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今日は、ちょっと趣向を変えて・・・

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大人の階段を登り始めた63歳児」のエントリーのコメント欄にて、rie様に興味深いコメントをいただいていたので、それの返事を書いていたのですが、無茶苦茶長くなったということもあって、今日のエントリーにて代えさせていただきます。

戴いたコメントは下記です。

日比野様。
 私は、鳩山が軍の論理に屈服し、在日米軍や在沖の海兵隊を抑止力だと表明することを、残念に思っています。私は、鳩山のこうした対軍認識を「現実論」だとは思いませんし、「理想論」の後退だとも思いません。日本の平和、アジアの平和を、軍の存在の有無のみでとらえようとするその考え方といいますか、思考の座標設定といいますか、が不思議でならないのです。政治家は、軍人ではないので、あくまで政治家として、平和と基地問題を考えて欲しいのです。
rie 2010/05/19 20:23

以下、お返事になります。




1.平和とは「戦争していない状態」のこと

戴いたコメントの主旨は、日本の平和、東アジアの平和は、軍人としてではなく、政治家の立場として考えて欲しい、もしくは、考えるべきである、ということではないかと思います。

確かに、政治家は軍人ではありませんから、軍の論理「だけ」に縛られるのはおかしいというのは間違いないと思います。

ただ、軍隊をシビリアンコントロール下に置いている国家では、政治家のトップ、つまり首相は、自国軍の最高司令官でもあるわけですから、軍の論理をまるっきり無視することもまた不可能な事です。

なぜかと言えば、軍の論理を無視するということは、自ら最高司令官であることを放棄することになるからです。これは同時に文民統制を陳腐化することにも繋がりかねない問題でもあろうかと思います。

ですから、政治家、特に最高司令官でもある首相は、軍の論理を十分に理解した上で、更に政治家としての判断と手腕によって国家の平和と繁栄を守らなければならないの思うのです。

ここで、平和の定義について、考えてみたいと思うのですけれども、軍というものが全く存在しない、所謂「草食動物しかいない世界」は別として、軍という物理強制力を国家が保持している世界において、「平和」というものがどう定義されるかというと、私は「戦争していない状態」がイコール平和(=平和維持状態)である、と思うのですね。

朝鮮半島は、今でこそキナ臭くなってきたとはいえ、ここ50年ほどは、まがりなりにも「平和」だったといえるのではないかと思いますけれども、あれだって、一時休戦、つまり戦争をしてないだけの状態であるわけです。

では、軍の論理で考えた場合、「戦争をしていない状態」というものを、如何にして作り出すのか、といえば、大きくは2つあると思います。

ひとつは「逆らえない平和」、もうひとつは「睨み合いの平和」です。

「逆らえない平和」とは、文字どおり、軍事超大国による一極支配による平和のことです。近年でいえば、パックス・アメリカーナですね。

そして、「睨み合いの平和」とは、軍事力均衡による、戦争抑止状態、巷でよく言われるところのバランス・オブ・パワーのことです。

そして、今は、例のサブプライムに端を発する金融危機や、アメリカそのものの経済力の陰りもあって、「パックス・アメリカーナ」から「バランス・オブ・パワー」に移行しつつあるのではないか、というのが、現時点での私の認識です。




2.「逆らえない平和」と「睨み合いの平和」

軍事は兎に角、金がかかります。特に軍事的優位を確保するための、絶えざる兵器開発・配備に兵の補充と訓練。近代戦になればなるほど、莫大な金が必要になります。

アメリカの軍事予算は、年間60兆円あります。日本の年間税収の2倍も使っているんですね。そのうちの何割だか、何パーセントだかは分かりませんけれども、その一部は、日本を含めた東アジアの平和維持のために使われているわけです。

それに対して、自衛隊の予算は全部で5兆円ほどですから、もしも、在日米軍が全面撤退した場合には、日本の国防予算は確実に、かつ爆発的に増えることはほぼ間違いありません。

