小松ミムル日記

2016年1月1日から毎日更新してみる。

昔食べたアジア料理で、魚のフライを注文したつもりが、
味のついた細かい天かす(パン粉を揚げたもの?)が魚の形に皿の上に盛り付けられていて、肝心の魚が無かった。
苦情を言おうとしたが、連れの子に「こういう料理なんじゃないの?」と言われて断念した。
メニューの写真で見ると、大きな魚のフライにソースやスパイスががかってるみたいに見えるんだよ。

こんな料理、どこかの国にあったっけ?

苦情言うんだった。

警察呼ぶんだった。

警察来ないなら警察来るくらいに暴れてやるんだった。

私の人生におけるその他諸々の理不尽な扱いを許すんじゃなかった。

しかしこんな料理どこかにあるのだろうか。

あったとしても日本で通用しねーんだよメニューにコレは魚の形に盛った天かすですと書いとけやてめえとやっぱり暴れておくべきだった。


ほぼ毎日のブログ、ゆっくり更新しようかな〜?(週一くらいでぇ?)なんて思っていたら、年が明けるどころか1月も終わってしまいました。
何事にも容赦ない私です。

近況はと申しますと、近所のバーの方々に満面の笑みで交差点を横断する不気味な姿を目撃されるほど、笑顔の毎日でございました。

さて本日は2月1日、春の到来を祝うインボルグの日。
2月で暦も変わります。
新しい季節、新しい皆様、新しい私の到来です。

ここ半年、運動も怠けて何をやってきたかというと、自分の心と向き合う心の旅をしていました。
って言いましたっけ?
ブログの更新の仕方も忘れていた私なので、なにを書いたかも忘れているおめでたい次第です。

カウンセリングやヒプノに通い、心理学の本を読み漁り、過去の記憶を辿り、 突如母親に幼少期の事件の真相を問いただすなどしましたが、これが現在の私にどんな影響や効果があるかはどうかとして、格段に心がラクになりました。

私の見た目というか印象がかなり変わってきたようです。
嬉しいなあ。

残酷で険しいドロドロの世界が、キラキラと美しく輝く奇跡の世界へと変わりました。

私の目ん玉が変わったのですね。

心の世界にかかわることを気色悪がる時代遅れで文化度の低い皆様は鼻で嗤うことと思います。

でも改めてとても大切なことだと思います。

嬉しいなあ。

新しい季節、(私の)たくさんの出会い、(私の)たくさんの幸せ、そして皆様のご多幸をお祈りします。


すみません。たまったぶんをさかのぼって書くのあきらめました。

日記の無いのも良い証拠!

はい。開き直りです。

なんたって、良い年越しです。

みんなの楽しい幸せな笑顔が見れたので、幸せ満載です。

とってもとっても楽しい人たちに出会えて、私の大好きなひとたちがニコニコしてくれていて、私もそれが幸せです。

昨年霊感があるかたから、「お前来年結婚する」と言われた驚愕の2016年、結婚はおろか出会いすらなかったかもわかりませんが、ですがですが私にはそれ以上に、幸福な年となりました。

今年は、おいてけぼりになって迷子になっていた自分のかけらを拾い集めた年となりました。

言い換えると、自己が統合されたとでも言いましょうか。

なに言ってるのかわからないと思いますが、私はいま本当に素敵で幸せな果報者です。

心からの笑顔で、年越しです。

ありがとうみんな。

頑張ったな自分。

ほめてやるぞ自分。

愛してるぞこの美しい世界。


私は幸福である。

なぜなら、「ドン・ジョバンニ」から、「フィガロの結婚」と「魔笛」をみている。

オペラを楽しいと思えるは本当に幸福なことだ。

なかでも、やっぱりドン・ジョバンニが一番好きだ。

いちばん全編を通しての音楽性が高い気がする。

ドラマとしてはなんか変なところもあるが、音楽性が高い気がする。

音楽に詳しいわけではないので「気がする」にとどめるが。

「夜の女王のアリア」(それは魔笛だけれど)に代表されるように、モーツァルトが作った女の人が復讐をわめくアリアは秀逸だ。

ドラマとして何か変なところは、物語ののりしろになる。

演出で色をつけてしまえる余地があるのだ。

演出したいな。オペラの。

ドン・ジョバンニを、オッターヴィオ(許嫁に復讐を誓わされる男)ですら登場人物全員が恋心や羨望を抱いている演出とかしてみたい。
誰かやってるのか。

弱くて卑怯という点でもっと人間臭いドン・ジョバンニとか。

台詞と歌詞を変えることなく。

私が「ドン・ジョバンニ」の音楽性が高いと言うのはあれだ。
音楽の表現力が高い見せ場が多い。

たとえばしょっぱなからあげれば、騎士長とドン・ジョバンニのスピードと緊迫感のある立ち合い、そこから騎士長が刺されてテンポが変わり、騎士長が息絶えるまでのドンジョバンニと騎士長の二重奏は、まるでスローモーションのようだ。

私は幸福なことに、そして勘が良かったのかも知れない、17才の誕生日に「ドン・ジョバンニ」全曲のCDをねだって買ってもらったのだ。

訳のついたイタリア語と照らし合わせながら、何度も聞いたが、はじめて買ったオペラのCDが「ドン・ジョバンニ」で良かったとつくづく思う。

思いがけずチョロチョロ爆ってるので、しばらくエロな話題でいこうと思う。

目でわかる。

ヤバいの。

ここでいうヤバいっていうのは、目でエロいのがわかるって目をしてる子がいる。

目で覚醒剤系のクスリやってるかもしくはやってたことがあるっぽいのがわかるときもあるが、ここでは飽くまでエロいろうの話。

ド変態の目をしてる子っている。

決してド変態だと検証したことは無いが。

見つめかたに恥じらいや躊躇や気遣いが無くて、ぐいっと見てくる感じ。
恥じらいが無いわけじゃないんだうけど、リミッターが常人のそれと段階が違うのだろう。

視力が悪いわけではないらしい。

外国人の男の子でもたまにぐいっと見てくる感じってあるが、ド変態の目とはまたちょっと違う。真摯にぐいって見てくる感じの子もいる。

すこぶる見た目の良い子に多い。

そういう目をしても嫌われないのがわかっているからだろうか。

それとも私たちの想像のつかない、とんでもない経験をしているからだろうか。

とはいえド変態だろうから避けてきたのだが。

悪い意味で少し興味がある。

とても悪い意味で少し興味がある。

なにが彼をそんな目にさせるのか、そこに興味がある。

見てみたい。


一人暮らしをはじめて十数年、私は意地を張るのをやめた。

見栄を張るのをやめた。ともいうのか。

いつも買うゴミ袋を45リットルから30リットルにかえた。

ちょうど良い。

よっぽど良い。


なぜ私はいままで今日の今日まで無理して45リットルにしてきたのだろうか。

ゴミ袋だけでもファミリーサイズでいたかったのだろうか。

大きい方が経済的だとでも思ったのだろうか。


この意地がまったくわからない。

まったく意味不明。


ストーカーといえば、さいきん知人の男の子から聞いた話。
昨年ちょっと付き合って自然消滅した女の子がストーカーになりはじめているとのこと。

昨年ってアータ、昨年はずいぶん私を口説いてなかっ・・・???
気のせいか。そーか。そーよね。気のせいよね。ハイハイ気のせい。けっかお友だちだし。

プレイボーイ感満載の彼からはじめて聞く男女問題である。

(語らないが漏れだしてきちゃう男って本格的プレイボーイ臭。)



