img_288944_27224410_0奪われ行く民族のアイデンティティー

御存じの方々も多いと思うが、『非情城市』は侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督による、日本の統治終了後の台湾を舞台とした大作映画だ。物語は台湾北部の山間の町・九份(きゅうふん/ジォウフェン)に住む林(リン)一家の三人の息子達 ―― 幾つかの酒場を営む長男・文雄(ウンヨン)、戦争で精神不安定になってしまった三男・文良(ウンリョン)、郊外の病院で働く耳が不自由な四男・文清(ウンセイ)を中心として、彼らを取り巻く家族や友人・知人らの運命を描いている。ちなみに、二男は戦地で行方不明のままだ。作品の冒頭は昭和天皇の敗戦を告げる玉音放送が流れる中、文雄の妾が男子を出産するシークエンスから始まり、文字通り新しい時代の訪れを象徴している。次いで文雄が新しい店を開いた祝いの宴が描写され、親戚一同や友人らが集い、彼らが終戦に安堵し、これから訪れると予想されているより明るい未来へと胸を弾ませている様子がうかがえる。だが、台湾は日本に代わって今度は中国に、相も変わらず支配されるだけだという事実を、徐々に九份の住民達も実感するようになって行く。中国からやってきた内省人達への不満は募り、やがて台北で二・二八事件が起こり、その波紋は九份の林一家にも少なからず及ぶこととなる。政府による‘売国奴’狩りが、在台中国人らと結託して勢いを増し、彼らに反感を抱いている疑惑のある台湾人は、密告一つで次々に逮捕されてしまう。戦争の悪夢から解放され、正気を取り戻していた文良は、ヤクザ者との諍いが原因で密告され、逮捕の末に拷問を受けて再び精神に異常をきたしてしまう。働いていた病院の院長が日本寄りだったというだけで文清も逮捕された。文清は何とか銃殺を逃れ釈放されたが、前々から政府に目をつけられていた親友の呉寛
榮(ウー・ヒロエ)は同志らと共に山奥に隠れる生活を余儀なくされてしまう。内省人が実権を握る政府のそうした横暴さとは別に、台湾人による内省人への報復も激しさを増していた。台湾人と中国人は見た目では判断し難いため、台湾人同士の争いも絶えず、新たな時代への希望は破壊されて行く…


City-of-Sadness-400しかし、こうした歴史的側面を描きながらも、『非情城市』におけるバイオレンス描写はかなり少ない。暴力的なシーンはほとんどが、九份での権威を分かち合う林一家とヤクザ者達との内輪揉めに限られている。彼らはそれなりに仲良く共存していたが、内省人らの干渉によって力関係のバランスが崩れ出す。文良を警察に危険分子として密告したのも林家と対立するようになったヤクザ側の一員で、そのことが尾を引いて最終的に文雄は彼らに殺されてしまう。それまでは双方で問題があっても、仲介人を立てて何事も穏便に済ませてきた林一家とヤクザ者達の関係も、政治事情の変化の中で破滅を迎えたのだ。この映画が何より強調しているのは、中国側の非情な台湾への扱いそのものよりも、それによって失われて行く台湾人同士の絆なのだ。そうした混沌が訪れることを予感させる何気ない場面が一つある…台湾人と内省人らの関係がまだ良かった頃、林家の息子達が中国からのジャーナリストを持てなすシーンだ。そこで彼らは、以前は各家で掲げることを命ぜられていた日の丸が、中国の国旗へと変えられている話をする。日本の国旗は上下関係なく掲げられるデザインだったが、中国国旗は上下がどちらか分かり難く、正しい掲げ方について言い争いが町中で起こっているという笑い話だ。しかし、このシークエンスは日本による台湾統治の目的ややり方が台湾人にとって明確であったのに対し、来るべき中国による支配がどのようなものになるのかを、彼らが把握できていない事実を示唆していると思われる。そして前述した通り、中国支配の在り方は台湾の人々が最も望まない有様へと化してしまったのだ。

