土下座外交始まるよー続きを読む
2012年03月
五竜胆の人たちの描写が深まっていく中で一人だけはぶられている六条さん・・・・・続きを読む
今回は一章と二章の繋ぎのような日常回です。続きを読む
今回は残念な変態回続きを読む
御前仕合編決着
御前仕合編もいよいよ佳境
続きを読む諸事情で書き換え。内容は変わってません。
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―秀真・御前仕合会場―
「いやはや、これはさすがに俺も予想していなかったなぁ。まさか始まる前からこんな込み入った戦闘になるなんてね。」
折原臨也は御前仕合の戦闘を伽藍の上から楽しそうに観察していた。先ほどの宗次郎の一閃によって首が飛んだところなどでは狂気の声を発していたし、今、この場で誰よりもこの事態を楽しんでいるのはまさしくこの男であろう。
「でも、その口ぶりからすると、いずれはこうなると考えていたみたいだね。」
そんな臨也の傍らで同じく戦闘を見ていた陣はさもありなんといった態度で暇つぶしがてらに臨也に言った。
「まぁね、俺はその口火を切るのは凶月であると考えていたんだよ。あの兄が自分に向かってくる奴だけで満足するはずがないって思っていたからね。だから、最初に凶月が呼ばれなくて心底悔しいと思った。だけど、結果はこの通り。往々にして俺の目論んだ結果になった。まさに勝負に勝って試合に負けたって感じかな。」
「俺の目論んだとはどういうことだ?お前にあの舞台に細工をする仕掛けなど積めるはずがないだろう」
背後からの少女の疑念の声に臨也はチッチとわかっていないなというジェスチャーめいた行動をする。
「俺は最初から種をまいているよ。何のために俺が天子ちゃんにこの御前仕合を教えたと思っているんだい?」
「まさか、最初から彼女が参加すると踏んでいたというのか?」
臨也は肯定とも否定ともどちらとも考えられる笑みを浮かべる。実際に臨也にあったのは彼女が参加するという確証だけ。あの場で人助けなどというおよそこの世界の人間らしくない行動を起こす人物ならば御前仕合に何かの理由がなくとも参加することまでは推測できた。だが、一つだけ彼の誤算であったことは彼女が久雅の代表として参加したわけではないということ。
「まぁ、そういう予想外のこともあってこそ人間というものを観察するのは面白いんだけどさ。」
事実、彼女の乱入は御門龍水の命を確かに救ったし、この御前仕合を盛り上げるということにも一役買ってくれた。これは十分な驚きと面白さだったと臨也は考えている。よって、あとはこの面白おかしい冬の祭典がどのような結末を迎えるのか、それこそが臨也にとっては新しい興味の対象となっている。
「で、陣くん。君はこのままいけば誰が勝つと思う?」
そこで答えを知っているのに他人に面白おかしく答えを求めるかのように臨也は陣に話を振った。陣はつまらなそうに眼下の戦闘の流れを見ながら
「どうもこうもこんな簡単な回答なんて僕に聞くまでもないだろう?あの獅子吼が連れてきた異人。あれを置いて他に勝利者など存在するはずがない。」
「へぇ・・・・・それはどうしてさ。意見も聞かせてくれよ。」
口では聞くまでもないと言っておきながらも陣はそれを臨也に話したかったのか、ただ眼下の御前仕合を見ている時よりも明らかに調子が上ずったように口を開いた。
「単純なことだろう。他の奴らはみんなして異能を使って戦いあっている。つまりはさ、あいつらにとっての限界っていうのはあれでおしまいなわけさ。でも、あの異人だけは違う。明らかに奥の手を隠した余裕を持ちつつ戦闘を続けている。この差は大きい。持久戦にしろ短期決戦にしろ限界を見せている相手とじゃ深さが違うってもんだよ。」
その考えに臨也は特に問題を指摘しない。彼自身も同じ考えでいるのか。
「まー、妥当な線だよね。だけどさ、陣くんの考えはあまりにもセオリーを進みすぎてしまっていて俺としては面白くはないなー」
「じゃあ、君はどう考えているのさ。そこまで言うんだ。当然教授してくれるんだろう?」
「・・・・・・」
臨也はどうするのかを一瞬考え、笑みを浮かべた。
「まぁいいか。俺はこの勝負、最終的に勝つのは天子ちゃんだと思っているよ。自分が起こしたことだし、それくらいの信頼はしてあげないとね。」
「あの乱入者かい?見たところそんな風には見えないけれども」
「はは、だから言ったろ。最終的にはって。この場にいる奴らの中で最終的なビジョンが見えている奴なんて俺くらいしかいないんだろうからさ。」
そして、その決着は天子の勝利で終わると臨也は信じて疑わない。
「覚えておこうじゃないか。その言葉。どちらにせよ、こんなものは遊戯に過ぎないんだ。どうなったところで変わらない。有象無象が東征戦争なんて言う有難い大義名分に寄り縋っているだけに過ぎない。くだらなくて壊してやりたくなるよ。」
陣は眼前の全てを見下すかのような表情でそう宣告する。真実、自分の気分次第ではそうなるであろうことを理解している幼い王は、言外に眼下の益荒男たちに告げる。ゆめゆめ自分を退屈させるなと、せめて臨也が言うように妥当な線など破る見世物であれと傍観者の視線を向ける。
「さて、それにしてもここからどうなるか。波乱はまだまだ続くだろうね。さて、あのお姫様は果たしてどこで動くのか。終わってからじゃあまりにも芸がない。ここらで一発ドカンとすごいのを見せてくれよ」
・
「今まさに雪降らめやも陽炎の燃ゆる春へと成りにしものを―唵−摩利支曳娑婆訶」
それはある種の自己催眠であるのか、詠唱を終えると同時に紫織の気が変質していく。猛烈に、だが曖昧に。存在そのものが希薄になるように、ズれるように、まるで陽炎か蜃の夢―多重分身と表現すればいいだろうか。これまでの紫織の戦闘方法から察するに玖錠の奥義とはすなわちそれであるのだろう。しかし、それに加えて紫織は歪みという異能を宿している。果たしてそれがこの多重の分身にどんな影響をもたらすのか。
「如医善方便、為治狂子故、顛狂荒乱、作大正念、心墜醍悟、是人意清浄、明利無穢濁、欲令衆生、使得清浄―諸余怨敵皆悉摧滅!!」
そして宗次郎が口にしたのはやはり、自らの狂気を正気として成り立たせるための自己暗示のようなものだった。その上で当たり前のように目の前の全てを悉く斬り捨てんと誓う一言。この場の敵を生かして返すつもりなど彼には毛頭ない。
剣が揺らぐ。鬼哭啾啾と剣の刃鳴を起こす。このおよそ獣性とは無縁の冷徹なまでの冷涼たる血嵐こそ壬生宗次郎という男の本領といっても構わない。
「アホか」
そしてだからこそこの場において刑士郎はあまりにも異質だった。戦場においてその誓いの言葉を口にすることで意識を変えた二人を刑士郎はまるで茶番のようだと切り捨てる。
「いちいちぶつぶつと言葉を並べなきゃ殺し合いもできないってわけかぁ?可哀想だよなぁ。兎って奴はよぉ。」
生来の虎を自認しているからこそそんな自己暗示など必要ない。弱いからこそそんなものに縋ってしまうんだと刑士郎は憐みの目で二人を見る。
「さぁて・・・・」
全身の筋肉が鳴動する。その骨、内臓に至るまでの全てが常人とは全く違う異界の法則の上に成り立っている。それを身体で理解している刑士郎はほくそ笑み、前傾姿勢から獲物を狙う肉食動物のように一速で加速の第一歩を踏み出した。
それが向かう先は言うまでもない。
「―――」
先ほど紫織から頂いた一撃をけして刑士郎は忘れていない。まずはそれを返さないことには始まらないであろうとまずは玖錠よ、お前を殺すと蛇のように、虎のようにその肢体で敵の身体を食いちぎらんと疾駆する。
対して迎え撃つ紫織は低い位置から攻撃を仕掛ける刑士郎に対して取るべき手段は二つ。つまりは蹴り上げるか、踏み潰すかである。しかし、これはまさに詰みといっても差支えのない状態である。前者を選べば足が吹き飛ばされかねない。かといって後者は補足しきれるかすらも怪しい。そう、常人の考えであれば―
「ふっ!」
短い呼吸ひとつで行われた動作によって刑士郎は下からかちあげられていた。胴、心臓、肝臓、鳩尾の全てを狙う形で
「あんた、私の何を見ていたのよ!」
有り得ぬ角度からの奇襲に驚く刑士郎にさらなる追撃が加えられる。眉間、こめかみ、人中、喉全てが急所である。
「くはははは」
しかし、それを受けてもなお刑士郎は笑っていた。かちあげられた時の勢いをそのままに刑士郎は跳ね返しを叩き付ける。それに腕で防御をしたはずの紫織の身体が吹き飛ばされる。けして紫織の身体能力が弱いわけではない。刑士郎の身体能力があまりにも異常なのだ。それを証明するようにそれに次いで放たれた紫織の返し技は刑士郎にまともに防御される。
「おらぁぁぁぁ」
そのまま紫織の足首をつかみ、無遠慮に振り回す。途中に延髄を蹴られたが、刑士郎は意にも介していない。同時に振るわれた宗次郎の剣ですらも容易に避けている。しかも腰においてあった双剣を抜き取り、宗次郎に応戦するという離れ業まで、刑士郎はやってのけた。しかし、剣の技量においては宗次郎がこの中で一人抜きんでている。
しかし、宗次郎の剣はあくまでも速さにおいては達人の域を出ない。つまりはどこまでも常人のそれであるということである。それならば刑士郎に及ぶはずなどない。宗次郎の剣の真に恐ろしい点それは・・・・
「殺気の塊、どこから来るか気をぬいてりゃわからなくなる。」
放射している殺気の密度があまりにも濃すぎるために、達人であればあるほどに重宝する読み合いを行うことができない。必然的に刑士郎は防戦を余儀なくされ、それには隙が必ず生まれる。
「―ッ!」
そして、それを見逃す宗次郎ではない。ここに来てこれまで一度も振るわなかった点の攻撃を刑士郎に対して放つ。刑士郎に対して斬撃が意味をなさないと考えた宗次郎の渾身の一撃。果たしてそれは刑士郎の左胸を正確に背中まで貫いた。
「で?」
殺意の弾丸によって仕留める一歩手前まで行ったはずだった。だというのに、刑士郎はその宗次郎の刺突を意にも介していなかった。それに宗次郎は一瞬気を取られて、刑士郎の横なぎの攻撃を避けるため、慌てて刀を手放して、後方へとさけた。
「そんな顔をするな、久しぶりだぜ。自分の血を見るのはよ。」
冷静に宗次郎に賛美を送りずるずると左胸から剣を抜き取る。
「天下最強が夢だったか?まぁ、お前ほどの力ならいずれはなれるだろうよ。だが、経験が足りないな。俺みたいのと戦うのは初めてだろう?教えておいてやるよ。腹の中なんざ好き勝手に変えられるんだよ。狙うなら首にしな。ここなら外すことはねぇよ。」
そうして、刑士郎は宗次郎の刀を無遠慮に投げつける。
「拾いな、それがなきゃ戦えないだろう?」
恐るべき屈辱に宗次郎は身を震わせる。
「なんともまぁ、出鱈目なことで。」
立ち上がった紫織の手には凶悪な手甲鉤が装着されていた。現状全ての攻撃を命中させている彼女ならば、これで話が変わってくるかもしれない。
「こういうのに頼るのは本当はあまり好きじゃないんだけどさ。その綺麗な顔をぐちゃぐちゃにしてやるよ。刑士郎!!」
「後悔しますよ、僕にこれを返したこと・・・・」
紫織が踏み出すのと同時に宗次郎もまた再び剣を握り、それに続く。
「いいぜ、やってみせろよ。掛かってきなぁ!!」
今度こそ向かえ討つ態勢となり、刑士郎は二人の攻撃へと意識を集中する。先ほどまでの刑士郎の身体への未知数から来る二人の攻撃の誤差はこれより修正される。よって、刑士郎には本格的に劣勢が立ち返ってくるであろうし、真剣勝負である以上、宗次郎と紫織が手を抜くはずなど毛頭ない。そして、技の冴えに関しては二人が優勢。よって、ここに刑士郎は真に劣勢に立たされた。
・
日本刀を軽々と過去幾星霜から使いこなしていたように金髪碧眼の異人は上から下へと振り下ろす。それが狙うのは天子の振り回した鞭のようにしなる岩の連結された物体、かくして、それはまるで紙細工のように両断され、天子は再び驚愕の表情を迎えることになる。
「く――」
すぐさま、戦闘方法を変え、不利を承知で天子は騎士の懐へと飛び込まんと一速で駆け上がる。とはいえ、それはただ向かっていくだけの行為ではない。天子が走った道がまるで捲れ上がったシールのように表出し、表面の大地に含有された小粒の岩が弾丸のように敵へと向かっていく。この目の前の敵相手では目くらましにもならないかもしれない攻撃ではあるが、天子が目指しているのはあくまでこの騎士の懐。よって、この攻撃が破られることに何ら臆する必要はない。
「厄介な攻撃だな。だが、お前が俺の懐に飛び込むっていう事実がわかっているのならば、下手に手を打つ必要なんかないだろうに!!」
騎士は抵抗することなく、多少の傷を気に留めもせずにただ天子の動きだけを精密に観察する。手の動き、足の運び方、目を配らせる場所。そういった対峙する相手が人間である以上は必ず使用される戦場の基本のような動作で騎士は天子の動きを読む。
「そこ!!」
天子の攻撃が騎士の鎧の間隙を狙って放たれる。手刀、いや、二本の指による刺突であろうか。極限にまで接近し、同時に接近を許した両者はその一寸先の未来に正反対の結果を信じる。つまりは―
「は・・・・今のは正直効いたぜ。まさか、そんな肉弾技を使えるようになっているとはな。まったく予想だにしていなかったぜ。」
騎士は心底驚かされたといいたいのか、それとも天子に感心を寄せているのか打たれた右肩部を押さえながら天子に賞賛の声を送る。
「それは結構。だけど、完全にうまくいったわけじゃないし、その言葉はまだ受け取らないことにしておくわ。」
しかし、相手に一撃を叩き込んだ代償として、天子もまた首筋から血を流している。あの刹那、天子の首を両断せんと振るわれた刀を指の動きを変えることなく、首をギリギリで下に落とすことでなんとか首の皮一枚繋がったわけだが、正直あのまま両断されてもおかしくなかった。運がよかったのは、天子の攻撃を警戒して、相手がギリギリまで攻撃を待っていてくれたこと。先んじた攻撃であっても、後の先であっても、タイミングが遅ければ死んでいたのは確実に天子だっただろう。
「だ、大丈夫ですか?天子!?」
「うーん、これくらいなら、緋想の力で治癒できる範囲内かな。といっても傷がすぐに塞がるわけじゃないし、ダメージを負ったことに変わりはないんだけどね。」
それでも気休め程度にはなるだろう。そして、自分がダメージを負ったのと同時に相手もダメージを負ったのならば、それはそれで上等。なにせ、天子が穿ったのは、相手の右肩。
「・・・・・・・くそ、一時的かどうかはわからないが、神経がいかれてやがる。これじゃ、思い通りに右手をふるうことはできないか。」
「騎士にとって片手をやられるっていうのも相当な深手なんじゃない?」
「まぁな、だが、そう慌てることでもない。戦場じゃ腕を斬られた兵士なんて積み上げられた屍の数と変わらないくらいにいるからよ。そういうときにどうするかはこの眼で見てきているし、実感として把握しているつもりだ。それよか、種明かしを求めたいところなんだが、お前、俺の身体に何をしたんだ?」
天子は一瞬、ここで種明かしをするべきかどうかを考えたが、口を開くことにした。もとよりさきほどのは奇襲、同じ攻撃が二度も通用するはずがない。
「緋想の力の応用よ。あんたの身体の中に流れている気を感知して、それと正反対の気を流し込む。結果として二つは不純物として混ざり合い、一時的ではあるけれども、あんたの身体の感覚を打ち消すわ。といっても所詮は修行の一環で偶然発見した戦い方なんだけど」
そこで篝は思い出す。二週間前の天子と初めてこの世界に転移した時に天子が行ったゴロツキに対する戦闘方法も同じやり方だった。ならば、これは天子の中で計算された行動であったわけで、彼女が自分の知っている天子よりも数段上回った戦闘技術を持っていることが実として証明された。
「ああ、そういうことか。なら、俺が知らないのも納得だな。さっきの一閃。西洋剣なら、もう少しうまく動かすこともできたが、やっぱり日本刀というのはどうにも慣れないな。斬るという能力に特化させているきらいがあるために、西洋のように叩き伏せるというには刀身が綺麗すぎる。人様から奪った武器に愛着なんておこがましい発言するつもりは毛頭ないんだが、やっぱり、さっきのは失敗だったな。」
騎士はどうにも罰が悪いといったような風体であさっての方向を見ている。その傍らでは依然天子と騎士を除いた三人の戦闘が続いている。しかし、どうやらその戦闘の余波がこちらに流れ込んでくることはなさそうだった。あちらはあちらで戦闘が完結している。ならば無理に天子たちの戦闘に介入してくることもないだろう。
「・・・・・ちょっと聞きたいことがあるわ。」
「俺がなぜお前を知っているかか?確かに俺に傷を与えたんだ。教えてや―」
「そんなのはどうでもいいのよ。どうせ勝った後に聞けばいいんだし。私が聞きたいのはあんたがどうしてこの御前仕合に出場しているのかってことよ。あんたこの国の人間じゃないんでしょ。どうして、この場に参加しているの?」
「・・・・・ああ、一ついいか?それって今、命を懸けて戦いあっている相手に対して必要なことか?そういうのってなんつーか、剣を鈍らせるとかそういうのあるだろ?つーかこいつ勝つ気でいやがるし。」
騎士はどうにも面倒そうな表情で天子をあしらいたがっている。
「煩い!私はそれが知りたいの。何よ、それとも言えないようなやましい理由でもあるわけ?」
「は、んなもんねーよ。正直に言えば、簡単な話さ。俺は大鳥の旦那に御前仕合に参加してくれって言われた。俺は、経緯は省くがあの旦那のことをそれなりに気に入っている。そんな旦那がその生涯をかけてでも果たそうとしている東征戦争っていうものに関わってやりたいと思った。まぁ、そんなところだ。」
「・・・・・・・」
天子は一度考えが止まった。帰ってくる答えとしてはまったくの正反対の答えであり、ある意味この世界で初めて自分の価値観に即した回答であったのかもしれない。
「そっか、なら安心した。」
「あん?」
先ほどとは違う。しかし、どこか目の前の騎士を信頼したような表情で天子は構える。
「あんたみたいな奴がこの世界にいるんなら、私も胸を張って私なりの戦いをすることができる。そして、この戦いに負けても悔いはないって思える。当然、負けるつもりなんてさらさらないけどね。いいじゃない。その理由。私からすればここにいる連中の誰よりもあんたのその適当な理由は素晴らしいって思える。」
「何だそりゃ。よくもまぁ、そんな恥ずかしいことを言えるもんだ。ま、そんな、真っ直ぐなやつだったからこそ、親父も救われた面があるってことか。」
「え?」
ボソリといった言葉を天子は聞き逃した。しかし、そこには自分にとって懐かしい響きがあったように天子には思えた。
「御託はここまでだ。さっきもいったろ。俺たちはここに世間話をするために来ているんじゃねぇ。これよりも先の話が聞きたければまずは俺に勝ってからにするんだな。勝って見せるんだろ比那名居天子!!」
振るわれる一閃、しかし、天子の心に曇りはもうない。そして、一つ、決心したこともある。それを大言壮語にしないためにもまずは目の前の騎士を打倒すること。それに全神経を注いで再び天子は戦いの渦中へとその身を潜らせていく。
・
宗次郎と紫織、今まで個人の技に全幅の信頼を寄せてきた二人はここに至ってある程度の連携を示すようになる。それは何を意味するのか、答えは一つ、これ以上一秒たりとも目の前の狂犬を生かしておいてはならないという強迫観念だった。
「禍憑きの使用の可能性、つまるところ時間との勝負か。」
麗々しい雅楽でも聞き入っているかのように冷泉は陶酔に目を細めながら件の戦況を口にする。
「げに恐ろしいものだな凶月とは。禍憑きという鬼札によって、他の動きを封殺しようとしておる。烏帽子殿、御身はどう思われる。」
「・・・・・確かに」
竜胆も冷泉も目の前で起こっている戦いの全てを把握しきっているわけではない。しかし、それでも兵法の常道として一撃必殺などを狙うべきではない。そんなことをすれば相手に対して隙を見せる結果になりうるからだ。しかし、そうせざるを得ない状況を作ってしまうということ。詰まる所、凶月の恐ろしさとはそういったものなのであろう。
