古志青年部

古志青年部は、「古志」俳句会の50歳未満の会員からなります。

稼働せしパン工場や地震の春 前田茉莉子


犬

 3月3日、私の愛犬が15歳になった。黒い愛犬を抱きながら、あの日の夜を思い出す。真っ暗な部屋を恐怖でおののき走り回る愛犬の姿。その愛犬を抱え、体育館まで走って避難した時のことは、未だ鮮明に思い出すことができる。色あせることなき記憶。今、愛犬を膝に乗せ、まったりと生活ができるようになり、穏やかな生活がこんなにも尊いものかと日々感じ入っているのだ。
 3月末、私は愛犬を連れ、熊本城まで花見に行くことにした。サラダスパゲティを作り、お茶とともにリュックに入れ向かった。通町筋バス停でバスを降り、そこから歩くことにした。お堀に沿ってゆっくり歩く。満開の桜並木の中を、壊れた城壁を見ながら、歩みを進めた。様々な歴史関連の観光案内版も、震災以降新設され、震災前の写真が載っており、現在の状態と比較できるようになっている。熊本城の数多の城壁が地震で壊れた。しかしながら、明治以降作られた城壁よりも、加藤清正が作った。城壁のほうが損傷少なく、加藤清正の凄さを改めて思い知ることになり、建築士である友人もその技術には興味津々のようだ。

桜並木

 加藤清正に思いを馳せつつ、城彩苑に向かった。熊本の銘菓名産の店が立ち並ぶ。店員さんの朗らかな声が響く。
「馬肉コロッケいかがですか?」
おいしそうな匂いが体を包む。
「一つお願いします。」
誘惑に負け、私は購入してしまった。食べ歩きしながら、まん中のステージへと進むと、沢山の人が。近づくと、かっこいい音楽と共に、加藤清正などの熊本ゆかりの歴史上の人物に扮した、おもてなし武将の方々が躍っていた。活気に溢れている。熊本にきて10年以上だが、おもてなし武将の方のステージをゆっくり見るのが初めてで、すっかり引き込まれてしまった。

おもてなし武将

 ステージが終わり、私は城彩苑の裏口からでて、熊本城二の丸広場に向かった。
「よし、ここでランチにしよう。」
シートを敷き、愛犬を座らせ、熊本城を見ながらパスタを食べる。愛犬にはお菓子をあげた。空が広い。桜の花びらが舞う。桜を見ると、人間はなんて脆いものだと痛感する。地震で生活が一変した人々。しかしながら、桜などの植物は、震災を物ともせず、満開の花を咲かせるのだ。
「久方の光のどけき春の日に―。」
私の好きな百人一首をなんとなく口ずさみ、コンビニで買ってきたプリンを平らげ、片付けをし、犬を抱えた。
 熊本城をより近くで見ようと歩みを進める。道の整備が少し進み、崩落した門をより近くまで見ることができるようになっているのだ。いまだ手付かずの門と城壁。その生々しい傷跡を見て、私を含め皆が息をのんだ。この門をくぐり、熊本城の天守閣まで行っていた時のことを思い出す。私は溢れる涙をこらえ、その場を後にした。

壊れた城壁

 右手に熊本城を見ながらひたすら歩いた。加藤神社にて、熊本の復興を祈り、道なりにそって歩き続け、通町筋バス停まで戻って来た。
「さあ、帰ろうか。」
愛犬をケースに入れ、バスに乗って家へと向かった。

夕方の熊本城

 2018年4月14日。私の住む町の再建はほぼ済んだようで、屋根にかかったブルーシートはすっかり姿を消してしまっている。ただ、未だ復興に至らない地域も多く存在し、日々ローカル番組では、そういった地域の事を報道している。しかし、全国放送では、あまり報道されなくなり、風化とはこういう事なのかと思わざるを得ないのだ。
「熊本に遊びにきてよ!今の熊本城を見にきてよ。復興途中の城はなかなか見る機会なんてないよ!」
と、私は友人などに声をかける。SNSを通しても声をかけ続けた2年間。それがどれだけ熊本の力になったかは分からないけど、きっと無駄ではないと思いたい。
 熊本地震から2年という今日という日。朝起きて、会社に行って、同僚と見たドラマの話をし、おいしいものを食べ、帰る。その日常の中で、特別なことと言えば、かなり勇気を振り絞って歯医者恐怖症の私は、やっと歯医者に行ったことぐらい。他に特別なことは何もなく、会社でも、地震の話題は少なかった。あの日の事は皆思い出したくないのか、なんとなく避けている感じがした。
「今度飲みに行こうよ!」
「いつ行こうか?」
そのような普通な会話が飛び交うのだ。
 家に帰った私は、PCに電源を入れ、珈琲飲みながら熊本便りの原稿を書く。どうしたら今の熊本を伝えられるか、何度も何度も書き直す。携帯電話の大量の写真を見ながら、推敲を繰り返す。チョコレートを頬張り、ポテトチップスを食べる。筆が進まなくなると、一回全部消してやり直す。例え1000文字以上書いていても消す。本棚から、日本刀名鑑を持ってきて眺めたり、世界史の教科書を見たり、音楽を聴いたりして一度リフレッシュをし、また書き出す。
(熊本に来てほしい。)
その願いを込めて、熊本便りを書き終えた。