ストーカーになれるってそれはそれでうらやましい。

そんなに人を好きになれるってことなかなかないし、自分の見苦しさを相手に晒してまで好きと表現できることじたいがうらやましくもある。

まあこんな考え方をするのはバブル期の呑気な恋愛至上主義の名残かもしれない。

だいたいストーカーになるレベルだと、相手のことなどきちんと見ていない状態だろうし、恋愛といえない心の問題だろうし。

でもちょっとうらやましい。

その偏屈さ。

嫉妬といえば、六条御息所である。

年上女である。呪詛である。生き霊である。
ゴマダキの匂いが髪につくのである。

くくく。たまらん。

年上女であるところがいい。

「みやすんどころ」と入力して「御息所」と変換されてほしいくらいたまらん。

だって母性とは支配である。

男たちよ。恐れるが良い。

だって母性って支配じゃーん?!

言い方変えて二回言ってやった。

年上女の嫉妬といえば、フランス戯曲のアレである。

アレだ、マイナーすぎて名前がすぐ出てこなかった、

「バジャゼ」だ。

腹違いの兄の皇帝の后妃だ。こっちはプラス権力じゃ。

ヒヒヒヒヒヒ。楽しすぎだろ。

マイナーだが名前はロクサーヌだ。


しかしだ。

こうやって並べて考えてみたら、六条御息所もロクサーヌも若いんだよな。

そんな年上ってほど年上でもない。

冒頭の知人の男の子も、(女の趣味傾向的に)相手はかなりの年上かと思ったが、どうやら同級生レベルの年齢のごようす。

なんかちょっとさみしいのは何故だろう。

母性はその息子を喰い殺しはしないのか。


年齢的にかなり年上の私は昨年という時間軸の件で彼を問い詰めるでなくじゃあねといって笑顔でわかれた。

嫉妬というほどのことはない。

それがちょっとさみしい。


「俺はお前のストーカーだから」と言われた。

私の写真の切り抜きを財布に入れて持っている。

私のホームページやブログをチェックしとるんだと。

私の自宅も知っている。

でもそんなに私のこと詳しくない。

私のプライベートに踏み込んだりはしない。

いつも私の距離をはかっている。

それが安心。

もっと私のこと詳しくなっても良いのにと思う。

出来たらいつでもバイアスをかけずに私の定点観測をしていて欲しい。


クラブイベントにダンスチームが入る。



お立ち台に立てない。



踊り狂えず周りの人に迷惑がかからない度をわきまえた感じになる。


ナンパ対応が増える。



line友達が増える。


たぶんこういうことって他にもある。


相手役という厄介な役がある。

ソープオペラ的な女性主人公の相手役も厄介であるが、日本の男性が主人公となるドラマのマドンナ的な女性の役も厄介である。

これらの相手役は、生身の人間として存在するよりは、主人公の憧れの象徴であったり、ときに不安を象徴したり、ときとして主人公のゴールともいうべき人生の正解であったりする。

ブログでテキトーかましてるうちに思い出したが、「赤毛のアン」のギルバートなんかも典型的である。

演じるときはどうしているんだろうか。

常に主人公の時間軸を把握してそちらの流れに合わせておき、尚且つ主人公の見ていない相手役側の流れも汲んでおき、見えかたは主人公側からに整合しておかないといけない。

神や鬼を演じるわけではないが、生身の人間を演じるわけでもない。

相手役以外にもこういうたち位置ってあるんだろうか。


私の両親は二人で家業にたずさわり忙しかった。

子供たちの食事を用意できないときがあり、外食も多いし出来合いのそうざいやお弁当が食卓にのぼることもあった。
そういえば夕食はいつも遅かった。

あるとき本当に遅い時間になり、隣の家のおばさんがホカ弁を買って届けてくれた。

たまたま「今日は給食無いからお弁当」と言うのを忘れていた私は、隣の家のおばさんが買ってくれた前日のホカ弁の残りを上手いこと弁当に詰め直し、まんまと事なきを得た。

ホカ弁なので見栄えも良いと子供心に思ったし、そんなことを気にする友達などいなかった。

なぜか後でこのことを聞いた両親は、「子供に前の日のホカ弁を詰め直した弁当を持たせたなんて、申し訳なかった。あのときは大変だったから」とのちのち二人で涙まじりで語りあっていた。

子供心に私は「私の苦労はそこじゃねえ」と内心両親に突っ込みながら、聞き流していた。

いま思い出して、そこで泣いてくれていた両親に本当に感謝している。
仕事も本当に大変だったのだろうし、私のことを本当に大切に思ってくれていたのがわかる。

家をあけがちでも、子供にホカ弁食べさせても、寝る間を惜しんで一生懸命働いていた両親を私は本当に尊敬しているし、そんなものは苦労でも恥でもなかった。今でも尊敬している。

子供ながら、私はけっこう器用に上手いことやったでしょ?

