古志青年部

古志青年部は、「古志」俳句会の50歳未満の会員からなります。

右に大佐渡左に小佐渡青嵐 安藤文

 梅雨の時期だが、佐渡は比較的晴れの日が多く、風も涼しく過ごしやすい日々が続いている。


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 写真は佐渡最高峰の大佐渡山脈の金北山。夏の佐渡は何よりも山が雄大で美しい。佐渡は海に囲まれた島だから海の国だと思っている人が多いかもしれないが、私は最近、佐渡は山の国ではないかと考えるようになった。四季折々、佐渡の山は様々な表情を見せるが、夏、特に猛暑の前の六月の山が一番素晴らしい。夏の佐渡の雄大な山を見ていると、その山に自分たちは見守られていると感じる時がある。飯田龍太は「風土というものは眺める自然ではなく、自分が眺められる意識をもったとき、その作者の風土となる。」と言っているが、その感覚も少しはわかるようになった。


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 凌霄の花も咲き始めた。これは近所の民家の庭の木だが、毎年立派な花を咲かせる。凌霄は漢名で、「霄」は空の意。漢名の意味は「空を凌ぐ花」。高いところをよじ登るように咲く花という印象らしい。俳句では晩夏の季語で夏の終わりから立秋後も咲いているイメージだが、今年は少し早いような気がする。


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 家の前に一輪の朝顔が咲いていた。朝顔は世間では夏の花の代表格として定着しているが、俳句では初秋の季語という決まり。「朝がほや一輪深き淵の色」(蕪村)。俳句で朝顔と言えばまずこの句である。


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 佐渡の海岸を運転していると、芭蕉荒海の句碑なる看板があった。沢根という地域である。こんなものがあったかと立ち寄ると小さなお寺の中にこれがあった。調べると、1798年に佐渡の漢学者、矢島主計(やじまかずえ 俳号:佐渡一静)が願主として建立。当時、有名な俳人が佐渡を次々訪れて佐渡の俳諧は盛り上がりをみせ、芭蕉没後百年であったことからこの句碑が建立されたと推測されると佐渡市のHPにある。佐渡に俳諧が盛んな時代があったことは驚きである。まだまだ佐渡について知らないことが多い。つくづくそう感じる。肝心の「荒海や佐渡によこたふ天河」と彫られた文字は二百年以上経過しているため読み取れない。




右に大佐渡左に小佐渡青嵐 安藤文





【新潟便り、安藤文さんより】



椰子の葉のばさりと夏を終ひけり イーブン美奈子

 南国といえば椰子。椰子の実といえば島崎藤村。けれども、ぽっかりと浮いて海を漂ってくるあの大きな実が生るのは椰子の仲間のほんの一部だ。ヤシ科の植物は、世界に何千と種類があるらしい。バンコクの街中で見かける椰子の木は、下の写真のようなころころした実を付ける種類の方が圧倒的に多い。

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こんな実なら落ちてきても大丈夫。大きく固いココヤシの実は、頭上に落下して命にかかわる事故になるので、都会の真ん中には植えない。


 青い実は熟すと鮮やかな赤や橙に。品種によって葉の形、樹高、実の大きさや色は様々で、とても区別できないので、タイの人もひっくるめて「パーム」と呼んでいる。日本語で油椰子とも呼ばれるように、果実からパーム油が採れる。残り滓はバイオ燃料として利用できる。

 さて、島崎藤村の詩に出てくるココヤシは、タイ語で「マプラーウ」という。


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近所の藪。荒れ放題の空き地にも大概ココヤシがある。手前の鳥はハーン(雁の仲間)。近づくと襲ってくるので結構怖い。


 マプラーウ(ココヤシ)と一口にいっても、これまた品種が多い。椰子ジュース用に人気があるのは「マプラーウ・ナムホーム」という品種。ナムホームとは「芳しいジュース」の意味で、名の通り香りがよく、美味しいので、他のマプラーウより値段もちょっと高め。


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こんな風に売りに来る。


 このマプラーウ・ナムホームは、味だけでなく収穫のしやすさも考えて改良されている。というのも樹高が他の椰子に比べて大変低く、手の届く高さに実が生るのだ。


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ストローで透明なジュースを飲んだ後は、真っ白な果肉をスプーンで削って食べる。