稼働せしパン工場や地震の春 前田茉莉子




【熊本便り、前田茉莉子さんより】

涅槃図を出て太陽のまつ盛り イーブン美奈子

 3月3日、気象局が暑季入りを宣言した。
 タイの暑季は、4月13〜15日のソンクラーン祭(タイ正月、水掛祭)の頃が最も暑く、中部のバンコクでも時に気温が40℃を超える。うんざりするような蒸し暑さだが、逆に嬉しいこともある。それはマンゴーの収穫だ。マンゴーの旬は、暑季の真っ盛りなのだ。

 マンゴーは、タイのほぼ全土で栽培される。果樹園だけでなく、民家の庭先にもよく植えられ、バンコク都内でも多く見かける。食べた後の種を埋めておけばすぐ芽が出るというから、簡単な樹なのらしい。

 花は、涼季(寒季)の1月頃に咲く。小さな花が房状になって高木全体にたくさん咲くのだが、霞のようにぼわぼわして全然目立たない。その代わり独特の匂いがあり、鳥や虫が集まる。この頃に降る雨をマンゴーシャワーまたはマンゴーレインという。スコールとは違うぱらぱら雨で、マンゴーの実を太らせてくれるという。ただ、降り過ぎても、実の表面に黒点ができてしまい、良くない。

MAR2018Mango1

MAR2018Mango2

 2月から3月にかけては、青マンゴーを見かけるようになる。樹にたくさんのブランコが下がっているようで、風情がある。この熟していない実も、タイ人は食べる。きれいに熟させるためには、青いうちに袋掛けをしなければならない。

MAR2018Mango3

 そして、3月下旬から4月、収穫できるようになる。私の楽しみは、何といっても夫の実家のマンゴーだ。家はラーチャブリー県にあり、バンコクから西へ2時間ほどだが、牛がもーと鳴く長閑な土地で、庭にマンゴーの樹が何本もある。
 一口にマンゴーといっても、品種は非常に多い。現在、黄色い完熟マンゴーで最も人気があるのがナムドークマーイ種。「花の雫」などの訳名で、日本への宅配サービスも行われているが高価である。それを田舎では樹から採って、そのまま食べられるのだ。花のようにふわりと香り、みずみずしい甘酸っぱさが口に広がる。もぎたてを一度味わってしまうと、今まで食べてきたのは何だったんだという気にさせられる。
 収穫には、ラクロスの柄をもっと長くしたようなカゴを使う。3〜4メートルの高さにも生るので、脚立も使う。

MAR2018Mango4

MAR2018Mango5

 我が家には、食べ頃を見分けるのに熟達した伯母がいて、私はひそかに「果物係の伯母」と呼んでいるのだが(伯母が何人もいるから)、彼女が「これ」と指した実は、皮が青くても、中は甘く黄色く熟れている。さすがである。
 枝を離れた実のヘタからは、透明の樹液がぽたぽた垂れる。これに触れるとかぶれるので要注意。マンゴーはウルシ科で、樹の下に立つだけでかぶれる人もいる。また、幹には、通称マンゴー蟻という橙色の大きな蟻がよくおり、噛まれると腫れて大変なことになる。余談だが、タイの諺“赤蟻マンゴーに潜む”とは、好きな女性に告白できないくせに、周りをうろちょろして、近寄る他の男の邪魔立てだけする人のこと。

 樹1本で、食べ切れないほど採れる。田舎では、練りマンゴーを作り、干して長持ちさせるため、収穫した端から物置の大きな籠にどんどん投げ込んでおく。贅沢なことである。 



涅槃図を出て太陽のまつ盛り イーブン美奈子 




【タイ便り、イーブン美奈子さんより】


第十三回古志青年部ネット句会(2018年春)報告

第十三回古志青年部ネット句会(2018年春)を行いました。

三句出句三句選、席題(佐保姫・梅の花・蝶)。
古志青年部員15名が参加。 

以下、大谷主宰の入選句です(一部お直しがあります)。


特選
一輪の梅より城のほころびぬ 吉冨緑
佐保姫の一寸転んで春の穴 イーブン美奈子
佐保姫の黒髪を梳く風ならん 金澤諒和
悪といふ悪をはらひて蝶の翅 辻奈央子
けさの風一羽の蝶と分け合つて イーブン美奈子
落城を知らざる蝶の迷ひ込む 金澤諒和


