古志青年部

古志青年部は、「古志」俳句会の50歳未満の会員からなります。

年流る瞼を徹ふす宇宙かな 髙橋真樹子 

札幌にホワイトイルミネーションの季節がやって来ました。
大通り会場では12月25日まで、駅前広場や街の中の街路樹は3月14日まで開催されています。

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ライトアップされた北海道庁旧庁舎、通称赤れんが。
北海道開拓使庁舎二代目として1888年(明治22年)に建設されました。現在は北海道の開拓資料を展示・保存する北海道立文書館として一般にも公開されており、外国からの観光客はもちろんの事、修学旅行生の姿、また北海道の文化や歴史についての勉強会が行われていますので、大人になっても学ぶ事の喜びを知る人々が軽やかな足取りで庁舎の中に吸い込まれて行きます。また北海道命名150年を迎えた今年は、たくさんのイベントの舞台にもなり、例年にも増して多くのお客様を迎えました。
「北海道」と命名したのは松浦武四郎。探検家、浮世絵師、好古家等々多数の肩書きを持ち、北海道へは私人として3回、公人として3回足を運び150冊もの調査報告書を作成した人物です。その一部は今年北海道立博物館で展示されました。6度に及ぶ旅の中でアイヌの人々には道案内に宿に食事と、暖かい手を差し伸べて貰いアイヌの生活や文化についても享受し良好な関係を深めていきました。武四郎が残した「天塩日記」では、アイヌの古老から「 ‘カイ’ という言葉には ‘この地で生まれたもの’ という意味がある」と教えられたとの記述があります。武四郎は蝦夷地改名の際に明治政府に対し「北加伊道」を含む6つの名前を候補とする意見書を提出しました。
加伊・・・この地で生まれたもの。アイヌの人々の事。この意味が込められていたと言われています。そして太政官布告によって「北海道」と命名されたのです。
 
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札幌駅前通り。ススキノに向かって。
 

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大通り3丁目会場とテレビ塔
花咲く「ブルーミング・マウンテン」



ホワイトイルミネーションが始まるひと月程前、私の麹仕事が始まりました。

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鰊漬け
 
身欠きニシンと米麹を使うことが特徴の冬の保存食となる漬物。札幌大球という漬物用の大きなキャベツを使用します。大根は数日外で吊るし干し、身欠きニシンは一晩米のとぎ汁に付け生臭みを取り、本漬け前に酢にくぐらせて発酵を促進させます。野菜を大きめに切り、米麹と塩を混ぜたものと全体にまぶし重石をし、物置や外で3週間出来上りを待ちます。

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出来上り 

出来立ては新漬けの様にシャキシャキしていますが、日が経つにつれて米麹の発酵が進み程よい酸味と身欠きニシン独特の風味がたまりません。寒さが厳しくなると樽の中の鰊漬けがしばれ(凍り)ちょっとすっかく(酸っぱく)なったのがこれまた美味しいのです。

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飯寿司
 1週間逆さまにして寒風にさらした塩鮭

「飯寿司」と書いて「いずしと」読みます。米麹、魚、野菜を漬けて乳酸発酵させた保存食で年末年始に欠かせない郷土料理の一つです。野菜や魚からどんどん旨味が出て米麹と絡んでまろやかになり寒さでキュと味が引き締まり、噛みしめる度に口いっぱいにかすかな酸っぱさと旨味がフワッと広がります。

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寒干しした鮭を一口大に薄切りし一晩酢につけます。野菜をひたすら千切りし一晩塩に漬けます。米麹を煮切った酒でふやかし同量の米と混ぜます。桶の下に熊笹を敷き、野菜、鮭、米麹を重ね酒、酢、砂糖等調味料を振りかけた後重石をして4週間、こちらも物置や外でゆっくり発酵させます。
 
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今年は落ち着きない日々の中での作業でしたが、何とか仕上がりました。
お裾分けした方々の今年も美味しかったよ!の言葉が何よりの励みになります。

この他にも味噌や大根の麹漬け・・・私の麹仕事は続きます。
米麹を手のひらで揉みほぐし、塩や米と混ぜ合わせていると発酵が始まるのかゆっくりと優しい温かさが増し、指先の触感を通じて次第に心が癒されてゆきます。今年一年の出来事を作業しながら振り返り、来年も日々積み重ねて大切に暮らしていこうと、自分と向き合う大切な大切な時間・・・なのです。



