2006年09月

2006年09月30日

Berlinの音楽会

33ffb58e.JPG昨日Philharmonieの、日にち・時間割の担当のSchwarzさんに電話しました。
一昨日来たチェックリスト、何日のどの時間に何をするか?どんな録音を必要とするか?何の設備(楽器、場所・・・)を使うか?に、リハーサルの時間等を書き込んで提出するためです。

Schawrzさんは、”おや、Frau Ryoke、こんにちは!”といとも気安く電話に出られました。Freiburgのピアノ屋さんと話するのと、ちっとも変わりませんでした。11月15日は、”一応は朝10:00〜13:00をリハーサルに取ってあるけれども、午後でもいつでも、今のところ構わないです。”ということで、ちょっと考えましたが、これでお願いしました。

午前中に、前日調整を変えたピアノをホールに上げて聞いて(弾いて)見て、まだ調整直す必要があるなら、お昼ご飯の後、地下の楽器置き場で更に仕事を続けることが出来ます。10:00〜13:00は、確かに一番良い時間でした。

このSchwarzさんや、Steinwayhaus BerlinのTesmannさんや、AgencyのGieseさんや、Berlinの人たちとコンタクトを持ってから、段々自分がどういう音楽会をBerlinでするんだか、はっきりとわかって来ました。

奇妙な感覚ですが、上にも書いたように、どの人もFreiburgのピアノ屋さんや、梅花教会のお世話くださる方や、ベガ・ホールの方たちや、と全く同じ感触の対応です。”土着の人間”、そこの人の扱いということになるかと思います。

8月末に会った、長いこと応援してくれている友達は、焦れて、”早くメージャーになれ!
じゃんじゃん批評家を招待して、ともかく良い批評を貰え!”という激励を呉れました。
あの頃は自分も半分はその積りだったかも知れません。

が、今月梅花教会とベガ・ホールで音楽会をやって見て、自分の音楽会は大いに注目されるなどということなく、前に聞いて気に入ってくださった人が、もう一度また、ひょっとするとお友達を連れて来てくださる、それで、”ああ、少し進みましたねえ。”とか、”こういう風になるんですか。”とか言ってくださる、そういうものだ、と言うことに気が付きました。

2004年の一回目の音楽会のときに、批評家が一人だけ、来ると返事を下さっていながら結局は来ませんでした。音楽会の始まる前にGieseさんが、批評家が結局来なかった、と言ったので、大いに落胆したものです。が、そのガッカリを見てGieseさんは、”何をそんなにガッカリするんだ?Berlin人に聞いて欲しいから音楽会するんだろう?Berlin人は今、ホールの中で貴方の音楽を待ってるじゃないか!”と言いました。

今、彼女のこの言葉を正確に理解できます。
11月15日の音楽会は話題にもならないし、批評家もきっと来ませんが、このGieseさんを始めとした、今まで聞いて気に入ってるBerlin人が、殊に彼女が去年日程を取った時に言った”耳のあるBerlin人”が、”もう一つのピアノ”がどうなったのだか聞きに来てくださる、そういう音楽会だろうと思っています。

写真はゆうべの夕暮れです。



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2006年09月29日

"まだ疲れた顔してるねえ。”

fc4de1ef.JPG昨日来たJekob君のお母さん、Annaさんは言いました。

”8月は熊本に行って、後は2つのプログラムさらっていて、9月になったら2回コンサートをそれぞれのプログラムでして、その2回目の音楽会の後は毎日何かあったから。”と言うと、”休暇はなかったのか?”と言うから、”無いよ。”と答えました。

朝来たRosemarieさんは、股関節の大手術はまだなのだが、とてもいい先生と病院をスイスのオルテンというところで見つけて、そこで手術を受ける予定だと言いました。

このRosemarieさんも、一昨日の晩”帰って来ました。”と電話したHippe嬢も、家の父が9月私がこっちに帰ってくる頃には、ひどく年とっていた、と言うと、同じ言葉、”Sie haben ihn strapaziert(貴方が彼を疲弊させた)!”を言いました。

何かあったら・・・と心配したHippeさんも、ともかく無事の由です。
新しい学年が始まりました。

写真は、今朝7時半の窓からの眺めです。



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2006年09月28日

”Altweibersommer(おばちゃんの夏、晩夏)”

