安保法制違憲

 この記事は、大分で安保法制違憲訴訟が提起されたことを受け、「国会前へ」と題した2015年9月17日の日記と、「ガチとろうえ」と題した2015年12月6日の日記に加筆をしたものです。


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1.国会前へ


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 2015年9月17日、吸い寄せられるように、国会議事堂の前へと足を運んでいました。

 私が国会議事堂を肉眼で捉えたのはこの日がはじめてでした。

 警視庁の車が列をなしていて、ひどくものものしい雰囲気でした。

 このわずか2日後、多くの人が落胆することになりました。国の設計図である憲法に違反して、平和安全法制整備法(我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律)が成立し、集団的自衛権の行使が容認されてしまったのです。

 私は、日本中の子ども達に謝りたい気持ちでいっぱいでした。

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2.ガチとろうえ!憲法9条にノーベル平和賞


 2015年12月6日、ホルトホール大分で開催された講演会「ガチ取ろうえ!憲法9条にノーベル平和賞」に参加させて頂きました。

 伊藤塾塾長の伊藤真弁護士が「マジ!すてき憲法9条~9条は日本の宝、世界の宝~」と題して講演されました。うわさで聞いていたとおり、伝統芸能のようなすばらしい語りでした。

ガチとろうえ

 写真手前にうつっているのは、「津久見樫の実少年少女合唱団」の方々が置いた折り鶴です。やさしくて説得力のある歌声に、何度も落涙しました。

 こうした講演会等を経て、大分でも、「安保法制をこのままにしてはおけない」という気運が高まっていったように感じています。

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3.「安保法制違憲訴訟の会・大分発足」と提訴


 2015年9月19日に成立した平和安全法制整備法(我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律)が違憲であることを明らかにするための訴訟が、東京・大阪・福島・広島・長崎をはじめ全国各地で起こされています。

 大分でも、安保法制違憲訴訟の会・大分が結成され、2017年1月10日、訴訟が提起されました。私も原告弁護団の末席を汚しており、訴状提出の場には立ち会わせて頂きました。

 第1回口頭弁論期日は2017年5月25日午前10時30分に、第2回口頭弁論期日は2017年7月20日午前10時30分に予定されています。

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4.訴状-この裁判で原告らが求めていること


 安保法制違憲訴訟の会・大分のホームページで、訴状のPDFデータが公開されています。

 PDFが閲覧できない人のために、内容を以下に引用します。

 「原告ら」は大分県民で、「被告」は国です。

【請求の趣旨】

1 被告は、原告らそれぞれに対し、各金10万円及びこれに対する平成27年9月19日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
との判決並びに第1項につき仮執行の宣言を求める。

【請求の原因】

目  次

第1 国の公権力の行使に当たる公務員による、その職務を行うについての加害行為と原告らの権利侵害の概要
第2 集団的自衛権の行使等を容認する新安保法制法は違憲であり、その制定に係る内閣及び国会の行為は違法であること
1  新安保法制法制定の経緯
2  集団的自衛権の行使が違憲であること
3  後方支援活動等の実施はいずれも違憲であること
4  砂川事件判決について
5  新安保法制法の違憲性とその制定に係る内閣及び国会の行為の違法性
第3 新安保法制法の制定に係る行為による原告らの権利侵害
1 集団的自衛権の行使等によってもたらされる状況
2 各事態においてとられる措置と国民の権利制限・義務等
3 集団的自衛権の行使等による自衛隊の海外出動と戦争参加による国民・市民の権利侵害の危険性・切迫性
4 原告らの権利、利益の侵害(概論)
5 原告らの権利、利益の侵害(詳論)
第4 原告らの損害
第5 公務員の故意・過失及び因果関係
1 公務員の故意・過失
2  加害行為と損害との因果関係
第6 結論
第7 最後に

【法律の題名の略称】

(以下、特記するもの以外は第189回国会での改正後の題名)
・ 平和安全法制整備法:我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律
・ 武力攻撃事態対処法(改正前):武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律
・ 事態対処法:武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律
・ 周辺事態法(改正前):周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律
・ 重要影響事態法:重要影響事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律
・ 国際平和支援法:国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律
・ 国連平和維持活動協力法:国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律
・ 国民保護法:武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律
・ 特定秘密保護法:特定秘密の保護に関する法律
・ テロ特措法:平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議に基づく人道的措置に関する特別措置法
・ イラク特措法:イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法

第1 国の公権力の行使に当たる公務員による、その職務を行うについての加害行為と原告らの権利侵害の概要

1 新安保法制法の制定

 2015(平成27)年9月19日、第189回国会の参議院本会議において、いわゆる新安保法制法案(自衛隊法をはじめとする10本の法律の改正法案である平和安全法制整備法案及び新法制定法案である国際平和支援法案、本訴状においてはこれらの法案を総称して「新安保法制法案」と、可決成立したこれらの法律を総称して「新安保法制法」と、新安保法制法に基づく法体制を「新安保法制」という。)が採決され、賛成多数で可決成立した。そして、これらの法律は、2016(平成28)年3月29日施行された。

2 新安保法制法案に向けての閣議決定・国会提出

 新安保法制法案の基本的な内容は、2014(平成26)年7月1日の閣議決定である「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」(以下「26・7閣議決定」という。)に基づくものであり、内閣は、2015(平成27)年5月14日、26・7閣議決定の趣旨に沿って、新安保法制法案を閣議決定し(以下「27・5閣議決定」という。)、翌15日これを国会に提出した。

3 新安保法制法の中心的内容

 新安保法制法案の中心的な内容は、政府が従来一貫して、憲法9条の下では許されないとしてきた集団的自衛権の行使を「存立危機事態」における防衛出動として容認し、また、これまで武力を行使する他国に対する支援活動を「非戦闘地域」等に限る等としてきた限定を大きく緩和し、「現に戦闘行為が行われている現場」以外の場所であれば、世界中で、弾薬の提供まで含む兵站活動を「後方支援活動」ないし「協力支援活動」として広く認めようとする、などの点にある。

4 新安保法制法の制定行為の違憲性

 しかし、このような新安保法制法案によって容認される実力の行使は、戦争を放棄し、戦力の保持を禁止し、交戦権を否認した憲法9条に明らかに違反するものであり、憲法9条の改正なくしてできることではない。成立したとされる新安保法制法は、憲法9条に違反して無効である。また、このように内閣及び国会が、憲法改正の手続をとることなく、恣意的な憲法解釈の変更を行い、閣議決定をし、法律を制定して、憲法の条項を否定することは、憲法尊重擁護義務に違反し、憲法改正手続をも潜脱するものとして、立憲主義の根本理念を踏みにじるものであり、同時に国民主権の基本原理にも背くものであって、違憲・違法である。

5 新安保法制法の制定過程の反民主主義性

 なお、この新安保法制法案の採決に至る過程においては、上記のような極めて重大な問題を抱える法案に対する国民・市民の反対や、慎重審議を求める声が大きな世論となり、国会周辺及び全国各地での広汎な反対運動が展開された。また、元最高裁判所長官と複数の元最高裁判所判事や、歴代の元内閣法制局長官が、集団的自衛権の行使が違憲であることはもはや確立した法規範となっているとの見解を示し、圧倒的多数の憲法学者、さらには日本弁護士連合会をはじめ各都道府県の単位弁護士会が新安保法制法案が違憲であり、これに反対する旨の意見表明をした。しかし、政府・与党は、これら国民・市民や法律家の声に背を向けて、衆議院及び参議院での採決を強行し、法案を「成立」させてしまった。中でも参議院平和安全法制特別委員会における採決は、地方公聴会の報告もされず、総括質疑も行わず、「議場騒然、聴取不能」としか速記に記録されない混乱の中で「可決」したとされる異常なものであった。このような国会のありようは、日本の民主主義制度を根底から揺るがすものと言わざるを得ない。

