2013年05月01日

両親の遺骨は、5月21日にお寺に納めていただけることになりました。

両親の遺骨は、私がこんなことになって、宙ぶらりんになったままでした。

3月に、昔父のゼミに居られて、ご自身も得度も受けておられる先生に、どうぞ、納骨のことをお願いします、と、大変にお手間なことをお願い申しました。

先生は、親切に引き受けてくださり、兵庫県の真ん中、市川にある、光明寺と言う素晴らしいお寺を探してくださいました。ご住職は、人権問題にも関心が深く、父のことをよく存じている、と、快く納骨を引き受けてくださいました。

そう言う有難いお寺に、今月21日に父と母は納めていただけることとなりました。
本当に、有難いことです。

納骨は午後2時からだそうです。

もしも、自分も出席をと思われる方は、大変に遠いのですが、一応どうやっていくか書いておきます。
姫路から播但線で北上して、福崎(普通で2駅目)という駅から市川町西田中の光明寺に行かれるか、もしくは車で中国縦貫道を通って、福崎インターで南に5分ほど下りられるか、です。

私自身は、Freiburgから東のほうを拝みます。

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色々な方が、梅干の種をお送りくださいました。

今まで機嫌よく、奈良の方から頂いた、梅干の種を頂いていました。

今から2,3週間前に、別の方々からそれぞれの思いの篭ったうめぼしの種を頂きました。
本当にありがとうございました。

高槻の方から頂いた梅干の種を、今頂いています。
お手紙に”色んな方の想いが・・・”とあって、高槻の皆様のお顔を思いながら食べています。

色んな大きさの種があって、不思議です。大きいものの種の中身は、それこそアーモンドですか?と言う大きさです。

これだけ大きいと、効くだろうか?など思いながら頂いています。

皆様、本当に有難うございました。


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帰って来ると、いよいよ緑むんむんです。

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あっという間に、植物たちは成長します。相変わらず、凄いなあ・・・と思います。

再びまた、1週間病院に留め置かれました。
Chemotherapie(化学療法)を受けると、その都度体が弱って、血液の値が、ナトリウムが低いだの、赤血球が少ないだの(今度ですが)、とか言うことになって、入院する羽目になります。

今度は輸血を初めて受けました。が、入院して帰ってくるたびに、体が弱っています。
何の為の入院だか・・・・・と思います。

ずーっと自分でも考えていましたが、今度は、入院することになった日の朝来られた、私が、社会保障や病人手当てや、色々なことの公式書類を作って、家裁や福祉局に提出するのを、代わりにして下さる方、Betreuer(面倒を見る人)の方が、”貴方の状態では、化学療法を止めて、自然療法だけで行くのが良い。”と言い、入院中に手続きして紹介していただいた、Brueckenschlag(橋渡し)と言う、大学病院とがん患者を繋ぐ、福祉ステーションの方にも、’貴方の状態では、最早化学治療はしないです。”と言われました。

ステーションの先生は、家で夜中に人工栄養を入れてもらえるように、この福祉ステーションを呼ばれたのでしたが、来られた看護婦さん(全員看護婦・看護士のステーションです。)のかたは、そんなことしないほうが良い、Tumorが喜ぶだけだから、と言って、自分で食べれる分は、体が何とか消化するけれも、それ以上は、Tumorと腹水に取られるだけです、と言うことでした。

で、自分も腹を括って、化学療法を止めて、自然療法と出来る限りの食事療法だけで行くことにしました。
体力を取り戻して、普通の生活を出来るようになれば・・・と願っています。


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2013年04月21日

隣のりんごの木が、芽を出して花が咲いています。

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自分が入退院を繰り返している間に、季節は移り変わって、自然は凄いなあと、感動しています。

さて余りに一杯いろんなことがあって、何から書いて良いか分かりません。
が、時間順に書いて行こうと思います。

12日の金曜日、通院で腫瘍科に血液検査に出かける直前に、Huber夫人、Chaterine(カトリン)さんが電話してきて、”主人が、Prof.Thimmeと話して、Kussmaulの何時もの部屋を用意できたから、週末だけでも入院して、体力を回復しなさい。”と言ってこられました。私の疲弊が激しいから、だそうです。

