大津で起きた中学2年生の自殺事件。
地域は違えど同じ教育者としてなぜ防げなかったのかと、心から悔やまれます。
生徒たちは、現実に攻撃的な言葉をつかいます。
そして、表面的な指導だけでは改善していかない現実があります。
その内面に届く言葉を…との思いから、
以前に紹介した「坂本竜馬から学ぶ道徳心」を中学生用資料に書き直して、生徒たちに読み聞かせました。
道徳資料(中学生用)
「うっとうしい!」
「黙れ!」
「死ね!」
教室で、相手を攻撃するそんな罵声が飛び交っています。
些細なことで始まったいさかいの中で使われるこれらの言葉には、相手への尊敬や感謝などまったくありませんし、相手を気づかう優しさの微塵も含まれていません。
中学校にもなれば、これらの攻撃的な言葉をなぜ発してしまうのか…少し冷静になって考えてみなくてはなりません。
自分に自信がないので少しでも他人に自分をよく(強く)見せようとすることを「虚勢を張る」と言いますが、先ほどの攻撃的な言葉の裏側には、それを吐く人の人間的な弱さ、未熟さ、幼さが隠れています。
「ゆく春も 心やすげに見ゆるかな
花なき里の 夕暮れの空」
この和歌は、みなさんもよく知っている我が国の英雄・坂本竜馬が、同志の桂小五郎(長州藩士)に揮毫を求められたときに書き贈ったものです。
坂本竜馬は、新しい日本をつくるために薩長同盟を成しとげ、海援隊を組織して討幕運動に参加するなど旺盛な行動力と強い志を持った傑物ですが、
この歌からは竜馬の「国を憂える気概」や「人並外れた行動力」ばかりか、武士としての「勇ましさ」(竜馬は、剣術も免許皆伝の達人でした)さえ見えてきません。
竜馬の「自然を肌で感じとる優しさ」や「春の終わりへの悲哀さ」が詠み込まれているだけです。
では、なぜ竜馬は自分を誇示するような「勇ましい」和歌を小五郎に贈らなかったのでしょう?
新渡戸稲造は、著書「武士道」の中で、
「武士に和歌を詠むことが奨励されたのは、より優しい感情を表面にあらわし、その半面に勇ましさや情けとしての仁を内面に蓄えるためのものであった」と記しています。
そして、和歌に何気ない日常の様(季節の移り変わりや、自然の美しさなど)を詠み込む心は、武士にとって「平常心を保つ」訓練であり、
「平静さに裏打ちされた勇気」を練磨する道であったと書いています。
竜馬も、国事に奔走する激しさや不安に打ち勝つ勇気を内面に蓄えるために、平素から優しさや悲哀を歌に詠んでいたのでしょう。
だからこそ、命を賭けて国事に奔走できたのです。
このことは、
「本物の勇ましさ(勇気)とは、内面に優しさを持ってこそ形作られ」、「優しさを表面に表すことが真の勇気(強さ)をつくる鍛錬になる」
ということを私たちに教えてくれます。
やみくもに人や物を攻撃するのではなく、人や自然に優しく接することが、本当に勇気ある(強い)人間になることなのです。
教育正常化を応援してくださる方は
応援クリックをお願いします。