「で、あればだ。可能性として二つの答えが提示される。一つは額面通り凶月の異能の発動を阻止するための勝負。そしてもうひとつは」
「それを餌に釣ろうとしている。」
「そう、我にはどうにもそうに思えるのですよ。ふふ、なかなかに悩ましいところでしょう。」
つまりはそれも含めて凶月ということ。想像以上に恐ろしい異能。まるで相手の運気を吸い取って再び天へと羽ばたく不死鳥のような異能であると竜胆には思えた。しかし、同時に感じ得たのは隣に座る冷泉の神経が異様に太いということ。禍憑きが本格的に発生すれば自分たちにも何が起こるかがわからない。それを理解してもなお、隣の男は慌てふためくことすらしない。自分が死なないということを肌で感じ取っているとでもいうのか。今、目の前で戦っている三人にも同じことが言える。彼らの武威は大したもので凄まじい。しかし、どうしてか華々しいとは思えなかった。その齟齬とは果たしてどこから来るのか。
「死者の・・・・踊り」
脳裏に一つの言葉が過る。そう、彼らの世界は浮遊している。まるで虚構のような行動に立体感を与える要素が欠けている。
「だからか・・・・・」
だから、三百年前は負けた。勝てるはずがない。自分が負けるはずがないと、死というものに何の実感も覚えていない者たちでは再び東征は敗北の結果で終わるだろう。
自分が何をするべきかはもはやわかっていた。いつか龍明に言われた言葉。将であるならば、臣下を探すのではなく己の狂気で染め上げろと。
「そうだ・・・・私は」
・
「がっはぁ」
吹き出る鮮血が会場を赤い色に染め上げる。ついに生まれたその隙を刑士郎が紫織の身体を袈裟切りに両断した。絶命は必至。致命の損傷を受けた体にもうどうする力もないはずなのに
「「絶対にそうだと思っていたよ。」」
何故、彼女は笑っているのか。そして、なぜ刑士郎の右後方斜め上に無傷の紫織が立っているのか。
「「あんたみたいな妹大好きお兄ちゃんが禍憑きを使わないってことくらい最初からわかってるんだよ!!」」
そして新たに表れた紫織が今度こそ刑士郎の身体に一撃を叩き込む。
「よくも私を一人殺してくれたね。実際に殺されるのは初めてだったよ!」
怒号と共に繰り出される右の正拳、それをまともに食らって刑士郎は理解する。即ち玖錠紫織の異能力は可能性の拡大なのだと。無限に存在するといわれる並行世界に存在する無数の紫織。それに干渉し、自由に置き換え、使役する能力。だとすれば、目の前の女を殺すためには本当に並行世界の紫織を全て纏めて吹き飛ばすだけの力が必要となる。
まさに陽炎、彼女は触れることのできない蜃気楼だった。
そしてまともに攻撃を受けた刑士郎は簡単に再生できない重傷を受ける。故に次に降りかかる鬼剣は真の必殺と化す。
「――」
しかし、ここであえて宗次郎は一拍の間を置いた。それは言うなれば勘。確かに刑士郎に理性がある間は禍憑きが使用されないかもしれないが、意識が失えばどうなるかはわからない。よって刑士郎の意識が戻らない間に止めを刺すことは自分の首を苦しめることになると宗次郎は考える。そして宗次郎の待つ機が訪れる。
「東海。阿明――西海、祝良――南海、巨乗――北海、禺強――四海、百鬼を退けて、凶災を払う。急々如律令!!」
先刻から龍水が何かをしようとしていることに宗次郎だけが気づいていた。それは歪な信頼。自分の剣で死ななかったからこそ、彼女の介入はこの戦いに何らかの意味を持つという冷徹なまでの自己愛から来る信頼。
「禁!水位之精――悪星退散!!」
「なんだとぉぉ!」
印を龍水が結んだのと同時に刑士郎の戦意そのものが何かに奪われていくかのように喪失していく。それは龍水が編み出した呪法によるものであり、まさに頭から冷水をかけられた状態となった。
「やった。」
自らをして会心の出来であったと歓喜の声を上げる龍水。しかし、彼女は分かっているのか。
「お見事――」
血に塗れた賛辞の声、その声がもたらす結末を。
刑士郎を無力化したのと同時に宗次郎の剣の射線には龍水もいる。つまりは同時に首を斬る。それに気付かなかったことが現在の御門龍水の限界であったということ。
そして、それを助けたのは別の者だった。
「ぼさっとしてたら死ぬよ、あんた。」
別の可能性の紫織が龍水を吹き飛ばす。それは宗次郎の剣から逃げるという意味であり、なぜか紫織は彼の剣に斬られることを極端に嫌った。
「いらつく。てめぇら真剣にいらつくぜ。」
そして龍水の術が効力をなくし、野獣が再び解き放たれる。
「面白いなあ。みなさん、なかなかに倒れませんね。」
「そういわれると一番私がムカついていることになるんだけど。」
三者三様の言葉でこう着状態に水を入れる。
「さて、それで」
「お前は」
「どうするんですか?龍水さん」
「え、あ・・・」
先ほどの紫織の一撃で四肢が動かなくなっている。龍水はとても返事ができるような状態ではなかった。
「あなたはおそらく予知のようなことができるのでしょう。だから、これまでも生き残った。」
「でも、それって一番生かしては置けないタイプだよね」
「つーわけだ。諦めな。」
三人の狙いが龍水へと挿げ替わる。
「まずい!」
天子はそれを察知し、止めに入ろうとするが
「待て!」
騎士がそれを止める。
「な、何すんのよ。どきなさいよ。」
「もう少し様子を見ろ。いいものが見れるかもしれない。」
「ふざけるな・・・ふざけるな、ふざけるなよ、虚けどもめ。」
龍水は怒っていた。不甲斐ない自分に、こんなことでは母と許嫁に顔向けすることすらできないと。そんな自分に腸が煮えくり返っている。
「誰がチンチクリンだ。私は龍水だ!少しばかり私より身長が高いだけであまり調子に乗るなよ!!」
身体がバラバラになるような激痛に耐えながらも仁王立ちをする。
その時に―
「それまでだ。全員武器を下ろせ。」
「いやはや、これはさすがに俺も予想していなかったなぁ。まさか始まる前からこんな込み入った戦闘になるなんてね。」
折原臨也は御前仕合の戦闘を伽藍の上から楽しそうに観察していた。先ほどの宗次郎の一閃によって首が飛んだところなどでは狂気の声を発していたし、今、この場で誰よりもこの事態を楽しんでいるのはまさしくこの男であろう。
「でも、その口ぶりからすると、いずれはこうなると考えていたみたいだね。」
そんな臨也の傍らで同じく戦闘を見ていた陣はさもありなんといった態度で暇つぶしがてらに臨也に言った。
「まぁね、俺はその口火を切るのは凶月であると考えていたんだよ。あの兄が自分に向かってくる奴だけで満足するはずがないって思っていたからね。だから、最初に凶月が呼ばれなくて心底悔しいと思った。だけど、結果はこの通り。往々にして俺の目論んだ結果になった。まさに勝負に勝って試合に負けたって感じかな。」
「俺の目論んだとはどういうことだ?お前にあの舞台に細工をする仕掛けなど積めるはずがないだろう」
背後からの少女の疑念の声に臨也はチッチとわかっていないなというジェスチャーめいた行動をする。
「俺は最初から種をまいているよ。何のために俺が天子ちゃんにこの御前仕合を教えたと思っているんだい?」
「まさか、最初から彼女が参加すると踏んでいたというのか?」
臨也は肯定とも否定ともどちらとも考えられる笑みを浮かべる。実際に臨也にあったのは彼女が参加するという確証だけ。あの場で人助けなどというおよそこの世界の人間らしくない行動を起こす人物ならば御前仕合に何かの理由がなくとも参加することまでは推測できた。だが、一つだけ彼の誤算であったことは彼女が久雅の代表として参加したわけではないということ。
「まぁ、そういう予想外のこともあってこそ人間というものを観察するのは面白いんだけどさ。」
事実、彼女の乱入は御門龍水の命を確かに救ったし、この御前仕合を盛り上げるということにも一役買ってくれた。これは十分な驚きと面白さだったと臨也は考えている。よって、あとはこの面白おかしい冬の祭典がどのような結末を迎えるのか、それこそが臨也にとっては新しい興味の対象となっている。
「で、陣くん。君はこのままいけば誰が勝つと思う?」
そこで答えを知っているのに他人に面白おかしく答えを求めるかのように臨也は陣に話を振った。陣はつまらなそうに眼下の戦闘の流れを見ながら
「どうもこうもこんな簡単な回答なんて僕に聞くまでもないだろう?あの獅子吼が連れてきた異人。あれを置いて他に勝利者など存在するはずがない。」
「へぇ・・・・・それはどうしてさ。意見も聞かせてくれよ。」
口では聞くまでもないと言っておきながらも陣はそれを臨也に話したかったのか、ただ眼下の御前仕合を見ている時よりも明らかに調子が上ずったように口を開いた。
「単純なことだろう。他の奴らはみんなして異能を使って戦いあっている。つまりはさ、あいつらにとっての限界っていうのはあれでおしまいなわけさ。でも、あの異人だけは違う。明らかに奥の手を隠した余裕を持ちつつ戦闘を続けている。この差は大きい。持久戦にしろ短期決戦にしろ限界を見せている相手とじゃ深さが違うってもんだよ。」
その考えに臨也は特に問題を指摘しない。彼自身も同じ考えでいるのか。
「まー、妥当な線だよね。だけどさ、陣くんの考えはあまりにもセオリーを進みすぎてしまっていて俺としては面白くはないなー」
「じゃあ、君はどう考えているのさ。そこまで言うんだ。当然教授してくれるんだろう?」
「・・・・・・」
臨也はどうするのかを一瞬考え、笑みを浮かべた。
「まぁいいか。俺はこの勝負、最終的に勝つのは天子ちゃんだと思っているよ。自分が起こしたことだし、それくらいの信頼はしてあげないとね。」
「あの乱入者かい?見たところそんな風には見えないけれども」
「はは、だから言ったろ。最終的にはって。この場にいる奴らの中で最終的なビジョンが見えている奴なんて俺くらいしかいないんだろうからさ。」
そして、その決着は天子の勝利で終わると臨也は信じて疑わない。
「覚えておこうじゃないか。その言葉。どちらにせよ、こんなものは遊戯に過ぎないんだ。どうなったところで変わらない。有象無象が東征戦争なんて言う有難い大義名分に寄り縋っているだけに過ぎない。くだらなくて壊してやりたくなるよ。」
陣は眼前の全てを見下すかのような表情でそう宣告する。真実、自分の気分次第ではそうなるであろうことを理解している幼い王は、言外に眼下の益荒男たちに告げる。ゆめゆめ自分を退屈させるなと、せめて臨也が言うように妥当な線など破る見世物であれと傍観者の視線を向ける。
「さて、それにしてもここからどうなるか。波乱はまだまだ続くだろうね。さて、あのお姫様は果たしてどこで動くのか。終わってからじゃあまりにも芸がない。ここらで一発ドカンとすごいのを見せてくれよ」
・
「今まさに雪降らめやも陽炎の燃ゆる春へと成りにしものを―唵−摩利支曳娑婆訶」
それはある種の自己催眠であるのか、詠唱を終えると同時に紫織の気が変質していく。猛烈に、だが曖昧に。存在そのものが希薄になるように、ズれるように、まるで陽炎か蜃の夢―多重分身と表現すればいいだろうか。これまでの紫織の戦闘方法から察するに玖錠の奥義とはすなわちそれであるのだろう。しかし、それに加えて紫織は歪みという異能を宿している。果たしてそれがこの多重の分身にどんな影響をもたらすのか。
「如医善方便、為治狂子故、顛狂荒乱、作大正念、心墜醍悟、是人意清浄、明利無穢濁、欲令衆生、使得清浄―諸余怨敵皆悉摧滅!!」
そして宗次郎が口にしたのはやはり、自らの狂気を正気として成り立たせるための自己暗示のようなものだった。その上で当たり前のように目の前の全てを悉く斬り捨てんと誓う一言。この場の敵を生かして返すつもりなど彼には毛頭ない。
剣が揺らぐ。鬼哭啾啾と剣の刃鳴を起こす。このおよそ獣性とは無縁の冷徹なまでの冷涼たる血嵐こそ壬生宗次郎という男の本領といっても構わない。
「アホか」
そしてだからこそこの場において刑士郎はあまりにも異質だった。戦場においてその誓いの言葉を口にすることで意識を変えた二人を刑士郎はまるで茶番のようだと切り捨てる。
「いちいちぶつぶつと言葉を並べなきゃ殺し合いもできないってわけかぁ?可哀想だよなぁ。兎って奴はよぉ。」
生来の虎を自認しているからこそそんな自己暗示など必要ない。弱いからこそそんなものに縋ってしまうんだと刑士郎は憐みの目で二人を見る。
「さぁて・・・・」
全身の筋肉が鳴動する。その骨、内臓に至るまでの全てが常人とは全く違う異界の法則の上に成り立っている。それを身体で理解している刑士郎はほくそ笑み、前傾姿勢から獲物を狙う肉食動物のように一速で加速の第一歩を踏み出した。
それが向かう先は言うまでもない。
「―――」
先ほど紫織から頂いた一撃をけして刑士郎は忘れていない。まずはそれを返さないことには始まらないであろうとまずは玖錠よ、お前を殺すと蛇のように、虎のようにその肢体で敵の身体を食いちぎらんと疾駆する。
対して迎え撃つ紫織は低い位置から攻撃を仕掛ける刑士郎に対して取るべき手段は二つ。つまりは蹴り上げるか、踏み潰すかである。しかし、これはまさに詰みといっても差支えのない状態である。前者を選べば足が吹き飛ばされかねない。かといって後者は補足しきれるかすらも怪しい。そう、常人の考えであれば―
「ふっ!」
短い呼吸ひとつで行われた動作によって刑士郎は下からかちあげられていた。胴、心臓、肝臓、鳩尾の全てを狙う形で
「あんた、私の何を見ていたのよ!」
有り得ぬ角度からの奇襲に驚く刑士郎にさらなる追撃が加えられる。眉間、こめかみ、人中、喉全てが急所である。
「くはははは」
しかし、それを受けてもなお刑士郎は笑っていた。かちあげられた時の勢いをそのままに刑士郎は跳ね返しを叩き付ける。それに腕で防御をしたはずの紫織の身体が吹き飛ばされる。けして紫織の身体能力が弱いわけではない。刑士郎の身体能力があまりにも異常なのだ。それを証明するようにそれに次いで放たれた紫織の返し技は刑士郎にまともに防御される。
「おらぁぁぁぁ」
そのまま紫織の足首をつかみ、無遠慮に振り回す。途中に延髄を蹴られたが、刑士郎は意にも介していない。同時に振るわれた宗次郎の剣ですらも容易に避けている。しかも腰においてあった双剣を抜き取り、宗次郎に応戦するという離れ業まで、刑士郎はやってのけた。しかし、剣の技量においては宗次郎がこの中で一人抜きんでている。
しかし、宗次郎の剣はあくまでも速さにおいては達人の域を出ない。つまりはどこまでも常人のそれであるということである。それならば刑士郎に及ぶはずなどない。宗次郎の剣の真に恐ろしい点それは・・・・
「殺気の塊、どこから来るか気をぬいてりゃわからなくなる。」
放射している殺気の密度があまりにも濃すぎるために、達人であればあるほどに重宝する読み合いを行うことができない。必然的に刑士郎は防戦を余儀なくされ、それには隙が必ず生まれる。
「―ッ!」
そして、それを見逃す宗次郎ではない。ここに来てこれまで一度も振るわなかった点の攻撃を刑士郎に対して放つ。刑士郎に対して斬撃が意味をなさないと考えた宗次郎の渾身の一撃。果たしてそれは刑士郎の左胸を正確に背中まで貫いた。
「で?」
殺意の弾丸によって仕留める一歩手前まで行ったはずだった。だというのに、刑士郎はその宗次郎の刺突を意にも介していなかった。それに宗次郎は一瞬気を取られて、刑士郎の横なぎの攻撃を避けるため、慌てて刀を手放して、後方へとさけた。
「そんな顔をするな、久しぶりだぜ。自分の血を見るのはよ。」
冷静に宗次郎に賛美を送りずるずると左胸から剣を抜き取る。
「天下最強が夢だったか?まぁ、お前ほどの力ならいずれはなれるだろうよ。だが、経験が足りないな。俺みたいのと戦うのは初めてだろう?教えておいてやるよ。腹の中なんざ好き勝手に変えられるんだよ。狙うなら首にしな。ここなら外すことはねぇよ。」
そうして、刑士郎は宗次郎の刀を無遠慮に投げつける。
「拾いな、それがなきゃ戦えないだろう?」
恐るべき屈辱に宗次郎は身を震わせる。
「なんともまぁ、出鱈目なことで。」
立ち上がった紫織の手には凶悪な手甲鉤が装着されていた。現状全ての攻撃を命中させている彼女ならば、これで話が変わってくるかもしれない。
「こういうのに頼るのは本当はあまり好きじゃないんだけどさ。その綺麗な顔をぐちゃぐちゃにしてやるよ。刑士郎!!」
「後悔しますよ、僕にこれを返したこと・・・・」
紫織が踏み出すのと同時に宗次郎もまた再び剣を握り、それに続く。
「いいぜ、やってみせろよ。掛かってきなぁ!!」
今度こそ向かえ討つ態勢となり、刑士郎は二人の攻撃へと意識を集中する。先ほどまでの刑士郎の身体への未知数から来る二人の攻撃の誤差はこれより修正される。よって、刑士郎には本格的に劣勢が立ち返ってくるであろうし、真剣勝負である以上、宗次郎と紫織が手を抜くはずなど毛頭ない。そして、技の冴えに関しては二人が優勢。よって、ここに刑士郎は真に劣勢に立たされた。
・
日本刀を軽々と過去幾星霜から使いこなしていたように金髪碧眼の異人は上から下へと振り下ろす。それが狙うのは天子の振り回した鞭のようにしなる岩の連結された物体、かくして、それはまるで紙細工のように両断され、天子は再び驚愕の表情を迎えることになる。
「く――」
すぐさま、戦闘方法を変え、不利を承知で天子は騎士の懐へと飛び込まんと一速で駆け上がる。とはいえ、それはただ向かっていくだけの行為ではない。天子が走った道がまるで捲れ上がったシールのように表出し、表面の大地に含有された小粒の岩が弾丸のように敵へと向かっていく。この目の前の敵相手では目くらましにもならないかもしれない攻撃ではあるが、天子が目指しているのはあくまでこの騎士の懐。よって、この攻撃が破られることに何ら臆する必要はない。
「厄介な攻撃だな。だが、お前が俺の懐に飛び込むっていう事実がわかっているのならば、下手に手を打つ必要なんかないだろうに!!」
騎士は抵抗することなく、多少の傷を気に留めもせずにただ天子の動きだけを精密に観察する。手の動き、足の運び方、目を配らせる場所。そういった対峙する相手が人間である以上は必ず使用される戦場の基本のような動作で騎士は天子の動きを読む。
「そこ!!」
天子の攻撃が騎士の鎧の間隙を狙って放たれる。手刀、いや、二本の指による刺突であろうか。極限にまで接近し、同時に接近を許した両者はその一寸先の未来に正反対の結果を信じる。つまりは―
「は・・・・今のは正直効いたぜ。まさか、そんな肉弾技を使えるようになっているとはな。まったく予想だにしていなかったぜ。」
騎士は心底驚かされたといいたいのか、それとも天子に感心を寄せているのか打たれた右肩部を押さえながら天子に賞賛の声を送る。
「それは結構。だけど、完全にうまくいったわけじゃないし、その言葉はまだ受け取らないことにしておくわ。」
しかし、相手に一撃を叩き込んだ代償として、天子もまた首筋から血を流している。あの刹那、天子の首を両断せんと振るわれた刀を指の動きを変えることなく、首をギリギリで下に落とすことでなんとか首の皮一枚繋がったわけだが、正直あのまま両断されてもおかしくなかった。運がよかったのは、天子の攻撃を警戒して、相手がギリギリまで攻撃を待っていてくれたこと。先んじた攻撃であっても、後の先であっても、タイミングが遅ければ死んでいたのは確実に天子だっただろう。
「だ、大丈夫ですか?天子!?」
「うーん、これくらいなら、緋想の力で治癒できる範囲内かな。といっても傷がすぐに塞がるわけじゃないし、ダメージを負ったことに変わりはないんだけどね。」
それでも気休め程度にはなるだろう。そして、自分がダメージを負ったのと同時に相手もダメージを負ったのならば、それはそれで上等。なにせ、天子が穿ったのは、相手の右肩。
「・・・・・・・くそ、一時的かどうかはわからないが、神経がいかれてやがる。これじゃ、思い通りに右手をふるうことはできないか。」
「騎士にとって片手をやられるっていうのも相当な深手なんじゃない?」
