2018年12月03日
その1 金沢城
今冬初
2018年 11月
19
/ 20日の名城探訪 :3編に分けてupします
その1 金沢城
寒くなりましたね!何時までも暑い!暑い!とぼやいていましたら、途端に冷たい外気に晒され、この寄る年並には急激な気温の変化はきついですね!その間、雨も上がり、風もなく、日差しに晒される日は、気持ち良いですね!こんな時のjoggingは快適です。寒い時は「地中のモグラ」同然ですが、一旦晴れて、風もないと、例え70歳後半とは云え、テニスにジョギングにと出て行き「現役時代の講義「健康科学」で、人の体は足の裏から、骨盤、そして背骨「立って歩く様に出来ているのだ、だから現代人はもっと二本の脚で動いて生活せよ!」と講義していた事を思い出し、その事を実践しています。最近は、話す相手が高齢者に多くなったため、「人類が立って、歩くからだに進化したのに、自動車が人類の体の進化を狂わせたのだ!
と車の免許さえ取った事の無い「偏屈者」が喚いています。そんなことで、最近「小宮は春日のトランプだ!」と云われています。そんな私も「胃癌」の検診は終わらせたのですが、まだ「消化器」全体が健全とは云えそうにないようです。 しかし、「酒で悪くしているほど飲んで はいませんよ!もう少し頑張りたいので自重しています。
そんな「気象状況の中、そして体調の中」11月19~20の1泊2日で、「夫婦と次女の3人で続けている「日本名城探訪」の旅を試みました。これで「日本百名城」の中から22 城を探訪した事になりました。
名城に残された天守は、大きく分けて次の様に分類されています。 「現存天守(12城)」:は、江戸時代以前から残っている城で、勿論「改修」・「修復」等は随時行われているので、本当にそのままではありませんが、約400年以上当時のままの姿で天守が残っている城です。現存天守の代表は「姫路城」です。次に「復元天守 (14城):本当の意味での天守は上の12城ですが、全国には当時の図面をもとに再建した「復元天守」があります。尚、復元天守は木造 (5城)と鉄筋コンクリート造 (外観復元天守:4城)の2つに分かれます。実際に木造で復元されている城は愛媛の「大洲」など少ししかありません。
上記以外は「復興天守(13城)、模擬天守 (42城)に分かれます。この違いは、その城に天守が当時存在したか」で、復興天守は、天守があったらしいけど、詳細な資料が見つからないため他の城の天守を参考に作った天守です。そもそもその城には天守がなかったのに作った場合や別の場所に建てた場合は「模擬天守」と呼ばれています。
今回の「名城探訪」は1泊2日の旅で、1日目は、石川県金沢市丸の内にある「金沢城」とその城址に隣接する「兼六園」を見て回りました。この城は幾つもの遺構が「重要文化財」に指定されて、「日本百名城」に指定されてはいますが、「天守閣は現存しません」。この城郭構造は、「梯郭平山城」とされてはいますが,「天守構造」は、非現存のため不明で 1592年築で、(望楼型3重で1603年築とも云われているそうです。「金沢城」の櫓や門に見られる「白漆喰」の壁に「せん瓦」を施した海鼠壁と屋根に白い鉛瓦が葺かれた外観、櫓や塀に付けられた唐破風や入母屋風の出窓は、金沢城の建築の特徴だそうです。もう一つ「金沢城」の特色は、屋根瓦が白っぽく見える景色で、夏でも雪が降った様に見えるそうで、これは、金沢城の屋根瓦が「鉛瓦」であるためで、木で瓦を作り、鉛でコーテイングされた鉛瓦は、銀色にひかり、遠目からは白く見えるのだそうです。この瓦を使っている城は日本でも「金沢城」だけだそうで。
しかし、例え「日本百名城」に選ばれた城址であっても、私には天守閣の無い城址はどうも今ひとつ興味が湧きませんでした。加えて、世界大戦後は平成7年(1995年)まで「金沢大学」の」キャンパスであったため、私個人は、若い頃、そこで開催された「学会」に参加していたため既にこの地は二度目の訪門だったのです。しかも、当日は冷たい雨でした。学会会場に緊張して入った城門跡が「橋爪門? 河爪門?河北門?石川門?」なのかを思い出そうとするだけの時間でした。
2018年12月02日
今初冬 2018年 11月 19 / 20日の名城探訪 :3編に分けてupします その1 金沢城
寒くなりましたね!何時までも暑い!暑い!とぼやいていましたら、途端に冷たい外気に晒さ
れ、この寄る年並には急激な気温の変化はきついですね!その間、雨も上がり、風もなく、日
差しに晒される日は、気持ち良いですね!こんな時のjoggingは快適です。寒い時は「地中の
モグラ」同然ですが、一旦晴れて、風もないと、例え70歳後半とは云え、テニスにジョギング
にと出て行き「現役時代の講義「健康科学」で、人の体は足の裏から、骨盤、そして背骨まで
「立って歩く様に出来ているのだ、だから現代人はもっと二本の脚で動いて生活せよ!」と講
義していた事を思い出し、その事を実践しています。最近は、話す相手が高齢者に多くなった
ため、「人類が立って、歩くからだに進化したのに、自動車が人類の体の進化を狂わせたのだ!
