★ネタバレしても観る価値のある筆者の一押し映画の分析感想文集★
 批評は原則避けて作品をよりよく理解いただけるよう書いています。
 記事を読んで興味をそそられた映画がありましたら是非ご覧下さい。
 尚、重要な部分のネタバレはせずに書いていますのでご安心下さい。

【番外篇】祝ソチ開幕!五輪ドラマ映画・個人戦の巻

開催中の冬季五輪で初めてフィギュア・スケートに国別対抗チーム戦なるものが導入され、噂によると女子フィギュアを最後に放送したがった米NBC局の一身上の強いご要望で、個人戦よりも先に行われることになってしまったらしい。まずは個人戦に向けて備えたいだろう選手達の気持ちを無視して、こうした流れになったのは残念だが、浅田真央がトリプル・アクセルで転倒してしまったので、個人的には今回はチーム戦が先だったことを有難く思っている。だが、実はこのチーム戦が先とう構成には恐ろしい落とし穴があるのだ。転倒等のミスをした上で1位を逃した日本女子はとても幸運だったとしか言いようがない。ショートとフリーでほぼ完璧な演技をしながらも、2位に位置づけられてしまったイタリアとアメリカの女子選手らは、それがいかに悲劇的な状況を示しているかに気づいているのだろうか?フィギュア・スケートという競技はジャッジによる評価によって勝ち負けが決定するものであり、一度でも出された選手への公式スコアが次の大会で同等の演技をしたとして一気に上がることはまずない。つまり、今回のチーム戦で出されたスコアに矛盾しないスコアを個人戦で出さねば、どちらかの採点がミスジャッジだったということになってしまうので、ショートとフリー両方で1位だったロシアの選手がミスをしない限り、ほぼ完璧な演技をして既に彼女の下に位置付けされてしまったイタリアとアメリカの女子選手は、個人戦でも良い演技をしたところで勝てる見込みは既に無いも同然。浅田・鈴木の日本女子選手はむしろミスをして1位を逃したことで、ほぼ完璧な演技ができれば勝てる可能性を残せたのだ。同じ立場でもアメリカの選手はともかく、イタリアの選手はこのあたりを見極める経験値が豊富なので、彼女がこの状況をふまえて個人戦に臨まねばならないと思うとあまりにも憐れだ。こうした意味からも、やはりチーム戦は先に行われるべきではない。チーム戦があるいかなる競技でも、やはり選手達は個人戦での金メダル獲得を一番に望んで五輪を目指し続けてきたはず。選手達はそれぞれ違った個人の物語を背負い、最終的には一人で闘い抜くことになるからだ。さて、今回は1964年の東京オリンピック男子10000m走で、誰も予想していなかった優勝を見事に成し遂げたアメリカのビリー・ミルズという選手を描いた『ロンリー・ウェイ』(原題:"Running Brave"83年米)という映画を取り上げようと思う。この実話に基づいた物語の中には、文字通り一人で闘い抜いた孤高のアスリートの姿がある。ミルズは五輪での優勝以前に一時は大学生の頃にランナーとして注目を浴びもしたが、その後はスランプに陥り、何とか五輪出場選抜で代表入りを勝ち取ったが、誰からも期待されない中で五輪に出場した選手。その際にはコーチもトレーナーもおらず、レースを中継していたアメリカのアナウンサーさえ彼の名前をろくに覚えていなかった。加えてミルズには他の一般的なアメリカ代表選手にはなかっただろう、ある特殊な苦悩を乗り越えねば栄冠を手中にできない背景があった… 