年流る瞼を徹ふす宇宙かな 髙橋真樹子




【北海道便り、髙橋真樹子さんより】


第十六回古志青年部ネット句会(2018年冬)報告

第十六回古志青年部ネット句会(2018年冬)を行いました。

三句出句三句選、席題(掃納・湯豆腐・白鳥)。
古志青年部員14名が参加。 

以下、大谷主宰の入選句です。


特選
掃納しばらく月をあそばせて 三玉一郎
湯豆腐やはるばると山越えてでも 辻奈央子

入選
ぶかぶかな合羽着る子の掃納 前田茉莉子
土台なき国に湯豆腐揺れてをり 吉冨緑
限りなきわが身の塵も掃納 高角みつこ



石塚直子

血の混ざる土地を開墾聖五月 前田茉莉子

バス

 九州産交の『せごどん号』に乗り、私は田原坂に向かった。寒い12月であった。田原坂といえば、今では心霊スポットとして有名で、田原坂に行くと言うと、「何か得体のしれないもの連れて帰らないように注意してね。」と心配されるのだ。しかし、私は、妖怪に興味はあっても、幽霊にはまったく興味がない。あくまでも、歴史を知る旅の1つだからだ。田原坂といえば、西南戦争だ。今年は大河ドラマ『西郷どん』の影響で盛り上がっている。その西郷隆盛率いる軍と政府軍の戦場として、もっとも悲惨な場所として挙げられるのだ、ここ田原坂なのだ。
 鹿児島出身の西郷隆盛。下級藩士として生まれながら、その才覚を島津斉彬に見いだされ、江戸城無血開城、明治政府を立ち上げ、民のための政治を追求しづけた人物だ。
 その西郷隆盛と私の地元宮崎県は縁があり、その西南戦争時、戦場となった個所が各地にあるのだ。私の母が子供の頃には西郷隆盛と会ったことがある人、お世話をした人がご存命で、そういった方々の話を聞いて育った。みな、「西郷さんは、立派で優しい人だった」と言っていたという。誰も悪く言う人はなく、ここは西郷さんが通った道、此処辺りで休んだなど、そのような話を、私は子供の頃から母から聞いて育った。母曰く、当時は西郷さんがいかに偉大な人物か理解してなかったため、あまり熱心に聞かなかったことが悔やまれる。子供の頃とは言え、もう少し詳しく聞いて記録に残しておくべきだったのではないかとの事だった。母が子供の頃近所の方から聞いた話を、私自身子供の頃から母から沢山聞いて育ったため、そのようなこともあってか、私にとって西郷隆盛はもっとも身近な歴史上の人物となっていったのだ。
 そんな私だからこそ、一度は田原坂に行きたい、行きたいと思いつつ、今日念願だった、田原坂の地へ降り立つことができたのだ。紅葉散る寒い雨の日であった。
 バスを降り、傘を差しながら、駐車場を歩き、資料館を通り過ぎ、奥へと足を進めた。バスの運転手より、資料館の奥より、戦場となった田原坂の一望が綺麗に見ることができると終えてもらったのだ。その途中大きな慰霊碑があった。西南役慰霊碑だ。出身地別に、薩摩軍、官軍の亡くなった人の名前が並んでいた。足を止め、手を合わせる。皆が、日本の未来のため、思いを遂げるために亡くなった方々が。涙が溢れそうになった。官軍側にも、薩摩の方がいて、同じ出身者の人が、戦場で敵味方として戦わなければこの事実に胸が張り裂けそうになったのだ。

慰霊碑

 慰霊碑を通り過ぎ、少し歩くと、美少年の像が立っている。西南戦争で戦った美情念の像で、馬に乗り戦う姿。モデルとなった隊士がいるという説と、誰とは特定せずに15歳くらい少年たちのすべての姿とも言われているのだ。

美少年の像

 像に思いを馳せつつ、さらに奥へと進んだ。見えた。緑生い茂る地帯。車が通り、人が歩く、人が歩く。そんな日所の光景を皆がら目を閉じた。シトシトと雨の降る音が耳に届く。ここで夢半ばで散った隊士たちが沢山いた。彼らがいたからこそ、今の日本がある。誰一人決して無駄な死ではなかったのだと心の中で叫ばずには入れなかった。

田原坂

 そして私は、資料館に戻った。資料館では、幕末から西南戦争の歴史はもちろんのこと、隊士たちの視線から、西南戦争を疑似体験できるようになっていた。暗い部屋で、森の様子が再現され、隊士たちが戦う姿の映像が流れ、砲撃の音、刀と刀がぶつかる音、そして隊士たちの声が聞こえるのだ。見る方角から、薩摩軍の視点、政府軍の視点で体験することができるようになっている。
 体験ブースをでると、隊士たちの服装や、あの有名な西郷札、砲弾の残骸を見ることができるようになっていて、そして、私は資料館を後にしたのだ。資料館を近くには、戦争の惨劇を伝える家が再現されていて、沢山の砲撃を受けた痛々しい姿を見ることができる。

家
 
 空を見ると、相変わらず曇天だが、雨が上がっていた。地元宮崎の資料館でも、西南戦争展をしているらしいので、帰省した際は、絶対行こうとおもいバスに向かった。




血の混ざる土地を開墾聖五月 前田茉莉子



【熊本便り、前田茉莉子さんより】


第十六回古志青年部ネット句会(2018年冬)

古志青年部ネット句会のご案内です。


【古志青年部ネット句会(2018年冬)】

●日程
 投句期間:12月1日から12月19日まで
 選句期間:12月21日から26日
 選が見られる期間:12月28日から翌月20日まで
 
●句座
 三句出句三句選

●兼題


石塚直子

この先の億万年を山眠れ イーブン美奈子

 周知の通り、カステラの原型は、ポルトガルから伝わった。
 タイにも、同じようにポルトガル伝来の菓子がある。それは、フォーイトーン(金の糸)という、卵黄で作った橙色の素麺状の菓子だ。花形のものはトーンイップ、丸形だとトーンヨートという。

