2016年07月28日

THE FLAT FIELD 4 望まれない夢

それはシンプルな宣告だった。
「叶わないほうがいい夢もあるのよ。」
きゅうっと肺が縮んで、息が出来なくなった。けれどどこかで深く深く納得している自分がいた。

居酒屋Kのママさんとはもう14年の付き合いだ。結婚式にも来てもらった。もはや母も祖母もいない私にとって、彼女は一番母親に近い存在だ。(こんな大きな娘いらないわよ。とママさんは笑うだろうけど。)
ママさんには子どもが欲しいことをずっと言っていたし、彼女もそれを待っていると言ってくれていた。けれど私が一向に妊娠する気配もなく、それどころか酒量が増える一方であることを心配していた。
「だってさー、行為がないんだもん。それで子どもが出来るわけないじゃん。」
私は努めて明るく言ったのだが、ママさんは眉を顰めた。
「コマ、あんたそれで平気なの?」
「平気じゃないけど。しょうがないじゃん。」
そういい芋焼酎を煽る私に彼女は肩をすくめて、小鉢をそっと差し出し、笑って提案した。
「押し倒しちゃえばいいじゃん。」
「やだよ。今さら。それに私子ども好きじゃないしさ。」
私は小鉢をつつきながらそう締めくくるのが常だった。

そんな経緯もあったので、久しぶりに店を訪れた際、ママさんにここのところの一連の流れを説明した。
「でね、先輩が来てくれてさ、結構いい感じだったの。実際旦那も子どもと触れ合ってみたらさ。そしたら、ちょっと本気に考えてくれるかもしれないって。そこまでじゃなくてもさ。話くらいできるかなって。」
「うん。」
「でもね。」
私は、一旦言葉を切り、ビールを一飲みした。苦い感情が蘇った。曇った私の表情に、ママさんは怪訝そうな顔をした。慌てて私は笑い、続けた。
「先輩を駅まで送って、それで家に帰ったら、夫は寝てたの。ご丁寧に寝室にこもって。熟睡してた。」
ため息と一緒に、当時のどす黒い感情を吐き出した。多分私は泣き出しそうな表情をしていたのだと思う。
「寝てんだよ?寝てる人となにを話せばいいの?『先輩んとこの子ども可愛かったねえ。ウチラもあんなふうな子どもいたらいいねえ。』そんな簡単なことさえいえないってさ。なんなの?って思っちゃってさー。」
ママさんは、眉を顰めたまま頷いた。

そうなのだ。
あの日、先輩を駅まで送って、なんとなく幸せな気持ちで家に戻ったら、夫は寝室で眠っていた。17時過ぎだった。そんなに長く家を空けたわけではない。せいぜい30分ほどだ。寝室から聞こえる夫の鼾に、さっきまで確かにあった、幸せな気持ちが急速にしぼんでいった。
「じゃあ、もういいよ。」
擦り寄ってきた猫を抱きかかえ私は呟いた。こんなことでなくもんかと思ったけれど、やっぱり涙が落ちた。それを強引にぬぐって私は部屋を片付け始めた。お皿を洗い、テーブルを元の位置に戻し、猫に餌を上げても夫は起きてこなかった。
晩御飯を作ろうかと思ったけれど、あまりに虚しくなってしまった。私は、そのままリビングの電気を消し、布団にこもった。じゃあ、もういいよ。私も眠るから。

「で、そのまま寝た。朝まで寝た。7時半くらいだったから11時間くらい。」
「よく寝るねえ。」
ママさんは呆れ顔だった。我ながらそう思う。眠りは私の味方だって小説があったななんて思い出す。
「コマ、あんた子どもが欲しいって言ってたけど、子どもを持つって大変だよ。」
ママさんは突然言った。
「うん?」
「一人じゃ育てられないよ。ましてやあんた仕事辞める気ないんでしょ。どうしたって旦那さんの協力が必要だよ。」
「うーん。」
「あんたの話しを聞いてて思うんだけど、怒らないでね。」
ママさんは遠慮がちにそう切り出した。私は首をかしげて彼女を見上げた。いい話ではないことは明らかだった。
「あんたんとこの旦那さん、そういうこと協力しないと思う。あんた一人で抱え込んで、結局ぼろぼろになってしまいそう。私はそれが怖い。」
彼女は淡々とだけど、はっきりといった。私はそれを黙って聞いていた。
「コマチは、子どもを持つのが夢なんでしょ。」
「うん、そのつもりであの家を買ったんだし。川沿いを子どもと散歩したいなあって。」
記憶が疼く。7歳だ。川のある城下町に住んでいた。日曜日。家族全員で川に遊びに行った。お弁当を持って。車で。川原ではしゃぐ妹とそれを見守る母と父を見ていた。天気がよくて、水も薄も私たちも皆光に包まれていて、ちいさな私はこれが「幸せ」というものなんだわ。と思った。

そういう世界を私も作りたい。そう思った。作れる。そう思ってた。

ママさんは、膝を折って椅子に座る私と目線を合わせた。慌てて36歳の私に戻った。彼女は言った。
「でも、叶わないほうがいい夢もあるのよ。」




komachi_ijb at 17:12|PermalinkComments(0)