入選
吐く息も梅の香となる御園かな 石塚直子
手のひらの棺となりし春の蝶 前田茉莉子
白蝶や石牟礼道子観世音 関根千方



2018年も、青年部員は大谷弘至主宰のご指導のもと、より一層励んでまいります。


石塚直子


ひだるさを足跡に見る冬の朝 髙橋真樹子

 古志青年部の皆様こんにちは。髙橋真樹子です。
 今月より2ヶ月に一度、北海道の四季の移り変わりや観光地の魅力、北海道命名150年を迎えた開拓の歴史の数々などをお届けして行こうと考えています。
お付き合いの程、どうぞよろしくお願いします。
 私は札幌市に住んでいます。南には標高531m、夜景サミット2015で日本三大夜景に選ばれた藻岩山、西には北海道神宮が鎮座し円山動物園を有する標高225mの円山を望む地域に住んでいます。
 藻岩山への雲のかかり具合は、スマホの雨雲レーダーよりもずっと正確に天気の変化を、原始林の衣替えは季節の移り変わりを地域の人々に知らせてくれます。円山もそのほとんどが原始林で覆われており、季節毎に美しい姿を楽しませてくれます。夜中に雪の降った朝は、青空をバックに原始林の木々に降り積もった雪が朝日にキラキラと輝き、なんとも表現しがたい華やかな心持ちになります。

IMG_2636

 冬の朝のもう一つのお楽しみ。
 カーテンを開けた時、夜中に家の周りを訪ずれたであろう動物の足跡を見つけることです。
 こちらはエゾリス。

IMG_2464

 裏の北こぶしの樹洞で春に子育てをし、夏になると庭の隅に食べ尽くしたクルミの殻を転がして小さな子供たちも元気に走り回っています。秋にはどこからかクルミを運んで来て庭のあちこちに埋め蓄えているようです。冬に探しに来るのでしょうか。雪の上からは見つけられないようで、埋まったままのクルミからは次の夏に木の芽が生えてきます。
 エゾリスの必死にクルミを埋める姿を想像すると、愛おしく大切に育て彼らの食料供給の一端を担いたいところですが、庭に余裕はありません。残念ながら強く引っ張り抜いてしまいます。 

 蝦夷鹿の深く埋まってしまったであろう足跡。

IMG_2635

 プラス気温になり雪が緩むと、蝦夷鹿の体重では埋まってしまうようです。硬い雪の上にはしっかりと鹿の爪跡が残ります。今冬の来訪は2回目。家の周りを一周し、これといった収穫はあるはずもなく足跡は隣の家へと続いて行きます。 


 北海道では、雪と寒さを強みに多くのイベントが催されます。
 いくつかご紹介します。

 支笏湖氷濤まつり 

IMG_2563
IMG_2553
IMG_2549

 札幌からは車で1時間弱。新千歳空港より車で30分。
 最大水深360m日本有数の透明度を誇る湖。カルデラ湖。
 支笏湖 アイヌ語「シ・コツ・トウ」大きな・くぼ地・湖        
 夏はキャンプや釣り、水上スポーツで賑わいますが、冬季にも観光客に来てもらって地域を元気にしようと地元の人たちが結束して1979年に始まりました。氷濤作りは11月に骨格を組み、12月の厳寒の中、スプリンクラーを24時間回し湖水を吹きかけ続けます。すぐにそれは凍りついて独創的なオブジェとなり私達を楽しませてくれます。


 小樽雪あかりの路
 
IMG_2621

 札幌からは車で1時間弱、JRで40分弱。
 小樽 アイヌ語「オタル・ナイ」 砂だらけの・沢
 小樽ゆかりの小説家、伊藤整の「雪あかりの路」からこのイベントに命名。
 明治時代から第二次世界大戦前までは日本銀行小樽支店を初め、多い時には22銀行もの支店がひしめき合う北のウォール街でもあった小樽。現在も旧日本銀行を始めその時代の建造物が数多く残っており観光の目玉となっています。また、江戸時代末期から大正時代にかけニシン大漁景気に沸き、多くのニシン御殿が建てられて、今でもその雄姿を見る事が出来ます。
 漁業が盛んだったこの街で、ニシン漁で使用するガラス製の浮き玉を生産していた事から、今でも多くのガラス工芸店が軒を連ねています。
 その昔ながらの浮き玉に灯りをともしたロウソクを入れ、運河に浮かせ、石造りの倉庫群をバックに薄明かりが灯る光景はなんとも幻想的です。
 通りを行き交う車や新しい建物さえ目に入れなければ、明治や大正の時代に自分が存在しているように錯覚してしまいます。写真の日はひどく吹雪いていたので尚一層そんな気持ちに導かれたのかもしれません。
 周りがどんなに賑やかで隣に誰かがいてくれたとしても、吹雪の中では孤独を感じます。