折悪しく(折り良く?)、その日の朝真っ赤なお小水が出ましたから、自分としても不安で、目下日本でも、ドイツでも色々なことの真っ最中で、返事や応答をせねばなりませんが、有難く了解して病院に行きました。

腫瘍科の先生は、”疲弊は、がんそのものと腹水に養分・塩分をとられるから、治療の出来ない仕方のないものだ。”と、ガックリするようなことを言われましたが、それでも、入院は仕方ないと考えて、矢張り若いので、面子に掛けても、Prof.2人が用意した部屋でなく、Popperと言う別のStationへの入院を指示されました。

言われるとおり、Popperに行くと、急に部屋を用意した為、私が妙なKeime(芽・菌)を相変わらず持って居る為、
他とのコンタクトを全部断って、トイレを使ってはいけない、と、おまるで用を足さねばならない、とか、洗面台も使ってはいけない、と、その都度、洗面器に水を入れて運ぶ、と言う風になってしまいました。

今まで妙なKeimeを持っていても、そういう扱いを受けたことがありませんでしたから、自分には驚く体験でした。
また、治療に関しても、実際何も無く、Kussmaulのように人工栄養を入れてくれる、と言うわけでもなく、結局は寝転がっているだけ、と言う入院になりました。

そういう初めてのNegativな入院でしたが、Positivな情報を2つ貰って帰って来ました。

一つは、CT所見に関して、腫瘍科のDr.Schnitzlerが言われたことに間違いがあったこと。
腫瘍は、微かに大きくなったのではなく、微かに小さくなっているそうです。これは、Prof.Thimmeに超音波検査の時、”良かったですね。”と言われて、初めて知りました。3月の自分の疲弊は無駄ではなかった、と言うことです。

もう一つは、Pareative Medizine(痛みを緩和する治療をする科)の先生と看護婦さんが、様子を見に来られて、”貴方の状況では、腹水をそうしょっちゅう沢山抜くのはいけない。養分・塩分も速くに失うから。”と言うことです。
腹水の管理と、疲弊が一緒になっている私には、本当に大事な情報です。

そういう入院であるのに、中々帰して貰えず、木曜日に、”何か起こるとしても、家に帰りたい!”と頼んで、やっと
それも救急車で、家に帰してもらいました。

金曜日には、家裁の判事さんが来られて、私の様子・状況を見て、”確かに、手助けが居る。”と、確認してくださり、ことがやっと動き出しました。来週から2回、家事の手助けが来ます。これは、介護の人は出来ないことです。
ゴミを捨てる、買い物に行く、掃除をする、をして貰えるようになります。

また、腹水を抜くのも、2日に一度2リットルを止めて、3日に一度1リットルにすると、体は大分楽で、病院で先生や看護婦さんが言った、”貴方には無理です。”と言う、以前どおりの日常に、何とか戻りつつあります。

有難いことです。

そうして、隣を見れば、緑むんむんでりんごが花を付けていました。私が入院中、一旦26度の日々が来たのに、退院した日以来、再び8度で雨が降り、風が吹く、そういう日々です。





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2013年04月11日

昨日から、再び古い薬の化学療法が始まりました。

昨日の朝、化学療法の前に、先生が時間を下さっていました。

火曜日の夜のCTの画像はまだ載っていないけれども、CTの医師の所見が、もう(!)載っていて、それに拠れば、膵臓のTumor本体が、大きくなっている、とありました。どれほど大きくなったかは出ていませんが、今まで大きさが12月から変わっていなかったことを思えば、本当にがっかりすることです。

3月の療法は、全く効かなかった、と言うことになります。
ガンとの闘いは、一歩後退です。

今度の療法、2月までの療法が、少なくとも(長く掛かるでしょうが)2月末の状態まで戻してくれることを、願うだけです。

今日も雨、明日も雨ながら、日曜日にやっと暖かい高気圧が来て、春になる、との天気予報です。

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2013年04月09日

典型的な、”4月の天気(Aprilwetter)"です。

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この写真では寒々と見えますが、パーっと陽が射すか、と思えば、雨が降り出す、と言う天気です。
”4月天気”は、ドイツではコロコロ変わる状態のことです。
まだ、寒いですが、向こうの家の桜が咲いています。