と車の免許さえ取った事の無い「偏屈者」が喚いています。そんなことで、最近「小宮は春日
のトランプだ!」と云われています。そんな私も「胃癌」の検診は終わらせたのですが、まだ
「消化器」全体が健全とは云えそうにないようです。 しかし、「酒で悪くしているほど飲んで
はいませんよ!もう少し頑張りたいので自重しています。
そんな「気象状況の中、そして体調の中」11月19~20の1泊2日で、「夫婦と次女の3人で
続けている「日本名城探訪」の旅を試みました。これで「日本百名城」の中から22 城を探訪
した事になりました。
名城に残された天守は、大きく分けて次の様に分類されています。
「現存天守(12城)」:は、江戸時代以前から残っている城で、勿論「改修」・「修復」等は随時
行われているので、本当にそのままではありませんが、約400年以上当時のままの姿で天守が
残っている城です。現存天守の代表は「姫路城」です。次に「復元天守 (14城):本当の意味
での天守は上の12城ですが、全国には当時の図面をもとに再建した「復元天守」があります。
尚、復元天守は木造 (5城)と鉄筋コンクリート造 (外観復元天守:4城)の2つに分かれます。
実際に木造で復元されている城は愛媛の「大洲城」など少ししかありません。
上記以外は「復興天守(13城)、模擬天守 (42城)に分かれます。この違いは、その城に天守
が当時存在したか」で、復興天守は、天守があったらしいけど、詳細な資料が見つからないた
め他の城の天守を参考に作った天守です。そもそもその城には天守がなかったのに作った場合
や別の場所に建てた場合は「模擬天守」と呼ばれています。
今回の「名城探訪」は1泊2日の旅で、1日目は、石川県金沢市丸の内にある「金沢城」と
その城址に隣接する「兼六園」を見て回りました。この城は幾つもの遺構が「重要文化財」に
指定されて、「日本百名城」に指定されてはいますが、「天守閣は現存しません」。この城郭構
造は、「梯郭平山城」とされてはいますが,「天守構造」は、非現存のため不明で 1592年築で
、(望楼型3重で1603年築とも云われているそうです。「金沢城」の櫓や門に見られる「白漆喰」
の壁に「せん瓦」を施した海鼠壁と屋根に白い鉛瓦が葺かれた外観、櫓や塀に付けられた唐破
風や入母屋風の出窓は、金沢城の建築の特徴だそうです。もう一つ「金沢城」の特色は、屋根
瓦が白っぽく見える景色で、夏でも雪が降った様に見えるそうで、これは、金沢城の屋根瓦が
「鉛瓦」であるためで、木で瓦を作り、鉛でコーテイングされた鉛瓦は、銀色にひかり、遠目
からは白く見えるのだそうです。この瓦を使っている城は日本でも「金沢城」だけだそうです。
しかし、例え「日本百名城」に選ばれた城址であっても、私には天守閣の無い城址はどうも
今ひとつ興味が湧きませんでした。加えて、世界大戦後は平成7年(1995年)まで「金沢大学」
の」キャンパスであったため、私個人は、若い頃、そこで開催された「学会」に参加していた
ため既にこの地は二度目の訪門だったのです。しかも、当日は冷たい雨でした。学会会場に緊
張して入った城門跡が「橋爪門? 河爪門?河北門?石川門?」なのかを思い出そうとするだけ
の時間でした。
2018年12月01日
今初冬 2018年 11月 19 / 20日の名城探訪 :3編に分けてupします その1 金沢城
今初冬
2018年 11月
19
/ 20日の名城探訪 :3編に分けてupします
その1 金沢城
寒くなりましたね!何時までも暑い!暑い!とぼやいていましたら、途端に冷たい外気に晒さ
れ、この寄る年並には急激な気温の変化はきついですね!その間、雨も上がり、風もなく、日
差しに晒される日は、気持ち良いですね!こんな時のjoggingは快適です。寒い時は「地中の
モグラ」同然ですが、一旦晴れて、風もないと、例え70歳後半とは云え、テニスにジョギング
にと出て行き「現役時代の講義「健康科学」で、人の体は足の裏から、骨盤、そして背骨まで
「立って歩く様に出来ているのだ、だから現代人はもっと二本の脚で動いて生活せよ!」と講
義していた事を思い出し、その事を実践しています。最近は、話す相手が高齢者に多くなった
ため、「人類が立って、歩くからだに進化したのに、自動車が人類の体の進化を狂わせたのだ!