6  原告らの権利侵害

(1)原告らは、日本国憲法の下で生きる国民であり、市民である。原告らはこれまで、日本国憲法の下で平和的生存権を含む基本的人権を享受し、またその保持のために不断の努力を重ねてきた。
 日本国憲法は、日中戦争・太平洋戦争の反省をふまえ、再び加害者となることがないように、非戦・非武装の原則に立ち、政府の行為によって再び戦争が起きることのないように国民を主権者として、「戦争をしない国」にした。そして、「全世界の国民が、ひとしく平和のうちに生存する権利を有することを確認」し、戦争のない世界をつくることを誓ったのである。そして、戦後70年にわたり、国民は、この日本国憲法の平和主義の原理のもと、他国を攻撃することなく、それゆえに報復攻撃による被害を受けることもない国に生きる権利を誇りとし、信条としてきたのであり、原告らは等しくその思いを抱いてきた。
 ところが、新安保法制法の制定は、日本の「戦争をしない国」という原則を壊し、再び国が加害者となり、国民や市民がその共犯者とみなされることを意味した。そのため、日本国が報復攻撃を受けたり、日本国民や市民がテロリズムの標的になって、日本国民や市民が被害を受ける危険を招いたのであり、これによって、国民や市民の平和の内に生存する権利は損なわれたのである。

(2)憲法9条に違反する新安保法制法の制定は、当然にその実施を予定するものであり、現に2016(平成28)年3月29日施行され、中谷防衛大臣(当時)は施行直前の記者会見において、新たな任務については準備期間を経て実施する旨述べた。そして、2016(平成28)年11月15日、安倍内閣は、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣する陸上自衛隊の部隊に、安全保障関連法に基づく新任務として「駆け付け警護」を付与することなどを盛り込んだ実施計画を閣議決定した。そして、現地時間の2016年12月12日午前0時をもって駆け付け警護が及び宿営地の共同防衛が可能な態勢が整ったと報じられている。
 このようにして、集団的自衛権の行使、後方支援活動、協力支援活動等の任務が実施された場合、日本は、行使の相手国から敵対国とみなされ、テロを含む攻撃を受けることになる。原告らは、これから起こるであろうこれらの事態を予測し、言葉に表せないほどの精神的 苦痛を受けている。

(3)新安保法制法の制定は、原告らの上記平和的生存権、人格権を侵害するとともに、国民投票権の保障に現れている、原告ら国民が自らの意思に基づいて憲法の条項と内容を決定する根源的な権利(本書面では「憲法改正・決定権」という。)をも否定するものである。

7 まとめ

 以上のとおり、新安保法制法の制定に係る内閣(その構成員である各国務大臣)による26・7閣議決定、27・5閣議決定及び同法案の国会提出並びに国会(その構成員である国会議員)による同法案の可決、制定は、①憲法前文及び9条の下で、戦争や武力の行使をせず、戦争による被害も加害もない日本に生存することなどを内容とする、原告らの平和のうちに生存する権利(平和的生存権)を侵害するものである。②また、日本が外国の戦争に加担することによって、 国土が他国からの反撃やテロの対象となり、あるいは外国での人道的活動・経済的活動等を危険に晒すなど、生命・身体の安全を含む人格権を侵害する。③そして、憲法改正の手続を経ることなく憲法違反の法律によって憲法の規定を実質的に改変してしまった今回の新安保法制法制定の過程と手続は、憲法改正・決定権を侵害するものでもある。

第2 集団的自衛権の行使等を容認する新安保法制法は違憲であり、その制定に係る内閣及び国会の行為は違法であること


1 新安保法制法制定の経緯

(1)内閣は、前記のとおり、26・7閣議決定を行った。
同閣議決定は、「我が国を取り巻く安全保障環境は根本的に変容するとともに、更に変化し続け、我が国は複雑かつ重大な国家安全保障上の課題に直面している」「脅威が世界のどの地域において発生しても、我が国の安全保障に直接的な影響を及ぼし得る状況になっている」などとの情勢認識に基づき、「いかなる事態においても国民の命と暮らしを断固として守り抜くとともに、国際協調主義に基づく『積極的平和主義』の下、国際社会の平和と安定にこれまで以上に積極的に貢献するためには、切れ目のない対応を可能とする国内法制の整備をしなければならない」として、次のような法整備等の方針を示した。
①「武力攻撃に至らない侵害への対処」として、警察機関と自衛隊との協力による対応体制の整備、治安出動や海上警備行動の下令手続の迅速化の措置、自衛隊による米軍の武器等防護の法整備等を行う。
②「国際社会の平和と安定への一層の貢献」として、(1)後方支援について、他国軍隊の「武力の行使との一体化」論自体は前提としつつ、従来の「後方地域」や「非戦闘地域」に自衛隊の活動する範囲を一律に区切る枠組みではなく、他国が「現に戦闘行為を行っている現場」でない場所でならば支援活動を実施できるようにする。(2)PKOなどの国際的な平和支援活動について、駆け付け警護や治安維持の任務を遂行するための武器使用、邦人救出のための武器使用を認める。
③「憲法第9条の下で許容される自衛の措置」として、後に新安保法制法において、存立危機事態における防衛出動として位置づけられる集団的自衛権の行使を、憲法上許容される自衛のための措置として容認する。

(2)政府は、その後、2015(平成27)年4月27日、アメリカ合衆国との間で、新安保法制法案の内容に則した新たな「日米協力のための指針」(新ガイドライン)を合意した上、内閣は、前記のとおり、同年5月14日、新安保法制法案の27・5閣議決定を行った。この法案は、自衛隊法・事態対処法・周辺事態法・国連平和維持活動協力法等10件の法律を改正する平和安全法制整備法案と、従来のようなテロ特措法・イラク特措法等の特別立法なしに随時自衛隊を海外に派遣して外国軍隊を支援できるようにする一般法としての新規立法である国際平和支援法案の、2つの法案によって構成されたものである。そして政府は、翌5月15日、同法案を衆議院に提出した。
 法案の内容は、基本的に26・7閣議決定に基づくものとなっているが、それを超えた部分もあり、重要な点として、例えば、後方支援について、従来の「周辺事態」を「重要影響事態」に広げて地理的限定なく自衛隊を派遣できるようにし、また、特別立法なしに世界中で生ずる「国際平和共同対処事態」にいつでも自衛隊を派遣できるようにし、さらにこれらの後方支援の内容として他国軍隊に対する弾薬の提供や戦闘作戦行動のために発進準備中の航空機に対する給油・整備を可能とした。また、国連平和維持活動協力法においても、国連が統括しない「国際連携平和安全活動」にも自衛隊が参加できるようにしたなどの点がある。

(3)新安保法制法案は、衆議院で同年7月16日に可決され、参議院で同年9月19日に可決されて、同月30日公布され、2016(平成28)年3月29日施行された。

2 集団的自衛権の行使が違憲であること

(1)集団的自衛権の行使容認
 新安保法制法は、自衛隊法及び武力攻撃事態対処法を改正して、これまでの武力攻撃事態等(武力攻撃事態及び武力攻撃予測事態をいう。以下同じ。)という概念に加えて、存立危機事態という概念を創り出し、自衛隊が、個別的自衛権のみならず、集団的自衛権を行使することを可能とした。すなわち、改正後の事態対処法2条4号において、存立危機事態は「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」と定義され、自衛隊法76条1項2号は、防衛出動の一環として、存立危機事態における自衛隊の全部又は一部の出動を規定した。そして防衛出動をした自衛隊は、「必要な武力の行使をすることができる」(同法88条1項)ことになっている。