cityofsadness5昔ながらの台湾人同士の付き合い方を重んじた仁義に厚い文雄は死んでしまった。戦地から故郷に戻って正気に返った文良は再び狂ってしまった。南国の戦地へ赴いた二男は最後まで行方知れずのまま。林家の息子達が悲劇的な末路を辿って行く中、一人だけ何とかまともに暮らし続けていたのは文清だけだった。文清は聴覚障害者であるため、日本統治中に行われていた日本語教育を受けながらも日本語は解せないままだ。中国語も勿論、話すことができない。彼は周囲と筆談によってしかコミュニケーションが取れない。故に彼は作中で最も純粋な台湾人として描かれているように思う。『非情城市』という映画では、台湾語、北京語、広東語、上海語、そして日本語と、実に様々な言語が使用され、何段階もの通訳を挟んでやっと会話が成り立つシーンまでもある。何の前知識も無く観れば、どこの国を舞台とした作品かも分かり辛いこの作品は、そのまま当時の台湾を暗示しているかのようだ。そんな中、寛榮との友情を育み、彼の妹である寛美(ヒロミ)と恋をし、やがては彼女と結婚して子供を授かり、写真店を営んで暮らすようになった文清 ―― 彼の生き方は質素ながらも、台湾の誰もが望んでいたささやかな幸せそのものだろう。しかし、そんな罪の無い小さな幸福さえも、警察から隠れて暮らしていた寛榮らの逮捕によって奪われてしまう。密かに寛榮とその仲間達に生活資金を援助していた文清は、再び逮捕されてしまう。彼がこの二度目の逮捕でも無罪放免となる可能性はあり得まい…

cityofsadness6『非情城市』は前述した通り、残酷さや暴力的なシーンをもって台湾の悲劇を描いてはいない。文雄と文良の男気のある生き様が悲惨な末路を迎えて行く合間に、大人しい文清の慎ましい一生を描写することで、台湾人の家族、友人、そして祖国への愛が、何故にこうも他者によって壊されなければならないのかを、静かに訴えてくる作品なのだ。他国に支配され続ける事態に苛立つ文雄も、自堕落に生きることしかできなくなった文良も、実際は政治活動には何ら関わってはいなかったにも関わらず、結果的には政権の在り方が原因で一方は命を落とし、他方は狂気に飲み込まれてしまった。何とか激動の時代を生き延びてきた文清こそが、寛榮と同様に祖国の行方を憂いては、自分に何ができるのかを模索していた事実が皮肉的だ。彼らはそれぞれの方法で、ただ台湾人であり続けようとしていただけ…台湾出身の金美齢さんが、かつてあるテレビ番組で、‘日本人に生まれた時点で、皆さんは全員人生の勝ち組です’と語っていた言葉の重さを、私は『非情城市』を観ては痛感せずにいられなかった。尚、作中ではある日本女性も前半に登場する ―― 日本による統治中に日本語教育をしていた小川静子という名の教師だ。日本の台湾統治を象徴する人物でありながら、彼女は寛美の親友である人格者として描かれている。静子から受けた教えや、彼女の戦死した兄との交流を振り返り、寛榮と寛美と文清が日本文化について語り合うシーンもあり、そこには日本への憎しみなど欠片も無い。日本人が桜を愛するのは、桜の花は華やかに咲いては潔く散って行くからだと彼らは言う。これは正しく、敗戦した日本への彼らの解釈であると同時に哀悼の言葉でもある。しかして彼ら自身の国は、それから咲き誇ることすらなく散ることとなってしまう…統治されるという屈辱的な扱いを受けつつも、日本人と日本文化の良き一面は確と認めてくれた台湾の人々は、自分達のアイデンティティーを守ろうとしたが、次の支配者によって踏みにじられてしまった。それでも怨みではなく、ひたすら悲しみだけをもって激動の台湾史を描いた『非情城市』は、他者の文化へも敬意を欠かさない、穏やかで愛しむべき台湾人の心を描いた傑作だ。是非ともご覧いただきたい映画 ―― 否、彼らの歴史に関わった日本の国民として観なければいけない作品だとすら言えるのかもしれない。

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『非情城市』予告編