱に陥れた、日教組による「日の丸・君が代反対闘争」で、組合員らは「戦争の道具となった日の丸・君が代を国旗・国歌として認めることはできない」と主張しました。

 

はたして、彼らの言うように、

国旗「日の丸」と国歌「君が代」は、戦争遂行の道具となったのでしょうか?

 

この疑問そのものが「戦争=悪」「大東亜戦争=侵略戦争」という、GHQによって作られた戦後教育の構図そのものですから、答えるに値しない愚問ですが、考えてみましょう。

 


先の戦時下において、日の丸は我が国を象徴する旗として、国民ばかりか占領地の人々の手で振られましたし、軍隊の所属を表すために戦場でも使用されました。

また、君が代は、我が国象徴の歌として、国内外の様々な場面、場所で歌われました。

もちろん、多くの戦場や占領地でも歌われたことでしょう。

 

しかし、この事実をもって、戦争遂行の道具となったというのは、反日イデオロギーに染まった狂った見方です。


国旗・国歌は、常に国民の営みとともにあるのですから、戦争に利用されたのではなく、先の大戦をずっと見守り、日本人に勇気と希望をあたえてきたのです。

 

そして、「我が国の独立」と「アジアの開放」という、大義の御旗を振って聖戦を闘った日本人にとって、
戦場や占領地の空にはためき、響き渡った日の丸・君が代は、西洋諸国の覇権主義に挑んだ祖国の象徴として、世界に誇れる国旗、国歌であったことは間違いないでしょう。

 

さらに、日本人だけでなく、西洋諸国によって数世紀に渡って虐げられ、搾取されてきたアジア諸民族にとっても希望の旗・歌であったのです。

 

狂った国旗・国歌観に惑わされず、誇りと真実を子どもたちに正確に教え、さまざまな場面で堂々と国歌(君が代)を歌い、国旗(日の丸)に身を正せる大人に育てなければならないと思います。




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vol.141 国歌不起立教員のコメントにもの申す! 最高裁判決

さて、1月16日に最高裁において、国歌斉唱時の不起立による減給処分を取り消された原告(61)は
「昨年3月の高裁判決をみんなで勝ち取った力が今回の勝利につながった。子どもたちや保護者、私たちの手に教育の自由を取り返すまで頑張りたい。」とコメントしました。

 

また、過去に国旗を引き下ろしたことなどが影響して処分が取り消されなかった元教員は、未だ「式典で日の丸を下したのは妨害行為ではなく子どもたちへの教育行為だと思っている」とコメントしています。

 

子どもたちや保護者が、まるで自分たちの行為を支持しているかのような言葉や、自分の為でなく子どもたちや教育のためにやったと開きなおる姿は、同じく教職につくものとして大いに疑問です。

 

多くの国民は、我が国の国旗・国歌を支持していますし、どの国の国旗にも敬意を払い、どの国の国歌が流れても起立・脱帽するという程度の常識的なマナーは持ち合わせています。

 

当然、卒業式の国歌斉唱の際にはほとんどの参列者が起立しています。

それは、子どもたちも保護者も例外ではありません。

それにもかかわらず、自分の偏ったイデオロギーを振りかざし教育現場を混乱させるだけの愚行を、子どもたちや保護者たちはもちろん、同職にある我々も決して指示などしていません。

 

それに、最高裁は処分の内容を取り消した(実際は軽減)のであって、不起立を認めたわけではありません。それを、まるで自分たちの勝利のように着色してコメントする悪質さを許すことはできません。

 

彼らの言う「教育の自由」などとは全く関係なく、公教育を担うものとしての常識、教育公務員としての職責、そして日本国民としての最低限のマナーが問われているだけなのです。

 

「祖国を踏みにじるものが、若者の教育者であってはならない。」


ただ、それだけのことです。




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vol.116 国旗国歌条例に反対する教師の本性を見抜かなければ、大阪の教育再生はない。

高校生が条例に反対…この違和感は何だ

「国旗・国歌」の大切さや意義を分かって条例に賛成する生徒と、反対する生徒の意見を、きちんと両論併記する産経ニュースの中立さには敬意を表したいと思いますが、教育者としては、もう少しこの記事を掘り下げてみたいと思います。
この反対意見は、「公務員の職務命令義務違反」でしかない問題を、「思想・信条の自由」という次元の異なる議論を加えることですり替えていますが、そのことに気づいていない程度の高2生の稚拙な意見です。
しかし、なぜそういった意見を持つ高校生がいるのかを考えなければ、実は、この条例化の本質は見えてきません。

高校生程度であっても、IT化、情報化と言われる現代では、さまざまな情報を享受していますから、この高2生も、自分が得た情報で誤った判断をしている可能性はあります。
しかし、その発言中にある「無理やり条例化して立たせるやり方」といった文言は、(左翼)教職組合員の言説と全く同じです。

そもそも大阪府議会は、地方議会として、民主主義の原則に則って可決したのですから、「無理やり」条例化したのではありません。
府議会が可決した条例を否定することは、地方議会の存在そのものを否定することになりかねないのですが、そんな過激な思想を、勉学に励む普通の高2生が持つことは、現場の目から見ると、考えづらいことなのです。