 さっぽろ雪まつり
   
IMG_2603
IMG_2604
IMG_2592

 札幌 アイヌ語「サッ・ポロ・ペッ」乾く・大きい・川
 札幌市内3会場を舞台に繰り広げられる雪まつり。
 1950年開始で今年69回目を迎えました。
 大雪像や市民雪像、氷像、大きな雪で作られた滑り台が観光客の皆さんを迎えます。ひときわ賑わう大通り会場、近年は見物客の多くが異国の方々。色々な国の言葉が飛び交い、その中に紛れてしまうとまるで異国の地で迷子になったような気分です。そんな時、ここは北海道だよと気づかせてくれるのが、所狭しと並ぶボックス型の屋台から流れる炭火焼きやラーメンの匂い。北海道各地の美味しい幸が勢ぞろい!凍えるような寒さで冷えきったお腹を温め心を満足させてくれます。
雪まつり、実は札幌市民はあまり足を運びません。2月は一番寒い時期。たくさんの人で踏み固められた道路はツルツル、そして何より雪は雪投げ(北海道では除雪をこう呼びます)でもう十分!わざわざ雪を見に出かけようとは思わない様です。 
 私もさっぽろ雪まつりは10数年振り、氷濤祭りと雪あかりの路は初体験!
 冬のまつりは寒いけれど、作り上げる人々ともてなしてくれる人々は皆暖かみと懐の深さを兼ね備えています。心はホッコリ温かくなりました。
  
 


ひだるさを足跡に見る冬の朝 髙橋真樹子





【北海道便り、髙橋真樹子さんより】

三寒の空気丸ごと食む饅頭 前田茉莉子

地図

 夜の熊本を満喫する。
 午後2時私は会社を早退し、下通にあるCOCOSAに向かった。ダイエー跡に建てられたファッションビルで、地下にはお洒落なスーパーが入っていて、今日の最初の目標はそこである。
「お酒、お菓子、おつまみ、水、インスタントコーヒー・・・。」
夜の熊本を楽しむための必需品である飲食物を買い込む。30分かけて買い物を終えると、その足で、TSUTAYA三年坂に向かった。地下に行き、ケーキ屋にてケーキを購入。それを携え、デパート鶴屋に向かった。エスカレーターで地下に行き、フードコートにて熊本の銘菓蜂楽饅頭を購入する。相変わらずの長蛇の列で、その最後尾についた。職人の方が焼き上げる饅頭を見ながら、列が進んでいく。10個。20個と大量に買っていくお客様が多く見受けられる中、ようやく私の番が来た。
饅頭
「白2つください。」
白餡と黒餡と2つ種類があって、あんこの種類と数を言うのが注文のスタイルなのだ。
「200円になります。」
1つ100円というリーズナブルな価格も魅力の1つだ。
「ありがとうございます。」
できたてほやほやの饅頭を買い物バッグの一番上に置き、鶴屋東館に向かった。
「どの入浴剤にしようかな。」
東館にある東急ハンズにて、少し高めの入浴剤を4つ購入した。
「あっ、時間。」
私は、慌てて通町筋バス停に向かった。地元宮崎から母が遊びに来るのだ。高速バスに来た母を出迎え、バス停目の前にある、ホテル日航ホテル熊本に向かった。
「いつご利用ありがとうございます。明日の朝刊は前回と同様熊日新聞でよろしいでしょうか?」
実はちょっとした贅沢で、1年に1、2回程度利用しているホテルなのだ。ホテルの方に荷物を持ってもらい、エレベーターにて部屋に向かう。部屋に着き、カーテンを開けるとそこには復興中の熊本城を見ることができるのだ。
熊本城

 買ってきたものを冷蔵庫に入れ、お風呂に湯を入れ始める。お湯を沸かして、お茶と共に、蜂楽饅頭を城を見ながら食べる。饅頭を食べ終えると、先ほど買ってきた入浴剤をバスタブに入れ、風呂に飛び込んだ。歌ったり、仕事に必要は発声練習をしたりと、長風呂を楽しんだ。
 風呂から上がると、風呂を入れ直し、母を風呂に入るよう誘導した。その間私は、ベッドの上でゴロゴロしながらなんとなく、テレビを見た。母が風呂から上がると、コーヒーをいれ、お菓子を食べながら雑談を楽しんだ。
「5時半だ行かないと。」
服を着替え、外に出た。寒さが身に沁みる。先ほどいったCOCOSAから歩いて5分、和食料亭『青柳』に到着した。
「予約した前田ですが。」
席に案内される。青柳は、熊本で有名な料亭で、熊本に住んでいる人のほとんどが知っていて、熊本歌仙の会でもお世話になったところである。
「飲み物は何にしましょうか?」
「獺祭ですが、時価と書いてますが、いくらですか?」
メニューを開くと熊本をはじめ日本の銘酒が書き連なっていた。
「グラス500円です。」
「じゃあ、それで。お母さんは、ノンアルコールビールでいい?」
飲み物と料理が運ばれてきた。季節の会席料理に舌鼓をうつ。

