2017年04月22日

 以下の書について、私の印象は後日・・取りあえずコピー

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2007年冬号(第08号) >
「Mirror for Americans: Japan(アメリカの鏡・日本)」:ヘレン・ミアーズ著

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私の本棚

「Mirror for Americans: Japan(アメリカの鏡・日本)」:ヘレン・ミアーズ著:VIEWS 2007年冬号(第08号)掲載

ワイルス 蓉子(Wiles, Yoko)




「70%の日本人が東京裁判を知らない」という日本の新聞記事を読み、日本全土を焦土にし、多くの国民の運命を変えた戦争が、もう歴史のなかでも語られることがなくなったのかと落ち込んだ。そのとき、友達から「ワイルスさん、この本をお読みください。戦争体験者の貴女でしたら、いろいろ感想がおありでしょう。」と渡されたのが、この本である。これがアメリカで出版されたのは1948年(昭和23年)で、日本はまだアメリカ軍の占領下であった。翻訳家の原桃代氏が、著者ヘレン・ミアーズ氏より原著の寄贈をうけ、日本での翻訳出版の許可を得た。しかし、占領下の日本では、この本の出版に対して連合国総司令部(GHQ)の許可を得なければならなかった。そして、翻訳出版は許可されなかった。1951年(昭和26年)、サンフランシスコにおいて日米講和会議が開かれ、ソ連を除く連合国と日本が講和条約に署名した。連合国軍による占領は終了し、日本は再び独立国になった。そして1953年、原氏は「アメリカの反省」と題して、この本の翻訳を出版することが出来た。しかし、なぜか当時はあまり注目されなかったとのことである。

ヘレン・ミアーズ氏は、メリーランド州のガウチャー女子大学卒業後、1925年に友人の誘いで中国の京北に一年間ほど滞在し、その間、日本を訪れた。帰国後、ジャーナリストとして活躍し、結婚したが、3年後に離婚した。そして、1935年に再び訪日し、一年間、日本の庶民の生活習慣から神道まで学んだ。1936年、フォーチュン誌の「日本特集」の編集長となり、日本専門家として全米の注目を集めた。戦時中、彼女はミシガン大学やノースウェスタン大学の陸軍省の占領地政策講座で講義し、日本占領に備える要員の養成に携わった。終戦翌年の1946年2月、連合国総司令部(GHQ)に設置された労働局諮問委員会の11人のメンバーの一人として来日し、労働組合法等の策定に参加した。帰国後1948年、GHQの内部情報に基づいて書かれたのがこの著書である。

この本は2005年5月、毎日新聞ジュネーブ支局長、パリ支局長、学芸部長、出版局次長、英文局長を歴任された伊藤延司氏の訳によって出版された。伊藤氏によると、1993年暮れ、アイネックス社長の白子英城氏から知人を通じ、「かつてマッカーサーが日本での出版を禁じた本があるのだが、どんな内容か読んでみてほしい」と依頼されたことが、この訳書が再び世に出る端緒となったとのことである。白子氏は近代・現代史に興味をもち、独学されているビジネスマンだ。同氏が近代・現代史に興味を抱くようになったのは、いまだに解き得ない疑問があったからだそうだ。それは、日本が戦争を始めた理由は、「日本は侵略者だった」という単純なことだったのであろうかという疑問であった。白子氏がこの疑問をアメリカにいる友人に話したとき、友人が教えてくれたのがこの本だったのである。しかし、すでに絶版になっていたため、アメリカの古書探しの専門機関に依頼し、ようやく入手したのが1993年とのことである。白子氏の手元に届いたのは奇しくも12月8日、日本海軍が52年前に真珠湾を攻撃した日だった。

ミアーズ氏は、1931年に起こった満州事変(筆者注:当時、中国東北地区には“緑林”と呼ばれる匪賊が割拠していた。日本は匪賊を討伐して東北地区の安定をはかるという理由で派兵した)にさかのぼって、「日本だけが果たして侵略国だったのか」と疑問を投じている。民主主義諸国がアジアにおける不平等条約と治外法権を破棄しなかったため、日本の中国東北地区(満州)への進出を強く止められなかったのだと指摘している。改めて当時のアジア地図を見ると、フィリピンはアメリカ、インドネシアはオランダ、インドシナ(ベトナム、ラオス、カンボジア)はフランス、韓国と台湾は日本の殖民地だった。そして、パキスタン、インド、ビルマ、シンガポール、ボルネオ、マレーシア、香港は全て英国の植民地であった。実際、東南アジアでの唯一の独立国は、昔から王制のある泰国(タイ)だけだった。日本は1932年、清朝最後の皇帝、宣統帝溥儀を擁して、中国東北地区に満州国を設立した。中国(当時は支那とよばれていた)は国際連盟に「日本の侵略」として提訴した。国際連盟から派遣された調査団は、「これは明らかに日本の中国に対する侵略であり、満州国を承認することを認めてはならない」という報告書を提出した。アジアにおける自国の権益は絶対に放さない欧米諸国が、日本を侵略国と非難したのである。日本は国際連盟を脱退した。それから、欧米諸国の日本に対する経済封鎖は厳しくなった。ミアーズ氏は、「日本を侵略国と批判する欧米諸国も同罪である」と批判している。まさにその通りで、日本も欧米諸国と同じように侵略国だったのである。アメリカの日本占領政策を批判しているこの著書を、日本のアジア侵略の免罪符にしてはならないと思う。ここで特に述べたいのは、私が子どものときに住む機会があった満州国は、決して当時のスローガンのような『五族協和、王道楽土』の土地ではなかった。満州国は明らかに日本の権益のみを目的に建てられた国であった。この著書を日本のアジア諸国に対する侵略の免罪符にしてはならないと思う。

彼女は連合国の占領政策も厳しく批判している。言論、宗教、思想の自由を掲げる民主主義国家のアメリカが、日本の神道、天皇崇拝、民族感情等、日本の古来の宗教や文化伝統を徹底的に否定したのである。自国の兵士は英雄として扱い、日本の帰還兵を賤民として扱い、如何なる援助も許さなかった。「日本の歴史は国家主義的側面と嘘の歴史を教えているから、連合軍総司令部の検閲下で新しい教科書が出来るまでは、歴史、地理、道徳の授業をいっさい中断するよう命じた」とも記している。軍国主義からの解放と唱えて、財閥解体、学制改革、農地改革、軍隊解体、議会制度改革、華族・貴族の廃止等々、日本の旧制度は徹底的に解体された。そこには軍国主義からの解放を唱えながら、民主主義とキリスト教以外は認めないアメリカの占領国に対する厳しい姿勢が見える。このようなことを率直に批判されたのでは、連合軍総司令官のマッカーサー元帥が日本での出版を禁じたのは当然と頷ける。そして、この著書がアメリカで出版されたのが、日本がまだ占領下にあった1948年であったことを考えると、ミアーズ氏の勇気に感歎するのみだ。

「何の罪もない現地の人々が、米軍と日本軍の戦闘に巻き込まれて、耐えようのない強大な暴力の犠牲になっていた。私たちは『解放』という行為の中で、彼らの家を、村を、土地を、生活手段を破壊し、かれらの故郷を見るも無残に廃墟にした。」この著書のこの記述を現在のイラクの状況と重ね合わせてみると、まさに『歴史は繰り返す』 と痛感する。そして、アメリカでは、参戦経験がない人たちによってイラク戦争が始められた。日本では、戦争体験のない人たちが、イラク戦争を支持した。厳しい言葉かもしれないが、如何なる大義名分を掲げようと、防衛でない戦争は破壊行為以外の何ものでもない。「戦争」の恐ろしさと、歴史を学ぶことの大切さを改めて教えられる本だと思う。

著者紹介

ワイルス 蓉子(Wiles, Yoko)

在米日本大使館の大使秘書室に25年間勤務。退職後は、現地の日系人を対象にしたニュース・レターを発行し、その編集に携わる。1986年から1994年までの8年間、「老壮の支」にアメリカ通信を執筆。著書に「知らざるアメリカ」(日常出版)、「日々のアメリカ」(朝日新聞社出版局)、「アメリカ首都圏の日本女性」(新風舎)がある。


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2016年12月31日

ただのコピペだが、ジャパノロとしては見過ごせない記事であるので紹介したい

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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161230-00000048-jij-soci

年末風物詩、受難の時代=除夜の鐘に苦情、餅つき中止―「共同体弱まる」懸念も

時事通信 12/30(金) 14:45配信

年末風物詩、受難の時代=除夜の鐘に苦情、餅つき中止―「共同体弱まる」懸念も


ノロウイルスの流行を受け、マスクや手袋を着用して餅をつく神職ら=27日、甲府市の武田神社


 年末の風物詩となっている除夜の鐘や餅つきが、騒音を訴える苦情や流行するノロウイルス感染への不安から中止される例が相次いでいる。

〔写真特集〕にっぽんの風景〜春夏秋冬〜

 伝統文化として継続を願う声も多く、専門家は「共同体の足腰が弱るのでは」と懸念している。

 大みそかの深夜、人間の煩悩の数とされる108回打ち鳴らされる除夜の鐘。東京都小金井市の千手院では、敷地内の保育園の建て替えで釣り鐘の場所を移したところ苦情が相次ぎ、2012年に中止を決めた。住職の足利正尊さん(41)は「園児の情操教育にも良いと思っていたが、住民の声は無視できない。悲しいね」と声を落とした。

 静岡県牧之原市の大澤寺も同様の理由で12年間やめていたが、夕方に終わるよう時間を早めた「除夕の鐘」としておととし再開。住職の今井一光さん(58)は「苦肉の策だが、参拝客も増えてかえってよかった」と前向きだ。群馬県桐生市や三重県亀山市にも、昼間に行っている寺がある。