runningbraveミルズはネイティブ・アメリカンのハーフで、貧しいインディアン保有地で生まれ育った。クロスカントリー走者としてスカウトされ、カンザス大学にスポーツ奨学生として入学したが、ネイティブ・アメリカンであることへの差別に耐え、彼には予想しえなかった白人社会の価値観に順応するだけで当初は苦労する。コーチのイーストンは自分の選手らを勝利に導くことに余念がなく、審判に見られないように他の選手を腕で弾くコツまで伝授するような人物だった。大きくリードして勝ちが見えていてもゴールまで力を抜かずに全力疾走しろというのは当然としても、背後から追い上げて勝利するのもダメ、勝利した後に他の走者へ励ましの声をかけるのもダメ…ミルズがそうだったように、この映画を観る側もイーストンの絶対勝者的思想には首を傾げたくなる部分が多いだろう。そもそもイーストンはネイティブ・アメリカンは良いランナーであっても、結局は途中で投げ出してキャリアを棒に振ってしまうものだと懸念していた。実際、彼が過去にそうした走者を何人かコーチしてきた経験からたどり着いた結論だ。一体どうしてネイティブ・アメリカン走者は長続きしないのか?それは作中でミルズ自身をも襲ったカルチャー・ギャップ等の問題があったからだと想像できる。ミルズは自分は絶対に投げ出さないと何度も主張し、やがてカンザス大学のスター走者になって行くが、そうした中でも新たな問題に彼は直面するようになる。一つは上手く白人社会に馴染み、パットという白人のガールフレンドもできた彼の生き方を、保有地の仲間達が認めてくれなかったこと。カンザス大学への入学が決まった当初は自分のことのように喜び、保有地の出世頭として自慢に思ってくれていた仲間達だったが、ミルズに招かれて彼の大学での生活を垣間見てからは態度が一変。彼らにネイティブ・アメリカンとしてのアイデンティティーを失ってしまったかのように責められ、ミルズは落ち込んでしまい、レースでも結果が出せなくなってしまう。もう一つの問題は、イーストンが彼をやたらとレースに出場させ、ミルズの意思とは相反する競い方を常に強要したため、いつしか走る喜びを感じられなくなってしまったことだ。ミルズにとって走ることは一に喜びであり、二にそれをもって保有地の家族や友達に誇りに思ってもらえることだった。その両方が失われてしまった時、遂に彼はイーストンに「俺も所詮は今までコーチが言っていた通りのインディアンの一人だったよ!」と言い残し、大学を辞めて保有地へ戻ってしまう。
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【番外篇】祝ソチ開幕!五輪ドラマ映画・チーム戦の巻

遂に2014年度冬季五輪がソチで開幕!フィギュア・スケートのオタを自負する私にとっては、映画に集中できるような心境ではなくなりつつある。とは言え、開幕したからと言って一番応援している浅田真央選手がすぐに登場するわけでもなく、待っている間は何もしないでいると一層落ち着かない。ので、応援する側としても気分が高まる五輪を題材とした映画を観ながらここ数日の夜は過ごしていた。長い映画の歴史の中で、著名なドキュメンタリーはそこそこあるものの、五輪をドラマ化した物語映画は実は意外と少ない。映画を通して物語として語り継がれるべき伝説的なドラマの数々が、これまでにいくらでも五輪で誕生してきただろうに ―― 五輪会場のセットの再現が難しかったり、大会会場の観衆の数だけエキストラを揃えるのが手間…と言った事情もあるのだろうか?客席の過半数を人形で埋め尽くして、バレないように五輪の会場を模した映画もあるらしいので、本当に意外とそうした単純な部分がキツイということでボツになっている五輪ドラマ映画企画は多いのかもしれない。しかも、ほとんどの五輪ドラマ映画がアメリカ産であり、やはり五輪を描く上ではそれなりの予算が当然必要だということが窺がえる。そして残念ながら、映画として突出した優秀な五輪ドラマ作品と私は出会ったことがない。まぁ、『クール・ランニング』(原題:"Cool Runnings"93年米)は可愛くて最後は泣けちゃったりもしたが… 

playerとは言え、カメラワークや編集が今一つでも、演出や台詞た多少ベタでも、充分ゴォーッ!と燃え上がれる五輪ドラマ映画は確かに存在する。五輪で起こった歴史に残るバトルを描いた実話に基づく作品は、内容が現実で展開していた際にリアルタイムで観戦していた方々同様に、観る者に手に汗握らせて主人公らを応援させてくれる。大概の場合は勝負の結果は観る前から分かっているのに不思議と言えば不思議だ。そのような気分になれる一つの大きな要因は、本物の五輪では試合や大会のみを観るわけだが、映画では選手らがそこに至るまでに積み重ねてきた努力、払ってきた犠牲、味わってきた精神的葛藤等をも観られるという点だろう。五輪を目指すアスリート達にとっては、開会式より遥か以前から闘いは始まっているのだ。ほとんどの選手は何年もの月日をかけて、オリピアンを目指す…のだが、今回ご紹介する映画『ミラクル』(原題:"Miracle"04米)の主役である米代表五輪アイスホッケーのチームはたったの約7ヵ月弱しか五輪までに準備期間がなかった。1979年、ミネソタ大学でアイスホッケー・コーチを務めていたハーブ・ブルックスは米アイスホッケー協会委員の面々に、弱体化してしまっていた米アイスホッケーが翌年に自国で開催されるレークプラシッド・オリンピックで好成績を残すためには、選手選びから闘い方まで全てを一新する必要があると説いていた。プロのオールスター・チームのような人選の仕方では、選手は個人プレーに陥りがちなので、メンバー同士に相性に重点を置き、選手各自がそれぞれの能力をチームとして発揮できるようにするべきだと彼は言う。結果として五輪米代表チームの責任者に選ばれたブルックスは、一週間かけてじっくりと選手を選ぶべく協会がトライアウトのために米各地からアイスホッケー歴のある若者を大勢参加させたにも関わらず、軽く一日だけ実技を眺めて即座に26名の選手を代表チーム候補者として選んでしまった。協会はこのやり方に難色を示すが、ブルックスはあらかじめこの26人のビデオや会場で繰り返し観てはプレーの傾向や性格までをも分析していたのだ。それでも26人は飽くまで候補。6人はメイン・メンバーは控えに過ぎず、以降の練習について行けない者は無情にもその一人として切り捨てられて行くのだ。そうしたプレッシャーを感じさせながら各プレイヤーの本気を導き出すことが、ブルックスの当初からの狙いであり、いつ除名されてもおかしくない苛酷な軍隊さながらの訓練が展開されて行く。続きを読む