8dd08d58.JPGAltweibersommerは独日の辞書を見れば、きっと”晩夏”で済ませてしまいますが、正確には秋が来る直前、9月末とか10月の始め頃、もう14度、15度の世界であるのに、突然20度を越す日々が来ることです。

Altweib(複数形がAltweiber)は、”おばちゃん”或いは大阪弁の”おばはん”で、Feministが聞いたら怒る差別語ですが、もはや恥じも外聞もなく、生命力に満ちて怖いもの知らず、そういう意味で、本当は一種の畏怖の念を含んでいるか、と思っています。
自分が(も)Altweib(アルトワイプ)であるからかもしれませんが。

そのAltweibersommerが昨日・今日ドイツにやって来ています。
週末にはまた天気は下り、気温も14,5度の予定だそうです。

写真は昨夜7時ごろです。

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2006年09月27日

"So ist mein Preis.(それが私の値段です。)”

3267f884.JPG午前中、取っ手が取れてしまったトランクを修繕に持っていき、17日に着たドレスを洗濯に出しをしに街に行って帰ってくると、子供(ここは2人ですが)のお母さんから電話が掛かりました。

またも曜日を替えてくれ・・ということでしたが、銀行振込がきちんと約束通り行われてない、と言ってから、”So ist mein Preis.(それが私の値段です。)"と自然に出てきました。”他の親御は皆さん、ちゃんとそうしてくださっていますから。それでも続けるかどうかは、よくお考えになってください。”と付け加えました。

自分でも、どうしちゃったのかなあ?と心配になりますが、反面ちゃんと支払って、尚且つ私の”もう一つのピアノ”を応援して、の親御さんたちがいらっしゃることを思えば、当たり前のようでもあります。

今日はお天気です。




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たった今、Steinwayhaus Berlinと契約を交わしました。

郵便受けに契約書が来ていたので、サインしてFAXすると、無事着きました。
これで、11月15日に、PhiharmonieのKammermusiksaalで”もう一つのピアノ”というものを、お客様に聞いて頂ける条件が整いました。

Gieseさんにもありがとう!と、契約を難なく結んだこと、これでコンサートで”もう一つのピアノ”を聞いてもらえるようになったこと、今度は今まで無かったほどの、透明さと同時に色合いがある、と書き送りました。

アッと言う間に返事が帰ってきて、”今までに無かったほどの、透明さと色合いのある”というところに、下線が引いてあって、”嬉しくて、楽しみ!!”とあります。

この人も、”もう一つのピアノ”のファンなのかも知れません。

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T-Netz-Box

3e2f9c61.JPG一昨日の午後から昨日一日中、”Hallo! 私は貴方のT-Netz-Boxです。”という機械の電話に悩まされました。

T-Netz-BoxがドイツTelekomの留守電サーヴィスだ、ということは知っていますが、私は頼んだ覚えが無いので、サッサと切っていました。ところが、切れども切れども、すぐ掛けて来て、少し長いこと聞くと、”・・・の場合には1のキーを押してください。”などと言います。ところが家の電話のキーは留守の間に毀れて、押しても反応しませんから、向こうの要求にも応えられません。

60回は掛かってきただろうと思います。
今になって思えば、機械は私の留守の間に、この家の番号に掛けてきた人からメッセージを預かってるので、メッセージを渡すべく忠実に私がメッセージを受け取るまで、何度も何度も掛けてきたのだと解ります。道理で、帰ってきた時、家の別のTelekomの留守電機には何も入っていませんでした。7週間ちょっと留守をして、電話が一件も入っていないなんて今までありませんでしたから、変だなあ、とは思っていました。

昨日、堪りかねてTelekomのお客様サーヴィスに電話しました。
これは5月に、以前のISDN回線からAnalog回線に替えた時のサーヴィスで、自動的に付いてくるんだそうです。・・・・!!そんなことはひとことも言わなかったでしょうが!!
従って、肝心のメッセージを聞くための秘密番号(暗証コード)も決めていません。それで、結局は聞けないのだろうと思います。

”そういうことは止めてくれ!”と言うと、”それじゃ、打ち切ります。もう一度確認のため、技術者がこの番号に電話して、それで止まります。”とのことでした。
技術者からの電話は中々掛からず、その間にも機械はセッセと、”私は貴方のT-Netz-Boxです。”と何度も掛けてきました。

