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Bloodborne
Momodora
DEAD CELLS
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​CELESTE
VVVVVV

​これらは、去年遊んだ高難度ゲームの内ハマったものとそうでないもの。ズバリ、​赤がドカバマリしたゲーム、​青が「うーん?」となったゲーム​です。

どれも世間的には大きな評価を受けているゲーム。個人的にも、高難度ゲームは比較的好物の筈なんですが、こうも明暗が分かれるとは不思議に思っていました。
(下が青タイトルについて親交のある先輩ゲームブロガー、kentworldさんがレビューした記事。
非常に丁寧に書かれていると思います。)

この違いを考えたところ、簡単に見えてくるのは​即死ゲーであるか否かといった違い。
それがなぜここまで大きく変わってくるのか…を考えたところ、一つの仮説にたどり着きました。
ゲームにおける"ピンチ"という概念です。

自惚れかもしれないですが、ゲームを遊んだ人ならば「あるある」となる様な話ではないか…と思います。

①"ピンチ"を産んだ「体力」という概念
コンピューターゲームに"ピンチ"という概念が産まれたのは、体力(ヒットポイント)というシステムが導入された事がきっかけ…と言うのが俺の持論です。
それまでのゲームは謂わば「​即死残機ゲーム」で、平時から"失敗"までの間が存在しなかったからです。
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体力というシステムの始祖がどこにあるかはちょっと分からないのですが、多くのゲーマーに認知されるようになったきっかけは、恐らくRPGの始祖たるウィザードリィ、そしてそれを国内向けにアレンジしたドラゴンクエストあたりでしょう。

スーパーマリオもある意味では"体力制"とも言えなくはないですが、あれはアテナと同じく「このままだと貧弱だから早くパワーアップしろ!」という誘導の仕方でもあるので、ここでは勘定外とします。
つまりチビマリオはビキニだった。エロい!

​当初は難易度の低下、マイルド化として設けられたシステムではあると思いますが、「失敗までの猶予エリアを設け、それを可視化した」ことから、草創期からピンチという状況を演出する​というアイディアは生まれていたと思います。(ゼルダの伝説やメトロイドでは、瀕死時にビープ音が鳴る、など)

体力という"猶予"こそが、逆説的に​ピンチ​という状況を演出する。この事が偶然の出来事なのか否かは分からないですが、少なくともコンピューターゲームの"演出論"に大きな進歩を与えたのは確かだと思います。

②"ピンチ"を豊かにする最高の相方、"回復"
ただ、体力制もそれだけではピンチを輝かせることは出来ないし、定着する事はなかったと思います。それを確たるものにし、"ピンチ"という状況をより魅力的にした最高の相方、それが回復​です。

この要素により、「ただピンチに陥らないようにする」だけではなく、「ピンチという状況から脱する」という概念が生まれ、それに基づく戦術や演出が生まれるようになりました。

話は前後しますが、「​来るべきピンチに対しどの様な備えをとるか​」「​偶発的なピンチに対しどの様に回復してピンチを脱するのか​」という戦術・思考が数多く編み出され、コンピューターゲームという娯楽に"深さ"をもたらす結果になったと思います。

歴史が進むにつれ、回復というシステムは、戦術的にも演出的にも洗練され多様化していきます。

③回復に"制限"を加えることによる緊張感
勿論"回復"という行為を無制限に行えたらゲームそのものが破綻するため、大抵の場合には回復行為に何らかの制限を加える事になります。

初期の頃は、それはドロップ式でした。
マリオのスーパーキノコ、ドラキュラでの肉などステージの何処かに配置されているもの、ロックマンやメトロイドの様に敵を倒してランダムに落とすもの、方法はそれぞれですが​回復タイミングをプレイヤーに委ねない​という制限方法です。

しかし、これと同時期に編み出された制限方法の方が、重要だと思います。
それはズバリ、リソース式
​回復タイミングはプレイヤーの自由だが、持てる数は限られている(大抵少ない)。また入手機会も多くない​(事が多い)​という制限の仕方です。

ドラクエにやくそうがあったり、ロックマンでは2にE缶が出てきたり、ゼルダでは初代から回復用のクスリが販売されていたりと、この二つは並行して編み出されたのでしょう。

​所有数、機会ともに限られている​というのがこのリソース式のミソです。
手段としての使い勝手こそ大幅に進化したものの、今使うと次どこで補給できるか分からないという​緊張感​は、ゲームを戦術面でも演出面でも進化させたと思います。

大ダメージを受けたとして、今少ない回復手段を使って良いものか?他の回復手段を求めて我慢するべきではないか?という修羅場での判断や、難所を前にして大量に回復アイテムを持ち込むと言った​事前での危機対策​と、ジャンルを問わずクリアのために考えることを複雑多量化したという点で、リソース式には大きな功績があります。

​入手量の少なさはおろか所有できる総アイテム数も限られている​というバイオハザードは、正に​リソース式の一つの完成形​だと言えます。
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今、出来立てホヤホヤのRE:2に対して、ネット上で飛び交う「弾がないッ!ハーブもないッ!」と言った悲鳴は、公式には恐怖として位置付けられていますが、実際には​ゲームを一番純粋に楽しんでいる証左​なのでしょう。
実際に俺がRE:2をプレイする度胸はないけどな