今日は、17時半にCT撮影があって、Annaが大学病院に連れて行ってくれます。
ナトリウム値が、極端に下がって以来(それまでも低かったのですが)、ぐったりしています。
金曜日に先生に、”週末、これ以上ぐったりすることがあれば、緊急受け入れ口から入院してください。”と言われましたが、行きませんでした。

明日、化学療法に行きますから、療法の前の血液検査で、また低ければ、何かの治療が来るか?と思っています。

白血球値も低く、ナトリウム値も低くで、矢張り心細い気分ではあります。




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2013年04月06日

今日、腫瘍科の先生と話して来ました。

いつもの、自分の担当の先生は居られず、緊急でお願いしましたから、他の先生でした。

緊張して行きましたが、その先生は、”貴方のことを知っています。、私の子供がSuzukiに行っているから。”
と言われました。Suzukiの恩恵は大きいです。

新しい強いChemotherapieが、副作用も大きいけれど、白血球の数値がどんどん下がるなら、自分の体が付いていけないと思うこと、自分の感じでは、前の緩いGemcetabinの方が効いたように思うことを、先生に言いました。

とても良い方で、じっと聞いて、”患者の方が効くか効かないか、正しく感じることも多い。”と言ってくださいました。
新しい薬でのは、まだ2回ですが、血液検査で腫瘍マーカーを見て、更にCTを取れは、新しい薬が効いたか効かないか、分かる、と言うことで、今日の血液検査で腫瘍マーカーが出たら、直ぐに電話します、と言って貰って帰って来ました。

先ほど電話を頂いて、腫瘍マーカーは変わってない、か、微かに上がったと言うことで、Gemcetabinのほうが効く、と言うことになって、来週の水曜日から、再び緩いGemcetabinの化学療法に戻れることになりました。

またCTも、来週の火曜日の夕方の時間を取ってくださいました。
ちょっと、ホッとしました。

が、ナトリウムの数値がどんどん下がっていると言うことで、内科の入院先でもこのことを注意されていて、Wassertabletten(水を出す錠剤)2つを服用するのを止めるよう言われて、以来、止めています。

今日の先生は、泌尿器科の先生と話して、水を沢山飲んで、塩辛いものを取るように、と言う、指示を下さいました。一日1,5リットルと言われています。

昔、一日2リットルは何でもないことでした。
本当に、”今は昔”です。奈良の方にお送り頂いた、梅干の種をせっせと食べ、何とか水を飲むことに努力します。

気温は、相変わらずの冷たさです。


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2013年04月04日

今日、化学療法に行きましたが・・・・

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血液検査の結果、白血球の数値が低すぎて、化学療法が出来ない、と言うことになりました。
白血球値は、新しい化学療法が始まって以来、どんどん下がって来ているそうで、化学療法の副作用だ、と言う、先生の考えでした。

新しい化学療法は、他にも色々と副作用があって、Gemcetabinの時には、普通に暮らせるか?と思っていたのが、全く出来なくなっていました。

少し考えて、CCCF(Freiburg大学がんセンター)の患者ケアの方に電話して、新しい化学療法の副作用が強いので、殊に白血球値が、体が付いていかないことを示しているので、CCCFの先生と話して、出来るなら今の療法を中止して、Gemcetabinの療法に戻りたいことを相談したい、と言うと、ケアのImberi(インベーリ)さんも、白血球値を聞いて、”それは大変だ。”と、明後日の金曜日、緊急の時間を取ってくださいました。

明日は明日で、福祉局の方が、私の生活状況を見に来られて、介護・生活補助金の書類を書かれます。

思いも掛けない展開が幾つもあります。
が、それも全部乗り越えねばなりません。

冬は相変わらず去らず、金曜日はまたマイナスの予想です。


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2013年04月03日

再び、今、帰って来ました、です。

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水曜日の晩になって、突然、黄疸の兆候の一つが出ました。
やっぱり、Stentが交換できず、胆管に停滞が起こったか・・・・・と、愕然としました。