 鏡餅などを作るために行う餅つきも中止が相次ぐ。食中毒対策で手袋を着用するなどの動きは以前からあったが、流行するノロウイルスへの懸念が拍車を掛けた形だ。

 川崎市の武蔵小杉駅前通り商店街は、20年前から続く餅つき大会を今年は中止した。事務局を務める荒川陽子さん(39)は「衛生対策が間に合わなかった。みんな楽しみにしていたがやむを得ない」と残念がる。

 子供たちの体験にとどめ、ついた餅をその場で食べない所も。東京都町田市の小川自治会では、昨年からつきたてをきな粉餅などにせず、持ち帰って加熱して食べるよう呼び掛けている。

 甲府市の武田神社でも今月27日、神前に供えるために餅つきをしたが、参拝客に振る舞うのをやめ、神職もマスクや手袋を着用した。権禰宜(ごんねぎ)の関宣隆さん(54)は「これまでのようにできないのは残念。神事なので、できるだけ変えずに対策を取った」と説明した。

 日本文化に詳しい東京大大学院教授のロバート・キャンベルさんは、「餅つきも除夜の鐘も生きるために不可欠ではないが、潤いのある豊かな生活を支えている。中止する前にできることを考えるべきだ。鐘の音が届く範囲には、何かあったときに支え合う緩やかな共同体がある。やめることでその足腰が弱くなるのではないか」と話した。 

最終更新:12/30(金) 15:40


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2016年08月09日

http://www.mag2.com/p/money/12814
マネーボイス
「天皇制国家」と日本会議〜現代日本人を虜にする国家神道的メンタリティ=高島康司
2016年5月22日 ビジネス・ライフ

今回は、いま我が国で復活しつつある国家神道的なメンタリティと「日本会議」、自民党が推し進める改憲論の関係について詳しく解説する。最近では周知のことだが、安倍政権を支える中心的な政治勢力は、293名の国会議員と1000名の地方議員が参加する「日本会議」である。(未来を見る! 『ヤスの備忘録』連動メルマガ・高島康司)

自民党は「スピリチュアリズム」を武器に改憲に突き進む

「日本会議」と安倍政権の親密な関係

このメルマガの記事でも何度も書いてきたし、最近では周知になっていることだが、現在の安倍政権を支えている中心的な政治勢力は、293名の国会議員と1000名の地方議員が参加する「日本会議」である。

【関連】安倍政権の背後にある「日本会議」の知られざる実態と自民党=高島康司

「日本会議」は「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」という2つの右翼系政治団体が1997年に合体してできた組織だ。神道系、仏教系、キリスト教系の宗教団体も加盟している。

組織の実質的な運営は、「生長の家」の創始者で天皇制国家の復活を掲げる谷口雅春氏の信奉者が結集する「日本青年協議会」が担っている。その総責任者の椛島有三氏が実質的な運営者だ。この会は1966年の「建国記念の日法制化」や1979年の「元号法制化」を実現させた長い草の根の政治活動歴がある。

日本会議が目指すもの

「日本会議」の公式サイトでは、「日本会議が目指すもの」として次のような目標を掲げている。
1.美しい伝統の国柄を明日の日本へ
2.新しい時代にふさわしい新憲法を
3.国の名誉と国民の命を守る政治を
4.日本の感性をはぐくむ教育の創造を
5.国の安全を高め世界への平和貢献を
6.共生共栄の心でむすぶ世界との友好を

一見するとほとんど当たり障りがない目標だが、「日本会議」の実質的な目標は、憲法改正による戦前に近い天皇制国家の復活である。結局「日本会議」とは、戦前回帰のナショナリズムを志向する団体であることは間違いない。

そして、このような組織の支配を受け入れるようになったのが、現在の自民党の特徴である。「自民党をぶっ壊す」をスローガンにして誕生した小泉政権は、構造改革の実行で自民党の選挙基盤を崩壊させてしまった。

その結果、「日本会議」が自民党の有力な支持基盤として登場した。現在の安倍首相は「天命を担った」存在として目されており、安倍政権の存続期間中になんとしてでも憲法改正を断行する意志を鮮明にしている。

こうしたことは、戦後日本の右翼の歴史とともに、第342回配信のメルマガ記事にも書いた。またその一部は、「マネーボイス」にも掲載されている。詳しく知りたい方はあわせて読んでほしい。
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Next: 自民党「憲法改正草案」に滲み出る、現行憲法とは真逆の国家観
国民の権利より義務が優先の「憲法改正草案」

ところで、現在の自民党と「日本会議」が強く志向する憲法改正だが、改正の対象はよく議論になる9条だけではない。主権在民を骨子とした現在の憲法そのものの基本的な枠組みが改正の対象となっているのだ。

それは、自民党が公開している「憲法改正草案」を見ると明確だ。長くなるので詳述はしないが、草案の基本的な改正点は、国民の権利よりも、国家に対する国民の義務を優先させている点だ。

現行憲法では国家の権力から国民の権利を保護するために、国民に主権があることが明記されている。それに対して自民党草案では、国家に対する義務を果たすものにだけ権利を与えるとされており、国家の存在を国民の上に置くような明治憲法に近い規定になっている。

現行憲法とは根本的に異なる国家観

これは小さな違いではない。現行憲法と自民党における憲法改正草案では、国家に対する考え方が根本的に異なっているのだ。

現行憲法では国民が最高の主権者であり、国家は国民の権利を侵すことはできない。これはつまり、社会や国家というものは、基本的には国民という個々の人間によって構成されているという見方だ。これは欧米の憲法が広く共有している認識でもある。

他方、自民党の憲法草案は国家こそ神聖な存在であり、それは個々の国民の存在を超越しているという信念が基礎にある。つまり、国家は国民が存在する以前にすでにあり、国民とは関係のない独自の神聖な実態性を有しているということだ。

この2つは正反対の認識だ。主権在民の憲法では国家を構成している存在は国民であるので、国家の定義は明白だが、国家の国民を越えた神聖性を主張する自民党の憲法草案では、この神聖性を証明するなんらかのイデオロギーがどうしても必要になる。

明治憲法では、神の直系である天皇が統治する日本という記紀神話に基づく国家神道のイデオロギーであった。そして、神聖な日本に住まう日本人は、神の血が流れている天皇の赤子であった。

自民党の憲法草案では国家神道の言及はあえて避けているものの、万世一系の天皇が統治する神聖な国という信念は、安倍政権および「日本会議」では広く共有されていることは明白である。

だが、自民党の憲法草案の基盤にあるこうした考え方は、現在の日本人には到底受け入れられるものではない。

Next: 国民にとって受け入れがたい憲法改正を可能にするウルトラCとは?
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国民にとって受け入れがたい憲法改正

戦前の明治憲法下の日本では、国家の神聖性の基盤となる記紀神話と国家神道は公教育で徹底して教えられていた。

そのため、国家に国民を越えた超越性があることは、なんら問題となることはなかった。

ところが、主権在民の戦後憲法下の日本では、記紀神話や国家神道を信じるのは特殊な宗教集団から政治集団に限られる。国民の存在を越えた国家の神聖性は、戦後70年間教育の対象から完全に排除されてきた。

そのような状況では、この認識が普通の国民にすんなりと受け入れられるとは到底考えることはできない。

ということは、憲法9条だけならいざしらず、安倍政権と「日本会議」が主張するような方向での戦後憲法の全面的な改正ということは、国家の神聖な実在性が基本的に拒絶されている現在、実質的には不可能と見たほうがよいだろう。

不可能を可能にする日本のスピリチュアリズム

だが、それを可能にする方法が存在する可能性がある。それは、現在ものすごく流行っている日本のスピリチュアリズムを利用し、国家の超越的な神聖性をまったく異なった角度から正当化する方法である。

周知のようにいまの日本では、占い、前世リーディング、予言、死者との交信、ソウルヒーリングなどスピリチュアル系が大流行している。

これらは60年代に始まったアメリカのニューエイジ系の文化に起源をもつが、日本で独自に発展した潮流となっている。これは、十数年前の「オーラの泉」というテレビ番組の大ヒットなどを通して、広く一般にも受け入れられるようになった。

いまでは、スピリチュアリズムにはまったく関心がないという日本人のほうが少数派になりつつあるといってもよいだろう。

この日本版スピリチュアリズムが、安倍政権や「日本会議」が希求する国家の神聖性の基盤を提供するように利用される可能性が大きいのである。

「自己救済」としてのスピリチュアリズム

それがどういうことなのか説明してみよう。

占いにしろ、ヒーリングにしろ、また前世カウンセリングにしろ、その目標となっているのは直接体験による自己救済である。「ハイアーセルフ」や「神」、また「宇宙人」のような高次元存在とつながり、それを直接体験しているヒーラーか、ないしはワークを通してそうした存在を体験した本人が、自分の生まれてきた目的や、いま悩んでいる問題への対処法を高次元存在からの啓示という形で得るのがスピリチュアリズムのもっとも一般的な手法だ。

これはスピリチュアリズムが日本でブームになり始めた30年前も、いまとさほど変わらない。しかし、いま顕著になっている特徴がある。過去のスピリチュアリズムでは啓示を受けるためにつながった高次元存在は、「ハイアーセルフ」や「神」、そして「宇宙人」など特定の民族や国家とは関係のない比較的に普遍的な対象が多かった。

それが近年、啓示を与える存在が、記紀神話に出てくる神道の神々であるケースが非常に多くなっているのだ。これらの日本の伝統的な神々は、これにつながった人間の口を通して個人の悩みに答えたり、またその人間の将来を予言したりする。