The Conjuring / 死霊館(13年米)

conjuringありきたりな幽霊談の戦慄心理トリック

『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(原題:"The Blaire Witch Project" 99年米)を観た時、実はPOV(Point of View)とモキュメンタリー形式で描かれた作品以外のホラー映画には未来がないのではないかと感じた。登場人物と同視点からの体験を強いるPOVカメラは恐ろしい物を映し出さなくとも、視界に何かが飛び出してくるかもという恐怖感で観る者を縛りつける。モキュメンタリーは他のドラマ映画と何ら変わらぬフィクションでありながら、敢えてドキュメンタリー・タッチで構成することにより、同様に恐ろしい物を映し出さなくとも、本当に起こったか本当に起こっている出来事のように観る者にリアリスティックな疑似恐怖体験をさせる。何れも頭ではトリックだと分かっていても、設定にそれなりの説得力があれば観客をまんまと恐怖のどん底に落とす効果絶大だ。加えてPOVモキュメンタリーはリアリズムが最大の武器なので、観客を震え上がらせるためにさほど優秀な脚本も必要ない上、かなり低予算で作ることが可能。出演者が無名であるほど演技している俳優を観ているという感覚は失せるし、ストーリーの筋が通っていなくても、オチが組み込まれていなくても、それをもって作品はより現実味をおびるからだ。お化け屋敷的に無暗に客を驚かせて怖がらせるだけのPOVモキュメンタリーが『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』成功の後に量産され、かなり質の低い作品が多いことは残念だが、POVモキュメンタリー・ホラーの可能性はまだまだ無限にあり、真面目にさえ作れば最低限でも、何がいつ、どのようにして飛び出してくるか予測不能な不安を促すシチュエーションを生み出すことはできるだろう。一度でもよくできたPOVモキュメンタリーを観てしまったら、古典的なドラマ形式で恐怖を追求した作品からは、‛所詮は映画’という印象を受けざるを得なくなるだろうと、ほぼ確信していた。が、しかし…これはとんでもない間違いだった。

少し前に『死霊館』(原題:"The Conjuring"13年米)というホラー映画を観た私は、いい歳して我ながらつくづく恥ずかしくなるほど恐怖に慄き、しかもその後数日間は真昼間でも一人で自宅にいるだけで怖いという悪夢のような毎日を過ごす破目に。正直なところ、‘死ぬ前にこれだけは観ておけ’と題して紹介する映画に、この手のただただ観客を怯えさせることを目的としたホラー映画を含めることはまずないだろうと当初予想していたが、大の大人を、しかも大概のホラー映画でいかにおぞましい描写を見せられても‘所詮は作り物’と受け流せる自信満々だった自分を、ここまでビビらせてくれたことに敬意を表し、かつ、一人でも多くの方に自分が味わったのと同等の恐怖という拷問を受けていただきたいので、死ぬ前に観てくださるよう取り上げることにした。ビックリ形式の怖さもある作品なので、そうした部分はネタバレしないように気をつけながら、まずは作品ならびに物語についてざっとご紹介を…

