平成22年(2010年)刊、260×250㎜、全36頁、モノクロ・ダブルトーン印刷、1,000円+税(CD付)
【在庫あります】



本文、あとがきより
九州へ撮影に行けるようになった頃には、35mm版から6×6版そして6×7版へとカメラは大型化し、三脚にさらにカセットデンスケと、20kg位の機材を持ち歩くようになっていました。「若かったからこそできたんだなー」とメタボ腹を見ながらつくづく思う今日この頃です。
四国の蒸機は全く撮る機会に恵まれず、北海道へは何度か出かけましたが一冊にするには数も少なくて……。小写真集シリーズも今度こそ終了とさせていただくことにしました。第一集発行から9年余りの長期にわたり続けさせていただきましたこと、本当にありがとうございました。
最後に一つお願いがあります。お持ちの写真集がいつまでも大切に保管されることを切に希望いたします。
平成22年(2010年)2月

昭和51年(1976年)3月13日 RB67 127mm 筑前宮田
大正8年(1919年)製造という貝島炭礦の22号機は、国鉄無煙化完了後も老体にムチ打って?頑張っていたのだが……。撮影の3か月後、仕事で運転中に突然閉山のニュースを耳にした。思わずブレーキを踏みそうになった事を覚えている。この日、私が現役といえる蒸気機関車撮影の最終日となってしまった。
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本文、あとがきより九州へ撮影に行けるようになった頃には、35mm版から6×6版そして6×7版へとカメラは大型化し、三脚にさらにカセットデンスケと、20kg位の機材を持ち歩くようになっていました。「若かったからこそできたんだなー」とメタボ腹を見ながらつくづく思う今日この頃です。
四国の蒸機は全く撮る機会に恵まれず、北海道へは何度か出かけましたが一冊にするには数も少なくて……。小写真集シリーズも今度こそ終了とさせていただくことにしました。第一集発行から9年余りの長期にわたり続けさせていただきましたこと、本当にありがとうございました。
最後に一つお願いがあります。お持ちの写真集がいつまでも大切に保管されることを切に希望いたします。
平成22年(2010年)2月

昭和51年(1976年)3月13日 RB67 127mm 筑前宮田
大正8年(1919年)製造という貝島炭礦の22号機は、国鉄無煙化完了後も老体にムチ打って?頑張っていたのだが……。撮影の3か月後、仕事で運転中に突然閉山のニュースを耳にした。思わずブレーキを踏みそうになった事を覚えている。この日、私が現役といえる蒸気機関車撮影の最終日となってしまった。









>>いろいろとありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。【小菅】