(2)憲法9条の解釈における集団的自衛権行使の禁止
 憲法9条の解釈については、A:自衛のための戦争を含めてあらゆる武力行使を放棄して非武装の恒久平和主義を定めたものであるという解釈から、B:自衛のための必要最小限度の実力の保持は憲法も許容しているとの解釈、さらには、C:否定されるのは日本が当事者となってする侵略戦争のみであって集団的自衛権の行使も許されるとする解釈まで、様々な立場がある。
そして、日本政府は、これまで、日本国憲法も独立国が当然に保有する自衛権を否定するものではなく、自衛のための必要最小限度の実力組織である自衛隊は憲法9条2項の「戦力」には当たらないとする一方で、その自衛権の発動は、①日本に対する急迫不正の侵害があること、すなわち武力攻撃が発生したこと、②これを排除するために他の適当な手段がないこと、③必要最小限度の実力行使にとどまるべきことの3つの要件(自衛権発動の3要件)を満たすことが必要であるとの解釈を定着させてきた。そして、政府は、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず自国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃に対して実力をもって阻止する権利としての集団的自衛権の行使について、前記の自衛権発動の3要件、特に①の要件に反し、憲法上許されないと解してきた。
 また、政府は、③の要件の自衛権による実力行使の「必要最小限度」については、それが外部からの武力攻撃を日本の領域から排除することを目的とすることから、日本の領域内での行使を中心とし、必要な限度において日本の周辺の公海・公空における対処も許されるが、反面、武力行使の目的をもって自衛隊を他国の領土・領海・領空に派遣する、いわゆる海外派兵は、一般に自衛のための必要最小限度を超えるものであって、憲法上許されないとしてきた。
すなわち、政府は、自衛隊による実力の行使は、日本の領域への侵害の排除に限定して始めて憲法9条の下でも許され、その限りで自衛隊は「戦力」に該当せず、「交戦権」を行使するものでもないと解してきたが、それ故にまた、他国に対する武力攻撃を実力で阻止するものとしての集団的自衛権の行使は、これを超えるものとして憲法9条に反して許されないとしてきたのである。
 この海外派兵の禁止、集団的自衛権の行使の禁止という解釈は、昭和29年の自衛隊創設以来積み上げられてきた、一貫した政府の憲法9条解釈の基本原則であり、内閣法制局及び歴代の総理大臣の国会答弁や政府答弁書等において繰り返して表明されてきた。それは、憲法9条の確立された政府の解釈として規範性を有するものとなり、これに基づいて憲法9条の平和主義の現実的枠組みが形成され、「平和国家日本」の基本的あり方が形作られてきたのである。

(3)閣議決定と新安保法制法による集団的自衛権行使の容認
ところが、政府は、2014(平成26)年7月1日、上記のこれまでの確立した憲法9条の解釈を覆し、集団的自衛権の行使を容認することなどを内容とする26・7閣議決定を行い、これを実施するための法律を制定するものとした。
 すなわち、「我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、①我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、②これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、③必要最小限度の実力の行使をすること」は、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されるとし、この武力の行使は、国際法上は集団的自衛権が根拠となる場合があるが、憲法上はあくまでも「自衛の措置」として許容されるものである、としたのである(上記①②③は引用者が挿入。これが「新3要件」といわれるものである。)。そして、新安保法制法による改正自衛隊法76条1項及び事態対処法2条4号等に、上記新3要件に基づく「防衛出動」との位置づけにより、この集団的自衛権の行使の内容、手続が定められるに至った。

(4)集団的自衛権行使容認の違憲性
ア しかし、この集団的自衛権の行使の容認は、いかに「自衛のための措置」と説明されようとも、政府の憲法解釈として定着し、現実的規範となってきた憲法9条の解釈の核心部分、すなわち、自衛権の発動は日本に対する直接の武力攻撃が発生した場合にのみ、これを日本の領域から排除するための必要最小限度の実力の行使に限って許されるとの解釈を真っ向から否定するものである。それは、他国に対する武力攻撃が発生した場合に自衛隊が海外にまで出動して戦争をすることを認めることであり、その場合に自衛隊は「戦力」であることを否定し得ず、交戦権の否認にも抵触する。
イ  新3要件に即してみると、そのことはより明確である。
 まず、「他国に対する武力攻撃」に対して日本が武力をもって反撃するということは、法理上、これまで基本的に日本周辺に限られていた武力の行使の地理的限定がなくなり、外国の領域における武力の行使、すなわち海外派兵を否定する根拠もなくなることを意味する。
そして第1要件についていえば、「我が国に対する武力攻撃」があったかなかったかは事実として明確であるのに対し、他国に対する武力攻撃が「我が国の存立を脅かす」かどうか、「国民の生命、自由及び幸福追求の権利を覆す」かどうかは、評価の問題であるから、極めてあいまいであり、客観的限定性を欠く。「密接な関係」「根底から覆す」「明白な危険」なども全て評価概念であり、その該当性は判断する者の評価によって左右される。そして法案審議における政府の国会答弁によれば、この事態に該当するかどうかは、結局のところ、政府が「総合的に判断」するというのである。
第2要件(他に適当な手段がないこと)及び第3要件(必要最小限度の実力の行使)は、表現はこれまでの自衛権発動の3要件と類似しているが、前提となる第1要件があいまいになれば、第2要件、第3要件も必然的にあいまいなものになる。
 例えば、国会審議を含めて政府から繰り返し強調されたホルムズ海峡に敷設された機雷掃海についてみれば、第1要件のいう「我が国の存立が脅かされ、国民の生命等が根底から脅かされる」のは、経済的影響でも足りるのか、日本が有する半年分の石油の備蓄が何か月分減少したら該当するのか、そのときの国際情勢や他国の動きをどう評価・予測するのかなどの判断のしかたに左右され、第2要件の「他の適当な手段」として、これらに関する外交交渉による打開の可能性、他の輸入ルートや代替エネルギーの確保の可能性などの判断も客観的基準は考えにくく、さらに第3要件の「必要最小限度」も第1要件・第2要件の判断に左右されて、派遣する自衛隊の規模、派遣期間、他国との活動分担などの限度にも客観的基準を見 出すことは困難である。
以上に加えて、2013(平成25)年12月に制定された特定秘密保護法により、防衛、外交、スパイ、テロ等の安全保障に関する情報が、政府の判断によって国民に対して秘匿される場合、「外国に対する武力攻撃」の有無・内容、その日本及び国民への影響、その切迫性等を判断する偏りのない十分な資料を得ることすらできず、政府の「総合的判断」の是非をチェックすることができない。
ウ こうして、新安保法制法に基づく集団的自衛権の行使容認は、これまで政府自らが確立してきた憲法9条の規範内容を否定するものであるとともに、その行使の3要件が客観的限定性をもたず、きわめてあいまいであるため、時の政府の判断によって、日本が、他国のために、他国とともに、地理的な限定なく世界中で武力を行使することを可能にするものとして、憲法9条の規定に真っ向から違反するものである。

