ゆうどきネットワーク 赤木春恵 50分
2013/11/27(水) 17:10~18:00
★5
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内容
女優の赤木春恵がゲスト。
大正13年(1924年)に旧満州で生まれ、京都で育った。3歳の時に医師だった父が亡くなり、親戚を頼って移り住んだ。学生時代に自宅の近くに兄の働く映画撮影所がありよく遊びに行った。学校卒業後、16歳で映画の世界へ。戦時中で仕事はどんどん減ったので、劇団を主宰していた満洲へ向かった。団員は出征で少なくなり、女優が男装してダンスをした。兄が座長だったが、現地召集でいなくなったので20歳で座長になった。満洲に疎開したのが1945年2月で、8月に終戦を迎えた。初めて満洲を訪れた時はなんてエキゾチックでいい街だろうと感激した。ハルビン(哈爾浜)は白系ロシア人が亡命した作った街で歩いていて喫茶店の前を通ると紅茶のにおいがした。ハルビンに大勢集まっていた芸能人は一括で引き上げた。藤山寛美は10代だった。配給はコウリャンの赤いご飯で、豚肉ニンニクみそ炒めが最高の食事だった。今振り返ると、あのときのことを思えばものの不自由を感じないということで、いい経験だった。
その後は映画やドラマで母役などで活躍。昔の映画ではしゅうとめは全然スポットが当たらなかったが、1976年の橋田壽賀子の「となりの芝生」で世の中にバーッと出てきた。「渡る世間」では泉ピン子をいじめるなと手紙をもらったりした。台本をじっくり読むとしゅうとめの言っていることは意外と正論だが、演じてみるとどうしても嫁いびりになってしまう。
赤木さんの孫の俳優の野杁俊希がコメントをする。「片付け魔で何でも捨てちゃう。サッカーが好きで、柿谷を応援したり。長谷部が好き」赤木はイケメンが好きで真面目な考え方が好きだと語る。
自分では真面目だと思うけど、周りは天然だという。みんなが笑っているときはとりあえず笑うけど、何でおかしかったか気になって眠れなくなる。森光子に「なんで昨日笑ってたの?」とか電話した。
孫には「40歳になってしっかりした俳優になりなさい」と言っている。ずっと先のほうに目標を置くと焦らない。その辺でいい役者になりなさい。それまでにイライラすると性格がよくない。しっかり着実に一歩ずつ踏みしめていって、40ぐらいになったときにいい役者だなと言われるように頑張りなさいと。そうすると卑しくならないと思うんです。
これまで数々のドラマに出演していたが、実は主演はまだだった。今回89歳で映画「ぺコロスの母に会いに行く」でギネスに世界最高齢で映画初主演女優と載った。赤木演じる認知症の母親と岩松了演じる息子との日々を見つめた物語。20年近く前に認知症の母を連続ものでやったり、自分の母が認知症だったので、それを経験にした。
自身は89歳だが、とにかく健康であって、家族にお荷物にならないように、洗濯物をたたんだり、食器を洗ったりと少しでも役に立つようにしている。昔、自分の母が何かをしようとすると、「あなたは明治、大正、昭和と苦労して頑張ってきたんだから、そんなことしなくていいから座っていなさい、座ってテレビでも見ていなさい」とやりたいことをみんな取り上げてしまった。それは善意で、楽をしてもらいたいから、「何もしなくていい」と、それが老化を早めたと思う。あとで自分で反省した。今後は健康で長生きするため、自分を律してゆくことを心がけている。
長い台詞は何遍も繰り返し読んだり、書き置きすると自然に覚えられる。

感想
赤木春恵は母やお婆ちゃんのイメージだったので、若い頃はかなり美人で驚いた。満洲には終戦直前の半年間滞在で無事に引き上げてこられたようだった。京都でも空襲はなかったので、満洲疎開の選択は微妙か。しゅうとめもののドラマのはしりは1976年(昭和51年)で意外と新しかった。橋田壽賀子はやっぱり才能がある。孫に「40歳でいい役者に」とのアドバイスで、昔の人のイライラや卑しさを嫌った気風を感じた。母から家事を取り上げてしまって老いを早めたと反省したのが印象に残った。

大正13年 満州に生まれる
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女学生
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女優デビュー 美人!!
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満洲の街
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ドラマなど20131127-171607-177
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孫の俳優の野杁俊希
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映画「ぺコロスの母に会いに行く」
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年表
20131127-171724-849
役柄
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