「まぁな、だが、そう慌てることでもない。戦場じゃ腕を斬られた兵士なんて積み上げられた屍の数と変わらないくらいにいるからよ。そういうときにどうするかはこの眼で見てきているし、実感として把握しているつもりだ。それよか、種明かしを求めたいところなんだが、お前、俺の身体に何をしたんだ?」
天子は一瞬、ここで種明かしをするべきかどうかを考えたが、口を開くことにした。もとよりさきほどのは奇襲、同じ攻撃が二度も通用するはずがない。
「緋想の力の応用よ。あんたの身体の中に流れている気を感知して、それと正反対の気を流し込む。結果として二つは不純物として混ざり合い、一時的ではあるけれども、あんたの身体の感覚を打ち消すわ。といっても所詮は修行の一環で偶然発見した戦い方なんだけど」
そこで篝は思い出す。二週間前の天子と初めてこの世界に転移した時に天子が行ったゴロツキに対する戦闘方法も同じやり方だった。ならば、これは天子の中で計算された行動であったわけで、彼女が自分の知っている天子よりも数段上回った戦闘技術を持っていることが実として証明された。
「ああ、そういうことか。なら、俺が知らないのも納得だな。さっきの一閃。西洋剣なら、もう少しうまく動かすこともできたが、やっぱり日本刀というのはどうにも慣れないな。斬るという能力に特化させているきらいがあるために、西洋のように叩き伏せるというには刀身が綺麗すぎる。人様から奪った武器に愛着なんておこがましい発言するつもりは毛頭ないんだが、やっぱり、さっきのは失敗だったな。」
騎士はどうにも罰が悪いといったような風体であさっての方向を見ている。その傍らでは依然天子と騎士を除いた三人の戦闘が続いている。しかし、どうやらその戦闘の余波がこちらに流れ込んでくることはなさそうだった。あちらはあちらで戦闘が完結している。ならば無理に天子たちの戦闘に介入してくることもないだろう。
「・・・・・ちょっと聞きたいことがあるわ。」
「俺がなぜお前を知っているかか?確かに俺に傷を与えたんだ。教えてや―」
「そんなのはどうでもいいのよ。どうせ勝った後に聞けばいいんだし。私が聞きたいのはあんたがどうしてこの御前仕合に出場しているのかってことよ。あんたこの国の人間じゃないんでしょ。どうして、この場に参加しているの?」
「・・・・・ああ、一ついいか?それって今、命を懸けて戦いあっている相手に対して必要なことか?そういうのってなんつーか、剣を鈍らせるとかそういうのあるだろ?つーかこいつ勝つ気でいやがるし。」
騎士はどうにも面倒そうな表情で天子をあしらいたがっている。
「煩い!私はそれが知りたいの。何よ、それとも言えないようなやましい理由でもあるわけ?」
「は、んなもんねーよ。正直に言えば、簡単な話さ。俺は大鳥の旦那に御前仕合に参加してくれって言われた。俺は、経緯は省くがあの旦那のことをそれなりに気に入っている。そんな旦那がその生涯をかけてでも果たそうとしている東征戦争っていうものに関わってやりたいと思った。まぁ、そんなところだ。」
「・・・・・・・」
天子は一度考えが止まった。帰ってくる答えとしてはまったくの正反対の答えであり、ある意味この世界で初めて自分の価値観に即した回答であったのかもしれない。
「そっか、なら安心した。」
「あん?」
先ほどとは違う。しかし、どこか目の前の騎士を信頼したような表情で天子は構える。
「あんたみたいな奴がこの世界にいるんなら、私も胸を張って私なりの戦いをすることができる。そして、この戦いに負けても悔いはないって思える。当然、負けるつもりなんてさらさらないけどね。いいじゃない。その理由。私からすればここにいる連中の誰よりもあんたのその適当な理由は素晴らしいって思える。」
「何だそりゃ。よくもまぁ、そんな恥ずかしいことを言えるもんだ。ま、そんな、真っ直ぐなやつだったからこそ、親父も救われた面があるってことか。」
「え?」
ボソリといった言葉を天子は聞き逃した。しかし、そこには自分にとって懐かしい響きがあったように天子には思えた。
「御託はここまでだ。さっきもいったろ。俺たちはここに世間話をするために来ているんじゃねぇ。これよりも先の話が聞きたければまずは俺に勝ってからにするんだな。勝って見せるんだろ比那名居天子!!」
振るわれる一閃、しかし、天子の心に曇りはもうない。そして、一つ、決心したこともある。それを大言壮語にしないためにもまずは目の前の騎士を打倒すること。それに全神経を注いで再び天子は戦いの渦中へとその身を潜らせていく。
・
宗次郎と紫織、今まで個人の技に全幅の信頼を寄せてきた二人はここに至ってある程度の連携を示すようになる。それは何を意味するのか、答えは一つ、これ以上一秒たりとも目の前の狂犬を生かしておいてはならないという強迫観念だった。
「禍憑きの使用の可能性、つまるところ時間との勝負か。」
麗々しい雅楽でも聞き入っているかのように冷泉は陶酔に目を細めながら件の戦況を口にする。
「げに恐ろしいものだな凶月とは。禍憑きという鬼札によって、他の動きを封殺しようとしておる。烏帽子殿、御身はどう思われる。」
「・・・・・確かに」
竜胆も冷泉も目の前で起こっている戦いの全てを把握しきっているわけではない。しかし、それでも兵法の常道として一撃必殺などを狙うべきではない。そんなことをすれば相手に対して隙を見せる結果になりうるからだ。しかし、そうせざるを得ない状況を作ってしまうということ。詰まる所、凶月の恐ろしさとはそういったものなのであろう。
「で、あればだ。可能性として二つの答えが提示される。一つは額面通り凶月の異能の発動を阻止するための勝負。そしてもうひとつは」
「それを餌に釣ろうとしている。」
「そう、我にはどうにもそうに思えるのですよ。ふふ、なかなかに悩ましいところでしょう。」
つまりはそれも含めて凶月ということ。想像以上に恐ろしい異能。まるで相手の運気を吸い取って再び天へと羽ばたく不死鳥のような異能であると竜胆には思えた。しかし、同時に感じ得たのは隣に座る冷泉の神経が異様に太いということ。禍憑きが本格的に発生すれば自分たちにも何が起こるかがわからない。それを理解してもなお、隣の男は慌てふためくことすらしない。自分が死なないということを肌で感じ取っているとでもいうのか。今、目の前で戦っている三人にも同じことが言える。彼らの武威は大したもので凄まじい。しかし、どうしてか華々しいとは思えなかった。その齟齬とは果たしてどこから来るのか。
「死者の・・・・踊り」
脳裏に一つの言葉が過る。そう、彼らの世界は浮遊している。まるで虚構のような行動に立体感を与える要素が欠けている。
「だからか・・・・・」
だから、三百年前は負けた。勝てるはずがない。自分が負けるはずがないと、死というものに何の実感も覚えていない者たちでは再び東征は敗北の結果で終わるだろう。
自分が何をするべきかはもはやわかっていた。いつか龍明に言われた言葉。将であるならば、臣下を探すのではなく己の狂気で染め上げろと。
「そうだ・・・・私は」
・
「がっはぁ」
吹き出る鮮血が会場を赤い色に染め上げる。ついに生まれたその隙を刑士郎が紫織の身体を袈裟切りに両断した。絶命は必至。致命の損傷を受けた体にもうどうする力もないはずなのに
「「絶対にそうだと思っていたよ。」」
何故、彼女は笑っているのか。そして、なぜ刑士郎の右後方斜め上に無傷の紫織が立っているのか。
「「あんたみたいな妹大好きお兄ちゃんが禍憑きを使わないってことくらい最初からわかってるんだよ!!」」
そして新たに表れた紫織が今度こそ刑士郎の身体に一撃を叩き込む。
「よくも私を一人殺してくれたね。実際に殺されるのは初めてだったよ!」
怒号と共に繰り出される右の正拳、それをまともに食らって刑士郎は理解する。即ち玖錠紫織の異能力は可能性の拡大なのだと。無限に存在するといわれる並行世界に存在する無数の紫織。それに干渉し、自由に置き換え、使役する能力。だとすれば、目の前の女を殺すためには本当に並行世界の紫織を全て纏めて吹き飛ばすだけの力が必要となる。
まさに陽炎、彼女は触れることのできない蜃気楼だった。
そしてまともに攻撃を受けた刑士郎は簡単に再生できない重傷を受ける。故に次に降りかかる鬼剣は真の必殺と化す。
「――」
しかし、ここであえて宗次郎は一拍の間を置いた。それは言うなれば勘。確かに刑士郎に理性がある間は禍憑きが使用されないかもしれないが、意識が失えばどうなるかはわからない。よって刑士郎の意識が戻らない間に止めを刺すことは自分の首を苦しめることになると宗次郎は考える。そして宗次郎の待つ機が訪れる。
「東海。阿明――西海、祝良――南海、巨乗――北海、禺強――四海、百鬼を退けて、凶災を払う。急々如律令!!」
先刻から龍水が何かをしようとしていることに宗次郎だけが気づいていた。それは歪な信頼。自分の剣で死ななかったからこそ、彼女の介入はこの戦いに何らかの意味を持つという冷徹なまでの自己愛から来る信頼。
「禁!水位之精――悪星退散!!」
「なんだとぉぉ!」
印を龍水が結んだのと同時に刑士郎の戦意そのものが何かに奪われていくかのように喪失していく。それは龍水が編み出した呪法によるものであり、まさに頭から冷水をかけられた状態となった。
「やった。」
自らをして会心の出来であったと歓喜の声を上げる龍水。しかし、彼女は分かっているのか。
「お見事――」
血に塗れた賛辞の声、その声がもたらす結末を。
刑士郎を無力化したのと同時に宗次郎の剣の射線には龍水もいる。つまりは同時に首を斬る。それに気付かなかったことが現在の御門龍水の限界であったということ。
そして、それを助けたのは別の者だった。
「ぼさっとしてたら死ぬよ、あんた。」
別の可能性の紫織が龍水を吹き飛ばす。それは宗次郎の剣から逃げるという意味であり、なぜか紫織は彼の剣に斬られることを極端に嫌った。
「いらつく。てめぇら真剣にいらつくぜ。」
そして龍水の術が効力をなくし、野獣が再び解き放たれる。
「面白いなあ。みなさん、なかなかに倒れませんね。」
「そういわれると一番私がムカついていることになるんだけど。」
三者三様の言葉でこう着状態に水を入れる。
「さて、それで」
「お前は」
「どうするんですか?龍水さん」
「え、あ・・・」
先ほどの紫織の一撃で四肢が動かなくなっている。龍水はとても返事ができるような状態ではなかった。
「あなたはおそらく予知のようなことができるのでしょう。だから、これまでも生き残った。」
「でも、それって一番生かしては置けないタイプだよね」
「つーわけだ。諦めな。」
三人の狙いが龍水へと挿げ替わる。
「まずい!」
天子はそれを察知し、止めに入ろうとするが
「待て!」
騎士がそれを止める。
「な、何すんのよ。どきなさいよ。」
「もう少し様子を見ろ。いいものが見れるかもしれない。」
「ふざけるな・・・ふざけるな、ふざけるなよ、虚けどもめ。」
龍水は怒っていた。不甲斐ない自分に、こんなことでは母と許嫁に顔向けすることすらできないと。そんな自分に腸が煮えくり返っている。
「誰がチンチクリンだ。私は龍水だ!少しばかり私より身長が高いだけであまり調子に乗るなよ!!」
身体がバラバラになるような激痛に耐えながらも仁王立ちをする。
その時に―
「それまでだ。全員武器を下ろせ。」
―御前仕合会場―
御前仕合の会場は突如として巻き起こった出来事によって騒然となっていた。最たる理由は、語るべくもない壬生宗次郎の凶行によって、六条と望月の益荒男が首を斬られたという事実、そしてそれに付随するもう一つの衝撃は、この神聖なる御前仕合の会場に乱入者が現れたということだった。
「これは、何事ですかな?あれは。まさか烏帽子殿の益荒男などと仰ることはないでしょうな。」
その突発的な事態にも中院冷泉はさして驚いたような素振りを見せていなかった。否、これはこれで面白いとそもそもにこの事態を招いた男を呼び寄せた冷泉は楽しむような素振りでいた。
「いや・・・・・私は違う。」
そして、驚きを真に感じていたのは竜胆だった。何故彼女が御前仕合に参加しているのか、どうして龍水を助けたのか、そのどれにも竜胆のこの世界における既存の回答は意味をなしていなかった。すなわち、助けたいと思ったから助けた。自己のために他者を助けるというこの世界では絶対にあり得るはずがないその考えこそが天子が龍水を助けた理由として最も妥当なものであると竜胆には思えた。
「はて、では、あの手合いはどうしてこの場に?武芸を見せつけるためであろうとも何とも非礼を蒙ったものであろうよ。これでは、己が何かをなす前に己が国を追われるは必定であろうに。」
「彼女は私の益荒男です。」
冷泉の挑発するかのような物言いに応えたのは紗代だった。物怖じなどすることなくあくまでも毅然とした態度で彼女は天子の御前仕合への出場は正当なものであると主張する。
「おやおや、待たれよ。紗代姫。御身ら望月の益荒男は先ほど我が臣下の宗次郎に討たれたばかりではないか。それをまるで帳消しにするかのような物言い。帝の寵愛を受けているとはいえ、公私を弁えるべきではないか?」
「冷泉、先ほどの蛮行を許した貴方がそのような口を聞くこと、誠に滑稽なことと私は思います。先ほどの貴方の流儀から言わせてもらえれば、それこそ知らなかったほうが悪い。そうではありませんか?」
「ふむ・・・・」
紗代の言葉はもはや暴言の域にあるものであったが、それを言うならば、冷泉のさきほどの六条たちに対する言葉とて暴言に位置するもの。これはしてやられたと考えるべきかと冷泉が考えていると
「良いではないか。それこそ、ここで引っ張り上げるよりもあの女の力を試させたほうが神州にとっては何かと有意義だ。ここまで毅然と言い放つのだ。あれが他の思惑など持っていた時には紗代姫が責任をとるし、手綱を握ってくれるのであろう?ならば、心配など無用だ。なぁ、そうだろう?冷泉」
助け舟と呼んでもいいのか、獅子吼は冷淡な笑みを浮かべて冷泉を牽制する。身元不明の乱入者であればいざ知らず、望月の姫君が関わっているものであれば一定の利用価値はあると踏んでの言葉なのであろう。本人にはその意思はなくとも結果として獅子吼の発言は、紗代の天子の後押しを助ける結果となりえた。
「相分かった。ここでこれ以上、我が何を言おうとも実際に剣を振るうのは壇上の益荒男たち。ならば、我らは厳粛にその決着を見届けるのが筋というもの。ここは獅子吼殿の言葉に乗ってみようではないか。お歴々もそれでいいかな。」
竜胆を含めた他三人は押し黙っている。それが暗に天子の参戦を認めたことを意味していると理解し、冷泉は開いた扇子を閉じる。
「紗代よ、この度の独断、後で話を聞かせてもらうぞ。」
紗代の横で秀光が、緊張したような面もちで紗代を言外に咎める。
「はい、わかっております。父上、しかし、紗代も信じておるのです。」
「信じるだと・・・・?」
「はい。この戦いを天子が必ずや何らかの形で変えてくれるのを。縦しんば新たな益荒男が現れてくれることを。」
自分の投げた種はきっとその未来に意味をもたらしてくれると信じて、紗代はこれから、御前仕合の中でどんな惨劇が起こったとしてもけして目を逸らさない決意を固める。
「しかし、あの者」
竜胆は凶行を働いた壬生宗次郎の表情を見る。その表情は静謐そのものであり、しかして、その白色の刃は紅蓮の狂気に染まりあがっている。妖々と迫ってくる殺気の渦に竜胆は知らずか体を硬直させてしまう。あれを元より壊れている。そうおそらくは冷泉は何一つ下知など与えてはいないのだろう。ただ宗次郎の好きにやらせた結果がこれ、ならばあれは・・・
「剣鬼・・・・」
その表現に竜胆は心から悪寒を感じる。
・
「・・・・無駄な剣は揮いたくない性分なんですよ。一生は短い。無駄なことをやっていたら、僕は僕の夢を実現することができなくなってしまう。」
宗次郎は生き残った龍水と天子を改めて目に据えて、ため息じみた声でそう感情を吐露する。
「・・・・・・・ッ!」
その出で立ちも顔つきも過日に龍水が出会った「あの」宗次郎と何ら変わりはない。しかし、身にまとう殺気の凄烈さは誰の目にも明らかだった。
「宗、次郎」
これがこの優男の本性なのだ。剣に狂い、剣に生涯を捧げ、ただ強者を斬殺することにしか興味を抱けない破綻者。
龍水がいまだに幼い女子だから、知己だから、そんなこそばゆい事実はこの男の前には何ら意味を持たない。御前仕合という戦場に立った以上は、宗次郎にとって龍水はただの斬殺対象でしかない。
「僕が天下最強の剣士である。それを証明するためにはまずこの場の全員を斬り殺さなければいけませんよね。差しあたっては取るに足らない人たちを排除しようと考えていたんですが、まさか、乱入者が現れるとはさすがにこれは予想してはいませんでした。天子さんでしたっけ?僕の前に現れたということはあなたも僕の斬り捨てる対象であるということだ。」
「まぁ、成行き上はただ死ぬつもりはないし、これから圧倒されるのはあんたであるっていうことだけは予想からは外れると思うわよ。」
「へぇ・・・・」
凶剣が泳ぐ。その生意気な口をどう黙らせてやるか宗次郎の意識が一気に天子へと傾く。
「それは楽しみだ。次はそれなりに本気で行きます。抵抗はご自由に。どうせ意味はないでしょうから。所詮女などというものは、弱すぎて話にならない生き物だ。」
「おい」「ちょっと」
瞬間、御所をまるで地震のような地響きが襲った。それが何によって起こったのかなど今更引き合いに出すまでもないだろう。起こった出来事は二つ。
「今、何ていったのよ。あんた、女は弱いってそれはまさか私のことまで含んでいるんじゃないでしょうね。」
「偏見で話されちゃ堪らないわ。不意打ちでしか人を倒せないような奴に弱いなんて頭に来るから訂正しなさいよ。」
玖錠紫織と天子が起こした攻撃が同時に宗次郎の身体を衝撃で吹き飛ばす。天子は小さな岩のようなものを投擲して、紫織はまるで落雷のような拳で宗次郎の挑発に応えた。
「あんたの相手はこの私だろう?それを何勝手に楽しそうなことをやっているわけ?乱入者とかどうでもいいけどさ。そっちがその気ならぐちゃぐちゃで始めちゃっていいんだよ。」
「その通りだ。悪いな、龍明。少し本気を出す。舐め腐りやがってクソガキがぁぁぁぁぁ、上等だァ。ぶち殺してやらぁぁぁぁぁぁ」
怒号とともに四方に打ち込まれたのは鉄の杭と形容するべきかもしれない巨大な苦無だった。それらを持ち主である刑士郎が四方に投げた理由は、簡単に言えば、地脈の破壊。外に被害が及ばぬようにと龍明が張っていた結界のようなものである。それによって刑士郎はとても窮屈な思いをしていたのだが、それから解放されたことによって刑士郎は本来の実力を引き出すことができる。言わば禍憑きを出すこともできるのだ。
「まったく・・・この問題児どもめが。」
しかし、そんな者たちに反して龍明は楽しそうに苦笑を漏らしていた。面倒なことになったとため息をつきながらも一切の後悔は感じられない。
「ああ、落ち着かれよお歴々。いい機会だと思われるがいい。これより我々が対峙しなければならないという敵がどれ程のものであるのかそれを知るいい機会であろう。どだい机上の空論では答えなどでないのだからな。」
ゆえに等しく命を懸けてこの御前仕合を見守れと慇懃無礼に言ってのける。それは守護という職務を放棄したものであるが、もはやそれに誰も文句を言える状況ではなかった。
「さぁ、立ち上がれよ、龍水。何をだらしなく呆けている。私は結界を張り直すのに時間がかかる。それまで馬鹿どもの暴発を防ぐことがお前の使命だ。できるよな?失望させるなよ、私の娘よ」
「―――」
しかし、それに応える龍水よりも早く
「痛いなぁ・・・・」
大の字に横たわっていた宗次郎がむくりと血の気を引かせる声で起き上がった。
「貴方たち二人ともおかしな技を使いますね。特に玖錠の女性。確かに躱したはずなのに
その瞬間、まったく別の方向から攻撃が飛んできた。面白いなぁ。僕が理解できない事象がここでは簡単に発生してしまうんだから。」
掛け値なしに感動したと武者震いに宗次郎は総身を震わせた。先の攻撃、紫織は右から攻撃をした。にもかかわらず宗次郎は正面からの攻撃で真後ろへと飛ばされた。