『死霊館』というかなりふざけた邦題を哀れにもつけられてしまったこの作品は、『ソウ』シリーズ(原題:"Saw"04~10年米)で最も抜きん出ていた第一作目の監督・原案を務めたオーストラリアのジェームズ・ワン監督の幽霊・悪霊モノ系ホラー映画。尊敬する監督はデヴィッド・リンチ(多分に初期)、ダリオ・アルジェント、そして日本では塚本晋也という、ホラー街道をまっしぐらに驀進してくれそうな映画作家だ。『ソウ』シリーズには二作目以降からは主に製作総指揮という形でのみ携わり、『デッド・サイレンス』(原題:"Dead Silence"07年米)や、そこそこヒットした『インシディアス』(原題:"Insidious"11年米)を含む小粒なホラー映画の監督業に励んできた。『インシディアス』でもスタンリー・キューブリック監督の『シャイニング』(原題:"The Shining"英米合作)を彷彿とさせる雰囲気を見事に小規模ながら低予算で再現し、幽霊・悪霊モノ系ホラー映画作家としての頭角を現していたが、それは主に作品前半だけにとどまり、惜しいことにラストに近づくにつれて‘所詮は作り物’感覚が増して恐ろしさは激減してしまったと思う。その翌々年にワン監督が発表した『死霊館』は、『インシディアス』のそうした未熟な点を見事に克服し、前半で効果的だった恐怖効果もパワーアップさせた完成度の高い作品だ。BGMは控えめにして‘その場にいる’感を強め、物静かな中だからこそうるさいほどのショッキングな効果音はかなりのインパクトがある。カメラは全編通してではないものの、シチュエーションに応じてドキュメンタリー・タッチに切り替わり、正統派ホラーでありながらリアリズムの追求も放棄していない。そこそこ知名度があり演技力は確かだが、あまりにも有名な役者の起用も当然のように避けており、予算上の関係等で仕方なくそうしたわけではなく、物語よりも役者の存在が大きくなり過ぎないよう意図的で適切なキャスティングもなされていると思われた。そして何より、恐ろしいイメージが流れる場面もあるが、それが映し出される以前から既に観客を戦慄状態に追い込むことに成功している点が称賛に値する。けれども、この映画…はっきり言って筋書は笑ってしまうほどありきたりなお化け屋敷話なのだ。

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ちょっと気づいたこと…

omoidasitakoto先日、15年を共に暮らしてきた愛猫が老齢と腎不全が原因で他界しました。大小種別関わらず、動物と一緒に生活された御経験のある方々なら、この事実が人間の家族を失うことと同様なほどに苦しく、悲しいものだとご理解いただけるかと思います。

この猫は私が独身の頃に譲り受けました子で、考えてみますと旦那とよりも同じ屋根の下で長年過ごしてきました。子供がいない私にとっては、腹を痛めて産んだ命に最も近い存在…独身の頃は自分はもう一生結婚することはないだろうと思って生きており、その子が可愛くて仕方なく、生涯独身でもふたり一緒にいられればそれでいいと強く感じてました。

その子が痛みと闘い抜いた末にあの世へ先に行ってしまい、自分の一部が削り取られてしまった想いです。立ち直れるまで、それなりに時間がかかることでしょう。特に沈黙の中にいると、その子を失った淋しさが波のように押し寄せて来るので、何事にも大して集中できませんが、少しでも気を紛らわせるために音楽を聴くようにしています。

この愛猫と過ごせた多くの想い出の中で、何故か激しい雪の日にまだ幼かった彼女を抱いてふたりで窓の外を眺めていた時のことが、ここ数日やたらと頭に浮かんできます。当時私は自宅事務所でできる仕事をしていたので、そんな大変な天候の中でも出勤されなければならない方々と違って、愛猫と共に温かい家の中にいられることをとても幸運だと感じ、私の猫は生まれて初めて目にする雪をたいそう不思議そうに興味深く見つめていました。

その時のことが何かと頭に浮かぶので、映画『砂の器』の「ピアノと管弦楽のための組曲~宿命」ばかり繰り返し聴いています。大雪と考えるとすぐに思い浮かぶのが、『砂の器』で病故に故郷から追い出され、吹き荒ぶ雪の中を旅する主人公親子のシーンだからです。メインの旋律が悲しげなものなので、敢えて悲しい曲を聴き、結局は泣いてばかりいますが、そんな中、『砂の器』に関して長年今一つ納得がいかなかった部分がようやく理解できるような気がしてきました。

故郷を追われた親子は、旅先でも疎まれ、重い病を抱えた父と幼い息子にとって、さぞや辛かったものと『砂の器』を観て感じたものでした。彼らはやっと心ある駐在夫妻と出会い、父は療養所へ行けるよう手配してもらい、息子は夫妻が引き取って育ててあげることとなります。どう考えても、そうすることがこの親子にとって最良の展開のように思われました。駐在夫妻は我が子のように愛情をもって息子を世話してあげていましたし…最早、野宿しながら放浪し続けず、温かい布団で眠り、食事も普通にできて、彼は可愛がられていたのですから。