子どもを洗脳し、利用する左翼教職員組合
日教組や全教(全日本教職員組合)ら、「国旗・国歌」に反対する組合勢力は、活動の一端を生徒や生徒会に担わせてきたと言っても、過言ではありません。
生徒たちを扇動し、生徒会を操って、学校長に対して「卒業式での国旗・国歌反対」などという要望書をつくらせて学校長と敵対させるなどして、生徒たちに反対闘争の一翼を担わせてきたのです。
 そして、組合が行う「教育研究集会」に、生徒代表を参加させて、「平和」や「生徒参加」などと耳触りのよい文言を並べ立て、左翼的な思想を押し付けて、実践発表をさせたり、意見交流をさせたりしてきました。
記憶に新しいところでは、平成19年(2007年)沖縄で起こった教科書検定闘争のときに、高校生を壇上に上げて積極的に政治的発言をさせるなど、自分たちの政治闘争に子どもたちを利用するのは、彼らの常とう手段です。
これらのことを考えると、今回の高2生の反対意見の中に、教職員組合と同じ言説が混在するのは、組合の洗脳下にあることを証明しているとさえ言えるのです。


学校は、政治闘争の場所ではない!
今回の条例は、保護者や生徒の不起立を問題にしている訳ではなく、教育公務員である教員が起立することを、規程として盛り込んだ条例です。
にも関らず、子どもたちをも巻き込み、洗脳して、自分たちの政治闘争に利用する左翼教職員組合の非情さとデタラメさは、同じ教育に携わる者として決して許すことはできません。

今回の大阪府の条例化は、「国旗・国歌」だけの問題ではありません。
教育を隠れ蓑にして、許されない政治活動をして、生徒をも利用する教職員組合を抑え込む大阪府政の強い決意が見えてきます。
そのことが、教育再生の本丸であることを、橋下知事はご存じなのでしょう。

最高裁で合法とされた職務命令さえも受容できないのであれば、教育現場から退場することです。
教育者として、ルールを守れないようでは、そもそも教員失格であることを自覚すべきですし、そのルールそのものを変えたいのであれば、尚のこと教育現場から退場し、教師を辞して、政治の世界で闘争すればよいのです。
学校は、政治闘争の場所ではない!

子どもを、政治闘争の道具に使ってはならない!

たったそれだけのことさえ守らない彼らを、決して許してはなりません。





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vol.101 卒業式 最後の訓話 「この国を愛し、支える人に育て!」

平成23年度 第64回卒業証書授与式

東日本大震災の被害が拡大する中、315日は、本校の卒業式でした。

 

式典の冒頭には、卒業生、保護者、来賓らを含む参列者全員で、「東日本大震災で犠牲になられた方々に対して、哀悼の意を表して」黙とうを捧げました。


式場正面に国旗を掲げ、生徒・教職員全員で国歌を歌い、混乱なく卒業式が挙行されました。

生徒たちが国歌を歌う姿は、堂々としており、先日実施した「国旗・国歌の意義を考える」授業の成果があったようです。
 

最後の訓話

式典終了後、教室へ移動して行われる義務教育最後の学級活動(学活)では、親族らが見守る中で、(担任の)私から、卒業生たちへ中学校最後の訓話を述べました。

 

「改めて、卒業おめでとう。

先週、東北地方を中心に起きた東日本大震災は、万人単位の犠牲者・消息不明者という甚大な被害の爪痕を我が国に残し、今もなお、その被害は拡大しています。

そればかりか、福島原発でも大きな事故が起きようとしています。

 

まずは、このような深刻な状況下でも、厳粛にとり行われた卒業式や、参列してくださった地域の方々、ご家族に、感謝をしてもらいたい。

そして、今日の日を、震災の甚大な被害の記憶とともに、一生心に刻み込んで忘れないでほしいと思います。

 

今後、我が国は、この甚大なる被害の克服を期して、復興へと立ち上がります。

大人の一人として、私も、この国の為に、できることから、全力で取り組もうと決意しています。

そんな中で、義務教育を終えた君たちも、一人の日本人として、我が国の再興のために、国や社会を愛して、支える人材に育ってほしいと願っています。

 

その為に、まずは、高校で懸命に勉学に励んでもらいたい。

それが、我が国再興への第一歩となることを、忘れずに心に刻み込んでほしいのです。」

 

そして

「後ろを振り返ってはならない。

中学校時代を懐かしむことがあっても、立派になるまでは、再びこの学校に脚を踏み入れない覚悟で巣立っていってもらいたい。

私は、遠くからでも、いつでも君たちを応援しています。」

 そう、結んで最後の学級活動を終えました。


どうかこの国の再興の為に、国を愛する有為な人材に育ってほしい…その切なる願いを、私のクラスの卒業生は、真剣な眼差しで聞いてくれました。

 

 

まずは教師が我が国を愛すること

卒業式に臨んで、これ程ストレートに国を想う心を表現したことは、過去にありませんでしたが、甚大な被害をもたらした東日本大震災は、改めてこの国を愛するということの意味を、私に突きつけました。

 

今、私自身が、我が国のためにできること。

それを、考えたとき、どうしても生徒たちに伝えたかった思いでした。

 

まずは、教師が大人として、この国を愛すること。

そして、その心を子どもたちにきちんと話をして、伝えること。

それが、この国と、この国の子どもたちに絶対的に必要なことだと思います。

 

そして、その国を想う強い思いが、我が国復興の源になると信じています。

 


卒業生たちの前途に、幸多からんと祈ります。



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vol.100 「国旗・国歌」授業実践3 未曾有の大災害の今こそ、日本人が一つに!

