600full-malena-poster少年は女の心を見守り男になる

映画ファンの方々には叱られそうだが…ジュゼッペ・トルナトーレ監督の『ニュー・シネマ・パラダイス』(89年伊・仏合作)には大いに泣かされたものの、本音を言うなら少々苦手な映画でもある。劇場公開された日本版は、海外で公開されたものと比べてかなり縮小されており、それもあってか当時の我が国内では絶賛の嵐だったことは承知しているが、あまりにも泣かせようとする魂胆がありありと分かり、それに乗せられながらも、やり過ぎだった印象が否めないからだ。だが、同じ監督の作品でも『ニュー・シネマ・パラダイス』ほどは泣かされなかったものの、私は『マレーナ』の方が数段好きだ…愛している、と言ってもいい。泣かされはしなくとも、シンプルな感動以上に想像し得なかった深い感銘を受けたからだ。『マレーナ』はタイトル・ロールのモニカ・ベルッチ演ずる美しい女性の第二次大戦当時の半生を、彼女に憧れては恋焦がれる一人の少年・レナートの視点を通して描かれている。はじめは仲間の少年達同様に、彼らが住むシチリア島の艶めかしいセックス・シンボルとしてしかマレーナに興味を抱いていなかったレナートだが、彼女の夫が戦死したとの訃報が届いてからは、悲しみに包まれた彼女の繊細な人間性に触れ、やがて心から彼女へのより深い理解をもって、プラトニックではあるが真摯な愛情に目覚めて行く。映画としては観客もレナートの眼を通し、女神のような麗しい顔と抜群のプロポーションを持つマレーナに対し、そうした彼女の上辺の姿以上の純粋な人柄を見出すことで、彼女の知らないところでその喜びや悲しみを分かち合う構成になっている。レナートはマレーナを高嶺の花として常に距離を保ちつつ自分の存在を知らせることなく彼女を傍観するだけだが、それでいながら彼女の家を覗き見したり、こっそりと尾行する等して、ストーカーすれすれの行為を繰り返す…だが最後に一度だけ、マレーナを救うために‘ある行動’を起こす。それはほんの些細なものだったが、その後のマレーナの運命を大きく変えるきっかけでもあり、同時にレナートが少年から一人前の男への道を歩み出す第一歩でもあったと思う。

untitledレナートが住む町の人々は、彼のそうした精神的成長に反比例するかのように、マレーナを蔑んでは冷酷な仕打ちの数々を彼女に与えて行く。前半で少年達が蟻にレンズで太陽光を当て、暑さでのた打ち回らせるシーンは、マレーナがジワジワと周囲によって不幸にされて行く様子を象徴している。少年達の間でマレーナが性の対象としてしか見られていなかったのと同様に、町の男達も未婚・既婚を問わず以前から彼女を欲望露わな視線でしか見つめていなかった。必然的に男達の妻達は、マレーナに嫉妬して忌み嫌い、故に彼女には心を開ける同性の友人が一人としておらず、前半ではただひたすら戦地から最愛の夫が戻ることを待ち望んで暮らす、孤独な女性でもあったのだ。そんな彼女の夫が戦死したと知っては、嬉しさを隠そうともせずに‘これで思う存分、手が出せる’と町の男達がニヤつく中、あまりの悲哀に寝込んでしまい、声にもならないすすり泣きを上げていたマレーナの姿に気づいていたのはレナートだけだった。それまではマレーナに誘惑されるという甘美な夢想にばかり耽っていた思春期はじめのレナートだったが、ここで彼は彼女を悲しみから救い出すという、今までに無かったパターンの空想を思い描く。かつてマレーナは彼にとって、己の美を自覚した誇り高き天女のような存在だったが、そんなマレーナにも人間の弱さがあることを目の当たりにしたレナートにとって、彼女の涙はさぞや衝撃でもあっただろう。それ以降のレナートは、相変わらずマレーナとの夢のような一時の夢想を繰り返しつつも、現実の彼女に対しては、以前のように彼女の上辺だけを見ては堪能するに止まらず、彼女がいかなる場面で何を思っているのかを感じ取らずにいられなくなってしまった。