と車の免許さえ取った事の無い「偏屈者」が喚いています。そんなことで、最近「小宮は春日
のトランプだ!」と云われています。そんな私も「胃癌」の検診は終わらせたのですが、まだ
「消化器」全体が健全とは云えそうにないようです。
しかし、「酒で悪くしているほど飲んで
はいませんよ!もう少し頑張りたいので自重しています。
そんな「気象状況の中、そして体調の中」11月19~20の1泊2日で、「夫婦と次女の3人で
続けている「日本名城探訪」の旅を試みました。これで「日本百名城」の中から22 城を探訪
した事になりました。
名城に残された天守は、大きく分けて次の様に分類されています。
「現存天守(12城)」:は、江戸時代以前から残っている城で、勿論「改修」・「修復」等は随時
行われているので、本当にそのままではありませんが、約400年以上当時のままの姿で天守が
残っている城です。現存天守の代表は「姫路城」です。次に「復元天守 (14城):本当の意味
での天守は上の12城ですが、全国には当時の図面をもとに再建した「復元天守」があります。
尚、復元天守は木造 (5城)と鉄筋コンクリート造 (外観復元天守:4城)の2つに分かれます。
実際に木造で復元されている城は愛媛の「大洲城」など少ししかありません。
上記以外は「復興天守(13城)、模擬天守 (42城)に分かれます。この違いは、その城に天守
が当時存在したか」で、復興天守は、天守があったらしいけど、詳細な資料が見つからないた
め他の城の天守を参考に作った天守です。そもそもその城には天守がなかったのに作った場合
や別の場所に建てた場合は「模擬天守」と呼ばれています。
今回の「名城探訪」は1泊2日の旅で、1日目は、石川県金沢市丸の内にある「金沢城」と
その城址に隣接する「兼六園」を見て回りました。この城は幾つもの遺構が「重要文化財」に
指定されて、「日本百名城」に指定されてはいますが、「天守閣は現存しません」。この城郭構
造は、「梯郭平山城」とされてはいますが,「天守構造」は、非現存のため不明で 1592年築で
、(望楼型3重で1603年築とも云われているそうです。「金沢城」の櫓や門に見られる「白漆喰」
の壁に「せん瓦」を施した海鼠壁と屋根に白い鉛瓦が葺かれた外観、櫓や塀に付けられた唐破
風や入母屋風の出窓は、金沢城の建築の特徴だそうです。もう一つ「金沢城」の特色は、屋根
瓦が白っぽく見える景色で、夏でも雪が降った様に見えるそうで、これは、金沢城の屋根瓦が
「鉛瓦」であるためで、木で瓦を作り、鉛でコーテイングされた鉛瓦は、銀色にひかり、遠目
からは白く見えるのだそうです。この瓦を使っている城は日本でも「金沢城」だけだそうです。
しかし、例え「日本百名城」に選ばれた城址であっても、私には天守閣の無い城址はどうも
今ひとつ興味が湧きませんでした。加えて、世界大戦後は平成7年(1995年)まで「金沢大学」
の」キャンパスであったため、私個人は、若い頃、そこで開催された「学会」に参加していた
ため既にこの地は二度目の訪門だったのです。しかも、当日は冷たい雨でした。学会会場に緊
張して入った城門跡が「橋爪門?
河爪門?河北門?石川門?」なのかを思い出そうとするだけ
の時間でした。