未曾有の大災害

次々と三陸沖大地震の被害状況が明らかになっています。

死者・行方不明者が1000名を越える模様との情報を聞き、ただただ「これ以上の犠牲者がでないこと」を祈る思いです。

昼夜を問わず救助活動に携わっている皆さんに、心より敬意を表します。

 

被災地から遠くにいて、何もお手伝いできない状況の中で、ブログへ記事をアップすることをためらっていました。

しかし、こんな時だからこそ、子どもたちに「日本を愛する心」を教え、この国を支える若い世代を育てている取り組みをお知らせすることが、少しでも、被災者や日本国民に勇気を与えることができるのではないかと、そう思い直して、アップすることにしました。

頑張れ!東北  頑張れ!日本  そして日本人!

 

「国旗・国歌の意義を考える」授業 第3段(最終回)

後半は、国旗・国歌に対する世界のマナーの域から、我が国の国旗・国歌に敬意や誇りを持たせ、我が国を愛する心を涵養することにねらいを絞っていきます。

 

誇りや敬意などは、心の持ちようですから、ねらいを達成するには、生徒の心情に迫らなければなりません。

そのためには、生徒の心に響く優れた資料が必要です。

 

私が準備した資料は、以前に当ブログvol.50日本人の心「靖国神社」をどう教えるかでも紹介した三重県公立中学校教諭の渡邉 毅先生著「道徳の教科書」善く生きるための70の話(PHP文庫)から、54「国旗と国歌に敬意を払う」(P.238P.242)です。

 

この資料と私の補足説明で、1時間目に書かせた子どもたちの素朴な疑問に答えつつ授業を進めます。

【国旗】

Q そもそもなぜ国旗がいるのか? 

A 国旗や国歌は、国の独立と統一性を表す重要な役割があります。

 

Q 日の丸の○は何を示しているのか?

Q なぜ、○は赤なのか?なぜ、白地なのか?

A 我が国の国号「日本」は、「日の昇る国」という意味から、○は太陽を表しています。そして、○が赤いのは、朝、地平線に上る日の出の太陽を表しているからです。白地は、「神聖と純潔」を表現していると言われています。

 

Q なぜ、地味なのか?

A 地味なのではなく、単純明快で力強く、かつ優しさがあると外国では高く評価されています。

 

Q 誰が決めたのか?

A 明治3年(1870年)、太政官布告が出されて、「日の丸」が正式に国旗になりました。現在は、国旗・国歌法(国旗及び国歌に関する法律)という法律で定められています。

 

【国歌】

Q なぜ、古今和歌集から歌詞を選んできたのか?

A 「君が代」は、全国あちこちで歌い継がれ、親しまれてきました。田楽・謡曲・浄瑠璃などの中でも歌われ、神事や宴席で最後に歌われるお祝いの歌として、長寿万歳を歌った歌(和歌)です。

和歌が世界に類を見ない我が国固有の伝統的文化であり、中でも「君が代」が多くの日本人が知っていた祝いの歌であったことから、国歌に選ばれました。

 

Q いつ頃から歌われているのか?

A 現在の国歌「君が代」として歌われ出したのは、明治になってからです。しかし、「君が代」の原歌は、約1000年の昔から全国各地で歌われ続けてきました。

 

Q なぜ、地味な曲なのか?

A 曲は、最終的に宮内省(現 宮内庁)の雅楽課が、日本の伝統的な音楽(雅楽)に、西洋音楽を取り入れて創られました。ですから、現代風の曲に比べると地味に聞こえますが、伝統を大切にする日本人の精神性をよく示した曲です。

 

渡邉先生の著書が素晴らしいのは、随所に「我が国の国旗や国歌に誇りを育てる」要素が散りばめられていることです。

例えば、

『 デザイナーの勝見勝さんは、「デザインとして見るかぎり、日の丸は単純明快で、わかりやすく、力強さと優しさを兼ね備え、世界の国旗の中でも、最高のものと言える」と言っています。』

『 作曲家の内藤孝俊さんは、「君が代」の曲を、「ひじょうに独創的な音楽だ」と言っていますが、明治36年(1903年)ドイツで開催された世界国歌コンクールでは、「君が代」はみごと優勝しています。』(本文より引用)

といった個所が、本文内にたくさんあります。

 

こういった、積極的に我が国の国旗や国歌を評価する姿勢は、その意味や由来を知れば知るほどに、子どもの心に響いていきます。

 

生徒に響いた「日本人の心」

授業の最後に書いてもらった生徒の感想の一部を紹介します。

●国旗、国歌について分からないこと、いっぱいだったけど、色々分かった。

他の国で国歌を聞いたら日本人として礼儀正しくしたいと思った。恥じないようにしたい。(女子)

●日本の国歌や国旗が世界的に評価が高いということを知らなかったから、良い勉強になった。(男子)

●日本の独特できれいな国歌を大事にするとともに、他国の国歌も大切にしなければいけないと思った。(女子)

●国旗や国歌の意味などが知れて、これまでと少し見方をかえて見ることができた。もっと詳しく知りたいと思った。(女子)

●国旗や国歌は、国一つ一つを尊重するものだから大切で、次の世代へつなぐべきだと思った。(男子)

 

生徒たちが、わずか2時間の授業から、素直に多くのことを感じ取ったか分かると思います。いかに瑞々しい感性でしょう。

こんな子どもたちがいる限り、日本は大丈夫です!

