2010年11月27日

紅つつじと娘


昔、ある村に一人の美しい娘がおったそうな。

祭りの晩に、遠い村に住む若者と出逢い、

どうにも忘れられんようになったと。

若者も同じように娘のことを想っておったそうな。

けれど、二人の間には幾つもの山があってな、

山を見上げては、いつも娘は哀しいため息をついておったと。

ある夜、月が煌々と輝く空を眺めているうちに、

娘はふと思ったそうな。

「あの山を越えれば、あにさに逢える。」

娘は若者の許へと走り出した。

一つ目の山を越え、二つ目の山を越え、三つ目・・四つ目・・・

五つ目の山を越え・・・

娘は走り続け、火の玉のようになって若者の胸に飛び込んだと。

「おれに逢う為に、あんな暗い山道を・・・」

娘の一途な想いが愛おしく、

若者は、娘を狂おしいほど強く強く抱きしめたそうな。

娘が握っていた手を広げると、

そこには、つきたての餅がぽっぽぽっぽと湯気をたてておったと。

「家さ出る時、米握って来ただ。

それがいつの間にか、餅になってただよ。」

若者は、娘の手からあったかな餅を口いっぱい頬張り、

その心根に涙がこぼれそうになったそうな。

こうして、娘は、雨の日も風の日も、山を越え、

両手につきたての餅を握り、若者の許へと通うようになったと。

二人で過ごす夜は短くて、あっという間に空は白み始め、

娘が自分の村へと帰る時刻となってしまう。

そんな毎日を送りながらも、

娘はますます輝くように美しくなっていったそうな。

一方、若者は寝る暇もなくげっそりと痩せてしまったと。


若者の様子を心配した仲間が耳打ちをしたそうな。

「一日もかかさず山を越えてくるなんて、魔性のもんと違うか?」

その言葉は若者の胸に突き刺さり、ついて離れなくなったと。

疑いは次第に強くなり、

娘の本当の姿を見ずには、どうにも心が静まらなくなってしまったと。

ある夜、若者は娘の通る道に身を潜めていたそうな。

やがて、小さな足音が近づいてきたと思う間もなく、

目を凝らす若者のまえを、娘は一陣の風のように走り過ぎていった。

一瞬、月明かりに浮かび上がった娘は、

人間離れした、思いつめた鬼気迫る姿であったと。

次第に、若者は娘を恐ろしゅう思うようになっておった。

きらきらと輝く黒い瞳も、愛しゅうて堪らなかった姿も、

手に握りしめた餅も、すべてが厭わしく思えたと。

若者の心変りに気づいた娘は、涙を流して言ったそうな。

「おらは魔物なんかじゃねえ。

ただ、あにさに逢いたくて逢いたくて、やってくるだに。」



娘の流す涙も言葉も、若者の心をもとに戻すことは出来なかったと。

「おら、魔物に憑きまとわれ殺される。」と思い込んだ若者は、

娘を殺そうと心を決めた。

そして、ある夜の事、切り立った崖沿いの道の端で娘を待ち伏せしたと。

やがて、遠くに娘の足音が聞こえ、みるみると近づいてきた。

月が雲間に顔を隠した時だった。

「いまだっ!」

若者は飛び出し、走り過ぎようとする娘を崖下へ突き飛ばしたと。

娘の悲鳴は、細く尾をひいて、はるか谷底へと落ちていったそうな。

夜の闇がそっと娘を覆い隠したと。

この悲しい場面を見たくないと姿を隠していた月が、

そろりそろり雲間から顔を出してきた。


娘が死んでから1年が経ち、

その場所に、紅い色のつつじが咲いたそうな。

まるで、娘の血の色のような紅い紅いつつじが。

つつじは年ごとに増えていき、

春になれば、山肌を紅く染めるようになったそうな。

(長野県・上田地方の民話をもとに書いたものです)