そして、そうした啓示には日本の未来についての内容も非常に多い。記紀神話に出てくる日本の古代の神々が実際に降臨し、国家と民族の未来に対する啓示を与えるというわけだ。
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戦前の国家神道もスピリチュアリズムを基礎としていた

実は、戦前の日本の国家神道にも、記紀神話を通して日本古来の神々とつながり、これを直接体験するケースが非常に多かったのだ。戦前の日本特有のスピリチュアリズムである。

たとえば、1920年代に日本の神聖性を強く訴え、超国家主義を主導して後続の世代に大きな影響を与えた渥美勝という人物は、日本神話による自己救済という境地を開いたとされる。

渥美は記紀神話の意味を直観的に感じとることを通して、自分を神国日本の精神と同一化し、古代の神々を身近な存在として体験した。この体験から得られた啓示によって、自分の生きる意味を見いだした。

さらに、1932年に「血盟団事件」を引き起こし、大蔵大臣だった井上順之介や三井財閥総帥の団琢磨を暗殺した日蓮宗の僧侶、井上日召の神秘体験は壮絶だ。日召の自伝から引用する。


「最初にもちこんだ米がなくなると、草をたべて腹をみたし、坐りつづけて題目を唱え、唱えつづけて死のうと決心した。幾十日すると心身に異常をおぼえ、半ば発狂を呈した。くるわば狂えとなおも精進、ついに一道を見いだした。見るもの悉く大光明の世界」

「自分の暗殺は神秘的な暗殺である。目的を果した時に自分は始めて、自分と云ふ者を認め、団と云ふ者を認めた」

「一種不可思議な気持になって、突然ニッショウーと叫んだ。その後、お堂に入って、お題目を唱えていると、突然薄紫の、天地を貫ぬくような光明が、東の方からパッと通り過ぎた!すると、なんだかひとりで立上りたい気持になって、あたりを見渡すと、目につくものが、なにもかも、天地万物がことごとく一大歓喜している。

しかも、そのまま私自身なのだ、という感じがする。宇宙大自然は私自身だ、という一如の感じがする。『天地は一体である』『万物は同根である』という感じがひしひしと身に迫る。かつて覚えたこともない、異様な神秘な心境である!『妙だなあ』と思って、試みに、これまでの疑問を、今悟り得た境地に照らしながら、静かに繰返して考えて見ると、驚くべし、三十年間の疑問が、残らず氷解してしまったではないか!」

井上日召のこの体験も、神国日本の神聖な源泉である神々の生命力を直接体験し、それによって得られた啓示であるとも見ることができる。

明治末期から急に増えた記紀神話の神秘体験

このような神秘体験は、「日本改造法案大綱」を著し戦前の日本の右翼思想の骨格を形成した北一輝や、日米開戦を予言する著作を著し、満州事変を主導した石原莞爾のような超国家主義の大物も多く接していることは有名だ。

しかし当時、こうした神秘体験は決して特殊なものではなかった。明治の末期から、神秘体験は当時の青年層に比較的に広く広まっていたようだ。明治の末期は日本の産業革命が進展し、伝統的な農村共同体の解体が急速に進んだ時期だ。

この時期には農村から放逐された青年が都市にあふれ、スラム化していた。こうした人々は、所属する共同体が存在せず、生活が不安定で将来の見通しも立たない孤立した個人だった。

こうした青年層が引きつけられたのは、記紀神話による神秘体験だった。先に書いた渥美勝と同じように、記紀神話の直観的な読み取りを通して神国日本と自己同一化し、日本の神々と交信して自分の生きる意味を見い出す道だった。当時の日本にはこうした神秘体験をする人々が多く存在し、それらは生き方に迷った青年を多く引き寄せていた。

そうした日本独特のスピリチュアリズムは、関東大震災や度重なる恐慌で疲弊した昭和初期の日本ではさらに勢いを増していたと思われる。
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では現代は?

もちろん、当時と現代とでは状況は根本的に異なっている。

しかし、バブルが崩壊して長期的な低迷期に入り、終身雇用制や年功序列などの伝統的な雇用環境が崩壊した90年代以降の日本でも、雇用の不安定な契約社員や派遣社員が激増し、所属する共同体のないネット難民化した人々が急増している。

そしていまの日本でも、そうした人々を強く引き付け、生きる目的を実感するひとつの手立てになっているのが、いまのスピリチュアリズムなのではないだろうか?神秘体験を通して神々とつながったカリスマの与える啓示や、または自分自身の神秘体験を通して神々の存在を実感し、自分という存在に新しい意味を与える方法だ。

スピリチュアリズムを利用するであろう安倍政権と日本会議

そしていま、このような日本版スピリチュアリズムがつながる先は、「ハイアーセルフ」や「高次元存在」のような普遍的な存在ではなく、日本の神々へと急速にシフトしている。

このシフトにともなって、日本を神国「ヤマト」として崇め奉り、その国の一員としての国民を神の子孫である天皇の「赤子」とする心的傾向がかなり強くなっている。

日本人は神の「赤子」なのだから、世界のどの民族からも隔絶した特殊な存在であるというわけだ。これが孤立し生き方に迷う人々のプライドの根拠となる。

さて、現在の安倍政権とその背後にいる「日本会議」は、憲法改正を急いでいる。それは戦争放棄をうたった9条の改正に限定されるものではない。個人の存在を国家に優先させた主権在民の現行憲法を、神聖な天皇制国家に国民を臣民として組み込む自民党憲法草案の方向での全面的な改憲を最終目標にしている。

しかし、先に書いたように、現代日本の市民社会は、国民を越えた国家の神聖性などという概念を受け入れる素地はほとんどない。いまだにこの概念は戦前の過去の遺物として見られている。

だがいま、古代の日本の神々とつながり啓示を得る方法がスピリチュアリズムの主流になりつつあるとき、天皇制国家の神聖性は自明のものになる。

その神聖性は、記紀神話を感じることを通して、直接的に体験できるものになりつつある。

おそらく憲法改正を急ぐ安倍政権と「日本会議」は、現代の日本のこうしたスピリチュアリズムを全面的に利用し、政権基盤の一部として取り込むことだろう。
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これは宗教の取り込みではない

しかし、間違ってはならないのはこれは「宗教の取り込み」ではないということだ。「日本会議」には多くの宗教団体が結集しているので、右翼系の宗教団体の取り込みはすでに行われている。

スピリチュアリズムはいわゆる宗教団体ではない。神秘体験を信奉する膨大な数の人々が、組織されずに存在しているのである。その数は宗教団体を圧倒するはずだ。

いまからはじまるスピリチュアリズムの政治的な取り込みは、こうした層を対象にすることで、天皇制国家の神聖性を自明のこととして実感する人々を増やし、憲法改正の追い風にしてゆく可能性が大きい。

7月参院選に立候補する「カリスマ」

おそらく次の参議院選挙では、スピリチュアル界のカリスマ的な人物が立候補し、注目を集めることになるだろう。彼らは日本と日本民族の神聖性を強調し、スピリチュアルな啓示を与えることだろう。

もしこうしたことが起こるとするなら、それは歴史的な転換点にもなるはずだ。7月はすぐそこまで来ている。

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http://www.mag2.com/p/money/17919
日本会議はもう古い? 我が国エリートが集う「梅下村塾」の影響力=高島康司
2016年7月17日
今回のテーマは、日本の官僚と財界の生え抜きエリートをまとめる裏の研修機関「フォーラム21(梅下村塾)」についてである。

いまや「日本会議」は、狂ったナショナリズムの宗教カルトに政権が牛耳られていると報じられ、海外でも知られるようになった。だが実は、海外シンクタンクの日本に関する報告書において、「日本会議」よりもはるかに重要な集団として紹介されているのがこの「フォーラム21(梅下村塾)」なのだ。(未来を見る! 『ヤスの備忘録』連動メルマガ・高島康司)

※本記事は、未来を見る! 『ヤスの備忘録』連動メルマガ 2016年7月15日号の一部抜粋です。興味を持たれた方はぜひこの機会に今月すべて無料のお試し購読をどうぞ。

海外シンクタンクも注目する重要集団「フォーラム21(梅下村塾)」とは



広く知られるようになった「日本会議」

いまやっと多くの本や記事が世に出るようになり、安倍政権の背後にいる「日本会議」の実態が明らかになりつつある。

このメルマガの過去の記事でも散々書いたが、「日本会議」とは、1997年に「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」という2つの団体が合体して結成された右派の民間団体である。

組織の運営を実質的に担っている事務総長は、宗教団体「生長の家」の創設者で、敗戦を拒絶し「天皇制国家」の再興を主張した「谷口雅春」を信奉する「日本協議会」の椛島有三である。

【関連】安倍政権の背後にある「日本会議」の知られざる実態と自民党

元最高裁判所長官やワコール代表のような各界の著名人が会員として名を連ねるだけではなく、293名の国会議員、1000名の地方議員が会員である。ちなみに安倍政権の16名の閣僚のうち、15名がメンバーだ。政治に巨大な影響力を持つとされている。

また「日本会議」の運営を実質的に支えているのは、「霊友会」「国柱会」「神社本庁」「解脱会」「念法真教」など、「天皇制国家」の再興を理想とする宗教団体である。

もう1つの統治機構「日米合同委員会」

他方、現在の日本には隠れた統治機構が存在し、この組織の決定が憲法や国法よりも優先していることが立証されている。その組織とは「日米合同委員会」である。これは在日米軍の最高幹部と日本の主要な省庁の幹部が2カ月に一度結集する会合だ。

ここでは米軍からさまざまな要望が省庁の担当者に直接伝えられるが、これには現在の日本の国法では許容できないものも多くある。それを実現するために、国法を事後的に改正する処置もここで協議されていると見られている。

第二次安倍政権は完全な官僚主導

一方「アベノミクス」を始めとした現在の安倍政権の基本政策は、完全に官僚が主導して立案されたものである。

2007年の第一次安倍政権は、官僚主導をぶち壊し、政治主導を実現することを目標に、国政の決定権を官僚から官邸に移動させた。おそらくこの当時は、「日米合同委員会」に結集している官僚も排除されたであろう。

この結果、隠れた統治機構の主体である官僚は反逆し、1年と少しで第1次安倍政権は崩壊した。

こうした経緯も背景になって今回の安倍政権は、すべての基本政策を官僚に依存する完全な官僚主導の政権になった。もちろん、日本の隠れた統治機構である「日米合同委員会」に結集する官僚は、安倍政権を背後から支えるもっとも重要な基盤であろう。この意味では安倍政権は、彼らの意思に反した政策を実行することは許されていない。

これが現在の安倍政権の背後に存在するパワーグループだ。だがこのような状況を見ると、ある疑問が沸かないだろうか?

