前回に引き続き、賃金を減らせる場合と減らせない場合について解説をさせてもらいます。
1.調整的相殺-賃金を払い過ぎていたときは?
ちょっと難しそうな言葉が登場してすみませんが、「調整的相殺」という仕組みによって、賃金が減ることがあります。
■第1回:賃金の基本ルールで紹介した賃金全額払の原則(労働基準法24条)によれば、賃金債権と不当利得返還債権や損害賠償債権とを「相殺」することは通常はできません。
でも、例外的に、「調整的相殺」をする場合は、一定の要件を満たせば、相殺ができると考えられています。
☑ 計算ミスをして賃金を払い過ぎていた場合
☑ 欠勤が賃金計算の直前だったために、
労務不提供分を反映できなかった場合
などで、次期以降に支払われる賃金から、払い過ぎた分の賃金を差し引くことを、「調整的相殺」ないし「精算的相殺」と呼びます。
調整的相殺ができるかどうかについて、最高裁判所昭和44年12月18日第一小法廷判決(民集23巻12号2495頁)は、次のように判示しました。
※ 後でかいつまんだ説明をするので、下の引用部分は読まなくてもいいです。
賃金支払事務においては、一定期間の賃金がその期間の満了前に支払われることとされている場合には、支払日後、期間満了前に減額事由が生じたときまたは、減額事由が賃金の支払日に接着して生じたこと等によるやむをえない減額不能または計算未了となることがあり、あるいは賃金計算における過誤、違算等により、賃金の過払が生ずることのあることは避けがたいところであり、このような場合、これを精算ないし調整するため、後に支払わるべき賃金から控除できるとすることは、・・・賃金支払事務における実情に徴し合理的理由があるといいうるのみならず、労働者にとっても、このような控除をしても、賃金と関係のない他の債権を自働債権とする相殺の場合とは趣を異にし、実質的にみれば、本来支払わるべき賃金は、その全額の支払を受けた結果となるのである。このような事情と(労働基準法)二四条一項の法意とを併せ考えれば、適正な賃金の額を支払うための手段たる相殺は、・・・その行使の時期、方法、金額等からみて労働者の経済生活の安定との関係上不当と認められないものであれば、同項の禁止するところではないと解するのが相当である。この見地からすれば、許さるべき相殺は、過払のあった時期と賃金の清算調整の実を失わない程度に合理的に接着した時期においてされ、また、あらかじめ労働者にそのことが予告されるとか、その額が多額にわたらないとか、要は労働者の経済生活の安定をおびやかすおそれのない場合でなければならないものと解せられる。
裁判所の判決というのは、一文がとても長いです。
そこがカッコイイというか、格調の高さを感じさせるところではあるのですが、やっぱり頭に入ってきにくいですよね。
上の最高裁判決が何を言っているかというと、大雑把にいえば、
① 払い過ぎた賃金を、後で賃金から控除することには、それなりの理由がある。
② 労働者からみても、本来もらわなきゃいけないものは全部もらってる。
③ じゃあ、労働者の生活を不安定にするような控除のやり方でなければOKだよ。
② 労働者からみても、本来もらわなきゃいけないものは全部もらってる。
③ じゃあ、労働者の生活を不安定にするような控除のやり方でなければOKだよ。
ということです。
ここで、労働者の生活の安定をおびやかすような控除になってしまうか否かは、時期、方法、金額をみて考えることになっています。
払い過ぎた月と控除する月が近くて(時期)、前もって控除することを予告していて(方法)、その額が多額にわたらない(金額)といった場合であれば、生活をおびやかすことはないといえるので、調整的相殺が許されるわけです。
例えば、基本給月額20万円の営業社員Aさんの場合、過払いが生じてから半年も経っていて(時期)、何の予告も無しに不意打ちで(方法)、10万円も引く(金額)となると、調整的相殺として許容される範囲を超えることになると思います。
2.降格-懲戒処分として
労働契約や就業規則で、職位と賃金額とが連動している場合には、降格=賃金を減らすことにつながります。
降格は、①懲戒処分として行われるものと、②人事権の行使として行われるものがあります。②は次の3.で説明するので、ここでは①の懲戒処分についてお話をします。
懲戒処分とは、使用者が労働者の企業秩序違反行為に対して課す制裁罰(不利益措置)です。要するに、いけないことをしたときに出されるペナルティですね。
その種類として、戒告・けん責、減給、出勤停止、降格、論旨解雇、懲戒解雇などがあります。
一般的には、使用者が労働者を懲戒するには、就業規則などの労働契約上の根拠が必要であると考えられています(最高裁判所平成15年10月10日第二小法廷判決・裁判集民211号1頁、最高裁判所平成18年10月6日第二小法廷判決・裁判集民221号429頁)。
なので、降格という懲戒処分をするためには、就業規則などの中に、「降格」という懲戒処分があることが定められている必要があります。
また、■第2回 で紹介した減給処分と同様に、懲戒処分としての降格は、客観的に合理的な理由があって、社会通念上相当であると認められないときは、無効になります(労働契約法15条)。
ですので、懲戒事由があったといえるだけの合理的理由がないと、懲戒処分としての降格はできません。それに、懲戒事由があったとしても、他の軽い処分で足りるなら、降格することはできません。
さらに注意が必要な点ですが、就業規則などの中で、職位と賃金額とが連動していないときは、降格をしたからといって、当然に賃金を減らせるわけではありません。
例えば、就業規則上、係長であっても係長じゃなくても賃金が変わらないときに、係長から降格したという理由で、賃金を減らすことはできないのです。
3.降格-人事権の行使として
下の図は、■第1回:賃金の基本ルール でもご覧頂いたものですが、改めて貼っておきます。
人事権は、労働者の役割を定める使用者の権限です。
この権限は、労働契約上当然に予定されていると一般的に解釈されています。
「働きます」→「お金を払います」という約束の具体的な中身として、使用者が決めた配置・役割に基づいて働くこと、使用者の指示に従うことも含まれているのです。
労働者のほうから「俺を部長にしろ」と求める権限があるわけではなく、使用者のほうが、労働者の職業能力の発展などに応じて、「Aさんを部長にしよう」「Bさんは部長から降ろそう」と決める権限があるのです。
なので、就業規則に根拠がなくても、人事権の行使として、労働者の職位を降格させることが可能です。
ただ、何の根拠もないのに、嫌がらせなどの不当な目的で職位を降格させた場合には、損害賠償責任を負う可能性もあるとは思います(私見)。
問題になるのは、部長、課長などの職位の降格ではなく、資格・等級の引き下げとしての降格です。この場合は、使用者の降格権限を、就業規則などで明確に定めておくことが必要だといわれています(東京地方裁判所平成8年12月11日決定など)。
いずれにせよ、上の懲戒処分の話と同様に、職位や資格等級と賃金額とが連動していないときは、降格をしたからといって、当然に賃金を減らせるわけではありません。
(第4回)
賃金を減らす-就業規則変更
に つづく
第2回:賃金を減らす-減給は簡単じゃない?
第3回:賃金を減らす-調整的相殺、降格
第4回:賃金を減らす-就業規則変更
第5回:平均賃金-どんなときに、どうやって使う?
第6回:週40時間、1日8時間-どうやってカウントする?