大魔人・佐々木引退!?

2004年08月12日

 横浜の佐々木投手が引退の意向を球団首脳に伝えていたというニュースが流れたとき、ああこの男なら言いかねないなと思いました。3連続救援失敗、最後は屈辱の3連続被弾。
 ふと思い出した印象的な試合。何年前だったか、横浜スタジアムでの中日戦で9回に1点差の場面で抑えに出てきたとき、大西選手にまさかの被弾で同点。そのあと延長戦になって佐々木が続投、最後は横浜がサヨナラ勝ちしたと記憶しているんですが、佐々木は屈辱に耐え切れず半べそかいて「おりゃー!!」とか叫びながら投げていたそうですよ。もともとノンプロでは強打者として知られ、今や一発のある打者として5番を打ったり代打で出てきたりする大西選手ですが、当時の中日では非力な代走・守備要員と思われていたわけですからその日の佐々木の屈辱感は想像に難くありません。
 佐々木投手というのはあの体格にあの形相とは裏腹に実は非常にナイーブな人なんだと思います。出てきたばかりの頃の印象は「見かけの割にハートの弱い投手」。こんないいタマ持ってるのになんでパッとしないんだろう、と不思議に思っていたら、確か2年目の91年の7月頃でしたか、地方シリーズの試合だったと記憶していますが、抑えに抜擢されてフォークがズバズバ決まり、一躍球界に名を知らしめたことがあったんですね。それを境に佐々木の表情が非常に自信に満ちたものになって、気がつけばハマの大魔人なんて呼ばれるようになっていました。
 その後の活躍はみなさんご承知のとおり。僕も最盛期の佐々木をハマスタで見ましたけど、立浪のバットがフォークに空を切ったときボールとバットが30センチぐらい離れていたのを憶えています。3塁側のスタンドから観ていても落ち方がわかるぐらい凄いフォークでした。
 そして大リーグへ。日本ではかすられもしないあのフォークは海の向こうでも通用しました。しかし最初の何試合かの表情は90年の入団当時のそれに戻っていたのを僕は見逃していません。凄く不安だったんだと思いますよ。この人はハッキリ顔に出るからすぐわかる。結果を出していくうちにまたハマの大魔人の顔になってきましたけどね。
 けっきょく佐々木投手というのは結果を重ねることで自分を支える人なんだと思います。だからたとえ一時の不調や出会い頭であったとしても悪い結果が出てしまうと一気にすべての自信を失ってしまう。それでも若い頃は内助の功もあって割と早く持ち直すことができたんですけど、もはやそんな精神的な問題ではなさそうですしね。
 大リーグで打たれ始めた頃の佐々木のフォークはもはや全盛期のそれとは違っていました。いちばんよかった頃よりも落ちが早いし、低めの球はあっさり見極められていて皮振りは取れない。、左右に散らして目付けを変えたりストライクゾーンの中でチェンジアップ代わりに使って打たせたりして誤魔化していましたけど、もうこれはもたないなと思いました。案の定、そのオフには1年の契約を残して帰国。理由は「家族と一緒に暮らしたい」でしたけど、家族のせいにするなよって感じでしたね。
 それでも日本ならまだそこそこやれると思ったら確かにシーズン当初は大リーグの末期に覚えた「打たせるフォーク」で何とかしのいでいましたし、自身も「打たせることを覚えた」なんてコメントしていました。
 しかしそんなインチキが通用したのも最初だけ。空振りの取れないフォークなど、チマチマと当ててくる日本の打者を誤魔化しきれるわけもない。今やまっすぐも140キロそこそこ。最初は名前負けしていた各チームの打者が「おや?」と思い始めたのが6月ごろからでしょうか。そして先日の中日戦、井端以降の打者が4連打で逆転サヨナラ。ここで佐々木の投手生命は終わりかもしれないという予感がありました。きっと次の登板はまた90年のあの顔になっているに違いない、と。
 そしてヤクルト戦。スポーツニュースで観た佐々木の顔は確かに新人時代のあの怯えたような顔でした。腕がまったく振れていないのが素人眼にもわかる。実績を重ねることでしか自信を保てない投手が三度も失敗を続けたら・・・そこにいたのは怒りの静まった大魔人のなれのはての武人埴輪でした。しかも見るも無惨に砕かれた破片となって。
 ストレートも今や並の投手以下。鋭いスライダーやシュートがあるわけでもない。フォークを微妙に握り替えてコーナーワークをしていた投手ゆえ、その生命線が用をなさなくなった今となってはもはや再起も難しいでしょう。おそらく球団の慰留は効かないと見ました。
 そんなわけでちょっと早いですが、

 おつかれさま、大魔人。




 シーズン途中での引退はない、とのコメントがありました。本人から。しかしあくまで「シーズン中」の話。今オフで引退でしょう。

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