Next: 「縦割り行政」を超え、各省庁の官僚をまとめるのは誰なのか?

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「縦割り行政」を超え、各省庁の官僚をまとめるのは誰なのか?

「日本会議」は憲法改正と「天皇制国家」の再興を目標にする宗教色の強い右派のイデオロギー集団だ。以下の活動目標を見ると、政治経済政策の具体的な提言は皆無である。
1.美しい伝統の国柄
2.新しい時代にふさわしい新憲法の制定
3.国の名誉と国民の命を守る政治
4.日本の感性をはぐくむ教育の創造
5.国の安全を高め世界へ平和貢献
6.共生共栄の心で結ぶ世界との友好

そのため、安倍政権の実質的な政策を担っているのは「日本会議」ではなく、「日米合同委員会」に結集しているような官僚の集団であることは間違いない。

一方、官僚組織を見ると、決して一枚岩ではないことが分かる。日本の省庁は完全に縦割り型の組織であり、各省庁は自分のところの「省益」の拡大を最大の目標としている。許認可権、予算配分、天下り先の拡大などだ。

そのため一般的には、こうした各省庁の官僚が省庁の違いを越えた横のネットワークで横断的につながることはないと見られている。

ところが影の統治機関と呼ばれている「日米合同委員会」には、あらゆる省庁の局長クラスの官僚が横断的に参加している。

さらに、「日米合同委員会」が単に在日米軍との協議機関ではなく、日本の国法を左右する重要な決定がここで行われていることは、『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』という2014年発刊の本でやっと明らかになった事実である。

鳩山元首相もこの組織の存在を知らなかったと告白しているように、「日米合同委員会」の存在と機能を知るものは自民党の中枢の一部の政治家と、各省庁の限られた幹部だけであろう。これを知る官僚の数は限定されている。

このように考えて見ると、各省庁の主要な官僚を横断的に結集し、価値観と世界観を共有する集合体へとまとめる機軸となる機関が存在するのではないか。これが筆者の疑問であった。

実はそのような機能を果たしている可能性のある組織が存在する。それが「フォーラム21」というほとんど知られていない研修機関なのだ。

外資系シンクタンクのレポートを読むと、彼らがなんと「日本会議」よりもこの「フォーラム21」の影響力に注目し、安倍政権の去就を分析しているのが分かる。

Next: 海外も注目、梅下村塾こと「フォーラム21」の構成メンバー一覧
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梅下村塾こと「フォーラム21」の構成メンバー一覧

「フォーラム21」とは、ユーエスコーポレーション社長の梅津昇一が1987年に、「21世紀の日本・世界を担う新しい指導者を育成」することを目標に設立した研修機関だ。1999年からは幕末の吉田松陰の「松下村塾」にちなんで「梅下村塾」と呼ばれている。

これだけ見ると、よくある経営塾のような感じにも見えるが、実はそうではない。以下は参加省庁と企業のリストである。なお、参加企業は、それぞれの産業分野を代表する主要な一社に限定されている。同一の産業分野から複数の企業が参加することはない。

参加企業
◾イオン
◾出光興産
◾オリックス
◾花王
◾鹿島建設
◾サントリー
◾資生堂
◾新日鐵住金
◾セコム
◾全日本空輸
◾ソニー
◾大日本印刷
◾電通
◾東京電力
◾東レ
◾日本生命保険
◾日本アイ・ビー・エム
◾日本郵船
◾日本電信電話
◾日立製作所
◾東日本旅客鉄道
◾本田技研工業
◾富士ゼロックス
◾三井不動産
◾みずほフィナンシャルグループ
◾三菱重工業
◾三菱商事
◾ヤマト運輸
◾読売新聞社

参加省庁
◾外務省
◾経済産業省
◾文化庁
◾警察庁
◾厚生労働省
◾検察庁
◾財務省
◾総務省
◾防衛省
◾法務省
◾文部科学省
◾農林水産省
◾環境省
◾内閣府
◾内閣官房
◾国土交通省

OB会参加企業
◾伊勢丹
◾イトーヨーカ堂
◾大和證券
◾リクルート

Next: 日本の中枢に食い込む「フォーラム21」の狙いとは?
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日本の中枢に食い込む「フォーラム21(梅下村塾)」の狙い

さて、これを見るとどう思うだろうか?日本の主要な産業分野を代表するリーディングカンパニーと、主要な省庁の集まりである。

ちなみに、この研修機関の参加者は若手ではない。40代から50代の生え抜きのエリート官僚と、企業の幹部候補生だ。

参加団体を見ると、これは経営塾どころか、日本の中枢に食い込む集団であることが分かる。彼らはいったいなにをしているのだろうか?これは次回に書く。
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koniyasu at 20:39コメント(0)トラックバック(0) 

2016年07月16日

私のこのブログへの書き込みは読んで感銘を受けた本の一部をそのままコピペすることが多い。その点でオリジナリティにかけることは自覚している。

『縦並び社会』(毎日新聞)『ワーキングプア』(NHK)に続く最近の3冊目、『偽装請負』(朝日新聞)

 プラザ合意以降の経済の変貌の中で、労働者階級(そういうものが日本にあるかどうかは問題であるが、一応、欧米流の使われ方で)が、一方的に追い詰められていく過程が進行している。

 元々日本資本主義(本来の資本主義とは言えないそうだが一応外見が似ているのでそう呼ぼう)は先進資本主義に比べて遅れた出発だから「ドイツ資本主義」とともに市民階級が生み出す自生的な資本家階級の層が薄い。世界的な競争市場の中で熾烈な戦いに参加して戦い抜くために外部の力=国家機構のアシストを必要とし、そのための取り組みが、明治以降試みられた。

 それらの個々の動向を実証的に記すためにはかなりの労力を必要とするが、体力の限界、したがってこの老躯に許された時間は乏しい。資料集を作りそれを参照してもらうしかない。

 プラザ合意

 それまで、国家による為替政策で知識集約型産業ではなく、技術or労働集約=技能集約産業による『ものづくり』への特化をしてきたが、世界経済の変化に伴う「資源・エネルギー制約(=石油危機)」、ついで「環境制約」には投入原単位の合理化ー極限追及により、労働集約型の自動延長・延命を図ってきた。

 加工貿易=輸出企業のための円安支持政策

 『グラフが語る日米の景気動向』(経済企画庁調査局景気統計調査課編−当時)に折り込まれた1項目、『実質実効為替レート』(野口由紀夫氏の見解を参考にして作られた)の動向を見れば一目瞭然。

 アメリカの復権を目指す動き

 知識集約型産業への特化。「第三の波」ー情報産業への特化、金融への応用、これらによって「資本主義的原理のグローバル化」の推進 その象徴がマイクロソフト、近年ではグーグルである。さらには適地生産=「生産費均等化定理」の現実化によって途上国への資本の流れはとめどもなく広がる。

 その多くは「野口由紀夫氏」の著書で書かれているとおり
 アメリカ自体の「貧困化」は堤未果。
 Amazon、ナイキなどグローバル展開する企業の原産国における労働実態告発の書

 以上のような世界史的流れの中で日本の労働世界の実態を位置づけなければならない。
 かつて、左翼が使用した用語でいえば「労働者階級の敗退の歴史」ー総評解体、連合誕生ー、資本が労働(階級)を自家薬籠中の物としていく過程が進行していた。

 その最後のサバイバル・ポリシーが派遣労働の変遷に現れている。
 企業内労働組合に守られた日本の労働者の権利がはく奪、裸にされていく過程が上述の3書に生々しく描かれている。

 日本人のモノづくりへの執着は 『製造業が日本を滅ぼす』(野口悠紀雄 ダイヤモンド社)

 『偽装請負』(朝日新聞)の中で日本経団連会長・キヤノン会長の御手洗氏は「ものづくりを日本に残し・・」
「派遣と偽装請負が日本経済の空洞化を防いでいる」としている。

 高付加価値化ではなく労働集約産業を残すことが雇用に役立つ、誰が割を食うのか、そのことがこの書に書かれている。ー基本的問題点が分かっていない朝日、毎日新聞社、NHKの編集諸氏ー

 労働者の権利を剥奪する「非正規労働者化」

資本の輸出=工場の海外立地
 資本の輸出=工場の海外立地or「ものづくり」を国内に残すには低賃金労働が必要
or移民、国内労働者の条件切り下げ=非正規化
のどれを選択するかの問題。

 苦肉の策を選択するー日本製造業大手企業ーキヤノン、松下電器産業

 バブル崩壊の事後処理ー三過剰(物・金・人)を処理できない日本の事情 既得権相互信任システムが根底にある。real sectorは政治の世界が絡むからアンタッチャブルとされ、残る、monetary sector 管理通貨制度に依存した、マネタリストたちが暗躍する。

 マネージャブジャブ策=円安政策もそのため。

 愚かなマネタリスム信仰者たちと追従者たちは、繰り返すが、日本資本主義の特殊事情(日本の政治支配の特殊性と深く関係)により経済のReal・Side=本丸に切り込むことなく、マネタリー・サイドからいじろうとする。伝統的経済学からみれば馬鹿げたコト(policyなどとお世辞にも言えない幼稚さだから)に狂奔している。

 では、キヤノンも松下電器産業も何かにヘンシンするか、できなければ死ねということか?