ありがとう両親。

ほんとにありがとう両親。


雪だからおセンチになる。

おセンチといってもくだらないことしか考えていないのだけど。


気になる人がいるときがある。

その人も私に好意を持っているのがわかるときがある。

でも何故か近づく前に、近づいたところで終わるのがわかるときがある。

このままではなんの接点もないから、近づいてしまえば良いのに、近づかないで終わるときがある。

または近づくことがあっても一線越えることなく終わるときがある。


先のことなんてわからないのだから近づいてしまえば良いのに。

その人が傷ついたら辛いようというそんなはかなげな笑顔を、ふとするからだろうか。


傷つけちまえよ。

なあ。

気まずくにがにがしく恨んだり嫌ったりすればいい。

雪の日におセンチな気持ちになるくらいだったら。

でもあの人の笑顔を見たら私はまた手加減するのだろう。

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このいっこ前のブログで問いかけている問いの答えだ。

何故私は遊んでしまうのか。

良い芝居などを観ると、だいたいコーフンしてルーティーンを忘れ余計なことをしてしまう。

良いダンスやオペラぐらいまではまだ大丈夫だな。

キケンなのは芝居だな。

酔ってるときもヤバいな。

変な自撮りをあげてしまう。

すっぴんやめろ。

インスタ気を付けよう。

そしてスヌードをなくす。


落ち着けばかやろう。

良い芝居観ても冷静に暮らせる子になれ。


しかしまだ自分に対する問いかけが残る。

なぜ冬ほど夜遊びしてしまうのか。

いったい夏は何してるのか。

アンダアーマー着たらスポーツウェアもお洒落風味になるのか。

赤毛のアンのギルバートみたいに正論吐く男はいなくて何故この世はみんなカオスなのか。

私が悪いのか。

すぐに眠れるイージーなテレビ番組を観るくらいなら、まとめて人生を変えるようなヘビーな映画をたまに観たほうが良くないか。

下着変えるついでに、パンストをガーターに変えたらなんだか不思議と心地良い。

明日朝早いんだから、でかけちゃだめだよ。

本読むなんてもってのほか。

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本日2016年11月22日。早いものだ。

やることがいっぱいあるのに何故遊んでしまったのか。

次の日しんどいのに何故フーカーしてシガー吸ってしまうのか。

スヌードをなくした。

あいつはいまどこで何してるんだろうか。

探したい気持ちと、このままなくなってくれていい気持ち半々くらい。

お清めに風呂入ろうって何故風呂はいるまでに何時間もかかってしまうのか。


なぜ私に限っては、悲劇はいつも喜劇にとって変わるのか。

主観の相違か。


誰も知らない話だし誰も知ったこっちゃない話だが、下着を一新した。

家にあるタオルとかバスタオルとか、携帯パソコンまわりとか、服とか靴とか、一新したい願望ってあるのだがこれは実はけっこう危険な賭けである。

今回の下着チェンジはかなり成功した感がある。


ダンスに恋してダンスで呼吸してダンスでコミュニケーションしてダンスだけして生きてたい。

そうもいかないから、あなたとも口をきいてあげる。

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チャールトンヘストンの話したのかベンハーの話したのか忘れたけれど、馬が出てくるのもこの映画の魅力だ。

チャールトンヘストンが独り言のように四頭の馬に話しかける有名なシーンがあるのだが、馬も何を言われているのかまるで分かっているようなやりとり。


飼ったこともないのに馬が好きだ。

乗馬にチャレンジしていたこともあるが、急に乗ったってたいてい馬はこちらの言うことを聞かず、はいはいって流されて終わるのだが、調教師の言うことをよく聞くのはわかる。

だから馬を飼ったり手入れしたりある程度付き合ったら、それはとても面白いことになるんだろうなということはわかった。

馬が好きになったきっかけなのだが、夢をみたのだ。

絶望してよく散歩していた土手がある。

夢のなかでも歩いていた。歩いて土手にあがる道を上がると、一頭の馬がいて、光輝いていて、私は救われるのだと気がつく。

馬はとてつもなく美しく、隣にきちんとした格好をしたおじさんがいる。

それだけなんだが、馬を好きになった。

救われるのだと気づく夢をみてから、何となく救われ、いろんなことがあった。

生きていて本当に良かったと思う。

これからもいろんなことが起きるのだろう。

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渋谷のBunkamuraの前、ずっと前にこのあたりのクラブによく連れていってもらったな。

夜歩くと今でもそのときの思い出が甦る。

それも冬の夜。
イルミネーションが綺麗なのに彼氏なんか要らなくて遊びたくてしょうがないだけの女子にかり出されて、街のなかをズカズカと歩いて。

何もなかったけど色々あって楽しかった。

「会いたいのはあなたでなくてあの頃の私」ってよく言ったもんだな。


ナショナルシアターライブの「ハードプロブレム」を観てきた。

会話劇なので日本では人気が無いかも知れないが、笑いを交えつつ、会話劇の面白さを堪能できた。

自然界は競争社会だとか、株式市場の利己的な行動原理だの、科学的に人間の全てを計算できるよーなカチカチな会話に、登場人物たちの好きとか愛してるとか距離を起きたいとかあの子に会いたいとか、計算ままならない心の機微が浮かび上がってきて、その対比の作品。

哲学の話題とか、英語をもっとインプルーヴしたくなる。

そういえば人間って面白い。

どう面白いかというと、ままならない。


渋谷で遊んでた仲間は、いまみんなどこで何してるんだろう。

みんな私の年上。

あの女は死んだし、あの子は海外に行ったまま音信不通だし。

いまの世の中いつでも誰とでも繋がってるかと思ったけど、もう会えなくなることもあるのだな。


しばらく会ってなかった知人とランチすることになった。

色んな噂のある色々ワケアリ風な女の子だったけど、私はそういうのも関係なく付き合ったりする。

ひょっとして何か勧誘とか売り付けたいのかな?と気がついたが、まあ話を聞いてみても良いと思って食後のコーヒーを注文した。

彼女はいまの仕事以外にもう一つのビジネスをしていて、それがうまくいっているから紹介したいのだという。

「マネーセミナーなんですけど。」

「お金の勉強ってしてます?」

あまり賢くない彼女の口からの上から目線な口調に耐えつつ、まさかアレとかでは無いだろう。いったいどんな勧誘または胡散臭い話なんだろうと聞いていたが

「権利収入ってわかりますか?」と聞かれ

まさか・・・。


まさかあのベタな古典的なよくあった今でもよくあるあれじゃないだろうね。

「まさかネットワークビジネスとか?」

彼女はめげず言い返してきた。

「そう聞いてどう思われます?」


「・・・アウトだろ」

「なんでそう思うんだと思いますか?」

私の声は次第に大きくなり、めげず調子が変わることない彼女に呆れることも想像がつくのにそれを見届け、コーヒーを飲みきることなく席を立った。

ネットワークビジネスの何が一番ムカつくかって、人たらしでしかないような、対人間が売りの商売のくせして、妄信的に見事なマニュアル営業なところだ。

もう何年も似たような話しやがって。

ネットワークビジネスといえば、「金持ち父さん貧乏父さん」で有名になったロバートキヨサキがネットワークビジネスを支持する発言をしたりもしているので、そういう団体がロバートキヨサキの勉強会と称して人を集めていたりもした。

あととても残念なことに、私的には楽観的で大好きな「引き寄せの法則」なんかもネットワークビジネスに利用されてきた流れもあるらしい。

「うちがねずみ講だというなら、会社や銀行の仕組みだってねずみ講じゃないか。社長や頭取が社員や行員を働かせて楽してるんだから。」

そんなことを昔言われたが、銀行の頭取も会社の社長も権利収入で楽して暮らせない。
社員より働いて動き回ってもしものときはツメバラ切るじゃねーか。


べつにお友だち商法が悪いとは思わない。
頭の悪い屁理屈が嫌いだ。

メーワクだったりはするが。

昔は田舎で「メークアップ講座」とかあって、行くと化粧品とか売り付けられるのとかあったな。

あと矯正下着の販売手口もお友だち商法だったな。


タッパーウェアの売り方も、どこかの家庭でホームパーティを開いて、そこでタッパーウェアを紹介するというクチコミの売り方だったらしいが、品質が確かでしかもその売り方にステータスまで生まれたとなると、お友だち商法もさすがの域になる。

bc29d4f5.jpgいつ寝てるんですか?と昔はよく聞かれたものだわ。

ただ変な時間に寝てただけなんだけど。
四時間寝ては起きてまた寝て起きてみたいな生活。

夜型のスタッフさんとの打合せとか、脚本校了しなきゃいけないとか、まあ色々あったんだろう。

しかし今でもしっかり八時間とか寝る人すごいって思う。

だってそんなに寝たら勿体ないじゃない?