 タイ料理や菓子に欠かせないココナッツミルクは、マプラーウ(ココヤシ)の果肉を搾ったもの。一番搾りから三番搾りくらいまであり、用途によって使い分ける。ココナッツミルクのアイスクリームは最高においしい。昔はよく、チリンチリンと鈴を鳴らしながら売りに来た。巨大なアルミの寸胴でカチカチに冷やしたココナッツアイスをその場でコーンやカップに入れてくれるのである。他にも、ココナッツジュースのゼリーにナタ・デ・ココ、料理のみならずボディケアにも使えるココナッツオイル、椰子殻の工芸品、椰子繊維を加工したガーデニンググッズなど、ココヤシの実は捨てるところがない。

 さて、次の写真はナツメヤシ。デーツの実といった方がわかりやすいだろうか。

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農園では鳥に食べられないよう、豪快に袋掛け。



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袋の中の果実。



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果実は生でも食べるが、ドライデーツにした方がおいしい。



 デーツの産地は中東が有名だが、タイでも近年人気が高まり、国産も増えている。

 砂糖椰子、ニッパ椰子、扇椰子、檳榔(ビンロウ)もタイで多く見られる。下の写真は観賞用の猩猩椰子(ショウジョウヤシ)。美しい赤が庭のワンポイントになる。



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 先日、近所のパーム椰子に花が咲いているのを見かけた。歳時記に「棕櫚の花」という季語があるなあ、なんて思いつつ眺めたのだが、日本の棕櫚とはずいぶん違うようである。



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椰子の葉のばさりと夏を終ひけり イーブン美奈子





【タイ便り、イーブン美奈子さんより】



ふるさとの桜に敵ふものはなし 安藤文

 佐渡の椎崎というところにある諏訪神社は能が有名です。能舞台があるのですが、そのすぐ近くに荻原井泉水の句碑があります。今回訪れて初めて知りました。「佐渡はおけさで酔うて八日の月を落とした」とあります。夜が明けるまで佐渡おけさで酒宴に興じたぐらいの句意でしょうか。荻原井泉水は自由律俳句の俳人として知られ、尾崎放哉や種田山頭火を育てました。1930年代に佐渡を訪れて詠んだ句のようです。井泉水自身は東京の生まれですが、荻原家がもともと新潟の出身なので、新潟にゆかりがあります。


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 佐渡は多くの文人、俳人が訪れています。草間時彦は佐渡の南端、小木にある老舗蕎麦屋七右衛門を訪れ、俳句に詠んでいます。その句を大岡信が朝日新聞で連載していたコラム「折々のうた」で取り上げました。昨年、七右衛門に食事に行ったときに壁に新聞の切り抜きが貼られていて気づきました。




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 もう散ってしまいましたが、今年も近所の安照寺の桜は素晴らしかったです。毎年、見物客も少ないので独り占めできます。一人でひっそりと花見を楽しむのも風流ではないでしょうか。



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ふるさとの桜に敵ふものはなし 安藤文





【新潟便り、安藤文さんより】



大バナナ小バナナの森さへづれり イーブン美奈子

 玉巻く芭蕉に、破芭蕉。芭蕉にはそんな面白い季語もある。へぇ、知らなかったと歳時記を読みながら近所を歩いていると、あっちで破れ、こっちで巻いていて……なにしろ、タイは芭蕉天国なのだ。いや、バナナ王国というべきか。

 バナナはバショウ科バショウ属の多年草。背が高いので“バナナの木”と一般にいうが、植物学上の分類は草である。バナナと芭蕉の違いは「実が食べられるか、そうでないか」と書いてあったりするけれど、実際にはバナナも食べられない品種の方が多く、我が家近くの藪バナナなんぞは見向きもされていない。鳥やリスも食べないのかもしれない。年がら年中そこらで花や実をつけているから、タイで食糧難になることはないと思っていたのだが。

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俗に“バナナの花”と呼ばれる紅色の部分は、本当は花を包む苞(ほう)。中に淡黄色の小さな花がびっしり入っている。


 食べられるバナナの品種で人気があるのは、「ナムワー」という種類。日本でよく見る細長いキャベンディッシュ種と違って、短く、ころっとしている。そのまま食べるだけでなく、ココナッツミルクで煮たり、串に刺して炭火で炙ったり多種多様のおやつにもする。家庭でも作るし、屋台やレストランでも食べられる。