 答えはおのずから明らかだろう。

koniyasu at 11:46コメント(0)トラックバック(0) 

2016年01月16日

・以下は『貝と羊の中国人』(加藤徹 新潮新書 2006.06.20)
の転載である。

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 ・・・
 中国三千年の黒幕

 中国には黒幕がいた。
 王朝が倒れ、皇室が滅び、人民が飢餓や戦争で死んでも、この黒幕は生き残った。皇帝でさえ、この影の支配者の支持を失えば、たちまち実権を失い、消される運命にあった。

 ヒーロー論を語るうえで、この黒幕の存在は、はずせない。
 この黒幕とは、「士大夫」である。

 士大夫という社会階層は、紀元前十一世紀の周の初めから、二十世紀初頭の清朝の滅亡まで、実に三千年にわたって存続した。

 日本社会でも、平安時代中期(十世紀ごろ)から明治維新まで、千年近くにわたって、「武士」と呼ばれる社会階層が存在した。中世から近世にかけての日本史は、武士という階層が、公家や寺家などと争いつつ、日本という国の統治権を掌握してゆく過程の歴史でもあった。

 中国の士大夫層も、時代とともにその実態を変化させつつ、しだいに存在感を拡大していった。

 今から三千年以上前の甲骨文字では、「士」は、そそりたつ男性器の形を模した象形文字だった。

「牡(おす)」という漢字の右側も、「士」を含んでいる。なお「志」の上半分の「士」は、進みゆく足を写した形が変形したもので、実は「士(し)」とは関係ない。「士」は、「事(事える)」「仕(じ)」と同系で、「主君に仕える人」という意味もあった(藤堂明保の説)。

 周の時代には、「士」の字源がもつ性的なイメージは薄れ、庶民の上、大夫の下の、下級貴族の身分を指すようになった。そして「士」と「大夫」をあわせて、「士大夫」と呼んだ。
                          
 士大夫は、中間支配階級の誇り高い自称でもあった。儒教の経典の一つ『周礼(しゅらい)』冬官考工記(とうかんこうこうき)に、「坐(ざ)して道を論ず、之(これ)を王公と謂(い)う。作(た)ちて之を行う、之を士大夫と請う」 という言葉がある。坐ったまま政道の方針を考える身分の者を「王公」と言い、立ってそれを実行に移す者を「士大夫」と言う、という意味である。
  
 後世の士大夫層は、好んで、この言葉を引用した。蜀漢の諸葛孔明は、丞相(じょうしょう)(宰相)になったあとも、みずから金銭や穀物の出納簿(すいとうぼ)を調べ、一日中汗を流した。孔明の部下だった楊子昭(ようししょう)(楊儀の同族)は、孔明が過労で倒れることを心配し、右の『周礼』の言葉を引用して、細々(こまごま)とした実務は下々の者に任せるべきである、と諌(いさめた)(『三国志』蜀書・張宗楊伝第十五・裴松之(はいしょうし)注)。

 士大夫が黒幕になれたのは、儒教のおかげである。

 儒教の本質は「士大夫の、士大夫による、士大夫のための教養大系」であった。儒教の開祖・孔子は、士大夫層であった。彼の思想は、中間支配階級のものだった。被支配階級の目線に立つ老荘思想とも、君主の目線に立つ法家思想とも、発想の出発点が違った。

 秦の始皇帝は、法家(ほうか)思想を採用して、天下統一に成功した。しかし、その帝国はわずか十四年で滅んだ。力による政権は、力によって滅んだのだ。

 前漢は統治理念として、当初、黄老(こうろう)思想(老荘思想の一種)の自由放任策と、法家思想のマキャベリズムをミックスしたものを採用した。しかし、謀略による政治は、謀略によって脅かされた。高祖の妻・呂后(りょこう)の一族に国を乗っ取られそうになるなど、国政は安定しなかった。

 前二世紀、前漢の第七代皇帝・武帝は、学者の董仲舒(とうちゅうじょ)の献策を容れ、儒教を国の官学とした。これは大成功だった。政治は安定し、帝国の支配は強固になった。

 儒教の強みは、中間支配階級の目線に立つことだった。被支配階級は、儒教的教養を学ぶことで、中間階級に近づき、自己の社会地位を上昇させることができた。中間支配階級も、儒教のおかげで、士大夫というステイタスと矜持(きょうじ)をもつことができた。

 儒教は、日本史にも、大きな影響を与えた。

 力による支配を行った織田政権や豊臣政権は、始皇帝の秦と同じく、短命で終わった。いっぽう徳川政権は、十五代二百六十五年も続いた。初代の徳川家康が、学者の藤原惺窩(せいか)の意見をきき、朱子学(儒教の一派)を徳川幕府の官学として採用したおかげである。

徳川幕府は、儒教によって、武士を、心の内面からも支配した。儒教によって思想改造された武士は、戦国時代までの下克上を捨てて、「忠義の美学」に邁進(まいしん)するようになった(詳しくは拙著『漢文の素養』参照)。

 中国社会において、儒教は初め、皇帝が天下を治めるための方便(ほうべん)だった。しかし時代がくだるにつれ、状況は変わりはじめた。中間支配階級たる士大夫層が、儒教の力を利用し、中国文明の事実上の支配者になっていった。

 中国史は、一言でいえば、士大夫という階層が文明を乗っ取る過程の歴史であった。

 前六世紀の孔子の時代、士大夫は、まだ、単なる役人にすぎなかった。
 前二世紀の武帝の時代、儒教が官学化されると、士大夫は知識人としてのステイタスもあわせもつようになり、その地位は格段に向上した。

 三世紀の三国時代には、士大夫層の力は、一国の運命を左右するほどになった。蜀の宰相となった諸葛孔明も、死後に帝位を追贈された司馬仲達も、武人ではなく、士大夫層の出身者であった。

 六世紀末、隋の文帝は「科挙」の制度を始めた。新たに「高学歴」というステイタスを得た士大夫層は、ますます強くなった。

 科挙は、儒教的教養を問う、超難関の官吏登用試験である。身分階級や国籍を問わず、誰でも受験できた。日本の阿倍仲麻呂(六九八〜七七〇)や、新羅(しらぎ)人の崔致遠(さいちえん)(八五八〜?)のように、外国人で科挙に合格した者さえいた。理論的には、農民でも、科挙を受験して優秀な成績で合格すれば、大臣になることができた。

 これは、当時としては、世界的に見てもユニークな制度だった。

 坊主めくりができぬ国

 日本には、百人一首かるたを使った「坊主めくり」という遊びがある。

 百枚の札(ふだ)を、詠(よ)み手の種類によって、男性札、坊主札、女性札、天皇札に分けて遊ぶ。もし「坊主(僧侶階級)」の札を引いてしまったら、それまで集めた札を、すべて奪われてしまう。こういうゲームが成り立つのは、日本社会だからこそである。

 中国の漢詩の名作を百首集めて、中国版「百人一首かるた」を作るとする。それで「坊主めくり」をしようと思っても、無理である。札を裏返すと、出てくるのは、士大夫、士大夫、士大夫、……と、男性札ばかりになるだろう。なぜなら、漢詩人として有名な王維(おうい)も、杜甫(とほ)も、韓愈(かんゆ)も、白楽天も、みな士大夫だからだ。僧侶や女性、皇帝の札は、それぞれ、一、二枚ていどになろう。これでは「坊主めくり」のゲームはできない。

 なぜ漢詩人は、士大夫ばかりなのか。

 その主因は、漢詩、そして漢文の難しさにある。
 昔の日本人は、カナ文字を発明した。カナは、簡単に修得できる。そのおかげで、日本では、はば広い階層が文芸創作に参加することができた。

 中国は違った。士大夫は、自らのステイタスを高めるため、漢詩や漢文をわざと難しいものにした。もちろん、カナのような文字は、発明しなかった。漢字しかない中国では、まともな文章の読み書きをするためには、最低でも、二千字ていどの漢字を覚えねばならなかった。日本の和歌は、教育の機会にあまりめぐまれなかった女性や子供でも作れたが、まともな漢詩は、高度な古典教育を受けた士大夫でないと、作ることができなかった(中国の庶民は、漢詩よりも通俗的でやさしい「詞(ツー)」は作ることができた)。

 儒教、科挙、そして漢字。この三点セットが、士大夫層のステイタスを支えた。彼らは自らの権威を維持するため、文学を、わざと難しいものにしたのである。

 一階級による文明の独占
                                  
 日本社会では、八世紀の奈良時代から十六世紀末の織田信長の時代まで、熾烈(しれつ)な階級間闘争が続いた。公家、寺家、武士、農民などさまざまな階級の人々が、日本という国のへゲモニーをめぐって、抗争を続けた。道鏡(どうきょう)の乱、承久(じ ょうきゅう)の乱、建武(けんむ)の中ちゅうこう興、山城国一揆(やましろのくにいっき)、一向一揆(いっこういっき)などは、階級間闘争という一面ももつ。