いづみさん、とか、家の父も間に電話してきましたが、どれもT-Netz-Boxからのだ、と思っているため、私はウンともスンとも言わずに電話に出て、”どうしたんだ?!”とギョッとされました。

やっとTelekomの技術者が夜になって電話してきたときには、疲れ果てていました。”止めても、まだ何度かは掛かってくるかも知れませんが、そのうち止みますから。”というので、”いつか止むなら、もうそれで有り難い。”と言うと、その人は、”今貴方が電話に出た感じで、それがホントに良く判る。”と笑いました。

写真は、いづみ、Thomas Wagner夫妻が電話して、今から返しに行くよ!と昨日の朝帰ってきた、家の花共、かにサボテンと幸せのクローヴァーです。クローヴァーは暗い間葉を閉じて寝ますが、7時に撮ってもまだ葉が寝ています。夜が明けるのが遅くなりました。



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2006年09月26日

”家のTele-Fax機は壊れちゃってるんです。”

今出かけようとしたら、電話が鳴るので出ると、Steinwayhaus BerlinのTesmannさんで、”昨日一日中、FAXで契約書入れようとしたけれど、入らないわよ!”と言いました。

帰ってきて、豊中の父に”無事帰って来た。”と電話しようと思って、機械の異変に気が付きました。数字のキーを押しても反応せず、何の音もしません。もちろん電話は掛けられません。あ〜あ!です。

が、一度切って再送キーを押すと、その前に押した番号に掛かることに気が付いて、昨日はそれで暮らしました。この機械の会社Olympiaにも、そうやって電話しましたが、”もう交換部品が無いから諦めなさい!”と言われました。

電話も掛かってはきますが、FAXはダメだったものと見えます。

”ええ、留守の間に、どうも機会が毀れちゃってたみたいです。早々に新しいのを買いますが、なんと言っても一昨日の晩帰ってきたところだから、そう一遍には何でも出来ません!郵便で送ってよ!”というと、Tesmannさんは、ハハハとさも可笑しそうに笑いました。

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今日も雨です。

4fe09225.JPG一昨日、汽車でFrankfurtから帰ってくる時は、晴れていて、夜寝るまでお天気でしたが、昨日も今日も雨です。

昨日レッスンに来たMiyuさんとお母さんは、”幸さんが帰ってきてからは、ずっと雨ね。”と、さも私が雨を持って帰ってきたようなことを言っていました。まさか!

昨日、Gieseさんに切符印刷のことを頼み、Steinwayhausに”帰ってきたから、契約書を送って。”と言い、ライプツィッヒに引っ越した録音技師のDieleさんに、宝塚のDAT録音をCDにしてくれるか?と聞き、をしました。

Gieseさんも、Steinwayhaus Berlinも、”OK!やっておくよ。”という返事です。Dieleさんは、”Gerne(喜んで)やります。早速僕の所にDATを送ってください。”という返事が来たので、今から郵便局に行きます。

段々、頼めるひとが増えてきた、です。楽です。

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2006年09月25日

Bach

105d2b4d.JPG長い間の強力応援者、岡田敦子さん、”あっちゃん”から、BlogでDebussyのことを読んだけれども、”Bachを加えて頂きたい。音が美しく、各声部が自由に動いていました。”というメールを貰いました。

神戸新聞の志賀さんも初めて聞いてくださった感想を、”特にBachで、幾重にも音が重なって行くのが聞こえました。”と送ってくださいました。(志賀さんお返事まだですみません!この感想とてもありがたかったです!)

が、このあっちゃん、志賀さん、それと先週家の父が”Debussyあたりからピアノがやっと響きだしたですねえ(これもホントですが)。”と言うと、”いいえ、Bachからずっと響いていた。”と言ってくださった細谷先生と、以外からはBachのことは出ませんでした。

Bachは今度のプログラムの中で唯一、新しいもので、また弾けば弾くほど、Bachが一番最初の曲に入れた想いというものが伝わって怖くなってきます。一番最初の曲とは、一番のC-DurのPrelude、あの誰でも知っている、”アッ、どこかで聞いたことある!”というあの曲の事です。

進めば進むほど、左手がバイオリンやチェロの無伴奏ソナタ・パルティータと同じ構造で書かれていて、自分としてはクラヴィコードを弾く積りで弾かなければとても表現できない繊細なものだと言うことに気が付きました。

