先日、富士山マラソンでフルマラソンを始めてから初棄権をしました。

理由はいろいろあるんですが、
その時感じたのはやめる勇気って進む勇気と違うんやなということです。


そういえば、孫さんもやめる事(撤退)に関してこういうこと言っていたなというのを思い出しました。

退却できない奴はケチだと思え
http://president.jp/articles/-/12225?page=2 

攻める勇気、守る勇気。
https://matome.naver.jp/odai/2141837024291205601?page=2


また、最近読んで感銘を受けた、元みんなのウェディングの中村さんのブログもやめる勇気に関する難しさを書いた内容だったなとも思いました。

東京で消耗した僕がこのブログをはじめる理由
http://blog.youturn.jp/?p=105



進む勇気って、大体は不確かなものに対して突き進んでいく事なので応援されやすいと思ってます。
かつ、それがわかりやすい課題解決や挑戦であれば、
大きな応援や賞賛など、ポジティブな後押しの比率は高まります。
言い換えると、自分もしくは自分が叶えれなかった夢を乗せた希望が周りの人を動かすわけです。
例えば、受験を頑張るとか、世の中の課題解決とか、メッシとか大谷翔平選手とかですよね。


しかし、やめる時は大抵、残念だ。勿体無い。言った事を守れてない。嘘つきだ。
と言った自分と他人のネガティブな後押しに抗わなくてはいけない状況になると思います。
その中で、意思決定をする必要があるというのは中々嫌な状況です。


今回のマラソンでいうと、僕は膝を痛めていたんですが、出場しました。
案の定途中で走れないぐらいになったんですが、
今後のことを考えると参加しないというのも選択肢としてあったと思います。

せっかくお金払ったんやからとか。約束があるからという色々な要素が決断をするのを避けたのだなと思います。
※結局30キロ走った反省はしてますが、後悔はしてないです


リタイヤ地点からバスに乗ってぼんやり考えてたんですが、
やめる勇気には、3次元ではなく、4次元の意思決定をする必要があります。
これは進むのとも一緒ですが、立体(3三次元)におけるその時点での事実だけではなくて、
もう一つ、時間軸を考慮して意思決定しなくてはいけないという事です。

この取り組みが、どういうことにつながっていくのか、どういう影響を今だけじゃなくて未来に及ぼすのかをちゃんと考えないといけないということです。
しかもネガティブな感情を多く抱えてです。


今回の棄権で一つ収穫があるとすれば、やめるということに対して人が向き合う時、
どういう人の雰囲気になるとか表情になるというのが客観的にたくさん見れたのは収穫かもしれません。



 一歩一歩できることを増やして頑張っていこうと、改めて思いました。