komorebi55 at 15:05|PermalinkComments(1)TrackBack(0)文と詩 

2010年11月01日

人づきあい −3−


結局、何があったのか分からないままに数日が過ぎていった。

ゴミ出しの日に、ばったり隣人と出逢った。

元気そうな様子にホッとしながら、

私は「お早うございます」と声をかけた。

彼も挨拶はするが、言い終えるとぷいっとそっぽを向いてしまう。

気が進まないが、その日はさらに話しかけてみた。

「少し前に、お宅の辺りにパトカーが留まっていたそうですが、

何かあったのですか?」

話の内容に驚いたのか、話しかけられて驚いたのか、

一瞬言い淀み、「いつの事ですか?」と訊き返してきた。

彼の家に着くまでの僅かな間だったが、

ギクシャクしながらも幾つかの言葉を交わした。


近所を見渡せば、変わらないように見えても、

時は絶え間なく音も立てずに流れている。

一人暮らしのお年寄りが家の中で骨折していて、

玄関にチェーンをかけていた為に入れず、

専門家に切ってもらうという事もあった。

いつの間にか高齢の方の姿が消えてしまい、

入院したり、亡くなったりという事実を、

後から知る事も多くなってきた。

それ程のお付き合いがあった訳ではなくても、

その方が元気だった頃、孫の幼稚園の送り迎えを毎日していた姿や、

不自由な体でゴミ出しや買い物をしていた姿が想い出されて、

ひどく寂しい気持ちになる。


年をとれば、誰でも人の手を借りなければならなくなる。

そんな時、世話をする側は、例え仕事であっても、

「ありがとう」の一言が、どれほど励みになる事か。

コミュニケーションのとれない人の世話ほど、辛いものは無い筈だ。

隣人は、今はきっと、一人で暮らす事になに一つ不自由もなく、

近所づきあいなど面倒なだけだと思っているのだろう。

でも、コミュニケーション能力は、人と人の間で磨かれるものだ。

放っておけば、使い方すら忘れてしまう。

今度から、逢った時には一言二言でも挨拶以外の話をしてみよう。

今、私はそう思い始めている。



komorebi55 at 20:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0)文と詩 

2010年10月09日

人づきあい −2 −


中学生の娘にとっても、早過ぎる母親の死だった。

引っ越したばかりの新しい環境の上に、

私立中学に通学しているため、近くには友達もいない。

近所では、みな気にはかけ、

道で出逢うと話しかけるのだが、それ以上踏み込めないでいる。

高校生になってからふっつりと学校へ行かなくなり、

ずっと家にいるようだという話が伝わって来た。

隣家の前を通る度、

彼女はどんな気持ちで一人家の中にいるのだろうと思い、

閉じられた窓を見上げてしまう。

きっと、合わない何かから逃れ、

ちょうど家は、繭の中に籠るようで居心地よいのかも知れない。

お母さんがいれば・・・という思いがよぎる。

いや、居ても、居なくても、

自分で乗り越えなくてはならないのだと思い直す。

どんな状況であっても、彼女は周りにある材料で、

自分自身の人生を織り上げなければならないのだから。

できるだけ早く、繭の中から出て来れますようにと心の中で祈った。

幸い、何年かかかって、

彼女は自分の道を見つけることができたらしい。

毎日出かけていく姿が見られるようになった。

時々オートバイでやってくるボーイフレンドらしき男の子も見かける。

最後に彼女を見たのは、

家の前で、若い男性と一緒に父親と話している姿だった。

きっと今は、何処かで自分の家庭を持ち、幸せに暮らしているのだろう。

父の事を想ってはいても、

自分の事で精一杯、まだ親を心配するまではできないだろう。


こんな小さなひとつひとつの場面が枯れ葉のように積み重なり、

話らしい話をした事もない、

これからだって出来ないだろう隣人を、私は気にかけている。

パトカーが留まっていたという話から、

一人暮らしの彼に何かあったのではないかと考えてしまう。

***** 続く *****


komorebi55 at 16:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年10月07日

人づきあい − 1 −


携帯の着信を見ると、家の近くの友人からの電話だった。

私が会社にいると知ると、彼女は慌てて、