「私の名前、紫織だよ。それにしても恐ろしいね。さっきの攻撃を理解しちゃうなんてさ。しかもあんたは私の体に触れた。それはつまり、あんたも私と同種の人間ってことなんだろうね。」
明朗な声はしかし、掠れていた。こちらも武者震いが収まりきらないといった用に
「今の・・・まるで分身したかのようだった。」
「しかし、それでは質量が説明できません。私の目には彼女が右から攻撃していることは確実でしたよ。」
周囲の誰の耳にも聞こえない声で天子と篝は目の前で起こった出来事を分析している。しかし、分身というにはあまりにも実体を伴った攻撃、かつて天子と共に戦った仲間にも質量を持った分身を作ることのできる少女がいたが、これはおそらく・・・・
「ふん、だから何だってンだよ。どうでもいいんだよ。てめぇらのシケた異能の種明かしなんてのはよぉ。唯一つ凶月に攻撃を仕掛けるような奴は見逃せぇンだよ。立場上なぁ」
強烈なまでの怒気と殺気を周囲の者たちに当たり散らすようにぶつけながら刑士郎は武器を構える。
「同感だなぁ。」
それに呼応するかのように振るわれたのは一筋のサーベルによる一閃。これまで動きを見せなかった獅子吼の呼び寄せた異人がここに至って行動を開始する。
「相手の素性をどうのこうの計るのは戦いながらでもできるし、ここはそういう場所だろう?俺たちはここに世間話に来たわけじゃない。やることをやりにきたんだ。世間話なんざ生き残った奴だけで語ればいいんじゃないか?」
金髪碧眼の男はその言葉通りにサーベルを振るいながら宗次郎たちを牽制する。その剣筋には異能のそれは見られない。しかし、ただ卓越しているのだ。それは天下最強の剣士になると己を自負する宗次郎のそれと同等かあるいは・・・・
「そういえば、貴方もいたのですね。あなたも剣士なのですか?」
「ちょっと違うな、俺は騎士さ。どこまでも完璧な主に尽くす騎士だぜ。」
「肩書などどうでもいいことでしたね。僕にとって必要なのは、あなたが僕にとって斬るに値する相手かどうか。そしてどうやら貴方は値する敵のようだ。」
「自分で聞いておいてそれかよ。だが、残念なことに俺はお前には用がないんだ。そして、俺は大好きなものから先に手を付ける性分でね。てなわけでー」
まさに縮地と呼ばれるかのような足さばきで異人は向かい合う他の三人を出し抜く。そして振るわれたサーベルの先にいたのは
「!?」
「お前だよ、比那名居天子。正直こんな所でお前と出会えるなんて考えてもいなかったが。これも運命と捉えるのならば悪くはない。見極めさせてもらうぜ。お前の実力のほどを。」
「あんたのことなんて一切知らないんだけど、私。」
「ま、そういうこともあるだろうさ。俺に一太刀でも入れてみな。そしたら答えてやるよ。」
サーベルの剣圧にとっさに出現させた岩の壁が耐えられなくなる。天子はすぐさま、空中へと飛び上がり、そのまま大地を震動させる。
「なら、まずはさっさと埋もれなさいよ!!」
「面白い!」
その大地の陥没に、異人は的確に崩れる道を見定めて崩れた個所から抜け出していく。さながら、落ちてくるものにどのように触れていけばこの難所から突破できるのかを最初から知っているかのように、異人は何の遅れもなく、その行動を実行する。
「嘘・・・私の能力に何一つ驚かないなんて。」
「さっきも言っただろう?こちとらお前とは初対面じゃないって。だから、大体お前の手の内なんてものは分かっている。あの時と同じでしかないっていうんなら、お前は俺に逆立ちしても勝つことはできないよ。」
ついには跳躍だけで空中へと飛翔した相手は驚きから一瞬、硬直した天子に向かってサーベルを投げつける。それは寸分たがわずに天子の心臓目掛けて放たれ、数秒後の絶命を想起させるだけの意味合いを放つものであった。
「あんまり舐めるな!!」
しかし、その程度、ただの心臓目掛けて放たれた一撃などで彼女を制することができると考えているのであればそれこそ相手は彼我の戦力の読み違いも甚だしい。
天子に向かって放たれたサーベルは彼女の体に突き刺さる直前で、まるで見えない壁に阻まれるように静止し内部から崩れるように分解された。その原理は天子の大地を操る能力と双璧をなす緋想の力によるもの。周囲の大気に分散している緋想の力を薄いバリアのようにして展開するというもの。これは過去の神上の戦いに天子が編み出した戦法ではあるが、弱点も当然ある。明らかなものではあるが、結局は薄い膜に過ぎないものだ。強力な攻撃を受け続ければ簡単に破れるし、もう一度張り直すにもすぐに再展開ができるわけではない。いわば急造の一手。「現在の」天子であれば凡そ使用するにも愚行と言わざるを得ない使用方法。
(でも、あいつは私のことを知っているといった。最近、そんな奴ばっかりだったから、あいつが私をどこで知ったのかはわからない。一番確実なのはあの聖杯戦争の時だと思う。だから、まずはその時の私の力で応対する。こいつの手の内を私も図らないと互角の勝負になんて持ち込めない。)
「しかし、天子、他の三人は良いのですか?あの三人も相当のやり手であると見えますが・・・」
少々の焦りを声に乗せて隣の篝が、天子に戦闘の方針について疑問を投げる。
(勿論、それについてもしっかりと考えを巡らせているよ。でも、篝わからない?この私を除いた五人の中で最も警戒をしなければならない相手が誰であるのかを。)
天子は御前仕合の会場の人間たちに被害が出ないように周囲に岩の隆起を発生させる。気休めかもしれないが、これで大規模な攻撃が発生したとしても被害を抑えることができるだろう。
(あの宗次郎って奴も見境なく攻撃をする上では相当に危険なやつ。でも、最も危険なのは今、私の目の前にいるこいつよ。人格とかそういうのはまともなんだろうけど、他の三人よりも明らかに反応速度がけた違いすぎる。)
先の宗次郎の奇襲においても刑士郎と紫織、そして龍水の誰よりも早くその斬撃に気付いたのは目の前の男だった。割って入るその瞬間に全員の動きを見ていた天子だからこそわかる。自然体の態度でありながらもあの一瞬で殺気を読み取り、回避するという戦士としての卓越した武技。それを持ち合わせるこの騎士はおそらくこの場の誰よりも厄介な相手になると天子の勘は警鐘を鳴らす。しかし、あちらの武器のサーベルは砕けた。これで相手は無手。愛用の武器であったのかは知らないが、これですぐには
「はは、投擲の時点でまぁ捨てるのは構わないと思っていたが、砕けるとはちっとばかし心外だなぁ。こんなことなら、俺が直々に切り込むべきだったよ。」
跳躍から着地をし、騎士は薄ら笑いを浮かべつつ、先ほどの宗次郎の一閃で殺された出場者の一人の刀を抜く。
「この国の剣はあんまり使用経験がないんだが、問題はないだろう。さて、では武器を変えて第二ラウンドといこうか。」
騎士がその手に日本刀を携えた瞬間、錯覚でも起こったかのようにそれが元から彼の武器であったかのように手になじんでいた。そうまるで数十年来の愛用の武器であるかのように騎士は日本刀を振り上げる。
「いったいどういう能力をしてんのよ。手に持った武器をそのまま自分のものにしてしまっているとでもいうの!?」
「間違ってはいないな。だが、それで全てが正解ともいえない。それでお前は出さないのか?自分の愛用の武器をさ。」
「・・・・・・・」
それは間違いなく緋想の剣のことを言っているのであろうが、天子とてこんな簡単な挑発にはならない。あの騎士が自分で今の力を能力であるといった以上は迂闊に緋想の剣を出すことは相手に武器を奪われることになってしまう。それはより自分を不利にすることでもあるし、何よりも屈辱的だ。
「私だって、まだまだ小手調べみたいなものだし。事情通ぶるのは大概にしておきなさいよ。じゃないと何が起きても責任取らないからね。」
「それは重畳。旦那の頼みでつまらない仕合になると思っていたが、思わぬところで思わぬ獲物に出会えた。後の四人なんざその後にのせばいい。まずはお前だ。天子」
「そうやって気安く―」
天子は周囲の地面に手を添えてそこから地面をえぐる。まるで巨大な鞭のようになったそれを相手に向かって放つ。
「私の名前を呼んでんじゃないわよ!!」
そして、天子たちが個別の戦闘を始めた時にまで時間は遡る。
「さて、あちらさんは勝手に戦闘を始めてしまったようだしあたしらもいい加減始めようか。」
「横取りはやめてください。全員僕の敵です。・・・ああ、ならば、こうすればいいのか。どうぞ、二人同時にかかってきてくれてかまいませんよ。」
「・・・・・・・くくくくく」
「あはっはははははははは。」
宗次郎の言葉に刑士郎と紫織は笑いを抑えることができない。
「あれ、僕何かおかしなことを言いましたか?」
「いい冗談だ。」
刑士郎はさらに猛獣のような殺気を膨らませ
「ていうか、あんたら隙だらけすぎ」
紫織の呆れ気味な口調とは裏腹に叩き付けられた裏拳は容易に二人の男を吹き飛ばした。
「ちょっと洒落にならないですね。一度ならず二度までも・・・・」
「てめぇ・・・・」
紅蓮の燃える刑士郎の目と静かにしかし、殺意の色を凍らせていく宗次郎の瞳。対照的な二人ではあるが、同等の剣呑な殺気を浴びて紫織は破顔する。
「優しくしてよね。まだ殿方を知らないの。」
「それはいいですね。」
「願いどおりに穴だらけにしてやるよ」
にこやかに、涼やかに、滾るように、三者三様の態度で他者の絶命を図っている。
小手調べはこれにて終わり。どうやらあちらの乱入者と異人は二人の勝負に入ってしまったようであるから、後回しにしてもいいと三人は同時に頭から切り捨てる。倒すべきは目の前の二人なのだから。そして現状紫織の怪能力が一歩先を進んでいるように見えるが、宗次郎と刑士郎共にいまだに真価を発揮しているとは言えない状況である。そのためにこれから先に何が起きるのかなど予想を付けられるものなど存在するはずがない。読めぬ趨勢。しかし、もしもその均衡を崩すものが存在するとすれば・・・・
「母刀自殿・・・」
今、ようやく立ち上がり、自分のことなど忘れているかのような三人を龍水は見据えた。
「竜胆様・・・・」
母とそして姉のように憧れを抱く二人の人物の名前を口にし、二人に向けて誓いの言葉を龍水は紡ぐ。
「安心してください。私とてこれで終わる程度のものではありませんから。」
印を結ぶ。そして流れるように指が動き、術の形をくみ上げていく。
本来彼らの異能はまったくの別の法理のもとに存在するものであるのだが、根っこの部分で彼らが人間出会えることに変わりはない。要は彼らの人間の部分に訴えることで相手を制御すればいいということ。そして、そのために何を使えばいいのかは龍水には自明の理であり
「私は龍水」
龍とは蛟――流れる水の化身である。降り積もる雪のすべて。水などというものはこの会場に腐るほどある。
「チンチクリンなどではないぞ。御門の世継ぎだ。」
「少しばかり年長だからと、舐めてくれるなよ虚けどもめがぁ」
術の発動に伴い、瞑想に入るその瞬間に、一瞬だがそんな邪念が龍水の中に浮かび上がる。そういった所が龍明をして未熟と言わしめるところでもあるのだが、彼女にとっては必要不可欠なことでもある。
「夜行様・・・・」
どうか見ていてください。龍水は必ずやあなたにふさわしい女になって見せますと祈って誓う恋心。彼こそを天下最強の男であると認めている自分の法則に準じるこの行為こそが御門龍水の在り方であると強く心に刻みつける。
「あー、あー、あー」
そんな眼下の展開を盗み見しながら、呑気な声が響き渡る。
「危ないですの。やばいですの。龍水このままだと死んでしまいますの。」
「ねぇ、夜行様。このままで本当にいいんですの?このまま無視をし続けていたら龍水、本当に死んでしまうですのよ。」
「ああ、そのつもりだ。何もせんよ。あれもそれを望んでいる。」
「むぅ〜〜〜」
納得がいかないとうねりながら首をひねっているのは犬だった。
「夜行様は悪ですの。」
「はは、私は悪か。それはまた一興。爾子は今日も変わらずに愉快よなぁ」
爾子と呼ばれたそれはまさしく仔犬のような姿をした存在であった。しかし、その体長は生半可な牛のそれと同等の大きさである・見るものを癒す効果があるであろう外見ではあるが、そこまでの大きさになってしまえばそれをただの犬などと形容はできない。つまりは異形の存在。
「丁禮、丁禮、そっちからも言ってやるですの。今日も夜行様は相変わらずの外道っぷりで爾子はやってられないですの。」
「無駄だよ。意味がないから諦めたほうがいい」
水を差す童子は落ち着き払い、爾子と呼ばれる犬とは対照的な姿だった。
「そもそも君だって、本当に龍水様のことを案じているわけではないだろう?ただ夜行様を絡ませたほうが面白い。そう思っているんだろう?」
「あれ・・・なんでわかったですの?」
君の考えていることくらいわかるよと童子は諦めと疲れのこもったため息をついた。
「しかしながら夜行様、実際にこれはどうかと思います。先日は龍明様の領分などとおっしゃり恥ずかしいことではありますがこのままでは本当に龍水様が殺されてしまいます。勘違いしないでください。龍水様を過小評価しているわけではありません。あの方も御門の世継ぎとして相応しい実力を兼ねていることは分かります。」
だが、実際に先ほどの宗次郎の一閃、もしも助け舟がなかったらどうなっていたことだろうか。
「しかし、あの五人は別格です。いくらか健闘できたとしても荷が重い。このままではー」
「ぐちゃぐちゃばらばらどっかーん、ですの。そもそもからして夜行様が出場すればよかったんですの。だって御門の最強は誰がどう見たって夜行様なんですの。」
「それは言っても仕方のないことだろう。そもそもこんな催し物に夜行様が参加するはずがない。それは龍明様もわかっておられることだ。」
「丁禮ちょっとさっきから何なんですの!?意味がないから諦めろとか言っておいて自分だって説得しているですの!」
「私は別に説得をしようというのではない。ただ、許しを得たいだけです。」
そう言って先ほどから二人を見てにやにやと笑っている夜行の方を向き直る。
「既に御前仕合の体裁などないも同然。仮に何かを言われようとも私の助成は龍水様の人望と立場に起因するもの。ならば、それもまた彼女の力といえるでしょう。」
「だけど、丁禮、どうしてそこまで龍水の肩を持つですの?」
「決まっている。龍水殿は夜行様の許嫁だ。つまりは未来の我らの母御となるお方だ」
そして父と母を守ることなど当然であろうと眼光鋭く言い放つ。
「丁禮よ、ならぬ。」
夜行は変わらぬ笑みを堪えて無情にそれを切って捨てた。
「勘違いをするなよ丁禮。私は何もせぬと言ったのだ。ならば、お前たちも何もしてはいかんだろう。その身は私と同体故に切り離して考えることなど微塵もないのだ。ああ実のところ本音を言えば、困っているお前を見るのがたまらなく愛おしいのだよ。げに甘露だよ」
「変態!!変態!!あんたどうしようもないド変態ですの」
「しかし、このままでは龍水さまが・・・」
「それはあの者らも同じよ」
その夜行の言った言葉の真意を童子たちは理解できない。それこそ天眼の力を持つ夜行にしかわからぬように
「同じ天眼を持つがゆえにかの少女を遣いに出したようだが、姫よ。それだけでは足らぬな。この御前仕合最も重要なのはどう幕を引くかだ。それによって東征の全てが決するといっても過言ではなかろう。」
「うふふ、はは、はははははははははは」
そして初めは呻くように時代に轟き爆発していく嘲笑が秀真の空に響き渡る。俗に天狗笑というものがあり、まさにこれこそがそうであるといえるかのような享楽の塊めいた笑い声。
「まぁ安心するがよい。なるようになる。龍明殿は何かと気の利くお方だ。ああ、案ずるなよ。いついかなる時でも見ているとも!!」
酔い始めた。あるいは覚醒し始めた主に何を言っても意味がないと悟り二人の童子は眼下の戦場を見下ろす。曰くこのままでは誰も生き残らないと言わしめるその戦場を。
御前仕合の会場は突如として巻き起こった出来事によって騒然となっていた。最たる理由は、語るべくもない壬生宗次郎の凶行によって、六条と望月の益荒男が首を斬られたという事実、そしてそれに付随するもう一つの衝撃は、この神聖なる御前仕合の会場に乱入者が現れたということだった。
「これは、何事ですかな?あれは。まさか烏帽子殿の益荒男などと仰ることはないでしょうな。」
その突発的な事態にも中院冷泉はさして驚いたような素振りを見せていなかった。否、これはこれで面白いとそもそもにこの事態を招いた男を呼び寄せた冷泉は楽しむような素振りでいた。
「いや・・・・・私は違う。」
そして、驚きを真に感じていたのは竜胆だった。何故彼女が御前仕合に参加しているのか、どうして龍水を助けたのか、そのどれにも竜胆のこの世界における既存の回答は意味をなしていなかった。すなわち、助けたいと思ったから助けた。自己のために他者を助けるというこの世界では絶対にあり得るはずがないその考えこそが天子が龍水を助けた理由として最も妥当なものであると竜胆には思えた。
「はて、では、あの手合いはどうしてこの場に?武芸を見せつけるためであろうとも何とも非礼を蒙ったものであろうよ。これでは、己が何かをなす前に己が国を追われるは必定であろうに。」
「彼女は私の益荒男です。」
冷泉の挑発するかのような物言いに応えたのは紗代だった。物怖じなどすることなくあくまでも毅然とした態度で彼女は天子の御前仕合への出場は正当なものであると主張する。
「おやおや、待たれよ。紗代姫。御身ら望月の益荒男は先ほど我が臣下の宗次郎に討たれたばかりではないか。それをまるで帳消しにするかのような物言い。帝の寵愛を受けているとはいえ、公私を弁えるべきではないか?」
「冷泉、先ほどの蛮行を許した貴方がそのような口を聞くこと、誠に滑稽なことと私は思います。先ほどの貴方の流儀から言わせてもらえれば、それこそ知らなかったほうが悪い。そうではありませんか?」
「ふむ・・・・」
紗代の言葉はもはや暴言の域にあるものであったが、それを言うならば、冷泉のさきほどの六条たちに対する言葉とて暴言に位置するもの。これはしてやられたと考えるべきかと冷泉が考えていると
「良いではないか。それこそ、ここで引っ張り上げるよりもあの女の力を試させたほうが神州にとっては何かと有意義だ。ここまで毅然と言い放つのだ。あれが他の思惑など持っていた時には紗代姫が責任をとるし、手綱を握ってくれるのであろう?ならば、心配など無用だ。なぁ、そうだろう?冷泉」
助け舟と呼んでもいいのか、獅子吼は冷淡な笑みを浮かべて冷泉を牽制する。身元不明の乱入者であればいざ知らず、望月の姫君が関わっているものであれば一定の利用価値はあると踏んでの言葉なのであろう。本人にはその意思はなくとも結果として獅子吼の発言は、紗代の天子の後押しを助ける結果となりえた。
「相分かった。ここでこれ以上、我が何を言おうとも実際に剣を振るうのは壇上の益荒男たち。ならば、我らは厳粛にその決着を見届けるのが筋というもの。ここは獅子吼殿の言葉に乗ってみようではないか。お歴々もそれでいいかな。」
竜胆を含めた他三人は押し黙っている。それが暗に天子の参戦を認めたことを意味していると理解し、冷泉は開いた扇子を閉じる。
「紗代よ、この度の独断、後で話を聞かせてもらうぞ。」
紗代の横で秀光が、緊張したような面もちで紗代を言外に咎める。
「はい、わかっております。父上、しかし、紗代も信じておるのです。」
「信じるだと・・・・?」
「はい。この戦いを天子が必ずや何らかの形で変えてくれるのを。縦しんば新たな益荒男が現れてくれることを。」
自分の投げた種はきっとその未来に意味をもたらしてくれると信じて、紗代はこれから、御前仕合の中でどんな惨劇が起こったとしてもけして目を逸らさない決意を固める。
「しかし、あの者」
竜胆は凶行を働いた壬生宗次郎の表情を見る。その表情は静謐そのものであり、しかして、その白色の刃は紅蓮の狂気に染まりあがっている。妖々と迫ってくる殺気の渦に竜胆は知らずか体を硬直させてしまう。あれを元より壊れている。そうおそらくは冷泉は何一つ下知など与えてはいないのだろう。ただ宗次郎の好きにやらせた結果がこれ、ならばあれは・・・