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揚げバナナ。“クルワイ・ケーク”と呼ばれて親しまれている。“クルワイ”はバナナ、“ケーク”はインド人やペルシア人、マレー人のこと。どことなく異国情緒の漂うお菓子だ。



 夫の家では、ナムワー種のバナナで「カオトムマット」という伝統菓子を年中行事の際に作る。

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まずは大きな葉を四角く切っていく。


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葉脈というか長い竹竿のような軸が残るので、頭を馬に。子供がまたがってぱかぱか遊ぶ。タイの昔の子は皆やった。遠景もバナナの藪。


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バナナの葉で餅を包む。



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大量に作る。


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七輪で蒸す。


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蒸し上がったカオトムマット。



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なぜか必ずペアで括られる。奥はバラした状態。



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中身の餅。餅米はココナッツミルクと砂糖で甘くしてある。


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餅の中に黒豆とバナナが入っている。ナムワー種のバナナは、蒸すと鮮やかな紅色になる。


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ナムワー種のバナナ。菓子にするときは青いうちに使う。


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玉巻く芭蕉も一年中見られる。くるくる巻いた葉の中には、コウモリとか小動物が隠れたりする。タイの伝統楽器で演奏する有名な曲に「カーンカーウ・キン・クルワイ(バナナを食べるコウモリ)」というのもある。


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新しく芽の出た株。筍のよう。



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房はこんな風に段々になる。4階建て、5階建てになることも。


 日本語でバナナ1房というと、上の写真の1階分のことだが、3階分、4階分をまとめて何というのか私は知らない。タイ語では1階分は1ウィー、全階まとめたのは1クルアと数える。また、植物名としてのバナナは“クルワイ”というが、バナナの葉はクルワイの葉ではなく“バイトーン”、バナナの苞は“フワプリー”とバナナ専用の特別な語もある。バナナ王国は言葉も豊富だ。





大バナナ小バナナの森さへづれり イーブン美奈子





【タイ便り、イーブン美奈子さんより】


夫婦してスマホを睨む春炬燵 安藤文

 宿根木(しゅくねぎ)は、佐渡の最南端の小木地区にある町です。江戸時代後期から明治時代初期にかけて北前船の寄港地として繁栄した港町です。


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 町は迷路のように入り組んでいて、家々が密集しているのが特徴です。船大工の町として栄えたため、家には船大工の技術も使われています。


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 当時の面影を色濃く残す宿根木ですが、驚くべきことに今でも人が生活しています。観光に訪れると住人の方と出くわすことがあります。ひっそりとした街並みに今もなお生活が息づいています。


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夫婦してスマホを睨む春炬燵 安藤文





【新潟便り、安藤文さんより】


緋桜は天のまほらのさくらかな イーブン美奈子

 1月のタイは涼季。北方からの季節風がすっと吹き抜け、大地を冷ましてくれる。旅に出るなら、北タイの山岳地帯がいい。見渡す限り遮るもののない山脈の風景は、心にも風を入れてくれる。眼下は、山肌に模様を描く段々畑だ。


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北部チエンラーイ県メーサローン山にて。標高は富士山の半分にも満たないが、さすがに寒く、ダウンジャケットを着て回った。2012年12月。


 段々畑では、主に茶葉を栽培している。この茶葉も、タイでの麻薬撲滅に重要な役割を担ってきたものだ。北タイのチエンラーイ県には、黄金の三角地帯(ゴールデン・トライアングル)と呼ばれるタイ・ラオス・ミャンマーの三国が出合う国境地帯があり、かつてはケシ(アヘンの原料)の一大栽培地として悪名を轟かせていた。

 なぜ、ゴールデン・トライアングルでケシが栽培されたか。それは、中国国民党の軍資金のためだった。戦争にはカネが要り、カネは裏社会で大量に循環する。1949年、毛沢東率いる中国共産党が中華人民共和国を建国したが、国共内戦に敗れた国民党の一部、特に雲南省出身の第93師団はビルマに潜伏後、タイのメーサローン山中に逃れ、抵抗を続けた。軍隊を維持したのは、アヘン取引による資金である。背景にアヘン戦争があったわけだが、清がイギリスに敗れた歴史は周知の通りである。
 第93師団の人たちが潜んでいたメーサローン山サンティキーリー村には、今、小さな博物館「泰北義民文史館」が建っている。国民党の歴史に関する展示があり、彼らが実際に使った生活の品々、通信機器なども見られる。メーサローン山を訪れた際には、かならず立ち寄りたい。