しかし、どうしてかしばらくすると息子は駐在夫妻の家からこっそり逃げて行ってしまうのです。必死に捜す駐在夫妻の姿を茂みから覗き見ながら、息子は涙を流していたので、彼らが与えてくれた愛情は充分本人も感じ取っていたことと思われます。それでも息子は二人のもとを去って行き、作中ではそれから何年も後までの彼の消息は最後まで不明のまま。「実の父親恋しさからか…?」というような想像が、息子の失踪の理由について他の登場人物の台詞で登場しますが、やっと安心して暮らせる場所を捨てて再び、しかも今度は父と共にではなく、幼い子供の身一つで旅路を選んだ息子の心境…この部分こそ、私が今までずっとピンと来ないと言うか、とにかく少々理解しがたい部分でした。

けれども、『砂の器』の「宿命」を聴きながら、何度も愛猫と大雪を見ていた時を思い出しながら、ようやく理解できたように思います。最初は、愛猫との日々を思い出すにあたって、何故にあの大雪を見つめていた瞬間が一番彷彿とされるのか?その理由に気づけたからです。

その時は大して意識していませんでしたが、愛猫と過ごした中で、共に雪を見つめていた瞬間こそ、私は最も幸せだったからなのだと認識しました。それで、ようやく気づいたのです。『砂の器』であの親子が周囲から疎外されつつ、厳しい寒さや多分にひもじさにも耐えながら各地を放浪していた頃…それでも二人は決して不幸ではなく、むしろ幸せだったのだと。独身の頃の私はずっと独り者でもいいと考えつつも、やはり淋しさもあり、愛猫を里子として譲っていただきました。仕事は当時かなり上手く行っていましたが、何せフリーランスでしたので、いつ仕事が途絶えてしまうかや、老後はどうなるのだろうという不安にも常時かられていました。それでも、愛猫といるとそんな気持を忘れて、とてもとても幸せでいられたのです。『砂の器』の親子も旅する中で同じ気持ではなかったかと思うようになりました。

故に息子は駐在夫妻の家を出て、父を捜し、また二人で流離いの旅を続けることを望んだのでしょう。単に父に会いたかっただけでなく、また二人だけで、いかに厳しい状況下でも旅する生活に戻りたかったのだと思います。結果的にそれは実現せず、二人はその後永遠に再会できないまま物語は終わってしまうのですが…息子は大人になって売れっ子作曲家となり、映画のラストで魂を込めて書きあげた、「ピアノと管弦楽のための組曲~宿命」のお披露目コンサートが行われます。曲の演奏と共に、彼が父と幼き頃に続けていた旅の模様が流れます。その中で、親子が二人で笑い合うシーンも一つだけ含まれていますが、他は全ていたる場所で追い払われ、玄海に沿って雪の中を凍えそうに歩いたり、息子が通りすがりの村の子供達に苛められたりする、憐れな映像が主でした。

なので、私は「ピアノと管弦楽のための組曲~宿命」という曲は息子がそんな辛い旅を強要された父と自分の悲しい「宿命」を表現した曲だと理解していましたが、それは間違いだったと今は感じています。悲しげな旋律の合間にも、「ピアノと管弦楽のための組曲~宿命」には穏やかで美しい箇所もたくさんあり、全体的に悲しくても冷たい曲では決してない…恐らく息子にとってこの曲は、自分が父と過ごした人生で最も幸せだった日々を表現したものだったのではないでしょうか。悲しい旋律の部分は、その旅の苦しさを表現しているのではなく、その旅の日々を失ってしまった悲しみを表現していたとしか思えなくなりました。

以前、当ブログで『砂の器』を取り上げました際に、野村監督が台詞無しに「ピアノと管弦楽のための組曲~宿命」だけを流しつつ、親子の旅の様子を映像で観せる手法を選ばれたのは、作中で「その旅がどのようなものであったかは、二人にしか分からいもので、私達は想像することしかできない」という意味合いの台詞を他の人物に語らせた後、曲を演奏している際の息子の記憶であると同時に、他の人物や鑑賞者が想像している二人の旅として挿入している気がすると記した記憶があります。なので、あの親子が旅の最中でいかなる心中であったかは、観る人それぞれの受けとめ方に委ねられているのでしょう。

私は楽しい一時もあったけれど、概ね二人の旅は酷く辛いものだとばかり感じていました。でも、今は逆に辛い時もあったけれど、概ねとても幸せだったものだと想像しています。「ピアノと管弦楽のための組曲~宿命」は成長した息子の最も幸せだった当時への郷愁と、その幸せとの別離への悲しみを表現した曲だったのですね。