それで、恐ろしいことですが、一番のC-Durだけは全曲(Prelude、Fuga共に)ペダル無しで弾いています。ペダルの響き何ぞで壊すわけに行かない緊密な内容です。プログラムの始めでもあり、集中しなければ、お客様の気持ちはもうどこかへ吹っ飛んでしまいます。どうしてまた、こういう難しいことを選んだのか・・・です。

昨日、弘前の長谷川 方子さんから感想を頂きました。
長谷川さんは2年前のBerlinを聞いてくださって、以来民俗学の立場から、”感覚的なものは、一旦失われると復元が非常に困難なので、幸ちゃんのやっていることは貴重です。”と倫理的なBack-Upを下さっています。

今度、この方が遠い弘前から宝塚に来てくださるので、プログラムが自分の思ったところまで持っていけなかった私は、実は宝塚の前2日間は、良く眠ることが出来ませんでした。

が、長谷川さんのメールには以下のようにありました。(方子さん、すみません!引用させて頂きます。)
”バッハの始めの一音から、響きの美しさにびっくりしました。
音の一つ一つが透明感のある響きを持っていて、なおかつ同時に弾かれている音すべてが響いているのに濁ることが無い、という感じがしました。たぶん、皆さんが言っている四次元(3次元です。)の響きということなのでしょう。
おもわず、幸ちゃんの手をみつめてしまいました。どうやってこの音が出るのだろうと思ったのです。
やはりこれは、”もう一つのピアノ”としか言いようがないですね。
2年前のベルリンの演奏より。一段とよくわかりました。
響きがますます美しくなっているような気がします。・・・・”

”もぐら”冥利につきます。11月15日まで、せっせと掘り進むことにします。
写真は関空の入り口の橋からの、大阪・泉州から紀州への景色です。美しい場所です。

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奏法

905a3191.JPGBerlinの準備の中には、もちろんピアノのことも含まれます。

普通に、もう出来上がった自分の奏法で、演奏会を催すピアニストの方には、曲目の出来上がり具合だけが、問題となりますが、私のように奏法を復元して、自分の中に拵えて行く作業が平行して行われる場合、どちらも出来ていないといけない、ということになります。

5月の酒蔵コンサートから帰ってきて、エージェンシーのGieseさんに、”プログラム、自分の体調よろしくなく、良くなかったのだけれど、”もう一つのピアノ”の奏法が進んだので、それを人が評価してくれた。”と書き送ったところ、”言ってることが矛盾しているが、コンサートが上手く行くことと、”もう一つのピアノ”の奏法が前に進むことを比べれば、”もう一つのピアノ”が前に進むことの方がずっと大事だろう。”という答えを貰ったことがあります。

去年、次のBerlinが11月15日と決まったときから、それまでに奏法をあるところまで持ち込みたい!と熱意を燃やしました。やるぞ〜!っと1年3ヶ月突っ走ってきて、ちょっと息切れしています。只今肩で息をして立ち止まっています。

が、この間の梅花教会、1年ぶりに私のピアノを聞いてくださった方が、”どうしてあの曲集(ChopinのEtudes)を、Etude,Studyと呼ぶのか、あの日初めて解った。あの曲集の持つExercise性が浮かび上がっていた。ただただ美しい音楽として弾かれるのとは別のものだった。”と殊に3度のエテゥードと最後のが響きが立ち上がっていた、素敵だった、と書き送ってくださいました。

もう一度、最後の7週間頑張ると、ひょっとすると”もぐら”は願った所に出てこれるかもしれません。

写真は昨日の堺市・浜寺のあたりか?です。

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秋です。

5da6d5a2.JPG今朝起きてよろい戸を開けると、地面がぬれていました。夜中のうちに雨が降ったものと見えます。

出かける前の輝かしい夏はすっかり過ぎ去って、しっとりとした深みの秋が来ています。

8月日本に帰ったばかりの頃、大門夫人が”幸ちゃん、何時帰るの?”と聞くので、”9月24日。その時には、いろんな意味でもうBerlinの準備が出来ていないといけない。”などと豪語していました。

その9月24日は既に昨日です。
Berlinの準備は、8月に選ばれるはずの写真もまだこれからで、それからチラシやポスターが出来ます。Steinwayhausとの契約も、Philharmonieの印刷所と話して切符を作ってもらうのも、今日(から)です。