なんて強気なこと言ってみるが。。。

最近は本当にクラブでオールとかきつい。

さいきん周囲の大人女子が何でかナイトクラビングに興味あるヒト多いので、通わねばならないのだが、しかし、起きてられるんだろうか私。。。

日中運動してしまうと本当に夜弱くなる。

ただそれだけなんだけど。

または朝寝て昼頃起きてくるクセをつけたら楽勝なんだろうけど。

ううううう。。。うううううう。。。。。。

d75bb287.pngインスタにいちいち英語つけるのがバカなことを大仰に伝えてる感がしてハマッてます小松ミムルです。


いまさらだが「マザーグースのうた」ステキだ。

言っとくが日本語訳もステキだ。

そもそも童歌は残酷なものや意味深なものが多い。
口伝えに広まる歌に実は恐ろしい事件が元ネタだったとか恐ろしい意味が含まれているといったことも多いが、マザーグースはかなりダイレクトに残酷な歌が多いのがその魅力である。

My mother has killed me,

My father is eating me,

My brothers and sisters sit under the table,

Picking up bury them under the cold mable stones.

とか典型的にダイレクトだ。
ここまでダイレクトだといったい誰に向けて誰が何のために歌うんだと思えてくる。

子供にいうことを聞かせるために歌ったブラックジョーク歌だと言われているが、本当にただイギリスのブラックジョーク文化からだろうか。
それだけともヨーロッパ特有の児童虐待の歴史によるものからだろうか。


歌ってる親自身も、自分の親に息の根を止められるような苦しさ、兄や姉に踏みにじられた暗い思い出を宿したまま、子供に歌って聞かせていたのではないかと想像される。


で、題名に戻ってハンプティダンプティの歌だが、本当に元に戻らない感じがして好きだ。

「覆水」くらいだったらまた水を注げば良いじゃんってなるけど、ハンプティダンプティがぐしゃったら本当に元には戻らない。

人生そういうことってある。

些細なことで運命が変わってしまって、もう元には戻れない。
後悔したところで、変わってしまうものはどのみち変わってしまうかもしれないし、また注げばええやんってものもあるかも知れないけど、でも出来たらいっしゅんいっしゅん色んなものを、ヒトとか自分とかひとこととか一挙手一投足とか、大切にして生きていかなきゃいけないんだなと思う。

些細なことで運命が変わってしまって、もう元には戻れない。
ってこと実際にあるから。

同じこと二回言った。

Humpty dumpty sat on a wall .
Humpty dumpty had a great fall.
All the King's horses
All the King's men
Couldn't put Humpty together again.

おうさまの兵隊やおうさまの馬が集まっているイメージも想像できて、壮大さやとてつもなく残念な感じも生まれてすごく好きだ。
みんながしゅんとうなだれてハンプティダンプティを偲んでる感じまでする。

あと有名な日本語の訳も好きだ。

詩好きだな。

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ナショナルシアターライブの「戦火の馬」観てきた。

動物感動モノに対して我々日本人はどこか冷静にならざるを得ない。

何故なら我々日本国の映画史にはあの恐ろしい「チャトランの悲劇」があるからだ。
「チャトランの悲劇」とはかつて大ヒットした感動映画「子猫物語」に子猫が木バコか何かで川に流されるシーンがあるのだが、その撮影で何匹もの尊い子猫ちゃんが犠牲になりしかもそれを製作側も公言しているという衝撃的な歴史的事件である。

その事件から、我々はそもそも路上販売から近松門左衛門までお涙頂戴興業が好物な背景を持ちながら、イヌネコの動物、子供、木村拓哉が出てくる映画のお涙頂戴姿勢に対して冷静にならざるを得なかったのだ。
動物子供木村拓哉がクローズアップされたシーンでは、私たちはどこかで「えーこのシーンどんな感じでどー撮ってるの?」という冷静さというかひとつの動物虐待的な疑いを挟んでしまうからだ。

ところがこの舞台では馬がパペットである。
浄瑠璃からインスパイアされた構造だそうだが、首から上をあやつる人、前足、後ろ足の三人の人で一体の馬のパペットを操っている。

うっかりそこに感情移入してしまう隙がある。


それとこれは個人的な思い入れたが、舞台が第一次世界大戦時というところだ。

サーベル持った騎上の将校が、機関銃や戦車といった近代兵器と対峙するという凄惨な接近戦も含まれた悲惨な顔を持つ。

そういった近代兵器が生んだ衝撃的なショックからシュルレアリズムなどの芸術活動も生まれたとも言われている。


さらに個人的に舞台に言及しておくと、ジョーイという主人公の馬と行動をともにしたサラブレッドの黒馬、トップソーンという馬が死んでしまうときがいちばん美しいみどころであった。

倒れたトップソーンの身体から、三人の黒子がゆっくりと離れる。

トップソーンを愛して故郷まで連れて帰ろうとしていたドイツ人将校が叫び声をあげる。

美しくてそしてとても悲しいシーンである。

そして余計なことを考えなくていい。

http://www.ntlive.jp/warhorse.html


はじめていうとずっと私には死の危機があった。

わかりやすくいうと突然自殺する衝動を抱えてずっと生きてきた。

でもそういうときは、冷徹で、発想が残忍で、いつも笑っていて、そして強かった。
くだらないこと以外で泣くことはなかった。

一瞬でも弱さを認めたら死ぬことになるかも知れないから。

最後の一人芝居で、役作りのつもりで死の覚悟をした。身辺整理をするうち、ほんとに死ぬつもりになった。

役作りはうまくいった。

演出に逃げを作らず、音や明かりでごまかしをするのをやめた。
笑いで客の気を引き話を運ぶ手段も捨てた。

集客より芝居そのものに集中した。

全てをかけたつもりだったが、公演で死ねないくらい腹を立てた事件があった。

公演は三回のみ。ソワレ、マチネ、ソワレ。おわり。

マチネのプレチケで来たおじいさんが、R14だと言っていたのに孫を連れてきやがった。
しかも受付で断ったのにごねてむりやり入場してしまった。

孫は最前列で、すやすやと寝だした。

子供の健やかで間抜けな寝息が、序盤から小さな小屋の静かな芝居によく響いた。

カーテンコールでガキとおじいさんの顔を私ははっきりと見た。

(後で観に来ていた役者さんから、本編よりカーテンコールの私のあの一瞥に背筋が凍ったと言われる)