(5)立憲主義の否定
ア 日本国憲法は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」(前文)として、立憲主義に基づく平和主義を明らかにし、基本的人権の不可侵性を規定するとともに(97条)、憲法の最高法規性を規定して(98条1項)、国務大臣・国会議員等に憲法尊重擁護義務を課した(99条)。日本国憲法の立憲主義は、国家権力に憲法を遵守させて縛りをかけ、平和の中でこそ保障される国民・市民の権利・自由を確保しようとするものである。
イ 26・7閣議決定、27・5閣議決定及び新安保法制法の制定によって集団的自衛権の行使を認めることは、これを禁止した規範として確立していた憲法9条の内容を、行政権の憲法解釈及び国会による法律の制定によって改変してしまおうとするものであり、これはまさに、この立憲主義の根本理念を踏みにじるものである。
ウ 同時に、このような憲法の条項の実質的改変は、本来、憲法96条に定める改正手続によらなければできないことである。同条は、憲法の改正には、各議院の総議員の3分の2以上の賛成による発議と国民投票による過半数の賛成を要求し、慎重な改正手続を定めるとともに、憲法制定権力に由来する主権者たる国民の意思に、その最終的な決定を委ねた。閣議決定と法律の制定によって憲法9条の内容を改変することは、憲法96条の改正手続を潜脱することであり、立憲主義を踏みにじり、憲法制定権力に由来する主権者たる国民の、憲法改正に関する決定権を侵害することである。

3 後方支援活動等の実施はいずれも違憲であること

(1)後方支援活動等の軍事色強化
 新安保法制法は、重要影響事態法及び国際平和支援法において、その主要な活動として、合衆国軍隊等に対する後方支援活動及び諸外国の軍隊等に対する協力支援活動を規定し、(以下、「後方支援活動」と「協力支援活動」を合わせて「後方支援活動等」という。また、集団的自衛権の行使と後方支援活動等の実施を合わせて「集団的自衛権の行使等」という。)、地球上どこでも、また、米軍に対してだけでなくその他の外国の軍隊に対しても、後方支援活動等を行うことを可能としたのである。
 すなわち、まず、従来の周辺事態法を重要影響事態法へと改正し、これまで、「周辺事態」すなわち「そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等我が国周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態」に対処する法律だったのを、この定義規定の文言から「我が国周辺の地域における」という限定を外して「重要影響事態」と称し、支援の対象も米軍以外の外国軍隊にも広げて、「後方支援活動」「捜索救助活動」として、武力行使等をする米軍等への後方支援等の対応措置をとれることとしたのである。
また、これまではアフガニスタン戦争、イラク戦争に際して、テロ特措法、イラク特措法等という特別立法をそのつど行い、外国軍隊への協力支援等を行っていたのを、「国際平和共同対処事態」すなわち「国際社会の平和及び安全を脅かす事態であって、その脅威を除去するために国際社会が国際連合憲章の目的に従い共同して対処する活動を行い、かつ、我が国が国際社会の一員としてこれに主体的かつ積極的に寄与する必要があるもの」に対し、いつでも、地理的限定なく自衛隊を後方支援等のために派遣でき、「協力支援活動」「捜索救助活動」として、武力行使等をする外国軍隊への協力支援等の対応措置をとれることとした。
 これら「後方支援活動」及び「協力支援活動」の内容はほぼ同じであり、自衛隊に属する水・食糧・機器等の物品の提供及び自衛隊の部隊等による輸送・修理・医療等の役務の提供を主な内容とするが、今回、従来の周辺事態法やテロ特措法等の内容を拡大し、これまで禁止されていた弾薬の提供や戦闘作戦行動のために発進準備中の航空機の給油・整備等、外国の武力の行使に直結する、より軍事色の強いものが加えられた。

(2)後方支援活動等の武力行使性
 ここで後方支援活動等とされるものは、外国の軍隊に対する物品及び役務の提供であって、一般に「兵站」と呼ばれているものである。
自衛隊の後方支援活動等において問題となるのは、これらが憲法の禁ずる「武力の行使」に当たらないかという点である。すなわち、直接戦闘行為に加わらなくても、また、自衛隊の活動自体が武力行使に当たらないとしても、他国の武力行使と一体になることによって、結局、憲法9条が禁止する「武力の行使」と評価されるのではないかという問題である。

(3)後方支援活動等の他国軍隊の武力の行使と一体化
ア 名古屋高裁平成20年4月17日判決(判例タイムズ1313号137頁-自衛隊のイラク派遣差止訴訟)は、イラクにおいて航空自衛隊が多国籍軍の武装兵員を空輸した行為につき、「他国による武力行使と一体化した行動であって、自らも武力の行使を行ったと評価を受けざるを得ない行動であるということができる」と判示した。
 後方支援活動等は、それ自体は戦闘行為そのものではないとしても、相手国から見れば一体として武力を行使しているものとして攻撃の対象となり得るものであり、法的にも武力の行使と評価され得る。
 従来の政府解釈では、このような一体化論を前提として(つまり、後方支援活動等が、法的に武力行使とみられることがあることを前提にして)、他国軍隊の武力行使と「一体化」しなければ憲法上の問題を生じないとの解釈が行われてきた。
 具体的には、まず1990(平成2)年の湾岸戦争での多国籍軍支援のための「国際連合平和協力法案」(不成立)の際に問題となったが、その後、周辺事態法(平成11年)において、米軍の支援を行うことができる地域を「後方地域」すなわち「現に戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる地域」に限定することによって、米軍の武力行使と一体化しない法律上の担保とする仕組みがとられた。同時に、後方地域支援活動としての米軍に対する物品・役務の提供から、弾薬を含む武器の提供、戦闘作戦行動のために発進準備中の航空機に対する給油・整備を除外した。
 そして旧テロ特措法(平成13年)においても、周辺事態法の上記「後方地域」と同じ文言で定められた地域に協力支援活動等を限定して、多国籍軍との武力行使の一体化が生じないようにすることとされた。すなわち、ここで限定された活動地域は(法文上の用語ではない)「非戦闘地域」と称され、「戦闘地域」と「非戦闘地域」という区別が議論の焦点となり、自衛隊の活動領域を「非戦闘地域」に限定し、「非戦闘地域」での 協力支援活動等は武力行使に当たらないとして、法文上この問題を解決しようとした。旧イラク特措法(平成15年)においても同様の解釈が行われた。
 しかしながら、この立法と解釈自体、相当に危険をはらんでいるものであった。現に、イラク派遣の実態は、「非戦闘地域」とされたサマワの自衛隊の宿営地に迫撃砲やロケット弾による攻撃が10回以上発生していることや、前記のとおり名古屋高裁判決が航空自衛隊による武装兵員の輸送を武力行使と一体化したものと判断しているように、問題を残すものであった。
イ ところが、重要影響事態法と国際平和支援法は、さらに要件を緩め、従来の「後方地域」「非戦闘地域」に自衛隊が活動する地域を区切って限定することにより、他国軍隊との武力行使の一体化の問題が生じない担保とする枠組みに依拠することなく、「現に戦闘行為を行っている現場」ではない場所であれば、そこで実施する日本の支援活動については、そもそも当該他国の武力行使と一体化するものではないという考え方を採ることとし、状況の変化に応じて、その場所が「現に戦闘行為を行っている現場」になる場合には、その活動を休止・中断すればよいものとしたのである(26・7閣議決定)。
 加えて、重要影響事態法と国際平和支援法は、後方支援活動等の内容として、弾薬の提供や、戦闘行為のために発進準備中の航空機に対する給油・整備までも許容している。これは他国軍隊の武力行使への直接の支援にほかならない。政府は、それでも「武力行使の一体化」は生じないとするのであるが、これは戦闘の実態に目をつぶった欺瞞であると言わざるを得ない。これによれば、自衛隊は、現に戦闘行為が行われていなければ、そのすぐ近くの地域であっても支援活動が可能であることになり、そのような場所で弾薬の提供まで含む兵站活動を行っている自衛隊は、相手国から見れば、武力を行使する他国の軍隊とまさに一体となって武力を行使する支援部隊と見られ、相手国からの攻撃の対象とされることは避けられない。そして自衛隊がこれに反撃し、交戦状態へと突き進む危険性は極めて高い。
 従来の、危ういながら、「非戦闘地域」という枠組みによってかろうじて合憲性の枠内に留まるとされてきた後方支援活動等ではあったが、その枠組みさえも取り払われ、弾薬の提供等まで許容した上記2つの法律においては、もはやそのような説明は成り立たず、これによる自衛隊の後方支援活動等は他国軍隊の武力の行使と一体化し、又はその危険性の高いものとして、憲法9条に違反するものであることが明らかである。