死であれ、何であれ、どのような形でも愛する存在と引き離されてしまうことほど、身を引き裂かれるようなことは滅多にないでしょう。『砂の器』の息子は、何れ身分を偽り、裏で罪を重ねつつ、作曲家となり、「ピアノと管弦楽のための組曲~宿命」を完成させます。終ぞ父と再会できることなく、生き続けた彼は、それでも父とのあの旅の日々を求め続けて、音楽の中でそれを再現して疑似体験するためだけに作曲家になったのかもしれません。「彼はもう音楽の中でしか父と再会できない」というような台詞も、それを裏付けるように他の人物が語ります。

私ももう、想い出の中でしか他界した愛猫とも、近年亡くなった母とも会えません。その想い出も、頭に浮かぶほど涙をそそられてしまいますが、何れは死による別れの悲しみ以上に、一緒に過ごせた年月に感謝しながら、幸せなものとして想起できるように時間が癒してくれると思います。

当たり前ですが、歳を重ねて様々なことを経験すればするほど、以前は理解できなかった映画等における人物らの気持が分かるようになるものですね。だからこそ、上映が終わっても、読了しても、聞き終えても、物語というものは永遠に命を保ち続けるものなのですね。ベタな表現ですが、すべての人の一生も同様に永遠の物語なのでしょう。愛する相手や信じる相手さえいたのなら、例え後に辛い別れがあろうとも、悲しみ一色だけの人生という物語などないのでしょうね。

切実なお願い…(涙)

googleふと気が向いて、久々に当ブログのアクセス解析等の情報を覗いてみました。今月に入って一気に映画とは何ら関係ない怪しげな商業まがいのトラックバックが増えていたからです。その結果…長きに渡って更新をお休みしていると言うのに、何故かアクセス数は維持…と言うより、むしろ上がっている!?という、不可思議な事実にようやく気づきました。しかし、何故に?嬉しい驚きではありましたが、何故にそうなっているのか全く理解できませんでした。

自分なりに想像できる範囲では:
1.Livedoorブログがたまたまお勧めブログとして私の知らぬ間に当ブログを紹介してくださった。
2.どこかの人気映画ブログの主様が奇特にもわざわざ当ブログへリンクしてくださった。
3.Livedoorブログのアクセス解析にバグが発生している。

以上の3つの理由くらいしか思い浮かびませんでした。しかし、リンク元も調べてみますと、ほぼ全てGoogleまたはYahooサーチの検索からばかりで、1と2説はあり得ないことが判明。加えて、そうした検索で「死ぬ前にこれだけは観ておけ!」という当ブログのタイトルは全く使用されていない様子。別段、当ブログの知名度がアップしたわけでも何でもないのは明確でした。謎は深まるばかり…捜査は行き詰まってしまいました。

「少しはお前の足りない脳味噌を使うのです、このバカ女!」と、ダリアンちゃんに叱責されてもいたしかたない有様で…(超マイナーなアニオタ・ジョークなので分からない方は無視してください)

それでも気になり、迷探偵活動続行…よくよく見ますと、大手サーチエンジンから当ブログに辿り着かれた方々は、過去に私が取り上げた映画のタイトルで検索されていました。上位は『ソナチネ』、『ガタカ』、『アマデウス』、『レザボアドッグス』、『リトルミスサンシャイン』、『レクイエムフォードリーム』、『マレーナ』、『下妻物語』…以下諸々。中でも群を抜いて『ソナチネ』が多く、あらためて北野映画の人気の高さを実感しました。ファンとしては喜ばしい限りです。

そんなことを思いつつ、自分も他のブロガーの方々が『ソナチネ』についてどのように書いていらっしゃるのかと興味を、これまた久々に刺激されたもので、即Googleで「ソナチネ」と打ち込んで検索してみました。あ!ブログ限定検索にすべきだったかな?まぁ、いいや…と普通に検索。

…してみましたら…してみましたら…してみましたら…

何これ?何の冗談?この検索結果の表示順って…私が私のマシンでググったからってこと?Googleが私への大サービスとして、私にだけはこういう順番で検索結果を表示くれているだけ?いつからGoogleって、そんなに優しいサービス開始しちゃったの?いや、別に株主とかでも何でもないし…確かGoogleは基本的にクリックが多い順に検索結果を並べているはずだったと思うし…ブラウザ壊れた?マシン壊れた?って言うか…

どうして私の『ソナチネ』分析記事なぞが検索結果最初のページの上位に表示されてんのーっ?????しかも、アマゾンのDVD販売やYahoo映画やMoviewalkerの『ソナチネ』ページよりも上?????何この異常現象?それともこれは、人生で初めて体験する超常現象?