食事

「おいしい。」
料理もお酒も絶品である。
「会社でさ、いやな上司がいてさ・・。」
仕事の愚痴を母に聞いてもらいながら酒が進む。夜8時、すべての食事を終え、店を出た。
「TSUTAYAに行くか。」
先ほどケーキを買ったTSUTAYA三年坂店に向かう。1階にはスターバックスがあり、飲み物を買うと、店舗に並んでいる本を読むことができるのだ。
「この期間限定の商品2つお願いします。」
注文し、商品を受け取り、席に着いた。そして、本を取りに行き、飲み物片手に読書の時間。店には私たちと同じように読書を楽しむ人が沢山いるようだった。
 1時間たち、夜9時となった。気に入った本を購入し、店を後にした。ホテルに向かい、部屋に戻ると、さっさとラフな格好に着替え、買ってきた、ケーキ、お酒、おつまみ、お菓子を並べた。テレビをつけ、ライトアップされた熊本城を見ながら、再び雑談。話は尽きることなく、深夜まで及んだ。
 朝6時、目を覚ますと、再び風呂にお湯を張り、朝風呂をする。風呂から上がると、着替え、そして、ホテルの朝食会場に向かった。日航ホテルは、朝食のバイキングが絶品で、九州産、熊本産の食材を中心に、バラエティーに富んだ食事を楽しむことができるのだ。そこで、のんびり朝食タイムを楽しみ、部屋にもどる。チェックアウトは11時。まだ、すこし時間がある。私は、目覚まし時計をセットし、再び眠りについた。
 これが、私の夜の熊本の楽しみ方である。



三寒の空気丸ごと食む饅頭 前田茉莉子



【熊本便り、前田茉莉子さんより】

「古志青年部鍛錬句会」報告

 2月11日「古志青年部鍛錬句会」を行いました。
 大谷主宰のご指導のもと、青年部の5名(高角みつこさん・丹野麻衣子さん・辻奈央子さん・森凛柚さん・石塚直子)が参加しました。高角みつこさんは大阪から日帰りで参加されました。
 2018年は合宿句会を行わず、今回の鍛錬句会(朝から夜まで一日実施)が代わりとなります。

 以下が句会の報告です(主宰のお直しも入っております)。


第一句座
三句出句三句選(席題:北窓開く・蛤・沈丁花)

入選句
蛤の夢もろともにたひらげん 辻奈央子
沈丁花星にも香りあるらしく 森凛柚
北窓を開けてさあさあ句会せん 石塚直子
住吉の蛤届くこの佳き日 石塚直子
沈丁は開く前よりよき香り 丹野麻衣子
蛤の口が開くまで恋話 丹野麻衣子
蛤つゆの蛤をいつ食べやうか 森凛柚
北窓を開き見知らぬ花一つ 辻奈央子



第二句座
三句出句三句選(席題:猫の恋・山焼き・海雲)

特選句
一山を焼いてこの国平らかに 辻奈央子
禿げ山のごとき恋猫起こすまじ 石塚直子
この闇も突つ走りゆけ猫の恋 高角みつこ
海雲啜る口の中にも春の風 丹野麻衣子

入選句
むせるほどふるさとは今野焼かな 石塚直子
集ひ来るわが輩はみな恋の猫 丹野麻衣子
黒潮のざんぶと海雲よく育つ 丹野麻衣子
もづく桶故郷の空を映しけり 辻奈央子
絡むもの無理に解かず海雲吸ふ 森凛柚



第三句座
三句出句三句選(席題:陽炎・蛍烏賊・桜餅)

特選句
光ごと攫ひて食はん蛍烏賊 石塚直子
わだつみの底にも果てよ蛍烏賊 丹野麻衣子
匂ひまで分かち合おうぞ桜餅 石塚直子

入選句
部屋中に花の香りや桜餅 丹野麻衣子



第四句座
三句出句三句選(席題:草餅・大試験・蛇穴を出づ)

特選句
大試験終へし机の軽さかな 森凛柚
蛇穴を出でて馴染みの木の上へ 丹野麻衣子
争ひはやめて草餅いただかん 辻奈央子
旅立ちや故郷の草を餅にして 森凛柚

入選句
夢追うてふるき蛇穴出てゆかん 石塚直子
淡海のほとりに搗いて草の餅 丹野麻衣子
落第の子に焼いてやる餅ひとつ 石塚直子
思ひ出は土にうづめて蛇出づる 辻奈央子



第五句座
三句出句三句選(席題:春灯・春闘・蕨)

特選句
何にでも質問する子初蕨 森凛柚
春闘を終へてさつさと夜の街へ 丹野麻衣子
君が来てこの部屋の灯も春の灯に 森凛柚
参加せよ恋するひまに春闘へ 辻奈央子

入選句
いざ春闘みなに鉢巻配りをり 丹野麻衣子
こころして熊の出る山蕨つむ 高角みつこ



第六句座
三句出句三句選(席題:朝寝・踏青・蜆)

