手紙には赤ちゃんの写真が添えられていた。どことなく僕が生まれた頃の顔に似ている気もしたけれど、生まれたての赤ちゃんなんてみんな同じような顔をしているものだ。
裏には「真実」と書いてある。「まなみ」とかなが振ってあった。どんな子に育つのだろう。
すぐにでもあの片田舎へ会いに行きたかった。けれど来るなと書いてある。行ったらかえってミチコさんを傷つけてしまうのかもしれない。遺伝的には僕の子だろうけど、ミチコさんが言ったように、この子は彼女の子であって、僕の子ではないのかもしれない。
ミチコさんからの残暑見舞いが届いたのは盆の帰省から戻った頃だった。それははがきではなく、無愛想な白い封書だった。
ミチコさんは8月の始めに元気な女の子を出産していた。お父さんに似て聡明そうな顔をしています、と書いていた。でも会いに来ないでください。私たちは母娘で静かに暮らしていきます、ご迷惑はおかけしません、と結んでいた。
僕は東京でミチコさんと過ごした日々のことや、長野の片田舎まで追いかけたことを思い出したけれど、それはまるでずっと前に観た映画のような記憶だった。
長野から帰ったあと、僕はひたすら作曲に勤しみ、歌のレッスンにも励んだ。おかげで大学は留年すれすれだったけれど、なんとか3年次に進んだ。
ハルは出す曲がすべてヒットチャートの上位にランクインして、テレビの画面に登場しない日はなかった。好事魔多しで、若い男性アイドル歌手と食事をしているところを写真誌にスクープされるこおもあった。それまでの清純派のイメージにヒビが入って、件の男性アイドルのファンからは総スカンを食らっていた。
それでもハルはどこ吹く風で次々とヒット曲を飛ばしていった。
お母さんが倒れて入院したのと時を同じくして、ミチコさんの妊娠が判明した。ミチコさんは会社を古株の従業員に託すと、逃げ出すように東京をあとにした。お母さんの介護をするという名目だったけれど、本当はひとりで子供を産んで育てるつもりで長野の家に帰った。
「結婚はしなくていいからね」とミチコさんは念を押すように言った。「そもそも、この子が生まれてくる保証もないんだから」
僕とミチコさんは駅で電車を待っていた。朝から風も凪いで、高原特有の強い日差しが降り注ぐ、春のように暖かい日だった。
まだ3ヶ月ほどの子に僕の声が聞こえるはずもないとは思いながら、僕は何度もミチコさんのお腹の子に呼びかけた。
ふと、こめかみに冷たいものを感じた。ミチコさんの涙が滴り落ちていた。嗚咽の震えが伝わってきた。そのうちに、ミチコさんは声をあげて泣いていた。
「馬鹿ねぇ、ほんとに」とミチコさんは涙声で言った。「でも嬉しいわ。こんなおばさんに優しくしてくれて」
「ミチコさんのこと、好きですよ」
「ありがとう」
僕は起き上がると、ミチコさんと真正面に向き合って正座した。
「結婚してください」
「おかしなこと言うわね」なおも笑いながらミチコさんは言った。「私、あなたの倍以上の歳なのよ?」
「でも、お腹の赤ちゃんは僕の子なんですよね?」
「そんなこと一言も言ってないわ。この子は私の子。それだけよ」
ミチコさんの顔が俄かに曇った。
「生まれてくるかどうかも知らないけどね。前の子も流れちゃったし。だいいち高齢出産だし」
ミチコさんはそう言って自分のお腹を撫でた。
僕はおもむろにミチコさんににじり寄ると、彼女のお腹に顔を埋めた。
「パパですよ」と僕はお腹の中に向かって言った。
こたに大将