が、愕然としている場合ではなく、翌々日・金曜日から復活祭の休暇が始まる為、病院もどこも、大学病院の緊急受け入れ以外、閉まります。友達たちに相談して、緊急事態だから、と、Prof.Thimmeが下さっていたメールアドレスにに、緊急事態です、と症状のことを送りました。先生からも、何かあったら、直ぐ知らせなさい、と、言われていました。

先生から、直ぐに返事が来て、翌日のGruendonnerstag(緑の木曜・復活祭前の最後の普通の日です。)に、なるべく早くに、食事抜きで来なさい、とありました。

木曜日に肝臓科に行き、先生が総てを準備していてくださったので、血液採取・超音波検査を受けました。
”少
しは停滞があるが、抗生物質で良くなるから、家に帰って良い。”と言うことになりました。

が、友達たちは、休日の間中、何があるか分からないから、病院にいる方が良い、と、皆言っていて、入院して様子を見ても良い、とも言われて、病院に残りました。

その日の夜には、血液検査の結果で、黄疸ではないこと、肝臓の値は、2週間前より微かに良くなっていること、がわかって、自分でも家に帰ったほうが良いか・・・・とも、考えましたが、もう復活祭月曜日まで(退院は翌火曜日)と、決まって病室に居たので、そのまま”居座り”ました。

5日間、病室に居るのは、退屈でもありましたが、血管から人工栄養も、食事とは別に貰い、また、毎日の血圧の数値が、上がってきているのを聞いて、体が11月の手術やその後の諸々のことから回復してきている、と気が付きました。

血圧は、化学療法の前、いつもある検査でも、2週間前の入院の際も、12月以来の兆候、最高でも90、ひどい時には80と言う、物騒な低血圧でした。それが、今度初めて、100を越して、120と言う数値も出ました。

明日、化学療法に行きますから、このままであってくれれば・・・・と、願っています。


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2013年03月24日

春分も過ぎましたが、冬は去りません。

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随分明るくなってきましたが、気温は上がらず、中部・北ドイツでは、相変わらずマイナスの世界で、雪が降っています。
この辺は、雪こそ逃れて、最低気温0度ほどですんで居ましたが、来週、明日からの週は、復活祭の週だと言うのに、また最低気温が、マイナス3度、4度に降ります。

Sozialstation(福祉ステーション)の人が、一日おきに来る、化学療法のポンプを外しに、ケア・ステーションの人が来る、と言う生活になって、俄かに慌しくなりました。家を毎日、何とか人が来れるようにせねばならなくなって、楽になったか、楽にならないか、ちょっと分からなくなりました。

福祉ステーションの人は、生活状況全般も見て、私が病気治療にのみ励めるようにする仕事もするので、私が今働けないことを見て、生活補助金の申請をしよう、と、手続きを始められました。また、最悪の場合のことを考えて、私が何も出来なくなった時、誰か、福祉ステーションが相談できる相手を決めて置いてください、とも言われました。

さて、これから闘わん!と思っているときに、凹んでしまいますが、もっともなことです。Stefan, Anna夫妻にお願いすることにして、今日の午後、Stefanさんがそのことや何かについて、話をしに来て下さいます。

先週、Stentが交換できなかったことや、このことや、また、新しい化学療法がきつくて、食べれなくなったり色々するのに、腹水は減らず、効いているのかなあ・・・・・と思ったり、ジューサーが遂に壊れたり(新しいのをStefanさんに買ってきて頂きました。)・・・・・、凹むことばかりです。

エイ、ヤッと、頑張ろうと思っていますが、その勇気や気力は、毎日の細々した障害で、もろもろと崩れやすいです。こういう細かいことが、闘う相手、と言うことです。

食餌療法が出来る為には、どうしたって食べれねばなりません。

良いこととと言えば、ピアノがちょっと変わったことでしょうか。

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2013年03月19日

今、帰って来ました。

今朝まで、内科のStation Kussmaulに居て、そのまま真っ直ぐ、2回目のChemotherapieにOnkologieに行って、さっき帰って来ました。

何故、そんなに長いことKussmaulに入院していたかと言えば・・・・

まずは、Stentの交換が出来ませんでした。
腫瘍が12月より、少し大きくなっていて、胃の出口のところを塞いで、Endoskopieの管の先が、そこから先に行くことが出来ませんでした。
月曜日に、Prof.Thimmeが検査されて、そこから行けない、と言うことが分かり、水曜日にもう一度、もう少し細い管で、もう一人Endoskopieの経験深い先生が、試みられましたが、ダメでした。

