220px-Silent_runningノアになれなかった男の夢

『2001年宇宙の旅』(68年英米合作)や『アンドロメダ…』(71年米)の特撮を担当した、ダグラス・トランブル監督の『サイレント・ランニング』は、知る人ぞ知るサイエンス・フィクション映画の名作だ。この作品は派手な宇宙戦闘シーン等は無く、人類が存亡を懸けて戦わねばならない宇宙人も登場せず、宇宙を舞台とした数多の映画の中ではかなり地味な作品。登場人物も大活躍するロボットらを除けば、主人公を含めてたったの四人だけ。そうでありながら、この作品は一度観ればずっと心の片隅に余韻を永遠に残してくれるような、詩的な悲しみと美しさに満ちた逸品だ。ロボット達の愛らしさと、ジョーン・バエズが唄う主題歌と挿入歌も素晴らしい。物語はいつとも知れない遥かな未来 ―― 地球上の開発は進み、どこの国でも常に24℃の適温が保たれ、食料も人工的に製造され、疫病や戦争も無くなっていた。だが、そんな人工的なパラダイスを作った代償として、地球上の自然環境は絶滅。それが過ちだったと考えたアメリカは、僅かに残された植物を保存するために、巨大な宇宙貨物船に六つのドームを設置した。いつの日か地球に再び緑を取り戻せる環境が整うまで、貨物船の乗組員らはかつての自然環境をそのまま保存したドームの整備をしながら宇宙を流離う任務を与えられる。だが、その任務に重要性を感じていたのは植物学者でもあるフリーマン・ローウェル一人だけだった。他の三名の乗組員達は、帰還命令を待つだけの宇宙での暮らしに飽き飽きしている様子。快適な地球上の人工環境しか知らずに育った彼らは、自然豊かなドームに何ら愛着を抱いていなかった。ローウェルは彼らに自然の素晴らしさを説いては、より真剣に任務に従事するよう度々言うが、他の乗組員らは彼の価値観を共有できずに、度々言い争いが起こる。そんな中、ローウェルが最も恐れていた事態が発生してしまう。地球からの通信で植物保存計画の断念が彼らに告知されたのだ。それに当たって、六つのドームを全て船から切り離しては爆破し、地球に戻るよう指令が下されてしまう。ドームの管理を生き甲斐にしていたローウェルにとっては、身を切られる以上に残酷な展開となってしまった。他の乗組員らが地球へ戻れることばかりを喜び、せっせとドームを爆破して行く中、ローウェルは絶望に打ちひしがれていた。だが、自分が最も大切にしていたドームが失われることだけはどうしても受け入れられず、そこに爆破装置を仕掛けに来た乗組員と格闘の末、彼を殺してしまう。さらにローウェルはその勢いで、既に爆弾が仕掛けられた他のドームに残っている乗組員らを、ドームごと爆破して殺してしまった…


untitledローウェルは地球との通信で、船体に異常が発生して他の乗組員らが死亡したと嘘を伝え、残された一つのドームを守り抜く決意をする。船体整備用の三体のロボットをプログラムし直し、自分の命令に直接従うようにしたローウェルは、彼らにドームでの植物の世話の仕方を教え込む。だが、土星付近へと向かう船は制御不能となり、その環に衝突した際に船外で整備活動をしていた一体のロボットは気流に流され失われてしまう。残った二体のロボットをローウェルはヒューイとデューイと名付け、それからは彼らを相手に孤独を癒すようになる。地球では土星の環に衝突する際に、船はローウェルもろとも破壊されるだろうと予測されていたため、最早未だ彼らが宇宙を漂っていることを知る存在はいない。ローウェルは自分の運命を知る由もないまま、ひたすらドーム内の自然を守ることだけに、ヒューイとデューイと勤しむようになる。淋しさからヒューイとデューイに対して人間同様に接するようになっていたローウェルだったが、彼らが死んだ乗組員達と全く同じ度合いで心の隙間を埋めてくれるまでには至らなかった。自分が正しいと疑わない信条のために、仕方なく殺してしまった乗組員達 ―― 価値観が違っていても、ローウェルは自分が彼らを嫌っていたわけではないことを実感し、自分の犯した罪に苛まれるようになる。その頃からドーム内の植物が枯れ始めるようになってしまった。いくら調べても、ローウェルですらその原因を見出すことができない。加えて不注意による事故で、彼はヒューイを破損させてしまった。出来る限りの修理はしてやったものの、ヒューイは以前のように役目を果たせなくなってしまった。乗組員らを殺害してまで守ろうとしたローウェルの大切な‘世界’が、目前で崩壊しようとしていたが、ローウェルには何を成す術も残っていない。地球にいつか自然を蘇らせたいという彼の夢は、果たせぬまま消え去ろうとしていた。