今までで出来ているのは、Philharmonieの06/07のシーズンの年間スケジュールに載せてもらっているのと、6月以来PhilharmonieのInternetのSite www.berliner-philharmoniker.de/de/kalenderの11月15日のところ(www.berliner-philharmoniker.de/de/kalender/20061115/day/all/)に副題の”Das andere Klavier(もう一つのピアノ)”付きで出ていることだけです。

それでも、今日から、ちょうど私が日本で過ごしたのと同分量の7週間ちょっと、11月15日まであります。まだ随分たくさん出来ると思っています。

写真は、昨日関空へ行くリムジンバスから撮った、早朝の大阪です。
気候温暖で、秋は殊に美しいこういう場所を、どうしてまた離れて、秋冬の気候の厳しいヨーロッパに戻るんだろうか?と自分でも不思議に思いました。



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夕方、こちらに戻りました。

5d965ed5.JPG暖かいです。夕方帰ってくると、隣の家は庭でワアワアとパーティーをしていました。

スイスは今日は国民投票の日で、厳しくなった移民法は68%の圧倒的な支持率で承認されました。スイスにパスポートなしで入国、国籍申請することは不可能になりました。ハンガリーでは、新政権が経済状態を実際より良く発表する”粉飾決算”が明るみに出て、”真相”と”真実”、また4月の政権交代の選挙もインチキだったのではないか、と退陣を求めてデモをしています。

ヨーロッパは動いている、です。

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2006年09月23日

”最後までずっと楽しかったじゃないか!”

さっき、晩御飯の時に、”8月中ごろまではのどかで楽しかったねえ。”と言うと、父が上に書いたように返しました。

8月後半から9月にかけて、私が2つ別のプログラムで、あっぷあっぷ、ヨレヨレになって、それのせいで父も切りきり舞させられて、段々皆が心配して言った”疲れたはる・・”状態になっていったのに、です。父の学友の奥様、桑畑夫人の”親ってそういうもんよ。”という言葉を思い出しました。

要介護から要支援になったので、一昨日介護ベットを返し、元々の家のベッドに寝ています。どうもどのベッドも上手く行きません。柔らかすぎる、硬すぎる・・。電気毛布ももう入れて、カーペットも敷いて、冬の支度です。ついこの間まで夏だったと思うんですが。

エア・コンも湯沸しポットも皆治りました。
いい夏だった、と思っています。



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今週の画像 9月23日

b9ce3124.jpg2週間ほど前は、法王ベネディクト16世のイスラム批判と、イスラム教国のそれへの抗議運動がAOLのニュースの中心でした。

一昨日は、ヴェネズエラのチャヴェス大統領の国連での演説、ブッシュ米大統領のことを、”悪魔””うそつき””独裁者””人類に対する脅威”などと、歯に衣着せず呼んで、その脅威から世界・地球人類をまもるのが自分達の義務だ、と言ったことが、そして今日は、もちろん昨日のリニア・モーターカーが掃除の車に衝突して、23人死亡、11人重症の大事故がメイン・ニュースです。

が、今日は土曜日ですから、”今週の画像”も8,9枚掲載されています。
その中の一枚。1895年9月20日生まれのベルリン人、イルムガルト・フォン・ステファーニさんの111歳のお誕生日のものです。彼女はこれで、ドイツで最年長の女性ですが、1グラスのシャンパンを手に、”私は、余すところ無く(もう何の望みも特別に無いほど)幸せだ。”と言っています。

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豊中滞在もお終いです。

2bd2f3d5.JPG終わってみれば7週間はアッという間です。

それでも色んなことがありました。
沢山の人に(友達、知り合い、メディア、ホール・・・)助けてもらって、やっと出来たこの間の日曜日のコンサートは、私の心配に反して好評です。昨夜ご招待を下さった国文学者の宮地先生は、”僕は素人でよく分らないんだけれども、この間のは何だかとても良かった。”と言われました。

この宮地先生や、大門夫人や、金川 智恵さんや、行岡病院細谷先生、従姉妹のセシリアさん・・・のように、ずっと”もう一つのピアノ”を聞いて来て下さった方は、”来たねえ。””美しいよ。”と評価をくださいます。Brahmsの終わりごろには、ピアノの上空に響きの構築物が立っているのが見えた、という人もいます。

