日比野庵 新館

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「山縣は徳利の中の味噌だ。味噌には味があるが、徳利から出てこない。」

明治維新の元勲の一人、山縣有朋を評した高杉晋作の言葉。

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山縣有朋はとても慎重な性格だった。当時高杉晋作が藩内の親幕府派打倒のクーデターを起したとき、奇兵隊をアテにした。奇兵隊の幹部たちは熱狂的に高杉に賛同したけれど、山縣だけは最後の最後まで動かなかったという。

確かに徳利に入った味噌は逆さに振っても出てこない。徳利にいくら飴や辛子を塗りたくったところで味噌が出てくるわけじゃない。ましてや味噌が空になるなんてことはない。

ある意味日本の伝統や価値観は、この味噌徳利の姿に似ている。

日本の伝統や価値観は徳利の中に納まった味噌。煮ても焼いてもウンともスンとも言わない。それほど強固な伝統がある。それは何千年もの時をかけて熟成された味わい。

もちろん長い熟成の間には、徳利の口から、新しい麹やスパイスなんかが混ざって、少しづつ味が変わってはいるのだけれど、それはより深い味わいになるためのもの。

徳利は日本の国体を現している。それは、天皇に象徴される日本という器の姿。

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今は徳利の外側にプロパガンダという飴や辛子がべたべたついている。だけど徳利は以前と変わらぬままそこにある。敗戦の憂き目にあっても、天皇という徳利は割れることがなかった。この一点が決定的に重要。

ともすれば、日本は外国の言うことをホイホイと聞いていて、主体性がないようにも見えるのだけれど、伝統・価値観レベルでは徳利に入った味噌のように深い味を持って、今もなお存在してる。

過去の王朝を悪と断じて、新王朝の正当性を誇示する方法はとても簡単ではある。王朝が変わるたびに徳利の中身を出して新しい酒に入れ替えたり、時には徳利を割って、捨て去り、新しい徳利にすげ替えるだけで過去に責任を押し付けて、しらんぷりできる。

だけど、そんな安っぽい徳利では、いつまでたっても熟成された味を出すことはできない。

日本という徳利はそんな安物じゃない。最も古い歴史を持つ究極の徳利。それは世界に二つとないもの。


本シリーズエントリー記事一覧
村山談話を解析する その1 「田母神論文と村山談話」
村山談話を解析する その2 「過去の反省」
村山談話を解析する その3 「独善的なナショナリズム」
村山談話を解析する その4 「日本という縦糸」
村山談話を解析する その5 「現在の評価と未来の指針」
村山談話を解析する その6 「日本の器」
村山談話を解析する 最終回 「究極の徳利」



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