私の家の近くにパトカーが留まっているのを見たので、

どうしたのかと思って電話しただけだと言う。

電話を切ってから、「泥棒かな?」と暫し考える。

他の可能性ってあるだろうか・・・


一人暮らしをしている隣のご主人の事が、チラッと頭をかすめる。

隣といっても出入り口がまったく違うので、

彼と顔を合わせるのはゴミ出しの時くらいのものだ。

それでも、私の家に面しているエアコンの室外機がいつも回り、

ぼうぼうに伸びた雑草がその辺りだけ倒れているのを見ると、

普段は家にいることが多くなったのだろうと気付いてはいた。

もう定年退職には充分な年頃の方だ。


奥さんは、越してきて1年も経たないうちに癌で亡くなっている。

一度しか逢ったことのない奥さんが、きっと家族の要だったのだろう。

後には、人付き合いの苦手そうな夫と中学生の娘が残された。

初めのうちは何かと心配し、

夕食のおかずを持っていったりした近所の人も、

やがて関心が薄くなっていった。

「近所の奥さんたちはみな同じに見えて、誰が誰やら分からない。」

と言い放つような人だから、それは当然の成り行きだった。

せっかくの新築の家は、

引越しの荷物もそのままに雨戸を閉ざしている部屋も多く、

どんどん荒れ果てていくようだった。


接点のないまま数年が過ぎ、困った事が起きてきた。

まったく手入れのされない庭は自然に還り、淘汰が繰り返され、

鳥が落としていった種から生えた木がずんずん生長していった。

縦横無尽に伸びた枝が、我が家の壁にぶち当たり曲がったり、

強い風で半分折れてぶら下がったりという事態になった。

初めのうちは伸びてくる枝をせっせと切っていたが、

毎年上にも伸び、太くなる枝に手を負いかねていく。

樋の金具が壊れた事をきっかけに、

隣人に事情を話し、必要のない木なら切って欲しいと伝えた。

「分かりました。」と彼が言ってから1年が過ぎても、

何も起こらず、木は遠慮なく生い茂っていく。

毎年台風の進路を心配しながら、

結局2,3年もかかっただろうか、

やっと木を切ってもらう事が出来た。

***** 続く *****


komorebi55 at 13:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0)文と詩 

2010年09月22日

伝える力 − 3 −


テレビの画面では、

「なぜ走るのですか?」というインタビューに、父親が答えている。

「諦めないという事を息子に伝えたいのです。」

その教えの通り、リックは、

その後、ボストン大学に入学し学位を取得した。

そして、現在70歳近くになった父は、

今でもマラソン大会に出場しリックと一緒に走り続けているそうだ。


先日、私とこの介護施設を訪れた友人は、

Tさんの傍に座り、手を握り歌っていた。

きっと、一番気の毒な人に思えたからだろう。

理解しているとは思わなかったTさんが、

テレビの中の親子に感動し、エールを送っていた事。

それを、今度、友人に伝えなければと思った。

「また、時々、一緒に連れていって!

みんなと歌を歌いたいの。」

と言っていた友人は、一体、どんな顔をするだろう。

***** 終 *****


komorebi55 at 20:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0)文と詩 

2010年09月21日

伝える力 − 2 −


一週間が過ぎ、再び、私が母の許へ行くと、

ちょうどリビングのテレビでは、

「あっと驚く世界で起きた実話」とでもいうべき番組をやっていた。

お年寄りたちはテレビの方を向いてはいるけれど、

関心を持って観ているいるかどうかは分からない。

私も母の隣に座り、時々話しかけながら一緒に観ることにした。


衝撃的なVTRの事故や事件が続いた後、

アメリカのボストンでの話へと移って行った。

生まれた時に脳に重い障害を負った男の子と父親が主人公だった。

医師からも、リハビリ療法士からも、

「何をしても良くなる見込みはない。」と言い渡されても、

父親は諦めなかった。

身体を動かすこともできず、

目も耳も脳も機能しているのかどうか反応のない子に、

文字を厚紙で切り抜き、動かぬ指で触らせ、説明する。

まったく効果のない数カ月が過ぎたある日、

突然母親が驚きの声をあげた。

リック(男の子の名)の目が動いたのだ!