「剣鬼・・・・」
その表現に竜胆は心から悪寒を感じる。
・
「・・・・無駄な剣は揮いたくない性分なんですよ。一生は短い。無駄なことをやっていたら、僕は僕の夢を実現することができなくなってしまう。」
宗次郎は生き残った龍水と天子を改めて目に据えて、ため息じみた声でそう感情を吐露する。
「・・・・・・・ッ!」
その出で立ちも顔つきも過日に龍水が出会った「あの」宗次郎と何ら変わりはない。しかし、身にまとう殺気の凄烈さは誰の目にも明らかだった。
「宗、次郎」
これがこの優男の本性なのだ。剣に狂い、剣に生涯を捧げ、ただ強者を斬殺することにしか興味を抱けない破綻者。
龍水がいまだに幼い女子だから、知己だから、そんなこそばゆい事実はこの男の前には何ら意味を持たない。御前仕合という戦場に立った以上は、宗次郎にとって龍水はただの斬殺対象でしかない。
「僕が天下最強の剣士である。それを証明するためにはまずこの場の全員を斬り殺さなければいけませんよね。差しあたっては取るに足らない人たちを排除しようと考えていたんですが、まさか、乱入者が現れるとはさすがにこれは予想してはいませんでした。天子さんでしたっけ?僕の前に現れたということはあなたも僕の斬り捨てる対象であるということだ。」
「まぁ、成行き上はただ死ぬつもりはないし、これから圧倒されるのはあんたであるっていうことだけは予想からは外れると思うわよ。」
「へぇ・・・・」
凶剣が泳ぐ。その生意気な口をどう黙らせてやるか宗次郎の意識が一気に天子へと傾く。
「それは楽しみだ。次はそれなりに本気で行きます。抵抗はご自由に。どうせ意味はないでしょうから。所詮女などというものは、弱すぎて話にならない生き物だ。」
「おい」「ちょっと」
瞬間、御所をまるで地震のような地響きが襲った。それが何によって起こったのかなど今更引き合いに出すまでもないだろう。起こった出来事は二つ。
「今、何ていったのよ。あんた、女は弱いってそれはまさか私のことまで含んでいるんじゃないでしょうね。」
「偏見で話されちゃ堪らないわ。不意打ちでしか人を倒せないような奴に弱いなんて頭に来るから訂正しなさいよ。」
玖錠紫織と天子が起こした攻撃が同時に宗次郎の身体を衝撃で吹き飛ばす。天子は小さな岩のようなものを投擲して、紫織はまるで落雷のような拳で宗次郎の挑発に応えた。
「あんたの相手はこの私だろう?それを何勝手に楽しそうなことをやっているわけ?乱入者とかどうでもいいけどさ。そっちがその気ならぐちゃぐちゃで始めちゃっていいんだよ。」
「その通りだ。悪いな、龍明。少し本気を出す。舐め腐りやがってクソガキがぁぁぁぁぁ、上等だァ。ぶち殺してやらぁぁぁぁぁぁ」
怒号とともに四方に打ち込まれたのは鉄の杭と形容するべきかもしれない巨大な苦無だった。それらを持ち主である刑士郎が四方に投げた理由は、簡単に言えば、地脈の破壊。外に被害が及ばぬようにと龍明が張っていた結界のようなものである。それによって刑士郎はとても窮屈な思いをしていたのだが、それから解放されたことによって刑士郎は本来の実力を引き出すことができる。言わば禍憑きを出すこともできるのだ。
「まったく・・・この問題児どもめが。」
しかし、そんな者たちに反して龍明は楽しそうに苦笑を漏らしていた。面倒なことになったとため息をつきながらも一切の後悔は感じられない。
「ああ、落ち着かれよお歴々。いい機会だと思われるがいい。これより我々が対峙しなければならないという敵がどれ程のものであるのかそれを知るいい機会であろう。どだい机上の空論では答えなどでないのだからな。」
ゆえに等しく命を懸けてこの御前仕合を見守れと慇懃無礼に言ってのける。それは守護という職務を放棄したものであるが、もはやそれに誰も文句を言える状況ではなかった。
「さぁ、立ち上がれよ、龍水。何をだらしなく呆けている。私は結界を張り直すのに時間がかかる。それまで馬鹿どもの暴発を防ぐことがお前の使命だ。できるよな?失望させるなよ、私の娘よ」
「―――」
しかし、それに応える龍水よりも早く
「痛いなぁ・・・・」
大の字に横たわっていた宗次郎がむくりと血の気を引かせる声で起き上がった。
「貴方たち二人ともおかしな技を使いますね。特に玖錠の女性。確かに躱したはずなのに
その瞬間、まったく別の方向から攻撃が飛んできた。面白いなぁ。僕が理解できない事象がここでは簡単に発生してしまうんだから。」
掛け値なしに感動したと武者震いに宗次郎は総身を震わせた。先の攻撃、紫織は右から攻撃をした。にもかかわらず宗次郎は正面からの攻撃で真後ろへと飛ばされた。
「私の名前、紫織だよ。それにしても恐ろしいね。さっきの攻撃を理解しちゃうなんてさ。しかもあんたは私の体に触れた。それはつまり、あんたも私と同種の人間ってことなんだろうね。」
明朗な声はしかし、掠れていた。こちらも武者震いが収まりきらないといった用に
「今の・・・まるで分身したかのようだった。」
「しかし、それでは質量が説明できません。私の目には彼女が右から攻撃していることは確実でしたよ。」
周囲の誰の耳にも聞こえない声で天子と篝は目の前で起こった出来事を分析している。しかし、分身というにはあまりにも実体を伴った攻撃、かつて天子と共に戦った仲間にも質量を持った分身を作ることのできる少女がいたが、これはおそらく・・・・
「ふん、だから何だってンだよ。どうでもいいんだよ。てめぇらのシケた異能の種明かしなんてのはよぉ。唯一つ凶月に攻撃を仕掛けるような奴は見逃せぇンだよ。立場上なぁ」
強烈なまでの怒気と殺気を周囲の者たちに当たり散らすようにぶつけながら刑士郎は武器を構える。
「同感だなぁ。」
それに呼応するかのように振るわれたのは一筋のサーベルによる一閃。これまで動きを見せなかった獅子吼の呼び寄せた異人がここに至って行動を開始する。
「相手の素性をどうのこうの計るのは戦いながらでもできるし、ここはそういう場所だろう?俺たちはここに世間話に来たわけじゃない。やることをやりにきたんだ。世間話なんざ生き残った奴だけで語ればいいんじゃないか?」
金髪碧眼の男はその言葉通りにサーベルを振るいながら宗次郎たちを牽制する。その剣筋には異能のそれは見られない。しかし、ただ卓越しているのだ。それは天下最強の剣士になると己を自負する宗次郎のそれと同等かあるいは・・・・
「そういえば、貴方もいたのですね。あなたも剣士なのですか?」
「ちょっと違うな、俺は騎士さ。どこまでも完璧な主に尽くす騎士だぜ。」
「肩書などどうでもいいことでしたね。僕にとって必要なのは、あなたが僕にとって斬るに値する相手かどうか。そしてどうやら貴方は値する敵のようだ。」
「自分で聞いておいてそれかよ。だが、残念なことに俺はお前には用がないんだ。そして、俺は大好きなものから先に手を付ける性分でね。てなわけでー」
まさに縮地と呼ばれるかのような足さばきで異人は向かい合う他の三人を出し抜く。そして振るわれたサーベルの先にいたのは
「!?」
「お前だよ、比那名居天子。正直こんな所でお前と出会えるなんて考えてもいなかったが。これも運命と捉えるのならば悪くはない。見極めさせてもらうぜ。お前の実力のほどを。」
「あんたのことなんて一切知らないんだけど、私。」
「ま、そういうこともあるだろうさ。俺に一太刀でも入れてみな。そしたら答えてやるよ。」
サーベルの剣圧にとっさに出現させた岩の壁が耐えられなくなる。天子はすぐさま、空中へと飛び上がり、そのまま大地を震動させる。
「なら、まずはさっさと埋もれなさいよ!!」
「面白い!」
その大地の陥没に、異人は的確に崩れる道を見定めて崩れた個所から抜け出していく。さながら、落ちてくるものにどのように触れていけばこの難所から突破できるのかを最初から知っているかのように、異人は何の遅れもなく、その行動を実行する。
「嘘・・・私の能力に何一つ驚かないなんて。」
「さっきも言っただろう?こちとらお前とは初対面じゃないって。だから、大体お前の手の内なんてものは分かっている。あの時と同じでしかないっていうんなら、お前は俺に逆立ちしても勝つことはできないよ。」
ついには跳躍だけで空中へと飛翔した相手は驚きから一瞬、硬直した天子に向かってサーベルを投げつける。それは寸分たがわずに天子の心臓目掛けて放たれ、数秒後の絶命を想起させるだけの意味合いを放つものであった。
「あんまり舐めるな!!」
しかし、その程度、ただの心臓目掛けて放たれた一撃などで彼女を制することができると考えているのであればそれこそ相手は彼我の戦力の読み違いも甚だしい。
天子に向かって放たれたサーベルは彼女の体に突き刺さる直前で、まるで見えない壁に阻まれるように静止し内部から崩れるように分解された。その原理は天子の大地を操る能力と双璧をなす緋想の力によるもの。周囲の大気に分散している緋想の力を薄いバリアのようにして展開するというもの。これは過去の神上の戦いに天子が編み出した戦法ではあるが、弱点も当然ある。明らかなものではあるが、結局は薄い膜に過ぎないものだ。強力な攻撃を受け続ければ簡単に破れるし、もう一度張り直すにもすぐに再展開ができるわけではない。いわば急造の一手。「現在の」天子であれば凡そ使用するにも愚行と言わざるを得ない使用方法。
(でも、あいつは私のことを知っているといった。最近、そんな奴ばっかりだったから、あいつが私をどこで知ったのかはわからない。一番確実なのはあの聖杯戦争の時だと思う。だから、まずはその時の私の力で応対する。こいつの手の内を私も図らないと互角の勝負になんて持ち込めない。)
「しかし、天子、他の三人は良いのですか?あの三人も相当のやり手であると見えますが・・・」
少々の焦りを声に乗せて隣の篝が、天子に戦闘の方針について疑問を投げる。
(勿論、それについてもしっかりと考えを巡らせているよ。でも、篝わからない?この私を除いた五人の中で最も警戒をしなければならない相手が誰であるのかを。)
天子は御前仕合の会場の人間たちに被害が出ないように周囲に岩の隆起を発生させる。気休めかもしれないが、これで大規模な攻撃が発生したとしても被害を抑えることができるだろう。
(あの宗次郎って奴も見境なく攻撃をする上では相当に危険なやつ。でも、最も危険なのは今、私の目の前にいるこいつよ。人格とかそういうのはまともなんだろうけど、他の三人よりも明らかに反応速度がけた違いすぎる。)
先の宗次郎の奇襲においても刑士郎と紫織、そして龍水の誰よりも早くその斬撃に気付いたのは目の前の男だった。割って入るその瞬間に全員の動きを見ていた天子だからこそわかる。自然体の態度でありながらもあの一瞬で殺気を読み取り、回避するという戦士としての卓越した武技。それを持ち合わせるこの騎士はおそらくこの場の誰よりも厄介な相手になると天子の勘は警鐘を鳴らす。しかし、あちらの武器のサーベルは砕けた。これで相手は無手。愛用の武器であったのかは知らないが、これですぐには
「はは、投擲の時点でまぁ捨てるのは構わないと思っていたが、砕けるとはちっとばかし心外だなぁ。こんなことなら、俺が直々に切り込むべきだったよ。」
跳躍から着地をし、騎士は薄ら笑いを浮かべつつ、先ほどの宗次郎の一閃で殺された出場者の一人の刀を抜く。
「この国の剣はあんまり使用経験がないんだが、問題はないだろう。さて、では武器を変えて第二ラウンドといこうか。」
騎士がその手に日本刀を携えた瞬間、錯覚でも起こったかのようにそれが元から彼の武器であったかのように手になじんでいた。そうまるで数十年来の愛用の武器であるかのように騎士は日本刀を振り上げる。
「いったいどういう能力をしてんのよ。手に持った武器をそのまま自分のものにしてしまっているとでもいうの!?」
「間違ってはいないな。だが、それで全てが正解ともいえない。それでお前は出さないのか?自分の愛用の武器をさ。」
「・・・・・・・」
それは間違いなく緋想の剣のことを言っているのであろうが、天子とてこんな簡単な挑発にはならない。あの騎士が自分で今の力を能力であるといった以上は迂闊に緋想の剣を出すことは相手に武器を奪われることになってしまう。それはより自分を不利にすることでもあるし、何よりも屈辱的だ。
「私だって、まだまだ小手調べみたいなものだし。事情通ぶるのは大概にしておきなさいよ。じゃないと何が起きても責任取らないからね。」
「それは重畳。旦那の頼みでつまらない仕合になると思っていたが、思わぬところで思わぬ獲物に出会えた。後の四人なんざその後にのせばいい。まずはお前だ。天子」
「そうやって気安く―」
天子は周囲の地面に手を添えてそこから地面をえぐる。まるで巨大な鞭のようになったそれを相手に向かって放つ。
「私の名前を呼んでんじゃないわよ!!」
そして、天子たちが個別の戦闘を始めた時にまで時間は遡る。
「さて、あちらさんは勝手に戦闘を始めてしまったようだしあたしらもいい加減始めようか。」
「横取りはやめてください。全員僕の敵です。・・・ああ、ならば、こうすればいいのか。どうぞ、二人同時にかかってきてくれてかまいませんよ。」
「・・・・・・・くくくくく」
「あはっはははははははは。」
宗次郎の言葉に刑士郎と紫織は笑いを抑えることができない。
「あれ、僕何かおかしなことを言いましたか?」
「いい冗談だ。」
刑士郎はさらに猛獣のような殺気を膨らませ
「ていうか、あんたら隙だらけすぎ」
紫織の呆れ気味な口調とは裏腹に叩き付けられた裏拳は容易に二人の男を吹き飛ばした。
「ちょっと洒落にならないですね。一度ならず二度までも・・・・」
「てめぇ・・・・」
紅蓮の燃える刑士郎の目と静かにしかし、殺意の色を凍らせていく宗次郎の瞳。対照的な二人ではあるが、同等の剣呑な殺気を浴びて紫織は破顔する。
「優しくしてよね。まだ殿方を知らないの。」
「それはいいですね。」
「願いどおりに穴だらけにしてやるよ」
にこやかに、涼やかに、滾るように、三者三様の態度で他者の絶命を図っている。
小手調べはこれにて終わり。どうやらあちらの乱入者と異人は二人の勝負に入ってしまったようであるから、後回しにしてもいいと三人は同時に頭から切り捨てる。倒すべきは目の前の二人なのだから。そして現状紫織の怪能力が一歩先を進んでいるように見えるが、宗次郎と刑士郎共にいまだに真価を発揮しているとは言えない状況である。そのためにこれから先に何が起きるのかなど予想を付けられるものなど存在するはずがない。読めぬ趨勢。しかし、もしもその均衡を崩すものが存在するとすれば・・・・
「母刀自殿・・・」
今、ようやく立ち上がり、自分のことなど忘れているかのような三人を龍水は見据えた。
「竜胆様・・・・」
母とそして姉のように憧れを抱く二人の人物の名前を口にし、二人に向けて誓いの言葉を龍水は紡ぐ。
「安心してください。私とてこれで終わる程度のものではありませんから。」
印を結ぶ。そして流れるように指が動き、術の形をくみ上げていく。
本来彼らの異能はまったくの別の法理のもとに存在するものであるのだが、根っこの部分で彼らが人間出会えることに変わりはない。要は彼らの人間の部分に訴えることで相手を制御すればいいということ。そして、そのために何を使えばいいのかは龍水には自明の理であり
「私は龍水」
龍とは蛟――流れる水の化身である。降り積もる雪のすべて。水などというものはこの会場に腐るほどある。
「チンチクリンなどではないぞ。御門の世継ぎだ。」
「少しばかり年長だからと、舐めてくれるなよ虚けどもめがぁ」
術の発動に伴い、瞑想に入るその瞬間に、一瞬だがそんな邪念が龍水の中に浮かび上がる。そういった所が龍明をして未熟と言わしめるところでもあるのだが、彼女にとっては必要不可欠なことでもある。
「夜行様・・・・」
どうか見ていてください。龍水は必ずやあなたにふさわしい女になって見せますと祈って誓う恋心。彼こそを天下最強の男であると認めている自分の法則に準じるこの行為こそが御門龍水の在り方であると強く心に刻みつける。
「あー、あー、あー」
そんな眼下の展開を盗み見しながら、呑気な声が響き渡る。
「危ないですの。やばいですの。龍水このままだと死んでしまいますの。」
「ねぇ、夜行様。このままで本当にいいんですの?このまま無視をし続けていたら龍水、本当に死んでしまうですのよ。」
「ああ、そのつもりだ。何もせんよ。あれもそれを望んでいる。」
「むぅ〜〜〜」
納得がいかないとうねりながら首をひねっているのは犬だった。
「夜行様は悪ですの。」
「はは、私は悪か。それはまた一興。爾子は今日も変わらずに愉快よなぁ」
爾子と呼ばれたそれはまさしく仔犬のような姿をした存在であった。しかし、その体長は生半可な牛のそれと同等の大きさである・見るものを癒す効果があるであろう外見ではあるが、そこまでの大きさになってしまえばそれをただの犬などと形容はできない。つまりは異形の存在。
「丁禮、丁禮、そっちからも言ってやるですの。今日も夜行様は相変わらずの外道っぷりで爾子はやってられないですの。」
「無駄だよ。意味がないから諦めたほうがいい」
水を差す童子は落ち着き払い、爾子と呼ばれる犬とは対照的な姿だった。
「そもそも君だって、本当に龍水様のことを案じているわけではないだろう?ただ夜行様を絡ませたほうが面白い。そう思っているんだろう?」
「あれ・・・なんでわかったですの?」
君の考えていることくらいわかるよと童子は諦めと疲れのこもったため息をついた。
「しかしながら夜行様、実際にこれはどうかと思います。先日は龍明様の領分などとおっしゃり恥ずかしいことではありますがこのままでは本当に龍水様が殺されてしまいます。勘違いしないでください。龍水様を過小評価しているわけではありません。あの方も御門の世継ぎとして相応しい実力を兼ねていることは分かります。」
だが、実際に先ほどの宗次郎の一閃、もしも助け舟がなかったらどうなっていたことだろうか。
「しかし、あの五人は別格です。いくらか健闘できたとしても荷が重い。このままではー」
「ぐちゃぐちゃばらばらどっかーん、ですの。そもそもからして夜行様が出場すればよかったんですの。だって御門の最強は誰がどう見たって夜行様なんですの。」
「それは言っても仕方のないことだろう。そもそもこんな催し物に夜行様が参加するはずがない。それは龍明様もわかっておられることだ。」
「丁禮ちょっとさっきから何なんですの!?意味がないから諦めろとか言っておいて自分だって説得しているですの!」
「私は別に説得をしようというのではない。ただ、許しを得たいだけです。」
そう言って先ほどから二人を見てにやにやと笑っている夜行の方を向き直る。
「既に御前仕合の体裁などないも同然。仮に何かを言われようとも私の助成は龍水様の人望と立場に起因するもの。ならば、それもまた彼女の力といえるでしょう。」
「だけど、丁禮、どうしてそこまで龍水の肩を持つですの?」
「決まっている。龍水殿は夜行様の許嫁だ。つまりは未来の我らの母御となるお方だ」
そして父と母を守ることなど当然であろうと眼光鋭く言い放つ。
「丁禮よ、ならぬ。」
夜行は変わらぬ笑みを堪えて無情にそれを切って捨てた。
「勘違いをするなよ丁禮。私は何もせぬと言ったのだ。ならば、お前たちも何もしてはいかんだろう。その身は私と同体故に切り離して考えることなど微塵もないのだ。ああ実のところ本音を言えば、困っているお前を見るのがたまらなく愛おしいのだよ。げに甘露だよ」
「変態!!変態!!あんたどうしようもないド変態ですの」
「しかし、このままでは龍水さまが・・・」
「それはあの者らも同じよ」
その夜行の言った言葉の真意を童子たちは理解できない。それこそ天眼の力を持つ夜行にしかわからぬように
「同じ天眼を持つがゆえにかの少女を遣いに出したようだが、姫よ。それだけでは足らぬな。この御前仕合最も重要なのはどう幕を引くかだ。それによって東征の全てが決するといっても過言ではなかろう。」
「うふふ、はは、はははははははははは」
そして初めは呻くように時代に轟き爆発していく嘲笑が秀真の空に響き渡る。俗に天狗笑というものがあり、まさにこれこそがそうであるといえるかのような享楽の塊めいた笑い声。
