2016年09月26日

 中高生の頃のヒエラルキーは何十年経った後の同窓会でも消えないそうだ。いわゆるイケてる系のグループは、たとえ実生活では落ちぶれていても元のヒエラルキーを必死で守る。
 ヒエラルキーに限ったことではない。クラスのアイドルはずっとアイドルだし、リーダーはずっとリーダーだ。仮にステータスが逆転してこちらが上位に立っても、同窓の集まる席では時計が逆戻りする。
 だから僕はそんな席に出かけていくことを控えてきた。未完成な時代に引きずり戻されて侮辱されるのは御免だ。僕はいま2016年版なのだし。

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2016年09月25日

 天才と呼ぶべき人を何人か身近で見たことがある。
 一人は床に平置きしたエレキギターを両手でタップして複雑な二重奏を奏でる少年。しかし彼は一般的なギターの演奏はまったくできず、楽譜も読めなかった。
 もう一人印象的だったのは、音楽の統合ソフトで入力するだけでも一定の技量が要るmidiデータを、パソコンのキーボードからアルファベットや数字を打ち込んで瞬く間に作ってしまう女。しかし彼女は音楽ソフトをまったく扱えなかった。
 彼らが大輪を咲かせることはなかった。異能たちにとって社会は複雑すぎる。

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2016年09月24日

 アニメーションの発明は人類の芸術表現において最大級のパラダイムシフトだったかもしれない。それはあらゆる可能性を映像化する。あらゆる時空を自在に結びつけてしまう自在の力を孕んでいる。
 人類の新たな表現の地平は、旧いパラダイムが全否定してきた「あり得ない」ものの中にある。実写では捉えられないそんな事物を、アニメーションはいとも簡単に表現してしまう。
 この自在なメディアが開く未来はまだまだブルーオーシャンだ。その最先端を生み出す国の言葉を母国語とする人間で本当によかったと思う。

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2016年09月23日

 不覚にも目頭を熱くした。映画『君の名は。』のラストシーン。しかし、そのシチュエーションに泣いたわけではない。
 封切り28日にして興行収入が100億円を突破。邦画史上すでに歴代9位。単なる話題性とは言い切れない力がこの作品にはある。
 たかがアニメと侮るなかれ。作画の美しさはジブリに比肩し、物語の緻密さも国際レベル。その完成度に僕は涙した。
 日本の文化はとてつもない。この作品は世界のどこに持っていっても恥ずかしくない仕上がりだ。
 日本人であることをこれほど誇りに感じたことはない。

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2016年09月22日

 最高気温20度前後、冷たい雨の降る日ともなれば装いはめっきり秋めいてくる。じっさい電車に乗ってみたら周囲はほとんど長袖だった。上に一枚羽織っている人も少なくない。
 半袖の僕はかなりの少数派で、何だか一人だけ場違いにも映る。それ以前に、この涼しさでこの出で立ちはいささか無防備すぎたかと心配にもなってきた。
 しかしそれも杞憂だった。1日を通じて寒いと感じた瞬間は皆無。むしろ歩けばうっすらと汗をかくほど。
 この調子だと今年の冬はコートなしで過ごせるかもしれないと期待する自分が哀しい。

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2016年09月21日

 今どきのアメリカでは「アメリカは機会の土地だ」とさえ迂闊には口にできないのだとか。これは「有色人種は怠け者で能力が低いからより努力する必要がある」ことを暗示するものであり、人種差別につながるリスクがあるのだという。馬鹿馬鹿しい話だけれど、こういう風潮はやがて日本にも広がってくる可能性がある。
「言葉はあるものとあるものを区別するためにある」と言語学の授業で学んだ。物事を区別・差別することを排除していったら、究極的にはどの言葉も使えなくなる。
 人類は言葉を放棄する気なのか。

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2016年09月20日

 夏休みの宿題を8月30日から始めるたちだった。日誌、絵画、習字、工作、自由研究、作文もすべてその2日間で仕上げた。それでも出来はまずまずで、作文は地方新聞に取り上げられたことがある。
 それで何とかなってしまったのがいけなかったと思う。世の中をなめる癖はそのころ醸成された。何でも適当なレベルで片付けようという姿勢のおかげで、物事を極めるという執念がとうとう身に付かなかったのである。
 もっともそれで不自由することはない。瞬発力で生きてきた者はずっと瞬発力で生きればいいのだから。

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2016年09月19日

 その頃、ステディな彼女なんていなかった。アパートの近くにあるパン屋の女の子に片想いを寄せていたぐらいのものだった。その夏に二度の失恋を経験して、このまま僕にはずっと愛し愛される人なんて現れないのではないかと真剣に思っていた。
 けれどそんな時代の僕が恐らく僕の人生の中で最もエネルギッシュだったような気がする。思うに子孫を遺そうとする本能こそが人を最も輝かせるのだろう。
 1987年9月。つい最近のことだと思っていたのに、もう30年近く前の話になる。おいおい、もう2016年じゃないか。

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2016年09月18日

 人間は寝ている間に寝返りを打つことで身体の歪みを無意識のうちに矯正しているのだという。何ともよくできた習性だ。
 実際それを体感したのはつい昨日のことである。
 以前痛めた股関節をまた悪くして、歩くのにも不自由していた。接骨院では背中の歪みから来ていると前に言われていた。
 その夜、暑くもなくて寝苦しいわけでもないのに、何度も床からはみ出しそうなほど大きく寝返りを打っていた。目覚めると、なんと股関節の痛みがほぼ退いていたのである。
 なるほど、いろんな意味で睡眠は大事な自己回復の時間なのだ。

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2016年09月17日

 バーチャル美少女CGのリアルさにけしからん未来を想像していたら、どうやら実際の流れは少し違った方を向いているらしい。ヒトの女を超えたアンドロイドがもたらすのは肉体的な快楽よりもむしろ精神的な方だという。
 ラブドールの老舗が近々発売を予定しているのが、AIを搭載した頭部。腰を振ったり身悶えしたりするのではなく、言葉で男をイカせるようだ。
 さていったいどんな言葉で男を翻弄するのだろうか。もしそれが有効ならもはや女の肉体の模造品も要らない。それこそスマホのアプリに落とし込めると思うのだけれど。

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2016年09月16日

 日本人のCGアーティスト夫妻が手がけた、ほとんど写真と見紛うような美少女の画像が公開されて話題になっている。「Saya」と名づけられたその少女は今もなお微妙な調整が加えられて進化し続けているという。
 こういう技術はどんな未来を描くのだろうか。この造形美がAIやロボットの技術と結びついたとき、究極のアンドロイド美女が生まれるのは必然の流れだ。そんな個体が大衆化すれば男たちは生身の女を放棄するかもしれない。いや、女の方も。
 セックスが生殖から切り離された日から、この歴史は始まっていたのだろう。

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2016年09月15日

 出来レースにも近い選挙で民進党の代表に選ばれた蓮舫氏。国籍がどうのと騒がれているものの、台湾と日本のハーフながられっきとした日本国籍で、今は村田さんと結婚して本名は村田蓮舫。
 もとよりエキゾチックさを売りにするため芸名を苗字なしの蓮舫として、選挙もそれで戦ってきた。しかしもうタレント時代の威光に頼るまでもなく、政治家として立派に知名度もある。なのに中国人のような名前を前面に出しているから余計に叩かれるのだ。
 そろそろ村田か旧姓の斎藤を名乗ったらどうかと思う。それでも僕は投票しないけど。

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