あなたは今、幸せですか?

この連載は、この質問に自信を持って「yes!」と答えられるようになるためのものです。 
世界40カ国放浪の旅とコンサルタントの経験をもとに、「毎日幸せでいる仕組み」について探求していきます。
以下の3つのステップを通じて、最終的には「毎日幸せでいる仕組み」をA4用紙1枚にまとめていこうと思います。
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仕組み作りの第1ステップは、「幸せについての理解を深める」ことです。
「何が自分の幸せなのか?」「どうやって幸せになるのか?」を考える前に、「そもそも幸せって何なのか?」ということを考えてみたいと思います。じっくりと、自分の心と向き合ってみませんか?

今回は、「現在をどう生きるか?」について考えてみましょう。

1 「いつか」望みは叶う?
2 死を思うと、今が輝く
3 人生は連続する現在
4 人生の登頂を目指すか?道中を楽しむか?
5 今を真剣に生きる


1 「いつか」望みは叶う?
「いつかカフェを開きたい」「いつかあの会社に転職したい」「いつか世界を旅して回りたい」…
私たちは、未来の「いつか」に思いを馳せて期待しています。
一方で、今現在については「次の職場に行くまでは、我慢の時期だ」「今は、望みを叶えるまでの準備期間だ」「もし〇〇したら実行しよう」と言うかもしれません。
つまり、今は「仮の人生」で、いつかの未来が「本当の人生」と区別しています。この考え方は「毎日幸せでいる」こと(この連載の目的)とは反しています。なぜなら今が幸せではないからです。

「幸せになる」ことと「幸せでいる」ことは、考え方が大きく違います。「幸せになる」ことは、「未来のいつか」への期待であり、裏返して言えば、今は幸せではないと考えているのです。一方で「幸せでいる」ことは、今すでに幸せであることを意味しています。
未来のいつかにばかり期待して、現在を我慢して生きている人が、もし今日死んでしまったとしたら、その人は後悔なく最期を迎えられるでしょうか?


2 死を想うと、今が輝く
話は変わりますが、世界一周の旅の途中、インドのバラナシという街を訪れました。バラナシはガンジス川に面した街で、国中から沐浴をするためにインド人が集まってきます。

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 ↑ガンジス川で沐浴する人達
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   ↑インドの喧騒
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   ↑バラナシで出会った少年

インドでは人が亡くなると火葬して、灰をガンジス川に流す文化があることは、聞いたことがあるかもしれません(僧侶と子供だけは、火葬しないまま流されます)。
日本のように、ひっそりとした場所に立派な火葬施設はありません。バラナシでは、人が行き交うガンジス川の川べりの、野ざらしの空き地で火葬を行っていました。その様子について、当時の私の日記をそのまま引用します。


それは不意打ちだった。川べりに人だかりができていて、まさかそれが火葬を囲んでいる人たちだとは思わなかった。

僕は始め、それを直視できなかったが、とても大切なことだと思って、しっかり見ようとした。業火が焚かれ、凄まじい熱気と、甘くて苦いような独特な匂いを放っていた。その中で焼かれているのは、人だったり、肉だったり、灰だったりした。

僕の前に、肉とも灰とも言えない塊が、炎の中から転がり出てきた。真っ黒に焦げてジュージューいってるその塊を見た時、「あれは僕だ」と思った。その時、心が静かに緊張して黙り込んだのが分かった。「人は誰でも死ぬ。だから僕も死ぬ」という事実を鮮明に突きつけられて、それを認めたくないようだった。

メメントモリ、死を想う。僕はいつか必ず死ぬということを忘れちゃいけない。そう想うほどに、今生きていることを大切にしたいと感じる。今を精一杯幸せに生きたい。



日本では、死は「穢れ」として扱われるため日常生活とは隔絶されていますが、インドでは、死は日常生活の中にありました。だから他人事とは思えず、自分も死ぬということを強烈に感じました。
私はあの経験をした日から、「たとえ今日この瞬間に死んだとしても、笑って最期を迎えられるように生きよう」と心に決めています。未来に期待していても、その「いつか」は来ないかもしれないので、今を大切にすることにしました。


