2019年07月29日

夏の台湾ライブtour記録.1

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2019年6月28日(金)から7月12日(金)まで台北、基隆(和平島)、宜蘭、花蓮、台東(都蘭)、台南(安平)、高雄までとライブの旅をさせていただきました。共に旅をした皆様、出会った皆様、台湾の皆様、本当にお世話になりました、有難うございました。謝謝!多謝!

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29日(土)台北。草御殿IVY PALACEにて「知久寿焼&宮城善光〜南島浪潮ライブ〜」Kayaさん、知久くん、謝謝!

紅い煉瓦と提灯のコントラストが美しい。この美しい草御殿が訪れる前の台湾のイメージ通りの場所でした。
でも!旅を振り返ると、そのイメージ通りの台湾はいい意味で覆されました。歴史や文化の奥深さ、たくさんの原住民の存在、その誇り高さ。そして なにより純粋で優しい、でもアホな(笑)若者たち。本当に台湾は奥深いなと感動の連続でした。



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30日 基隆、和平島へ移動。
29〜30開催のイベント「島嶼生活節」参加。

基隆社寮島、現在の和平島は最大の琉球人集落が あった場所。
漁業を中心として広がった琉球人集落。昭和10年代に基隆社寮島(現・和平島)、台北市内、淡水、花蓮市米崙や台東新港、屏東の海口、高雄などなど11ヶ所あったそう。
その和平島で歌えた事に本当に感謝します、風車拉麺、月光荘チーム、裸族の皆様、本当に感謝!

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自分の祖父は糸満海人。南洋パラオ(コロール島)にて漁業を営んでた、そのパラオで父は生まれ少年時代を過ごした。
そんな大海原を駆けた糸満海人たち、もしかしたら ここ台湾基隆に根をはり生きていたかもしれない‥なんて想像をかき立てる和平島の雰囲気は沖縄の漁港街にいる様でした。


戦前には本土の日本人(内地人)は一等国民、琉球人は二等国民、そして 植民地化の朝鮮人、台湾人と三等国民、四等国民として差別され扱われた。

そして、日本の敗戦で植民地支配から解放され、祖国復帰した台湾人と日本人の立場が逆転して、それまで日本人に受けた屈辱を暴力や脅迫、罵声などの報復が各地で頻発した。しかし台湾人から琉球人に対する報復はあまりなかったそう。

戦後、台湾からの日本人引揚げに関して日本人は日僑、琉球人は琉僑と呼び区別され処遇も違った。台湾省行政長官公署は日本人に琉球人は含まれないと認識していた。

時代は流れて台湾は民主化して、そして現在、たくさんの情報が共有されるまで 確実に琉球は日本ではないとの認識は台湾の人達の中にはあったのだろう。

そして今も沖縄は日本により併合されたマイノリティだと言う歴史認識のイメージは台湾人の中には少なからず あるであろう。


そして、基隆から宜蘭へと移動。



kotobuki2005 at 15:40
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