豊橋の小間歯科医院のブログ

愛知県豊橋市で開業する小間歯科医院(http://komadc.jp/)のブログです。 歯科医師ならではの歯にまつわるお話などを記せたらと思います。


あけましておめでとうございます

昨年の仕事納めは、1228日でした。

その夜は、元従業員のご主人が最近始めたイタリア料理屋で診療室の忘年会をしました。
彼女は、リーマンショックの後の就職氷河期に当院を志望してくれました。
応募者
10人の中から選びましたが、自分に見る目があったと自負できるほどの逸材でした。
就職後たった
3カ月で歯科診療の大まかな流れを理解してくれました。

さて、翌日から仕事関係、友人宛ての年賀状に一言ずつ書きながら、私は「平成の歯科医師」だったことに気付かされました。
私は昭和
56年に歯科医師になり、昭和60年に花園町にて開業しました。29歳のときでした。
昭和
64年になって間もなく元号が平成になりました。

それから
31年が過ぎ、間もなく令和の世となりました。
私は、歯科の開業医として平成の世を生き抜いたのだなと。

幸せな歯科人生を送らせてくれた平成に感謝しつつ、令和の世に思いを馳せた正月でした。


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近藤 哲先輩は、父君が外科医だったこともあり、花園の大会後の2カ月間、猛烈な受験勉強の後、名古屋大学医学部に現役合格され、受験生にとって空前の伝説上の人物になりました。

第一外科に入局後、肝胆膵癌の外科を専門とし、1998年から請われて北海道大学医学部第二外科助教授に転じ、2004年教授、2008年日本胆道学会理事に就任されました。

しかし2010年秋、胸膜に悪性中皮腫が発見されます。
彼が外科医としてめざした根治手術をご自身も患者としてチャレンジされましたが、翌年永眠されました。
彼は、
13の広大な遺言を残されました。
「…葬儀はしない。…墓や記念碑などは、一切建てない。自分の墓は天空そのものとする。墓参りを望むものは、天空を仰ぎ見ること。これで想いは必ず私に届く。」
詳しくは、愛知県がんセンター総長の二村 雄次先生が胆道 
262号 154-1612012)に「近藤 哲前理事長の遺志を語る」として寄稿されています。


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9回ラグビーワールドカップは、920日からアジアで初めて日本で開催されました。
リーチマイケル主将率いる日本代表「ブレイブ・ブロッサムズ」は、予選を勝ち抜きベスト
8に進出し、その44日間に及ぶ熱戦によるラグビーブームは日本国中を席巻しました。

私の母校である愛知県立旭丘高校にもラグビー部があり、昭和471月には全国高校ラグビーフットボール大会では愛知県代表として花園へ出場しました。
前年
12月に開催された愛知県大会の準決勝で、チームの要であるセンターバックが故障してしまいました。
当時引退されていた
3年生の近藤 哲先輩は、1週間だけ練習に加わり、キャプテンとしてチームを優勝に導きました。
当時の中日新聞にも「受験控え戦列復帰」と大きく取り上げられました。
それを読んでその時高校
1年生だった私は近藤 哲という先輩を知り、大いに衝撃を受けたものです。
話をしたこともお会いしたこともありませんが私の中で、ラグビーといえば彼のことが脳裏をよぎります。

IMG_3040??? ー近藤哲先輩 ??

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