 日本社会では、階級間闘争が長く続いた副産物として、階級による「棲(す)み分け」が確立した。一階級による文明の独占、という事態を、回避することができた。政治と軍事は武家が、商業活動は町人が、学芸は僧侶や公家が担当する、という状態が、幕末まで続いた。

 中国社会は違った。階級間闘争は、早々と終わってしまった。

 中国では、日本の公家にあたる門閥貴族階級と、僧侶階級は、十世紀までに衰退して、社会を支配する力を失った。また、科挙という官吏登用試験があったため、有力農民(地主)や豪商も、士大夫階級に取り込まれた。地主や豪商は、自分たち独自のステイタスや自由を獲得しようとするよりも、自分の子弟を科挙に合格させて士大夫階級の仲間入りをさせて、社会の甘い汁の分配にあずかろうとした。

 このようにして、北宋の時代に、士大夫層は、科挙官僚・地主・商人・文人を兼ねた強力な支配階級(士大夫階級)となった。

 江戸時代の日本社会には、武士の権力と、豪商の財力を兼ね備えた階級は、幸いにして存在しなかった。しかし、宋代以降の士大夫層(狭義での「士大夫階級」)は、江戸時代の日本でたとえて言うと、柳沢吉保(やなぎさわよしやす)の権力と、豪商の紀伊国屋文左衛門(きのくにやぶんざえもん)の財力を兼ね備えた人々であった。

 日本の武士は身エステート分だったが、中国の士大夫は階級クラスであった。科挙に合格さえすれば、血筋を問わず、誰でも士大夫になれたのである。逆に、何世代にもわたって科挙の合格者が出なければ、その一族は、士大夫階級から滑り落ちた。

 中国の士大夫階級が、早々と「ひとり勝ち」を決めたことが、その後の中国の運命を決めた。
 中国では、王朝交替の「易姓革命」は何度も起こったが、西洋流の市民革命は、一度も起きなかった。

 フランス革命は、「三部会(聖職者・貴族・平民の三身分の代表者から構成される身分制議会)」の召集が導火線となった。中国社会には、そもそも、そのような身分制さえなかった。それゆえ、西洋的な意味での「市民(シビル)」も「民主主義(デモクラシー)」も、中国社会の土壌からは生まれようがなかったのである。

 中国社会は、落ち葉が一面に浮いている池に似ていた。
 嵐がくれば、池の表層の落ち葉はすっかり吹き飛ばされ、また別の木の葉でびっしりとおおわれる。しかし、池のなかの水は、変わらない。

 中国の王朝交替も、同様であった。皇帝とその一族は、社会の最上層に、落ち葉のように浮かんでいるに過ぎなかった。

 近代西洋の「革 命(レボリューション)」は、池の水、つまり社会全体の変革を意味した。しかし昔の中国の「易姓革命」は、皇室の姓の変革だけ、つまり表層の落ち葉の入れ換えだけを意味した。

 中国では、王朝が滅んでも、中間支配層たる士大夫層は不滅だった。その一例が、馮道(ふうどう)(八八二〜九五四)という人物である。

 十世紀の中国は、短命な王朝がめまぐるしく交替した五代十国の時代だった。そんな乱世のなかで、士大夫層のリーダーだった馮道は、なんと「五朝八姓十一君」に仕えた。宰相としての在任期間は、累計で二十年に及んだ。

 馮道は、モンゴル系の遼(りょう)王朝にさえ仕えた。
             
 九四六年、遼の第二代皇帝・耶律徳光(やりつとくこう)は、後晋(九三六〜九四六)の首都・開封を陥落させた。彼は、漢民族を皆殺しにしようとした。このとき馮道は、遼の皇帝に向かって、「たとえいまここに仏陀(ぶつだ)が現れても、民衆を救う事はできません。民衆を救えるのは、皇帝である陛下だけです」と説得し、多数の民衆の命を救った。

 馮道に象徴される士大夫層のしぶとさは、瞠目(どうもく)に値する。しかし、同時にそれが、中国文明の弱点ともなった。士大夫層は、一部の忠臣をのぞき、自己の生命財産と既得権益を保障されれば、あっさり敵に降伏する傾向があった。

 十七世紀半ばの動乱期、中国は、満洲人の「清」に征服された。当時の満洲人の人口は、老若男女あわせて二十万ていどだった(十万人説もある)。いっぽう漢民族の実人口は、約一億だった。この人口比を同時代の日本にあてはめると、日本全土が、蝦夷地(えぞち)(北海道)のアイヌ人によって征服されたことにも等しい。

 満洲人が超人的に強かったわけではない。しかし漢民族は「被征服慣れ」しすぎていた。中国文明は、満洲人に征服されるずっと前から、士大夫という一階級によって征服されていたのだ。

 皇帝と士大夫階級の寒々とした関係を象徴するエピソードがある。

 明の末、李自成(りじせい)の反乱軍が、北京に攻め込んだ。士大夫階級たる大臣・官僚は、皇帝を見捨てて、さっさと逃げ出した。ガランとした宮廷のなかで、第十七代皇帝・崇禎(すうてい)帝(在位、一六一〇〜四四)は、みずから皇女を斬った。その後、帝は、警鐘を鳴らし、文武百官を集めようとしたが、ひとりも来なかった。帝は宮城の北にある景山にのぼり、首をつって死んだ。帝にしたがって殉死したのは、宦官一人だけであった。

 士大夫のなかには、二朝に仕えることを潔しとせず、自殺したり引退した者もいたが、大官を含む百官の多くは、李自成を新しい皇帝として推戴(すいたい)した。

 李自成の天下はわずか四十日で終わり、ドルゴン率いる清軍(満洲人の軍隊)が北京に入城した。明の文武百官は、城外に並び、再び平伏して新しい主人を迎えた。──

 征服者たる満洲人は、科挙の制度を維持し、士大夫階級がひきつづき社会の「甘い汁」を吸うことを保障した。そのおかげで、清朝は三百年近くも続いた。

 士大夫階級は、一九一一年の辛亥革命によって消滅した。
            
 辛亥革命の立役者となった孫文(そんぶん)は、もと医者であり、士大夫ではなかった。彼は、自分たちの革命運動のメンバーに、士大夫を加えなかった。のみならず、彼は、一階級による文明の独占的支配という構造そのものを、中国からなくそうとした。

 しかし一九四九年以降、中国は、ふたたび単一の特権階級が支配する国に、逆戻りした。

*段落はブログ用に変えてある。

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2015年11月10日


 日本の呪術、オカルト、その遅々とした脱却の動き・・・をネット記事を転載してしめしているが、何ともやるせない。
 ああ、蝸牛の歩みを待つのは「百年河清を俟つ」ようなものなのか・・・。

 下記評論はもう半世紀も前の話、アナクロな部分もあるかとは思うが、歴史の一こまとして参考になればと思い、転写したものである。

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月報/6 河出書房 世界の大思想23 ウェーバー

 マックス・ウェーバーの宗教社会学
  ──人間変革の視角によせて──

          住 谷 一 彦

 最近限りない興趣にそそられつつ一気に読了した本に、岡本隆三著『長征』『統長征』(弘文堂)がある。「事実は小説より奇なり」とはよくいわれることであるが、たしかに『長征』には現代版『西遊記』ともいうべき面白さがある。

 しかし、私が『長征』に魅せられたのは、そういった点にあったのではなかった。

 「長征」とは、一九三四年十月から二年間、揚子江下流地域の各根拠地を出て国民党軍の執拗な追撃をしりぞけながら西南部の山脈(やまなみ)を尾根づたいに前人未踏の秘境チベット高原越えを敢行し二万五千里を踏破して陝西省延安の地に定着するまでの大行軍をいうのであるが、それはまた中国共産主義生成の秘蹟を証しするものであった。

 毛沢東はいう、「長征はどんな意義をもつものであろうか。われわれはいう。長征は歴史の記録にあらわれた最初のものであり、長征は宣言書であり、長征は宣伝隊であり、長征は種蒔機であると。……われわれは二本の足で二万五千華理(一万二千五百キロ)を踏破し、十一の省を縦横に移動した。歴史上、かつてわれわれのこのような遠征の行なわれたことがあったであろうか。なかった。いままでにはなかった」と。

 「長征」は、兵士ばかりで行なった遠征行ではなかった。老人・婦女子が随伴し、まことに一大家族の相貌を呈していた。言語・風俗・習慣その他文化的伝統を異にする異邦人(ゲーリーム)の混成群団が、紅軍の革命精神と鉄の規律によって種族=文化的隔壁を取りはずし「一つになる」巨大な熔鉱炉であった。「長征」がつぎつぎと惹き起していく人間変革の過程を物語る記録の一つをとり出してみよう。

「第一方面軍のある部隊について湿地帯にはいった一般人の女がいた。幼い子供を二人つれて、一人はまだ懐に抱かれていた。膝を没する湿地帯で餓えにさいなまれると、子供は泣いてひもじがった。……事情をきくと、陝西・四川省境地区の女で、家を焼かれ、夫は死んでしまい、やむなくついてきたという。

 やがて行軍を続けるうち、一人の兵士が食事時になると姿をみせなくなった。『そんなことをしていたら体がもたないぞ』というと、『おれは充分たべた』という。そのうち、その兵士はよろよろしはじめ、とうとう倒れてしまった。息を引きとるまえ、その兵士はつぶやくように言った。『あの二人の子供はどうしているだろうか』。『まだ連隊のあとからついてきている』というと、かれは安らかに目を閉じた。