医学的に見放されていたリックの脳は、正常に機能していたのだった。

ちょうど、その頃開発されたコンピュータを使い、

リックは頭を微かに打ちつける事で、文字に変換、

対話することが出来るまでになった。

15歳になったリックは、

事故で全身麻痺になった同級生を支援するチャリティ−マラソンに、

自分も出たいと父に訴える。

父親はリックの希望を叶えようと、車椅子を押して完走した。

車椅子の中で、動く筈のないリックの腕が、

まるで鳥が羽ばたくように上下に大きく揺れる。

いつもは表情のない顔が、笑ったかのように崩れる。

それからというもの、

父は車椅子を押しながらリックと二人で、

多くのマラソン大会に出場するようになった。

この話は次第に広く知れ渡り、

トライアスロンの主催者から特別参加を乞われる事になった。

但し、父だけ・・・。

その時、5mしか泳げなかった父は、

トライアスロンに参加しようと練習を積む。

そして、とうとう3年後に夢を叶えるまでになったのだ。

それも、息子と二人で出るという夢を・・・。

当日のハワイ大会のVTRが流れた。

一人でゴールまで辿りつくのさえ大変なことなのに、

暑さの中で車椅子を押して走り、

休む間もなくリックを乗せたボートを引き、泳ぎ始める。

次は、リックを前に乗せた特製の自転車で走らなければならない。

夜遅く心配そうな人々が待つゴールへ、リックと父はとうとう到着した。

スタートから14時間余りをかけてのことだった。


いつの間にか、この超人的な父の努力に引き込まれ、

ハラハラドキドキして見ていた私は、

ゴールに辿りついた瞬間、ほっとして肩の力が抜けた。

お年寄りたちは、言葉を交わすわけでもなく、

表情も変えず、ただぼんやりとテレビに向かっているように見える。

微かに手を叩く音が聞こえた。

いや・・空耳だろうか?