G845307181232マレーナに言い寄る男達は少なくなかった…ロマンチックにアプローチして彼女の淋しい心を掴みかけた者もいれば、強引に関係を押し通した者と様々。だが、その誰もが最後には彼女を見放し、マレーナの心はその度に傷を増して行くのだった。レナートはそうした経緯を見ては、そんな男達に激しい憎悪を抱く。自分が恋する女性を真に愛する者がいなかったことを都合良しとすることなく、マレーナに辛い思いをさせる存在に彼のピュアな心は憤るばかり。だが、それに反して町の他の男達は‘これでつけ込むチャンスがまた到来’という身勝手な考えを持つばかりで、彼女を本当に癒してあげたいなどという者は終ぞ現れなかった。逆に彼らは夫が戦死したというのに、早くも別の男達と関係を持つようになった彼女に対し、自分達の情欲とは裏腹に、妬みもあってかマレーナを罵り始めもする。そんな日々が続く中、町の学校教師だったマレーナの老いた父親の自宅が空襲され、彼女は残された唯一の身内までをも亡くしてしまう。もともとはマレーナに優しかった彼女の父親だったが、実はそのしばらく前から町に流れる彼女についての根も葉もない悪評にすっかり騙され、彼は非情にも彼女を拒絶し続けていたのだ。ここでも、レナートだけは知っていた…父親に誤解され、マレーナが老教師の実際の死よりも前から父親を失ってしまっていたことを。それからはマレーナを正しい意味で気にかけてくれる存在は、最早レナート自身しか居なくなってしまったことを…父親の葬儀で数多の男達が‘力になれることがあったら、是非頼ってくれ’とのようなことを、次々と再び喪に服したマレーナに囁きかけるが、絆を取り戻せることなく父親が他界してしまった絶望感と、それまでに体験した男達の裏切りが仇となり、よもや彼女の心に響く言葉はその中に一つとして存在しなかったはずだ。

malena1やがて夫と父親を亡くしたマレーナは、ただでさえ戦争で物資が少ない中、収入も無かったため、困窮の末に娼婦に身を貶めてしまう。町の女達からは除け者にされ、女房がいる手前で彼女を雇ってくれる奇特な商売人など居るはずもなく、春を売ることでしか生きる糧を得られるはずもなかったので仕方ない。黒くて長い美しい髪を、短く切ってはカールして赤く染めて、それをもって自分が肉体を商売品にしたことを示すように、町の広場に姿を現しては煙草を口にしたマレーナに、我先にと男達はライターで火を差し出した。客はいくらでもいる…彼らが望み続けた女、つまりは金さえ出せば欲望を満たせる手軽な存在へと変貌せざるを得なかったマレーナの眼差しは、死んだように氷ついていた。これは、この映画の中で最も胸が痛むシークエンスの一つだ。町の女達は、‘今までは慎ましやかなふりをしておいて、結局中身はいかがわしい女だった’と、一層彼女を悪く言うようになる。そんな町の住人達のご期待に応えるかのように、自暴自棄になったマレーナは遂にはドイツの将校達までをも客として取り始める。彼女がいる高級娼館で、どんなおぞましい饗宴に彼女がナチス隊員たちと繰り広げているのかを想像しつつ、レナートだけは彼女が決して好きでそうしているのではないと信じ続けようと必死だった。それでもレナートの心は、恐らくその時点でマレーナの心もそうだったように、あまりに残酷な彼女の選ばざるを得なかった道を知っては、脆くも砕け散ってしまう。それまでは元気だったのに、突如として呆然自失状態に陥ってしまった様子を心配するレナートの母親に、父親は何が問題なのかを承知していると言い、‘任せておけ’と残しては、何と以前から御用達だったらしき売春宿へと、息子に初体験をさせに連れて行く(このイタリアンな感覚には少々、度肝を抜かれた)。そこでレナートは、以前のマレーナの面影が少しだけある、黒い長髪の娼婦を選んでは、彼女をマレーナとして思い描きながら相手をしてもらう。この初体験はしかし、レナートにとってはコール・ガールになってしまったマレーナの現実を受け入れ、彼が憧れていたかつてのマレーナへの別れの儀式でもあったと私は解釈している。