(4)後方支援活動等の違憲性
 以上のように後方支援活動等の実施も憲法9条に違反するものであり、そのような内容の閣議決定を行い、また法律を制定して憲法9条の規範内容を改変しようとすることが、立憲主義を踏みにじるものであり、また、憲法96条の改正手続を潜脱して国民の憲法改正に関する決定権を侵害するものであることについては、前記(第2の2(5))で述べたことがそのまま当てはまる。

4  砂川事件判決について

 そして、集団的自衛権の行使が憲法上許容されるものであることについての根拠を示すことが困難になっていく中で、政府・与党からは、最高裁昭34年12月16日大法廷判決(刑集13巻13号3225頁、砂川事件判決)が「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない」と述べていることをもって、この必要な自衛の措置をとることの中には、集団的自衛権も含まれるとして合憲性の主張の根拠とするようになった。
 しかし、同事件においては、集団的自衛権の憲法適合性はまったく争点になっておらず、最高裁の上記判示部分は、日本に対する直接の武力攻撃があった場合の当然の「国家固有の権能」としての自衛の権利について述べたものであることは文脈上も明らかである。安全保障環境がまったく異なる60年近く前のアメリカ軍基地の駐留が合憲か否かの裁判の判決の、しかも傍論部分の片言隻句をもって今回の新安保法制法正当化の論理の根拠として利用せざるを得ないところに、合憲論の根拠の薄弱さが明白に表れている。

5 新安保法制法の違憲性とその制定に係る内閣及び国会の行為の違法性

 以上のとおり、集団的自衛権行使及び後方支援活動等の実施を容認する部分、すなわち、新安保法制法のうち、少なくとも集団的自衛権の行使等の根拠となる条項(自衛隊法76条1項2号等、重要影響事態法3条1項2号、6条1項、2項等、国際平和支援法3条1項2号、7条1項、2項等)は、いずれも憲法9条に一義的にかつ一見極めて明白に違反し、違憲であり、違憲の法律制定に向けての閣議決定及び国会の議決等が違法であることは明らかである。

第3 新安保法制法の制定に係る行為による原告らの権利侵害


1 集団的自衛権の行使等によってもたらされる状況

(1)以上のとおり、新安保法制法において規定された、①自衛隊法76条1項2号に基づく存立危機事態における防衛出動(集団的自衛権の行使)、②重要影響事態法6条1項又は2項に基づく重要影響事態における後方支援活動、③国際平和支援法7条1項又は2項に基づく国際平和共同対処事態における協力支援活動は、憲法9条に違反するものである。
 憲法9条はこれまで、少なくとも、このような行為を国に禁止することによって、日本が他国の戦争に参加・加担し、又は他国の戦争に巻き込まれて戦争当事国となることのないよう、その歯止めとなってきた。

(2)ところが、集団的自衛権の行使は、日本が他国の戦争に、海外にまで出向いて参加し、武力を行使して、日本を戦争当事国としてしまう。従来の法制と憲法解釈の下では、日本の領域が外部から武力攻撃を受けない限り、日本は戦争当事国になることはなかったのに対し、集団的自衛権の行使の容認は、日本が積極的に打って出て、戦争をする機会を大きく広げたものである。そして、日本が戦争当事国になれば当然に、敵対国ないし敵対勢力からの武力攻撃やあるいはテロ攻撃を、日本の領域に対しても招くことになる。すなわち、日本の国土が戦場となるのである。
 なお、「存立危機事態」であるとして日本が他国間の戦争に参加した場合、 多くは「武力攻撃予測事態」すなわち「我が国に対する武力攻撃には至っていないが、事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態」に該当する状況になると考えられる。そして、事態対処法では、「武力攻撃予測事態」 と「武力攻撃事態」とを併せて「武力攻撃事態等」と称され、いわゆる有事法制が適用される状況となる。

(3)新安保法制法による後方支援活動等についても、これは前記のように、戦闘行為の現場近くで弾薬の提供等まで行う兵站活動を認めるものであるから、容易に外国軍隊との武力行使の一体化を招く。相手国等からすれば、自衛隊は正当な攻撃対象となるのであり、自衛隊がこれに反撃して戦闘状態となる危険、すなわち自衛隊による武力の行使に至る危険が極めて高い。
 こうして、ここでも、後方支援活動等から、日本は戦争当事国となり、日本の領域に対しても武力攻撃やテロ攻撃を招くことになる。ちなみに、新安保法制法案の国会審議において、政府は、IS(イスラム国)に対する空爆の後方支援活動は、「法理論としては対象になるが、政策判断として考えていない」旨の答弁をしている(2015(平成27)年5月28日衆議院平和安全法制特別委員会)。すなわち政府の政策判断が変われば、IS空爆の後方支援もありうるのであり、日本と日本人は、ISのテロの標的となることを覚悟しなければならない。

2 各事態においてとられる措置と国民の権利制限・義務等

(1)国民は、重要影響事態、国際平和共同対処事態及び存立危機事態、そして、存立危機事態において多くの場合並存することにならざるを得ない武力攻撃予測事態、さらには、その後、移行することが予測される武力攻撃事態において、以下に掲げる多種多様の権利制限を受け、義務を負わなければならないことになる。私たちは、この訴訟において、4以下に記載する3つの権利侵害(平和的生存権侵害、人格権侵害、憲法改正・決定権侵害)に限定して主張しているが、新安保法制法の成立がなければ、甘受する必要など全くなかったこのような権利制限、義務の負担等によって、より広範な自由権、財産権の侵害を受けることになってしまう(もとより、これらは、平和的生存権侵害、人格権侵害の一部を構成している。)。    
 なお付言しておくが、武力攻撃予測事態及び武力攻撃事態における権利制限については、旧安保法制法の下においても法制上は存在したものであるが、それはあくまでも個別的自衛権を行使した場合を前提としたものであり、集団的自衛権を行使するなどした場合を想定したものでは全くなかった。新安保法制法によって、国民がその権利制限を受けたり義務を負担しなければならない現実性は格段に増大してしまったのである。

(2)重要影響事態及び国際平和共同対処事態においては、国は、後方支援活動等の「対応措置」に関する「基本計画」を定めてこれを実施することになるが、その場合、国は、地方公共団体その他国以外の者に協力を依頼することができる等とされている(重要影響事態法9条、国際平和支援法13条)。
 なお、ここで「国以外の者」としては、事態対処法でいう指定公共機関・ 地方指定公共機関などが想定される。指定公共機関には、各種独立行政法人、日本銀行、日本赤十字社、日本放送協会、日本郵便、全国的ないし広域的な放送事業者、電気・ガス事業者、航空運送業者、鉄道事業者、電気通信事業者、旅客・貨物運送事業者、海運事業者等が、法人名で個別に指定されている(事態対処法施行令3条、平成16年9月17日内閣総理大臣公示)。地方指定公共機関は、知事がその地域で同種の公共的事業を営む者から指定している(国民保護法2条2項)。