 

国旗・国歌のもとで心を一つに

被災地にはためく「日の丸」が、いかに日本国民を勇気づけることでしょう。

この未曾有の災害に見舞われた今こそ、皇室と「日の丸」「君が代」のもとに日本国民が一つになり、この困難に立ち向かう時です。

そこに、思想や世代の差はありません。

 

頑張れ東北! 頑張れ日本! そして 日本人!



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vol.99 「国旗・国歌」の授業2 ~中3生に宿った国際マナー~  

「国旗・国歌の意義を考える授業」レポート 第2弾

昨日の「国旗・国歌の意義を考える」授業に続いて、その第2弾の授業の様子をレポートします。


昨日掲載した、中学
3年生からの素朴な疑問に答えながら進めていく授業は、これから核心部分へと迫っていきます。


 

  どんな場所や場面で、国旗掲揚や国歌斉唱が行われますか?

(生徒)オリンピックなどの国際試合(スポーツ)

国連の前

県庁や市役所

学校行事のとき  など

さすがに、中学3年生です。次々と発言がでます。

発言の中に、(学校)行事が出てきたことは、行事で国旗掲揚や国歌斉唱が行われることに違和感を覚えることなく、自然体でとらえているからのようです。

 
                                   

ジャイアンツ ○○選手の態度に憤慨する生徒たち

   では、実際の様子を映像で見てみましょう。

ここで、北京オリンピック サッカーアジア最終予選(日本VSベトナム)のときの国歌斉唱の様子を視聴させます。

生徒たちの憧れのプロサッカー選手らが、グランドに整列して全員で肩を組み、国歌を斉唱している映像を、食い入るように見つめる彼らの目は真剣です。

 

次に、平成20年(2008年)日本シリーズ 読売巨人ジャイアンツ VS 埼玉西部ライオンズの試合前に行われた国歌斉唱の場面です。

 

この映像では、国歌斉唱(独唱)の際に、各々のチームの選手の様子が順番にアップで捉えられていきます。

その中で、ジャイアンツの○○選手が、国歌斉唱中にも関らず、ガムを噛んで、にやつきながら、私語をしている様子が映し出されました。(本人の名誉の為に、実名は避けます)

 

即座に、生徒の中から

「あの態度は、いかん! なんでニヤニヤしてるんやろう?」

「こんな時に、ガム噛んだら、いかんやろ!」

「格好悪いなあ ○○選手…」

と、非難の声が次々と挙がりました。

 

まだ、導入部分ですから、ここまでに授業で国旗掲揚・国歌斉唱へのマナー指導はしていません。

にもかかわらず自然と、生徒の中から、この選手の態度への非難が噴出しました。

 

彼らは、教わらなくても、内心では「国旗・国歌」に敬意を表することが当然であると感じ取っている様子です。

彼らのその感性に、正直、少し安心しました。

 

私は、○○選手のプレーが好きですが、この時ばかりは、気持ちが緩んでいたのでしょうか。彼らしくない、不敬な態度です。

ファンとしては心苦しいのですが、彼の態度は、予期せずに、生徒たちの反面教師となってしまいました。

 

そこで、私がこう付言します。

「○○選手は、日本を代表する素晴らしい野球選手です。しかし、彼のこの時の態度は、多くの人から非難を受けました。どんなに野球で認められても、人としての品格を欠いてしまっては、豊かな才能さえも賞賛されることはありませんね。」

生徒たちは、「当然だ」とでも言うように、頷いています。

 

  では、外国人選手の様子はどうですか?

巨人軍のラミレス選手は、脱帽して帽子を胸にあて、頭を垂れて目を閉じています。

「ラミレスすご~い!」

生徒の素直な感嘆の声です。

 

外国(ベネズエラ)人であるアレックス・ラミレス選手も、日本の国旗と国歌に敬意を表しています。

これが、世界でのマナー、グローバルスタンダードであることを、ここで教えます。

 

そして、自国の国旗や国歌を大切にする習慣が身についていないと、他国の国旗や国歌に敬意を払える心が宿らないことを教えます。

「ラミレス選手のようになるには、まずは自国(日本)の国旗や国歌を大切に思うことが必要ですね。」

 

封印された「国旗・国歌」の授業

十年ほど前、職務で近隣小学校の卒業式に参加したとき、国歌斉唱が始まると生徒のほとんどが着席するという場面を見たことがありました。


この授業の中学校
3年生の様子を見て分かるように、子どもたちは案外純粋に国旗や国歌を受け止めています。
ですから、小学校
6年生が、自分の意思だけで、国歌に反対して、起立する事を止めて着席することなど考えられません。


教師が、国旗や国歌を否定的に受け止めるよう授業をして、「座るように」指導していなければ、あんなことは起こり得ません。

 

近年は、日教組や全教などの教職員組合が強い地域でも、教育委員会の指導もあり、生徒が一堂に座る…などと言う暴挙を見かけることはなくなりました。

しかし、現在は、座ることを教えなくなった代わりに、国旗や国歌については、完全に無視して、何も教えないようにして封印しているようです。


今こそ、封印を解き放って、生徒たちに国旗や国歌について正しく理解させなければなりません。
それが、先人から受け継いできた文化をつなぐ、大人の責務です。


 

今日のレポートは、まだ、2時間目の導入部分です。

その後の展開は、次回vol.にて報告します。

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vol.98 「国旗・国歌」の授業1 ~中学3年生の素朴な疑問~

「国旗・国歌の意義を考える」授業

卒業式が来週に近づきましたので、卒業生に向けて「国旗・国歌の意義を考える」と題して、授業を行いました。

 