silent-runningけれども、物語は意外な展開を迎える…地球が送り出した捜索隊が、ローウェルの船の位置を確認し、救助に向かっているという連絡が入ってきたのだ。とは言え、これは必ずしもローウェルにとって朗報ではなかった。地球側から改めて、残った一つのドームを爆破して救助を待つように命令もされてしまったからだ。ローウェルはドームを守るという自分に課した使命も最早これまでかと放心し、救助されることに安堵することなどなかった。だが、‘太陽から随分と遠ざかっていたから探すのに手間取った’という地球からの通信の一言が、彼を生き返らせる ―― ドーム内の植物が枯れ始めていたのは太陽の光が不足していたからだと、ローウェルは遂に気づいたのだ。救助隊がやって来るのは六時間後。ローウェルは急いで日照に代わる人工のライトを、ドーム内のいたる場所に設置する。そしてデューイを呼び寄せ、‘お前には自分の知り得る限りの知識を教え込んだ。これからはお前がこの植物達の面倒を見てくれ’と言う。そうして破損したヒューイだけを連れて船の本体に戻り、デューイを乗せたドームを船体から切り離すのだった。その後、ローウェルは自分が殺めてしまった乗組員らの姿を思い返しながら、宇宙船本体を自爆させる準備を静かに進める。一人でここまで生き延びたローウェルを地球側の通信士は英雄だと褒め称えたが、そんな栄誉に甘んじるつもりなど彼にはなかったのだ。ローウェルはいくつかの爆弾を保存ケースから取り出しながら、最後にデューイに少年期の頃の想い出を語って聞かせる。それは自分の名前を記した紙を瓶に入れ、誰かにそれが発見されるだろうかと思いながら、海に流したという内容だった。語り終えると同時に船は大爆発を起こし、宇宙には何も起こらなかったような静けさが戻る。ラストは植物に水やりをするデューイを乗せたドームが、どこへともなく宇宙を漂い続けるシーンで終って行く…

silent_running-4ローウェルが自爆する直前に語った海へ流した瓶の話は、デューイを乗せて宇宙の彼方へと流されて行くドームを明白に象徴したものだ。地球本来の自然を残したドームが、いつか誰かによって発見され、それをもとにどこかで自然が蘇ることを祈りながらローウェルは死を選んだのだろう。地球に戻っても、彼が守るべき自然は既に無い。自分がドームと共に旅を続ければ、どこまでも捜索隊が追って来ては、ドームの破壊を余儀なくされるだろう。けれども、それ以上にローウェルに死を選択させたのは、やはり他の乗組員達を殺してしまった罪悪感が理由なのは明らかだ。しかし、単に命を奪って申し訳ないというシンプルな罪悪感ではない。ローウェルは孤独を噛みしめながら宇宙をさまよっていた間に、人間もまた、一人では生きて行けない自然の一部だと実感したのではないか。自然との繋がりを誰よりも重視していたローウェルは、他者と共に何かを共有するという人間の最も自然な在り方を自ら断ってしまったのだ。彼は英雄として地球に戻ると同時に、ドームの自然を守り抜く者として自分は相応しくないと判断したように私は思う。物語前半で、地球での自然を復活させる計画が始まれば、自分こそその総指揮を一任されるべきだと豪語していたローウェル ―― 他の乗組員らがそんな計画は実現しないと現実を直視していた中、彼はドームと共に地球に帰還しては自然を蘇らせる、箱舟のノアのような存在になりたいと願っていたのだ。だが、命という自然の源を奪ってしまった者はノアにはなれない。ローウェルは自分の驕りも認識して、そうした醜い感情を持たないロボットのデューイこそノアの役割を担うべきだと気づいたのだろう。全ての生物を生かしている太陽光の不足がドーム内の異変の原因だとすぐに気づけなかった事実も、彼が守るべき物が自然という環境ではなく、命という自然であることを見落としていたことを暗示している。だが、ノアになれなかったローウェルの悲劇と共に、この作品は彼が想い描いていた夢への希望も確と感じさせてくれるものだ。与えられた最後の使命に忠実に、ドーム内の植物達の世話を続けるデューイを乗せたドームが、宇宙のどこかに今も本当に存在し続けているような、ファンタジックなイメージを心に刻印してくれる『サイレント・ランニング』…この異色のSF映画は見逃せない傑作に違いない。

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『サイレント・ランニング』予告編