「まぁ安心するがよい。なるようになる。龍明殿は何かと気の利くお方だ。ああ、案ずるなよ。いついかなる時でも見ているとも!!」
酔い始めた。あるいは覚醒し始めた主に何を言っても意味がないと悟り二人の童子は眼下の戦場を見下ろす。曰くこのままでは誰も生き残らないと言わしめるその戦場を。
―秀真・望月屋敷―
そうして騒がしくも早々に時が過ぎ、神州は御前仕合を明日へと控えていた。
「本当によろしいのですか?天子」
「うん、紗代にはいろいろと世話にはなったけど、私も自分自身でもっといろんな場所を回ってこの世界のことをもっと知らなくちゃいけないと思うから。」
その日の朝、天子は望月の家を出ることを決めた。これまで二週間の間、世話になっていた家ではあったが、東征戦争という慌しい日々が始まる中でいつまでも長居をしているわけにはいかないと天子も考えたからだった。
勿論、紗代はそんなことを気にする必要はないと天子に言ったが、天子は前言を撤回することなく望月の家を出ることを決めた。
「天子、一つだけ無茶なお願いを貴方にしてもよいでしょうか?」
「ん?まぁ、私に叶えられることならなんでもいいけど。」
紗代は聞く態勢に入った天子に、自分で話を振りながらも言うべきか言うまいかを悩み、なかなか口を開くことが出来なかった。紗代自身今から自分が口にしようとしていることはとても天子に対して意地の悪いことであるとわかっているからであった。しかし、それでも紗代は口を開くことを決めた。この選択はけして間違えた結果にはならないと考えて。
「・・・・・天子、私の家臣として御前仕合に参加してはいただけませんか?」
紗代は意を決っして天子に自らの代理となることを頼んだ。
「・・・・・・・・」
そうして、天子も紗代が最初に何を言っているのかをすぐに理解することは出来なかった。何せ、紗代はこれまでそんなことを一度たりとも言ったことは無かったのだから。
「ち、ちょっと待ってよ。望月の出場者は決まっているんでしょ?」
「それは望月の家の出場者です。天子にお願いしているのは私個人の家臣としての出場です。」
「それは屁理屈よ。」
「そうですね、屁理屈です。しかし、龍明様は参加を認めるでしょう。龍明様は貴方が参加されることを期待されているでしょうから。」
確かに龍明は天子に御前仕合に参加することを提案してきた。あの場では気が乗らないと言ったが、それを撤回すればあの女性は易々と天子の参戦を認めることだろう。それこそ、反対意見など簡単に握りつぶしてしまうに違いない。それをさも聞いていたかのように言う紗代にもうすら寒いものを感じるが、天子は黙って話を聞くことにした。
「私は貴方のようなものこそが東征の魁と為る益荒男に成るべきであると考えています。あなたは神州の人間ではない。それは百も承知していることなのです。それでもどうか、私の勝手に付き合ってはいただけないでしょうか。」
紗代は胸に手を当てて、必死に懇願する。しかし、それは果たして本当に外のことを鑑みて言っているのであろうか。紗代の自分の満足、その為だけに口から出た言葉なのではないか。まるで誰かに言わされているかのように、都合よく歯車を進ませるためだけにそれを口にしているようにも思える。
「・・・・・ごめん、紗代。私は御前仕合には参加できないよ。」
「天子・・・・」
天子は申し訳なさそうな表情で紗代の言葉を拒絶した。
「紗代は私の友達だから・・・・そりゃお願い叶えてあげたいとは思うよ。でも、私には戦う理由が無い。御前仕合っていうたぶん、殺し合いに発展するかもしれない戦いにただ紗代の希望的観測だけで参加することは出来ない。それこそ、他の人たちを馬鹿にしてしまっているような気がするから。」
東征に懸ける思いとか負けられない理由とかはいくらこの世界でも個人個人に在る者だと思う。しかし、残念ながら天子にはそんなものはない。成り行きで紗代の屋敷に厄介になり、成り行きで龍明に進められたが、それだけなのだ。この世界に干渉する理由すらもないのかもしれない。本当にやるべきことすらも見つけられていない自分に寄り道をしている暇は無いのかもしれないと考えると天子は紗代の提案に頷くことは出来なかった。
「違・・・天子、私はそのようなつもりでいったのでは。」
「ごめん、紗代の期待に応えて挙げられなくて。私は楽しかったよ。紗代がどんな思惑で私を呼び寄せたのかは最初に言われた通りだって信じている。それでいいと思うから。だから、最後は後腐れすることなく別れようよ。またどこかで会えるかもしれないし。」
「・・・・・・・はい」
それじゃあと天子は屋敷の門を開き、出て行った。何もこんな結果を求めていたわけではなかった。紗代は自分の言葉の軽率さを恨む。
「おかしいですね、私は私の為に言ったはずなのに、何だか心が苦しいです。」
紗代はしばしの間、その場所を動けずにいた。
・
望月の屋敷を出てそのまま、天子はあてどもなく道を歩いていた。周囲では喧騒な声が聞こえる。もうすぐ秀真の都を出る道へとたどり着くのにその声は消えることが無い。
「・・・・・・言いたい事があるなら言っていいんだよ。篝。」
先ほどから篝は無言で天子を睨みつけるように横へと並んで進んでいた。その視線にどうにも耐えられずに天子は声を掛けてしまった。それは自分自身後ろめたい感情を抱いているからなのかもしれない。
「どうして望月紗代の提案を断ったのですか?」
率直で問題の核心をついた問いだった。同時に今、天子がもっとも触れては欲しくない話題であったとも言えるだろう。
「さっきも言ったじゃない。私には戦う理由が―」
「嘘ですね」
天子の言葉を遮るように篝ははっきりと天子の出した答えが偽りであると断じた。
「私の知る限り比那名居天子という人物は親しくなった誰かの頼みであれば、理由など関係なしに引き受けるものです。それを拒絶するなど理解が出来ません。そして、そんな行動を取るようでは、いつになってもあなたの求めるものにたどり着くことなどできないと私は思います。」
ありったけの罵詈雑言を載せたかのように天子を非難する。天子とてそれを黙って聞いているわけではない。
「私には私の都合があるわよ!!篝の言い分は強引すぎるわ。」
「それがこのあてどもない行動ですか?これならば無理をしてでも屋敷に居てあの龍明なる人物に接触してなんとか情報を探るほうが現実的です。それが出来ていない時点でそれは言い訳にしかなりませんよ。」
「む・・・・・」
篝の発言は実際に理にかなっている。それを頭では分かってしまっているからこそ、天子は反論ができずにいた。
「不満もあるでしょう。しかし、私は貴方の仲間として率直に忠告します。貴方は今、逃げている。本当は怖いのではないですか?この世界の人間たちが」
天子の眉がピクリと動く。篝はそれに自分の仮説が間違っていないと確信し
「この世界の人間は他人のことなど何一つ考えては居ない。それは貴方にとってもとても住み心地の悪い環境でしょう。何せ、誰かに頼られ、認められる仲間との絆こそが貴方を誰よりも強くする最大の力であるから。しかし、この世界の人間たちは誰も絆と言うものを理解しようとしていない。天子がどれだけ力を尽くそうとも興味が無くなれば貴方の下から人は離れていく。それが、信じたものに裏切られるのが貴方は怖いのではないですか?」
その篝の言葉に天子は篝から目を逸らして、苦々しげに
「・・・・・篝の言っていること悔しいけど外れてはいない。確かにそういう気持ちがないとは言い切れない。でも、紗代に言ったことが間違いってわけでもない。要は両方なのよ。私は誰かの為に戦って認められたいって言う思いを持っている。でも、それがかなわない世界で私は何を頼りに生きていけばいいんだろうって思ってしまう。最初はどうにでもなるって考えていたけど、それがわかってしまってからは、そういう気持ちが強くなってしまっているの。」
そうして天子は俯いてしまう。最初に出会ったときとはまるで正反対の構図のようだった。
「私だって、紗代を信じたいよ。でも、それで裏切られたら私はもう誰も信用できなくなってしまうかもしれない。ああ、この世界の人間はそういう奴なんだって決め付けてしまうかもしれない。それが怖いの。支えてくれる人もここにはいない。だって、私の仲間はもうみんな、いなくなってしまったから。」
はぁ、と篝はため息をつく。
「天子、顔を上げてください」
「え?・・・・・って痛ァ」
篝はいつぞやの時のように天子にデコピンを放った。
「な、何をするのよ。痛いじゃない!」
「篝ちゃん、今すごく憤慨しています。まさか天子がこんなにも思慮深い性格になっているなど想像にも及びませんでした。」
それまでとは打って変わって天子が篝に食って掛かる。
「わ、悪かったわね。そりゃ私だってあれから長い時間が経っているんだから少しは成長するわよ。」
「そうですね、しかし、その成長は天子にとって良い意味でも悪い意味でも貴方を成長させてしまいました。天子・・・・もう少しバカになっても良いのではないですか?」
「ば、バカって・・・・」
「そのままの意味です。かつての貴方であれば、どんな裏切りがあったとしてもそれでへこたれずに自分勝手に相手の気持ちを塗り替えるくらいのことはしたのではないですか。多くのものに触れてしまったが為にそういった面を貴方は伏せてしまったようですが、私はそんな貴方の真っ直ぐなところがあなたの魅力であると思いますよ。」
「篝・・・それは・・・」
「龍明も言っていたことです。あなたは求道の者であるとならば、最後の最後まで貴方の目指す理想の自分であるべきです。貴方の望む理想は他人の眼や態度を気にして変える物でしたか?あの眩しいような日々を仲間たちとともに駆け抜けた貴方はそんな自分でしたか?」
「・・・・ううん、そんなことはない。私はいつだって自分の力で道を開いてきた。多くの人に助けられてきたけど、それでも誰かに選ばされたんじゃない。私が選んだんだ。そういう生き方が良いって私が自分で決めたんだ。だから、何も迷うことはないんだ。」
「その通りです。ただ、そんなことは自分で気付くべきことです。それを私にいわせたことに篝ちゃんは憤慨しています。」
篝は腰に手を当てて怒っているという雰囲気を出している。しかし、なんだかそれがかわいらしく見えてしまう。
「・・・うん、ごめん。たぶん、いろんなことがあって自分を見失っていたと思う。篝が言ってくれなかったら私はそれこそこの世界で埋もれていたかもしれない。」
「お礼などいりませんよ。だって、私たちは―」
「仲間だもんね。」
「はい!」
天子は踵を返す。決意はついた。あとはそれを今までのように自分の行動で証明するだけだ。
「上等よ。乗ってやろうじゃない。」
「よく来た。坂上覇吐、お前に頼みたいことがある」
そして今、神州・秀真のみならず、この世に生きる総てのものにとって運命の一年が幕を開けようとしていた。
「約束どおり参りましたの烏帽子殿。お心は決まりましたですの?」
これより激動となる一年の物語
その始まりは御前における死合を以って幕を開ける。
―神州秀真御前仕合会場―
「掛けまくは畏き吾が皇の大前に畏み白さく、御世、神州に化外在りて月日佐麻弥(ひさむね)く病臥に伏す。故是を以って益荒男に事議てりてこれけど」
「吾が皇の大前を斎き奉りて蒼生(あおひとくさ)を恵み給う」
「恩頼(みたまのふゆ)を乞い折奉らむとして、今日の吉日、吉時こそば神州に礼代(いやしろ)の幣(みてぐら)を捧げ持ちて恐み恐み称辞竟え、奉らしむなり」
年が明けて十と五日が経ったこの日に朗々と響き渡る祝詞と共にその時はやってきた。
待ち望んでいた者、望んでいなかったもの、それぞれに異なった心情を強く持ちながらも、絶対に覆らない一つの事実がある。それはこの時を以って東征戦争が始まるということ。歪んだ形ながらも続いてきた三百年に渡る太平は今日を以って終わりを迎える。明日より始まるのは神州の命運を掛けた戦のときである。
命を懸ける死合を以って最初の流血を流すこの戦、思えば先月から降っているこの雪すらもこの戦に華を持たせる死に装束なのかもしれない。
そんな厳かな雰囲気の中で始まろうとする戦を伽藍の上から覗き込むように折原臨也は眺めていた。
「ついに始まるねー、神州最大の戦、そのカーテンコールを告げる最初の戦がさ。」
「ふん、馬鹿げている。私は未だに理解できんよ。そもそもどうしてこんな所に私たちはいるのだ。」
「えぇーだってさ、いくら情報屋だからってあの会場に入ることは出来ないだろ?あそこにいるのは神州のお偉い様たちばかりなんだからさ。だったら、忍び込むしかない。当然の発想だと思うんだけどな。何がそんなに気に喰わないのさ?」
「その野次馬根性がだ。私たちがこの戦いを見ても何の意味も無いだろう。それともお前はこの戦いにちょっかいを出すつもりでいるのか?それができるだけの切り札をお前は持っているんだからな。」
少女の辛らつな言葉に臨也は特に気に留めることも無く眼下を見下ろしている。
「ちょっかい?しないよ、そんな無粋なこと。ただ俺はこの目で見たいだけさ。東征戦争なんていうすさまじいイベントに参加しようと考えている奴らが何を考え、何を望んで現れるのかをね。それはこの世界のどんな者よりも素晴らしい人というものを端的に現したものになってくれるはずだからね。」
「・・・・・・」
少女は男の言うことが理解できない。いやむしろ嫌悪感すら抱いている。ありとあらゆる人間をまるで観察動物のようにしか見ていない、それでありながら自分の行いを人間に対する愛であると信じ疑うことすらない折原臨也という男の精神構造を少女は吐き気を催すほどに邪悪だと感じている。
「そうだね、逆にそう言うのは拍明の性分だ。君がやることではないよね。君は種をまくだけで後は高みの見物。いい身分だと本気で思うよ。折原臨也」
その二人の背後にさらなる新たな人物が姿を現す。しかし、両者の反応は正反対。少女はその出来事に驚き、臨也はさもありなんといった表情でずっと眼下を見下ろしている。
「興味なんてなかったんじゃないのかい?陣くん」
「ああ、その通り。興味なんてなかったさ。だけど、この世界の全てのことを楽しみ、侮蔑するのも王の仕事さ。だから、こうして無駄な足掻きをしている奴らを見に足を運んだんだよ。だって、ここにはあいつの選んだ奴もいるんだろう?」
背後から現れたのは童だった。しかし、その出で立ちこそ童のそれであるが纏っている雰囲気、そして在り方は本来のそれではない。どこか超然とし、周囲の何もかもを見下した態度。そして何よりも自分が優れているという圧倒的なまでの自負がこの少年にはあった。
「ああ、紹介しておくよ。彼は有塚陣。俺の裏のほうの同業者。拍明の友人といえばわかるかな」
「ッ・・・・」
拍明という言葉に少女は厳しい表情になり、陣はそんな少女の表情を愉快そうに見つめている。
「そんなに睨まれても正直困るんだけどなぁ。僕はあいつのことなんか好きじゃないし、君なんて僕からしたら有象無象の中の一人に過ぎないんだからさ」
だから、さっさとその反抗的な態度を止めろと陣は言外に少女にその真意をぶつける。
「やめなって。ほら、陣もこっちに興味があって来たんだろう?だったら、ゆっくり見物していきなよ。きっと面白いものが見れるはずだぜ。それこそ拍明が一生悔しがるようなものがね。」
「自信があるね、何か確証でもあるのかい?」
「まぁ・・・・それなりにはね。」
臨也は二週間前に出会った彼女のことを思い出す。この世界の理とは違った世界の中で生きている少女。それがどこからの使者であるのかなど無論知ったことではないし、重要なことではない。彼にとって重要なのは多かれ少なかれ、彼女の存在がこの御前仕合に本来とは違った意味を持たせてくれるであろうということだけだった。
「まぁいいや。なら見せてもらおうじゃないか。君も期待する。神州の御前仕合というものをね。」
陣は臨也の隣に腰掛け、眼前を見通す。そして振り返ることなく
「お前たちは念のために周囲に怪しい動きが無いかを観察しておけ。もしも何かあったら僕に連絡するんだ。すぐに遊びに行く。」
その言葉に何かが頷き眼にも止まらぬ速さでその場から消え去った。
「いいの?行かせちゃって。」
「ああ、僕自身がいればそれで問題ないさ。ここにいる連中で僕に敵う奴なんているはずがないしね。」
どこまでも傲岸不遜に少年は態度を崩さない。
そんな、どこまでも自己を愛し、中心として生きる二人の異常であり、この世界では至極真っ当な生き方をする二人に少女は
「馬鹿げている」
多分に多くの意味を含めてその言葉を口にした。
・
「浮かない顔ですな、烏帽子殿」
神楽の祭壇となる御所の庭には神州の文武百官が揃っていた。神座に位置する殿上には御簾の先に皇主陛下が、その下には藩屏たる五竜胆が座についていた。
その中で沈思していた竜胆に隣に座っていた中院冷泉が話しかけてきた。
「見ればなにやら物憂げな様子。この我にできることがあれば何なりと」
中院、五竜胆の中でも次席に当たる神州の有力武家だが、その実態はもはや久雅以上にその勢力を保っている神州最大の武家である。対して久雅は当主が女であり、武門と何ら関係のない御門と通じていることもあってその求心力を失っている。体面は保っているが、実際には中院が現在の五竜胆の中心であるといっても何の問題もないだろう。
「よい、要らぬ心配だ冷泉殿。」
「つまらぬことに心を乱さずに口を慎んでおられる方がいい。今は祭事の最中だ。無用な私語など不謹慎であろう。」
「成る程、これは確かに相も変わらぬご気性。頼もしくさえありますな。」
言外に一蹴されながらも、冷泉は気を落としたような素振りは無い。むしろ、竜胆の反応を楽しんでいるかのようにその横顔を見ている。
「あれは治外祈祷の祝詞でしたかな?」
死合の場となる御所の中央で先ほどから龍明が祝詞を謳いあげている。その厳格な声色から紡がれる祝詞はこの神州の病理を悉く滅するという意味合いを込めてのものだった。
「東征に先駆けてのこの神楽の意味合いと激励を込めた祝詞。酷い話ですな。これはつまり、龍明殿は益荒男たちに喜んで死ねと申しておられるのだ。」
感じ入るどころかある種の失笑を隠せずにいる冷泉は成る程武家の男子ならば斯くあるべきであると言えるかもしれない。実際に冷泉を有能と謳う声は少なくない。若き中院の当主。そしてそんな男がこの戦いを茶番だと断じる。戦うべきは益荒男たちであり、その先にあるのは物質的な死のみである。神秘的な意味などこれっぽっちも入り込む余地は無く、それ以上でも以下でもない。そういったことを中院冷泉は弁えている。つまるところ、死ねという言葉を高尚に公家たちに理解できるようにしている。そのような祭事を茶番といえずに何と言うのかと。
「まこと滑稽であることよ。こんなことをするくらいならば陛下が一人一人に声をかければよいのだ。死ねと。その方が参加する者たちもよっぽどに救われよう。そうは思わぬかな?」
「・・・・・・」
「それとも御身はこれはこれで風流であると?それならばそれで―」
「いや、私もある程度は同感だよ。冷泉殿」
無視を決め込もうと考えていたが、それでは際限なく話しかけてくるだろうと考えた竜胆は黙れという意味合いをこめて話を続ける。
「どだい国とは我々武芸一辺倒のものだけでは成り立たないのだ。この身は神州という大きなものをまわす歯車のひとつに過ぎぬ。であるならば、我を通すのは控えるべきだろう。ましてや自分が事象の中心にいるなどと考えないほうがいい。」
「無論、それは我にも理解ができていることですよ。烏帽子殿。しかし、我はただ兵たちを鼓舞してやりたいと思っただけのこと。将とはそういうものではありませぬかな?」
「ならば、なおのこと軽率な言葉は控えておくべきであろう。」
そう冷ややかに斬って捨てる竜胆ではあったが、心の中では忸怩たる思いが溢れていた。
冷泉はおそらく聡い男なのだろう。声望も高く知勇を兼ね備えた彼は宮中において不動の地位を備えている。先の不敬な発言も皇主陛下に何を言われようが気にも留めないだろう。結局、どこまでもそういう男なのだ。この中院冷泉という男は。この世界において至極真っ当であり優秀な男。それが中院冷泉の客観的な評価であり、だからこそ竜胆はこの男を吐き気を催すほどに嫌っていた。