ねらいは、義務教育を終えるにあたり、わが国の国旗・国歌の歴史を教え、日本人としての誇りを育みつつ、グローバルスタンダードである国旗掲揚・国歌斉唱のマナーと我が国の国旗・国歌を尊重する態度を育てることです。

 

日教組や全教など組合色の強い一部地域の教育現場では、今でも「国旗・国歌強制反対」を叫ぶ不毛な議論があり、反対しないまでも、国旗・国歌の意義などに触れずに、無視したまま卒業式が行われます。

 

しかし、学習指導要領には【入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする。】と明記されているのですから、指導を行うのは当然のはずです。

 

国歌「君が代」の歌詞の意味を知らない中学3年生


授業の様子を紹介しましょう。

  国家の歌詞は知っていますか?

生徒たちに書かせてみると、ほとんどの生徒がきちんと書きました。


「君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」


卒業式に向けて、音楽の授業でも学んでいるはずですから、ひとまずは安心です。

 

そこで、

  歌詞の意味は分かりますか?

この問いには、悪戦苦闘です。

正確に答えられたのは、僅かに1名だけでした。

 

そこで、出典が「古今和歌集」であることなど、簡単な解説をしながら、教室に持ちこんださざれ石(実物)に触れさせて、歌詞の意味を教えます。


ここまでで、1時間かかってしまいましたが、実物のさざれ石を見て、そして触れたその目は、輝いていました。

 

最後に、

  国旗や国歌について疑問に思うことを書きなさい。

と、疑問点を書かせて、まずは1時間目の授業を終えました。

 

 

中学3年生の「国旗・国歌への疑問」とは?


【国旗への疑問】

そもそもなぜ国旗がいるのか?

日の丸の○は何を示しているのか?

なぜ、○は赤なのか?なぜ、白地なのか?

なぜ、地味なのか?

誰が決めたのか?

日本の国旗の色違いってどこの国か?

国旗にはどんな思いが込められているか?

 

【国歌への疑問】

なぜ、古今和歌集から歌詞を選んできたのか?

いつ頃から歌われているのか?

なぜ、地味な曲なのか?

 

生徒たちの書いた質問の一部を列挙してみました。


ごく素朴な質問が並んでいることに気がつきます。

案外、大人も答えを知らない質問があるかもしれませんが、中学3年生がいかに国旗や国歌のことを、今までにきちんと教えてもらっていないか…想像されます。

小学校1年生の入学式から、ずっと触れてきた国歌なのにです。

これが、もし意図的に教えてもらっていないのだとすると、生徒たちが可哀相です。

 

自分の生まれた国の国旗の意味を知らず、国歌の歌詞の意味が分からず、義務教育を終えていくとすると、いったい義務教育とは何でしょうか?

長い人生において、今後、国家(日本国)とどう向き合い、どういう距離感を持つのかは、当人が決めるとしても、そのための基本的な材料すら与えらないのですから、彼らの人生が豊かになるはずはありません。

 

 

なんで、こんなことをきちんと教えてこなかったのだろう?

今回の授業は、私が指導案や資料を準備して、卒業生の他のクラスでも同じ授業を実施しました。

 

2時間の授業を終えて、他の先生と授業を振り返っていたところ、

「生徒も集中していて、とてもいい授業でした。なぜ、こんな大切なことを(今まで)教えてこなかったのでしょうか?」という感想がでました。

純粋に、そう受け止めてもらったことは嬉しい限りです。

こういう先生を育てていくことも、大切なことです。

 

授業は、2時間目に子どもの質問に答えつつ、本題へと進んでいきますが、その報告は、また次のvol.に書きたいと思います。

vol.97 国旗・国歌反対闘争の再開を画策  それが日教組の平和教育

平和教育の実態

日教組が目指す「平和教育」とはどのようなものか?

日教組全国教育研究集会の平和教育分科会での組合員(教員)の発言を掲載していたHP引用し、紹介しましょう。

 

http://www.labornetjp.org/news/2011/1295967793431staff01 より引用

 

戦争はしたい人がいるから、得する人がいるからやる。
また、戦争の始まった頃、みんなそれに賛成していた。
今おきている『日の丸・君が代』強制を考えられるような
子どもにならなければ、再び同じことが起きてくる。
なのに、教研要項から『日の丸・君が代』のことが
消されている。
日教組が『日の丸・君が代』強制をきちんと
教える立場に立たないと、これからどうなるのか。

 

『日の丸・君が代』は国民を統合するための象徴的役割であり、
なぜそれが強制されるのかを考えなければならない。
6月には日米同盟の新定義が行われようとしている。
周辺事態法も改訂され、公海での物資の供給までが
盛り込まれた。朝鮮半島で戦争が起きた場合には
日米韓で対応することが言われている。
こうした流れの中での『日・君」強制だ。
この攻撃を止めていかなければならない。

 

「日の丸・君が代」は平和教育の根源に係わる問題だ。
儀式は、絶対的なものに対してひれふすることを教える。
自分の頭で考えさせない。
今は次の戦争の戦前になっている。
これだけ「日の丸・君が代」が強制されて闘わなくていいのか。

 

状況が大きく変わってきている。
東京では、憲法19条(思想・良心の自由)を
生徒に教えれば処分される状況だ。
憲法を教えれば、我々は処分されるのだ。
日教組はもう一度、
「日の丸・君が代」強制反対の旗を掲げて欲しい。