試しに旦那のマシンでもググってもらったけれど、結果は一緒…
でも、きっと同じ回線だからですよね?
これって単に、ウチからは私の記事へのアクセス回数が多かっただけだからの現象ですよね?
私は自分の記事は極力読み返さないようにアクセスしてませんが、旦那がトチ狂って日頃は滅多に見せない同情心から毎日密かにアクセスしてるからとか、そういうことです…よね?
と、思いつつ…念のため「ガタカ」でもググったら、私の『ガタカ』記事が何故かWikipediaの次に表示されてしまってる…何故?Googleのサーバだか何だかがイカレちゃってるんじゃないの?

何故に?何故に一推定知名度極めて低い一平凡庶民によるブログ記事などが映画タイトルの検索結果で上位に表示されてしまうの?ウチの回線でググった場合だけにしても、こんなじゃダメダメじゃんGoogle!使い物にならないでしょうが!なのに、試しに他の検索アクセス上位の前述映画タイトルでやってみても概ね同じ結果…?????

「スゲーじゃねぇか、今のうちに喜んどけ」と旦那は暢気にどうでもよさそうに言い、翌日仕事先のマシンでググっても同じだったとの報告をくれました。私にはまだ何かの冗談というか、新手のイジメというか、どこぞの悪の組織が何らかの陰謀に私を巻き込もうとしているみたいな気分にしかなれませんが…本当に全てのGoogleユーザーにほぼ同様の検索結果順が表示されているとしましたら、それでも有難いことに変わりはなく、何故に更新していないのにアクセス数が多いのかは解明できたような気がしますが…でも、気分的には超迷惑。

何故なら…検索で上位に表示されるほどそんなに御大層な記事を書いたっけ?と、恐る恐る自分の記事を少々読み返してみました。すると推測していた通り…誤字脱字、「てにおは」の使い間違い、その他数多のミスが目に飛び込んできて石化してしまいました…『プライベート・ライアン』記事に至っては、最初に「ライアン二等兵」と記しながら後に「ライアン一等兵」とまで記述している情けない始末…幾つかの記事を読んで、もうそれ以上はとても読み返す気になれませんでした。先生に赤ペンで添削されまくるような小学生の下手な作文も同然…

恥ずかしーっ!マジで、恥ずかしーっ!

一応、アップする前に一度はプルーフ・リーディングみたいなことをしいてたつもりだったのに…なのに、こんなミスだらけの記事をネットで公開していたなんて、ガクプル…昨晩から本日にかけて、私はそのショックで頭が一杯でした。ここに至っては、ググって適当にアクセスしちゃったものの、読み辛そうな長文ということで、ほとんどの皆さんが実際に過去の記事を読んでくださっていないことを願うばかりです。

なので皆様、当ブログの過去記事は読まないでください!どうか、お願いします!

今は体調が相変わらず芳しくなく、病弱軟弱状態なので、過去記事のミスをきちんと直す気力も体力もありません。早く元気になって、番外編抜かして「これだけは観て」映画を総計100本取り上げたら終了して、日本全国に数え切れないほどあるブログの中へと埋もれて忘れ去られて欲しい…と言うのが、現在の正直な気持です。ついでに、誤字脱字チェックを手伝ってくれていた、役立たずの旦那もくびり殺してやりたい気分です。そもそも、「俺、文章書けねーも~ん!」なぞと平然と言ってのけちゃうような旦那なんぞに、チェックを頼んだ私が正真正銘の馬鹿でした。

と申しますわけで、偶然にも当ブログの何らかの記事にアクセスしてくださってしまった皆様、誠に有難うございますが、アクセスしてしまわれた記事を読んでしまったとしても、どうか他の記事は読まずに、速やかに他の映画ブロガーさんのサイトへとご移動くださいませ。冗談で言っているのではありません。Googleに連絡して私のブログを検索結果から一掃してくれるよう頼もうかとも検討しています。

それほど、死ぬほど、恥ずかしいのです…
本当に、誠に、心底、恥ずかしいのです…分かってください(涙)。

これまでの人生において、数々の恥を既にさらしてきました。これ以上はさらしたくありません。せめてあと一年くらいは…その間に何とかミスを頑張って修正しますから…読まないで、お願い~~~~~!「偉そうなことほざいてるくせに、文章力てんで無しの屑ブログがあるぜ」とか言って、周囲に拡散するようなこともしないでください。そうすることはイジメです。イジメはいけません。皆様、イジメはやめましょう。今まで手前勝手な分析やら感想をダラダラと記して、ごめんなさい。謝ります。今後、更新を再開する際には、より謙虚な姿勢で書きますから、どうかお許しください。

とにかく、検索で見つけても当ブログの過去記事は読まないでください!読まないどころか、リンクをクリックしないでください!各記事が検索結果の下部に落ちてくれるよう、どうかご協力のほどを宜しくお願い申し上げます!冗談でも何でもありません!本当にそうしてください!