(3)存立危機事態においては、国は、「対処措置」すなわちその事態に対処する自衛隊の任務の遂行等に関する措置(武力の行使、部隊の展開等)と国民保護関連措置(公共的施設の保安、生活関連物資の安定供給等)の両面で「対処基本方針」を策定し、事態対策本部を設置し、これらの対処措置を実施する。存立危機事態については、地方公共団体・指定公共機関はこれら対処措置を行う責務までは規定されていないが、国と連携協力して万全の措置を講ずべきこととされ(事態対処法3条1項)、事態対策本部長(総理大臣)の調整を受け、調整に応じない場合には指示、代執行もなされる(同法14条、15条)。

(4)武力攻撃予測事態は、日本の領域に対する武力攻撃にはまだ至っておらず、自衛隊法76条1号の防衛出動はまだなされていないが、これが予測される状態であり、この段階でも例えば、自衛隊に防衛出動待機命令が出され(同法77条)、予備自衛官が招集される(同法70条)等、防衛出動に備える体制がとられる。また、自衛隊展開予定地域での陣地その他の防御施設構築のため、武器の使用、土地等の強制使用等もなされる(同法77条の2等)。 そして、その後移行することが予測される武力攻撃事態における場合と同様、国は、自衛隊の任務の遂行等に関する措置と国民保護に関する措置の両面での「対処措置」をとるため、「対処基本方針」を策定し、事態対策本部を設置する。そして、武力攻撃事態等においては、地方公共団体・指定公共機関等は対処措置を行う責務があり、国民もこれに協力するよう努めるものとされる(事態対処法5~8条)。したがって、地方公共団体・指定公共機関等にはそれらに伴う様々な業務が指示され、その職員・労働者が従事を求められる。
 そして、武力攻撃事態(日本に対する外部からの武力攻撃が発生し、又はその危険が切迫した事態)は、まさに日本の領域が戦場になる局面であり、その中で防衛出動と武力の行使がなされることになる(自衛隊法76条、88条)。そこでは、自衛隊の任務遂行(戦争遂行)のため、また国民保護措置のため、強力な権利制限が可能とされる。その典型的なものが同法103条であり、①病院等政令で定める施設の管理、②土地・家屋・物資の使用、③業務上取扱物資の保管命令・収用、④医療・建築土木・輸送業者に対する業務従事命令が用意されている。電気通信設備の優先利用もなされる(同法104条)。地方公共団体や指定公共機関は、戦争状態の下で対処措置を実施する責務を負い、これに従事する職員・労働者は、一般の国民・市民と同様に自らも身の危険にさらされながら、これら対処措置への従事・遂行が求められる。

3 集団的自衛権の行使等による自衛隊の海外出動と戦争参加による国民・市民の権利侵害の危険性・切迫性

(1)1及び2に記載したように、武力攻撃事態対処法などの改正により、日本はどこからも攻撃されていないのに、集団的自衛権を発動して米国などの戦争に自衛隊が参戦し、海外で武力行使をすることになる。
 それは相手国から反撃されても構わない立場に自ずからを置くことになり、現実に参戦して殺し、殺される自衛隊員はもちろん、国民・市民も反撃やテロ行為にさらされ、ある者は戦争に具体的に協力させられるなどして、平和的生存権や生命身体及び精神的人格権の侵害を受けることになる。
 集団的自衛権の行使等を実行する可能性は、同盟国とされている米国が現実に武力行使している中東地域が考えられるが、同地域で集団的自衛権の行使等を行った場合、パリその他において行われたテロ行為が日本でも行われるであろうことは容易に推測でき、その対象は、人口密集地、工場地帯、自衛隊基地・弾薬庫、原子力発電所等が考えられるところである。また、集団的自衛権行使の可能性の高い北朝鮮(安倍首相は2015(平成27)年6月26日の特別委員会で朝鮮有事を念頭に「存立危機事態」を説明しているし、2016(平成28)年3月には、アメリカと韓国は北朝鮮の侵攻を前提にしての軍事演習を行い、これに北朝鮮が反発して、緊張が高まっていると報道されている。)との関係で集団的自衛権の行使等がされれば、朝鮮半島への出撃基地になる在日米軍基地、米軍に対する後方支援を行う自衛隊の基地は直ちにミサイル反撃の目標になるであろうし、人口密集地、工場地帯、原子力発電所等もミサイル攻撃の対象となる可能性が高いといえる。
 大分県内には、大分県別府市(別府駐屯地)、由布市湯布院町(湯布院駐屯地)、玖珠郡玖珠町(玖珠駐屯地)に3つの陸上自衛隊駐屯地が存する他(厳密には、南別府駐屯地(自衛隊病院)も駐屯地扱いであるため、4つである。)、大分市旦野原に弾薬庫が存し、ミサイル攻撃やテロ標的となる軍事施設が非常に多い。また、玖珠郡玖珠町、九重町、宇佐市、由布市にまたがる日出生台演習場では、ほぼ毎年アメリカ軍による実弾射撃訓練が行われており、この観点からもミサイル攻撃やテロ対象となる危険性は格段に高い。
 大分市は製鉄工場、中津市や国東市は電子機器工場、佐伯市は造船工場、津久見市はセメント工場などを有し、やはりミサイル攻撃やテロ標的となりやすい。
また、大分市から約50キロメートルの距離にある伊方原発がミサイル攻撃やテロ標的となれば、大分県内全域の住民が生命身体の危険を生じさせることになる。

(2)武力行使と一体化となる後方支援活動等によっても同様の事態となることが予測される。

(3)原告らは、新安保法制法の制定の結果、集団的自衛権の行使等により上記のような重大な権利侵害を受ける事態となることをおそれ、不安にさいなまれ、集団的自衛権の行使等が実際になされていない現段階においても、多大な精神的苦痛を受けている。

4 原告らの権利、利益の侵害(概論)

