鑑真に挑む~最高峰の肖像彫刻 誕生の謎~ 45分
2013/8/28(水) 16:05~16:50
★5
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内容
奈良の唐招提寺の国宝・鑑真和上坐像は、現存最古で最高峰の肖像彫刻と言われてきた。現実感と崇高さが非常に良いバランスで造形化されている。
「お身代わり像」をつくるために2011年4月から2年間、美術院による調査が行われた。鑑真像は今は途絶えた脱活乾漆という技法で作られている。
まず木材と粘土で原型を作る。その上に麻布を何枚も貼り重ね漆で固める。乾いたら、中の原型をかき出し、張り子の状態にする。そして表面に漆のペーストを塗り、形を作る。最後に色彩などを施して完成。全体の印象を左右するのは表面に塗られる漆のペーストで、ほとんどの仏像はヘラで厚く盛り上げ整えられているが、鑑真像はどの部分も凸凹で均一な所がない。これは指で漆を載せていったと考えられる。
美術院が「お身代わり像」の制作に取り組む。鑑真像に使われている麻布は目の細かい高級品で身分の高い僧侶が身に着けるものだと分かった。鑑真が着古した衣だったのではないかという結論にたどりついた。鑑真の姿を作り込む中で、他の仏像では必ずかいま見える作者の個性や主張がこの像には全く見られず、弟子が制作に関わったと推測した。
油に光る特殊なライトで全身に油が使われていて、制作当時の色彩がニスの効果で保存されたとわかった。鑑真の袈裟は端切れを縫い合わせた糞掃衣が描かれていた。再現像に油をかけると、色は深く鮮やかになり、肌色は生きているようになった。2013年6月に「お身代わり像」の開眼法要が行われた。

唐招提寺に伝わる東征伝絵巻に鑑真の生涯が記されている。鑑真は688年に中国・揚州に生まれ、大明寺で過ごす。戒律を重視する律宗の高僧の鑑真に、742年に日本から栄叡と普照という2人の日本人留学僧が訪ねてきて、日本への伝道を依頼された。ひきとめる弟子達に鑑真は「これは仏の道にかかわることだ。どうして命を惜しんでられようか」と日本行きを決意する。
当時の中国では朝廷の許可がないと外国への渡航は禁じられていた。鑑真の計画は密告や難破で4回挫折し、5年の歳月が流れた。栄叡と普照はたびたび投獄される。5度目の航海で難破し、2週間漂流、1700km離れた海南島に流れ着いた。海南島で布教に励んだ。広東省肇慶で栄叡が亡くなり、鑑真は悲しみに襲われる。さらに長旅の疲れで鑑真は失明してしまう。753年、6度目の挑戦で鹿児島から奈良へ日本にようやくたどり着く。そこでは国を挙げての歓迎が待っていた。鑑真は仏教界で最高の役職の大僧都に任命され、東大寺戒壇院で僧侶一人一人に掟を誓わせ、風紀の乱れに歯止めをかけた。72歳の時に唐招提寺を建てる。763年に鑑真は亡くなる。伝記には、ある弟子が講堂の柱が砕ける夢を見て、それは鑑真の死を予感させるものだったので、弟子達は鑑真の姿をうつしたとある。

感想
深い精神性を湛える鑑真像の存在感が素晴らしい。国際性豊かな唐の余韻が奈良・唐招提寺の鑑真像に残る。

鑑真像
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赤外線による計測
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揚州 大明寺
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東征伝絵巻
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骨組みを作る
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海南島に漂着
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指で漆のペーストをつけてゆく
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日本に到着
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唐招提寺の御影堂 襖絵は東山魁夷
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「お身代わり像」の開眼法要
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