特選句
踏青に出でよ喧嘩はその後に 石塚直子
朝寝してまたあらたまるこころかな 高角みつこ
うきうきと夫を叱つて蜆汁 高角みつこ
故郷の青きを踏みて力得ん 高角みつこ

入選句
国引の湖かきまぜて蜆採る 丹野麻衣子
蜆汁うかべ国引く話など 丹野麻衣子



18-02-15-08-52-11-464_deco18-02-15-08-59-18-257_decoC360_2018-02-15-08-49-56-055






「草餅」「桜餅」をはじめ、春らしい差し入れが句座を彩りました。

石塚直子


第十三回古志青年部ネット句会(2018年春)

古志青年部ネット句会のご案内です。


【古志青年部ネット句会(2018年春)】

●日程
 投句期間:2月1日から2月19日まで
 選句期間:2月21日から26日
 選が見られる期間:2月28日から翌月20日まで

●句座
 三句出句三句選

●兼題
 


石塚直子

春節の陽のゆたかなる朝かな イーブン美奈子

 今年の春節(旧正月)は、2月16日。タイ語で「トゥルット・チーン」という。トゥルットは「年末年始」、チーンは「中国」の意味なので、直訳すれば「中国正月」であろう。
 タイ国では、春節は公休日ではない。だが、自主的に仕事を休み、家族と祝う華人は多い。華人は一族の結束が固いとよくいわれるが、本当にそうだと思う。1月1日の正月は友達と一緒に遊ぶ若い人も、旧正月は、飲み会の誘いを断って家で過ごす。中国の風習を特に大切にしているのだ。
 春節が近づくと、街じゅうに「新正如意」「新年發財」などと漢字で書かれた赤い対聯(ついれん)や提灯が飾られる。前にも書いたが、クリスマス飾りの次がこれであり、1月1日はそっちのけだ。
 旧正元日の前々日は買い出しの日、前日は先祖の霊を祀る日である。供え物は、豚、鶏、アヒル、酒、茶、料理、カノムケン(バナナの葉のカップに入れた餅)、カノムティエン(バナナの葉でピラミッド型に包んだ餅)、金銀の紙財など。死後の世界の金銭に見立てた紙財は、燃やして先祖に捧げるが、一億バーツとかの高額紙幣を山と積むので、かなり豪遊できそうだ。元日は、親戚が集まって祝い、アンパオという赤いぽち袋に入ったお年玉を配る。
 
 中国の行事としては、他に、清明節の墓参、中秋節の月餅がある。今でも、4月5日前後は中国人墓地までの道路が渋滞するし、9月はデパートの大催事場に豪華なホテルやレストランの月餅売場ができる。それを見ていると、なんというか、中国人のパワーはすごいなと感心するしかない。
 なお、中国から外国への移住者のうち、中国国籍保持者を華僑といい、その国の国籍に変わった人を華人というそうだ。タイで現在の働き盛りの華人は、大概は三世か四世で、中国語も習っていない人が多い。私の友人にも華人がいるが、三世なので「中国人である」という意識は持っていない。春節は祝い、墓参りは毎年やり、結婚式も中国式にしていたが、理由は「そうしないと祖母に怒られるから」という至って消極的なものだ。世代交代していく中で、これから、タイにおける中国の風習も変わっていくのかも知れない。


Chinese-New-Year



春節の陽のゆたかなる朝かな イーブン美奈子



【タイ便り、イーブン美奈子さんより】

第十二回古志青年部ネット句会(2017年冬)報告

第十二回古志青年部ネット句会(2017年冬)を行いました。

三句出句三句選、席題(焚火・山眠る・牡蠣)。
古志青年部員16名が参加。 

以下、大谷主宰の入選句です(一部お直しがあります)。


入選句
一斗缶まるごと牡蠣は焼かれけり 高角みつこ
焚火して遠き革命祝ひけり 吉富緑
焚火するその人影も熱からん 金澤諒和
恋しさの君の焚火の跡に逢ふ 前田茉莉子
牡蠣の島先生のほかみな漁師 吉富緑
眠りたる羊蹄山に星の群れ 吉富緑
眠る山起こさぬやうに嫁にゆく 石塚直子


大谷主宰より次のようなご講評をいただきました。
個人的には、2018年の課題としたいと思います。
はるかな思いで句を詠むことを心がける必要があると思います。
はるかな思いで俗を詠むことはできますが、
俗のなかにいて俗を詠んでも句になりません。

その時々のちょっとした興味や感情を題材にして俳句を詠むのではなく、
また、そのへんで拾ってきたことばを乱雑に振り回して俳句を詠むのではなく、
一句でどれだけ深い余韻を生むことができるかということを心がけていければと思います。