ガキはともかく、おじいさんのほうが許せなかった。

見るとはなしに、SNSで動きまわり観劇しているおじいさんの動向を調べあげていた。

文字どおり命をかけた公演をぶち壊されたのだ。

最後のソワレはうまくいった。悔いのない芝居になった。
しかしそれでもあの寝息は許せなかった。

私の怒りは一ヶ月続いた。

目を閉じると杉の木が見えた。
私は恐らくここにおじいさんを釘で打ち付ける。そんな感覚が沸いた。

文字どおり考えるとはなしに、沸いたのだ。

私は「この怒りがおさまりますように」と、とある神社に祈りに通った。

いまにして思えば、あのときあの寝息が私を死から遠ざけてくれたのだ。


のちのち、死の危機はやってきた。
死の危機がやってきたのではなくて正しくは常にある死の衝動をやっと自覚できた。

何故その衝動が起こるのか、次第に理解し噛み砕いて、そろそろその衝動が無くなった。


そうして私ははじめて死で泣いた。
死にたいして涙を流すことができた。

思い返せば、私には死の危機を抱えていた頃、私のまわりには何人か、同じ死の危機を抱えていた仲間がいた。

いちどもその話題を共有したことはないが、お互い気がついていたはずだ。

私はいつも強気で、世の中の笑えないことの全てをばかにして笑い飛ばしていた。

あのときあのガキのあの忌々しい寝息が無かったら、私は役作りという名目のまま芝居の勢いで恐ろしい呪縛との心中を選んでいたかも知れない。

しかし、いまあのおじいさんの所在を知ってしまうことがあったらと思うと、それはそれで自分が怖い。

可愛いもんで済んで欲しいが、落とし前はつけて欲しい気がする。

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私は劇団主宰であり当時男っぽい男の役者さんしか所属してなかったので、女主宰の劇団で推そうか男くさい男の劇団臭を出していこうか、自在だったので面白かった。

客層やお客さんの反応はカンパニーが男か女かによって微妙に違ってくる。それを見ては世間を笑っていた。

のだが、してやられていたのは私のほうだった。

当時まだ女を知らないという意味ではうっかり私は男の子だったのだ。

男から女にがっつくことがあっても、女というものは、女から男にガツガツいくものではないし、どう転んでもリボンとか香水のびんとかキャンディで出来ている女の子なんだから、アホな抜け駆けなんかしないし、夜はおうちに帰ってみんなスヤスヤ寝るもんだと、それは永久不滅のものだと思っていた。

大学時代のサークル劇団の先輩にあたる女子の何人かは、(イケメンに限る)先輩男子を喰うのが自ら上手い立ち位置に置く手段という名目での自己顕示でありステータスであり趣味と実益を兼ねた表現活動であるひとがいて、そういう女性も世の中にいるということは覚悟していたが、学生だし、そもそもワセダだし(偏見)、芝居を真剣にする人たちにはそんな人いないだろうと思っていた。

それから数年後。

私が大人になれば周囲も大人になったはずなのに、座組でのロマンスを目的としているとしか思えないような、客演さんや演出助手に男の役者が狙われるという事件が多発し続けていた。

騒ぎになるのを怖れた男たちはなかなか私に打ち明けることもなく胸に仕舞い口を閉ざし、女子のすぎたお世話やストーキングまがいの愛情表現に怯え続けていた。

私はそんなことがあるとは夢にも思わず、私の作品や私とともに仕事をすることを愛して来てくれていると信じきっていた。
知らされたのはのちのち。

私は芝居まわりを汚したことがない。
ほぼない。

必死だからだ。
外でやれば良いからだ。

命かけてる場を汚して遊べるか。

ヒトが必死で取り組んでいる場で恋愛リクリエーションみたいな畑荒ししてしかもヒロイン気取りで挙動が不審。

そのうち他のカンパニーでも浮き名を流し、モテてる恋多きキャラでしかも忘れたころに回遊してくる猛者もいた。


女たちの正体を知らされて私は更に潔癖性になった。

ここで「女優」と言わないのは女優に失礼だからだ。

相手役をたまたま好きになってしまったとかいう必然性があったようにも思えない。

手短リクリエーションにしか見えなかった。


主に
○○さんと○○さんと○○さん、遅くないから私に謝ってくれ。

どーせ芝居やめてんだろうけど。

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小劇場の世界を少し思い出すための第一歩として、ユーリと会うことにした。

何故そんなソフトタッチなところからはいるかというと、一気に自らのアレな感性を完全復活させるようなことになったら、今の生活に支障をきたすかも知れないからだ。

支障をきたしても良いかもしれないよーな生活かも知れないが、少しなりとも自分をいたわって何事もソフトランディングしようかと思う。

とりあえず、短いティータイムで聞いた彼の近況は、いま「開幕ペナントレース」というところに所属しているそうである。
なかなか良いかんじの匂いがするカンパニーである。

全身タイツでパフォーマンスするそうだが、似合うし。


俳優である彼の魅力は、「はにかみ」だと思う。

ちなみに写真は本当のはにかみではない。はにかむ振りである。

だが彼は本当にきちんとはにかんだりする。
舞台上では残念ながらそれを見せたことがあるとは思えないが、彼の本当の魅力は「くったくのないはにかみ」にあると思う。

そーいえば男の役者さんはおだてるとちゃんと照れたりはにかんだりする。

何故だか女優さんは難しい。

男より女のほうがチヤホヤされることが多いからだろうか。

私が女だからだろうか。

女優はどうしたらはにかんでくれるのだろうか。


それはそれとして会話はプライベートに及ぶ。

彼は終始役者は生活の心配があるようなアピールをしていたが、しょせん実家が金持ちの伊勢エビ喰って育ったボンボンである。男一人暮しでロシアンブルーを二匹も飼っている。

あと本人は否定しているが「痴女的なひとに襲われる」のが好きなようである。または彼のキャラクターがその危機に瀕しやすい傾向にあるのではないかと思われる。

原田高円寺を見習って彼をインスパイアすべく「森田ゆうりを犯したい」という歌でも作ろうかとも思うが、私には男性を襲う趣味は無いので、「痴女たれば森田ゆうりをファックするがいい」という壮大な感じの歌を作ろうかと思う。


忘れていたが私は役者さんをいじるにあたってずいぶんないじめっ子であったな。

こんなこと書いたけどダイジョブ。このブログ読むひとそんないないから。

ここだけ時間がたったら消しとく。

3ec99829.jpg写真はたまたまだ。

混んでもいない地下鉄で、突然「ジロジロ見ないでよ!」と女性の声が聞こえて、思わず見てしまった。

明らかにおかしな身なりになっている細い女性が騒いでいた。

「あなたみたいな男にモテたってしょうがないし!」

近くにいる男性は明らかにフツーの人がかかわらないように目を伏せている様相だった。
思わず見てしまったうえその女性と目か合った。

「気持ち悪い男からジロジロ見られるうえ女から嫉妬の目で見られ!」

女性の罵りは続いた。

私は目をそらし鼻を掻いた。

「見てないフリして鼻に手をやったり!」

思わず私は吹いてしまった。

芝居の「気まずい」ときの演技でも芝居中ほんとに気まずいときでも私は鼻を掻く癖がある。

「ニヤニヤしてイヤらしい!」

運良く降車駅なので立ち去ろうと立ち上がったが、女性はつかつかと近づき私の肩を掴もうとした。

「あんたのこと言ってるの!」

私はスッと逃げて、女性のほうを見ないようにして電車を降りた。

車中の女性はまだなにかどこかに向かって叫び続けていた。


移動中の今日のことである。


その女性がどうかはわからないが、後天性の統合失調症というやつがある。

幻聴や強迫観念、被害妄想に悩む症状であるが、近所で騒いだり何かをばらまいたりと迷惑行為を始めることも少なくないようだ。

後天性の統合失調症は、離婚や子供の自立などで孤独な状態になってしまった女性に多くみられるらしい。

何だかあわれである。

統合失調症という症状はストレスによって視覚聴覚で得られる情報の処理が頭のなかで整然といかなくなる原理だそうだが、後天性のそれは、何だか被害妄想という形でしか人と関われない女性の悲哀のようだ。