 秘密が明るみに出たのは、湿地帯を出るころだった。例の女が、兵士をさがしているので、だれをさがしているのかたずねると、倒れた兵士のもっていた携群食糧袋をさし出した。餓えて泣く子供をみるにみかねて、むりやりおいていったという。死んだ兵士はそれからは野生の草を食い、水をのんで耐えていたのだった。

 その兵士が死んだときいたとき、女ほみるみる目を赤くし、やせ細った顔に涙を流しながら子供に言った。『よくおぼえておくんだよ。あたしたちは紅軍のおじさんが命とひきかえに助けてくれたんだよ』」(『長征』二二八頁)。

 「長征」は、こうした悲話で満ち溢れている。だが、この無名の一兵士の行為(エートス)が今日の中国共産主義生誕の倫理的下部構造となっていることは、明白である。私の「長征」への関心も、ひとえにこの一点にかかわっている。というのは、こうである。

   二

 毛沢東は、こうした「長征」は「いままでになかった」と述べた。しかし、規模の大小はしばらく措(お)いてその文化的意義についていうならば、これまでに「長征」に比べうる一大遠征は、ただ一度あったと思われる。

 それはモーゼのひきいるイスラエル民族が敢行した「出エジプト」である。ウェーバーは『世界宗教の経済倫理』で現代世界を根底から押し動かす徹底した合理化過程die Durchrationalisierung(この世を呪術から解放する)のアンファンク端 初を追及して、遂にイスラエル民族とヤハウェ思想の残した世界史上独一な軌跡にたち至った。

 アジア専制、国家の奴隷の軛から解放されるには、純粋に歴史的な出来事であるモーゼの「出エジプト」とヤハウェ信仰への被縛が「必要な経過点」として据えられている。(内田芳明訳『古代ユダヤ教』()二〇四頁。みすず書房)

 この線上にあのイザヤ、エレミヤなどの「使命予言」が現われて世界史の方向を近代西欧的合理化の軌道に切り換える転轍(てんてつ)手の役割をつぎつぎに果たしていく(いうまでもなく、ウェーバーは古代ユダヤのヤハウェ信仰と予言のみにこの役割を与えたのではない。 原始キリスト教、宗教改革がこれに続くのである)。

 当面興味深いのは、ヴェーバーが『世界宗教の経済倫理』で中国・インドの社会構造を詳細に分析し、都市はいわば仮象的存在で真の実在は農村であることをつきとめ、農村から都市への変革を指向した太平天国の乱に注目しつつ、究極的にはアジア的専制からの解放の機動力は古代イスラエルにおけるような人間変革過程以外にはあり得ないとみてい」る点である

(この点で、毛沢東の根拠地理論を対比させるのも興味深いものがあろう。とくにそれが内包する人間変革の問題を想起すべきである。『続長征』一二頁参照)。モーゼの「出エジプト」とシナイ山でのヤハウェ受容は、その過程の証(あか)しといってよい。

 いま、ヴェーバーの宗教社会学的視角から「長征」に「出エジプト」を重ね合わせてみるとき、そこに映し出
される像(ビルト)は、どのようなものであろうか。

 おそらくそこには西洋二千年の文化発展を方向づけていた軌道が、「長征」と毛沢東思想によってふたたび巨(おお)きく切り換えられつつある歴史の巨大なダイナミズムを遠望できるのではなかろうか。「東風が西風を圧する」というかたちで、まったく新しdie Rationalisierungの過程が波動をなしてアジアの一角から広がりつつあるやにみえる。

 そして、ヴェーバーの宗教社会学は、あの『理念と利害状況(イデー インテレッセン・ラーゲ)の社会学』(ガース、ベンディックス)といわれるような、歴史のダイナミズムをいわば複眼的に把える方法ないし視角の具体化として、アジアの地に起こりつつある人間変革過程の巨大な文化的意義の認識にこの上なく有効な分析用具ないし検索手段たり得るであろう。

 一九六四年十二月五・六両日東大で行なわれたヴェーバー生誕百年記念シンポジウムが、ヴェーバ宗教社会学の秘める視角ないし方法に深い関心をよせた所以の一つも、想うにここにあると思う。                (立教大学教授)

<段落はブログ用に換えてある>

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2015年11月02日

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151102-00000013-asahi-soci
東照宮も 墓地運営始める神社2015年11月2日(月) 11時38分掲載 .


新たな崇敬者を増やそうと、日光東照宮が始めた霊園=栃木県日光市(朝日新聞デジタル)
神社こぞって墓地運営、東照宮も 収入確保へ境内の外で
 霊園や納骨施設の運営に乗り出す神社が、全国で増えている。神域にあたる境内は避けて近隣の土地を活用し、全国で約50社にのぼるとの調査もある。少子高齢化や宗教離れに直面するなか、安定した収入確保などの狙いがある。(朝日新聞デジタル)

[記事全文]
神社こぞって墓地運営、東照宮も 収入確保へ境内の外で
朝日新聞デジタル 11月2日(月)7時50分配信


.新たな崇敬者を増やそうと、日光東照宮が始めた霊園=栃木県日光市
 霊園や納骨施設の運営に乗り出す神社が、全国で増えている。神域にあたる境内は避けて近隣の土地を活用し、全国で約50社にのぼるとの調査もある。少子高齢化や宗教離れに直面するなか、安定した収入確保などの狙いがある。

【写真】新たな崇敬者を増やそうと、日光東照宮が始めた霊園=栃木県日光市

 徳川家康の400回忌にあたる「式年大祭」でにぎわう世界遺産・日光東照宮(栃木県日光市)。車で約25分離れた山あいに墓が並ぶ。東照宮が造った、宗教は問わない霊園だ。

 東照宮に氏子はいない。文化財保護などの目的で拝観料を取っているが、東日本大震災の年は拝観者が30万〜40万人減った。2007年度から始めた「平成の大修理」は50年間続く。

 居住地に関係なく敬ってくれる崇敬者をいかに確保するか。家康を神に祭る東照宮の関係者は「先祖を大切にすることに結びつく取り組みがふさわしいと考えた」という。

 神道は死やけがれを嫌うため、神職や神としてまつる人のものなどを除いて、境内に墓は造らない。東照宮の場合、境内は世界遺産のエリアでもある。そこで6年前にゴルフ場跡地を購入。約5億5千万円をかけた第1期工事で約3万2千平方メートルを整備し、昨年4月から600基の販売を始めた。面積3〜8平方メートルで永代使用料30万〜82万円。申し込みは40件ほど。今後、計5千基を予定している。

 柳田二郎・権宮司(ごんぐうじ)(61)は「少子高齢化で人口減が押し寄せ、新たな崇敬者を確保していかないと祭りも行事もできなくなる」と危機感を抱く。

.朝日新聞社

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最終更新:11月2日(月)12時7分


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2015年10月23日

月報/6 河出書房 世界の大思想23 ウェーバー

 マックス・ウェーバーの宗教社会学
  ──人間変革の視角によせて──

          住 谷一彦

 最近限りない興趣にそそられつつ一気に読了
した本に、岡本隆三著『長征』『統長征』(弘
文堂)がある。「事実は小説より奇なり」とは
よくいわれることであるが、たしかに『長征』
には現代版『西遊記』ともいうべき面白さがあ
る。しかし、私が『長征』に魅せられたのは、
そういった点にあったのではなかった。「長征」
とは、一九三四年十月から二年間、揚子江下流
地域の各根拠地を出て国民党軍の執拗な追撃を
          やまなみ
しりぞけながら西南部の山脈を尾根づたいに前
人未踏の秘境チベット高原越えを敢行し二万五
千里を踏破して陝西省延安の地に定着するまで
                                    ヽ ヽ ヽ
の大行軍をいうのであるが、それはまた中国共
産主義生成の秘蹟を証しするものであった。毛
沢東はいう、「長征はどんな意義をもつもので
あろうか。われわれはいう。長征は歴史の記録
にあらわれた最初のものであり、長征は宣言書
であり、長征は宣伝隊であり、長征は種蒔機で
あると。……われわれは二本の足で二万五千華
理(一万二千五百キロ)を踏破し、十一の省を
縦横に移動した。歴史上、かつてわれわれのこ
のような遠征の行なわれたことがあったであろ
うか。なかった。いままでにはなかった」と。
「長征」は、兵士ばかりで行なった遠征行では
なかった。老人・婦女子が随伴し、まことに一
大家族の相貌を呈していた。言語・風俗・習慣
             ゲーリーム
その他文化的伝統を異にする異邦人の混成群団
が、紅軍の革命精神と鉄の規律によって種族=
文化的隔壁を取りはずし「一つになる」巨大な
熔鉱炉であった。「長征」がつぎつぎと惹き起
していく人間変革の過程を物語る記録の一つを
とり出してみよう。
「第一方面軍のある部隊について湿地帯にはい
った一般人の女がいた。幼い子供を二人つれて、
一人はまだ懐に抱かれていた。膝を没する湿地
帯で餓えにさいなまれると、子供は泣いてひも
じがった。……事情をきくと、陝西・四川省境

地区の女で、家を焼かれ、夫は死んでしまい、やむなく
ついてきたという。やがて行軍を続けるうち、一人の兵
士が食事時になると姿をみせなくなった。『そんなこと
をしていたら体がもたないぞ』というと、『おれは充分
たべた』という。そのうち、その兵士はよろよろしはじ
め、とうとう倒れてしまった。息を引きとるまえ、その
兵士はつぶやくように言った。『あの二人の子供はどう
しているだろうか』。『まだ連隊のあとからついてきて
いる』というと、かれは安らかに目を閉じた。秘密が明