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手前からフォーイトーン、トーンイップ、トーンヨート。

 このフォーイトーンやトーンイップをタイに伝えたのは、マリー・ギマルドという女性。興味深いのは、彼女が日本・ポルトガル・ベンガル人の混血だったことである。マリーが生まれたのは、日本では江戸時代の初め、タイではアユタヤー時代。母は山田ウルスラといい、祖父は長崎のキリシタン大名の末裔だったらしい。父は日本人とベンガル人の混血で、カトリック教徒だったという。つまり、マリーは、キリスト教弾圧によりポルトガルに逃れた日本人の子孫ということになる。
 マリーの家族は、アユタヤー王朝のナレースワン大王(在位1590~1605)時代にアユタヤーに移住した。そこで生まれたマリーは、王朝の高官だったコンスタンティン・フォールコン(ギリシャ人)と結婚。しかし、1688年、夫のフォールコンは、フランス軍を城内に入れようとした疑いでタイ人高官らに殺害されてしまう。余談だが、今年2月から4月に放映された『ブッペーサーニワート』というタイドラマに、このエピソードも描かれた。アユタヤー時代を舞台にしたこのドラマは全国で大人気になり、『君の名は』で銭湯ががらがらになった話ではないが、その時間帯は道路も電車もがらがらになった(本当である)。そのため、歴史に詳しくない人でもフォールコンとマリーの名はもう覚えたに違いない。
 さて、フォールコン亡き後、マリーは宮廷料理人の菓子部長となり、ターオ・トーンキープマーという名を賜った。タイの菓子はそれまでココナッツミルクを使ったものが主だったが、卵、牛乳、小麦粉などはマリーによって取り入れられたのである。

 マリーの伝えたフォーイトーンは、現在でも好まれ、様々な菓子の飾りとして使われている。また、同じ菓子はポルトガルから日本へも伝わり、「鶏卵素麺」の名で残されている。



この先の億万年を山眠れ イーブン美奈子



【タイ便り、イーブン美奈子さんより】

『句集 鶯』 関根千方

句集『鶯』は、長谷川櫂の第十句集にあたる。あとがきの日付をみると、2011年の立春とある。句集の刊行は、5‪月30日である。その間に三・一一、東日本大震災が起こっている。おそらく、4月に刊行となった『震災歌集』の制作のため、刊行が延びたのではないかと思われる。‬‬

当時の状況はあまり思い出したくないが、燃料溶融で穴が開いた原子炉圧力容器に、連日ポンプ車で注水を行なっているような時期である。まともな冷却システムが稼働できていないのは、私の心も同様だったはずである。 


天体も生命もまた春の塵 


例えば、この句は震災直後の雰囲気で読んだときは、どこか現実に対する皮肉のように感じていた。しかし、今読むと全く違う印象がする。天体も生命も「春の塵」という終わりにいきつくほかないのだが、同時にすべてが「春の塵」から始まっているということでもある。つまり、宇宙の塵ではなく「春の塵」なのである。 


朧より生まれ朧に帰りけり


この句の「朧」も同じである。この「朧」は、前の句の「春の塵」という始まりであり且つ終わりであるようなものを、内側から詠んでいるように思える。われわれは自身が生まれる前のことを覚えているわけではない。思い出そうとすれば、ぼんやりするほかない。死んだ後のこともそうである。たしかに内側から見れば、すべてが朧の中のこと。 

「春の塵」も「朧」も春の季語である。しかし、この終わりであり、始まりであるような何かは、春の句だけに見られるものではない。たとえば、次の句の「雑炊」もそうである。 


喜びも悲しみもみな雑炊に


どんなに嬉しくてもずっと喜んでばかりはいられないように、悲しくてもずっと悲しんではいられない。それらはみな、雑炊にして食べてしまおうというのだ。なぜなら、新たな一歩を踏み出すために。つまり、また一つ何かを始めるためにすべてを終わらせるということだ。清々した気分さへ感じられる。言い換えると、これは節目をつけるということである。たしかに、あとがきにも次のような一文がある。《もし十が一つの節目であるとするなら、『鶯』は節目となる句集である》。 

帯にある次の秋の句はどうだろうか。


爽やかに俳諧に門なかりけり


たとえば、仏門という言葉あるが、俳諧にはそういった「門」がない。この句は、それを爽快に詠んでいる。「門」とは入口であり出口である。門がないとは、始まりも終わりもないということにもなるが、そこに気づく時が実は終わりであり、また始まりなのではないか。そう思うと、句集のタイトルである鶯と呼応するのがわかる。鶯が春を告げる鳥であるように、この句集『鶯』は、いわば、一つの始まりであり且つ終わりであるような「春」をめぐる句集なのではないだろうか。 

収められた句は2008年から2010年の句が中心であり、全九章立てに四季を三回めぐる構成となっているが、全体を通して、一つの「春」を感じさせる。その「春」とは、言い換えると、再生の時ということになるかもしれない。 


鶯の巣をかたはらに冬ごもり
逆鱗をときに鳴らして冬ごもり
すこやかな一句生まれよ寒卵
人類に夢みるちから寝正月
戦場や毛布のなかに赤ん坊


これらの句は、新たな始まりを待っている。


墨汁の一滴の春来たりけり
音立ててものの芽の今ほぐれたり
一枚の田を響かせて初蛙


新たな始まりを告げる音が聞こえて来るようである。夢から覚めたことを告げるような音である。その音を発するものは、まだ小さきものである。


悴みてかくも小さく心かな


どんなに大きなものでさえ、寒い冬には心まで小さくなる。しかし、それもまた大きくなるための小ささであれば、この小ささは肯定すべきものである。いわば、また新たなるものへ生まれ変わることの肯定となる。


刻まれて星屑となるおくらかな
柚子湯して柚子となりたる女かな


「ある」ではなく「なる」ことを言祝いでいる句である。「なる」ということは生成変化であるが、そもそもそこに内在している本質が現出するということでもある。これも一つの再生のかたちである。


皮を脱ぐ竹のごとくに人新た


この句ははっきりと人の「再生」がテーマになっている。


大いなる詩の心あれ草の餅


この句は再生とは言っていないが、「草の餅」という季語から新たなものを呼び起こさんとする勢いを感じる。まるで、自己のみならず、心あるものすべてに向けて、投げかけられているかのようである。この句は、作者にとっての自己のみならず、この世界の再生のための供物のようにさへ思えてくる。この再生への願いは、次のような贈答句にもあらわれている。