2018年の古志青年部ネット句会は以下を予定しております。

第十三回(2018年春)2018年2月
第十四回(2018年夏)2018年5月
第十五回(2018年秋)2018年8月
第十六回(2018年冬)2018年11月


来年も皆さん奮ってご参加ください。
よろしくお願いいたします。

石塚直子

「漱石の一句」(十) 関根千方

『元祖・漱石の犬』という本があります。この本によれば、明治30年、漱石は鏡子の流産のあと、その傷を癒すためか、一匹の仔犬を飼ったそうです。写真も遺っています。しかし、その仔犬とは一年で引っ越しの際に別れることとなります。そのあと鏡子の自殺未遂が起ります。漱石はまたすぐに犬を飼います。黒色の大きな犬で、クロという名で呼ばれたそうです。

クロは二年で死んだそうですが、その間に長女筆子が生まれます。その後も順調に子どもが生まれ、漱石と鏡子の間には、二男、五女の子どもが生まれました。

明治32年 長女筆子
明治34年 次女恒子
明治36年 三女栄子
明治38年 四女愛子
明治40年 長男純一
明治41年 次男伸六
明治43年 五女雛子

鏡子は漱石の小説と競い合うがごとく、次々と子を産んでいます。とても、犬を飼うどころではなくなったように思えます。ところが、明治44年に五女の雛子が一歳の幼さで、突然亡くなります。漱石が修善寺の大患から一命をとりとめた翌年の出来事でした。

すると、漱石はまた犬を飼いはじめます。謡の師匠からもらいうけたという、その犬はまだ生まれたばかりの仔犬でした。子どもらが犬に呼び名がないと困るというので、漱石はギリシアの神話に出てくる英雄の名から「ヘクトー(ヘクトル)」と付けました。

詳しくは随筆『硝子戸の中』(大正4年)で触れられていますが、ヘクトーは大正3年に死にます。そのとき、漱石はこんな句を詠んでいます。墓標として板に「わが犬のために」と書いています。



秋風の聞こえぬ土に埋めてやりぬ   大正3年



ヘクトーの死はたいへん寂しいものでした。その死を悼む気持ちが詠まれています。さらに言うと、ヘクトーは雛子を失った漱石の心を癒してきたはずですから、雛子への思いも重ねて詠まれているはずです。 あきらかに、この句を詠むことで漱石は自身の寂しい気持ちを抑えようとしているようです。

前書きには「わが犬のために」とありますが、前書きなしでも成立する句です。その場合、何を埋めたかがないので、まるで寂しさそのものを一緒に埋めてやったと自分自身に言い聞かせているかのようにも思えますし、同時に、この墓を見る人に向けて、そう言っているようにとれます。いずれにしても、自分自身であれ、他者であれ、この墓を見て寂しさを感じるであろう人の心をどこか軽くしてくれる句です。こういうところに漱石のユーモアを感じます。

実はヘクトーの墓標が立てられた時、その隣には猫の墓標も立っていました(『漱石追想』によれば、文鳥の墓標もあったらしいです)。それは『吾輩ハ猫デアル』(明治38年1月~明治39年8月)のモデルとなった猫の墓です。猫の墓標にも句が詠まれています。



此の下に稲妻起る宵あらん   明治41年



この句、この墓を見ている人に向けて詠まれています。「此の下」とは墓標の下であり、土の中です。稲妻は空に起るものですから、普通の稲妻ではありません。この句が詠まれた経緯は「永日小品」にありますが、死期の迫った猫の目の色が徐々に沈んでいくのを見えていると、そこに「微かな稲妻があらわれるような感じがした」と書いています。明るくなると猫の瞳孔が縦に細くなるのを稲妻と言っているのかもしれませんが、具体的に稲妻がなんであるかは、わかりません。猫の魂のようなものかもしれません。それは土の中だから見えないだけで、猫の魂が目を覚ます夜があるよ、といっているようにもとれます。いずれにしても、普通の俳句ではありません。なぜなら、この句はいわば、『吾輩ハ猫デアル』の猫の墓標との「取り合わせ」になっているからです。

漱石は小説家としては立派だが、俳人としては中途半端だったという人がいるかもしれません。たしかに『虞美人草』以降、漱石は職業としての小説家を自覚していました。しかし、漱石は手紙や日記だけでなく、猫や犬の墓標に鎮魂として俳句を書く人でした。そのことが、俳人としての漱石の有り様を示しているし、現代の俳人と呼ばれる人々に諭すものがあるように思われてなりません。

前にも書きましたが、漱石の俳句は他者に向けて開かれたものでした。そういう意味で「社会的」です。そこが近代俳句と根本的に異なるところといっていいと思います。

ヘクトーの句が詠まれた年、漱石は猫の墓を句に詠んでいます。



ちらちらと陽炎立ちぬ猫の塚   大正3年



この句は『吾輩ハ猫デアル』の猫の墓でなくとも成り立つ句です。猫が想起する過去が、目の前にぼんやりと浮かんで見える、そういう心の状態へ読む者の心を引き込みます。もちろん漱石の句として読めば、『吾輩ハ猫デアル』の猫は漱石の分身でもあったわけで、消えそうで消えない自分の中にいる他者を読んでいるようにも思えてきます。