④アクションの煮詰まりとリアルさの表現により編み出されたリアクション式。
時代がPS2に入ってくると、回復に新たな方向性が生まれることになります。
回復をリアルタイムで行い、明確な隙として表現するリアクション式です。
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これも起源がどこにあるかは分からないのですが(FFのATBも遠因的にはリアクション式っぽい…?)有名にしたのは間違いなくモンスターハンターでしょう。回復薬を飲むと、​例えモンスターにつけ狙われていようとガッツポーズを取る​アレのことです。

これが産まれた背景としては以下の二点が考えられます。
  1. リアルさの表現追求…ハードの性能が飛躍的に向上した事もあり、「緊急時に一時停止して回復アイテムを選択して回復する」行為に不自然さを訴える人が増えた。
  2. 3Dアクションの多様化…上に同じく、ハードの性能進化に伴い3Dアクションの敷居が大きく下がった。それに伴い、差別化の一案として「回復のリアルタイム化」というアイディアが産まれた。
こうしたリアクション式は、一部のゲーマーからは不評も相次ぎましたが、現代の3Dアクションでは多くのタイトルに取り上げられています。上に挙げたブラボ、Momodora、DEADCELLSもその一つであり、ダークソウルや仁王などの死にゲーもリアクション式が殆どです。

理由としては、「回復中も敵に攻撃される」という事が、予想以上に戦術・演出を色鮮やかにしたから。
回復薬グレートをがぶ飲みしてる時に敵に突進された、というのは誰しも通る失敗談だと思いますが、ここから反省して「​ダメージを受けても無闇に回復せず敵の隙を伺う」という戦略性、「​追撃を貰えば死ぬ状況で敵の猛攻を避ける​」緊張感とリソース式とは違った面白さを提供してくれました。

実際に遊んでいるときはイラつく事もあるとはいえ、既存システムの派生としては間違いなく成功と言えるでしょう。

余談ですが、リアクション式も所持数が絞られているため、広義的にはリソース式の一種と言えますが、量そのものは潤沢に手に入る調整を受けていることが多いです。
  • 回復薬グレート…所持限界が10と多く、素材を持ち込めば調合も可能。多くのフィールドで素材を現地調達できる。
  • 輸血液…敵からのドロップ率が高く床落ちも多いので底が尽きる恐れは少ない。マラソンも確立されている。
  • エスト瓶…所持数こそ少ないが篝火(チェックポイント)に到達するたび完全回復し、補給の手間がない。
見方によれば、​ピンチという状況に留まらざるを得ない​という点でFPSに採用されている自動回復制も、リアクション式の亜種と言えるかもしれません。

⑤"即死"が少なくなってきたワケー"ギリギリ"を生きる楽しさ
話は大きく変わりますが、ゲームには"即死​"という概念があります。というか元々コンピューターゲームは即死モノから始まった様なものですが、思えばPS2後期〜PS3ごろは​罠・敵・イベント問わず即死系​が流行っていた​様に思います。悪名高いQTEもこの辺りから流行したものでしょう。

ある意味では先祖返りとも言える傾向ですが、80年代のファミコン時代と違ってユーザー嗜好と多様化してきた中、やはり​上手く受け入れられてはなかった​ように感じます。

現在では即死系のQTEはほぼ根絶され、高難度ゲームでも即死に頼った作りは少なくなっていきました(ブラボ・ダクソ3では落下死を煽るステージ構成は殆ど見られない、など)
現在でも即死ありきのムズゲー(上のCELESTEやVVVVVVなど)はありますが、大抵はオールドゲームリスペクトによる為だと思います。

こう見ると、ゲーマーという人種は(少なくとも俺は)ピンチという状況…言い換えると"ギリギリ"を生きることに魅力を見出しているのかもしれません。現実では滅多に経験できないからこそ、やるかやられるかの瀬戸際に多大なる緊張感と達成感を感じているように思います。
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勿論即死ゲーにも即死に至る、もしくは即死を避けるという過程はあるし、それが一定層に受けたからこそ高いメタスコアなどの実績があることは事実ですが、余裕でクリアするかボロボロになりつつもクリアするかと言った違いがない…言わば0か100%しかあり得ないというのは確かだと思います。

まとめ 
以上が個人的に仮設してみた"ピンチ論​"です。
現在ではインディーズなどでオールドゲーム色に触れる機会も多く、今後"ピンチ"の在り方は混沌としていく可能性もありますが、​重要な存在でありつづける​ことは間違いないんじゃないかな。

​自分が即死ゲーに合わない理由」を考えていたら、やたら長いコラムになってしまいました…
私的事情から自分なりに歴史を遡って妄想し続けた記事ですが、一意見として見てもらえれば幸いです。

ゲームというのは種類が違えど「過程」を楽しむもの、と思います。自分がなぜ楽しいのか、楽しくないのかを掘り下げて考えてみるのも、面白いかも?