                  (引用終了)

 

彼らは、あえて『日の丸・君が代』と呼び、『国旗・国歌』とは呼びません。それは、平成11年に国旗・国歌法が制定されても、未だに国旗・国歌と認めていないからです。

 

そして、平和教育の根源に「日の丸・君が代」問題があると公言します。

そもそも平和教育というのは、耳触りのよい言葉ですが、先の大戦を「日本が全て悪く」「侵略戦争だから断罪すべき」で、「戦争の悲惨さを伝え」、「何度でも反省し、謝罪」すれば、「二度と戦争は起こらず、平和になる」という一方的な自虐史観的・短絡的な思想から抜け出せていない程度の教育とは呼べない代物です。

 

彼らは、日の丸・君が代を恣意的に『侵略戦争の象徴』として捉えますから、国民として国旗・国歌に敬意を払うというグローバルスタンダードが、戦前回帰の危険な行為に見え、法律に則って行われる「指導」が「強制」になってしまいます。

 

もし、「平和教育」を行うのであれば、先の大戦を『侵略戦争』などと単純に括ってしまわず、世界史的な広い視野で客観的に国際情勢を分析して、戦争回避すべき手立てがなかったか追求すべきです。

 

儀式は、絶対的なものにひれ伏すもの

そして、驚くことに、「儀式」が「絶対的なものにひれ伏し」「自分で考えることを否定する」ことだと言います。

まさか、結婚式や葬式などの儀式も「絶対的なものにひれ伏す」とは思っていないでしょうから、彼らが言うのは、式典で国旗を掲げ、国歌を歌うことが、おそらく「絶対的なものにひれ伏す」ということなのでしょう。

 

私などは、国旗を掲げて国歌を斉唱すると、身が引き締まって日本国民であることに誇りを感じます。決して「絶対的なものにひれ伏」していると感じたことなど一度もありませんから、彼らが言っている意味が分かりませんし、本気でそう思っているなら同じ日本人として可哀相にさえ思います。

 

生徒に「日の丸・君が代」強制を教えると言いますが、そもそも彼らが勝手に「強制」と感じているだけのことですから、すでにそれを教えることが学術的にも偏っていて、イデオロギーに染まっていることに気がつかないのでしょうか。

そんなイデオロギーを教え込まれる子どもたちは、非常に不幸です。

 

日教組は、パートナーシップ路線に転換し、文科省との対立的関係を見直し、「日の丸・君が代」闘争は凍結しています。

しかし、その内部では、今もまだ「国旗・国歌」に反対して、再び「日の丸・君が代」闘争を引き起こそうと画策している組合員(教師)たちが存在するのです。

 

公教育の信頼を損ねる根源こそが日教組だ!

日教組が、このような国民の期待に反する「反日教育」を推進しているからこそ、公教育そのものの信頼が損なわれていることを、私たち教師は知らねばなりません。

そして、これらの偏ったイデオロギーと決別し、健全な国家観や歴史観を持って教育に当たることが必要なのです。

vol.94 卒業式シリーズ3 「日教組による卒業式破壊」 ~対面型卒業式に隠された本当の意味~

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卒業式のかたちsostugyo

卒業式の式場の体型には、2通りの基本形があります。

一つは、ステージ型、もう一つは対面型(フロア型とも)と言われるものです。

 

ステージ型は、ステージに向かって卒業生が整列するのに対して、対面型は、ステージを無視して、フロアーで卒業生と在校生、卒業生と保護者などが対面式に向き合って座ります。

 

以前は、卒業式といえばステージに向って座るステージ型が当たり前でしたが、式典の厳粛な場面で集中力が続かない子どもたちが増えているので、向き合った者同士の互いの目線が合うフロアー型は、集中力が持続しやすく、現代向きだと評価される向きもあります。

また、ステージ型と違って、保護者から卒業生の顔が見えることも、写真撮影やビデオ撮影が当たり前になった現代では、支持される理由のひとつです。

 

生徒が主役?

生徒が主役 伝統守る/小禄中で「対面式」卒業式
 県内の中学校の卒業式が十、十一日の週末、ピークを迎えた。那覇市の小禄中学校で十一日に開かれた卒業式は、生徒の熱意が校長の方針を覆し、伝統の「対面式」が守られた。学校現場の管理強化が進む中、教員や親を驚かせた生徒たちは、晴れやかな表情で巣立っていった。
 同校では、フロアで卒業生と在校生が向き合って座る対面式が二十年以上続いてきた。しかし、長嶺明浩校長は舞台に向かって全員が座る「通常」の形に変更を求めた。「卒業式は最後の授業。舞台上で、厳粛に証書を渡したい」と理由を説明した。

 「後輩の顔を見ながら進めたい」「先輩たちを送り出したのと同じ形で送られたい」と願った生徒たちは動いた。アンケートを取り、圧倒的多数が対面式を希望していることを示した。校長に直談判する生徒も出た。

 ぎりぎりの九日になって開かれた全校集会。長嶺校長が変更理由を説明し、生徒に意見を求めると十数人が口々に対面式の継続を訴えた。校長が「混乱を避ける」として生徒の希望を受け入れると、拍手が巻き起こった。

 ある教員は「普段目立たない生徒まで、きちんと意見を言っていた。教師をやっていて良かったと感動した」と語る。別の教員は「校長が決めたことがひっくり返るなんて夢にも思わなかった」と、生徒のパワーに目を丸くした。