これは、東アジアの軍事力均衡状態に持っていく、すなわち、「睨み合いの平和」によって、平和維持を行なうという場合になりますけれども、もちろん、もう一つの「逆らえない平和」による平和維持も当然有り得ます。

つまり、アメリカを除いた東アジアのどこかの国が、軍事力を拡大して東アジアを一極支配する、ということですね。

では、どの国が、東アジアを一極支配するほど軍事力を拡大し得るか、といえば、それはもう言うまでもない。日本では絶対ないですね。日本にそれだけの力はありません。

経済、兵員、その他を考えても、東アジアを支配するだけの基地を建設して、第7艦隊並みの海軍を持つなんて、ちょっと無理です。

日本がアメリカと戦争しても負けないくらいの軍事力を持たない、又は持てない場合には、日本が選択できるのは、アメリカによる「逆らえない平和」か、別の軍事大国による「逆らえない平和」、そして「睨み合いの平和」の3択しかないと思うのです。現実問題としてそうだと思います。

もしも、日本がアメリカによる「逆らえない平和」を放棄して、なおかつ「睨み合いの平和」も選択しないとするならば、後は、アメリカ以外の軍事大国による「逆らえない平和」の中に組み込まれるしかありません。

ですから、これは、大きく言えば、日本がそういう選択をして、それでよいのか、という問題だと思うのです。




3.「睨み合いの平和」のコスト

私は「我儘で乱暴だけれど自由と正義を標榜する国」による「逆らえない平和」か、「友好ばかり口にするけれど、政府批判は弾圧して、民族浄化するような国」による「逆らえない平和」かのどちらかを選べ、と問われたら、文句なく前者を選びます。 

そして、アメリカによる「逆らえない平和」を選択した場合ですけれども、アメリカ自身が昔ほどの力が無くなってきているわけですから、東アジアは序々に「睨み合いの平和」に移行することになります。

まぁ、これは東アジアに限った話ではありませんけれども、全体としては、そういう方向に流れていると言っていいと思います。

今、アメリカは、その「睨み合いの平和」のための軍事力の一部を、当事国に受け持って貰いたいわけですね。ですから、日本に色々と負担を求めてくる。

その視点からみれば、アメリカの軍事再編ロードマップも、なるべく自国の負担を減らしつつ、平和維持のための方策を模索しているように私には見えます。

ありていに言えば、アメリカの同盟国の何処かが戦争になったとして、攻撃をうけたとしても、せめて数日くらいは、自分で反撃・防衛して、なんとか戦線を維持してくれ、そうすれば俺達が駆けつけてやるから・・・。とまぁ、こんな感じに見えるのですね。

普天間は、嘉手納のバックアップ飛行場でもありますし、国連軍指定基地でもありますから、東アジアが「睨み合いの平和」に移行する以上、その戦略的価値が高まることはあっても、下がることは有り得ません。

そうしたことを考えると、一番現実的かつ、安上がりに日本を守ろうとすれば、アメリカ軍には居て貰ったほうが良い。これは軍事的見地からの話ですけれども、私はそう思っています。

ですから、鳩山さんが、在日米軍によって国防コストが安く済んでいる云々のコメントも、ようやく現実が分かったのか、それが理解できるくらいの理性はあったのだな、と安堵したくらいです。

ここまでが、軍の論理の話です。




4.ODAが肉食動物を太らせた

もうひとつ、政治的論理による平和維持、すなわち、外交努力による平和維持の模索、こうした観点があります。

これは、要するに、みんな草食動物にしてしまえ、ということです。

皆がみんな「争い」なんて考えたこともない、そんな言葉聞いたこともない、「戦争?何それ、おいしいの?」くらいにまでなっちゃえば、戦争なんて起きるわけがないということですね。

まぁ、これはこれで、進歩が止まるという別の問題を抱えることになりますけれども、ここでは触れません。

自然界でもそうなのですけれども、争いが起こるときというのは、大抵の場合は、餌が無くなったときです。

まぁ、国内の不満があるときにそれを逸らす意味で、軍事行動や威嚇行動をすることはありますけれども、ほとんどは、国民が飢えたときに、他国への軍事行動を起こす危険があるということですね。