るみに出たのは、湿地帯を出るころだった。例の女が、
兵士をさがしているので、だれをさがしているのかたず
ねると、倒れた兵士のもっていた携群食糧袋をさし出し
た。餓えて泣く子供をみるにみかねて、むりやりおいて
いったという。死んだ兵士はそれからは野生の草を食い、
水をのんで耐えていたのだった。その兵士が死んだとき
いたとき、女ほみるみる目を赤くし、やせ細った顔に涙
を流しながら子供に言った。『よくおぼえておくんだよ。
あたしたちは紅軍のおじさんが命とひきかえに助けてく
れたんだよ』」(『長征』二二八頁)。「長征」は、こう
した悲話で満ち溢れている。だが、この無名の一兵士の
エートス
行為が今日の中国共産主義生誕の倫理的下部構造となっ
ていることは、明白である。私の「長征」への関心も、
ひとえにこの一点にかかわっている。というのは、こう
である。

   二

 写真 1919年のデューバー

 毛沢東は、こうした「長征」は「いままでになかった」
                   お
と述べた。しかし、規模の大小はしばらく措いてその文
化的意義についていうならば、これまでに「長征」に比
べうる一大遠征は、ただ一度あったと思われる。それは
モーゼのひきいるイスラエル民族が敢行した「出エジプ
ト」である。ウェーバーは『世界宗教の経済倫理』で現
代世界を根底から押し動かす徹底した合理化過程die
Durchrationalisierung(この世を呪術から解放する)の
アンファンク
端 初を追及して、遂にイスラエル民族とヤハウェ思想
の残した世界史上独一な軌跡にたち至った。アジア専制、
                 ヽヽヽヽヽヽヽヽ
国家の奴隷の軛から解放されるには、純粋に歴史的な出
ヽヽ
来事であるモーゼの「出エジプト」とヤハウェ信仰への
被縛が「必要な経過点」として据えられている。(内田
                        ヽヽヽ
芳明訳『古代ユダヤ教』()二〇四頁。みすず書房)この線
ヽヽ
上にあのイザヤ、エレミヤなどの「使命予言」が現われ
て世界史の方向を近代西欧的合理化の軌道に切り換える
てんてつ
転轍手の役割をつぎつぎに果たしていく(いうまでもな
く、ウェーバーは古代ユダヤのヤハウェ信仰と予言のみ
にこの役割を与えたのではない。原始キリスト教、宗教
改革がこれに続くのである)。当面興味深いのは、ヴェ
ーバーが『世界宗教の経済倫理』で中国・インドの社会
構造を詳細に分析し、都市はいわば仮象的存在で真の実
在は農村であることをつきとめ、農村から都市への変革
を指向した太平天国の乱に注目しつつ、究極的にはアジ
ア的専制からの解放の機動力は古代イスラエルにおける
   ヽヽヽヽヽヽ
ような人間変革過程以外にはあり得ないとみてい」る点で
ある(この点で、毛沢東の根拠地理論を対比させるのも
                     ヽヽヽヽ
興墜深いものがあろう。とくにそれが内包する人間変革
ヽヽヽ
の問題を想起すべきである。『続長征』一二頁参照)。モ
ーゼの「出エジプト」とシナイ山でのヤハウェ受容は、
     あか
その過程の証しといってよい。
 いま、ヴェーバーの宗教社会学的視角から「長征」に
        ヽヽヽヽヽヽヽヽ
「出エジプト」を重ね合わせてみるとき、そこに映し出
  ビルト
される像は、どのようなものであろうか。おそらくそこ
には西洋二千年の文化発展を方向づけていた軌道が、
                  おお
「長征」と毛沢東思想によってふたたび巨きく切り換え

られつつある歴史の巨大なダイナミズムを遠望できるの
ではなかろうか。「東風が西風を圧する」というかたち
で、まったく新しdie Rationalisierungの過程が波動を
なしてアジアの一角から広がりつつあるやにみえる。そ

                  イデー インテレッセ
して、ヴェーバーの宗教社会学は、あの『理念と利害状
ン・ラーゲ′
況の社会学』(ガース、ベンディックス)といわれるよ
                ヽヽヽヽヽヽヽ
うな、歴史のダイナミズムをいわば複眼的に把える方法
ないし視角の具体化として、アジアの地に起こりつつあ
る人間変革過程の巨大な文化的意義の認識にこの上なく

有効な分析用具ないし検索手段たり得るであろう。一九
六四年十二月五・六両日東大で行なわれたヴェーバー生
誕百年記念シンポジウムが、ヴェーバ宗教社会学の秘
  ヽヽ   ヽヽ
める視角ないし方法に深い関心をよせた所以の一つも、
想うにここにあると思う。
                (立教大学教授)
  筆者紹介
あべこうぞう
阿部行蔵 一九〇八年(明治四一年)生。同志社大学
 (昭和一一年)卒。主著、『アメリカ精神の形成』(中
 公)他。
しみずいくたろう
清水幾太郎一九〇七年(明治四〇年)生。東京大学
 (昭和八年)卒。学習院大学教授。主著、日本の運命
 とともに』(河出)他
しみずれいこ
清水禮子 一九三五年(昭和一〇年)生。東京大学(昭
 和三五年)卒。東京大学大学院哲学科博士課程在学中。
せらてるしろう
世良晃志郎 一九一七年(大正六年)生。束京大学(昭
 和一五年)卒。東北大学教授。主著、『封建制社会の
 法的構造】(日評)他。
たなかまさはる
田中真晴 一九二五年(大正一四年)生。京都大学(昭
 和二二年)卒。京都大学助教授。主要論文、「ウェー
 バーの政治的立場」(出口勇蔵編『経済学説全集』
 〔河出書房〕所収)他。
でぐちゆうぞう
出口勇蔵 一九〇九年(明治四二年)生。京都大学(昭
 和八年)卒。京都大学教授。主著、『近代資本主義発
展の研究』(岩波)他。
なかむらていじ
中村貞二 一九三〇年(昭和五年)生。一橋大学大学院
(昭和二三年)修了。山口大学助教授。主著、『フリー
ドリッヒ・マイネッケ研究』(近刊)。
やまだたかお
山田高生 一九三二年(昭和七年)生。一橋大学大学院
(昭和三九年)修了。成城大学助手。



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2015年09月26日

・かつて、病院勤務の時、外科手術に続き、親しい医師が遺体解剖をするのを見学させてもらった。
 付属高等看護学院に学ぶ学生が顔面蒼白で倒れる中、最後まで平常心で。
 だから、死者の霊だの魂だの言われてもピンとこない。

 マックス・ウェーバーの本だったか、関連の本で読んだのか、記憶は定かではないが、
 ローマン・カトリックが秘蹟だとか何だとか、オカルトもどきの、無知な民衆を〇するかのような言説をするのに対してプロテスタントは「聖書に帰れ」とばかりに神への誠実さを追求したそうな。

 ピューリタンは埋葬する遺体のそばで通常のモノと同様に処したとか。


 日本人も原始的アニミズム、それと中国仏教がからまりあってできたおかしな言説から少しずつでも脱却してほしい。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150926-00000096-san-soci
ゆうパックで「送骨」 格安・手軽で広がる…変わる弔いの価値観
産経新聞 9月26日(土)15時2分配信

.ゆうパックで届いた遺骨を受け取る田村一央代表(右)=大阪府河内長野市(写真:産経新聞)

 亡くなった親族らの遺骨を日本郵便の「ゆうパック」で霊園や寺に送る「送骨」が、広がりをみせている。インターネットでの申し込みで遺骨を霊園に持参しなくても納骨できることを理由に、需要が伸びているという。秋の彼岸は26日まで。「弔いの軽視だ」との批判も呼びそうだが、葬送をめぐる価値観は変わりつつある。(細田裕也)

 7月中旬、大阪府河内長野市滝畑の河内長野中央霊園に郵便局の配達員が段ボールを運んできた。品名は「供養品」。中には、骨つぼや火葬されたことを証明する書類などが入っていた。

 「予想よりはるかに需要があります」と話すのは、同霊園の田村一央(かずお)代表(67)。昨年12月の受け入れ開始から今月25日までに65件の申し込みがあったという。

 同霊園では、専用の梱包(こんぽう)キットに遺骨の入った骨つぼや法律で定められた埋葬許可証などを同封し、料金3万円を支払えば、霊園内の合祀(ごうし)墓で永代供養する。

 こうした“手軽さ”が求められ、送骨は各地で増えているという。全国17寺院への送骨をインターネットで仲介する「プロ」(名古屋市)には平成26年中、前年比3割増の200件近くの申し込みがあった。また21年から送骨を受け入れている高岡大法寺(富山県高岡市)は「最近は各地で送骨が広まったため、受け入れ件数は落ち着いている」という。

 ただ、遺骨を郵送する行為に違和感を覚える人も少なくない。

 宅配便大手の佐川急便とヤマト運輸では遺骨の引き受けを拒否している。「紛失した場合に対応できない」(ヤマト運輸)ことなどが理由だ。一方、ゆうパックの日本郵便は「運送に適した状態であれば拒絶はしない」としている。

 では、法的な問題はないのだろうか。

 遺体の火葬や埋葬の方法などは墓地埋葬法で定められており、自由に行うことはできない。家族問題に詳しい田村勇人弁護士(第一東京弁護士会)は「法律上、遺骨を送ることを禁止する法律はない。送られた遺骨も、墓地埋葬法で許可を受けた墓地などで埋葬されるため同法には抵触しないし、遺骨を放置したり捨てたりすることを禁じた刑法の死体遺棄罪にも該当しない」としている。

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 呼んでないのにお坊さん4人、請求額500万円…戒名と布施のトラブル絶えず

最終更新:9月26日(土)18時26分


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