勿論、がっかりすることではありますが、Tumorのコントロールがまだ良く出来ていないのは、2月のCTの時に分かっていたことですから、これくらいのことは覚悟せねばならないのでした。幸い、Stentは、3月から6月の間に交換されれば良く、肝臓の数値も良く、まだ余裕があります。先生方は、いざと言う時には、皮膚に穴を開けて、そこから胆管に直に管を通して、Stentを交換することが出来る、と言っておられます。

が、何よりも、Tumorを小さくせねばならない!!
と決心しました。

Stentが交換できなかった代わり、毎日、食事を取ることの他に、人工栄養を血管から入れてもらい、また、腹水を家で出せるカテーテルを埋め込んでもらいました。

これで2日に一回、Sozialstation(福祉ステーション)から人が来て、腹水を2リットルずつ抜いてくださいます。
また、当分はその縫い後の消毒、ガーゼの交換もしてくださいます。

Sozialstationから人が来る為に、自動的に、Pflegestufe(介護度) 0と言う、一番下の介護段階に入りました。
これで随分と助けてもらえます。

また、病院の鏡で見て、自分が余りに痩せてしまったのに愕然として、先生方の言うとおり、嫌でも、Energy Drinkを一日一本飲まねばならない、と、覚悟しました。

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2013年03月09日

Berlin Philharmonikerからの手紙

これは、つい一昨昨日のことです。

郵便受けに、Berlin Philharmonikerからの手紙が入っていて、先の11月の音楽会の追加請求書でも?と、ドキッとしましたが、開けてみると、”2010年2月28日の音楽会、会場使用料の消費税差額が、税務署から払い戻されてきましたので、貴方の分の差額を払い戻したいと思います。銀行口座を通知してください。”とありました。

あの年、政府がHotelやRestaurantの消費税を、19%から、食料品と同じ7%に落としたのでした。
ホールの使用料の消費税も、それに準じて、19%から7%に下りたのでした。

364、何某ユーロが戻ってきます。
今の状況では、本当に干天に慈雨です。

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税務署からの手紙

1月末に、税務署から手紙が来ていました。

”2009年、2010年、2011年、貴方はSuzuki Institutから謝礼を貰っていますが、その時貴方が出した、請求書を提出してください。”とありました。

請求書などは作らず、毎月月末に、その月働いた時間数を、事務所に出して、その時間数分謝礼が銀行に振り込まれていただけですから、その旨を書いて、Kontoauszug(口座状況通知書)の毎月の振込みを、コピーして出すしかないなあ・・と思っていました。

普段なら、そんなことは何でもなくサッサと出来ることですが、化学療法やしんどさや・・・で、おまけに、2009年分、2010年分のKontoauszugの取ってあった筈のものが、探しても無く、仕方なくPostbankに再発行を頼みました。

そんなことをしているので、2月8日の期限は守れそうも無く、税務署に電話して、状況を話して、尚且つ、今病気治療中で、Chemotherapieでいろんなことが出来ませんので・・・と言うと、若いお兄ちゃんは、”2月末まで期限を延ばします。それでも足りなければ、また電話してください。”と言ってくださいました。

Postbankからは、再発行分が待てど暮らせど来ず、もう一度電話して、期限が3月末まで延びていました。

Postbankから再発行のKontoauszugも届き、今やっと、2009年分、2010年分、2011年分の整理をしました。

口座状況を見ながら、その頃何をしていたか思い出しました。

2009年は、CDの録音をどうしたってせねばならず、資金を銀行に借りに走り歩いたり、貸して貰えるめどがついたところでダメになったり、最後に、土壇場で日本の親切な方々から救援が来て、無事に録ることが出来た、そう言う年だった。後半は出版社探しをして、始めから”興味深い”と言っていた、PreiserRecordsに拾ってもらい、年末はBookletの文章や、CD-CoverにDuererの翼の画の許可を貰うことや、CD出版にに明け暮れた年だったのでした。