「掛けまくも畏き皇、此の状を平らけく安らけく聞こえし召して御国が悩む病を速やかに直し給い、癒し給い堅盤に常盤に命長く夜守日守に守り給い幸い給えと畏み畏み申す」
そうして祝詞が終わりいよいよ血の神楽が幕を開ける。数瞬訪れた静寂の間に竜胆は何を想い、何を決め、何を行うべきかを決めなければ為らなかった。
断じて流されたわけではないと言い切れる確固とした結論を。
「ふふん、始まりますぞ。」
今、竜胆は東征戦争の狼煙をこの眼で見届ける。
「では、御国の益荒男どもよ。でませい。」
龍明の大喝と共に出場者たちが姿を現す。選ばれた益荒男は都合八名、五竜胆より五人、皇より一人、御門より一人、そして仮想化外が一人
「ほう・・・・あれが凶月」
それぞれ控えの間から現れた者たちの仲で一際異彩を放っている男を見咎め、冷泉は低く呻いた。
「なんという・・・・」
なんという血臭、なんという歪み、なんという凶念なのか。白蝋の如き髪と肌からまさしくあれが汚染されきった蛭子であることは間違いなく、御所が恐怖で満たされていくのを竜胆は感じ取った。
「これは些か、予想以上だ。陛下には厳しいのではありますまいか?」
「しかし、仕方ないことでしょう。我々が是より相手取るのは凶月よりも数倍もの陰気を持つ者たちなのですから。」
東から流れ込んできた陰気を少し被っただけでこれなのだ。この数倍の敵を相手にするなど恐れおののくなというほうが難しい。
「汚らわしい下賎よな。見るに耐えぬわ。」
「誠、この場に相応しくないものよの。」
不快さを隠しもせずにそう言ったのは、六条の当主と望月の当主だった。彼らは歪みを毛嫌いしており、東征には必要ないものだと考えている。
故にこの場で何人かあれに当てられて死んでくれるものが出てくれれば好都合。そのようにすらも考えている。現実を見ず理想に生きている。毒を食らわば皿までなど彼らは考えてすらいないのだ。成る程彼らを夢見る乙女などと形容するのは確かに的を射ているかもしれないと竜胆は思った。
「だが、事実としてあれは化外には及ばんが、仮想敵としては上等だ。ならば、この御前仕合には必要なものであろうよ。何せ道具は上等であればなお良いのだからな。」
その二人の当主とは異なり、最後の当主、大鳥獅子吼はあくまでも凶月を仮想敵として認識している。化外討伐にあれが必要であれば使うことは厭わない。しかし、その待遇などには微塵の興味もない。言わば獅子吼に言わせれば凶月は神州東の解放の為の道具に過ぎない。
「やれやれ・・・・」
そんな他の当主たちを見据えて冷泉はため息をついた。
「なにやら堪りませんな。男同士の阿りという奴は。」
「では、先ほどから御身が私にしているのは?」
「さて、一般には求愛というものであると考えておりますが」
「痴れ事を」
しかし、注目をするべきは何も凶月だけではない。他の出場者たちも並み居る名門武家の者たちばかりである。対して笑う冷泉のはどうなのか?中院の代表として現れたものはあまりにも
「勝負を捨てられたのか?冷泉殿?」
望月が竜胆と同じ印象をぶつけた。
「あれは何ぞ?まるで女子ではないか。あんなものがこの死合を勝ち抜けるとでも思っておるのか?」
「さてさて、それは如何か。我はただ面白き噂を耳にしただけでして。」
「面白き噂?冷泉、それは一体何ですか?」
冷泉の不敵な笑みに秀光に同伴していた紗代が問いただす。
「まぁそれは始まってからのお楽しみ。そもそもからして女子ならば他におろうではないか」
「玖錠か・・・・・」
中院の代表である優男の隣にいるのは瞠目したままの端正な女だった。
「伝説といえば陳腐だが、玖錠の技がこの眼で見られるとすればそれは眼福であろう。さらに見た目麗しき女子と知れば期待せざるを得ませぬな」
「ふん・・・・せいぜい鍍金が剥がれぬようにしてもらたいたいものだな。」
あくまでも玖錠の力を認めないのは六条。何せ皇室の私兵である玖錠が勝つことなど誰も望んではいないのだから。そんな態度をどこ吹く風で女は一切の気負いすらも無い。まるで霧のようだと竜胆は思った。
「いや、あれをただの女だとは思わないほうがいい。玖錠であり汚染者。高を括っていれば沈むのはお歴々の者たちかも知れぬからな。」
しかし、そんな六条たちの見解を的外れであると獅子吼は言う。大鳥と玖錠は縁が深い。ならば大鳥はあの玖錠の力をも知っているのだろう。
「では、獅子吼殿が見つけたあれは玖錠をも凌ぐものであると考えてよろしいのか?」
そして凶月と同じかそれ以上に異彩を放っているのは、玖錠のさらに横にいる金髪碧眼の男だった。それは諸外国で言えば騎士と呼ばれる者だった。身は軽やかに鎧の重さなど感じさせぬ足運びはその者もまたこの御前仕合に参加するに足りる実力者であることを際立たせている。
「ああ、よく見ているがいい。あれは出来る男だ。性格に多少の難があるが、そこにいる者たち総てを同時に相手にしても引けはとらんよ。」
「それは重畳。ならば獅子吼殿の自信の程お見せしていただきましょうか。さて、それでこれはどういうことですかな?烏帽子殿?」
出揃った七名は膝を突いた。そう一人が足りなかったのだ。
「放棄、つまりは征夷の将の伴侶となることを認めたということでよろしいのかな?」
「私は誰のものでもない。だが強いていえば国のものでその基となる民草のものだ。そしてこの身を預ける伴侶は真の益荒男のみだ。」
「ふむ・・・・」
要領を得ない回答ではあったが、冷戦は鷹揚に頷いて理解を示したようだった。
「よくはわかりませぬが、それで良いでしょう。我は我の思い行くままに」
「そうするがいいだろう。御身らに出来ることなどその程度だ。益荒男などどこにもおらぬわ。」
ふと、竜胆の脳裏に天子の顔が思い浮かんだ。自分が拒絶してしまった少女、彼女であればもしかしたら自分は自分の思いを預けることが出来たのか。今となっては分からないし、もう遅い。御前仕合は始まってしまっているのだから。
「ではこれより第一の比武を始める。」
今ついに血戦の火蓋が斬って落とされようとしている。
「西、皇主光明帝直属禁軍兵―玖錠降神流、玖錠紫織」
この組み合わせは公平を期するためにこの場での籤によって決まる。よって、龍明が名前を挙げるまでそれは誰にも分からない。
結果、第一番手から玖錠が出た。その対戦相手は誰になるのか、もっとも重要になる初回の一戦、その相手は
「東、蕹州大納言、中院冷泉公が一、石上神道流、壬生宗次郎」
ざわりと瞬間緊張が走り、それは戦慄という形で場に顕現した。
「―――――」
最初、竜胆には何が起こったかすらもわからなかった。いや、それはおそらく他の者たちも同じだろう。
「な、ん」
あまりにも突拍子がなさ過ぎて、あまりにも理解の範疇を超えていて起こった事態を認識するまでの間、脳に無限の瞬間が流れていた。
「石上神道流―丙の第三――首飛ばしの颶風」
壬生宗次郎の一閃が過剰なまでの血飛沫と共に神楽の開戦を宣言した。
「馬鹿な・・・・・」
ありえなさ過ぎて信じられない。何を考えているのか。そう言ったのは望月と六条。何故なら二人の選出した者たちは同時に宗次郎の一閃によって首を飛ばされていたのだから。
「ハッ―見事」
ただ一人冷泉だけが、愉快げに手を鳴らして喝采している。
「天晴れよ、武士とはそうでなければならん。開始の合図?対戦相手?知らぬ知らぬ聞こえぬ見えん。此処を何処だと心得ておる。戦場であろう。死に場所であろう。命を賭して武心を燃やす晴れの舞台であろうがよ。そうした場に立ちながら油断だ卑怯だ笑止千万。呆けられたかお歴々。ならば疾く思い出されるがよろしい」
常場戦場、それが武士の生き方であろうと可々と一人笑うは冷泉。
「貴様、冷泉!!」
「見苦しい、弁えられよ、ご老体。避けられぬ方が悪いのだ。ほれ、見てみるがいい。」
掴みかかった手を払いながら侮蔑の眼差しと共に冷泉は惨劇の場所を指差す。
「凶月、玖錠、そして異人。あれらは生きておるではないか。」
「・・・・・ッ!!しかし!」
「しかし、何ぞ?」
冷泉の強い語気に当てられて二人は萎縮した。
「まぁ良いではないか。これで雑魚がいなくなったのだ。俺と冷泉、そして玖錠に凶月、これだけ生き残っておれば上々。楽しもうではないか、真の御前仕合を。」
「そうだ、龍水!!」
竜胆は弾かれるように、彼女の良く知る人物の顔を思い浮かべ、惨劇の舞台へと眼を向ける。先ほどの攻撃が総ての人間に向けられたのであれば龍水にもその刃は向けられただろう。果たして龍水はどうなったのか。竜胆の視線の先には・・・・
「貴方、一体誰ですか?何故、龍水さんを庇うのですか?」
「さぁ、とりあえず、近そうにいた奴を守ったってだけなんだけど。後はこんな小さな子に刃を向けるあんたに少しばかり憤慨したからとか。理由は諸々。」
龍水の周囲には巨大な岩が抉られ、斬られていた。それが龍水の身を守ったことは竜胆から見ても明らかだった。
「名前を聞いておきましょうか、乱入者さん、貴方は誰ですか?」
その言葉に青い髪を後ろで結び、手に赤い剣を持った少女は高らかに宣言した。
「比那名居天子、遅くなったけど、神州御前仕合に参加させてもらうわ。」
「ひなないてんし・・・・?ああ、これも面白い天の導きってことか」
天子の高らかな宣言に獅子吼の呼び寄せた異人はニヤリと笑った。神州御前仕合。今よりその戦いが始まる。
第弐話了
次回予告
「僕が天下最強の剣士であることを証明するにはこの場の皆さんを皆殺しにしなければなりませんよね?」
宗次郎の一閃によって始まった御前仕合、都合六名の乱戦となるそれは混迷を極める。
「舐め腐りやがって、このクソガキがぁぁぁぁ、上等だぁ。ブッ殺してやらぁぁぁ」
互いの技能を振り絞りぶつかり合う。六人の益荒男たち。
「面白れぇ。親父が見込んだ女がどれ程のものか楽しませてもらおうじゃねぇか。」
そのさなか、天子に狙いを絞る異人の男、それに天子はどこか懐かしさを覚える。
「私が東征の将となる」
そして、竜胆もまた一つの大きな決意をその身に固める。その強きに意志に応えるのは
神上神座戦争第参話「睦月・秀真―神州御前死合―」
そうして騒がしくも早々に時が過ぎ、神州は御前仕合を明日へと控えていた。
「本当によろしいのですか?天子」
「うん、紗代にはいろいろと世話にはなったけど、私も自分自身でもっといろんな場所を回ってこの世界のことをもっと知らなくちゃいけないと思うから。」
その日の朝、天子は望月の家を出ることを決めた。これまで二週間の間、世話になっていた家ではあったが、東征戦争という慌しい日々が始まる中でいつまでも長居をしているわけにはいかないと天子も考えたからだった。
勿論、紗代はそんなことを気にする必要はないと天子に言ったが、天子は前言を撤回することなく望月の家を出ることを決めた。
「天子、一つだけ無茶なお願いを貴方にしてもよいでしょうか?」
「ん?まぁ、私に叶えられることならなんでもいいけど。」
紗代は聞く態勢に入った天子に、自分で話を振りながらも言うべきか言うまいかを悩み、なかなか口を開くことが出来なかった。紗代自身今から自分が口にしようとしていることはとても天子に対して意地の悪いことであるとわかっているからであった。しかし、それでも紗代は口を開くことを決めた。この選択はけして間違えた結果にはならないと考えて。
「・・・・・天子、私の家臣として御前仕合に参加してはいただけませんか?」
紗代は意を決っして天子に自らの代理となることを頼んだ。
「・・・・・・・・」
そうして、天子も紗代が最初に何を言っているのかをすぐに理解することは出来なかった。何せ、紗代はこれまでそんなことを一度たりとも言ったことは無かったのだから。
「ち、ちょっと待ってよ。望月の出場者は決まっているんでしょ?」
「それは望月の家の出場者です。天子にお願いしているのは私個人の家臣としての出場です。」
「それは屁理屈よ。」
「そうですね、屁理屈です。しかし、龍明様は参加を認めるでしょう。龍明様は貴方が参加されることを期待されているでしょうから。」
確かに龍明は天子に御前仕合に参加することを提案してきた。あの場では気が乗らないと言ったが、それを撤回すればあの女性は易々と天子の参戦を認めることだろう。それこそ、反対意見など簡単に握りつぶしてしまうに違いない。それをさも聞いていたかのように言う紗代にもうすら寒いものを感じるが、天子は黙って話を聞くことにした。
「私は貴方のようなものこそが東征の魁と為る益荒男に成るべきであると考えています。あなたは神州の人間ではない。それは百も承知していることなのです。それでもどうか、私の勝手に付き合ってはいただけないでしょうか。」
紗代は胸に手を当てて、必死に懇願する。しかし、それは果たして本当に外のことを鑑みて言っているのであろうか。紗代の自分の満足、その為だけに口から出た言葉なのではないか。まるで誰かに言わされているかのように、都合よく歯車を進ませるためだけにそれを口にしているようにも思える。
「・・・・・ごめん、紗代。私は御前仕合には参加できないよ。」
「天子・・・・」
天子は申し訳なさそうな表情で紗代の言葉を拒絶した。
「紗代は私の友達だから・・・・そりゃお願い叶えてあげたいとは思うよ。でも、私には戦う理由が無い。御前仕合っていうたぶん、殺し合いに発展するかもしれない戦いにただ紗代の希望的観測だけで参加することは出来ない。それこそ、他の人たちを馬鹿にしてしまっているような気がするから。」
東征に懸ける思いとか負けられない理由とかはいくらこの世界でも個人個人に在る者だと思う。しかし、残念ながら天子にはそんなものはない。成り行きで紗代の屋敷に厄介になり、成り行きで龍明に進められたが、それだけなのだ。この世界に干渉する理由すらもないのかもしれない。本当にやるべきことすらも見つけられていない自分に寄り道をしている暇は無いのかもしれないと考えると天子は紗代の提案に頷くことは出来なかった。
「違・・・天子、私はそのようなつもりでいったのでは。」
「ごめん、紗代の期待に応えて挙げられなくて。私は楽しかったよ。紗代がどんな思惑で私を呼び寄せたのかは最初に言われた通りだって信じている。それでいいと思うから。だから、最後は後腐れすることなく別れようよ。またどこかで会えるかもしれないし。」
「・・・・・・・はい」
それじゃあと天子は屋敷の門を開き、出て行った。何もこんな結果を求めていたわけではなかった。紗代は自分の言葉の軽率さを恨む。
「おかしいですね、私は私の為に言ったはずなのに、何だか心が苦しいです。」
紗代はしばしの間、その場所を動けずにいた。
・
望月の屋敷を出てそのまま、天子はあてどもなく道を歩いていた。周囲では喧騒な声が聞こえる。もうすぐ秀真の都を出る道へとたどり着くのにその声は消えることが無い。
「・・・・・・言いたい事があるなら言っていいんだよ。篝。」
先ほどから篝は無言で天子を睨みつけるように横へと並んで進んでいた。その視線にどうにも耐えられずに天子は声を掛けてしまった。それは自分自身後ろめたい感情を抱いているからなのかもしれない。
「どうして望月紗代の提案を断ったのですか?」
率直で問題の核心をついた問いだった。同時に今、天子がもっとも触れては欲しくない話題であったとも言えるだろう。
「さっきも言ったじゃない。私には戦う理由が―」
「嘘ですね」
天子の言葉を遮るように篝ははっきりと天子の出した答えが偽りであると断じた。
「私の知る限り比那名居天子という人物は親しくなった誰かの頼みであれば、理由など関係なしに引き受けるものです。それを拒絶するなど理解が出来ません。そして、そんな行動を取るようでは、いつになってもあなたの求めるものにたどり着くことなどできないと私は思います。」
ありったけの罵詈雑言を載せたかのように天子を非難する。天子とてそれを黙って聞いているわけではない。
「私には私の都合があるわよ!!篝の言い分は強引すぎるわ。」
「それがこのあてどもない行動ですか?これならば無理をしてでも屋敷に居てあの龍明なる人物に接触してなんとか情報を探るほうが現実的です。それが出来ていない時点でそれは言い訳にしかなりませんよ。」
「む・・・・・」
篝の発言は実際に理にかなっている。それを頭では分かってしまっているからこそ、天子は反論ができずにいた。
「不満もあるでしょう。しかし、私は貴方の仲間として率直に忠告します。貴方は今、逃げている。本当は怖いのではないですか?この世界の人間たちが」
天子の眉がピクリと動く。篝はそれに自分の仮説が間違っていないと確信し
「この世界の人間は他人のことなど何一つ考えては居ない。それは貴方にとってもとても住み心地の悪い環境でしょう。何せ、誰かに頼られ、認められる仲間との絆こそが貴方を誰よりも強くする最大の力であるから。しかし、この世界の人間たちは誰も絆と言うものを理解しようとしていない。天子がどれだけ力を尽くそうとも興味が無くなれば貴方の下から人は離れていく。それが、信じたものに裏切られるのが貴方は怖いのではないですか?」
その篝の言葉に天子は篝から目を逸らして、苦々しげに
「・・・・・篝の言っていること悔しいけど外れてはいない。確かにそういう気持ちがないとは言い切れない。でも、紗代に言ったことが間違いってわけでもない。要は両方なのよ。私は誰かの為に戦って認められたいって言う思いを持っている。でも、それがかなわない世界で私は何を頼りに生きていけばいいんだろうって思ってしまう。最初はどうにでもなるって考えていたけど、それがわかってしまってからは、そういう気持ちが強くなってしまっているの。」
そうして天子は俯いてしまう。最初に出会ったときとはまるで正反対の構図のようだった。
「私だって、紗代を信じたいよ。でも、それで裏切られたら私はもう誰も信用できなくなってしまうかもしれない。ああ、この世界の人間はそういう奴なんだって決め付けてしまうかもしれない。それが怖いの。支えてくれる人もここにはいない。だって、私の仲間はもうみんな、いなくなってしまったから。」
はぁ、と篝はため息をつく。
「天子、顔を上げてください」
「え?・・・・・って痛ァ」
篝はいつぞやの時のように天子にデコピンを放った。
「な、何をするのよ。痛いじゃない!」
「篝ちゃん、今すごく憤慨しています。まさか天子がこんなにも思慮深い性格になっているなど想像にも及びませんでした。」
それまでとは打って変わって天子が篝に食って掛かる。
「わ、悪かったわね。そりゃ私だってあれから長い時間が経っているんだから少しは成長するわよ。」
「そうですね、しかし、その成長は天子にとって良い意味でも悪い意味でも貴方を成長させてしまいました。天子・・・・もう少しバカになっても良いのではないですか?」
「ば、バカって・・・・」
「そのままの意味です。かつての貴方であれば、どんな裏切りがあったとしてもそれでへこたれずに自分勝手に相手の気持ちを塗り替えるくらいのことはしたのではないですか。多くのものに触れてしまったが為にそういった面を貴方は伏せてしまったようですが、私はそんな貴方の真っ直ぐなところがあなたの魅力であると思いますよ。」
「篝・・・それは・・・」
「龍明も言っていたことです。あなたは求道の者であるとならば、最後の最後まで貴方の目指す理想の自分であるべきです。貴方の望む理想は他人の眼や態度を気にして変える物でしたか?あの眩しいような日々を仲間たちとともに駆け抜けた貴方はそんな自分でしたか?」
「・・・・ううん、そんなことはない。私はいつだって自分の力で道を開いてきた。多くの人に助けられてきたけど、それでも誰かに選ばされたんじゃない。私が選んだんだ。そういう生き方が良いって私が自分で決めたんだ。だから、何も迷うことはないんだ。」
「その通りです。ただ、そんなことは自分で気付くべきことです。それを私にいわせたことに篝ちゃんは憤慨しています。」
篝は腰に手を当てて怒っているという雰囲気を出している。しかし、なんだかそれがかわいらしく見えてしまう。