腹が減ったら獲物を探して、餌にする。生きるためには仕方がない、そういう論理です。

けれども、肉食動物であっても、腹が満たされている限り、狩りをするわけでもない、という事実もまたあります。ライオンだって、満腹のときは狩りなんかせずに、寝そべったりなんかしているわけです。

これを現実問題に当てはめるとどうなるかというと、身も蓋もない言い方をすれば、「バラマキ」をするということです。他国へ経済援助をバンバンやるということですね。相手を満腹にしてやれば、襲ってこないだろう、というわけです。

けれども、これは、これまで日本がODAとして、散々やってきたことです。

日本は、世界各国に対してODAを何十年もやってきましたけれども、それによって、世界のどの国が「草食動物」になったのかを考えてみますと、「草食動物」になったのもあるかもしれないけれども、「肉食動物」のまま変わらなかったのもある、というのが現実の姿だと思われます。

日本から遠く離れた、アフリカですとか、中東ですとか、近いところでは東南アジアなどもそうですけれども、彼らは、日本に対して非常に友好的です。

それは、ODAによって腹が満たされたからというのもある筈です。その意味では、このやり方は成功した。けれども、それが通じなかった国もまたあることも、認めなければいけないと思うのです。

日本は特に、隣の国に対して沢山の餌をばら撒いてきたわけですけれども、隣国はODAの餌をたらふく食べては、ミサイルも作っていたわけです。「肉食動物」にせっせと餌をやっては、肥え太らせていったというわけですね。




5.ジャイアンの「こころの友」でいること

そんな肉食動物が、なぜ日本に襲い掛かってこなかったというと、その理由は2つあります。

ひとつは、日本も庭先に最強の肉食動物を飼っているということ。もうひとつは、日本自身もほんの60年ほど前までは、最強の肉食動物であった、ということです。

日本が今、飼っている肉食動物とは、言うまでもなく、在日米軍のことですし、日本自身も、かつて大日本帝国と呼ばれていた頃は、アメリカ以外には負けたことのない、最強の肉食動物だったわけです。

それがあるがために、現在の肉食動物である隣国も、迂闊に手を出せないでいるわけです。

その一方、そんな相手を刺激するような真似なんかしなくても、経済交流を活発にして友好関係を築けばいいじゃないか、という考えもあります。

確かに友達になってしまえば、襲われることはない、というのはそのとおりだと思います。

けれども、たとえば、腕力に自信のあるガキ大将が、絶対に逆らうことのないと分かっている金持ちの友達を持ったとしたら、かなりの確率でお金をたかる事になるだろうというのは、容易に推測できます。

いわば、ドラえもんでいうところの、ジャイアンに対するスネ夫かのび太のような関係ですね。

いくら友達になったとしても、その相手がジャイアンだったとしたら、のび太のままでは、ヤラれ放題になってしまいます。だから、それでいいのかどうかということですね。

今の日本は、その選択を問われているのだと思います。

日本はこれまで、アメリカというジャイアンに対して「こころの友よ」の関係をつくることで、守って貰っていたわけです。

そのジャイアンに出て行けと言ったとして、代わりのアテがあるのかというと今はない。隣の国を「新しいジャイアン」にすればいいという意見もあるかもしれませんけれども、その隣の「新しいジャイアン」が「きれいなジャイアン」である保証はありません。

となると、今のジャイアンがまだ「こころの友」でいてくれるうちに、自分がジャイアンになるくらい鍛えるか、圧倒的軍事的優位を確立する技術力の開発と配備しかありません。要は、ドラえもんを作るということですね。

日本がいきなりジャイアンになる、なんて言ったら、隣の国は益々いきり立ってしまうでしょうから、アメリカというジャイアンと「こころの友よ」の関係をがっちりと維持しつつ、時にはジャイアンの「ジャイ子の悩み相談」でもしてやって、その裏で、こっそりとドラえもんを開発しておくのが得策ではないかと思うのです。

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