見廻すと、車椅子に座ったTさんの手がゆっくりと動いている。

言葉もなく、表情もなく、近くにあるものは何でも口に入れてしまう、

一番コミュニケーションがとり難いTさんが、静かに拍手している。

Tさんの傍に立っているスタッフと私は、

目を見合わせ、ポカンとしていた。

***** 続く *****


komorebi55 at 18:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0)文と詩 

2010年09月20日

伝える力 −1 −


先日、近くの友人を伴って、母のいる介護施設を訪れた。

「私も一緒に行きたい。」という言葉に、

本気だろうかと、私は彼女の目の奥を覗き込んでいた。

その日は、まだ残暑が厳しい頃だった。

ジリジリと照りつける日差しと蒸し暑さに辟易しながら玄関に入ると、

エアコンで調節された涼やかな空気に、汗がすーっとひいていく。


母の居る階では、ちょうどスイカ割りをしていたそうで、

私たちも美味しいスイカをご馳走になる事になった。

いつものように小さなお話やら、歌を歌ったりして、

あっという間に時間は過ぎていった。

元幼稚園の先生だった友人も、

楽しそうに皆と手遊びをしたり、お年寄りと手を繋いで歌ってくれた。

でも、帰りの車の中では言葉数が少なかったのは、

何か感じることがあったのだろう。

後から聞いた話では、その日家に帰ってから、ご主人に

「私たちも、ああなって行くのね」と話したのだそうだ。


皆それぞれ、いろいろな障害があり、

目がよく見えなかったり、耳が聞こえ難かったり、

足が不自由だったりする。

その結果、全体がうまく繋がらずに、

反応もゆっくりとなり、思う事が上手く相手に伝えられないでいる。

そんなハンディを理解すれば、

私たちと少しも違わないのだという事を、どう伝えたら良いのだろう。

そう思いながら、日が経った。

***** 続く *****


komorebi55 at 22:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)文と詩 

2010年09月08日


神社の前を通り、住宅の間の坂をダラダラと登って行く。

天辺に着くと急に視界が開け、大きな空が広がる。

小さくはあるが「峠」になるのだろうか。

十数年前までは、この辺りは鬱蒼と樹木が生い茂り、

薄暗く秘密めいた場所だった。

自殺があったとか、そのまた大昔には追剥が出たという

地元の人の話に、さもありなんと頷く。

今では、片側の斜面に大きなマンションができ、

反対側の斜面は小さいけれど個性ある家々が並び、

以前の面影はすっかりなくなってしまった。

この峠から四方に、クネクネ道やら、急な階段やら、

車同士すれ違えるかどうかの細い坂やらが延びていて、

近道をしようとする車や人が此処を通り抜けて行く。

風が吹き抜ける気持ちよさと、富士山を望む眺望に、

つい散歩の足を向ける人たちもいる。


2年前まで、よく此処で出逢ったおばあさんの姿を

最近では見かけなくなった。

耳が不自由なので人間とは簡単な話しかできないのだが、

動物とは自由に会話が出来るそうだ。

おばあさんの周りには、いつも動物がいた。

小さな犬を連れて、さらにノラ猫がお供をして・・・

その一団がほのぼのとした雰囲気を醸し出していた。

冬の日に、段々の一番上に腰をかけたおばあさんの横に、

猫がちょこんと座って日向ぼっこをしていた姿が、

今でも目に浮かんでくる。


その日、階段を上った私の目の前にポツンと座っていたのは、

Sさんと愛犬だった。

「あら!」と明るい声とは正反対の、

Sさんの表情の暗さに気づき、思わず私は足を止めた。

80代半ばの女性であるSさんは、

10歳離れた認知症の妹さんの面倒をみている。

よく出逢い、話を聞いたりアドバイスしたりしているのだが、

実のところ、もう介護は無理な年齢なのだと私は思っている。

年齢よりも若く元気ではあるが、彼女が頑張っている為に、

妹は誰よりも彼女を頼りにし、

近くに住む妹の娘は安心しきっている。

熱中症で自身が一週間入院したというSさんは、

初めて自分の具合が悪くなるという状況に直面して、

ショックを受けているのだった。

自分の力で何とかしたいという思いのSさんにも、

現実を認め、辛い決断をしなくてはならない時がきている。

聡明な彼女には、それは良く分かっている筈だった。


峠の上で並んで腰をかけ、私たちはしばらく話をした。

「 そろそろ行きますね。」と私は立ち上がり、

緩やかな下り坂へ。

少し表情が明るくなったSさんは、

犬と一緒にクネクネ道を下って行った。


komorebi55 at 21:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)文と詩 

2010年07月11日

旅人


梅雨明け間近のムシムシした重い空気のなかで、

まるで宇宙遊泳をしているみたいに、

自分の動作や頭の廻りがゆっくりしている。

普通の日だったら5分で終わる朝食も、