が、初めて聞いたピアノの方の中には、面食らうとか、とまどう、とかいう方もおられます。埼玉からWebサイトを見て、興味深く思って聞きに来て下さった高校の後輩の方は、”受けた衝撃が自分の中で消化されて、これが何だったか判るまで長い時間を要すると思う”という意味のことを、楽屋に来て怖い顔をしてにこりともせず、正直に言われました。

2004年のBerlinのPhilharmonie室内楽ホールでのリサイタルの後、”美しいけれども、そんなに普通のピアノと違うと思わなかった。”と初めて聞いたGieseさんに言われてから2年半。やっと、もうどう聞いてもピアノじゃなくなったのだろうと思います。

この夏の成果です。
父は”幸台風”の疲労から、只今徐々に回復中です。
写真は陽だまりの中の”捨て”の塚です。






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2006年09月22日

BerlinのGieseさんからのメール

b1fb1493.JPG昨日やっとBerlinのGieseさんに報告のメールを送りました。

コンサートは成功したけれども、残念ながらそう沢山は資金がないので、11月のコンサートの宣伝はいつもと同じようにしか出来ないこと。ピアノの専門雑誌への広告掲載はせず、また新聞広告も去年と同じ2回だけとすること。ただ、チラシ・ポスターは彼女の提案どおり、去年、一昨年より良い判の色つきの写真も付いたものにすること。を書いて、これじゃ少ないだろうか?と聞きました。

今朝起きてメールボックスを開けると、返事が来ていました。
”Nein(そんなことない)。何とかチラシ、ポスターでも自分達は行けると思う。”とあり、色つきのチラシを少し安く作れる方法を見つけたので安心するようにとありました。今彼女は今月28日と10月4日のPhilharmonieでのコンサートに忙しいので、10月4日が済んだらチラシに載せる写真の選定をして私に意見を聞く、とありました。

写真家からもどの写真を使うか?と電話があったが、写真家と特別の契約書を交わしてあるか?自由に写真が使えるか?と、心配して、まだなら結べ、とあります。

日曜日の夕方Freiburgの家に帰ると、Berlinの準備が始まります。





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2006年09月21日

Debussy

音楽会が終わった後、東京から聞きに来てくれた高山圭子ちゃんが、”ドビュッシーってああいうものだったのね。私はまるで違ってとってた。今日聞いて、印象派の絵だと思った。波の音が聞こえてきた。”と言いました。

去年の9月、10月に梅花教会と大門酒造酒蔵コンサートで、このプログラム(Bachが違いますが)を弾いた時、何人かの方がドビュッシーに難色を示されました。”ドビュッシーに気が無い、というのが良く分る。”というその批判が、私には分らなかったので本当に不安になりました。気が無いわけでも、何かをした訳でもなく、他の作品同様、”もう一つのピアノ”で解釈して弾いていましたから。また別の方は、”官能的ですね!”といって感動して居られたので。

私がある種のドビュッシー像に反する何かをしたのだろう、とは思っていましたが、さりとて私にはそうとしか取りようも弾きようも無く、また”もう一つのピアノ”のドビュッシー像は、私には充分に美しかったのです。

2月にFreiburgでプログラムを弾いた時には、ドビュッシーが好い!派とブラームスが一番!派にお客様が割れましたが、ドビュッシーがいけない、と言った人は一人もいませんでした。

今度宝塚で弾く前に、奏法が少し前年より進んで響きがもっと付いてきても、ドイツ人(だけではないので、ヨーロッパ人)と日本の人の感覚の違いもあるか?とも思い、またも理解されないのではないか?不評ではないか?と、不安がよぎりました。

去年の酒蔵を聞いて、”いつもlightだと思っていたのに、今日はheavy
だった。テクニックを変えたのか?”と難しい顔をして帰った、従姉妹(従兄弟の奥さん)のCeciliaさんは、宝塚の楽屋にニコニコしてやって来て、”100%良かった!!”と言いました。

昨日ご主人の従兄弟からメールが来て、”ドビュッシーが印象深かった。3次元の中をフルに縦横無尽に広がる音の素晴らしい陰影に圧倒された。”とありました。

ドビュッシーが終わって袖に引っ込んだ時、調律の松本さんが言った、”お客さんが喜んでいるのが伝わる。”というのを思い出しました。”そんなこと分らない!”と口答えすると、”僕には分る!”と松本さんは言いました。