3 人生は連続する現在
人生とは何でしょうか?人生は、人が生まれてから死ぬまでの時間のことを指しています。
「人生 ◯十年」というように長い(かもしれない)時間の流れのことだとか、これまでの過去とこれからの未来のことだと見ることもできます。

私たちは自分の人生がいつまで続くのか知らない(もしかすると、今日までかも知れない)にもかかわらず、当然のように、明日も来週も来年も続くかのように考えています。私たちは人生が続くことを想定して、「◯年後にはこうして、◯年後にはああして」と計画するかも知れませんが、人生の終了日はコントロールできないので、設計通りにはいきません。

実際のところ、人生は「今」という時点の集合体です。今この瞬間瞬間がいくつも連なった結果として、長い年月のように思えるのです。
私たちが何かを感じたり、考えたり、行動できるのは、今という時点においてだけです。人は過去にも未来にも生きることはできず、今この瞬間にしか生きられません。同様に幸せを感じられるのも今でしかなく、過去や未来ではありません。


4 人生の登頂を目指すか? 道中を楽しむか?
ここで、人生を山登りに例えて考えてみます。
いつかの未来に期待する生きる人は、人生を山頂まで登ることだと考えます。山頂という目標地点まで登りきることを期待して毎日を歩んでいます。山頂に辿り着くことで「幸せな人生」を達成できると考え、それまでの道のりは「仮の人生」だと言えます。

登頂に期待する考え方は、人生を先延ばしています。「本当はこれがしたいけど、山頂に登ってからにしよう」と。この考え方の便利なところは、山頂に登った時(未来)と登るまで(今)を区別することによって、今行動を起こさない自分を正当化できることです。本当は今この瞬間から行動を起こすことができるのに、例えば何か条件が揃っていないことを言い訳にするなどして、自分を変えることを避けられます実践しないでおけば、「いつかは実現できる」という可能性は否定されることもなく、その可能性の中で生き続けることができます。

一方で、登山にはもう一つの楽しみ方があります。それは登頂することではなくて、山頂に向けて登っている道中を楽しむ考え方です。今この瞬間に生きている人は、登頂して初めて幸せを達成するのではなく、山頂に向かって歩を進めていること自体が幸せの実践です。一歩一歩山頂に向けて歩み、「今日はここまで進むことができた」と幸せを感じるため、結果として山頂に辿り着けなかったとしても、それは大きな問題ではありません。
目的達成ではなく、過程を楽しむ。どこまで辿り着いたかではなく、どう歩んできたか。到達点の高さではなく、傾きを評価する。

ビジネスという登山であれば山頂到達にこだわる必要があるでしょう。しかし「幸せな人生」という登山であれば、過程を楽しむことの方が重要です。ちょうど旅が目的地への到達よりも、その旅路を楽しむことが重要なように。

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5 今を真剣に生きる
以上でお伝えしたことは。「望みを諦め努力をやめて、今を楽しめばいい」と甘いことを言っているわけではありません。実現したいことを先延ばしすることなく今日から実践し、今を真剣に生きるということです。今の自分に行動を迫る分、むしろ厳しい考え方だと思います。

今日を真剣に生きていれば、毎朝「今日はこれをやろう」と決意して、1日を終えた時に「今日はこんなことができた」と充実感を覚えるはずです。そうやって毎日「今日この1日」を大切に生きて充実感を得られていれば、例えいつ人生が終わったとしても幸せでいられます。
私はこのような生き方のことを「金太郎飴の人生」と呼んでいます。どこで切っても笑顔の金太郎飴のように、どこで人生が終わったとしても、幸せでいられる人生のことです。「いつか」の可能性の中に生きるのではなく、「今」の実践の中に生きながら、常に後悔なく、毎日幸せでいたいものです。

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