打つて出る心大事や柏餅
秋立つとともに君にも新天地
鹿の子と思つてゐしが麒麟の子
菊の酒六十歳の少年よ


どれも新たな一歩を踏み出さんとするものへのエールであろう。


一歳の兜太誕生梅真白


こんな句もある。当時まだ兜太さんはもちろん存命であり、「死ぬ気がしない」とまでおっしゃられていたくらい元気であった。だから再生ということにはならない。兜太の名を授かった、新しい命を祝う一句である。


亡き猫に瓜二つなる子猫かな


これも一つの変わった再生の句と言っていいかもしれない。不可能なものの反復であるが。ところで、先に春を待つ句をいくつかとりあげたが、次の句も忘れてはならない。


春を待つ心句集を待つ心


前書きに《句集『夏』『秋』『冬』次は》とある。2009年に亡くなった川崎展宏さんの遺句集は、その名も『春』という題の全句集であった(刊行は2012年10月、この全句集の解説を書いているのが、この句の作者である)。人の死は、たしかに一つの終わりである。しかし、その死を受け止めた人々の中で再び生き始める。

さらにこの句集には、次のような社会や世相を詠んだ句も多く見られる。 


鬼とても子は殺さぬに鬼やらひ 
節分や鬼のかぶれる人の面 
蟻地獄人の地獄のかたはらに 
戦争がどかと残暑のごとくなほ 


このような句は『震災句集』『柏餅』『沖縄』といった、このあとの句集においても、さかんに詠まれていくようになる。そう考えると、この句集『鶯』そのものが、新たな始まりとなったようにも思えてくる。 

最後に次の句をとりあげたい。この句も刊行当時とは違う印象を持った句である。


天地の破れ破れて風薫る


天と地が一体であったとしたら、おそらく始まりも終わりもないどころか、時間も空間もなかったかもしれない。それは神話的な思考によってしか、とらえがたいことかもしれないが、どこかに破れ目が生じたために、この世界が出現したかのような感じがする句である。そう思うとこの「破れ破れて」は、再生を繰り返してというふうにもとれる。いわば、この世界の代謝運動である。われわれはその破れ目を吹き抜ける風のようなものなのかもしれない。




『句集 鶯』, 長谷川櫂 , 2011年 ,  角川書店


【長谷川櫂先生句集鑑賞、関根千方さんより】


『句集 柏餠』 三玉一郎

いい俳句の条件の一つは長い年月を経ても色褪せないことだ。色褪せないということは普遍的ということだが、そうするにはどうすればいいか。自分の気持ちを込めないことだ。しかし、伝えずにはいられない気持ちが俳句のスタートなのではないか。俳句は伝えたい気持ちからスタートして、完成した俳句には気持ちを込めないということなのか。
これを可能にするのは対象に向き合った時に虚心になることではないか。虚心には自分の気持ちがないから、俳句にするには具体的で明確な言葉が必要になる。それが伝えたい気持ちを湧き起こさせる正確な言葉であった場合、撞木のように読者の心の鐘を正確に撞く。そのように詠まれたものが普遍的な俳句なのではないか。
この「虚心になる」ことの意味を理解し実行することが如何に難しいかは言うまでもない。



33頁
ひとひらの花びらあそぶ机かな


作者は机に向かって何かをしている。俳句を作っているのか、推敲しているのか。まさに心を解放して花びらとなって自由にあそんでいるのだ。机の前にいながらにして空間も時間も自由に行き来することができる心。しかし俳句では花びらとなってあそぶのではなく、「花びらあそぶ」と詠んでいる。心が体から完全に離れ去ったからこそ自分のことを客観的に「花びらあそぶ」と詠めたのではないか。自由にあそぶということは意志を持たないこと。だから行先を風にまかせられる花びらでなければならない。



37頁
太陽も月も地球もしやぼん玉


作者には眼の前に当たり前にある物事を疑う気持ちがある。人間の存在の小ささを言いたかったのかもしれない。しかしそれをそのまま言ってしまっては詩にはならない。そこで、その人間の住む地球と太陽と月を含めて宇宙を詠んだ。作者にとってはどれもしゃぼん玉。しゃぼん玉ははかなく、すぐに割れる。人間はそんな地球に住み、太陽を神と崇め、月を女神と崇めている。そんな人間の存在の小ささ。しかしそのしゃぼん玉ももともとは人間の口から吐き出されたもの。しゃぼん玉は俳句のことなのかもしれない、ここまで書いてそう思った。つまり人間から生まれる俳句は地球を含む宇宙を表現し得る力を持つ。しかしその人間も俳句で表現された宇宙の中のひとつの星に住んでいるに過ぎない。人間の住む地球も、仰ぎ見る太陽も月もしゃぼん玉。それを吐き出すのも人間。小さくて大きい人間。



40頁
風船やこの世に我を置き去りに


作者はあることを経験してこの世に違和感や不安、さびしさを覚えた。あるいはだれか大切な人を亡くしたのかもしれない。これは作者が感じた気持ちである。この気持ちをこの世に置き去りにされたと具体的で明確な言葉で言い放った。この時感じた気持ちに固執することなく、心を解き放して自分の姿を客観的に眺めた結果、「置き去りに」という具体的な言葉が生まれた。これにより今の気持ちをありありと表すことに成功した。
普通置き去られたと感じるのは我々が普段いる場所以外だが、作者にとってはそれがこの世なのだ。つまり作者が普段いる場所は少なくてもこの世以外の場所ということになる。これだけで言い終わっている感がある。しかしこれでは季語がなく、文字数も五文字足りない。ここに付く季語はこれをさらに読者に印象付けるものでなければならない。
作者は「風船や」と措いた。どこへでも飛んで行く風船。そしてすぐに割れてしまう風船。この風船を上五に措くことにより、作者の不安な気持ちは一層強調される。風船が割れた後、風船があった場所にはもう何もない。目の前の風景はついさっきまでのものとは全く違うものになってしまった。