2010年の年末は、US専門誌の”Fanfare"のインタヴューに答えることで、一杯だった、です。
その後、2011年の春に、父が悪くなって逝ってしまったことを思うと、CDが出版されて、更に、それを”Fanfare"が認めて、地球上には私の仕事を評価する人がいる、と言うのを見届けて、父は逝ったのだなあ・・・・・とも、改めて思いました。

税務署のお陰で、その3年(2年半)が自分にとって、どんなに大事な、同時に大変な時期だったか、を思い出しました。

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2013年03月07日

暖かい気温、上天気はお終いです。

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昨日、内科の入院課から電話があって、入院が月曜日に延期になりました。

私が妙なKeim(菌)を持っているため、他の患者さんから隔離されて、個室に入れられますが、今、インフルエンザの大流行で、Stationにインフルエンザ患者さんが一杯で、私を隔離できる状況が、月曜日まで出来ないそうです。
仕方なし、です。

また、昨日から化学療法の副作用、気持ち悪くなる、戻す・・・・が出てきました。今度のものの方が、やっぱり大分きついです。食餌療法も、それで危うくなったりしています。何事も簡単には行きません。

気温がまた下がってきて、来週入院する頃は、最低気温マイナス2度、最高気温4度と言う予想です。
また、今日から雨の予想でもあります。

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2013年03月06日

やっと、やっと、Zurich大学のChiavacci先生から、連絡を頂きました。

チューリッヒからの連絡が来ないまま、ずっと過ごしていました。

図書館司書の神谷さんに伺ってみると、学長からの許可がまだ下りない、と言うことを教えてくださいました。
すると、寄贈のことはダメになるかも知れないのだなあ・・・・・と思って、Chiavacci先生からのご連絡を待っていました。

今、先生からメールが来ていて、普通ならもっと早くに許可が下りるところを、大学当局とFakultaet(学科)の間に摩擦があって、思いもかけず、長い時間が掛かった、とありました。

それでも、学科から、やっと、父の蔵書の一部の寄贈を受ける、と言うことに、同意が下りたそうです。
これで、後は、学長の同意・許可を待ちます。

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2013年03月05日

スイスの決断

日曜日に、スイスで重大な国民投票がありました。Abzocker-Initiativ(良いとこ取り、良いとこだけ吸い上げる人を取り締まる)です。

日本は会社の俸給制度が違っているので、こんなことは起こりませんが、ヨーロッパでは、会社が腕利きのマネージャーをトップに何年かの契約(年俸、何億円です)で雇って、会社の業績が上がれば、ボーナス、退職金に、何十億円払う、そう言う仕組みになっています。

スイスの薬品会社Nvartisで、最近辞めたTopは、4Million(4億円)の年俸の上、7年の退職金に64Millionを貰ったのでした。

そういうTopサラリー、Bonus、退職金の為に、皆が博打のような賭けに出て、銀行がひとから預かったお金でカジノ賭博のようなことをして、金融危機が起こったので、そういう流れに釘を刺す、少なくとも、スイスでは禁止する、そういう法案です。

誰だって、普通の人間はおかしい、と思っていたことですから、67,8%の人が、Ja(賛成)と投票しました。
これで、スイスでは、Bonus、退職金は、年俸の2倍を越えてはならず、それ以上のものを出したいときは、株主総会で賛成多数で、余分をだすことを決めた時のみ、と言うことになりました。

この重大決定は、当然他所の国にも影響して、何処だって誰だっておかしい、と思っていたことですから、それではうちでも!と言う動きが出て来ました。

それに対して、”そんなことをすれば、腕利きのTop-Managerがヨーロッパから、アメリカやシンガポールに逃げて行って、ヨーロッパの経済が不活性化するだけだ。””経済力が落ちる”と言う、議論も聞こえてきます。

私のような素人には、何年かの仕事で何十億のために、国民経済を当て物に使われるよりは、そういう人は、アメリカやシンガポールに”逃げて”いなくなって、経済が健全に安定する方が、ずっと良い、と、思えます。