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雲南省とサンティキーリー村の位置(Google Mapを基に筆者作成)


 時代は移って1970~80年頃、サンティキーリー村に残留していた人々にタイ国籍取得の道が開かれることとなった。もちろんタダで国籍をもらえたわけではなく、共産党ゲリラとの戦闘に加わるなど交換条件があった。ケシ栽培、アヘンやヘロインといった麻薬取引からの撤退も条件とされたが、そうした違法行為のために雇われていたのは、貧困層の山岳民族などである。彼らを救うため、タイでは王室プロジェクトの主導により、コーヒー園や果樹園、茶畑への転換を推進した。中でも茶については、当時の台湾政府の支援も得て大成功を収めた。サンティキーリー村の住人はもともと雲南省の人で、茶の栽培技術は持っている。烏龍茶をはじめとするさまざまな高級茶が製造されてゆき、産地ブランド「メーサローン茶」として現在もタイの人たちに愛されている。



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茶畑での試飲風景。棚には数え切れない程の種類の茶が並び、どれを買おうか迷ってしまう。


 近頃は日本でも「茶畑テラス」が人気だと聞いた。広大な茶畑の真ん中でくつろげるもので、北タイにも同じコンセプトの茶畑カフェがあちこちにオープンしている。絶景を楽しみに若い人たちも多く訪れ、誰もがポーズを決めて自分の姿ばかり写真に撮っているのだが、その中の一体何人が茶畑の歴史を知っているのだろうと疑問も抱いてしまう。なお、村名の「サンティキーリー」とは、「平和の山」の意味である。もとは単にメーサローンとだけ呼ばれていた地を、誰かが、いつからかそう呼び始めたのだという。


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緋桜は天のまほらのさくらかな イーブン美奈子





【タイ便り、イーブン美奈子さんより】


新年の御挨拶

謹んで新春のお慶びを申しあげます

旧年中は倍旧のご高配を賜り、誠にありがとうございました

青年部一同、本年もより一層の努力を重ねてまいる所存です

何卒ご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申しあげます


古志青年部 石塚直子


一切を捨てて枯木に矜持あり 安藤文


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 佐渡は能が今でも盛んです。それは世阿弥が流されたことも一因ですが、世阿弥の佐渡での経歴は謎が多いです。江戸時代に初代佐渡奉行となった大久保長安が本格的に能文化をもたらしたと言われています。この人物は佐渡金山の開発の立役者として有名です。神社に奉納する神事能として発展し、民衆に広く浸透しました。


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 真野地区にある大膳神社には、佐渡に現存する能舞台の中で最古のものとされる能舞台があります。この能舞台は1846年に再建されました。茅葺、寄棟造で正面の老松に太陽が描かれた珍しい能舞台です。私が訪れた時は、枯れた杉の葉が散乱していて荒涼とした印象でした。普段はこのような感じですが、4月には奉納能、6月には薪能が行われているそうです。


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 私は佐渡にいながらまだ一度も能を観たことがありません。灯台下暗しと言いますか、意外に佐渡に住んでいる人でも観たことがない人が多いように思います。能はどこか高尚なイメージがあります。しかし、実際は歴史的に庶民の娯楽としての側面が強く、気軽に観て良いのかもしれません。私も佐渡に住んでいる以上は是非観に行きたいと考えています。





一切を捨てて枯木に矜持あり 安藤文




【新潟便り、安藤文さんより】


いま食べるものだけ売つて冬の寺 イーブン美奈子

 マウイ島在住の橘さんから「カチケン」という言葉を教わった。砂糖黍(甘蔗)刈りを意味するカットケイン(Cut Cane)という英語が訛った、日本人移民特有の言葉だそうだ。かつてハワイへ渡った移民たちは、英語はもちろんアルファベットも知らなかったから、砂糖耕地ではハワイ語、英語、日本語混じりの独特の言葉が使われた。それらは、彼らが作った労働歌「ホレホレ節」の歌詞に残っている。炎天下の10時間作業など過酷な労働を強いられたプランテーションの歴史は今も知られているが、その砂糖耕地はもうほとんど消えてしまったそうだ。