 文字通り主役になった生徒たちは、いつにも増して準備に懸命に取り組み、式を成功させた。

 終了後の校庭。ある女子生徒は「みんなの気持ちが一つになった。これができなければ本当に心残りだったと思う」と、上気した表情で語った。別の卒業生の母親は言った。「子どもたちが自分の意見を出し、学校が尊重してくれた。鳥肌が立つほどうれしかった」

(平成193月 沖縄タイムス)

 

この対面型(フロアー型)を考案したのは、日教組です。

卒業式を、「厳粛な式典」から「馴れ合い」型へと品格を下げるために、考え出されたものです。

実際に、日教組本部から各支部へ「卒業式で対面型を推進する」指示が出されていた事実もあるようです。そうでなければ、全国的に伝統を打ち壊す対面型が広がるはずはありません。

 

その目的としては、一つには、フロアーを使用することで、学校長や来賓と卒業生との目線を同じくして、それらの権威の失墜をはかること。

二つには、ステージ上に掲げた国旗に背を向けたり、視界に入れないことで、卒業式から実質的に国旗を排除すること。

 

先の沖縄タイムスの記事で分かるように、20年~30年程前から全国的に取り入れら、その形がすでに、伝統になっている学校まであるのです。

 

この事例などは、典型的に日教組による子どもの洗脳が成功した例でしょう。校長先生の「通常」の厳粛な式典をという思いを、生徒がアンケート調査や直談判までして覆す…、そして、それを地元新聞社が美談として掲載する…まさに、革命思想の集大成といったところでしょう。

しかし、少し冷静になって考えてみると、生徒をそういう風に先導し、新聞社にリークした教師がいて始めてなせる業であることは容易に想像がつきます。

彼らは、そうやって日本の学校現場を牛耳り、日本を解体しようとしているのです。

 

卒業式の正常化を!

しかし、沖縄の例にあるように、一度伝統となってしまった型式は簡単に打ち破れません。

ですから、心ある教師は、対面型の意図を知りつつ、せめて国旗の位置を常時視界に入る位置にしたり、フロアーに低くても雛段を設置するなどの地道な正常化をなしていく他にありません。

 

また、卒業式の正常化には、教育委員会や学校長の不断の決意と強いリーダーシップが必要です。

大阪府の一部地域などでは、教育委員会が「対面式卒業式の廃止」を学校に強く指導しています。

こういった動きが、全国的なものになることを強く希望します。

vol.88 国旗国歌訴訟 ~判決は甘すぎる。もっと厳しく断罪を!~

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入学式や卒業式で国旗に向かっての起立や国歌斉唱を求めた東京都教育委員会の「通達」や「校長の命令」は、思想と良心の自由を定めた憲法に違反するなどとして、教職員ら395人が、従う義務がないことの確認や慰謝料を求めた訴訟の控訴審判決で東京高裁の都築弘裁判長(三輪和雄裁判長代読)は28日、「通達には合理性があり、思想・信条・良心などの自由を定めた憲法に反しない」などとして1審東京地裁判決を取り消し、教職員側の請求を棄却した。教職員側は上告する方針。(中略)

 判決は、国旗国歌法制定(11年)の前から日の丸が「国旗」、君が代が「国歌」であることは慣習法として確立していたと判断。「一律に起立、斉唱するよう求めた都教育長通達には合理性があり、思想・信条・良心などの自由を定めた憲法に反せず、教育基本法が禁じる『不当な支配』にも当たらない」とした。(平成23128日産経ニュース)

不毛な裁判

この裁判が不毛なのは、学校現場のことながら、生徒への視点が欠けていることです。

そもそも公務員の公立高校の教師が、個人の主義で「国旗・国歌」に敬意を表さない姿が、生徒たちにどう受け止められているのか、どのような影響を与えているのか判決でも一歩も踏み込まれていません。

 

裁判所が、教育の在り方についてまで深い言及を避けるのは、司法機関としては仕方がないかも知れません。

しかし、教育が国家百年の大計であることを考えると、東京高裁は、もっと深く言及し、子どもの将来に渡る成長や健全な社会構築の為には、「国旗・国歌」の尊重が、国民としての最低限のマナーであり、教育として「国旗・国歌」の指導は必要不可欠で、避けて通れない道であることを明確にするべきでした。

そして、個人の主義・主張は、「公共の利益」に反しない場合のみ認められるべきであって、公務員の「国旗・国歌」への不敬的態度は、公共の利益に反した反社会的行為であると断罪すべきです。

 

より踏み込んだ判決

今回、「都教委の行為は違憲ではない」との判決は当然でしたが、上記のような事柄を明確にせず、お茶を濁した残念な判断であったとしか言いようがありません。

 

不逞な教職員が、現場の生徒らを無視して、組合活動の一環で「勝敗に無関係」に提訴を乱発しているのですから、最高裁には、まず組合活動による提訴権の乱用について制し、かつ「国旗・国歌」への不敬的態度は、公務員の場合反社会的行為に相当と断罪する判断が望まれます。

vol.61 国歌を歌えない子どもたち

きみがぁ~よぉ~にぃ~♪

音程も違い、歌詞も間違っている国歌を、教室で2人の男子生徒が歌っていました。

ワールドカップで日本代表が歌ってきた国歌を思いだして歌っていたようです。何度か繰り返し歌っているうちに、私が気付いたのは、最初のワンフレーズだけ歌うことです。
どうやら、それ以降は、全く分からないようなのです。
歌わないのではなくて、歌えないのです。