44頁
一年を柏餠よりはじめけり


初夏は気持ちのいい季節だ。その初夏を一年のはじまりにしたいと言う気持ちだ。この季節から新たに一年をはじめたいという理由はそればかりではないかもしれない。その前に起こった事をきちんと見つめ直すためにもそうしたいと思ったのかもしれない。しかし、これらの気持ちを押しとどめ俳句では初夏ではなく柏餅と言う形の見えるものを措いた。柏餅を措いたことにより読者も一年のスタートを眼前に浮べることができるようになった。初夏と言うある幅を持ったあいまいな期間ではなく、点である目の前にある柏餅そのものが一年のはじまりなのだ。



49頁
切れ長の目のきらきらと扇かな


舞を舞っている人の目だろう。切れ長の目がきらきらしている。扇をほめたたえるのにその扇を使っている人の目の様子を言っているのだ。扇は人に使われるものだから、その扇が一番引き立つように使われた時に扇は最も輝くのだ。「きらきらと」と言う措辞が切れ長の目と扇を無理なくつないでいる。だから切れ長の目の先に扇がたおやかにあることが視覚的に浮かんで来る。



94頁
はるかなる鯨の声や冬ごもり


作者は鯨のことを考えている。心は自ずと海の中の様子を思い浮かべている。ただでさえ生態のよく分かっていない鯨のそのまたベールに包まれている声のことを思っているのだ。それがはるかだと言っている。これは自分の気持ちなのではないだろうか。自分でもよく分からない自分の気持ち。冬ごもりとは自分の気持ちと向き合うことのできる貴重な時間だ。



97頁
少年の我なつかしき焚火かな


炎を見るといつもとは違う心持になる。炎は現象としては連続していながらも、次の瞬間にはもう今の炎ではなくなっている。そんな不思議な炎を見ているうちに少年の日の気持ちがよみがえった。これが作者の気持ちである。その気持ちを離れ、焚火の炎に浮かぶ面々の中に少年時代の自分を見たと詠んだ。この現実ではあり得ないことも心を解放し、時空を自由に飛び回ることによって可能にしてしまった。「少年の我なつかしき」と比喩の類を排除した言葉で表現したことにより、作者の気持ちは我々の目に見える形でありありと浮かんで来た。



110頁
神殿の奥に氷の鈴の音


神殿の奥は普段人が入れない場所だ。謎めいているこの場所を何かの言葉で言い留められないかと考え、作者は「氷の鈴の音」と措いた。氷は鈴に係る。氷の音だと抽象的だが、氷の鈴だとそのものが見えて来る。実際には氷の鈴はないのだろうが、しかしその氷の鈴から聞こえて来る音を読者は想像することができる。氷の音と言ってしまってはその音についての想像を読者に許さない。



114頁
今年また愚かにをれば春立ちぬ


「また愚かに」ということは毎年愚かにいるということ。毎年愚かにいても時間は容赦なく巡って来る。しかし俳句では愚かにいても、と逆接では言っておらず「愚かにをれば」と言っている。逆接で言ってしまっては理屈になるからだが、これではまるで愚かにいることが当然のことのようだ。いやそうなのだ、人間が愚かなことは当然なことなのだ。これこそ言いたかったことなのだろう。そして自然の摂理はそういう人間の在り様など遠く及ばないのだ。



117頁
水の輪の中に浮べて雛流す


本当は雛を浮かべた後に水面に起こるのが水の輪。雛が揺れるたびに起こる水の輪を雛自身がはみ出さないのも当たり前のことである。それを、「水の輪の中に浮べて」と詠んだ作者の気持ちを読み解かなければならない。背景には東日本大震災があるだろうか。数多の命をのみ込んだ水である。せめて水面に浮べた雛だけでもその水にのまれずにいてほしいという祈り。その祈りが作者に「水の輪の中に浮べて」と詠ませたのかもしれない。幾重にも連なる水の輪は今は亡き人も含めた数多の人の雛を守る手だ。



152頁
回想の中に籐椅子一つ置く


回想をしているのは過去の出来事である。一方、籐椅子を置くのは現在だ。心は自由に時間を行き来する。また自分が座る籐椅子は自分の姿を象徴するものかもしれない。つまり上方から自分の姿を見ているとも言える。心は自由に空間さえも行き来する。
籐椅子に座り、回想をしたというのが事実である。心の時空の行き来を具体的な「置く」という言葉にしたことにより、事実を詩にした。そして具体的な言葉だからこそ読み手も無理なくその心の行き来について行ける。置かれた籐椅子を中心に回想が渦のように広がっている。



155頁
今はただ風にさやぐか夏木立


夏木立は風によってさやぐ。そのさやぐ対象は本来その音を感じ取れるという意味ではわれわれ人間だろう。しかし、それは過去のことで今はただ風自身にさやぐのみだと言っている。そうするとこの夏木立は風の中にしか存在し得ないのではないか。つまり私たちが直接には見ることのできない夏木立なのだ。「今はただ風にさやぐか」というフレーズにより、誰もが持つ思い出の中の夏木立を描き出した。