(1)平和的生存権の侵害
ア 平和的生存権の具体的権利性
 日本国憲法前文は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」、また、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意し」、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と規定している。
 平和は、国民・市民が基本的人権を保障され、人間の尊厳に値する生活を営む基本的な前提条件であり、日本国憲法は、全世界の国民・市民が有する「平和のうちに生存する権利」を確認することに基づいて国際平和を実現し、その中で基本的人権と個人の尊厳を保障しようとした。したがって、平和のうちに生存する権利は、全ての基本的人権の基礎にあって、その享有を可能ならしめる基底的権利であり、単に憲法の基本的精神や理念を表明したにとどまるものではなく、法規範性を有するものと解されるべきものである。この平和的生存権の具体的権利性は、また、包括的な人権を保障する憲法13条の規定によってその内容をなすものとして根拠づけられるとともに、憲法9条の平和条項によって制度的な裏付けを与えられている。
 とりわけ、憲法9条に反する国の行為によって、国民・市民の生命、自由等が侵害され、又はその危険にさらされ、あるいは国民・市民が憲法9条に違反する戦争の遂行等への加担・協力を強いられるような場合(前記2の(2)ないし(4)に掲げた「各事態においてとられる措置と国民の権利制限・義務等」参照)、これに対する救済を求める法的根拠として、平和的生存権の具体的権利性が認められなければならない(前記名古屋高裁平成20年4月17日判決参照)。
イ  憲法9条の改変による戦争の危険
 前記第2などで述べたように、新安保法制法による存立危機事態における防衛出動や後方支援活動等の実施の容認は、これまで政府の憲法9条解釈においても許されないとされてきた解釈を変更し、憲法9条を実質的に改変するものとして、集団的自衛権による武力の行使や、他国軍隊の武力行使の支援等により一体化した武力の行使を行い、又はその危険をもたらすものである。それは、従来の憲法9条解釈の下ではあってはならないものとされてきた、日本が他国の戦争に関与し、戦争の当事者となること、日本の領域外に出向いて武力の行使をすることをみずから選択し、あるいは従来の憲法9条解釈の下では生じなかった場合にまで他国の戦争に巻き込まれる危険と機会を増大させるものである。
ウ 平和的生存権の侵害
 原告らは、このような集団的自衛権の行使又は後方支援活動等の実施を容認した新安保法制法の提出に係る内閣の行為及び国会の議決によって、上記のような平和的生存権を侵害された。
 すなわち、原告らは、日本人310万人、世界では5200万人の死者を生じた第二次世界大戦など悲惨を極めた過去の戦争の結果、そこでの人間の尊厳の蹂躙、生存者にも残る癒えない傷痕など、政府の行為によって 再びかかる戦争の惨禍が起こることのないことを心から希求し、憲法前文及び9条に基づいて、戦争を放棄して戦力を持たず、武力を行使することのない平和国家日本の下で平和のうちに生きる権利を有している。とりわけ、原告らのうち戦争の体験を有する者や空襲被害者は、戦火の中を逃げまどい、生命の危険にさらされ、家族を失う等の極限的な状況に置かれ、心身に対する深い侵襲を受けて、二度と戦争による被害や加害があってはならないことを身をもって痛感し、その体験を戦後70年間背負って生きてきた者である。平和憲法、なかんずく9条の規定は、その痛苦の体験の代償として得られたかけがえのないものであり、平和のうちに生きる権利は、これら原告の人格と一体となって、その核心部分を構成している。このような平和的生存権は、戦争の被害者となることを拒否するばかりでなく、他国に対する軍事的手段による加害行為に加担することなく、みずからの平和的確信に基づいて生きる権利等を包含するものである。
 ところが、新安保法制法の制定は、このような原告らの平和的生存権を蹂躙し、侵害するものである。集団的自衛権の行使や後方支援活動等の実施は、日本が自ら他国の攻撃に加担し、武力の行使や兵站活動等を行って、他国の国土を破壊し、その国民・市民を死傷させるものであるとともに、戦争の当事国となった日本は、当然に、敵対国から国土に攻撃を受け、あるいはテロリズムの対象となることを覚悟しなければならないのであり、原告らを含む日本の国民・市民の全部が、戦争体制に突入し、その犠牲を覚悟しなければならないことになる。このようなものとしての集団的自衛権の行使等を容認する新安保法制法の制定は、日本が実際に戦争に突入した場合はもちろんであるが、それに至らない段階においても、その具体的危険を生ぜしめるものとして、原告ら国民・市民の平和的生存権を侵害するものである。

(2)人格権侵害
ア 人格権ないし幸福追求権
 憲法13条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の 国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定している。
 この規定は、人間が社会を構成する自律的な個人として、その人格の尊厳が確保されることが日本国憲法の根本理念であり、個別的な基本的人権の保障の基底をなすものであることを示すものである。同条は、種々の個別的な基本的人権の出発点をなす個人の尊厳、すなわち個人の平等かつ独立の人格価値を尊重するという個人主義原理を表明したものであるとともに、「生命、自由及び幸福追求の権利」として統一的・包括的な基本的人権条項として捉えることができる。
なお、本書面では、このような憲法13条に基づいて保障されるべき個人の生命、身体、精神、生活等に関する権利の総体を、広義の「人格権」ということとする(大阪高裁昭和50年11月27日判決・判例時報797号36頁―大阪空港事件控訴審判決参照)。
イ 人格権の侵害
 日本が他国の戦争の当事者となり、あるいは他国の戦争に巻き込まれる危険と機会を増大させる集団的自衛権の行使等は、上記のように、敵対国から日本の国土に攻撃を受け、あるいはテロリズムの対象となる危険をもたらすものであり、新安保法制法の制定によって、原告らを含む日本の国民・市民は、そのような事態に直面すること、及びその犠牲を覚悟しなければならないこととなった。
 そのことによって、原告ら国民・市民は、例えば以下のような人格権の侵害を受けることになる。
まず、敵対国や敵対勢力から真っ先に攻撃の対象とされる可能性の高いのは、全国の自衛隊・米軍基地及びその付近、原発施設及びその付近等であって、これらの地域に居住する原告らはその攻撃対象となり、生命・身体等を直接に侵害される危険に晒される。また、戦争による犠牲が集中するのは、いつも、女性であり、そして、子ども、障がい者等の社会的弱者であり、戦火の中を逃げ惑い、人間性を蹂躙され、生活の困窮を強いられることになる。そして戦場に駆り出されるのは自衛隊員を含む現在の若者であり、あるいは将来の担い手としての子どもたちであるが、本人はもちろん、我が子や孫を、殺し殺される戦場に送り出すことを強いられる親その他の家族の苦悩には 耐え難いものがある。同様に、教え子を、殺し殺される戦場に送り出すことになる教員の苦悩も、また耐えがたいものである。
 さらにまた、戦争体制(有事体制)においては、国民保護体制のための措置を実施することを含めて、地方自治体や民間企業を含む指定公共機関等に協力体制が義務付けられ、そこで働く公務員・労働者が危険な業務に直面したり、医療従事者、交通・運輸労働者などが関係業務への従事に駆り出されるなどのことが生じる。
集団的自衛権の行使等を容認する新安保法制法の制定により、いつでも集団的自衛権の行使等がされる事態となるおそれが強いことは、既に述べたとおりであり、原告らは、同法の制定等に係る内閣の閣議決定及び国会の決議により、戦争とテロ行為に直面するおそれが現実化し、その生命、身体、精神、生活等万般にわたって、危険に直面し、又は現に侵害を受ける恐怖を抱かされ、不安におののかされるなどして、その人格権を侵害されている。
 なお、原告らについてのこれら人格権の侵害の具体的内容は、後に詳しく主張する。

