ども。
毎度院長です。
「分厚い夏休み」というと、沢山休めそうですが、まあ世間並みの休みにて、ぶ暑いと置き換え。
とても暑いのです。
拙者、あまり仕事以外でクーラーとかを入れるたちでなく、室内33度近くとなっていてもそのまま。
扇風機も通風もしないまま、蒸し風呂のような状態のお部屋にて、相当汗をかきつつ水分補給をこまめにしつつ、本を読んだりこういう書き物をしたりしているのです。
この光景は例年のことでありますが、年をおう毎に室内熱中症になる危険性もでてくるでしょうから、ちょいと気をつけないといけないのでありますが、どうもまったりとしたむしむし感が拙者にとっての夏休みのイメージにて、毎年こういう形で夏を体感しているのでした。

さて。
今年の夏休みの拙者の課題は、今まで習ってきた津軽三味線曲の譜面おこしと読書なのです。
津軽三味線は夏休みに入る直前におさらい会があり、なんとか無事終了したのでした。
この件についてはまた時期を改めて報告できればと思っております。ほんま貴重な体験でした。
現在拙者は、津軽三味線の楽譜というものをいただいていません。
通常のお稽古において、師匠からは譜面ではなく音そのもので教えてもらう形になっており、そのお稽古の状態を録音しています。
そして、うちに帰って録音したものを確認しつつ練習するのです。
練習している最中はいいのですが、あとになって手さばきなどの詳細を思い出せないこともあり、あとあとまたその曲を演奏する場合のためにも、譜面で残しておいた方がいいなと思いつつ、一音一音、手さばきも含め譜面におこすのはちょいと面倒なので、そのまま1年くらい経過してきていました。
しかし、この1年の間に練習した曲も少しずつ増えたので、今年の夏休みにはちょっとまとめて譜面にしておかないとまずいんじゃないか、と思っていますが、夏休み中日となった本日もまだ手が付けられず、こうやってブログに逃げこんでてきております。
で、もう一方の読書について。
拙者、小熊英二という方の本をしばらくの期間読み続けてきています。
思想的な本を読み進めていく中で、この方の本を読むようになったのですが、とても面白く感じています。
膨大な文献の引用につぐ引用で論を構成していくのですが、読んでいてあきないです。著者の知識量と思考力だけでなく、編集力というか、構成がそもそもうまいのではないでしょうか。
著作は物語とか詩集とかでなく、論文形式なのですが、これは立派な文学だなと思うたです。
淡々とした文体と、冷静な視点というところもあり、落ち着いて読めます。しんどい内容が書かれてあったりするのですが、静かな爽快感すら読後に漂います。
主張が声高でないけれど強い、という感じです。
「<民主>と<愛国>」などの本は相当分暑い、いえいえ分厚い本ですが、拙者がずっと集中して読めた、珍しい作家であります。
通常拙者、通勤電車の中で本を読んでいくのですが、この方の本においては通勤電車で読むにはずっしり重すぎるというようなものもあり。休みの日に日がな1日読むような状態でした。
内容的にも、拙者の学生時代、近代史というのは、社会科の授業の中でほとんどすっ飛ばされたところだったのですが(学期最後の方に近代の授業になり、時間切れになっていたことや、戦後の総括をしづらい時代背景もあったのかと思う)、小熊氏の著作では大正、昭和、という近代から現代にかけて丁寧に見ているので、いい刺激になります。
そして拙者が体験したこと、見聞きし学んできたこと、感じたことなどと、書かれている内容とが結構一致しているところも、より親近感を覚えます。
たいがいの人間は、自分が悪をなしているという自覚のもとに断固として行動できるほど、強くもなければ自律的でもない。善をなしているという主観のもとにおいてのみ、人間は相手の痛みに対しかぎりなく無感覚に、無反省になれるのである。(単一民族神話の起源/小熊英二)
この手のきりっとした文章が、歴史を振り返っていく文章や引用文献の合間に出てきたりして、密度が濃いなと思わされます。
記憶とは、聞き手と語り手の相互作用によって作られるものだ。歴史というものも、そうした相互作用の一形態である。声を聞き、それに意味を与えようとする努力そのものを「歴史」とよぶのだ、といってもいい。(生きて帰ってきた男/小熊英二)

「生きて帰ってきた男」は、著者の父に戦争体験を含め、生活史を聞いていくというもので、平易な文でありますが、社会学的視点も入った、編集力のある小品だと思います。
精神科臨床も、聞き手と語り手の相互作用によって作り上げられていくといえます。
治療者が、クライアントの「声を聞き、それに意味を与えようと」すること、この努力そのものを「歴史」とよぶ。
そのような「相互作用によって記憶は作られていくのだ」ということ、つまり語る中で記憶はよみがえり、再編成され、歴史となっていく。
「語ること」「聞くこと」について、改めて丁寧にみていく視点を与えていただいた気がします。