静岡精華幼稚園園長 幾田 光男 先生のお話



「ママ、来るかな。ママ、来るかな。あ、来た。ママが来た。○○ちゃん、ほら、ママが来たよ。うれしいな。うれしいな。」

保育士のA先生は、「うれしいな。うれしいな。」を繰り返しながら、抱っこしていた○○ちゃんを揺するようにして強く抱きしめました。お母さんのお迎えを待ちわびて半べそ状態に陥っていた○○ちゃんも、途端ににっこり。A先生の見事な演技に乗せられて、○○ちゃんのお母さんに対する思いは、それまでの寂しさや不安から喜びに急転換。そして、その喜びは急上昇。キャッ、キャッと、声まで発し始めました。

「今晩は。お帰りなさい。お迎え、ご苦労様です。」

「どうも。」

「さあ、○○ちゃん。ママがお迎えに来てくれたよ。うれしいね。忘れ物はないかな。じゃあ、明日また元気で来てね。さようなら。」

「さようなら。」

「○○、行くよ。何ぐずぐずしてんの。さっさとしなさい。」

○○ちゃんが靴を履くのを見届けたA先生は、○○ちゃんの立ち上がりを追うように顔を上げました。すると、そのとき、A先生の視界に入ってきたのは、歩き始めた○○ちゃんと、○○ちゃんの3~4m先を行くお母さんの後ろ姿でした。そこには静寂あるのみ。二人は言葉を交わすこともなく、門の外へと消えていきました。A先生は、二人の後ろ姿を見送りながら、こみ上げてくる涙を抑えることができませんでした。

これは、かねてから親しくしていたある保育園の園長先生が、私に語ってくれた話です。園長先生は、この光景が脳裏に再現されたのでしょうか、話の途中から声が震えだしました。それにつられてか、聞いている私までも目頭が熱くなってきてしまいました。私の脳裏にも、私自身まるでこの場に居合わせたかのように、様子が鮮明に描かれていたのでした。

園長先生と私は、思いを語り合いました。二人の思いはもちろん同じ。共感することしきりです。

夜7時、○○ちゃんは、寂しさをこらえてお母さんのお迎えを待っていただろうに……。それを察したA先生は、お母さんのお迎えの時刻が近づいたとき、○○ちゃんの期待をふくらめ喜びを大きくしてあげようと、一緒になって喜んであげたのに……。5秒でもいい、3秒でもいい、なぜ抱きしめてあげないのか……。なぜ一言「○○ちゃん、えらかったね。」と、声をかけてあげないのか……。○○ちゃんの寂しさは、5秒、3秒の抱きしめで救われるのに……。○○ちゃんの頑張りは、お母さんの一言で報われるのに……。本当にわが子をいとおしいと思うなら、たとえどんなに疲れていても、仕事が終わればいち早く自分を待っているわが子のもとへ飛んでいき、声をかけたくなるだろうに……。抱きしめたくもなるだろうに……。

mama08子どもの気持ちが汲める親――それは、子どもたちが最も強く求めているものは、自分を受けとめ包んでくれるお父さんとお母さんだと知っている人なのです。子どものころの自分を思い起こし、そのときの思いをわが子に重ね合わせることのできる人なのです。