 一方、タイはハワイとは逆に、現在、世界有数の砂糖黍生産国となっている。FAO(国連食糧農業機関)のデータによると、生産量はブラジル、インド、中国に次ぐ4位(2023年)。砂糖(粗糖)の輸出国でもあり、日本が輸入している砂糖ではオーストラリアに次いで量が多い。労働移民の歴史もなく、もっぱら家族などによる小規模耕地での栽培が行われてきた。タイにはヤシ糖など特別な風味を持つ甘味もあるが、一般に使用する白砂糖の原料はすべて砂糖黍である。

 タイでは、スコータイ王朝時代(1240頃~1438)には既に砂糖黍栽培が行われていたという。アユタヤー王朝時代(1351~1768)に日本へ輸出していたという記録もある。
 現チャックリー王朝時代(1782~)の1937年以降は、政府が製糖産業を振興。続々と製糖工場が生まれたが、投資奨励により供給過多となり、価格が暴落。現在は「砂糖黍および砂糖法」という法令により価格が調整され、農家、工場、消費者の三者に公平な取引が実現するよう管理されている。

 さて、タイの砂糖黍は、主に涼季(寒季)の12月から収穫が始まる。昔は、この季節になると砂糖黍を山積みにしたトラックが地方からバンコクにたくさん来たそうだ。

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砂糖黍を積んだピックアップトラック。


 搾りたての砂糖黍ジュースも大変おいしい。先日、久しぶりに屋台を見つけた。


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砂糖黍ジュース屋台。寺の境内に出ていた。



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圧搾機。搾り滓が山に。


 汁はすぐに変色してしまうため、その場で飲むのがいい。砂糖黍を搾っただけなので要するに砂糖水なのだが、ほのかな青い香りに清涼感があり、飲んだ瞬間に糖分が脳のすみずみにいき渡るような感覚がして、炎天下の疲労回復におすすめ。昔は市街地でもよく売られていたが、今はコンビニにいろんな飲み物があるせいか、甘いものを控える人が多いせいか、ほとんど見かけない。

 そういえば、昔は「象の餌」の砂糖黍も時々買った。バンコクの路上を観光用の象が歩いていた頃の話だ。象使いから砂糖黍を買い、その場で食べさせる。短くカットされた砂糖黍の束を鼻先に差し出すと、くるっと鼻を丸めて上手に食べる。地方の人たちが象を連れて出稼ぎに来ていたわけだが、自動車との接触事故など危険があるため、「バンコクへの象の乗り入れ」は条例で禁止された。禁止後もしばらくは見かけたが、最近はさすがにいなくなった。象の溜まり場になっていた野原も、今ではショッピングモールに変わってしまった。




いま食べるものだけ売つて冬の寺 イーブン美奈子





【タイ便り、イーブン美奈子さんより】


おづおづと遠慮しながら冬が来る 安藤文

 佐渡はトキが有名ですが、野生のトキの姿を見られるのは稀です。トキを見られたら、幸運の兆しとも言われています。私自身、まだ数回しか見たことがありません。
 トキはもともと日本各地にいましたが、明治以降の乱獲により激減し、佐渡が最後の生息地となりました。佐渡ではトキの保護が行われましたが、野生のトキは絶滅してしまいます。その後、中国からトキのつがいを譲り受け、繁殖に成功し、野生に放たれました。今では多くのトキが佐渡に棲息しています。


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 佐渡にはトキ保護センターというトキの保護施設がありますが、一般公開はされていません。隣接するトキの森公園には、トキ資料展示館があり、トキについて深く知る事ができます。日本最後のトキ、「キン」と宇治金太郎さんのエピソードは感動的です。


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 トキの森公園には、トキふれあいプラザがあり、ケージで飼育されているトキを見ることができます。隅にいるとなかなか近くで見られません。止まり木に止まっているところを見られるのはかなり貴重です。ちなみに、俳句ではトキは秋の季語です。佐渡を訪れた際は是非トキが飛んでいないか空を見上げてみてください。


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おづおづと遠慮しながら冬が来る 安藤文




【新潟便り、安藤文さんより】


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