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大学病院で・・・・

明後日と明明後日、胆管のStentを、半永久的な金属の網に、Prof.Thimmeに換えていただく為、内科に入院します。

その内科入院課の方と、先週電話で話しているとき、”貴方は近々、何処かの科で血液検査をしますか?”と聞かれるので、月曜日に化学療法があるので、その前に腫瘍科で血液検査がある、と言うと、”では、血液のGerinnungswerte(凝固値)も検査するように言って下さい。Stent交換に必要ですから。”と言うことでした。

また、昨日、腫瘍科では、血液検査の結果、ナトリウムの値が低い、私のは何時でも低いけれども、昨日のは異常に低い、ので、”週末にもう一度検査に来れますか?”と、先生が聞かれるので、木曜・金曜、Stent交換で内科に入院している、と言うと、”では、内科で、もう一度ナトリウム値をコントロールするように、言って下さい。”と、言われました。

患者に伝えるように言う、と言うのは、何処か”いい加減”に思えて、びっくりもし、おかしくも思ったのでしたが、考えれば、”患者の体と生命”なので、患者が最も忠実に”伝言”を実行するだろう、と思うのは、当然なのでした。

今はきっと、総合病院では何処でもそうなのでしょうが、こうやって他所の科がやった検査の結果を、他の科で、On-lineで直ぐ見られる、と言うことは、矢張り素晴らしいことです。患者は余分に何回も血管に針を刺されず、看護婦さんLaborの余分な手間も無くなる、と言うことですから。

コンピューターの発達が、世の中をダメにした、と思って、しばしば腹を立てていますが、考えれば、自分もこうやって、その発達の恩恵に浴しているのでした。あんまり文句は言えません。

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”Wien ist anders.(ウィーンではちょっと違った風です。)”

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金曜日から”手”造る作業を再開して、如何に粗かったか、粗いか、と気が付きました。
考えれば、2枚目のCDを出すことについても、何処か早く出さなければ、或いは、もうそんなに時間が無い、とか
どこかに時間的圧迫を持っていたのででしたが、金曜日以来、”良いもの”が出来た時が、2枚目のCDの出版の時期、と、考え直しました。

上に書いた言葉は、2009年1枚目のCD出版の準備をしている時、CD-Coverにと望んだ、ウィーンのAlbertina美術館が原画を持っている、Albrecht Duererの1512年の作品”Blaurackenfluegel(ミヤマガラスの翼)の使用許可を、Berlin のAgencyのGieseさんが、一日掛けて取ってくれた時、Wienの出版社、Preiser RecordsのStockert夫人が、”ベルリンは、やっぱり違う、都会だ。ウィーンではそうは行かない!”と、言った言葉です。

あの時、使用許可を取るのに、彼女は何もしてくれず、私は嫌味で言っているのだ、と、取り違えたのでしたが、11月Berlin音楽会録音断念のメールへの、彼女の返事を読んで考えが変わりました。”音楽会は、その場での成功を得るためにある。けれども、CDは永久のものだ。その点で、貴方の(断念の)判断は勇気があり、正しい。
そう言う意味で、貴方からの次の連絡が楽しみだ。”とありました。

1枚目のCDよりも遥かに良く出来たものしか、送ってこないだろう?と、そう言うことです。
時間は関係ないのでした。

家の父は、亡くなる何年か前から、”執筆者は、編集者に育てられるんだよ。”とか、”良い編集者が、作家を育てる。”とか、しばしば口にしていました。何を見てそう言っていたのだか、今となっては分かりませんが、私が、Preiser RecordsのStockert夫人と言う、良い編集者に出会える幸運に恵まれたことに、気が付きました。
”良い編集者”とは、取りも直さず、”恐い師匠”ということです。

また、Wien ist anders.とも思いました。

オーストリー人は、因循(姑息)で付き合いにくい、と、ドイツに住んでいると思いますが、そう言う動きの遅い保守的なところなので、古いものが残せる、とも言えます。
ウィーン・フィルの今年のニューイヤー・コンサートを、Franz Welser-Moest(今もまだ、こう言う指揮者が居たのだ、と、感嘆しました。)のタクトで聞いたとき、その繊細さ、透明さに驚きました。今の世界的一流のトップ・オーケストラ(古典楽器がどうの、古典奏法がどうの、などとややこしいことを言わず、今の楽器で”何でも弾く”オーケストラ、と言うほどの意味です。)では、稀有の存在だと、改めて感心しました。Wien ist anders.です。