私の知る限りであるが、後天性のそれの症状を見せてくる女性は、もともとは美しい人や美しかったであろう人に多い気がする。
女性然とするように育てられてきただろうし、女性であり続けるためには、向こうから来るまで待たないといけないから、年取ったらそら孤独である。

後天性の統合失調症に関する見解は憶測でしかないが、とはいえ大人女子が孤独にならないためにも私は女性の「ハンティング」を奨励する。

「ハンティング」といっても何するってわけじゃないんだよ。(急に語調変わる)

私がここで提唱する「ハンティング」とは
クラブや外国人の多いラウンジといった盛り場で自分から話しかけたいと思った人に話しかけるまたは話しかけられやすいオープンな状態を作る。
ただそれだけのことである。

この「ハンティング」そのもので誰かと知り合うことが重要なのではない。大切なのはこの「気概」だ。

このハンティング作業においては女性からお近づきになりたい相手を受け身ではなく臆面なく自発的に選びそして行動をおこす。この気概が大切なのだ。

例え場所が変わって職場やサークルなどのコミュニティ内であっても、例え男のほーから話しかけてきたとか誘ってきたという建て前であっても、女からそーなるように仕組むなり意図するなり仕向けるというこの能動的意図が大事なのだ。

大人女子から若いひとに話しかけるとか、いじるいうかからかうとか、そういう能動的意図が女性の孤立を防ぐのではないだろうか。
慣れてたらセクハラとかにもならんだろうし。

友達をつくるには自分からなにがしかのアクションを起こすでしょ。

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本日11月10日。フー。年内には帳尻合わせたいの。

たまに、突然ピアノ弾きたくなる。

子供の頃からいートシまで弾いてたからだろうか。

もうたいして弾けないのはわかってるんだけど。

もう家にピアノ置いてないし。

ピアノ弾くのが言葉であり自己表現であり叫びであり祈りであり、そんな時があった。

あの家族四人ですごした故郷ニューヨークの家が懐かしい。

いまはもう無い家。

家じゅうにところ狭しと本やビデオやレコードやCDがあった。
どれも勝手に読み漁ったり教科書になったり充実してたな。

他にはお金かけなかったが、ピアノ教室だけはずっと行かせてもらった。

クールで素敵な女の先生だった。

みんな成長するにつれやめていっても私はやめなかった。

先生の出たハイスクールに憧れていたのだけど、進路を決めるとき「たいした学校じゃないから考えなおせ」と言われた。

それでも結局進路をそこに決めた。

どこから聞いたか知らないが、入学後私は何かの試験で学年トップの成績をとったのだが、それを伝え聞いて、先生はほめてくださった。
何で私はピアノの技術で先生に返さなかったのかわからないが、いっときはそれなりに頑張ったんだろうか。

私がその気になったら、もっとたくさんのことを教えてくれたかも知れないが、私はピアノ以外習おうとは思わなかった。

指の動きと、幸福そうな先生の自宅のピアノの部屋の匂いをもう私は忘れてしまったが、鍵盤にわんと自分をぶつける感覚だけは、何だか今もフラッシュバックするときがあるのだ。

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本日11月9日。

この部屋は晴れてる昼頃風呂に入ると窓から陽が差して気持ちいい。
天国てんごく。

写真は小田急大雄山から帰る車内で撮った全く知らないひとである。
毛玉だらけのカーディガン着てどこに行くんだか滅茶苦茶寄りかかってきたのだが、こうやって見るとかわいい。


ここしばらく不謹慎な文章や意味不明なエッセイを書いていて、更新できなかった。

意味不明なエッセイの題名のひとつは「性交というコミュニケーションにおけるストイシズム」である。

ライターやってたらプロデューサーから「お疲れですか?」と聞かれるレベルである。


ルーティーン強化中である。

毎朝五キロ以上走って、90分のバレエレッスン受けて、シェイクスピアのソネット読んで、英文長文読解やるって決めた。
判断力を失うくらいヘタヘタである。


そのうち慣れるだろうか。

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朝の地下鉄。

六本木で遊び疲れたサケ臭いワカモノがどっと乗り込んできた。

私は違うの。これからいくさにいくのよ。

向かいで健やかに寝息をたてはじめた子らの寝顔を見ながら。

かわいい。

若いって何しててもかわいい。

振り返ったりは出来ないけど(女は思い出せないから)、ほんとーに何てことないときにフワーッと感じるシアワセってある。

本当に何てことない。

感じようとして感じられるもんでもない。

歯痒い。

芝居に書けないもんかな。

c7ddc69c.jpgこれからバタバタおでかけします。

これ話したかな。

今も美人かも知れないが、私の母は昔から美人だった。
その年齢ごとに、気立ても愛想も良く、やはり田舎町でもとくべつ抜きん出た美人だと思った。

私の幼い頃、うちの家族と親しかった青年が、海で溺れたひとを助けようとして死んだ。

母と一緒にお葬式についていった。

母はずっと普通にしていたが、棺に入った彼を見た瞬間、うわああん!って泣き崩れた。

棺から離れた母は、びたっと泣き止んだ印象がある。
メソメソしないいい女だった。

尊い理由で若くして死んだから、母のような美しい女にうわああん!って泣いてもらえるんだなと子供心にませたことを思った。

ただ出来たら、惜しまれる人は早く死なないでもらいたい。

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無断で写真載せたりお名前あげたりします。

苦情等ありましたらのちほど受け付けます。

かわゆさで女子が確実に負ける「かわゆ兄貴」たちを勝手にご紹介します。

一人は大塚秀記さん、俳優さん。一人は観劇関係で芝居関係者と知人が多いのかしら、高橋秀樹さん。

あらどちらもヒデキさん。

お二人のお肌のベイビー感だとか、かわゆい感だとか、どうでしょう。確実女子負けるでしょ。

私の寝顔とかぜったい眉間にシワ入ってますぜダンナ。
腕とか組んでますぜ。

ときにオトナの顔も出来るお二人だと思いますが、「かわゆ兄貴」として今後も観察していきたいと思います。

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毎日公演打てないし

毎晩最高のあえぎ声は出せないうえに、

歌は作ったり歌ったりもいけませんでしょ。

毎夜絶世の美女になるわけにもいきませんしね、

かといって四六時中美しい男の子を愛で讃えるというわけにいかず、

親の死に目に遭えないほど踊り続けるわけにもいきません。

地獄の底まで落っこちる気持ち良さを味わうことも許されなければ

致死量シャブ打つわけにもいかないの

だから私はシガー吸うの。

73287af8.jpg本日11月4日金曜日。

ブログ更新滞りすぎだろ。

実はひと月誤魔化したのに。涙。9月まるまるね。

でもそれは実生活が充実している証拠なのよー。

言い訳なのよー。

続けていることといえば、不定期だけど寝ているひとを盗み撮りするコレクションかしら。
(写真参照)
不定期だったら他にまあまああるかな。

それはそうと
毎日がとっても楽しい。

街が楽しいというのがひとつ。

ダンスが楽しいというのがひとつ。

お友だちが楽しいというのがひとつ。

もっともっと楽しめると良いな。


楽しすぎると自分でブレーキかけようとするクセあるけど、ブレーキかけなくてもいいじゃんと思うようにしようと思うさっこん。

有頂天アゴーゴー。

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先生へ

もう何年も会ってませんけど先生は今も私の先生です。

いい芝居やれてなくてすみません先生。

最近の役者さんも台詞の入れかたがなってないもんなんですね。
自分の間で入れてくるから、その場に応じて変えられないの。
意表を突かれたら何も出来なくなっちゃいそうだから意表を突いてやろうかって思うの。