日曜日の今朝は、ちぎったパンを口に入れては新聞を読み、

コーヒーをひと口飲んではぼんやりし、

いつまで経っても食事が終わらない。

こんな気候では誰だって食欲がなくなると思いながら、

自分で食べる事をしなくなったという母を想った。

最近は、スタッフが口に入れてあげて、やっと食べているそうだ。


ほとんど話す事をしない母だけど、相変わらず笑顔は優しくて、

私が絵本を取り出すと、手を叩いて嬉しいという仕草をする。

小さなお話の後、皆で懐かしい歌を歌う。

ただそれだけなのだけど、同じフロアのお年寄りたちも、

私が行くのを楽しみにしてくれているようだ。

昨日は歌に合わせて踊る人もいて、大いに盛り上がった。

自分がしてあげるというより、

お年寄りたちからもらっている何かの方がずっと大きい気がする。


顔を合わせる方たちも、少しずつ変わっていく。

フロアが変わっただけかもしれないし、入院したのかもしれない。

母だって、いつまでこの施設にお世話になるかは分からない。

私たちはみな、たまたま同じ場所で同じ時に出逢った旅人。

しばらくすれば、別々の道を歩き始めなければならない。

そう思うと、この僅かな時がひどく貴重に思えてしまう。


そろそろ夕食の準備の時間になった。

一人ずつに「さようなら」言う私に、スタッフが声をかける。

「○日に流しソーメンするし、△日の夜は町内のお祭りだけど・・・

来ます?」

ウンウン・・・ 「行きます!」


komorebi55 at 12:05|PermalinkComments(2)TrackBack(0)介護 

2010年06月07日

Hさんの死


ドアが開け放されているHさんの部屋を何気なく覗いた。

ベッドの上には誰もいない。

Hさんが共有スペースに出て来なくなって2ヶ月程になるだろうか。

人が部屋に出入りする度にチラッと見えるのは、

Hさんが点滴を受けながらベッドに寝ている姿だった。

ちょうど通りかかったスタッフに、

「Hさんどうなさったの?」と声をかけた。

すると彼女は突然クルリと背を向け、

つんのめる様にトトッと2,3歩進んで、手でオイデオイデをする。

きょとんとしながら彼女の横に並ぶと、

「Hさんは二日前に亡くなったの。

でも、みんなには言わないで下さいね。ショックを受けるから。」

と声を詰まらせながら言う。

いつも黙ったまま、お人形のようにニコニコしていたHさんが、

そこまで具合が悪いとは思いもしなかった。

今までは、具合が悪くなれば病院へ移され、

治療や延命措置がなされ亡くなるという経過を辿ったのだろう。

それが、最近では無理な延命をせず、

施設で最期を看取る方向に変わってきているようだ。

きっと、この施設でもHさんのような例が

生まれつつあるのだと気づいた。


その日スタッフ同士は、いつもより元気で賑やかにしていた。

反対に、お年寄りたちは少しばかり神経質で不機嫌な気がした。

ちょうど、暑さや寒さから守られ一定の温度の建物の中にいても、

気候の変化を感じ取るように、

お年寄りたちはHさんの死を敏感に感じとっているのかも知れない。


帰りのエレベーターで一緒になった年配の看護士さんから、

Hさんはスタッフや家族に見守られ、

静かに息を引き取ったという話を聞いた。

下りる階なのに、

看護士さんは扉を開けた儘、まだ話したそうにしている。

スタッフ達にとっても、介護するお年寄りの死を受け入れるのに、

苦しい思いをしているのが伝わって来た。

母は、この施設にお世話になって良かった。

それまで、母を預けることが何かしら不安だった気持ちは、

雪が融けるように消えていった。


「ご家族は気を落とされたでしょうね。」

Hさんの息子とその家族を思い浮かべながら言った。

「また、みんなにハモニカを聴かせに来ると言ってましたよ。」

と看護士さん。

ハモニカを吹いたり、演歌を歌って、

お年寄りたちに聴かせている彼に何度か逢った事がある。

初めて見かけた時は、取っつき難く、いかつい顔の男が、

必死にお年寄り達をを盛り上げようとする迫力に、

いささかタジタジとなってしまった。

その熱演とは裏腹の、彼のひどく悲痛な表情が印象的だった。

最後にすれ違ったのは亡くなる10日ほど前のこと。

私が紙芝居の後、みんなと歌を歌い、

なかなか切りがつかないでいた時に、

ちょうどHさんの息子一家が現れた。

私はホッとして、

「良かったね。歌の上手な方が来ましたよ!」

と言って、バトンタッチして帰ったのだった。

Hさんの部屋に顔を見せた後、母親はいなくても、

きっと、いつものように皆を楽しませたのだろう。


母親が亡くなった悲しみが優しい想い出に変わるまでに、

どの位の月日がかかるだろう。

それでも、きっと彼は心からそう思ったのだ。

「また、みんなにハモニカを聴かせに・・・」と。


komorebi55 at 21:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0)介護 
Recent Comments
Recent TrackBacks
QRコード
QRコード