『硝子戸の中』に「夢のような心持」という言葉が出てきますが、まさにこの随筆全体がそのような雰囲気をもっています。目の前に見えているものは、今現在のものでありながら、自分はどこか別の世からのぞいているような感覚です。漱石は「古い心が新しい気分の中にぼんやり織り込まれている」と書いていますが、死者が生者の中に面影として「ぼんやり織り込まれている」ように見える。この句にもそのようなまなざしが詠まれているように思えます。


この句が詠まれた時、つまりヘクトーの墓標が立てられる時、猫の墓標はすでに「もう薄黒く朽ちかけ」ていました。

《車夫は筵の中にヘクトーの死骸を包んで帰って来た。私はわざとそれに近づかなかった。白木の小さい墓標を買って来さして、それへ「秋風の聞えぬ土に埋めてやりぬ」という一句を書いた。私はそれを家のものに渡して、ヘクトーの眠っている土の上に建てさせた。彼の墓は猫の墓から東北に当って、ほぼ一間ばかり離れているが、私の書斎の、寒い日の照らない北側の縁に出て、硝子戸のうちから、霜に荒された裏庭を覗くと、二つともよく見える。もう薄黒く朽ちかけた猫のに比べると、ヘクトーのはまだ生々しく光っている。しかし間もなく二つとも同じ色に古びて、同じく人の眼につかなくなるだろう。》(『硝子戸の中』)

人間も又しかり。漱石はそう思っていたに違いありません。漱石自身もその翌年の12月、四十九年という短い人生の最期をむかえました。

image1



*『硝子戸の中』というエッセイは、新聞連載です。世界大戦が始まり、国内では米の価格下落による不況が起こり、たいへん騒がしい。騒がしい情況を意識しつつも、そうした記事の片隅で、漱石は身の回りの日常を静かに描いています。

*漱石とヘクトーについて、詳しく書かれています。また、ここに漱石の《犬は夜を守るの天才なり》という言葉が紹介されています。犬の存在感を見事に言い表しています。

《猫は吐気がなくなりさえすれば、依然として、おとなしく寝ている。この頃では、じっと身を竦(すく)めるようにして、自分の身を支える縁側だけが便であるという風に、いかにも切りつめた蹲踞(うずく)まり方をする。眼つきも少し変って来た。始めは近い視線に、遠くのものが映るごとく、悄然(しょうぜん)たるうちに、どこか落ちつきがあったが、それがしだいに怪しく動いて来た。けれども眼の色はだんだん沈んで行く。日が落ちて微かな稲妻があらわれるような気がした。けれども放っておいた。妻も気にもかけなかったらしい。小供は無論猫のいる事さえ忘れている。
 ある晩、彼は小供の寝る夜具の裾にいたのは自分だけである。小供はよく寝ている。妻は針仕事に余念がなかった。しばらくすると猫がまた唸った。妻はようやく針の手をやめた。自分は、どうしたんだ、夜中に小供の頭でも噛られちゃ大変だと云った。まさかと妻はまた襦袢の袖を縫い出した。猫は折々唸って腹這になっていたが、やがて、自分の捕った魚を取り上げられる時に出すような唸声を挙げた。この時変だなと気がついた。
 明くる日は囲炉裏の縁に乗ったなり、一日唸っていた。茶を注いだり、薬缶を取ったりするのが気味が悪いようであった。が、夜になると猫の事は自分も妻もまるで忘れてしまった。猫の死んだのは実にその晩である。朝になって、下女が裏の物置に薪を出しに行った時は、もう硬くなって、古い竈(へっつい)の上に倒れていた。
 妻はわざわざその死態(しにざま)を見に行った。それから今までの冷淡に引き更えて急に騒ぎ出した。出入の車夫を頼んで、四角な墓標を買って来て、何か書いてやって下さいと云う。自分は表に猫の墓と書いて、裏にこの下に稲妻起る宵あらんと認めた。車夫はこのまま、埋めても好いんですかと聞いている。まさか火葬にもできないじゃないかと下女が冷かした。》

‪以下のようなエピソードが載っています。
《鏡子が数度目の妊娠で腹が大きくなっていた時、漱石は来訪した友人に向かって「本当に女は妊娠ばかりしやがって、どうしようもない」と愚痴をこぼした。すると友人は真顔で「そりゃ奥さんも悪いかもしれないが、妊娠させる君も悪い」と言った。》
もちろん漱石は鏡子に向かって言っているわけではなく、来客に向かって言った言葉ですが、ひどい言い様です。漱石は聖人のような人ではなかったし、たいへんな天邪鬼でもあり、俗人以上に俗人めいたところもあったようです。


【漱石の一句、関根千方さんより】

プロフィール

koshi_seinennbu

QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