169頁
扇うごく心は別にあるごとく


放心状態で扇を動かしている人がいる。作者はそれを見ている。まるである生き物のように扇はうごいている。その様子を何と言い留めるか。「扇うごく」と扇を主語にすることによってこの光景を詩にすることができた。そして「心は別にあるごとく」と詠んだ。「心は別にあるごとく」だから、心は別にあるのではない。心は共にあるのだ。しかしまるで「心は別にあるごとく」なのである。この「心」は言葉の上では扇の「心」ということになる。しかしこの扇を人の手の象徴とすれば人の「心」ということにもなる。この俳句を読んだ者はこの「心」が別にあるのか共にあるのか、そしてこの「心」が人の「心」なのか扇の「心」なのかということも思い始める。この俳句を前にした読者の心は扇を前に立ち尽くす作者の心に重なる。



179頁
白日傘その人の名は忘れけり


なぜこの句の白日傘の人がありありと目に浮かぶのか。目に浮かぶという意味は視覚的にはっきりするということではない。その人の印象が強く心に浮かぶという意味である。きっと、「忘れけり」と言い切ったからだろう。これによって忘れられない人であることが分かる。いや名前は本当に忘れてしまったのかもしれない。本当に大切な人は名前などどうでもよく、その人そのものとして覚えている。



182頁
雲の峰人類ここを通りけり


人類は雲の峰を通った。まるで見て来たような言い回しだ。雲の峰よりも少し高いところにいてそれを見ているのだ。人類はこの険しい雲の峰を通ってようやく現代に辿り着いたのだ。
ある何かを見聞きして湧き起こった人類を讃える気持ち。しかしその気持ちは一言も言っていない。その気持ちに固執することなく、心は空高く雲の峰へ、人類の誕生した太古へ飛ぶ。この心の持ち様が、「ここを通りけり」という言い方を可能にさせた。俳句は短い。だから散文でしか表現し得ない、納まり切らない気持ちを俳句に込めようとすると俳句は窮屈になる。具体的に「ここを通りけり」と言い切ったことにより、切れのうしろに広がる大きな空間はいよいよ大きく、作者の気持ちをありありと眼前に表すことになる。



184頁
大空はきのふの虹を記憶せず


朝を迎えると空はその日の空だ。日々更新されて行く。人はどうだろう。そういかないことも多々ある。しかしそうありたい。その気持ちを作者は大空に託した。そして「きのふの虹を記憶せず」と言い切った。たった一日前のあの鮮やかで心を動かした虹でさえ記憶しないで捨て去ってしまうのだ。記憶できないのではない。記憶しないのだ。意志である。



203頁
生者死者句を選びをる夜長かな


心を平らにして句に向き合う選句の大変さは想像するに余りある。千差万別の数多の句に向き合う時、自分が生きているのか死んでいるのかも分からなくなる瞬間があるのかもしれない。数多の句を前に心を平静に保つにはもはや死者にもならざるを得ないのだろう。心は自由に生から何と死までをもさまよい歩いているのである。
その心持ちを直接そう言わず、生者死者が選句をすると具体的に詠んだ。「句を選びをる」という具体的な言葉を使うことによりその心持ちをありありと眼前に示した。



211頁
君待てば時間は雪となりて舞ふ


大切な人を待つ時間はある意味で不安な時間だ。本当に来るのだろうか。いやきっと来てくれるはずだ。この気持ちを目に見える形にするにはどうすればいいだろう。そう考えた時に心に見えたのが雪だったのだろう。並行して湧き起こるいくつもの不安な感情は見上げると空を埋め尽して舞う雪そのものだ。この時の時間は遅々として進まない。だから雪は降るのではなく、舞うのだ。



『句集 柏餅』, 長谷川櫂 , 2013年 ,  青磁社


【長谷川櫂先生句集鑑賞、三玉一郎さんより】

『句集 吉野』 高角みつこ

『吉野』
長谷川櫂の第十五句集。2014年4月発行。
表紙カバーは春霞の空のような水色。吉野の文字が銀色に浮かぶ。新作句および句集『富士』『唐津』『松島』に収録済の句、新たに直しを入れた句を再編した句集である。蓬萊、櫻花壇の二つの章から成る。句集の冒頭には次の献辞がある。


  伊豆山、蓬萊
  吉野山、櫻花壇
  二つの宿の思ひ出に


この言葉の背景とともに1.二つの宿、2.山と海、3.吉野の桜、3つの点から句集を見ていきたい。


1. 二つの宿
伊豆の蓬萊と吉野の櫻花壇は、いずれも古くからある高名な和風旅館である。蓬萊はかつて月に一度は通うほど作者が好んだ宿であり、櫻花壇では毎年泊まりがけで花見句会を開いてきた。2009年の著書『和の思想』(中公新書)には二つの宿をもとに、「和」について多くが語られている。また、蓬萊の宿で詠んだ句から句集『富士』が出来上がったこともそのなかに述べられている。これほど愛着のある宿であるが、蓬萊は経営者が変わり名を変え、櫻花壇は廃業した。作者の無念さはいかばかりか想像できる。

     
よき人のよき音をたて初湯かな
芍薬や宗全籠を暗がりに
この星のとある夕ぐれ冷し酒
包丁のあともさすがに鮑かな


宿での穏やかな時間が、じんわりと伝わってくる句である。骨休めとはこういうものかと思う。宿に求めるものは、まずはおいしい食事と酒、風呂、美しい景色、ゆっくり寝ること。それに尽きるとしたいが、リラックスだけで、心にとまるものがなければ句は生れない。部屋のしつらえ、風呂のつくり、飾られた花、料理の器や素材の生かし方、あるいは宿の主との会話、一つ一つに軽い驚きや感心するところから、句は生れる。おそらく、四季に合わせて趣向をこらし、これみよがしの作為は見せずに客をもてなす、そういう見事な宿であったのだろう。
雑然とした日常に身をまかせると、人は無感動になりやすい。俳人はどんな時、どんなものでも詠めるべきかもしれないが、自分の感性が磨かれる場所や人のいるところへ、意識的に自分の身を置くことがいかに大事かを思う。