また、初めて、腫瘍が私に時間を呉れた、と言うことにも、気が付きました。

写真は、私の頭が変わったのを聞いて、人参を買ってきてくれたAnnaが、お祝いにと、持ってきて呉れたチューリップです。







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金曜日がWendepunkt(ターニング・ポイント)だったように思います。

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朝、鎧戸の隙間から明るい光が差し込んできて、8時ともなれば、この明るさです。
また、気温も明日は16度!!!まで上がると、聞きました。

さて、昨日から新しい薬のChemotherapie(化学療法)が始まりました。
これは4種類の薬剤のMixで、やはりGemcetabinより重く、胃の辺りにずしんと来ました。
時間も前より大分掛かりますが、それが終っても、さらにもう一袋薬をポンプと一緒に取り付けてもらって、48時間、毎時5mlづつPortから入ってくるようにして貰って、かえって来ました。48時間、2日後に、Pflegestation(ケア・ステーション)からひとが来て、ポンプと空の袋を取り外してくれます。

が、このポンプと薬剤の袋(一緒にベルトの付いたポシェに入っていますが)が、カメラ(昔のです)ほどの重さがあって、ベルトで片方の肩や腕に釣れば、邪魔になる上、動きによっては滑り落ちてPortの針も抜けかねないので、昼間は肩から斜めに袈裟懸けに掛け、寝ているときは首から掛けるようにしました。尤も、寝ると言っても、5分に一回、ポンプがギュルギュルとも何とも言う音を出すので、良くは寝れません。

さて、そんなではありますが、金曜日再び人参を搾って飲み始めて、突然、以前の日常に近いことが出来るようになりました。洗濯物を干しに外に持って出る、ピアノを5時間続けてさらえる、一回も横にならずに済む・・・・・です。

初めて、”食餌療法”と言うものを信じだしたように思います。

夏にもしましたが、いい加減で、まだ必死では無かったです。人間追い詰められると、藁にもすがる気になって、
”食餌療法”をします。また、済陽先生の食餌療法の本質も、”がんの食餌療法”、20世紀始め、アメリカに渡ったドイツ人医師が考案したものと同じ、”なるべく沢山の野菜のエキスを搾って飲め”ということだった、と気が付きました。

初めて、自分の可能性、済陽先生の書かれた”末期でも治る”が本当だ、と実感しました。
また同時に、6月以来、3から5ヶ月だ、とか、上手く行って2年だ、とか、貴方にはもう時間が無い、だとか言う考えに、自分の頭も冒されていた、と言うことに気が付きました。
考案したものと同じ


koryoke at 17:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2013年03月02日

”手”を作ることを、また1から始めました。

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昨日、TVのニュースで、”ここでも冬が中々終わりませんが、日本の青森では、積雪が何メーターもで、測量器が足りない高さです。”と言って、断崖絶壁のように両側に掻き分けられた雪の下を車が走っていることろや、屋根の上の多量の雪を雪かきする人の画像が出てきました。

一昨年、本当にお世話になり、気持ちよい音楽会をさせてくださり、大変に深い理解を示してくださった、弘前、青森の皆様は、この中をどうしておられるだろうか?と、思いました。

一つだけ、これは日本で積雪に悩まされる方々には、”そんなこと!”と一笑されると思いますが、陽の光が、”矢張り日本だなあ・・・”と思うほど、明るかったことが羨ましく思ったことでした。

さて、一昨日からの人参が効いたか、昨日から”手造り”の仕事を始めました。
今ほど、テクニックを磨きなおして、純度を上げる、やり損なった指を分ける作業にピッタリの時間はありません。
時間はたっぷりありますから。

考えれば、如何なる結果が出るにせよ、”テクニックの完成”以外に、自分の希望は無いのでした。

写真は寝ぼけて見えますが、昨日さらっていると、パーッ戸と明るさが増して、フト外を見ると、如何に寒くても、これは春の光だ!と思ったときのものです。

koryoke at 16:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0)