(3)憲法改正・決定権侵害
ア 国民主権は、国の政治の在り方を終局的に決定する力(主権)が国民にあるという原理であり、国民の有する参政権も、この原理から湧出した権利である。憲法改正に係る国民投票権も同じである。
 日本国憲法においては、代表制民主主義(間接民主主義)が強調され、参政権は、選挙権、被選挙権、公務員になる権利、公務員を罷免する権利がその代表的なものとされている。しかし、補充的に、直接民主主義の規定も設けられ、憲法改正の国民投票、最高裁判所裁判官の国民審査、地方特別法の住民投票がそれにあたり、これらも参政権に含まれると解されている。
イ すなわち、近代立憲主義は、全ての価値の根源にある個人の自由と権利を実現するために、国の政治の在り方を最終的に決定する力(主権)を有する国民が、権力を制限する規範として憲法を制定することによって成立する。憲法制定権力は国民が有し、実定憲法が制定されることによって、国民主権が制度化されるとともに、憲法制定権力は憲法改正権力に転化し制度化される(憲法改正権は「制度化された制憲権」とも呼ばれている。)。
 日本国憲法96条1項の憲法改正手続は、この国民の憲法制定権力に由来する憲法改正権の現れである。そこでは国会の各議院の総議員の3分の2以上の賛成による発議と国民投票による国民の過半数の賛成が要件とされているが、この間接民主主義による手続と直接民主主義による手続と通じて、憲法改正が国民の意思決定に基づくことを担保しようとしているのである。
 ここでとくに国民投票制度が設けられているのは、その憲法改正権力の担い手である国民各人に、その憲法改正の内容について直接自ら意思表示をし、その決定に参加する権利を保障しようとするものであり、直接民主主義的な参政権としても位置づけられるものである。国民各人は、国民主権及び民主主義の担い手として、憲法の条項と内容を自らの意思に基づいて決定する根源的な権利として憲法改正・決定権を有するのであり、憲法96条1項はその現れにほかならない。
ウ 新安保法制法は、前記のように規範性を有する憲法9条の解釈を変更し、その内容を法律によって改変してしまおうとするものである。それは本来、憲法96条1項に定める国会の発議と国民投票の手続をとらなければできないことであるにもかかわらず、これを潜脱するものである。しかも、この憲法改正の手続を回避して採られた立法の国会審議の過程においては、多くの国民・市民及び野党の反対を押し切った採決が強行され、中でも参議院平和安全法制特別委員会における採決は、地方公聴会の報告もなされず、総括質疑も行わず、不意をついて与党議員が委員長席を取り囲んで野党議員を排除し、「議場騒然、聴取不能」としか速記に記録されない混乱の中で「可決」したとされる異様なものであった。それは、国民から負託された国会による代表制民主主義をも蹂躙しつつ、本来憲法改正手続を踏まなければできないはずの、実質的な憲法改変を強行したものであった。新安保法制法の制定は、このようにして、原告ら国民が自らの意思に基づいて憲法の条項と内容を決定する前記憲法改正・決定権をないがしろにし、これを侵害するものである。
 そして、集団的自衛権の行使等は、このように原告らの憲法改正・決定権を侵害し、蹂躙した手続によって制定された新安保法制法の現実の適用・実施過程であり、また、これが反復されることによって、その侵害の結果を既成事実化することになる。そしてこの現実の適用、実施、既成事実化を通じて、本来憲法9条に違反するものであったはずの新安保法制法、その集団的自衛権の行使等に係る根拠法条が、これまでの憲法9条の規範内容にとって代わって、実質的な規範として通用する状態が事実上形成され、これが定着してしまうことになる。しかも、集団的自衛権の行使等は、一旦それがなされれば日本の国全体を後戻りのきかない戦争状態に引き込むことになりかねないものであり、そこではもはや憲法9条の平和主義の規範自体が死文化してしまうことになる。

3 原告らの権利、利益の侵害(詳論)

 原告らに対する個々の具体的権利侵害の内容については、追って詳細に主張立証する。

第4 原告らの損害


 原告らは、新安保法制法の制定に係る内閣による26・7閣議決定、27・ 5閣議決定及び同法案の国会提出並びに国会による同法案の可決という、憲法に反する違法行為により、第3記載の精神的苦痛を受け、これを慰謝するには少なくとも金10万円を要する損害を被った。

第5 公務員の故意・過失及び因果関係


1 公務員の故意・過失

 従前の集団的自衛権の行使等が憲法に反するという確定的憲法解釈や圧倒的多数の新安保法制法案は違憲であるとの指摘等を無視して、憲法改正手続をとることなく行われた新安保法制法の制定の経緯に鑑みれば、これに係る内閣(その構成員である各国務大臣)による26・7閣議決定、27・5閣議決定及び同法案の国会提出並びに国会(その構成員である国会議員)による同法案の可決等をするに当たっては、上記国務大臣及び国会議員は、新安保法制法案が違憲であり、これを制定したときは原告らの権利を侵害することを知り、これを容認していたか(故意)、少なくともこれを容易に知り、又は知り得べきであり、侵害を回避することが可能であったのにこれを怠った過失がある。

2  加害行為と損害との因果関係

 1記載の公務員の加害行為と第4記載の原告らの損害との間に因果関係があることは明らかである。

第6 結論

 よって、原告らは、被告国に対して、国家賠償法1条1項に基づく国家賠償請求として、それぞれ金10万円の損害金とこれに対する加害行為のうち最も遅い国会の議決の日である2015(平成27)年9月19日から支払い済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払いを求める。


第7 最後に

 憲法89条2項は、「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」と規定している。これが立憲主義であり、憲法は、最高法規として国家権力を拘束する規範である。
 日本国憲法には多くの規範が盛り込まれているが、日本国民だけで310万人、アジア全体では2000万人を超える死者を出したと言われる先の大戦の痛切な教訓に照らすとき、憲法前文や第9条が宣明している戦争放棄、武力行使禁止原則は、国家権力を拘束する、ゆるがせにすることが許されない規範中の規範であると言わなければならない。
 わが国の戦後史は、憲法の理念と現実政治のせめぎ合いを通じて展開されてきたといっても過言ではないが、それでも戦後70年の長きにわたり、自衛隊は専守防衛の実力組織であり、日本の領域外での武力の行使は許されないという一線は遵守されてきた。この一線は、国民の圧倒的支持に支えられて定着してきた憲法規範である。
 しかるに、この一線は、新安保法制法により強引に突破され、今や同法制に基づく新任務を付与された自衛隊が南スーダン派遣されるという事態を迎え、日本の領域外での米艦防護も実施されようとしている。既に武器輸出三原則は空洞化し、憲法の理念に基づく平和国家としてのわが国のあり方は、急速に変えられようとしている。
 安全保障の在り方については様々な見解が存在しており、我々も多様な見解が成立し得ることを否定するものではない。しかし、日本国憲法が、国家権力に対し、新安保法制法のような法制の採用を許しているか否かは別論であり、前述したとおり、憲法は断じて新安保法制法を許容していない。このような違憲法制を看過することは、人類が血のにじむような努力を重ねて獲得し、今や人類普遍の原理となっている立憲主義を損なうものである。
 国家権力の在り方は、最終的には憲法96条に基づく国民の審判によって決定されなければならない。しかし、憲法96条を無視して憲法から逸脱した政治が行われるとき、憲法の最高法規性を担保する憲法保障機能を果たすのは、憲法81条によって「一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限」を付与された裁判所による違憲審査権の行使である。
 わが国の司法の在り方は、司法消極主義と言われてきたように、違憲審査権の行使に慎重である。このような司法の在り方は、国会を国権の最高機関とする憲法原理に照らし、それなりの根拠を有するものではあるが、一見明白に違憲の立法についてまで、違憲審査権の行使を抑制すべき根拠はない。憲法98条は、裁判官に対しても、明示的に、「この憲法を尊重し擁護する義務」を課している。明白に違憲な法制に対する違憲審査権行使の抑制は、この崇高な義務に反し、違憲審査権に基づく憲法保障機能を失わせる。司法権発動の要件である原告らの権利・利益の侵害ないしその現実的な危険も、「蟻の一穴」の崩壊がもたらす深刻な惨害に鑑みれば既に満たされている。ナチスの暴虐を許してしまったことに対する宗教者マルチン・ニーメラーの痛苦の詩が訴えているように、事態の進行に手をこまねいて沈黙を重ねることは、取り返しのつかない事態を招く。その前に原告らは、本訴訟に立ち上がったのである。背後には、多くの国民・市民がいる。
 裁判所が勇気をもってその声にこたえ、憲法保障機能を果たすことを切に求める。


(引用おわり)