私のそんなゾンビみたいな相手役はぜんぶぶち殺して新しく生き返らせてやろうかと思うの。


それはそうと芝居をしてるときほどの集中力が無くて普段の私は能無しなの。

いい芝居が出来るなら悪魔に魂を売っても良いといつだって思ってるけど、悪魔が取引してくれないの。

気がついたら退屈な善人なの私。

でも生きてるからいい芝居しなくちゃなの。

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あいつはいま何処にいるんじゃ。

スヌードってやつ?

スズナリ一人芝居のとき寒い季節だったから買ったの。

マフラーになるしポンチョみたいにもなるし、ネックウォーマーにもなるやつ。

輪になってて薄手でよく伸びて便利でシンプルだから好きなんだけど。

よく家出するの。

黒いから雑グロに間違えられてブカンさんとこにあったとこもあった。

でも戻ってくるんだいつの間にか。

こないだそろそろこの季節と思って出したんだけど、またなくなった。

どこにいなくなるというのかしら。

もう少しモノを捨ててシンプルに生きようと思ってるなかでももしあのスヌードちゃんが居てくれたらスタメンに残すとゆーにさ。


あと何故かよく最近一万円を拾います。

自分が儲かるわけじゃないんだけど気持ち景気が良い。


あとお写真はハロウィンの私。

厚化粧しても良かったな。

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一日一編お勉強?中のソネット集。
どうやら青年に「若くて美しいのだから、美しかった証として子孫を残せ」ということを言っている詩なのだが、

私には「かろうじて生かされているのだから生きている証として作品を残せ」と言われているように聞こえる。

都合の良い耳だこと。

昔、中島敦の山月記を学校で習ったときも、国語の先生から口を酸っぱくして「これはとくべつエリートの話だから凡人の皆さんは想像するしかない」と言われたのに、虎になった孤独な男を当時の自分の父親にあてはめて見ていた。

下世話な人付き合いを嫌って孤立していった父。

そしてそんな父の気持ちもなんだかわかった。

わかるからこそ「そうなってはいけない」と思ったものだが。

父も私もどちらもエリートではない。笑。

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シェイクスピアなんだかんだ好きなんだから、これも読んでみようと思うが、これが美しいとか完璧だと言われているのは旋律とか韻なんだろうと、原文をお勉強することを始めた。

一日一編。ならなんとかなる。

夜中に読み始めたら興奮して眠れなくなった。

美しいのかどうなのかわからない。

読んでみる。

ゴロが良い感じ。

眠れなくなったということはやはり美しいのだろうか。

ソネット集からも格言になってる断編あるよね。

格言好きなんだよね。

短いの好き。

あとちょっと格言とか詩のまわりくどい和訳も好き。

ここでひとつ、くだらないことを格言ぽく言ってみる。


次の恋の対象がイケメンだという限りではないが、

たいがいの失恋の痛手は一回のイケメンとのデートでチャラになる。

癒されないのだというならイケメンの魅力が足りないだけだ。

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けっこう毎年気合いを入れてきたものですが。

カネと時間がかかりすぎるのと、みんなやってると思うと醒めるっていう。

それでみんな、一般的には仮装してどこに行ってなにするんだろね。

女子で集まる。写真とる。

練り歩く。写真とる。

ご飯する。写真とる。

練り歩く。写真とる。

クラブ行く。写真とる。

ご飯はスキップして夜中から集まるとか?

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本の紹介を読みたくて、今でも日曜の朝はつい朝日新聞を買う。

ゲージツ家の書いた文章ってけっこう好きでぐっとくるもので、横尾忠則の書評に毎回ぐっときてしまう。

ゲージツ家って文章上手いよね。

エーゲ海に捧げてるあの人の文章なんかも好きだし、岡本太郎なんかさいこうだよね。

ロジカルに情熱的でぶっとんでる。

ゲージツ家ってすげーな。

あらためて今日の新聞読む。
横尾忠則の書評面白いな。
つい朗読だな。

ムダが無いしサービス精神旺盛な感じもある。

ゲージツ家ってじっさいどんな人種なのか気になる。
ベタすぎてあんまり考えたことなかったが。

ゲージツ家=みなぎる変態クソ野郎でしょーくらいに思っていたが、本当に自らの変態性に手綱を引けないクソ野郎だったら、こんなロジカル感や御してるというかまとまりの良い感じの文章って生まれてこない気もするし。

あ、でも文章でひとって分からないかな。

ゲージツ家ってどんな人なんだろう。

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まだいまちょっと行けないのだが、英語教室行きたい。

何でかってゆーとディベートしたいの。

日本語でもこんなに話し合わない。

ややこしい問題を誰かと分かち合いたい。

やいのやいの持論を繰り出したい。

知的な会話をしたい。

言いたい放題言いたい。

英語でアツくしゃべりたい。

あのドエス英語教室にまた行きたい。

宿題たんまり出るけど。

お写真はカンケーない綺麗なお花。

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もう何代めかになるジャズダンスシューズ、ジャズだろうがどのレッスンでも稽古場でもいよいよ使わないので

ふだん履きにしてみた。

どーよ。

ちょっとだけ高さがあってトゥとヒールが別れてて好きなんだけど。

雨とか降られたら完全アウトな気がしないでもないがまあ良いさ。

しかしなんでみんなこれ履かなくなったのかね?
履いてる人いるのかね?