「・・・うん、ごめん。たぶん、いろんなことがあって自分を見失っていたと思う。篝が言ってくれなかったら私はそれこそこの世界で埋もれていたかもしれない。」
「お礼などいりませんよ。だって、私たちは―」
「仲間だもんね。」
「はい!」
天子は踵を返す。決意はついた。あとはそれを今までのように自分の行動で証明するだけだ。
「上等よ。乗ってやろうじゃない。」
「よく来た。坂上覇吐、お前に頼みたいことがある」
そして今、神州・秀真のみならず、この世に生きる総てのものにとって運命の一年が幕を開けようとしていた。
「約束どおり参りましたの烏帽子殿。お心は決まりましたですの?」
これより激動となる一年の物語
その始まりは御前における死合を以って幕を開ける。
―神州秀真御前仕合会場―
「掛けまくは畏き吾が皇の大前に畏み白さく、御世、神州に化外在りて月日佐麻弥(ひさむね)く病臥に伏す。故是を以って益荒男に事議てりてこれけど」
「吾が皇の大前を斎き奉りて蒼生(あおひとくさ)を恵み給う」
「恩頼(みたまのふゆ)を乞い折奉らむとして、今日の吉日、吉時こそば神州に礼代(いやしろ)の幣(みてぐら)を捧げ持ちて恐み恐み称辞竟え、奉らしむなり」
年が明けて十と五日が経ったこの日に朗々と響き渡る祝詞と共にその時はやってきた。
待ち望んでいた者、望んでいなかったもの、それぞれに異なった心情を強く持ちながらも、絶対に覆らない一つの事実がある。それはこの時を以って東征戦争が始まるということ。歪んだ形ながらも続いてきた三百年に渡る太平は今日を以って終わりを迎える。明日より始まるのは神州の命運を掛けた戦のときである。
命を懸ける死合を以って最初の流血を流すこの戦、思えば先月から降っているこの雪すらもこの戦に華を持たせる死に装束なのかもしれない。
そんな厳かな雰囲気の中で始まろうとする戦を伽藍の上から覗き込むように折原臨也は眺めていた。
「ついに始まるねー、神州最大の戦、そのカーテンコールを告げる最初の戦がさ。」
「ふん、馬鹿げている。私は未だに理解できんよ。そもそもどうしてこんな所に私たちはいるのだ。」
「えぇーだってさ、いくら情報屋だからってあの会場に入ることは出来ないだろ?あそこにいるのは神州のお偉い様たちばかりなんだからさ。だったら、忍び込むしかない。当然の発想だと思うんだけどな。何がそんなに気に喰わないのさ?」
「その野次馬根性がだ。私たちがこの戦いを見ても何の意味も無いだろう。それともお前はこの戦いにちょっかいを出すつもりでいるのか?それができるだけの切り札をお前は持っているんだからな。」
少女の辛らつな言葉に臨也は特に気に留めることも無く眼下を見下ろしている。
「ちょっかい?しないよ、そんな無粋なこと。ただ俺はこの目で見たいだけさ。東征戦争なんていうすさまじいイベントに参加しようと考えている奴らが何を考え、何を望んで現れるのかをね。それはこの世界のどんな者よりも素晴らしい人というものを端的に現したものになってくれるはずだからね。」
「・・・・・・」
少女は男の言うことが理解できない。いやむしろ嫌悪感すら抱いている。ありとあらゆる人間をまるで観察動物のようにしか見ていない、それでありながら自分の行いを人間に対する愛であると信じ疑うことすらない折原臨也という男の精神構造を少女は吐き気を催すほどに邪悪だと感じている。
「そうだね、逆にそう言うのは拍明の性分だ。君がやることではないよね。君は種をまくだけで後は高みの見物。いい身分だと本気で思うよ。折原臨也」
その二人の背後にさらなる新たな人物が姿を現す。しかし、両者の反応は正反対。少女はその出来事に驚き、臨也はさもありなんといった表情でずっと眼下を見下ろしている。
「興味なんてなかったんじゃないのかい?陣くん」
「ああ、その通り。興味なんてなかったさ。だけど、この世界の全てのことを楽しみ、侮蔑するのも王の仕事さ。だから、こうして無駄な足掻きをしている奴らを見に足を運んだんだよ。だって、ここにはあいつの選んだ奴もいるんだろう?」
背後から現れたのは童だった。しかし、その出で立ちこそ童のそれであるが纏っている雰囲気、そして在り方は本来のそれではない。どこか超然とし、周囲の何もかもを見下した態度。そして何よりも自分が優れているという圧倒的なまでの自負がこの少年にはあった。
「ああ、紹介しておくよ。彼は有塚陣。俺の裏のほうの同業者。拍明の友人といえばわかるかな」
「ッ・・・・」
拍明という言葉に少女は厳しい表情になり、陣はそんな少女の表情を愉快そうに見つめている。
「そんなに睨まれても正直困るんだけどなぁ。僕はあいつのことなんか好きじゃないし、君なんて僕からしたら有象無象の中の一人に過ぎないんだからさ」
だから、さっさとその反抗的な態度を止めろと陣は言外に少女にその真意をぶつける。
「やめなって。ほら、陣もこっちに興味があって来たんだろう?だったら、ゆっくり見物していきなよ。きっと面白いものが見れるはずだぜ。それこそ拍明が一生悔しがるようなものがね。」
「自信があるね、何か確証でもあるのかい?」
「まぁ・・・・それなりにはね。」
臨也は二週間前に出会った彼女のことを思い出す。この世界の理とは違った世界の中で生きている少女。それがどこからの使者であるのかなど無論知ったことではないし、重要なことではない。彼にとって重要なのは多かれ少なかれ、彼女の存在がこの御前仕合に本来とは違った意味を持たせてくれるであろうということだけだった。
「まぁいいや。なら見せてもらおうじゃないか。君も期待する。神州の御前仕合というものをね。」
陣は臨也の隣に腰掛け、眼前を見通す。そして振り返ることなく
「お前たちは念のために周囲に怪しい動きが無いかを観察しておけ。もしも何かあったら僕に連絡するんだ。すぐに遊びに行く。」
その言葉に何かが頷き眼にも止まらぬ速さでその場から消え去った。
「いいの?行かせちゃって。」
「ああ、僕自身がいればそれで問題ないさ。ここにいる連中で僕に敵う奴なんているはずがないしね。」
どこまでも傲岸不遜に少年は態度を崩さない。
そんな、どこまでも自己を愛し、中心として生きる二人の異常であり、この世界では至極真っ当な生き方をする二人に少女は
「馬鹿げている」
多分に多くの意味を含めてその言葉を口にした。
・
「浮かない顔ですな、烏帽子殿」
神楽の祭壇となる御所の庭には神州の文武百官が揃っていた。神座に位置する殿上には御簾の先に皇主陛下が、その下には藩屏たる五竜胆が座についていた。
その中で沈思していた竜胆に隣に座っていた中院冷泉が話しかけてきた。
「見ればなにやら物憂げな様子。この我にできることがあれば何なりと」
中院、五竜胆の中でも次席に当たる神州の有力武家だが、その実態はもはや久雅以上にその勢力を保っている神州最大の武家である。対して久雅は当主が女であり、武門と何ら関係のない御門と通じていることもあってその求心力を失っている。体面は保っているが、実際には中院が現在の五竜胆の中心であるといっても何の問題もないだろう。
「よい、要らぬ心配だ冷泉殿。」
「つまらぬことに心を乱さずに口を慎んでおられる方がいい。今は祭事の最中だ。無用な私語など不謹慎であろう。」
「成る程、これは確かに相も変わらぬご気性。頼もしくさえありますな。」
言外に一蹴されながらも、冷泉は気を落としたような素振りは無い。むしろ、竜胆の反応を楽しんでいるかのようにその横顔を見ている。
「あれは治外祈祷の祝詞でしたかな?」
死合の場となる御所の中央で先ほどから龍明が祝詞を謳いあげている。その厳格な声色から紡がれる祝詞はこの神州の病理を悉く滅するという意味合いを込めてのものだった。
「東征に先駆けてのこの神楽の意味合いと激励を込めた祝詞。酷い話ですな。これはつまり、龍明殿は益荒男たちに喜んで死ねと申しておられるのだ。」
感じ入るどころかある種の失笑を隠せずにいる冷泉は成る程武家の男子ならば斯くあるべきであると言えるかもしれない。実際に冷泉を有能と謳う声は少なくない。若き中院の当主。そしてそんな男がこの戦いを茶番だと断じる。戦うべきは益荒男たちであり、その先にあるのは物質的な死のみである。神秘的な意味などこれっぽっちも入り込む余地は無く、それ以上でも以下でもない。そういったことを中院冷泉は弁えている。つまるところ、死ねという言葉を高尚に公家たちに理解できるようにしている。そのような祭事を茶番といえずに何と言うのかと。
「まこと滑稽であることよ。こんなことをするくらいならば陛下が一人一人に声をかければよいのだ。死ねと。その方が参加する者たちもよっぽどに救われよう。そうは思わぬかな?」
「・・・・・・」
「それとも御身はこれはこれで風流であると?それならばそれで―」
「いや、私もある程度は同感だよ。冷泉殿」
無視を決め込もうと考えていたが、それでは際限なく話しかけてくるだろうと考えた竜胆は黙れという意味合いをこめて話を続ける。
「どだい国とは我々武芸一辺倒のものだけでは成り立たないのだ。この身は神州という大きなものをまわす歯車のひとつに過ぎぬ。であるならば、我を通すのは控えるべきだろう。ましてや自分が事象の中心にいるなどと考えないほうがいい。」
「無論、それは我にも理解ができていることですよ。烏帽子殿。しかし、我はただ兵たちを鼓舞してやりたいと思っただけのこと。将とはそういうものではありませぬかな?」
「ならば、なおのこと軽率な言葉は控えておくべきであろう。」
そう冷ややかに斬って捨てる竜胆ではあったが、心の中では忸怩たる思いが溢れていた。
冷泉はおそらく聡い男なのだろう。声望も高く知勇を兼ね備えた彼は宮中において不動の地位を備えている。先の不敬な発言も皇主陛下に何を言われようが気にも留めないだろう。結局、どこまでもそういう男なのだ。この中院冷泉という男は。この世界において至極真っ当であり優秀な男。それが中院冷泉の客観的な評価であり、だからこそ竜胆はこの男を吐き気を催すほどに嫌っていた。
「掛けまくも畏き皇、此の状を平らけく安らけく聞こえし召して御国が悩む病を速やかに直し給い、癒し給い堅盤に常盤に命長く夜守日守に守り給い幸い給えと畏み畏み申す」
そうして祝詞が終わりいよいよ血の神楽が幕を開ける。数瞬訪れた静寂の間に竜胆は何を想い、何を決め、何を行うべきかを決めなければ為らなかった。
断じて流されたわけではないと言い切れる確固とした結論を。
「ふふん、始まりますぞ。」
今、竜胆は東征戦争の狼煙をこの眼で見届ける。
「では、御国の益荒男どもよ。でませい。」
龍明の大喝と共に出場者たちが姿を現す。選ばれた益荒男は都合八名、五竜胆より五人、皇より一人、御門より一人、そして仮想化外が一人
「ほう・・・・あれが凶月」
それぞれ控えの間から現れた者たちの仲で一際異彩を放っている男を見咎め、冷泉は低く呻いた。
「なんという・・・・」
なんという血臭、なんという歪み、なんという凶念なのか。白蝋の如き髪と肌からまさしくあれが汚染されきった蛭子であることは間違いなく、御所が恐怖で満たされていくのを竜胆は感じ取った。
「これは些か、予想以上だ。陛下には厳しいのではありますまいか?」
「しかし、仕方ないことでしょう。我々が是より相手取るのは凶月よりも数倍もの陰気を持つ者たちなのですから。」
東から流れ込んできた陰気を少し被っただけでこれなのだ。この数倍の敵を相手にするなど恐れおののくなというほうが難しい。
「汚らわしい下賎よな。見るに耐えぬわ。」
「誠、この場に相応しくないものよの。」
不快さを隠しもせずにそう言ったのは、六条の当主と望月の当主だった。彼らは歪みを毛嫌いしており、東征には必要ないものだと考えている。
故にこの場で何人かあれに当てられて死んでくれるものが出てくれれば好都合。そのようにすらも考えている。現実を見ず理想に生きている。毒を食らわば皿までなど彼らは考えてすらいないのだ。成る程彼らを夢見る乙女などと形容するのは確かに的を射ているかもしれないと竜胆は思った。
「だが、事実としてあれは化外には及ばんが、仮想敵としては上等だ。ならば、この御前仕合には必要なものであろうよ。何せ道具は上等であればなお良いのだからな。」
その二人の当主とは異なり、最後の当主、大鳥獅子吼はあくまでも凶月を仮想敵として認識している。化外討伐にあれが必要であれば使うことは厭わない。しかし、その待遇などには微塵の興味もない。言わば獅子吼に言わせれば凶月は神州東の解放の為の道具に過ぎない。
「やれやれ・・・・」
そんな他の当主たちを見据えて冷泉はため息をついた。
「なにやら堪りませんな。男同士の阿りという奴は。」
「では、先ほどから御身が私にしているのは?」
「さて、一般には求愛というものであると考えておりますが」
「痴れ事を」
しかし、注目をするべきは何も凶月だけではない。他の出場者たちも並み居る名門武家の者たちばかりである。対して笑う冷泉のはどうなのか?中院の代表として現れたものはあまりにも
「勝負を捨てられたのか?冷泉殿?」
望月が竜胆と同じ印象をぶつけた。
「あれは何ぞ?まるで女子ではないか。あんなものがこの死合を勝ち抜けるとでも思っておるのか?」
「さてさて、それは如何か。我はただ面白き噂を耳にしただけでして。」
「面白き噂?冷泉、それは一体何ですか?」
冷泉の不敵な笑みに秀光に同伴していた紗代が問いただす。
「まぁそれは始まってからのお楽しみ。そもそもからして女子ならば他におろうではないか」
「玖錠か・・・・・」
中院の代表である優男の隣にいるのは瞠目したままの端正な女だった。
「伝説といえば陳腐だが、玖錠の技がこの眼で見られるとすればそれは眼福であろう。さらに見た目麗しき女子と知れば期待せざるを得ませぬな」
「ふん・・・・せいぜい鍍金が剥がれぬようにしてもらたいたいものだな。」
あくまでも玖錠の力を認めないのは六条。何せ皇室の私兵である玖錠が勝つことなど誰も望んではいないのだから。そんな態度をどこ吹く風で女は一切の気負いすらも無い。まるで霧のようだと竜胆は思った。
「いや、あれをただの女だとは思わないほうがいい。玖錠であり汚染者。高を括っていれば沈むのはお歴々の者たちかも知れぬからな。」
しかし、そんな六条たちの見解を的外れであると獅子吼は言う。大鳥と玖錠は縁が深い。ならば大鳥はあの玖錠の力をも知っているのだろう。
「では、獅子吼殿が見つけたあれは玖錠をも凌ぐものであると考えてよろしいのか?」
そして凶月と同じかそれ以上に異彩を放っているのは、玖錠のさらに横にいる金髪碧眼の男だった。それは諸外国で言えば騎士と呼ばれる者だった。身は軽やかに鎧の重さなど感じさせぬ足運びはその者もまたこの御前仕合に参加するに足りる実力者であることを際立たせている。
「ああ、よく見ているがいい。あれは出来る男だ。性格に多少の難があるが、そこにいる者たち総てを同時に相手にしても引けはとらんよ。」
「それは重畳。ならば獅子吼殿の自信の程お見せしていただきましょうか。さて、それでこれはどういうことですかな?烏帽子殿?」
出揃った七名は膝を突いた。そう一人が足りなかったのだ。
「放棄、つまりは征夷の将の伴侶となることを認めたということでよろしいのかな?」
「私は誰のものでもない。だが強いていえば国のものでその基となる民草のものだ。そしてこの身を預ける伴侶は真の益荒男のみだ。」
「ふむ・・・・」
要領を得ない回答ではあったが、冷戦は鷹揚に頷いて理解を示したようだった。
「よくはわかりませぬが、それで良いでしょう。我は我の思い行くままに」
「そうするがいいだろう。御身らに出来ることなどその程度だ。益荒男などどこにもおらぬわ。」
ふと、竜胆の脳裏に天子の顔が思い浮かんだ。自分が拒絶してしまった少女、彼女であればもしかしたら自分は自分の思いを預けることが出来たのか。今となっては分からないし、もう遅い。御前仕合は始まってしまっているのだから。
「ではこれより第一の比武を始める。」
今ついに血戦の火蓋が斬って落とされようとしている。
「西、皇主光明帝直属禁軍兵―玖錠降神流、玖錠紫織」
この組み合わせは公平を期するためにこの場での籤によって決まる。よって、龍明が名前を挙げるまでそれは誰にも分からない。
結果、第一番手から玖錠が出た。その対戦相手は誰になるのか、もっとも重要になる初回の一戦、その相手は
「東、蕹州大納言、中院冷泉公が一、石上神道流、壬生宗次郎」
ざわりと瞬間緊張が走り、それは戦慄という形で場に顕現した。
「―――――」
最初、竜胆には何が起こったかすらもわからなかった。いや、それはおそらく他の者たちも同じだろう。
「な、ん」
あまりにも突拍子がなさ過ぎて、あまりにも理解の範疇を超えていて起こった事態を認識するまでの間、脳に無限の瞬間が流れていた。
「石上神道流―丙の第三――首飛ばしの颶風」
壬生宗次郎の一閃が過剰なまでの血飛沫と共に神楽の開戦を宣言した。
「馬鹿な・・・・・」
ありえなさ過ぎて信じられない。何を考えているのか。そう言ったのは望月と六条。何故なら二人の選出した者たちは同時に宗次郎の一閃によって首を飛ばされていたのだから。
「ハッ―見事」
ただ一人冷泉だけが、愉快げに手を鳴らして喝采している。
「天晴れよ、武士とはそうでなければならん。開始の合図?対戦相手?知らぬ知らぬ聞こえぬ見えん。此処を何処だと心得ておる。戦場であろう。死に場所であろう。命を賭して武心を燃やす晴れの舞台であろうがよ。そうした場に立ちながら油断だ卑怯だ笑止千万。呆けられたかお歴々。ならば疾く思い出されるがよろしい」
常場戦場、それが武士の生き方であろうと可々と一人笑うは冷泉。
「貴様、冷泉!!」
「見苦しい、弁えられよ、ご老体。避けられぬ方が悪いのだ。ほれ、見てみるがいい。」
掴みかかった手を払いながら侮蔑の眼差しと共に冷泉は惨劇の場所を指差す。
「凶月、玖錠、そして異人。あれらは生きておるではないか。」
「・・・・・ッ!!しかし!」
「しかし、何ぞ?」
冷泉の強い語気に当てられて二人は萎縮した。
「まぁ良いではないか。これで雑魚がいなくなったのだ。俺と冷泉、そして玖錠に凶月、これだけ生き残っておれば上々。楽しもうではないか、真の御前仕合を。」
「そうだ、龍水!!」
竜胆は弾かれるように、彼女の良く知る人物の顔を思い浮かべ、惨劇の舞台へと眼を向ける。先ほどの攻撃が総ての人間に向けられたのであれば龍水にもその刃は向けられただろう。果たして龍水はどうなったのか。竜胆の視線の先には・・・・
「貴方、一体誰ですか?何故、龍水さんを庇うのですか?」
「さぁ、とりあえず、近そうにいた奴を守ったってだけなんだけど。後はこんな小さな子に刃を向けるあんたに少しばかり憤慨したからとか。理由は諸々。」
龍水の周囲には巨大な岩が抉られ、斬られていた。それが龍水の身を守ったことは竜胆から見ても明らかだった。
「名前を聞いておきましょうか、乱入者さん、貴方は誰ですか?」
その言葉に青い髪を後ろで結び、手に赤い剣を持った少女は高らかに宣言した。
「比那名居天子、遅くなったけど、神州御前仕合に参加させてもらうわ。」
「ひなないてんし・・・・?ああ、これも面白い天の導きってことか」
天子の高らかな宣言に獅子吼の呼び寄せた異人はニヤリと笑った。神州御前仕合。今よりその戦いが始まる。
第弐話了
次回予告
「僕が天下最強の剣士であることを証明するにはこの場の皆さんを皆殺しにしなければなりませんよね?」
宗次郎の一閃によって始まった御前仕合、都合六名の乱戦となるそれは混迷を極める。
「舐め腐りやがって、このクソガキがぁぁぁぁ、上等だぁ。ブッ殺してやらぁぁぁ」
互いの技能を振り絞りぶつかり合う。六人の益荒男たち。
「面白れぇ。親父が見込んだ女がどれ程のものか楽しませてもらおうじゃねぇか。」
そのさなか、天子に狙いを絞る異人の男、それに天子はどこか懐かしさを覚える。
「私が東征の将となる」
そして、竜胆もまた一つの大きな決意をその身に固める。その強きに意志に応えるのは
神上神座戦争第参話「睦月・秀真―神州御前死合―」
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