MALENA02それから月日が経ち、父親の‘妙薬’が効を成したのかレナートは何とか生きる気力を取り戻し、やがて戦争は終焉を迎えた。解放感に町は狂喜する。しかしその一方で、戦争がために溜まっていた鬱憤が、一気に爆発する場面もあった…ナチス相手に荒稼ぎしてきたマレーナを町の女達が広場へと引きずり出し、壮絶なリンチにかけたのだ。マレーナは娼館から下着姿で連れ出され、髪をむしり取られ、流血するほどの暴力を受ける。久方ぶりにレナートが見たマレーナは、目を背けたくなるほどの悲惨な姿に変えられてしまい、彼は恐怖と憐れみで涙せずにはいられなかった。クロード・ルルーシュ監督の傑作『愛と哀しみのボレロ』(81年仏)でも描かれていた通り、ナチス相手に商売をしていた多くの売春婦達が、 ‘売国奴’として戦後に壮絶な私刑をヨーロッパ中で受けていたらしい。だが、『マレーナ』においては、他にもナチスと交わっていた娼婦達は難を逃れ、娼婦になる以前から彼女の美しさと存在そのものに嫉妬してきた町の女達は、マレーナ一人に総べての非難と憤りをぶつけたのだった。一通りリンチが治まった後、マレーナは言葉にならない獣のような悲鳴を上げる。町人達を真っ向から見つめては、一体自分に何の罪があるのか?と、彼らに問いかけるかのように。このシークエンスもまた、人間の悪意の恐ろしさを実感させると同時に、作中で最も胸を絞めつけられるものだ。あんなに美しかったマレーナが、見苦しく‘破壊’されて行く様子は、レナートでなくても観るに耐え難い。

malena_monica_bellucciその後、マレーナは髪を失った頭を覆い、人知れず混み合う汽車に乗って町を去って行く。彼女の身を案じて再びマレーナを追うようになったレナートは、孤独を感じながらも止めることなどできずに、遠くから彼女を見送ることしかできなかった。これは売春宿での儀式的シークエンスとはまた違った、レナートにとってはマレーナとの現実における別離…と、ここで『マレーナ』が悲壮感を漂わせながら終ったとしても何ら不思議はなく、それはそれでこの映画を秀作にすることが可能だったかもしれない。しかし、レナートやマレーナの人生がそれ以降も続いて行くように、彼らの物語は続くのだった。何故ならば、戦死したと思われていたマレーナの夫が実は生きており、町に戻って来たのだから!予想外にしてささやかな希望を観客に抱かせる展開…だが、マレーナはもういない。町の住民達は罪悪感もあってか、誤った訃報が届いてからのマレーナが辿った運命すら、誰も彼に教えようともしなかった。ここに至ってレナートは一大決心をして、冒頭で述べた‘ある行動’に出る。それによってこの作品がハッピー・エンディングとなったか否かについては黙しておこう。皆さん自身で『マレーナ』をご覧になって、是非ともお確かめいただきたい。マレーナと、彼女を見つめ続けたレナートの二人を、私達は最後までこの映画を通して、レナートがマレーナに対してそうだったように、同じく見守り続けることしかできないのだから。ただし、美しくも憐れで、憐れだからこそ美しくもあった永遠の女性像を描いたこの傑作は、断じて美しくて憐れだけで終わるような軟弱な映画ではなく、限りなく強い人間の有様を見事に描き切っている。ちなみに、ジョッシュ・グローバンがエンニオ・モリコーネによる本作の美しいテーマ曲に、映画の抒情をそのまま言葉にしたような素晴らしい歌詞をつけたものを唄っている。彼のアルバムに収録されているのでこちらも是非、サントラ盤と共にお聴きいただきたい(下記にあるアマゾンへの商品リンク参照)。 

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『マレーナ』予告編