踊るほうのクラブとかこれで行くのぉ。

あーはいはいって聞いといてください。

さて
ダンス用のヒールを一足買わなくてはなんだが。

スゴいこだわるか出来るだけモノを増やさないようにしたい。

引っ越しでだいぶモノ減らしたんだが、更にもーちょっと減らしたい。

何やるにもモノ(や服や靴)が少なくて済むようにしたいのじゃ。

今日はいよいよ大荷物。。。

9b60b76b.jpg抜けるような空。秋だの。


いま若い世代の子と付き合うと思うが、入り口が非常に紳士的というか、マイルドというか、非常に好意的である。

昔はいじめの文化というが、誰しもはじめましてのとき、ボーイミーツガールのとき、人と人とが近づくとき、まずはヨソモノを警戒し喧嘩腰であった。

それが慣わしであった。

マイノリティがいじめられたというが、昔は出来が良きゃ良いで、親が金持ちなら金持ちで、見てくれがよければ見てくれが良いでいじめられたりもした。

つまり誰しも平等にいじめられた。

いじめの対象が持ち回りのルーティーンであり、いじめがコミュニケーションの基準であったのだ。

本当に嫌いとかでいじめるわけではないので、相手をよく見て手加減を知るし、いじめられるほうの辛さや孤独感なんかもみんな均等に学んだりした。

いまの文化は文化で、コミュニケーション方法は無駄がなくて良いなと思うし、もともとのメンタルの強い弱いの個人差を考えたら弱い人にも寛容だという点でステキだと思う。


しかしたまに懐かしくなったりもする。

人見知りな出会いとか、

気になっちゃう奴との距離とか。

ニヤッ。

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さいきんダンスのレッスン良いのの豊作である。

この先生良いなあ。この授業続けて出よ〜。

なんつーて鼻血ブーである。

ヒールで踊るレッスンが楽しかった。

おかげで普段からヒールを履くのも楽しい。

カッコつけるだけの拷問器具からいつも宙を浮くよう授けられた翼のよう。

ちょっつ無理して言ってるけど。

けど楽しみ。

踊るのが。

ちょっと体重落とさねばなぁ。

長い付き合いだったがみなぎる個性のあの人が決定的に許せないのは、奴の

客に嫌われたくない

というスタンスだ。

不器用ゆえその処世術が染み付いて離れないだけかも知れないが、

いつも

常に

どこかで

可愛くいようと要は嫌われないように居ようとするその弱さとズルさと愚かさが嫌いだった。

なにそれ。

嫌われたくないって。




解放されてホッとしている。


ちょいちょい死にやがる。

若いのに。
若くなくても。皆から愛されている人が。

私の傾向だが、49日くらいは泣かない。

泣くかも知れないが何とも思わない。

しばらく経ってどっとくる。

昔と受け止めかたがちょっと違う。

何で私じゃないの?という思い。

何で私生きてるの?という思い。


いかんな。

充実してないんだな。

いかんな。

このままでは本当に生きてる価値が無い。

必死で生きねば。

せっかく色々決着着いたのだよ。

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大切な人が死んだ。

若いのに、修行僧のように痩せて座ったまま死んでいたらしい。


今日香典返しが届いていて、開けながらいまさら泣いていた。

そして走りながら号泣していた。


死んだのが悲しいというよりは、何故私じゃないんだという思いで泣いていた。

何で私は生きているんだ。

何で私以外の真面目な人ばかりがあっけなく天に召されて、何で私は下らない生を貪って生きているのだ。

下らない生なのに、生きるしかないのか。


月が大きくて青くて、夕焼けが嫌らしく雲を紅く染めまるで意地悪く笑っているようだ。


死なないので生きるしかないばかやろう。

必死に生きるしかない。

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最近会うヒト会うヒトに自撮り写真を誉められる。
会ってないヒトからは「若くなった?」と聞かれる。

とゆーことは実物より良いってことか?

ばかやろう。

これでも一発撮りの無加工たい。

あとスッピんだよう?


昨日は久しぶりにはじけて今朝は頭痛い。

身体がおもむくままに踊るって面白い。

身体が勝手に動く。

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ダンススタジオの有名なバレエの先生が当然のようにゲリラ休講のため、隣の懐かしい通りにコーヒーを飲みに行く。

若者と田舎者と外国人観光客の街。

安い衣料品や、お土産物やさん、クレープのお店がなつかしい。

ここを歩いたこともあったな。

あと変な色のわたあめみたいのも売ってる。

ごみごみした所でそんなに不健康そうなもの食べて何が楽しいかわからないけど、何か楽しそうなのもわかる。

2c42730e.jpg今朝はバナナを食べたんですが、胃が重いです。
これからダンス出来るかしら?


さて

何もしてきてないような色々してきたこの2年。

出会いというか知り合いというか友達が増えたことはなんか嬉しい収穫だ。

何か理由がなければ飲みに行ったりもしないし←貧乏性

芝居仲間は必死すぎて「友達」になったことはないし

でも、トライアスロンとかダンスとか、そゆのの仲間の揉め事とか、そういうひとつ一緒に乗り越えた何かがあると、絆っぽいもんができる。

友達って簡単には出来ない。

言い換えると簡単に作りたくない。

作ろうと思ってできるもんでもない。

これも私のストイシズムだと思ってほしい。


素直に言って良い?

年齢層もまちまちだけど、あちこちに友達がいるって、なんか嬉しい。

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たらふく食べといてなんなんですが、やっぱり痩せたいです。

なぜかというと、変な格好したいからです。

変な格好したうえで、オシャレに着こなしたいのです。

となると、ガリガリ気味に痩せたほうが良いのです。

男ウケとか、美しくとか関係ないのです。

ファッションの奴隷になるのです。


ダイエットの一番の大敵は、お付き合いですよね。
それと、ダイエットを阻む他者のことば。

若い子ならともかく、誰が本気で健康害するほど痩せるかってんだい。


そこで今考えているのが、「拒食症ダイエット」です。

成人してあまりある大人で、拒食症という殊勝なことには決してなることのあり得ないメンタルザイザル麻の私に、もってこいではないかと思うのです。


・まず、体重にこだわる。

減ることの達成感が、食べたときの快感に勝るように、毎日何回も体重計に乗るのです。

体重にこだわることで、痩せすぎたときを客観的に理解できるでしょう。

・そして、食べているとウソをつく。

食べたあと吐く、というのはちょっとイヤなので、その手段は取りません。

隠れてダイエット薬を飲みながらも、健康的に食事を楽しむフリをしながらも、みんなの前でも食べる量を極端に減らします。
「持ち帰り」などを駆使しつつ。またヒトのいないところではとことんカロリー摂取を控えて。

女々しくて良いでしょ?


・「食べないと身体に悪い」などと言われたら、「こんな脂っこい(添加物の多い・塩分多い・有機栽培でない、などなど)食材摂るほうがよっぽど身体に悪い」と言い返し、逆に健康志向を振りかざす。


最後のはちょっと拒食症からはなれるが、ガリガリを目指すならばどこかで妨害者を遠ざけなくてはなりません。

どうだろうか?

しばらく実践してみるので、これを読んでいる数少ない読者のかた、見届けてください。

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忘れていたけど、踊らないと生きていけないって

そんなときがある。

カタルシスだったり

贖罪だったり

叫びだったり

祈りだったり

そういう踊りかたである。

そういう踊りを踊りたい。

眠くても脚が痛くてもやることが山積しててもついうっかり踊りに来る理由。

ほんとは安穏と平穏無事にそういうのが無いといいんだけど


息するだけで人はアレな生き物だから。


デビットボウィか死んで、なぜ私は生きてるの。

やらなきゃいけない芝居と、踊らなくちゃいけない踊りと、

全うしなきゃいけない人生がまだ待ってるからだ。

それはあなたもいっしょ。

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住めば都というからどんな街に行っても思うのだろうけど、

この街きて良かったなぁと思う。

美しいし

安全だし

路上でナンパされる(絡まれる)ことはないし

クラブ遊びが減ったし。何故だ。


ただ、どこかに出かけるときに家からも仕事(の多い)場からも離れるためか、「下る」気がするけど。


どこへも不便なようだけど近いし。


また新しい出会いがあるし。

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