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朝日新聞の夕刊

19b3c9dd.JPG8月31日の水曜日の夕刊の催し物案内に載せて頂きました。
読者5組10名様ご招待をしました。沢山のハガキを頂いて、当選されなかった方々には、ご案内を出しました。経歴やWebサイトやを見ていただければ、と思ったからです。

そこからどなたか来て下さるだろうか?とずっと思っていました。
18日に書いた”天から恵みが来ました。”にコメントが来ました。長いこと本当にとんでもないコメントばかり来ていましたから、”また!!”と開けると、”もう一つのピアノ”を初めて聞いてくださった方からの感想、激励でした。ありがとうございました!

これはいつもの様には消さず、そのままにしてあります。Comment(1)というところでどの方にも見ていただけます。ハガキの中に、このBlogを読んでいるという方が居られたので、その方だろうか?と思っています。

また、音楽会の後、友達が車で家に運んでくれた頂き物の中に、お菓子の詰め合わせがあり、中に”当選なさいましたので・・”という私の手紙が入っていました。”ピアノの好きな娘と一緒に行きます。”とハガキに書いておられた方のでした。この方とピアノの好きなお嬢さんはどう思われただろうか・・と思っています。








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2006年09月20日

”勝つ、という手がありますなあ。”

4488d1d4.JPG本当に久しぶりに私のピアノを聞きに来て下さった方が、宝塚で休憩の間に家の父に、ポツンとこう漏らされたんだそうです。

世界中(?)の今というのを向こうに、今と違うことを私程度がするなんて無理だなあ、という風に前に言っておられたことがあります。この3月に関学アメリカン・フットボールの小野宏さんが、”勝ち目の無い戦い”と言っておられたのと同じことです。

宝塚にピアノ関係者(とは調律の方のことでしょうか?)の方が来ておられて、”一体どこがもう一つのピアノなんだろう?”とか、綺麗さっぱり分らないようなひどいことを言っていたんだそうです。今その人達の前の列に座っていた、という方から伺いました。

昨日父の定期検診に付いていった、行岡病院の細谷先生は、”良かったですねえ。出てきましたねえ。弦楽器そのものですね。”と言われました。

アンデルセンの”裸の王様”と言うのがあります。あれは王様はだまされて、本当は裸なんだけれど、洋服を着ていると思わされている話しです。
私のはそれの反対で、聞こえない人には”裸だ”と見えますが、聞こえる人には音楽の”色合い”が見える、そういうものらしいです。

勝つという可能性も見えてきたよ、という人の言葉を有難く、真っ直ぐ進もうと思います。

今日は秋晴れです。

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2006年09月18日

昨日、天の恵みが来ました。

昨日は、来ると言っていた台風も逸れて、雨も音楽会が終わるまで降りませんでした。天の助けです。

が、本当の天の助けは、松本さんのお仕事に下りてきました。
昨日、調整状態をまだ更に精密にすることになって、ある要素を試していました。その状態も松本さんが、或いは今日では普通には、ひとが思うのとは、ちょうど反対であったらしく、始め躊躇されました。それでも、その状態で弾くと良く、”ああ、段々解ってきましたよ!”と言われました。

もう何年も”もう一つのピアノ”を出して下さっていますから、これは不可解な言葉に響きますが、調律の方の理解・了解の仕方は、弾き方とその響き方を見聞きして、それで深まっていくもののようです。

右に行こうと思うと左に手が行くような奇妙なことが起った昨日、聞いた方が”感激しました。”と楽屋に来て言われたのを聞いて、初め我が耳を疑いました。総てのことをきちんと仕切れた2週間前の梅花教会も聞いて、”Chopin印象深かったです。17日にはChopin聞けないから今日も来て良かったです。”と言われたその方は、”感激しました。”ときっぱり言われました。

右に行くはずの手が左に行くのは、どの方も聞かれたと思います。それでも袖に居られる松本さんが、”みんなが喜んでるのが伝わる。”と言われたのは、そうなのかなと思い始めています。

この松本さんの更に進んだ調整に救ってもらったなあ、と思っています。
が、先ほどやっと、これが神様にどうぞお助けください!と願った、その天恵だったのだと気が付きました。

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