早速に傍に行って、
「歌詞が間違っている」「正確には、こうだ」と歌って聞かせました。
すると…

そんなん習ったことない…

私が勤務している市内の小中学校では、もう何年もの間、卒業式の国歌斉唱率、国旗掲揚率は100%です。
なのに、国歌を教わったことがない…という事実は、矛盾すると思いませんか?
教わったのに、忘れているのではありません。
小学校時代から、音楽の教科書には載っているはずなのに、意図して教えていないのです。

卒業式の中では、歌詞入りのテープで国歌を流しますから、起立はしても歌う必要がないのです。
教育が正常化されている地域では、ピアノ伴奏で斉唱という形がもっとも多いのですが、わたしの地域では、ピアノ伴奏をしている学校を知りません。

ですから、歌詞を教えることも、曲を教え、歌わせることもしていません。
わたしたちの地域の子どもたちにとって、国歌とは、残念ながら聞き流すもので、歌うものではないのです。


「国歌は嫌いではない」菅首相

15歳にもなって国歌を歌えない子どもたち。
TVでは、オリンピックやワールドカップ、ボクシングのタイトルマッチやプロレスなど…様々なシーンで耳にしているのに、自分で歌うことができない悲しさは、測り知れません。

100歩譲って、公式の場で、歌う歌わないは個人の自由としましょう。
しかし、習ったことが無い、一度も歌ったことが無い…本当にそれでいいのでしょうか?
この子たちは、将来世界に羽ばたく人材です。
その人材が、自国の国歌すら歌えなくて、国際社会で信用されることはありません。
子どもたちの本当の幸せを願うなら、正しく国歌を教えることは、最低限の教育のはずです。

菅首相は、以前には国歌は歌わないと明言していたと聞き及びます。
首相になってからは、「嫌いではない」「今は斉唱している」と国会で答弁したらしいですが…。
国歌に、「好き」「嫌い」などと個人的嗜好を持ち込むのは、
「米国の国歌の方がカッコいい」と言う、未熟で無知な中学生なら許せる話です。(ただし、指導はされますが…)

しかし、国家の代表である首相の言としてはいかにも軽いと言わざるを得ません。
どうか、国際社会で、首相として恥ずかしい態度にならぬよう、子どもたちの見本となるよう、今後は堂々と国歌斉唱していただきたいと思います。

私は、今年も、この子どもたちに、堂々と国歌を歌わせようと思いますし、しっかり教えようと思います。




vol.5 国旗国歌反対を教育現場に持ち込む左翼勢力

 平成11年に国旗・国歌法が制定されて以降、国内では正式に「日の丸・君が代」が国旗・国歌として定められました。それまでの、歴史ある慣習法として国旗・国歌を守ってきた美しい姿が失われたのは残念でしたが、時代の流れではいた仕方ない法制定でした。

 わたしが、初任教員として中学校現場でスタートした平成4年当時は、日教組が「日の丸・君が代反対闘争」を全国的に展開していたころでした。
職員会では、「卒業式の会場に日の丸を持ち込ませない」「君が代を斉唱させない」とする組合員と管理職が対立していました。実際に、わたしの勤務していた学校でも、夜の11時を過ぎるまで議論をしていました。

「日の丸の赤い色は、アジアの人たちの血の色だ。そんな旗は卒業式に相応しくない」
「君が代の君とは天皇を指す言葉で、天皇を擁護する歌である君が代は国歌に相応しくないから歌えない。」 
「日の丸と君が代のもとで、日本が多くのアジアの人々を虐殺し、迷惑をかけた歴史を考えると、それを子どもに押し付けるのは非常識だ。」

などと、組合員たちは断固として卒業式には持ち込ませずという姿勢を貫いていました。当時は、教員駆け出しで日教組と言う組織すら分かっていないわたしでさえ、彼らが吐く言葉に違和感と嫌悪感を覚えました。

「では、わたしたちや子どもたちは何人なのだろう?」
それが、わたしの正直な感想でした。学生時代、部活動に力を入れてきたわたしは、胸に日の丸をつけることを夢見ていました。
世界の舞台で、高々と掲げられる日の丸を見て美しいと思っていました。

 「なぜ、そんな思いすら否定するのだろう?」と疑問を持ち、初任教員ながら、職員会でその旨を申し出ました。そのことで、いじめられたりすることはありませんでしたが、意見は無視されて後味の悪い思いをしました。結局は、日の丸は式場に持ち込ませずに、式典とは無関係の校長室に掲げ、君が代は着席のままテープを流すという、折衷案にもならない方法で決着せざるを得ませんでした。


 人が、自分の生まれた国に誇りを持ち、その国の国旗や国歌を大切にするのは世界的な常識であり、マナーです。それを日本の場合にだけ否定する左翼思想には、この国を貶める明確な意思があります。今後歴史教育についても書いていきますが、歴史をも歪曲しています。
 
 そのような人間が、未来の「日本人」を育てるべき公立学校の教員に多くいることが、この日本の教育現場の厳しく悲しい現状です。
子どもたちは、こう言った左翼教員に洗脳されてしまうのです。これでは、まっとうな日本人が育つことはありません。

今年も、卒業式が近づいてきました。
日本全国で、日の丸のもとで教職員が模範となって国歌を歌い、子どもたちの旅立ちを祝える式典が粛々と取り行われることを切に願います。
プロフィール

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