この宿の花の朝寝を忘れめや



句集の帯に記された句である。この一句だけをもっても、感謝、賛辞にあふれた思いが伝わる。「花」は、季語の花ではあるが、輝かしさを表現する「花」でもある。二つの宿が、多くの人々に愛され、詩人のインスピレーションを刺激する稀有な存在であったことが偲ばれる。


2. 山と海

蓬萊や夏は大きな濤の音
波白く砕くるところ昼寝覚
黒富士や炎と燃ゆる空の奥
太箸や国生みの神さながらに
天地のここに我ある初湯かな


作者の視点は、ときおり宿から別の空間へ移り、天から俯瞰するようなところがある。俳句でありながら言葉の意味が消えて、ただ山と海の世界が広がり、風と波の音がする。
山と海の美しさ、開放感、そこからさらに飛翔している。その不思議さになにか手がかりになるものを探して著書『和の思想』を読むなかで、室町時代のある屏風図に目がとまった。『和の思想』は、日本文化における和の力について述べたもので、空白・余白こそ異質なものを調和させるという論が建築、文学、美術を通して展開される。そのなかの屏風図の説明が次の文章である。

  ・・・「日月山水図屏風」は、室町時代に描かれた六曲一双の大屏風だが、右隻は春から夏へ、左隻は秋から冬へ、天地そのものが歌い躍動するかのような朗々たる世界が展開する。そこにあるのは山と海と松と桜と太陽と月だけであり、そのほかは何もない、人の姿さえ見られない空っぽの空間である。これが日本という島国の原初の眺めだったのではなかろうか。

「日月山水図屏風」(大阪府河内長野市金剛寺)は、地上の人の狭い視野で描かれてはいない。天地は、人がいてもいなくても関係ないほどに大きい。それは、人のはかなさに涙する思いとは違い、山と海、太陽と月とともに生きる喜びがこの屏風図の画家にあったからだろう。これほどに天地が大きいと思えば、人の世に息を詰まらせながら生きることがばかばかしくなる。屏風図の世界と作者の句の世界は似ていないだろうか。
山と海の間にへばりついている点のような命が、ある者は天地をめぐる絵を描き、ある者は天地に昼寝する句を詠む。共通するのは、心の持ち方の愉快さである。遊ぶ心である。
しかし、目に映る風景から、心に浮かぶ風景を自由に行き来し、またそうしている自分を客観的に眺める。こういう俳句の作り方は、言葉の技巧では説明がつかない。切れ字を用いる、「富士」「天地」の大きな言葉を使う、それで大きな句になるわけではない。初心者が単純に真似すると大げさなだけになる。しかし心のありかたは、俳句を詠む者として大いに参考にすべきものである。


3. 吉野の桜

散る花を追うて一生をすごしけん
そののちの我らは知らず桜かな
また一人花の奈落に呑まれけり
おもかげのごとくに花の庵あり


句集の後半の章「櫻花壇」は、まず膨大な量の桜の句に驚く。そしてなにか現代の花見とは様子がちがう雰囲気に満ちている。花の庵、花のちご、花の奈落などふつうの花見の句では、なかなか見られない言葉がでてくる。平安時代の和歌や西行法師の姿が思い浮かぶ。それこそが「吉野の桜」「吉野の花」である。中世に繋がる花なのである。
植物学的な点からも同じことが言える。日本の固有の桜は山桜であり、和歌に詠まれてきた桜は山桜をさしている。吉野の桜は山桜だが、我々が主に見ているソメイヨシノは江戸時代に生れたものである。

山桜については、作者がNPO法人を通して、「山桜100万本植樹計画」を実行していることについても触れなくてはならない。植樹の理由については、いろいろな媒体で述べられているが、日本人が古来愛した桜が、太平洋戦争のおりに国家に都合のよい残酷な使われかたをされたこと、そのために桜を嫌うようになった人がいることに、深く憂慮した結果という。

・・・戦後に生れた人間は、戦争によって桜のこうむった傷を治す役割、
日本人が昔のように桜を晴れ晴れと
愛でることができる時代にする役割を負っているのではなかろうか。
(NPO法人 季語と歳時記の会HPに掲載文より)

この計画は、2008年に新潟県の雙璧寺を始まりとして各地で少しずつ山桜が植えられ、現在も続いている。桜の句を自由に詠める今の幸せをあらためて思う。


花の上に浮かぶや花の吉野山
我もまた花の絵巻のただなかに
たぎる湯の中のたまゆら山桜
法楽の花咲くままに散るままに


吉野山への捧げもののような句ではないだろうか。祝祭句としての色合いが濃くある。人の哀歓を花にこめて詠んだものとは異なり、花の美しさをいかに表現するかに徹底してこだわった句である。花は人のために咲いて散るのではない。ただ花を愛でることが人のすべきこと。『吉野』の花の句には、そうした思いを感じる。