ブログしばし休止のお知らせ

owabi家庭の事情と体調の不調により、しばらくお休みさせていただくことに決めました。
いつも、多くの方々に自分の駄ログをお読みいただき、心の底から大変感謝しております。また、近いうちに更新を再開できるよう努めたいと思います。

【番外篇】【映画個人史】【特別篇】を別として、最低でも100本までは責任もってお勧めできる映画を分析紹介するつもりでおりますので、再開のおりにはまた何卒よろしくお願い申し上げます。

【特別篇】これだけは観ておけ米ドラマ(5)

子供の頃、初代『スター・トレック』(原題:"Star Trek" 66~69年米)シリーズの再放送をアメリカで繰り返し観た。特に好きだったからではない。ちょうど学校から帰宅する頃に放送していたので、外で友達と遊ぶ予定がない日は何となく観てしまっていただけ。けれども、このパターンは私以外の子供達にも該当していたようで、初代『スター・トレック』を一度も観たことがないような子供は、70年代のアメリカにおいて一人もいなかったのではないかとすら思う。リアル・タイム放送でなかったからこそ、幾度となくこのシリーズは私がアメリカにいた四年の間に再放送をし、再放送が終了したかと思うと、すぐにまた少しだけ時間帯を変更して新たに同じ初代版の再放送が始まる…要するに、当時は平日ならばテレビで初代『スター・トレック』が放送されない日はなかったような印象さえ与えられたものだ。面白いエピソードもあれば、子供にとっては怖いエピソードもあり、ゴールデン・アワーになるとリアル・タイム放送されていた70年代ならではの、より進化したSF番組も多々あったものの、それでも当時の子供達は初代『スター・トレック』を何故か観てしまうのが常だった。

51Y-GNYIFsL__SL500_AA300_しかし前述した取り、私は初代『スター・トレック』をそんなに面白いとは思えなかった。後年になって幾つかのエピソードを観返してみたら、意外にも本格SFチックな話も多く、小学校低学年だった自分にはちょっと理解するには難しい内容だと感じた。しかし、同級生でも男子なら何だかんだ言いながらも、ほぼ誰もが『スター・トレック』の大ファンだったのが不思議だ。図画工作の授業で好きな絵を描けと言われれば、何人もの男子が『スター・トレック』に登場するUSSエンタープライズ号らしき物体を(アメリカの子供は概ね絵が下手なので訊ねるまでは確信できなかったりする)、銀色か灰色のクレヨンで画用紙に塗りたくっていた。ちょっとヤバイ男子ともなると、‘プシュー’とか‘キュイーン’等の効果音や、果ては ‘Beam me up, Scottie! (転送してくれ、スコッティー!)’、‘Live long and prosper! (長寿と繁栄を!)’などの決まり台詞を口にしながら描いてまでいた…不気味な光景だ。しかし、映画『スター・ウォーズ』(原題:"Star Wars" 77年米)の登場によって、初代『スター・トレック』熱は大分治まり、男子の多くは徐々に60年代の画期的なSF番組は古いと感じ始め、やがては興味を失う者も多かった。とは言え、『スター・ウォーズ』を経てもなお、ミスター・スポックという人間よりも遥かに進化している尖った耳を持つバルカン星人(初代『スター・トレック』で一番人気があったエンタープライズ号の乗組員)の写真付きTシャツで登校する男子がいれば、‘スポックはクールだぜ!’だのと周囲は反応するものだった。簡単に言ってしまえば、70年代の日本の子供達にとっての『宇宙戦艦ヤマト』的な番組のようなもの。特別面白いわけでもないのに、子供達はその世界にすっかりハマってしまい、初代『スター・トレック』の登場人物、有名なエピソードや台詞、テーマ曲等は当時の彼らにとって完璧に一般常識と化していたのだ。それでもやはり、何がそんなに魅力的なのか個人的には全く理解できなかったことを確と記憶している。

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