きほひたつ花の句会や三十人



花の句の創作の意気込みが伝わる句である。作者も気負い立つそのなかの一人である。日本人が花を詠んで千年以上たつ。しかも千年前からの歌句を受け継ぎながら、さらにより良いものを求める人たちが大勢いる。この連綿とした営みには呆然とするが、花を詠む者は、「花」の継承者としての自負がなくてはならないとわかる。それが文学としての厳しさである。
櫻花壇は廃業したが宿のご主人のご好意で、花見の句会の時のみ場所を提供してくださっているという。吉野の花の句はこれからも詠まれ続けることになるだろう。



『句集 吉野』, 長谷川櫂 , 2014年 ,  青磁社


【長谷川櫂先生句集鑑賞、高角みつこさんより】

『句集 虚空』 藤原智子

『虚空』のあとがきには、「二〇〇〇年から二〇〇二年正月までの句を納めた。この間、飴山實先生はじめ大事な人々が相次いで亡くなり、『虚空』という題が自ずから定まった。天体もまた生命も虚空に遊ぶ塵に等しい」とある。
『虚空』を読むと、2つの問いが頭に浮かぶ。1つは、「大事な人の死を詠むというのはどういうことか」ということである。もう1つは、「虚空とは何か」ということである。


立春大吉雪国に雪降りしきり


立春の日、禅家では「立春大吉」とある札を門口に貼る。春が来たと言っても実際にはまだ寒い。雪が降りしきる地域もある。作者は、そんな雪国に心を寄せている。雪の静けさの中だからこそ、春の喜びとめでたさがいっそう深く感じられる。


春立つや加賀も越後も雪深く


立春を迎えても、雪深く眠る町がある。加賀は、石川県小松市に生まれた飴山實先生のことを、また越後は、作者の赴任先であった新潟の人のことを思って詠まれている。


裸にて死の知らせ受く電話口


前書きに「三月十六日深夜、飴山實先生の急逝の知らせあり。折りしも入浴中、季語も取りあへず」とある。大事な人の死という、胸を突かれるようなことがあったとき、胸を突かれるままに私たちは詠めるだろうか。作者は、格好をつけず、まさに裸である。このとき持っているのは電話の受話器だけで、季語も持ち合わせていない。2016年熊本地震のときに、作者が「くまモンがんばれタンポポの花笑つてる」の句を詠んでいるのも、私には忘れられない。季語はあるが、五七五には収まりきらない。とても詠めないというときにこそ、自分を賭けて詠むということだと思う。


なきがらや大朝寝しておはすかに


朝寝とは、春の眠りが心地よいことから、朝ゆっくりと寝てしまうこと。のどかで平和で少しおかしみもある季語だ。しかし、なきがらと向き合って、大朝寝と詠むとしたら、安らかにと願う気持ちだけでないだろう。残された者が大きな悲しみを乗り越えようとする「かるみ」の心が「大朝寝」にはある。「かるみ」とは、いつまでも非常時にとどまらず、平常の心へと無理やりにでも自らを運ぶということではないか。


虚空より定家葛の花かをる


虚空とは、広辞苑によると「何もない空間。そら。仏典では、一切の事物を包容してその存在を妨げないことが特性とされる」とある。定家葛は、日本原産の常緑のつる性木本植物で、花は白く、甘く香る。前書きには「飴山先生、ニュージーランドを旅されし折、とある町の河辺にて定家葛の花を見つけられたり。居合はせし人々、『かかるところに定家葛とは、先生の修羅垣間見し心地せり』と語り合ひけり。この話、心に残りて」とあり、飴山先生の俤を詠んでいる。しかし、不思議なことに、定家葛が空から踊り込んでくるように感じられ、定家葛の句としてずっと心に残る。


生き死にを俳諧の種籠枕


まず、1つ目の問い、「大事な人の死を詠むというのはどういうことか」。本当は、言葉にしたくない、そっと心にしまっておきたいのではないか。だから、あえて死を詠むということは、死を突き放すということではないか。
そして、突き放した自分さえも、この句のように突き放す。そもそも、死だけではなく、どんなことも突き放して初めて、俳句となるのだろう。だからといってどんなことでも詠むというのではない。本当は、自分の心だけにとっておきたいような何かである。そうでなければ、詠む価値がない。言葉にしなくてもいいほどの良いこと、言葉にしたくないほどの辛いことを突き放した上であえて言葉にする。それが俳句だろう。

では、2つ目の問い、「虚空とは何か」。虚空とは、どんなものも包み込むこの世界だ。そうでありながら、どんなものにも染まらず、ただ「ある」この広い世界のことだ。『虚空』は、ただ「ある」というかなしさ、いとおしさを詠んだ句集である。



若き日の妻そのままに初鏡




『句集 虚空』, 長谷川櫂 , 2002年 ,  花神社


【長谷川櫂先生句集鑑賞、藤原智子さんより】


【新連載】長谷川櫂先生の句集鑑賞

今月から、古志青年部員有志により、「古志」前主宰である長谷川櫂先生の句集を鑑賞する連載をスタートいたします。

長谷川先生はこれまで、『古志』『天球』『果実』『蓬莱』『虚空』『松島』『初雁』『新年』『富士』『鶯』『震災歌集』『震災句集』『唐津』『柏餅』『吉野』『沖縄』などの句集をだされております。http://gokoo.main.jp/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E6%AB%82%E3%81%AE%E7%95%A5%E6%AD%B4%EF%BC%8F20170601

これらの句集中から、各々思い入れのある1冊を選び、鑑賞いたします。

数ある句集を選ぶところから、選んだ1冊の句集を読み込み、鑑賞し、まとめあげる…。この一連の活動を通じ、古志青年部員の鑑賞力を、さらにレベルアップさせるべく、取り組んで参ります。

みなさま、応援どうぞよろしくお願いいたします。

石塚直子

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